2007年01月

2007年01月30日

学力は低下しているのか?

今回は予定を変更して「学力が低下しているか」について考えてみたいと思います。

学力低下と言うときに良く話題になるのがPISAの学力テストだ。順位が下がったことは新聞でセンセーショナルに報道しているので知っている人も多いだろうけれど、これにはいくつものからくりがある。だから、一度、元のデータを見て欲しいと思っている。

まず、読解力についてこれは8位から14位へと順位を下げている。
しかし、良く見ると日本より上位にある香港・オランダは、先回日本が8位だったときには参加していない。この2つを除くと日本は12位。
さらにスイス・ノルウェーとの差は微差であり、有意な差がない。
そう考えると統計学的にみれば日本の順位は多少下がったという程度なのだ。

次に数学的リテラシーを見てみよう。
これも1位から6位になっている。しかし、これも読解力の時と同じように新規参加の香港・オランダを除くと4位である。
フィンランドと韓国に抜かれたというのが実際のところだろう。

続いて科学的リテラシーを見てみよう。
これは2位をキープしている。新規に香港・オランダが参加しているがこれに勝っている。それどころか、先回1位だった韓国を有意に逆転しているといえる。実は2位というのは良く健闘していると言っても良いと思う。

最後に問題解決能力であるが、これは新規であるため先回との比較ができない。しかし、香港・フィンランドとの差は小さく、それほど劣っているわけではないといえる。(世界水準からすれば勝っているといえる)

また、中学2年を対象に行われた数学のテストの国際比較(TIMSS)では1999年も今回も5位で変わっていないことが分かる。(標準偏差はともに80ということで学力の低下は見られない)

小学校4年生を対象に行ったテストでは1995年も今回も3位で変化なし。標準偏差は81から74と低下しているものの、他の地域も同様に下がっているので、これから学力が低下しているという結論は出せない。(他の国に比べれば下げ幅が小さいので相対的には学力が向上していると言えなくも無い)

学力とは目に見えないものだけに、測定方法・判定方法がいくつか考えられています。PISAの結果の一部だけを取り出してみれば、「急激に学力が低下している」と書ける訳です。そういうショッキングな切り口が記事になり数値だけが一人歩きします。

先進国の中では日本は12位であり、最下位に近い成績だという話もあるようですが、私が調べた限りでは「全体としての学力が12位」というデータは見つかりませんでした。

では、なぜ学力低下が叫ばれたのか?
それはニュースになるからです。「ゆとり教育」を糾弾する手段に使えるからです。「文部科学省」や『学校現場』を批判する材料になるからです。

学力は目に見えないものです。測定方法もいろいろあります。ある測定方法で結果が悪かったから『すべて悪くなっている』という単純なものではありません。
教師は、専門だからこそ冷静にデータを見ています。
(専門だけに結果については慎重になっている部分はあります)
もっとも、PISAが求めるような学力を日本はあまり重視してこなかったという経緯があるのですが、それについてはここでは書きません。(言い訳に聞こえるでしょうから)

マスコミが自分に都合の良い(主張するために都合の良い)データを探しているのは自明の理です。
ぜひとも冷静に自分でデータを調べ、その結論には客観性があるのかどうかを多面的に分析することをお願いしたいと思っています。

なお、高校入試(数学)に関しては次のようなデータもあります。
問題によっては過去よりもできの良いところもあります。
もっとも、いずれも統計的に見れば有意差がありませんので、わずかな数字に一喜一憂することではありませんが。

「あるある」でマスコミの情報を鵜呑みにする危険性が伝わっていたかのように思いましたが、今回のことでマスコミの底力を感じました。

こういう問題について、きちんと反論しないと、都合の良いデータだけで事実を見失ってしまうような気がしています。(私も冷静にデータを集めたつもりですが、恣意的になっている部分があるかもしれません。元データを示しましたので、それを見て個人で判断していただけると嬉しいです。)

なお、PISAで成績上位を占めたフィンランドの学習形態は個別指導が中心です。(日本の少人数なんてものの比ではありません)
また、カリキュラムは日本の総合的な学習の時間に近い形態です。

それなのに、「学力向上」の時にはフィンランドのスタイルは取り入れず、データに現れない(人数を集められなかった)イギリスを参考にしているのはどうしてなんでしょうね?

ちなみに、イギリスは最近の教育改革で大量の公立教員が自主退職しています。まさか、そうやって安倍さんは『公立学校つぶし』をねらっているのではないでしょうね?(貧乏人は公立へ行き、学力を低下させ、富裕層は私立へ行き学力の二極化をねらっているとしたら、相当怖い話です)
愚民化した大衆はマスメディアによってかなり集団意識を操作できるようですからね。

追伸…私の場合も「私の意志」というフィルターを通していますので鵜呑みにしないようにしてくださいませ。

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つれづれ日記 

2007年01月28日

学校批判の原因?

巷で「学力低下」と共に「教師の質の低下」など学校に対する批判は最近特に増えているように思います。それでは、なぜ学校は批判されるのでしょうか?

