2006年12月

2006年12月31日

来年もよろしくお願いします。

さて、いよいよ大晦日。年末年始はアクセスも更新も滞る可能性が高いので、少し早めですが、年末・年始のご挨拶です。

このブログも開始して2年目になりました。写真などほとんどない、文字ばかりのブログです。おまけにLivedoorは文字の色を変えることもできないということで、見た目に変化の少ないブログです。

それなのに、何人かの人に読んでいただき、いくつかのコメントをいただき、とても光栄に思っています。

来年はどんな年になるのか予測できませんが、教育基本法の改正が教育全体にどのような変化を起こすのか、どんなことが変わっていくのか。

自分のマナコでしっかり見つめて行きたいと思います。

そして、目の前の子どもたちがより良く成長する姿を見逃さないようにしたいと思っています。来年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m
(顔文字も珍しいような気がします)

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つれづれ日記 

2006年12月29日

教育基本法(前文)

憲法にも前文がある。教育基本法にも前文がある。
この前文は、これから先の憲法全体に関わる部分であるし、どういう憲法にしたいのかという思いが込められている部分であるはずだと思っています。
それだけに、まずはこの文章を自分なりに解釈していきたいと思います。
もし、解釈に間違いがある。と思われた方は素直にコメントしていただけると嬉しいです。
<第一段落>
(旧)われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

(新)我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

ちょっと気になっているのは、ここで「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」という部分が削られているということ。
旧教育基本法は『教育の重要さ』を前文の第一段落に書いている。これは、『国・国民が将来どのようになっていくのかは教育が左右しているからとても大切なことだ』と意識しての文章だと思う。それが改正後にはなくなっている。
後で見る第二段落に「この理想を実現するため…」という文章が入っているものの、教育が国家を作る。国家を左右するという意味合いからはトーンダウンしているように感じられる。
教育を生業としている私にとってこの部分はとても残念に思っている。
「そして、この理想の実現は…」と入れて欲しかった。
教育基本法の前文の初めなのだから、それぐらい『力を入れている』と、『力を入れなくてはいけないところなのだ』と書いて欲しかった。

<第二段落>
(旧)われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
(新)我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

ここでは「公共の精神を尊び」「伝統を継承し」という所が新しさのポイントだろうか。
個人的には公共の精神・伝統は大切だと思っている。日本が戦後無くしてきたものもここの部分が大きいように思っている。大切なのに、あまり価値がないように思われている。それを注意喚起するという意味ではここでこの言葉が取り上げられたのは個人的には嬉しい。
もっとも、この部分には批判もあるかもしれないけれど。
また、ここでもう一つ注目したいのは「個性ゆたかな文化」が「新しい文化」に変わったことだ。
個性ゆたかな文化を否定して新しい文化という意味合いでは使っていないと思う。個性ゆたかであり、オリジナリティ(独自性)を持った文化を「創造すること」を目指している。つまり、『物まねではない文化』を作ろうというのだ。
そうなると先ほど『伝統』を強調したのは『日本古来からある文化』を発展させようという意味合いなのだろうかとも読める。
アジアにありながら、ヨーロッパ・アメリカの文化が色濃く染み付いてきている昨今の日本の状態を良しとせず、先人の文化を見直し、価値を認めようという動きにも感じる。
すべての日本人が悪かったわけではない。先人のすばらしさがあったからこそ、今の日本の繁栄があるわけである。その「すばらしい先人」の知恵の結晶が文化だと思う。したがって、その先人の文化を発展させ、他国には見られない「日本的な文化」を作り上げ、民族として「喪失しかけている自信」を回復しようという思いがあるのかな?とも思う。

<第三段落>
(旧)ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
(新)ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

前の文章を引き継げば「わが国の未来を切り拓く教育」というのは、独自性のある日本古来の文化を発展させるための教育という意味に考えてよいと思う。
少し、扶桑社の「歴史教科書」に近いイメージがあるかもしれない。
最後に「その振興を図るため」という文字が入っているのは、教育の基本を示しただけに留まらず、「我が国の未来を切り拓く教育」を盛んにするためにこの法律を制定したという意味合いが含まれているように思う。
盛んにするために法律を制定したのだから、そのための提案が以下に書かれているのではないかという期待が持てる文章だと思っている。
そして、「新しい日本の教育」が「我が国の…」に変わったのは「戦後になって『今までの教育』から方向転換」という意識を持たなくてもよくなったという意味合いにも取れる。
戦後の呪縛から解き放たれる時が来たのかもしれない。

ただ、ここまで読んで気になるのは『戦後教育』から『戦前教育』へ戻るのではないかという危惧があるということだろう。
個人的には『戦後教育』が間違いの連続とも思わないし、『戦前教育』がすべて間違っているとも思っていない。その良さを併せ持つ教育の基本がこの後につづられているのならそれが一番よいと思っています。

さて、前文について書き始めてみましたが、想像以上に骨の折れる仕事でした。
毎日更新というわけには行かないでしょう。ちょうど年末年始ですから、帰省などでパソコンから離れ、このブログを見る人も減るでしょうから、休み休み記事をアップして行こうと思っています。

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教育基本法 

2006年12月27日

教育基本法改正

教育基本法が改正になった。と、いろんなニュースで聞いて知ってはいるけれど、実際にはどこがどう変わったのかを読んでいなかった。
断片的な知識はニュースやブログから得ているのだけれど、それは誰かの思惑というと言いすぎだけれど、意思が込められている可能性があるので、一度自分でしっかり読み比べたいと思った。
文部科学省のHPにその資料を見つけたので、しばらく時間をかけてしっかり読みたいと思う。人の意見を挟まず、自分としてどう解釈して、何が変わり、何がよくなるのか?それとも悪くなる点はあるのか?

世論を見ると反対が圧倒的に多いみたいだけれど、良く見て考え、自分としての意見を書きたいと思っている。けれども、調べてみると、改定箇所は思ったよりもずっと多かった。

まず、部分的に改定になった場所についての感想を述べていき、最後に全体としてどう考えたかを述べる形にしたほうよいと思った。
さて、何回続くのか?最後までできるのか?はなはだ自信がないけれど、とにかくまずもとの資料を読んでみようと思う。

(話題がちょっと重いので、新年・年末の雰囲気に合わないかもしれないので、時々別の記事を挟むことになると思います。)

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教育基本法 

2006年12月26日

冬休みの一日

冬休みでも、私は出勤しています。まぁ、普段よりは遅い出勤ですけれども。
何をしていたかと言うと、午前中は教室の大掃除、自分の管理責任場所の大掃除。
それに、テストの採点と記録。
暖かいので、教室にいてもそれほど苦にならない。久しぶりに動かすロッカー。その後ろからはごみの山が出現した。床も良く見るとご飯のこびりついたのが残っている。雑巾を絞って丁寧にこする。少しずつきれいになっていく教室。
特別教室の備品(消耗品)の数のチェック。ものによっては破損によって数が著しく減っているものがある。そうそうにストックから補充する。

午後は3学期の評価計画。2学期の実践のまとめ。ずっとパソコンの前に座り続ける。時々体を動かすのは、トイレに行くことぐらい。
退勤時間10分前にようやく今日の予定は終了。

明日は3学期すぐに提出予定のレポート作成と教室の掃除の残りをやらないとね。
新年を迎えるために学校でできることは学校でやっておきたい。そう思うのです。
3学期スムーズにスタートできるように。余裕を持ってはじめられるように。
冬休みの教員は遊んでいるように思われるかもしれませんけれど、こんな感じでいろんなことをやっているんですよ。

子どもがいないからできるってこともたくさんありますからね。

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つれづれ日記 

2006年12月25日

子どもが間違いを起こしたときにとってほしい行動。

子どもがその未熟さゆえ間違いを起こすことはよくある。
かといって、そのままで済ますわけにはいかないので当然指導をする。なぜ、その行為がいけないのか、繰り返さないためにはどうしたらよいのか。冷静に話をする。

犯罪と呼ばれるような行為の場合は保護者にも連絡する。時間があれば、事前に連絡してお願いすることもある。それは、「悲しんでいる」というメッセージを子どもに発すること。

