2006年08月

2006年08月30日

体に異常連発

夏休みは、体の手入れの時間。最近はそれを実感している。
この夏休みの間は、割と自由に年休が取れる。それを利用して普段あまり通っていない病院にせっせと通っている。
すると、いろいろと見つかる見つかる。ウィルス性のイボ。腫瘍。
それまでにも肉離れなどもあったし、持病となって毎月定期的に通院している病気もある。まさに体のあちこちから異常が連発して見つかった。

もうすぐ2学期。けれど、2学期早々に手術することになった。
もっとも、午後に病院に行って、その日のうちに退院するという軽度なものなのでそれほど大げさにすることではないのだけれど。

パソコンも今日、ようやく環境が整い更新ができるようになった。
ランキングもちょっと見ない間に思い切り下がっていた。まぁ、更新していなかったのだから仕方ないのだけれど。

さて、2学期には運動会やら学習発表会と行事が山盛り。
体を治して、気合を入れていかないといけませんね。

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つれづれ日記 

2006年08月23日

チームを育てる

最近、ちょっと堅い話が続いたので、ちょっとお休みして地に足の着いた話を…。
夏休みということで、部活の指導をしています。本格的な練習に入ったのは夏休みからぐらいだから、当然それほど強くない。(子どもが少ないのに部活が多いから、子どもはいくつもの部活を兼ねているからほとんど練習に人が集まらない状態だったから)

暑さと共に練習にも熱が入り、短時間だけれど厳しい練習をしている。
もちろん、暑さ対策・熱中症対策には気を遣っている。熱中症が心配されるような状況では15分程度で休息を入れ、健康確認をしている。
今は基礎練習が多いので、結構体力的には大変だったりする。けれど、基礎体力作りもこの休みの間の課題だからやらないわけにはいかない。

ただ、公式試合が秋にあり、そこに焦点をあてているので、時間があるわけでもないから、体力作り+基礎技能の練習+フォーメーションの基礎なんかを短時間で複合的に取り入れながら行っている。

最近、指導で意識しているのは「自分にはどんな練習が必要なのか」ということ。子どもには、「自分が、これを得意になったら、他の人にどんなことがしてあげられるだろうか」それを考えて練習しなさいと言っている。
これは練習の合間に取っている「自主練習」の時間に何を練習するかを自分で(個人で)考えさせているということです。

これは、短時間に上達させるための苦肉の策でもありますけれどね。
まぁ、なかなか理解できないで「友達と同じメニュー」って子もいますけれどね。
そして、後一押しは「その練習だったら●●さんにきいてごらん」というもの。相互に教え合い、課題を見つけさせるのが狙い。
適切なアドバイスばかりとは言えないかもしれないけれど、互いに教え合うというのがポイントだと思っている。

追伸…他の先生が主でやっていたので、あまり大きな変化を入れられないのだけれど、こっそり「挨拶」「後片付け」なんてことにも意識を向けさせている。また、練習中に声を掛け合うことも随分強制している。
他のブログで「厳しいタイプ」の先生かなぁと書いたけれど、部活に関しては思い切り体育会系の厳しい先生なのでした。へへへ。

追伸2…ブロバイダーの変更・パソコンの基本設定変更のため、この後しばらく更新が滞る可能性が高くなりました。9月再開をメドにしております。
その間ももしよろしければ、コメントなどお寄せ下さいませ。
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つれづれ日記 

2006年08月22日

靖国神社で職務質問!

実は、靖国神社に行ったときにはちょっとしたハプニングがありました。
まぁ、見学はそれなりにでき、いろいろと資料をもらったり、写真を撮って帰りました。
ふと、靖国神社から出ると警察の大型バス(機動隊とかが乗っていそうなアミでガラスを保護した大型バスです)が止まっています。近くには警官の姿がちらほら…。
靖国神社にはいろいろな団体が来るので、その為に警備を常にしているんだろうなぁと思いながら写真を撮影した。
しばらく行くともう一台の警察のバスとパトカー。そして数名の警察官が警備している。

うーん。本当に凄い光景だなぁと思いながら再度写真撮影。
とたんに警官が飛んできた。
「今写真を撮りましたよね?どんな写真か見せてください」言葉は丁寧だけれど間違いなく職務質問。
デジカメだからそれをモニターに写して見せた。