親が自分のしたことでこんなに悲しんでいる。というのは随分と抑止力になるから。聞いた瞬間に怒りの表情一色になってしまうと、却って繰り返す原因になりかねないから。

間違った習慣を学習してきている子は、親が怒ることは予想している行動であり、そのために犯罪行為をしている場合があるからです。

つまりそうやって「本気の感情で自分に向き合ってほしい」というメッセージなのです。
親にしてみれば、いくら叱っても効果がないと諦めてしまいそうですが、そうなると「この程度では駄目なんだ。もっと大きな(ひどい)ことをしないと愛情が感じられない」ということで、犯罪行為を助長してしまうことがあるのです。

間違いを犯す子どもは、叱られなれています。それでしか親の愛情を確かめられないのです。
それに比べて親が泣くという行為は経験の乏しい行為です。親の今までにない姿に強く感情を揺さぶられ、泣かせてはいけないという感情を引き出しやすいのです。

これが、再発・再犯を防ぐ力になります。だから、時間があれば電話で話をし、「悲しんでいる。残念だ。」というメッセージを子どもに発するようにお願いしています。子どもに一番通じやすい悲しんでいるというメッセージ。それは、母親の涙。父親の震える声です。

芝居なんてというかもしれませんが、結構これが効果があるのです。そのことを理解してもらうのは、結構大変ですが、結果的にはうまくいくことが多いです。

さて、その日ですが、神社・お店・近所の人と担任と一緒に謝り続けました。子ども以上に頭を下げる私。これも子どもに対するメッセージです。

担任が嫌われていると逆効果(こいつを困らせてやろう)になるのですが、担任との関係が良好ならこれだけでも効果があります。もっとも、親の効果に比べればかなり小さいのですけれど…。

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つれづれ日記 

2006年12月24日

CDの録音

東京でCDの録音をした。CDの録音といっても専用のスタジオではなくて、簡単な施設でのごく簡単なものだけれど、これがCDになって販売されると思うと緊張した。
だいたいは一発でOKが出たものの、何度か録音し直しになったものもある。
素人の悲しさか、一度つまずくとなかなか立ち直れず、やり直しの無限ループにはまってしまった。一度はあまりにもやり直しが多いので、休憩を入れて再度挑戦することになった。
それでも予定時刻を30分ほどオーバーしただけで何とか録音は終わった。ほっとすると同時にやり終えたという充実感に包まれた。(4時間半かかりました)
厳密さを求めるプロの厳しさを十分に味わった感じです。

普段の授業はそれに比べてやり直しのない世界。良いも悪いもとにかく時間は過ぎていき、(授業に関してはだけれど)定時に終わる。

普段の授業でも同じ状態だったらどうだろう?とふと考えた。

そう考えると単元まるごとCDにして発表している向山洋一さんの偉大さがわかる。
自分なら怖くて恥ずかしくてとてもできないだろう。ぶれないプロの技術。未熟な自分の技・技能。その差をいやというほど思い知った一日だった。

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つれづれ日記 

2006年12月23日

寂しいと…

子どもは、時々間違いを起こす。それは、学習面だけでなく、生活面でも時々起こる。それは、不器用なための間違いもあれば、未成熟のための間違いもある。
だから時に、大人なら犯罪と言われるようなことも、ついついしてしまう。

子どもが良く起こす犯罪行為。
それは万引きなどの窃盗であったり、恐喝などが多い。
今回、実際にそれを犯した子どもがいた。

私は、それに対して少し同情している部分がある。それは、友達がずっと欠席していたから。寂しかったんじゃないかと思っている。
それは、奇行で人目を引きたいある男君とどこか似ている。そのことを他の子に自慢のように話していたことからも想像できる。

人は、寂しいとろくなことにならない。そんな気がしている。
なんとか、人に振り向いてもらいたいのだ。そのためなら、奇行にも走るし、犯罪だっていとも簡単に犯してしまう。

家庭的に恵まれていない子、孤独になることが多い子どもは、どこか同じにおいがする。愛されようとするけれど、どこか不器用で、うまくいかないけれど、他の方法が見つからず、唯一身に着けた方法を繰り返している。

誰かを叩く、蹴る。わざと人のやらないことをする。言ったことをやらない。ダメといわれたことをやる。悪いことと知りながら、繰り返してしまう。

家族がそれに気づいてやれればよいのだけれど、大人は『大人の都合』で我慢させ、代わりに金や物で満足させようとしているけれど、心の栄養は満たされないままだ。

現在、少年犯罪が残酷さを極め、問題視されているのは、こういった背景が影響しているような気がする。
身近な大人が、子どものSOSに気づいて欲しい。子どもは不器用で、未成熟だからうまく表現していないけれど、大人は大人の分別で、気づいて手を差し伸べて欲しい。

一日でも早く、気づいて欲しい。手を差し伸べて欲しい。
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つれづれ日記 

2006年12月22日

昔作ったアルバム

いろいろな整理をしていたら、昔作ったアルバムが出てきた。
アルバムと言ってもその当時デジカメで撮影したものや、録音した歌(合唱・合奏)をCDにして希望者に配ったものなんだけれど、つい懐かしくて見ていました。

バックミュージックにキロロのベストフレンドを入れていたので(これはもちろんMIDI音源のもので、歌は入っていない)見ながらなんかホロリとしてしまった。

当時は若い勢いで作ってしまったけれど、今ならきっと「肖像権はどうなる?」とか、デジタル画像処理できるので配布禁止になっているだろうなぁ。
(私が作ってから、数年後に禁止になった)
でも、写真一枚一枚に雰囲気があるからバックミュージックとあいまって自分としては、良い思い出の品だと思っている。

あの時、30枚近くコピーしたけれど、そのcd-romはどうなっているんだろうなぁ?
もう、あの子達もずいぶん大きくなっていることだろう。自分としては、ちょっと前のつもりだったんだけれど、数えてみたら…。

基本的には思い出の写真とかをとっておかない人なのですが、これは持っていて良かったなぁと思っています。

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思い出ばなし 

2006年12月21日

優秀な人材だけを集められるのか?

優秀な教師と不適格教員について話をしてきた。
ところで、優秀な教師はどのぐらいの割合でいれば世間(社会・保護者)は納得するのだろう?

一般にパレートの法則と呼ばれている80:20の法則と言うのがある。もっとも、これは経験則みたいなものなので、数値は当てにならないけれど、「ばらつきがある」ということを示していると理解すれば大きな間違いはないだろう。

では、ここで仮定として優秀な教員が20%いれば、世間(社会・保護者)は満足するのだろうか?単純計算でいくと20%ということは、小学校で一人優秀な先生に受け持たれれば良いということになる。二人いればラッキーということ。
これで納得する?

私は、しないと思う。
なんたってそれでいくと「5年間は我慢」ってことになるから。


逆ならどうだろう?80%が優秀な教員だったら?
そうなると小学校6年間で大体5年間は優秀な教員に受け持たれることになる。けれどもそこでも「1年間は我慢」ってことになる。

もっとも、ここには「不適格教員」がすべて解雇されているという前提で話を考えているので、1年間「普通の教員」に担任されることになる。

じゃ、その1年間は我慢するだろうか?

できないんじゃないかと思う。
だって、5年間「優秀な教師」で満足していたのだから我慢できないと思う。それに、周りを見れば、「優秀な教師」に担任されている子どもの方が多いのだ。どうしても比較してしまう。そして、「どうしてうちの子だけこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。」と恨んでしまうのではないだろうか。

ところで、優秀な人材だけ集めようとした企業はどうなったのだろう。
リストラによってたくさんの人が職を失った。(リストラの理由はそれだけではないと思うけれど)
そして、そのお金を「優秀な社員」の給料に割り当てる。
リストラで人手が足りなくなった分は、「そこそこの人材」を「安い賃金で雇う」ということになった。
パート・アルバイト・フリーターの増加だ。ワーキングプアもそうして出来上がったのではなかっただろうか?

勝ち組・負け組ときっちり分かれるのが、今までの流れだ。
教員の世界もそうなっていくのかな?

実際、教員の世界にもアルバイトはいっぱい来ている。仕事の量に比べて給料が安い人はたくさんいる。(期限付き講師・時間講師などの他にも少人数補助とかいう形で働いている人が増えています)

優秀な教員だけが正規採用で、優秀でない教員はアルバイト扱いになるのかな?
教員の世界にも、勝ち組と負け組が出てくるのかな?