「この施設のことは知っていますよね?」とさらに警察官は聞く。
「???何のことですか?」
「ここは北朝鮮の施設があるので、警備しているのです」
(「えーぇっ!!」でも声に出せなかった)

靖国神社のすぐ近くに北朝鮮の施設があることにも驚いたけれど、それを日本の警官が警備し、写真を撮ることすら制限されていることに驚いた。
(私は警察官を中心に写真を撮っていたので、その「北朝鮮」の施設は写っていなかったので、それ以上はお咎め無しだった)

もし、もう少し撮影場所がずれていたら、北朝鮮の施設が写っていたかもしれない。そうなっていたらどうなっていたのだろう?

思いがけない場所で職務質問されて驚いてしまったのでした。
(教育とは直接関係ないエントリーでした)
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つれづれ日記 

2006年08月21日

靖国神社

夏休み、関東地区に行く用事ができた。せっかくの機会だから少し早く家を出て靖国神社に寄ってみようと思った。

恥ずかしながら、今まで一度たりとも靖国神社に行ったことがなかった。行ったこともない、知らないままに「靖国神社に参拝すべきか?」なんてことを論じるべきではないという思いも当然あった。だから、今回どうにか時間を作って「靖国神社」を様々なところから見てみようと思ったのです。

まず、外見から話をしましょう。
特徴的なのは警備体制でしょう。裏門など人目に付きにくい部分には有刺鉄線があり、監視モニターも何台も設置されていました。また、遊就館(展示館)の近くには警備員の詰め所もありました。
これだけ警備されている神社は他にないのではないかと思いました。
また、本殿(拝殿)は撮影禁止になっているのも珍しいと思いました。

建物自体としては、菊の御紋がやはり目に付きます。拝殿はもちろんのこと、灯籠・石碑など様々なところに菊の御紋がありました。
本殿の周りにも軍馬・軍犬の供養像など戦争に関する銅像が多いのも目に付きました。
献木も多いのですが、「○○部隊」など戦争色が色濃く出ているのが他の神社との大きな違いでしょう。

さて、本来の神社の成り立ちなどについてですが、これはパンフレットや遊就館などに詳しく書かれていました。
基本的には事前に調べていたことと大筋変わりませんでした。まぁ、妥当であり問題となる点はあるようには思えませんでした。「国のために尽力した人」を奉るというのは、日本古来の考え方からしても奇異に映らなかったのです。(悪人であっても「死んだらそれを咎めない」というのも日本古来の文化ですから戦犯云々はあっても奉るというのはそれほど抵抗感を感じなかったのです)

ただし、靖国を取り巻く環境については『誤解』を招くというか、『別の意志』が働いているような感じを受けました。
それは、例えばお土産店を見ると『明治天皇』など戦前の天皇観を強調したような品物が目立ちます。Tシャツやはちまきも『闘魂』など『軍国主義復活か?』と思わせるようなデザインが目立ちます。
昔の兵隊(特攻隊)の帽子などの復刻版(?)が目立ちます。

また、特に遊就館で顕著なのですが、男女比が極端に男性に偏っています。そして、最大の懸念は「あの頃は良かった」という年代が結構いると言うことです。ひょいと聞くとどの方も『戦争を賛美』しているように思えてしまいます。(結構否定的なことを言われる方もいるのですが、声の大きさは「賛美」の方が大きいように思いました)

何人もの方が、展示された遺品を前に涙しておられました。その姿からは戦争の悲惨さがヒシヒシと伝わってきました。けれども、軍歌を力強く謳い、「あの頃はよかった」みたいな話をされる方を見ると、『軍国主義の復活を印象づけかねない』という思いを持ちました。

個人的には『靖国神社は今のままでよい』と思っています。ただ、周りの状況は一人一人気を付けないといけないと思っています。
慰霊施設なのか、それとも懐古施設なのかを意識していないといけないのでは無いかと思いました。
素直に「先祖に感謝する」ことが、前面に出るかどうかは、参拝者の心が大きく繁栄されているのだと思いました。