保護者はなんていうんだろう?
「今度の先生は『勝ち組の先生』ですか?それとも『負け組の先生』ですか?」なんて聞く時代が来るんだろうか?
あんまり子どもの教育に良い影響は与えないような気がするんですけれどね。

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つれづれ日記 

2006年12月20日

不適格教員とは?

さて、昨日までは『優秀な教員』について考えてみましたが、今日はガラリと変わってその対極にある『不適格教員』について考えて見ます。
不適格教員は次の条件のうち、一つでも当てはまる教員だと思います。

1.教科指導力が無い。
2.生徒指導力が無い。
3.地域・保護者との信頼関係が無い。
4.事務処理能力が無い。
5.人権意識が薄い。

それでは、具体的に考えて見ましょう。
1.教科指導力について
・教材を正しく理解し、それを子どもに判りやすく教えることができない。
(漢字テストで平均50点を下回る。計算力テストで平均が50点を下回る。)
・子どもの使っている問題集の答えが分からない。

2.生徒指導力について
・善悪を判断し、それを指導する能力が無い。
・子どもが間違った行動をしていても、それを見逃し、または避けて通る。

3.地域・保護者との信頼関係
・保護者から指導についての苦情の連絡が頻繁に入る。また、それに対して謙虚に受け止め、改善しようとする態度が見られない。
・子どもの失敗(虞犯行為など)を家庭・保護者・社会の責任にし、自分の指導を振り返らない。

4.事務処理能力について
・提出文書が提出期限に間に合わない。
・提出文書の内容に間違い、誤字、不備が多い。
・提出文書の文字が乱雑で判読しにくい。
・パソコン・メールなどを使って、文書を提出することが適切に行えない。

5.人権意識について
・体罰(身体的・精神的)を繰り返し行い、改善しようとしない。
・セクハラなど犯罪行為を行う。
・性別・家柄・地域などによって相手に対する態度を変えるなど、差別的な行動が多く、指摘されてもそれを改善しようとしない。
・いじめを早期に発見することができず、また、発見しても適切な指導が行えず、いじめを放置する。
・自らいじめの原因を作り、その状態を放置する。

6.その他
・犯罪行為を行う。
・指導要領や教育基本法を守らず、勝手な指導を行う。
・嘘・デマを信じ、適切でない内容の指導を行う。

少し、厳しいかもしれないけれど、この中の一つでも当てはまれば、『不適格教員』といわれるのではないだろうか?

さて、ここまで書いてきて教員の皆さんはどう思ったのでしょう?
教員以外の人はどう思ったのでしょう?

『ここが足りない』『これは要らない』ということがあればご指摘ください。
また、その理由も説明していただけると嬉しいです。

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つれづれ日記 

2006年12月19日

優秀な教員とは?その条件とは?2

さて、今回は先回の続きで、優秀な教員の条件を考えていきます。
残っているのは、次の二つです。

3.保護者・地域との信頼関係がある。
4.学校で必要な事務の仕事が滞りなく進めることができる。

3.保護者・地域との信頼関係がある。
これは、具体的にと言うと難しいのですが、次のような点でしょうか?
・保護者からの要望に答え、保護者と共に子どもの成長にとって今は何が大切かを考え、共育活動を実践できる。
・保護者から賛成・感謝の言葉をかけられる。
・地域の活動に積極的に関わり、地域活動と共に子どもの教育に関わることができる。

4.学校で必要な事務の仕事が滞りなく進めることができる。
・提出期限に遅れずに適切に文書を作成し、提出することができる。
・校内の安全管理に留意し、適切に施設の点検・簡単な補修ができる。

前回に比べて具体的な目標が出しにくいと思いました。また、地域によっては多少違いが出てくるものと思います。

ところで、これらすべて(前回の条件も含めて)ができる教師ってどのぐらいいるのでしょう?私の身の回りで話をすると、すべてできるなぁって人はいません。
大体できているんだけれど、これが玉に瑕だとなぁって人が多いです。

優秀な教員って言葉は綺麗ですけれど、実際にはほとんどいないんじゃないかなぁ?全部ではないけれど、すべてがそこそこできていれば、優秀な教員って言っていいんじゃないかなぁ?と思っています。(そのレベルでよければ、私の周りにも優秀な教員が何人かいることになります)

さて、これがすべてできるような人は教員になっているでしょうか?
一般企業で働いていれば、その人はかなり優秀で有能な人だと思います。給料も教員の10倍以上稼いでいるんじゃないでしょうか?
なんて思うのは教員のひがみ根性でしょうかね?

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つれづれ日記 

2006年12月18日

優秀な教員とは?その条件は?

巷では、『優秀な教員』を採用すべきだという話がある。では、優秀な教員とは具体的にいうと、どんな教員なのだろう。
私の考える優秀な教員のイメージは次のようなものだ。

1.教科指導力がある。
2.生徒指導力がある。
3.保護者・地域との信頼関係がある。
4.学校で必要な事務の仕事が滞りなく進めることができる。

この3つが主なものだと考えている。
それでは、まず、1.の教科指導力を具体的に挙げてみようと思う。

(1)国語・算数などについての条件
・漢字テストで平均90点取らせるだけの指導ができる。
・計算力テストで平均90点取らせるだけの指導ができる。
・パソコンのソフトやインターネットのコンテンツを必要に応じて使用し、理解しやすい授業が行える。
・体育で『全員に』跳び箱を跳ばせられたり、逆上がりができるようにすることができる。
・知的で子どもが興味を持ちやすい学習教材を用意できる。
・模範演技(体育・家庭科・音楽・図工)ができる。
・各教材について事前に研究し、子どもの実態に合わせたカリキュラムが作成できる。
・読解指導・説明文の要約など、例外を認めないハッキリとした根拠を示し、全員が納得できる解を示せる。
など
(2)総合的な学習について
・パソコンの操作ができ、子どもに分かりやすくプロジェクターなどを利用して操作方法が指導できる。
・英会話が堪能で、チャンツ・ダイアローグの指導ができる。
・福祉について理解しており、地域の施設(老人ホームなど)とも密接に連絡が取れる。
・食育について理解しており、子どもの実態・家庭の実態に応じてカリキュラムを作成し、実践することができる。
・環境問題に明るく、子どものレベルに応じてカリキュラムが作成できる。

2.生徒指導力について
(1)道徳について
・子どもの実態に応じて、適切に指導内容の配列(指導時期)を考慮し、子どもの興味関心に対応した教材を用意し、道徳的実践力を高めるような指導ができる。
(2)学級経営について
・子ども一人ひとりが活躍する場面を設定し、お互いの良さを認め合える雰囲気を作り出す。
・子どもの変化に敏感で、いじめなどを早期に発見し、適切な指導が行える。
・万引きなどの犯罪を憎み、子どもに自律した生活態度を身につけさせる指導ができる。
・廊下歩行など、公のきまりを守ろうという心情を育て、その実践力を高める指導ができる。

学校の中の場面だけを取り出しても上のような条件すべてを満たさないと『優秀な教員』とは言えないように思う。さらっと書いているけれど、どれ一つとっても一朝一夕には身につかない力ばかりです。
教師として『優秀な教員』になるには、少なくとも20年以上の年月が必要だといわれる理由が分かります。

私ですか…。いくつかは大丈夫と思えますけれど、できないなぁ。と思うことの方が多いです。

さて、次回は
3.保護者・地域との信頼関係がある。
4.学校で必要な事務の仕事が滞りなく進めることができる。
について考えてみたいと思っています。

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つれづれ日記 

2006年12月17日

懇談会前に手紙を…

懇談会の始まる日に実は作文を書かせました。
どんな作文かと言うと「おうちの人への手紙」

条件は次のようにしました。
1.おうちの人は、母・父・おじいちゃん・おばあちゃんなど年上の人とする。ただし、兄・姉などの兄弟は除く。
2.その人に対しての感謝の言葉を書く。
3.その人に対しての要望を書く。ただし、物を買ってとか、どこどこへ連れて行ってなどねだることは除く。
4.最後に、その人に対して「自分はこれからどんなことに努力するか」という誓いを書く。
5.手紙は「相手の人」が喜ぶことを念頭に入れて書くこと。自分勝手な思い込みで書かないで、相手の心を考えて書くこと。

作文にはもう慣れているので、大体20分〜30分で原稿用紙1枚〜2枚程度の作文が出来上がりました。それを男女別にファイリングして懇談会の順番を待っている場所においておきました。

中には「読んで感動して涙が出てきました」なんて保護者の声もありました。
手紙以外にも最近書いた作文を綴じたものをおいておきました。
「しっかり書いている子が多いですね」などの声もいただいた。

たまには、こんな実践もいいかなぁと思ったしだいです。
(家族に手紙を書くなんて、普段の生活ではあまりないことですから)

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つれづれ日記 

2006年12月16日

懇談会風景

学期末に懇談会が行われる。
今年もいつものように懇談をしたのだけれど、どうも雰囲気が違う。と思って振り返ってみるとその原因がようやく分かった。

学校のことよりも、外の話に時間をとられた家庭が多かったのだ。
スポーツ少年団などの社会教育についての悩み。
学習塾など習い事に対する悩み。

学校の話をしようと資料を用意していたのだけれど、「子どもから学校の様子は良く聞いていますし、楽しそうに通っているので別に心配していない」ということで、それ以外の話になったケースがいくつかあった。

懇談会って普通は学校生活の中で見つけた良さや、問題点・改善点についての話をするのだけれど、どうも雰囲気が違って思えたのはそのせいだった。

悩み相談会みたいな雰囲気になったケースもあった。でも、これは考えてみれば保護者の信頼の表れかなぁと前向きに理解している。
子どもを取り巻く状況で保護者がいろんな場面で困難・不安に立ち向かっているのが分かって、私にとっても有意義な時間であった。

追伸…子どもが最近書いた作文を待っている間に読んでもらおうと思っておいておいたら、たくさんの人が読んでくれた。「涙がでそうなぐらい感動した」なんて話もいただいた。指導していた苦労が報われたと思った瞬間でした。

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つれづれ日記 

2006年12月15日

一枚の絵から

作文の指導をいろいろとしてきたので、子どもたちがどのぐらい文章を書けるかというのを調べたくなった。ただ、闇雲に書かせるのもつまらないので、創作物語を書かせることにした。

まず、一枚の絵を子どもに提示する。今回は道徳の本の中の一コマ。
そして、登場人物がどんな言葉を言っているのかを想像させる。また、気持ちを想像させる。

さて、それで大体準備オッケー。
与えた注意は次の二つ。
1.友達の名前を使って悪口につながるような物語はいけません。
2.残酷な物語(殺してしまうような物語)はいけません。

さて、それではスタート。


絵を見せて、全員で吹き出しの言葉や気持ちを想像したのが大体10分。残りは35分。
原稿用紙を1枚ずつ渡し、後は前の教卓にドサッと置いておきました。(約200枚)
この後どうなったと思いますか?


教室がシーンと静まり返り、鉛筆が紙をこする音だけが聞こえる状態になりました。テストを開始した時と少し似ているかもしれません。5分も経った頃だろうか、一人の子が立ち上がった。
「2枚目を書いてもいいですか?」
「どうぞ」
その子は静かに教卓に向かい、原稿用紙を持っていく。
その後1,2分の間にぞろぞろと教卓に向かう子ども達。

無言の時間。小学四年生ということを考えれば、この書字スピードは速いと思う。20分後、
「終わりました」
と、一人の子が言う。原稿用紙約3枚びっしり書かれていた。

しばらくすると、チャイムが鳴った。時間内に約20名の子どもが書き終わった。書いた量は、大体原稿用紙3枚〜4枚。原稿用紙は400字のものだからおよそ1000〜1500文字書いていることになると思う。1分間に約40文字程度だろうか?(実際には会話文を多用している子が多いので、20〜30文字程度だと思う)

正直、短時間にこれだけの量の文章が書けるようになっているとは思っていなかった。まず、量に驚いた。内容はヒネリに欠ける子どもが多いけれど、それは仕方ないだろう。(物語文の作り方なんて指導はしていないのだから)

それでも、童話風のものあり、日記風のものありSFみたいなものあり、他の物語の主人公を取り込んでいたりと、読んでいて楽しかった。

早速朱墨で丸をつけ、短評を書いてファイリングした。(文字の間違いなどの細かいところはあまり指摘していない)今回は量が多いので男子用と女子用に分けてファイリングした。

作文を見ていると、普段あまり意見を言わない子が、独創的で面白いお話を作っている場合があります。だから、ファイリングしたものは、いつものように学級文庫に入れておきました。
互いの作品を読んで、刺激を受けてくれるといいなぁと思っていることと、良い物は真似をして欲しいという理由のほかに、クラスメイトの意外な良さにも気づいて欲しいと思っています。

ちなみに、ほぼ毎朝本を読む時間がありますが、何人かはこの作文集を読んでいます。手作りで人気のあるものになっています。

一枚の絵からのお話作り。やってみるとこれは面白いと思いました。
少し、作文を書くことを鍛えてから実践すると、楽しい活動になると思いました。

追伸…チャイムが鳴って、休み時間になりましたけれど、自主的に時間を延長して作文を書き続けた子どもってたくさんいたんですよ。子どもにとっても、お話作りってのは楽しい活動なんですね。

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つれづれ日記 

2006年12月14日

ある子の作文

学習そのものがあまり好きじゃない子がいる。ここでは「ある子」としておこう。

このある子は、去年は授業中にノートも教科書もほとんど持ってこなかったというツワモノでもある。家庭学習の習慣もない。当然テストの結果は悲惨だった。
20点、30点なんてざらだった。漢字のテストを行えば、ひらがなすら書かなくて0点ってことも一度や二度ではなかった。読んでいる本を聞いたら父親のベッドの下にあったエロ本だったりした。

そんなある子だったけれど、休み時間になると近くに寄ってきていろんな話をしてくれた。昨日遊んだ話。最近興味を持っているアイドルの話。父親のことや母親のこと。「今日帰ったら叱られそうだから、家に電話して叱らないように頼んで」と言ってきたことも一度や二度ではなかった。その度に電話したり、直接家に言って両親と話したりした。

席も教卓から近い席にして、授業中に声だけでなく視線を送ったり赤鉛筆で答えを書いてなぞらせたりした。そうしているうちに、授業中だけは漢字の練習をするようになった。もっとも、こちらが前で授業をしているときだけで、「それでは、自分で練習してみましょう」というとほとんど書かなかった。

それでも、以前より練習をするようになったので漢字のテストでも5点や6点が取れるようになってきた。すかさずある子の家に電話した。
「今日は漢字のテストで6点が取れました。良く頑張っているので、ご家庭でもほめてやってくださいませんか?」

もちろん、それで解決するほどある子は一筋縄ではいかなかった。宿題はほとんどやってきたことが無かった。それでも、国語の読み取りはどんどんと良い点が取れるようになってきた。少しずつ自信がついてきたのかもしれない。

二学期の中ごろ。漢字のテストで初めて9点を取った。その後も平均すると8点ぐらい取れるようになっていた。読み取りのテストでも9割近く得点できるようになっていた。問題文が読めるようになったのが大きかったのだと思う。

そして、先日ある子が日記を持ってきた。「先生、昨日ね、宿題全部やったんだよ」今まで宿題はほとんど学校に来てからやっていた。できないからと知らん振りしていたことも多かった。それがなんと自分からやってきたのだ。

そして、その日記を見て私は愕然とした。ノート2ページにわたって日記が書いてあったのだ。そしてそれを読んで更に驚いた。
漢字がそこそこに使っていることもあるが、内容が実に面白い。情景描写が細やかにされている部分もあるし、他人の心情を想像し、それを伝えようとした文章になっている部分もある。

私はある子のところへ行って、「今日の作文メチャ×2上手に書いてあるじゃない。これ、いい作文だからみんなの前で読んでも良いかい?」と言った。
ある子は初め少し戸惑ったようだったけれど、最終的には了承してくれた。

授業の初めにある子の作文を読んだ。その内容の面白さに教室に笑いが起こった。読み終わったら「ねぇ先生。もう終わりなの?」って言われた。
ノート2ページにもわたる日記なのに、長いと感じさせるどころか、短いと感じさせてしまったのだ。

読み終わった後、なぜこの作文がみんなを引き付けたのかの説明をした。
「○○という表現がとてもいいからみんなにその様子が伝わったんだね。だから笑いが起きたんだね。」
「こういう短い文で畳み掛けているから、文に勢いがついてみんなの注目を集めたんだね」