自分は、祖先を敬い・大切にする心を持ちたいと思いますし、伝えたいと思っています。

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つれづれ日記 

2006年08月20日

尊敬について

今、子どもが尊敬している人は身近にいるのでしょうか?
身近にというのがポイントです。

古くは「両親」「教師」が挙げられていました。尊敬しているから「無条件に」言うことを信じ、行動していました。
だから「人を殺してはいけません」と親や教師が言えば、「ハイ」と子どもは答えていたし、それを受け入れていた。

けれども、最近はその傾向が薄くなった。
同じように「人を殺してはいけません」と言っても、「なんで殺しちゃいけないの?」という質問が返ってくる。

大抵の子どもは、理由を聞くと納得するのだが、一部納得しない子どももいる。納得できないから「親を殺す」子どもがニュースに頻繁に登場するのではないだろうか。

「無条件に相手の言うことを信じる」ことに否定的な人もいるとは思いますが、それは「対等な人間関係」や「十分に成熟した思考ができる大人」のレベルだと思います。「あの人の言うとおりだ」と信頼し、尊敬できる人が身近にいるというのは、子どもの成長にとって大切なことだと思うのです。

それでは、なぜ親・教師を尊敬しなくなったのでしょうか?
それは「教育勅語」の完全否定が根本にあるように思います。あそこに書かれていることは「すべて軍国主義の礎」であるという認識が一部にあり、それを言われるのを恐れて学校でも「両親を尊敬し、大切にしなさい」とはあまり声高に教えることが少なくなったことが原因の一つにあるように思えます。もちろん、家庭も「先生を尊敬し、一言も聞き漏らさないように話をよく聞いて、言われたとおりにやりなさい」とは言わなくなっています。

子どもの命も教師の命も平等というのは正しいでしょう。けれども、「現在の時点」で子どもと教師の善悪の判断の価値が等しい(平等)という事はあり得ないと思います。それは「人の経験の否定」であるとも思います。
故人の知恵ともいえる「ことわざ」も最近は軽視されているのか、あまり教えなくなったことも遠因かもしれません。

今の文化・繁栄は、先人の知恵と工夫の積み重ねの上に成り立っています。その一点を見ただけでも、経験の大切さ(価値の高さ)は否定できないと思います。そして、身近にいてもっとも過去の経験から学べるのが親であり教師であると思うのです。

そういう価値を子どもにちゃんと伝えていきたいと思っています。
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日本が失ったもの 

2006年08月16日

尊敬すること

先回の続きになります。今回は「尊敬」です。
中国の授業風景を見ながら、子ども達が「先生を尊敬」していることが伝わってきました。それは、「先生を見て話す視線」「最後まできちんと見ている」「起立して話す」「先生の話に乱入しない」といったことでよく分かります。先生達へのインタビューの中で紹介されたのですが、「親に対する尊敬」も中国は根強いようです。

さて、日本です。「尊敬する人」として誰をあげるのか…
コッソリアンケートを見るとひどいものですね。無記名ということでの無責任な書き込みも目立ちます。
三菱電機エンジニアリング株式会社の新一年生を持つ保護者アンケートをみても、先生を尊敬する「師弟」を支持する方が6割いるものの、「対等」お互いの意見を尊重し、友達のような感覚の関係を支持する方が3割を越えています。さらに「先生よりも生徒を優先すべき」(先生は生徒の言うことを聞くべき)という意見も少数とはいえ、無視できない割合いました。(クラスに1名以上いる割合です)

中国では「無条件に両親と共に教師は尊敬の対象」だとか。
日本との違いが明確です。尊敬の念の無い教室は簡単に荒れます。
ベネッセの資料提供によるページですが、以下のページも参考にご覧下さい。校内暴力・学級崩壊」について【前編】

戦前、戦中は家長制度の下、両親の権威は絶対であり、尊敬と畏敬の念にあふれていたと思います。それが戦後「アメリカもどき」の友達親子の登場と共に(それがあたかも進歩的で、民主主義の原点のように思われて)広がってきた。そして、少子化。子どもはいつのまにか「お子さま」となり、いつしか家長制度のトップに君臨しだした。
それは、まさに「躾られていない犬が飼い主を従わせる姿」と重なっている。(αシンドロームをご覧下さい)参考 アルファシンドローム