そして教室には、勉強が嫌いなある子の姿はもう無くなっていた。

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つれづれ日記 

2006年12月13日

仕事の流儀

教師の仕事と言ってもいろいろありますが、今回は「通知表」の作成です。

通知表は地域によって様々でしょうけれど、私の地域は作成には時間がかかります。それは一人ひとりの子どもに対して、「総合学習でどのようなことを取り組んだか」「学校生活全体の中でどのような良さが認められたか、また改善すべきポイントは何か」を直筆で書くことになっています。

地域によっては「懇談済」の判子で終わってしまう作業なのですが、こちらの地域では「直筆で書いて欲しい」という要望が多いのでそうなっているようです。
手書きですから、私のように力を入れて(筆圧のことです)書く人は6人分も書くと手が疲れてしまいます。それでちょっと休憩してはまた書く。余計に時間がかかります。

それだけじゃなくてその所見を書くために様々な資料を用意します。それを広げる場所が必要です。
私の場合は、資料(子どもが書いたもの)をひろげ、電子辞書や通知表をおいてパソコンを起動させ(個人の成績データやその他の活動の記録がすべてここに入っている)その他、直接記録した紙のデータを広げてから作業開始になりますので、おおよそ畳一枚分の場所が必要になります。

自宅にも両袖の机とパソコンデスク(これは相対しているので、椅子をくるりと回すと両方使えるようになっている)があるので、仕事をしようと思えばできるのですが、実は自宅では今までに一度も通知表を書いたことがありません。

仕事が速いのか?と言われるとそうではありません。
土曜日・日曜日に学校へ行ってあいている教室を使って通知表を書いているからです。理科室の実験用の机。図書館の広い机。空き教室の長机を2つ連ねて。校長室の会議用の大きな机…。場所はその時その時にばらばらですけれど、基本的にはすべて学校です。

それは、「通勤の途中で盗難にあったら嫌だ」とか、「家が火事になって焼失したら困る」ということもあります。
さらに、交通事故などに巻き込まれ、気を失っているときに鞄を盗られたって『個人情報を漏洩された』と訴えられたら、辞職・停職・減給の可能性すらあります。

そんなリスクを負いたくないので、私の場合通知表は一切持ち帰りません。勤務時間内に終わるのはゴム印押したり、転記するだけの仕事。文章考えるときには人が近くにいるとできないたちなので、誰もいない教室を選んでそこで一人で作業します。
私は「おこもり」と呼んでいますけれど。

大体、私の場合「おこもり」は朝の9時ぐらいから夕方の4時です。(ほぼ一日勤務しているのと変わりません)
最近は、通知表に所見を書く欄が広くなったので、一日では終わらないで、二日間にわたることもあります。(私は時間が来るとさっとやめてしまうので、無理に一日で終わらせようとしないというのもありますけれど)

年に3回。土日をつぶして通知表を作成する。通知表は学校から一切持ち出さず、学校内で完成させる。無理をしないで、時間になったら止める。資料をたっぷり用意して、それを広げて作業をする。私なりの仕事の流儀です。

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つれづれ日記 

2006年12月12日

友達がほしい…

学期に一度ぐらいだけれど、子ども一人ひとりと別室で「悩んでいることや困っていること」を聞く時間がある。

その時、ある子がぽつりと言った。
「先生、友達が欲しい」

ある子は去年の先生からの評判は最悪だった。「いじめの首謀者」「他の子をそそのかす」「他の子を脅して悪いことをさせる」
だから、学級編成の時には去年仲良くしていた子とは全部クラスが分けられていた。小学生にとっては、クラスという場所的な距離の影響は大きい。

休み時間の行動を観察していても、同じクラスのことは全く遊んでいなかった。けれども、二学期になってくるとクラスが違うということで、遊びの輪になかなか入れないようになっていた。一人一輪車で遊んでいることが目立ってきてた。

そんな時にあることの面談があった。そしてある子は「友達が欲しい」と訴えてきたのだった。何とかしてやりたいと思った。でもこれはできる子に「友達になってやってくれ」と頼めばそれで良いという問題ではなかった。共にプラスになるような友達を考えてやら無くてはいけないと思った。
ある子よりも弱い子だと、去年のようにいじめたり、脅したりする可能性もあるからだ。逆に強い子だとある子が敬遠してしまう可能性だってある。

どの子と友達にしてやるのが一番良いのだろう?そういう目で休み時間の子どもの様子に注目していた。

ふと、一人の子が目に留まった。友達づきあいの下手ないる子。今は強引なうる子といつも一緒にいるけれど、それ以外にはほとんど誰とも話さない。
ちょっと賭けに出てみた。いる子とある子を隣同士の席にしてみたのだ。うまく行くかどうか分からないけれど、近くにしてみたらうまくいくかもしれないという甘い読みだった。

忘れ物の多いある子はしょっちゅういる子に借りることになった。それがきっかけとなって少しずつ二人は話をするようになった。歌の好きなある子はいる子を誘って一緒に歌ったり踊ったりするようになった。しばらくするとその輪の中にうる子も入ってきて3人で遊ぶようになった。

そして、いる子の表情が、それまでのうる子と一緒にいたときと比べて、一転しているのに気がついた。
廊下で元気に歌って踊るいる子。心の底から大声で笑い、歌って踊る笑顔のいる子がそこにいた。

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つれづれ日記 

2006年12月11日

作文指導で気をつけていること

毎日作文指導をしていることを以前書いた。
実際にはどうしているかをもう少し詳しく書いておいたほうがいいかなと思っています。ですから、今日はその続きです。

もう一度手順の確認です。
1.日直が黒板(原稿用紙が印刷されているもの)に家で書いてきた作文を書きます。
2.国語の授業の初めにそれを前に提示し、日直が読みます。
3.私が、この作文で一番よいところはどこかを説明します。
4.私が、この作文の中で、一箇所直したほうがもっとよくなる部分(文)を指摘します。
5.その部分(文)をどう直したらよいかを考えさせます。
6.日直(黒板に作文を書いた子)に答えさせます。答えられなければ、他の子に聞きます。

補足事項
1.の所ですが、友達が多い子はこの時点で友達から指摘されたことを直して黒板に書いています。だから家で書いてきたよりも良い作文が黒板に書かれることがあります。
2.日直が読むときに誤字や脱字に気づくことがあります。それは、こちらで直していきます。
3.この部分が大切です。できれば、以前に他の子で直した部分がうまくかけているという部分を見つけたいと思っています。
4.細かい間違いではなく、全体に知って欲しいこと(例えば、会話文の改行など)を優先します。
5.場所を指摘しますが、どう変えたらよいのかは自分たちで考えさせます。
6.自分の文章ですから、直せないことも多いです。直せる子はかなり能力が高いと思います。自分で直せた子は大げさに誉めます。(他の子の方がきちんと直せることが多いです。)

終わったら、日直が原稿用紙を私の所に提出します。
私は、それを次の休み時間を使って朱墨でぐるぐると大げさに丸をつけ、短い誉め言葉を書きます。
最後に2穴パンチで右端に穴を開け、ファイリングして、学級文庫に入れます。
(B5に400文字書ける特殊な原稿用紙を作成しています)

子どもたちが他の子の作文をいつでも参考に見られるようにこういった形式でファイリングされた作文集がすでに10冊以上学級文庫にはおいてあります。

(なお、ファイリングを始めたのは10月です)
* 日直の作文は原稿用紙1枚(400字)以内にしています。

参考になると思われたら、一度教室などでやってみてください。

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つれづれ日記 

2006年12月10日

作文指導

作文指導に力を入れています。なんたってほぼ毎日作文の指導をしていますから。

やり方はこうです。
1.日直が毎日黒板に作文を書く。
2.国語の時間の初めに読んでどこが良いか、もっと良くするにはどこをどう変えたらよいかを指導していく。
を繰り返しています。

やり始めた頃は長くかけたというだけで誉められていましたが、そのうちに原稿用紙の書き方が正しいといった表記で誉められるようになり、最近は文が分かりやすい。書き出しで読み手の興味をひきつけているということで誉められるように徐々にレベルアップしてきています。

毎日5分〜10分とは言っても毎日のことです。1週間で約45分。一時間丸ごと作文の指導をしているようなものです。そしてそれが一月、二月と重ねられ現在約3ヶ月目です。時間数で言えばそれだけで13時間程度です。