飼い主がしっかりとリーダーシップを取り、集団を組織している中にいれば、犬は自分のポジションを探し、集団生活に馴染みます。ところが、飼い主がリーダーシップをとらず、犬のなすがままにしていると、いつしか犬は「俺がリーダーシップをとらなくては…」と考え始めます。
しかし、いきなりリーダーとして動けるわけではないので、どうするのかというと…。

「他人の言うこと:命令:を聞かない」「いきなり暴力的になる」
あれ?どこかで聞いたことありますよ。
そうです。学級崩壊のパターンそのものです。
実は人間は高度な生き物だと思っていますが、教育されなければ、犬とそれほど変わらないのです。(長年集団生活をおくってきた動物の本能の部分でしょう)

もちろん、リーダー不在、自分がリーダーにならなくちゃと思っていますから、誰も尊敬していません。大切にもしていません。

尊敬って大切ですよ。集団生活を円滑に行うためにも。
けれども、最近は尊敬する人をおとしめることに力を入れる人たちが多くなったこともあり、社会全体がいびつな感じがします。
本当は他人をおとしめるような人は品性下劣であり、無視されても良いと思うのですが、最近はどうもそれが跋扈(ばっこ)しているようですね。

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日本が失ったもの 

2006年08月14日

学習意欲(後編)

学習意欲が低い子どもは何に左右されているのか。

それは、
(1)保護者の意識
(2)マスコミの思想操作  の2つである。

しかし、実は保護者の意識のほとんども(2)のマスコミの思想操作によってなされている。実はこの学習意欲の低い子どもは「マスコミ」が創り出した物なのである。

マスコミの思想操作は「オーム事件」から顕著となっている。
この事件はいわゆる「エリート」が事件を起こしたことをマスコミは問題視した。「高等教育を受けても、このような事件を起こしてしまう」(教育は無力だ)という論調から「高等教育を受けたから、このような事件を起こしてしまう」(高等教育を受けると犯罪を起こす)という論調にいつしかすり替えられてしまった。
その流れはその後の「高級官僚の不祥事」や「外務省は伏魔殿」という報道にも見られるようになった。

物事を単純に考えたい人は「教育を受けると犯罪を起こす」と短絡的に認識してしまった。また、マスコミも「勝ち組」を攻撃することで、「一般大衆の声を反映している」と思いこんで必要以上に「高学歴」に対するバッシングを強めてしまった。
その前には「学歴不問」などという就職試験に対して「学歴不要」という間違った意識を育ててしまった。「学歴よりも本人の実力次第」という実力を学歴のない物が偶然持てるかのように思わせてしまった。
イチローや松井が「練習しないで実力を獲得した」などということがあっただろうか?いや、ありはしない。

その結果「学歴」に対する拒否反応を底辺層に与えてしまった。
すでに「高学歴」を手にした物が「学歴」を否定し、実力勝負というのは分かる。野球に例えれば、「甲子園の優勝投手だったけれど、入団テストを受けてメジャーリーグに行く」という姿だ。これは、成功する可能性もそれなりにあるだろう。
けれど、ろくに「学歴もない人」が学歴を否定して、実力勝負だと言ったところで、それは成功する可能性は低いだろう。
例えば、「野球はやったことないけれど、入団テストを受けてみた」ところで、プロ野球の選手として活躍できるとはとても思えない。

けれども、これを「できる」と思っている子どもが実はたくさんいた。

授業でこどもにこんな事を聞いてみた。
「練習すれば俺だって金メダルぐらい取れる」と金メダルを取った人をバカにしている人がいる。この人をどう思うか?
と聞いたときに、
「その人の言うとおりだ、その人も練習さえすれば金メダルが取れる」だから、バカにしても良い。という回答が1/2ほどいた。
恐かった。何も練習していない人が、努力した人を「自分だってできる」と何もやらないのにバカにすることを肯定しているのだ。
これは、「他人の努力」に対する尊敬の念が根本から無いことも意味している。

ということで、次回は「尊敬」について、論じていきます。

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日本が失ったもの 

2006年08月13日

学習意欲(前編)

中国の授業風景を見て、一番の違いは「子どもの学習意欲」だろうと思う。
子どもが「知りたい」「分かるようになりたい」という気持ちを前面に出している。そして、「自分はこんな事もできる」とアピールしている姿をそこに見た。
学校に来ることの意味は「自分が『価値ある人間』に変わるため」と意識している姿がそこにはあった。

それは、子どもの表情という曖昧な基準だけではなく、「挙手の回数(人数)」や「発言の語彙数」という数値的な部分でも違いがあるように思えた。

では、なぜ日本の子ども達は学習意欲を無くしてしまったのだろうか?

そこにこそ、問題の根っこがあるように思う。
日本の子どもは「勉強すること」に価値を見いだしていない。それどころか「勉強してもろくな事がない」と思っている階層がある。と思う。
現在の日本は「学校外でも勉強している」子ども(多くは学校よりも塾の学習に価値を感じている)と「どこでも学習していない」子どもに別れている。

一つ一つについて、これから話をしていこうと思う。

まず、学校外でも勉強している子ども。これは、裕福な家庭に育った子どもに多い。それは、勉強することで資格などを獲得し、高額な収入を得ている親の姿が反映している。いわゆる勝ち組の子どもだ。
この子供の親は「学習することで収入が得られる」という思いがあり、それを子どもにも伝えようとしている。親の価値観に左右され、学習意欲を高めていると言える。また、この階層の子どもは「学校の先生の不祥事」などといった情報も豊富に得ている。そのため、特に「公立の先生」よりも、「塾の先生」に高い価値を認めている。
したがって、学校ではそこそこに勉強し、塾で本気モードで学習するなんて傾向も見られる。

さて、その一方「どこでも学習していない」子どもは貧困家庭に育った子どもが多い。いわゆる負け組の子どもだ。
学校の勉強は実社会には役立たないと思っている。だから「勉強しても仕方ない」と思っている家庭が多い。「官僚の不祥事」があれば、「だから勉強しているヤツはダメなんだ」と勉強=悪という価値観を子どもに植え付けている。
だから子どもは「勉強すると悪い人間になる」と思っているから、勉強するような親不孝はしてはいけないと考えている。

勉強しなかったお陰で高収入を得ることができたという例は無いにも関わらず、勉強しないことで何かしら良い未来が開けるような錯覚に陥っている。
また、「勉強しても悪人になる」と思っているから「人並みでよい」と思ってしまう。「人並み」というのは、周りの様子をみて、それに合わせるという意味だから「他よりぬきんでよう」という意欲は無い。

実際、「人並み」なら「今の人並み」の生活が得られるような幻想を持っている。アルバイト・フリーターで「人並み」の生活が得られるような錯覚を持っている。実際には「親の保護」があって「人並み」の生活をしているだけなのにあたかも自分の力で「人並み」の生活を享受しているような錯覚に陥っている。

そして、一番問題なのは負け組の子どもが「他の子が勉強している姿」を見ていないことだろう。勝ち組の子どもは塾で「他の子が勉強している姿」を見ている。だから、「自分も人並みに頑張らなくては」と思うのだが、負け組の子どもはその姿を知らない。
そうして、二つの集団は交わることなくどんどんと差が開いている。
学習成績が正規分布にならなくなったのは、もう5年近く前からのことだ。それは今も静かに潜行している。この現象が明るみに出るのは、おそらくあと20年以上後の事だろう。

この集団が成人し、子どもを持つようになって「すでに逆転不可能なほどの社会的・経済的差が開いてしまってから」だろう。
その頃には、日本が世界の中に占める地位も大きく変わっているだろう。
そう、日本は「世界の中の日本」から、「アジアの中のちっぽけな日本」に。

では、それを防ぐにはどうしたらよいのか。どんな手段があるのかについては、次回のエントリーとさせていただきます。

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日本が失ったもの 

2006年08月10日

日本が失ったもの

先日、中国の授業風景のビデオを見た。
そのビデオを見ながら、過去の日本の姿をそこに見つけた。
けれど、その美点は現在の日本の教育現場からは失われた物が多くあったように思った。