それでも、子どもたちの文章力は確実にアップしているという手ごたえがあります。何より文がすっきりとしてきました。情景を描写する力をぐんと伸ばした子どももいます。もちろん、それ以外に行事の前後に作文を書かせたり、お礼の手紙をかかせたりとことあるごとに作文の時間をとっているというのも大きいとは思います。

もっとも、指導要領には次のように書かれています。
以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−
文章を書くことを主とする指導については,第1学年及び第2学年では年間90単位時間程度,第3学年及び第4学年では年間85単位時間程度,第5学年及び第6学年では年間55単位時間程度を配当するようにするとともに,実際に文章を書く活動をなるべく多くしたり特に取り上げて指導したりすること。
−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
年間約35週ですから週に2時間程度は作文指導(書く指導)をするように書かれています。だから、結構指導しているように思っていましたけれど、それだけでは不足しているんですね。

話すことに力を入れている人も多いとは思いますが、学年が下がれば下がるほど「書く指導」が大切なのですね。やはり話すなら「内容のある話」をしなければ意味がありませんものね。そのためにも「書く指導」の時間数がこれだけ必要と指導要領に書かれているのですから。

ちなみに、「話す・聞く指導」については指導要領では次のように書かれています。
以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−
第1学年から第4学年までは年間30単位時間程度,第5学年及び第6学年では年間25単位時間程度を配当すること。
−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
書く指導に比べると時間数がぐっと少ないのが分かります。

国語の時間の初めに作文指導。結構これって力がつきますよ。

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つれづれ日記 

2006年12月09日

間違った習慣を身につけてしまっている子

対人関係で困るというのは、子どもはよくある。
友達とどう付き合ってよいのかわからないのがその原因であることが多い。だからけんかというか、トラブルは学校の中ではつきものです。
大きな怪我やいじめにつながらないレベルでのトラブルは、指導すればすぐに解決することも多く、それほど心を痛めることも無いのですが、中には何度指導しても同じトラブルを起こしてしまう子がいます。

良く話を聞いていると、その子には『相手が何かをしたからその復讐に…』とか『相手を困らせてやろう』という意識が全く無いことに気づきます。

どういうことかと言うと、『叩くことでしか相手との距離を縮められない』ということです。人間関係の構築法が分かっていないのです。相手の興味関心を引く手立てとして『叩く』『蹴る』『悪口を言う』しか今まで学習してこなかったのです。
だから『それはいけないよ』と何度指導しても効果が無いわけです。

それが分かってきたので『こんな時には○○って話しかけるんだよ』という指導を繰り返しています。ただ、こういう子どもは『周りの状況(雰囲気)』が読めないことも多く、少し場面が変わってしまうとそれにうまく対応できず、どうしてよいか分からないので、今まで長年続けていた『叩く』『蹴る』『悪口を言う』が顔を出してしまいます。

もともと怪我をさせるつもりはありませんから相手も大怪我にはなりませんが、状況も考えずに後ろから叩いたり蹴ったりするので、友達もできにくいし、周りから避けられる存在になってしまうこともあります。

そうなると、奇行で人の気を引こうとします。例えばゴミ箱の中に入ってみたり、給食のおかずを変な組み合わせで食べたり(おかずの中にジャムを入れて食べたり)して何とか他の人の視線を自分のほうに向けようとします。

この子はユニークなのではありません。自分を見て欲しいのです。周りからもっと愛されたいのです。でも、愛されるにはどうしたらよいのか分からないのです。
だから、手っ取り早く注目されるために奇行に走るわけです。

悲しいけれど、こういう子どもは珍しくありません。
友達を作る方法を、状況に合わせて根気強く教えていく(説明して実際にそう言わせたり、行動させたりする)しか思いつきません。

それでも、なかなか行動パターンは変わりません。
頭で理解できてもそれがすぐには行動に移せない。人間の悲しさがそこにあるように思います。もちろん、周りの子に見える形でその子の良さをアピールしてはいるのですけれど…。

何か良いアイディアがありましたら教えてください。

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つれづれ日記 

2006年12月08日

子どもをつぶす方法

子どもの成長を止める方法がある。
例えば、計算が速く正確にできるけれども漢字をきちんと正確に書くことが苦手な児童にこう指導すればよい。
『君は計算はとっても良くできるのに、漢字は全然だめだねぇ。計算の練習はしなくてもいいから、漢字の練習をもっとたくさんやらないと駄目だよ。』
そして、漢字の練習をさせる。そのたびに、こう言えば良い。
『うーん。やっぱり駄目だねぇ。ここは跳ねがきちんと書けていないし、ここはくっつけるところが良く見ると離れている。もう一度正しい字を見て、きちんと書き直していらっしゃい。』

原理・原則は『努力したことを認めず、小さな欠点を見逃さず指摘すること』です。
こうすると、どうなるか。
漢字の練習は嫌気が差し、しばらくするとやめてしまいます。計算はどうかと言うと、これがきちんとできなくなるんです。ものの見事に子どもの成長をストップすることができてしまいます。

さて、昨今の新聞・ニュース・世論はどうでしょう?
欠点をことさら指摘していないでしょうか?不正・横領それはもちろんほめられることではありません。しかし、それでその元になっている職業全体を批判するのはどうでしょう?先の子どもの成長を止める方法と似ていないでしょうか?

それでは、子どもの成長を促すにはどうしたらよいのでしょう。
それは『多少の欠点には目をつぶること』です。
そして、指摘するときには言葉を選ぶことです。
『今日はいつもよりも字が大きくかけていたね。』
『きちんと直したね。そうやっていると字が上手になっていくよ。』
『しっかりと書けているね。ここに気をつけるともっとうまくなれるよ。』

欠点を指摘されるのは誰しも嫌なものです。大人でさえやる気が失われてしまうものです。ましてや耐性が弱くなっているといわれる子どものやる気は簡単にしぼんでしまいます。欠点を指摘するとき、失敗を指摘するときには、言葉を選んで行いましょう。相手のやる気をしぼましてしまったら、その良さすら失ってしまうのですから。

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つれづれ日記 

2006年12月07日

コミュニケーションの難しさ。

人間のコミュニケーションには、言語と非言語(身振り・視線・表情など)がありますが、そのうちで言語の占める割合はどのぐらいだと思いますか。
実は、これは先日の休みに参加した、ある講習会で聞いた話です。(細かい表現は変えていますが)

その方が言われるには、コミュニケーションの中で、言語が占める割合は約3割だそうです。なんと、残りの7割(大部分)は非言語がコミュニケーションが成立するかどうかを左右しているそうです。

そう言われると、『言っていることは間違っていないのに何となく苦手意識を持ってしまう相手』と、『言っている内容は特にすばらしい内容でもないのに、なぜか共感し、親愛の情を持ってしてしまう相手』がいることに気づく。

つまり、非言語の部分がその人に対する印象を大きく変えてしまうということです。今、「人付き合いが苦手だ」という人がいるのだけれど、それはこの非言語の部分をどう処理してよいのかがつかめていないせいかもしれない。

非言語の部分は言葉に表しにくい。もともと「非」言語なのだから。
したがって、それを文字という言語にしようとするとどうしても無理が起こってくる。言葉を変えれば、コミュニケーションの大部分を占める非言語の部分は、もっともマニュアルになりにくい部分と言えると思う。

実際に私も、連絡帳に詰問調でキツイ書き方をしてきた方にも、何度も出会った。
けれども、実際に電話で話したり、直接会って話をしていくうちにお互いの気持ちが理解できるようになり、関係が改善されたという経験は多い。

それに対して、言語だけでやりとりをしていると、どうもうまく伝えられないし、向こうの気持ちが伝わらなくてイライラすることがある。
初め、これは『自分の文章力と読解力に問題があるからだ』と思っていたけれど、言語だけに頼る難しさが、そもそもそこにあったのだと思う。

例えば、『馬鹿だなぁ』という言葉ひとつでも、相手の表情・声の高さ・スピードなどで相手に与える印象は雲泥の差になる。同じ場にいて非言語の部分の助けを借りれば、自分の真意が伝わるのに、紙に書いて渡したのでは、相手がどう受け取るのかは全くの未知数になる。

いろいろなブログを見てきて、その中のブログがもめて炎上・閉鎖という場面もいくつか見てきたが、それもきっと言語だけに頼るネット上の弱点なのだろうと思う。
実際に会って話をすれば伝わるかもしれないけれど、会えないから伝わらない。
理解し合いたいのに、それができないもどかしさ。それがネットの持つ最大の弱点かもしれない。