そこで、これを契機に「日本が失ったもの」としてシリーズ化してみようと思いました。下手をすると「ノスタルジー」の一言で済まされてしまうかもしれないけれど、日本が失ったもの。それは流行に惑わされて、本当は変えてはいけなかった「不易」の部分ではなかったのかと感じられたのです。

教員でなければ、「そんなのは教員の質が落ちたからだ」と一笑にふされてしまうような内容かもしれないけれど、今この時期だからこそ、じっくりと考えるに値するテーマではないかと思ったのです。

また、じっくりと考えて文章にしていかなくては、私の本当の思いが読んでくださった人に伝わらないのではないかという思いもあるので、一つ一つについて、丁寧に推敲をし、ポツリポツリと書き上げていきたいと思っています。

是非ともいろんな人の意見も聞きながら、「日本が失ったもの」について考えていきたいと思っています。最近、更新が滞っていますが、そんなことを考え、資料にあたっていると、なかなかエントリーという形にならないものなのです。
今後ともよろしくお願いします。

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日本が失ったもの 

2006年08月05日

戦争について

8月になると戦争のことを考えてしまう。
それはもちろん、6日(広島)、9日(長崎)、15日(終戦記念日)があるから。実際、戦争のことを教えるのは難しい。
それは、様々な考え方が存在し、様々な立場で「客観的と思っている主観的な見方」が存在するから。

「戦争は悪である」
これは、まず反対は無いだろう。
では、「戦争を始めた方が悪なのか」というと、どうもそうとばかりは言えない気もする。「戦争を始めさせた方が悪なのか」とも言える気がするから。
「東京裁判」についても、様々なことを言われている。
「あれは勝った国が負けた国に一方的に押しつけたものだ」
「後から作った法律で裁くというのは、どう考えてもおかしい」
「A級戦犯」という表現がされているのも、東京裁判だ。

戦争については、様々な解釈・考え方があり、教科書の編纂でも話題の中心にあることがある。単純な話ではない。

それでも、子どもにはいつか興味を持って調べて欲しいと思っている。一つ一つ事実を確認しながら、自分はどう理解するのかを考えて欲しい。
その答えはおそらく、万人が一致するというものでは無いだろう。
それでも良いと思っている。

一番恐れているのは、何も考えず、ただ周りの声を鵜呑みにして、自分で考えなくなってしまうことだ。そうなれは、大衆は愚衆となり、支配階級にとっては操作が楽になる。戦争の問題が全てでは無いけれど、自分で調べ、自分で考え、自分の意見を持って欲しいと思っている。

人間は捨てたもんじゃないと思うから。
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つれづれ日記 

2006年08月03日

選手指導と底上げ事業

教育にはいわゆる「選手指導」と呼ばれる一部の能力に秀でた児童の「優れた部分を更に伸ばす」部分と、「底上げ事業」と呼ぶべき全ての子どもに「最低限ここまでは到達させたい」という部分の二つが存在している。

「選手指導」の例を挙げるなら、「サッカー」や「バスケット」「水泳」などの部活動がこれにあたるだろう。
「底上げ事業」の例を挙げるなら、「夏休みに登校させて学習をする」のがこれにあたるだろう。
これは、どっちが大切というものでは無いだろう。

個性を伸ばすという観点からも選手指導は評価されるべき物だろう。
ただ、例を見ても明らかだけれど、「学習(座学)」に関してはこれはあまり行われていない。どちらかというと、学習塾に任せているというのが、公立学校のスタンスかもしれない。
公教育は「幅広く社会人として最低限度必要な知識・技能を身につけること」を第一と考えるなら、「底上げ事業」に力を入れるべきかもしれない。

ただ、そうなると裕福でなければ「塾に通って能力を伸ばす機会をうしなってしまう」ということになる。
これは、教育基本法第3条の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない」という精神に反することになるのではないかと思う。

もっとも、教育基本法は理想であって、実現に向けて努力すればよいと考えると何とも言えないのではあるけれど…。実際、昔から経済力によって受ける教育は変わっている。私学のことを考えれば、納得できることだろう。