ネット・メール・チャット。これは、活字に比べるとずいぶんと手軽である。本を出すときのように編集者のチェック・出版社のチェックとかいう仲介がないので、手軽に発信できる。しかし、何人ものチェックが入らないということは、常に十分吟味した表現(誤解を招かない表現)であるとはいえないだろう。

ただ、誤解を一つ一つ解きほぐすのはネット上では非常に困難であることは事実だろう。それは、移動に要する時間もお金も莫大に必要になってしまうからだ。

つまり、ネットは言語だけのコミュニケーションだから、『そこそこにしか伝わらない。』という性質を持っているように思う。これがネットの限界なのだろう。

だからちょっと前にオフ会が流行ったのだろう。コミュニケーションの中の3割でしかない言語でつながった仲間だから、残りの7割の非言語が加われば、スムーズなコミュニケーションがとれて盛り上がるのだろう。

そう思うと、メールだけで今もつながっている仲間はなんとありがたいのだろうと思う。何年と付き合いながら、メールと言う言語だけでつながっている仲間。実際には一度も会ったことがないどころか、声すら聞いたことがない人も多い。
そんな人と良好な関係が続けられていることは実はとても幸せなことなんだと思います。

言語の難しさを感じるとともに、仲間のありがたさを感じた瞬間でもありました。

追伸…アップされた記事に直接関係の無いコメントについては営利・非営利を問わず削除させていただきます。また、今後コメントは『管理者の承認後掲載する形』に変更させていただきます。

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2006年12月05日

生きているだけで…

先日子どもたちに話したこと。ちょっと形を変えて書いてみようと思います。

それは、いじめの話をしていたとき。
自殺の話が出て、どうして生きているのか?を子どもに聞いたときから始まりました。

「生きているのは、『他人の役に立つため』だと思います」
元気な男の子がそう発言しました。

そうですね。では、あなたたちは他の人の役に立っているのでしょうか。
実は、生きているということで、あなたたちはすでに人の役に立っているのです。
あなたが生きているから、喜んでくれる人が周りにいるんですよ。それが誰だかわかりますか。
「それは『家族』だと思います」
女の子がポツリと言った。
「『友達』もそうだと思います」
男の子がそうつなげた。

そうですね。親戚の人も、そうですよね。たまに遊びに行くと「良く来たね」って嬉しそうに迎えてくれるでしょ?あなたたちが生きていることで、たくさんの人に喜びを与えているんです。
あなたたちは、生きているだけで、すでに人の役に立っているのです。

一人暮らしの老人がよくペットを飼っているのだそうです。誰もいない家に一人でいるのは寂しいからペットを飼っているのだそうです。
人はいつも、いくつになっても近くに誰か居て欲しいのです。

みんなが生まれたとき、家族のみんなが喜んだことでしょう。
みんなが幸せになるようにと願いを込めて名前を考えたことでしょう。
みんなが喜ぶ顔が見たくて、お父さんやお母さんは一生懸命働いていることでしょう。

みんなが生きているから、周りの人も幸せになれるのです。
だから、自殺するとたくさんの人を悲しませてしまうんですよ。
家族だって、親戚だって、友達だってみんな悲しむのですよ。

辛いときは、辛いと言いましょう。おうちの人は必ずみんなのために良い方法を考えてくれます。みんなを必死で守ろうとしてくれます。5年も、10年も先もずっと守ってくれます。だから辛いときには、ちゃんと辛いとおうちの人に言いましょう。
一番みんなのことを考え、味方になって最後まで守ってくれるのは家族なんですからね。

そして、そんな大事な人を自殺に追い込むほどいじめるってどんなに罪深いことでしょう。多くの人を不幸にしてしまういじめ。
多くは一人の子を大勢でいじめています。これって卑怯じゃないですか。
汚いじゃないですか。

たくさんの人を苦しめて、自分だけ幸せになろうと思っても難しいです。
卑怯なことはしちゃいけません。人が自殺を考えるほど傷つけてはいけません。
それが、美しく生きるということです。
外見ではなく、生き方を美しくしましょう。それが心を美しくすることです。
よりよい友人をつくる生き方です。

生きているだけで、あなたは他人を幸せにしています。けれども、美しく生きることで、もっとたくさんの人を幸せにできます。人は、他人を幸せにするために生きているのです。他人を幸せにすると、いつかその幸せは雪だるまのように大きく育って、自分の所に帰ってきます。

美しく生きて、周りの人も、自分も幸せになりましょう。
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つれづれ日記 

2006年12月04日

教師は人を活かしているか?

小学校では、すべての教科(一部違う場合もあるだろうけれど)を担任が教えています。給食の時間も、休み時間も掃除の時間も一緒にいることが多いです。
それは、全人格的な教育ができるだろうということも考えに入っていたと思います。

ところで、学校の先生って子どもの活かし方ってうまいのだろうか?
※注意
ここからは、私の狭い経験からの話だから、違うことも十分に考えられますから、決して鵜呑みにしないでくださいね。

私の狭い経験から書くと、だんだんと優秀な先生が入ってくるようになってから、活かし方が下手になったような気がしています。優秀な先生なのに下手って書くとなんだ?って思われるでしょうけれど、優秀な先生は優秀な高校・大学を出ています。
友人も優秀な人が多いわけです。基本的には優秀な人の性格は「まじめ」「正直」「努力家(勤勉)」って所でしょうか。

それが教師になると今まで付き合ったことも無いようなタイプの子どもがいっぱいいます。「不真面目」であったり「注意散漫」だったり、「努力する習慣」が無かったり…。付き合ったことが無いタイプですから、彼らの欠点が目に付いてしまいます。その欠点を直してやれば、その子が良くなるように思います。

欠点を指摘して、ちゃんと直せるなら問題ないのですけれど、なかなか難しい子もいます。そういう子は、「才能が無い」と突き放されてしまうことがないでしょうか?
それに比べて、「なんで教師になれたの?」って言うような経歴を持った人は、付き合ってきた人間が実に幅広くて、そういう人の良さを見つけやすいような気がしています。狭い範囲の体験に基づいていますから、一般的にはどうかは分かりませんけれど。

先日、徳川家康の本を読んでいたら、こんなエピソードが出てきました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
徳川家康が、江戸に都を作り始めた頃、政権交代の隙間を狙った盗賊がいっぱい入り込みました。江戸の治安はとても悪かったといいます。
その時、徳川は泥棒のボス鳶沢という男を捕らえます。打ち首・さらし首など見せしめにして殺したのかと言うと、そうではありません。
徳川家康はこの鳶沢に屋敷を与えたのです。古着商いの元締めにもしたのです。そして、子分たちにも商いを許したのです。

鳶沢は泥棒の世界とはいえ、その大勢の仲間をまとめるボスです。ボスになるには、それだけ人をひきつける才能があるということです。それを徳川家康は利用したのです。お陰で江戸の治安は良くなったといいます。
ちなみに鳶沢とその仲間は窃盗団を捕まえることもやるようになったといいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人は才能を認め、他の人の役に立つ場所を与えられると、意気に感じて働くものなのです。いじめている子はどうなのでしょう?自分が働く場所・活躍の場は与えられているのでしょうか?いじめられている子はどうでしょう?その子の才能が他の子に認められるような場面や機会を先生は用意できたのでしょうか?