今、問題となっているのは、「底上げ事業」が必要な子どもが、それを教授できていない事だと思う。それは、学級崩壊等の影響を大きく受けているのが、まさにこの子ども達だと思うからです。

本来、学校で学ぶべき内容が理解されずというか、理解する機会を学級崩壊は奪っています。授業にならないのですから。

普段の授業で「底上げ事業」ができるという考え方もあるでしょうけれど、それはあくまでも「学級崩壊」などの影響が無い場所でだと思います。

底上げができないまま、卒業していく子ども達が増えていくとなれば、それはまさに「底抜け教育」になりかねません。それは日本の民衆レベルの低下を意味します。日本の資源は人材です。民衆レベルの低下は、日本の衰退を意味するように思います。

昨年、この部分(「底上げ事業」)に焦点をしぼって研究をしてきましたが、今思っても、とっても大切な研究だったように思います。
今年も、昨年の研究に引き続いて同じ事を考えて授業しています。
やはり、その部分が公教育として、一番大切なのではないかと思うからです。

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つれづれ日記 

2006年08月02日

わくわく授業

夏休みになって、ちょっとずつ時間が取れるようになってきた。
今日は部活の指導の後半日ほど時間の余裕ができたので、パソコン室でDVDに保存してあった「わくわく授業」を見た。
職員室だとヘッドホンで聴かなくちゃいけないのが不便だから一人パソコン室に…。でも、一人のために冷房を入れるのも気が引けるので、窓をちょっと開けてその中で見た。

まぁ、それほど晴天でもなかったので暑さもたいしたことなく見ることができた。見たのは二本。
一つは理科の「じしゃく」の授業で、もう一つは総合の「ビデオ作成(英会話:国際交流)」

どちらも面白かった。今年実践できる予定の単元や教材では無いけれど、見ることで様々なエッセンスが感じられた。
特に理科では「体験を元にして考えることを楽しいと思わせること」の重要性を再確認した。

時間に追われ、ついつい「時間効率」をあげようとしてしまうとそういう「考える」時間を省略して「覚える時間」にしてしまいがちである。
それでは学習の楽しさを十分に感じさせることができないと思う。
学校五日制で、授業時間の減少ということに目がいき、「時間効率」を優先しがちだったけれど、それでは「仏作って魂入れず」の状態になってしまう。
釣りを例に挙げれば、実際に海に行って魚を釣ると時間がかかるから、近くのスーパーで冷凍された魚を買い、「釣りについて分かったような気になること」のようになる。
それでは釣りの楽しさなんて、全く分かるはずがない。

最近、小学校の先生に「理科が苦手」という人が多くいて、その人達が「短時間で内容を覚えさせようとしている」という声が聞かれたが、それでは「内容を知ることはできても、楽しいという原動力は生み出されないだろう」

時間効率を考えるなら、短期的なものの見方ではなく、長期に渡って「時間効率」を上げるように考えないといけないと言うことを再確認した。

実験・体験は子どもの好きな活動ですから、そこに時間をかけて考える芽を育てたいものだと思ったのです。

追伸…最近他のブログにコメントする時間が無くてすいません。
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つれづれ日記 

2006年08月01日

全国から集合

7月の末は、全国各地で「全国大会」が開催されていた。
その中の一つに私も参加した。年に一度全国に散らばっている仲間と再会し、いろいろと話し、食べ、飲んだ。
それぞれが各地の名産品(お菓子など)を持参して集うのは面白い。

講座も3コマ担当したのは結構大変だったけれど、自分として学ぶことが多かったと思っている。また、回収したアンケートを少し見たけれど、概ね好評(もっとも、辛辣な意見を持った人はアンケートなんて答えなかっただろうけれど…)だったので、ひとまずほっとしている。

さて、北は北海道、南は九州。日本は広いですね。けれども、時間とお金をかけて集まる気持ちが特に嬉しいですね。

私は…お金節約するために初めてカプセルホテルに泊まりましたけれど、結構快適でした。それぞれの部屋にちゃんとテレビがあるんですね。

さて、今日は疲れているので、このぐらいにして、また明日からぼちぼち書いていこうと思います。
(コメントを下さったみなさん、しばらく不在だったため返事が遅れてごめんなさい)

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こめんと