将棋の駒には個性があります。角や飛車が大駒といわれへぼ将棋では大活躍しますが、プロになると歩兵や香車・桂馬などと言った駒をうまく活かして戦っています。桂馬だから勝てる場面、銀将だから勝てる場面をうまく見つけて戦っています。
人間は将棋の駒とは違うけれど、そういう個性を見抜いて、一人ひとりを活かしていきたい。
授業で活躍できる場面・休み時間に活躍できる場面・掃除の時間に活躍できる場面。
様々な場面を用意し、計画的に子どもを活かしてやりたい。
そうすれば、子どもの心の中の不満が少し軽くなるような気がしている。

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日本が失ったもの 

2006年12月03日

いじめについて

先回の記事にはharukaさんからたくさんのコメントをいただいた。
いじめられている方は、どうしたらよいのだ。いじめている方よりも、そちらのことを考えるべきじゃないのか。ということはよく分かります。
いじめられている方の人権・学習権の保護が今はされていない。ということもよく分かります。

それでは、どうしたらよいのか?
私は、まず『どうしていじめがこれほど深刻になったのか。』から考えてみたい。

なぜ、昔はいじめで自殺が無かったのか?
一つ目は、みんなが生きるのに必死だった。という時代背景もあるだろう。
二つ目に、「卑怯なことを憎む気持ち」が子どもの中にあった。ということもあると思っている。『卑怯なこと』とは、『後ろから襲うこと』『一人を大勢で攻めること』『仲間を裏切ること』などである。
それを子どもたちは『人として最も恥じるべき行為』として教育されていた。

これは、誰がやっていたのか?少なくとも学校ではない。
多くは家庭教育(両親と祖父母・兄弟)と社会教育(地域社会)だった。

しかし、現在この二つは瀕死の状態である。地域社会と子どもとのつながりは非常に希薄になった。家庭も祖父母が同居することが減り、兄弟も減った。両親は離婚が増え、仕事に追われて『愛情よりも金をくれ』と言わんばかりの家庭も出現してきて、それが珍しくなくなってきた。

先の野球の例を引用すれば、ライン際を担当していたレフトとライトが働かなくなっている。そして、本来「カバーに回る」ことしかしてこなかったセンターが、すべての打球を処理することになった。この状態はセンターが疲弊するだけで、何の解決にもならないことは自明の理である。

すべての打球の処理をセンターに望むなら方法は一つだろう。
『教育にお金をかけましょう』それも、『人材確保』で。
野球の例で言えば、センターを増やすのです。動かないレフトとライトの代わりに動けるセンターを一人でも二人でも増やすのです。
人数を増やすのはインチキだというかもしれないけれど、学校関係の仕事をしている人からすれば、当然の方法。

ただ、金がかかる。だからやりたくないだけ。

こう書くと、『優秀な人を採用すれば(無能なものを解雇すれば)採用人数を増やさなくてもできるんじゃないの?』って言う人がいるかもしれないけれど、先の野球の例で言えば、『センターにイチローを守らせれば、ライン際の打球まで処理する』と言っているようなものです。それでは解決になりません。

凡愚でよいのです。人数を増やせばよいのです。
スクールカウンセラー・図書館司書・様々な大人を雇えばよいのです。目が増えれば、気づきやすくなります。気づけば救えることもあります。
目が増えることで、いじめられた子をフォローする人。いじめていた子をフォロー(再教育)する人。教科を中心に教える人。と仕事が分担できます。

別室に追いやれば、解決するという単純な問題ではないのです。
別室に追いやれば、問題はその時は隠れていても、やがて大きく育って『地域に返ってきます』
いじめられた子を救いたければ、人間をください。
いじめていた子を救いたければ、人間をください。

人間は日本が誇る『大きな資源』です。少子化になり、人は『貴重な資源』です。
すべての人が活きるように、生きていけるように。
教育にお金をかけてください。
教育に人間をください。
すべての教育を学校の責任にするのなら、お金をください。人間をください。

現場の声はみんな一致しています。海外の例を見ても、人員を増やすだけでいじめが減っています。なのに、なぜ日本はその手をとらないのですか。
日本がいくつかのものを失って、今のいじめがあります。
そこを解決しようとしなければ、先は見えてこないと思います。

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sevenstarslight at 08:12コメント(5)トラックバック(1) 
日本が失ったもの 

2006年12月02日

別室登校に賛成ですか?

先日テレビを見ていたら、「いじめ」や「傷害行為」・「授業妨害」など問題行動を起こした児童・生徒を普通教室から隔離して「別室登校」させるという話をしていた。

確かに被害家族・被害者にとっては朗報のように聞こえる。けれど、本当にそうだろうか?私は疑問に思っている。
それは、こうやって「隔離された児童生徒」はどうなるのだろう?ということだ。

少年院という施設がある。
極度な問題行動を起こし、周りの児童生徒に悪影響を与え、このままでは更正の可能性が低い子どもが入る場所だ。では、ここを出てきた児童・生徒はどうなるのだろうか?再犯をしないよう、日々の生活を送っているのだろうか?

噂で聞くところでは、そういう例は少ないらしい。
少年院で他地区の少年・少女と仲良くなって行動範囲を広げたり、巧みな犯罪を行うようになったり、少年院にいたことで他の児童生徒を支配下におこうとしたり…。

今回の「別室登校」をさせられた子どもはどうだろう?同じようなことにはならないだろうか。
「別室に隔離させられた」ことで、世間を恨み、復讐しようとする心を育てるのではなかろうか?それで解決するのだろうか?

人を生かすことになるのだろうか?教育とは『人が人として生きて行く術を教えること』ではないだろうか。隔離し、見えなくすることではないのではないだろうか。
いじめ報道の中でも、「いじめた子を隔離・転校」という意見があったけれど、それで、被害者を守れても、加害者を育てることはできるのだろうか?

教育はすべてのことを見通して行わなくてはいけないとう難しさがそこにはある。
厳罰だけでは人は育てられない。人は感情というやっかいなものを持っているから。
理性だけでは行動しない部分を持っている生き物だから。

そして、いじめをなぜするのか?その生育暦に共通項はないのか?
それに対する対策は無いのだろうか?
短絡的に考えず、広い視野で考えて対策を採って欲しいと思っている。

まさか、別室登校・少年院・刑務所・死刑(この世からの抹殺)を狙っているわけではないでしょうね?厳罰主義は教育とくに青少年の教育には不適切だと思っている。

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sevenstarslight at 07:50コメント(9)トラックバック(0) 
日本が失ったもの 

2006年12月01日

励まされて…

スポーツクラブに通っていることは以前にも書きました。
運動が好きだから?かというと、それだけではありません。
私が通っている理由の一番は多分、「人を求めている」のでしょう。

仕事をしていれば、どの仕事にだって辛い瞬間ってものがあります。職場で話をすると、それが誰のことかすぐに分かってしまって、却って問題になるって言うようなこともあります。だから、本当に辛い話は職場ではなかなかできません。

もっとも、守秘義務がありますから、スポーツクラブだって正確なことや、個人情報に関わることは言えませんけれど、『自分が今辛いんだよ!』って気持ちは話すことができます。

うちとけた少人数のグループで雑談しながら、互いに仕事の辛いことの愚痴を言い合うこともあります。(私は職業柄、話せない内容も多いので、聞き役に回ることが多いのですけれど…。)

今、こんなこと(具体例はあまり上げないので、正確には伝わらないとは思いますけれど)で困っていて、体の調子が悪いなんてことを話すと、他の仕事している人が、自分の仕事の例を挙げながら、『どの仕事でも辛いよね』って言ってくれます。

その言葉を聴くと、『みんな歯を喰いしばっているんだなぁ』って思います。
辛いと思いながらも、みんな仕事を続けています。
その姿を見ながら、『もうちょっと続けてみようかな』という気持ちになります。

『先生って仕事も楽だと思っていたけれど、辛いこと多いんだね』と言われると、自分の辛さを少し引き受けてくれたような気になります。

そうやって、周りの人に励まされて、明日も仕事に行こうかなぁと思っています。
運動して、体が健康になる。悩みを相談して心が健康になる。
だから、多少体が疲れていても、スポーツクラブに通っているのかもしれません。

教員になって、なかなか仲の良い友達ができませんから、(同年代の人がいない)私にとって、スポーツクラブの仲間は大切だなぁと思っています。

何かトラブルに巻き込まれれば、職が無くなる不安は消えませんが、悩みを受け入れられることで、なんとか踏ん張っています。だから、人間は、人間(他人)によって生きていけるのだなぁと最近よく思うようになりました。

そう思うと、子どもの中に孤立している子が気になります。なんとか、その子にも素敵な友達ができるような役割を果たせたらいいなと思います。

そんなことは、学校の先生の仕事じゃないって言われるかもしれないけれど、お節介かもしれないけれど、一人でも友達ができるようにしてあげたいなぁと思うのでした。

友達がいないから、友達が欲しいからともがいている子の姿が思い浮かびました。
どうやって仲良くしたらいいのか分からなくて、殴って相手の子を怒らせて追いかけっこをすることでしか、コミュニケーションを取れないあの子のことが…。(私のクラスではないのですけれど)

お節介ですよね。でも、何かしてあげられないかなぁと思うのが、悲しいけれど教員の性でしょうね。

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sevenstarslight at 07:12コメント(3)トラックバック(0) 
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