1.実際に「教師の質が低下している」
2.実際に「学力が低下している」
3.自分が学校に対して悪い印象を持っている
4.人間の性(さが)「最近の若い者は…」
5.情報操作による恣意的なもの

どれが原因でも学校非難は増える。どれが原因なのだろうか?
1.2が原因ならその改善が最大努力目標になる。
これは、後に別の記事にすることとしよう。

今回は
3.自分が学校に対して悪い印象を持っている。
から、見ていこうと思う。

さて、悪い印象があるというのは、どういうことだろう。
一つには現在親となっている世代が「1960年代生まれの子ども」ということから考えてみよう。
この親たちが中学生時代を迎えた1970〜1980年代は校内暴力が増加傾向になった時期と重なる。その時のキーワードが「反社会」「反学校」「反権力」だった。

その時の中学生が親となっている。キーワードが残っているのならば、そのままの大人の姿である。社会に反対し、学校に反対し、権力に反対している。時代が変わってもそのままの傾向を持っている?

そうだろうか?という思いがある。それは
「あの時は楽しかった」「面白かった」なんて酒を飲みながら話している姿を見かけるから。だから校内暴力が増え始めた時期と中学時代が重なるとはいえ、その世代の親が、今までに比べて特別学校に悪い印象を持っていて学校批判をしているとは思えない。

次回は
4.人間の性(さが)について考えていきたい。

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つれづれ日記 

2007年01月27日

3学期の目標

3学期になって、クラスの一人ひとりに「今学期の目標」を書かせる。
うちのクラスの場合はそれが作文の題材だった。

具体的には、自分が「どんな努力をしてこの目標を達成するか」を作文に書かせたわけです。「休み時間ごとに練習して二重とびを連続で20回できるようにする。」とか、「帰ったらすぐに宿題をやるようにして、宿題を忘れないようにする。」とか、「漢字の練習で手本を丁寧になぞって字をうまくする」とかいったパターンです。

その後、短冊に短い言葉で自分の目当てを書かせました。「二重とび連続20回」とか、「宿題を忘れない」とか、「字をうまくする」という書き方です。
そして、それを教室に掲示しました。
その中央にクラスとしての目標を書きました。まぁ、「こんなことを達成して欲しい」という私の願いみたいなものです。

1.漢字テスト満点30名達成(現在は最高で27名達成)
2.宿題全員提出

漢字テストについては、図形認識に障害のある子が数名入っているのでなかなか難しいのですが、一人を除いて障害のある子たちが軒並み8割・9割できるようになってきているのでやり方しだいでは達成できるんじゃないかなぁと思っているのです。

宿題については、3学期になり後、3人・4人で達成って日が続いています。
もう少しレベルを下げても良かったんですけれど、こればかりは「全員達成」で派手に喜びたいなぁと思っているのでレベルを下げませんでした。
もっとも、他のクラスの子に言わせると「私のクラスは宿題が多い」ようなのですけれど…。

さて、いつ達成できるのだろう?
先日の漢字テストの自己採点では満点が30名いたものの、私が点検したところ満点は27名(タイ記録)でした。あとちょっとなんだけれどなぁ。

達成できたらブログでもお祝いしたいなぁと思っているのですけれど。難しいかもしれません。

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つれづれ日記 

2007年01月26日

カチンと来たこと 5

実はテレビに向かって「バカヤロー」って叫んじゃいました。
テレビに怒っています。

それは「教師の質を上げるために」というタイトルで話をしていました。
その時に「教師の質を上げるためには、教員免許を持っていない社会人を教員として採用するしかないじゃないですか?」という発言。

それに対するコメンテーターも「そうですね」とあっさり認めたこと。

馬鹿にするなよって思った。
それじゃ、「巨人が弱いから、高卒じゃなくて中卒の選手を入れて優勝しよう」って言っているのと同じじゃないですか?
断っておきますけれど、社会人を教員として登用することに対しては反対していません。質を上げるには「素人を入れるしかない」という言い方にカチンときているんです。

同様の例を挙げるなら
「医療ミスが多いから、医師免許を持っていないインターンを病院に派遣して医療の質を上げるしか方法が無い(医療ミスが減るはず?)」
だれがそんな病院に行きますか?

気づいたかもしれませんが、「それしかない」という表現にカチンと来ているんです。社会人経験者によって「今までに無い解決方法が見つかるかもしれない」という可能性はあります。(可能性です)
けれど、それでしか「質が上がらない」という言い方はあまりにも今の教員を馬鹿にしすぎていると思うのです。
そんな言われ方をするなんて、これでは教員の質が上がる前に意気が上がりませんよ!

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つれづれ日記 

2007年01月25日

責任をとるという事

不祥事が起きると、「責任をとれ!」と叫ぶ人が多い。
被害を受けた人がそれを言う気持ちは十分に分かる。でも、被害を受けなかった人が受けた人以上に「責任をとれ!」って叫ぶのはなぜだろう?

ある人は想像力が豊か過ぎて、被害者になりきってしまうのかもしれない。想像被害者とでも呼べばよいのだろうか。他人の痛みを自分の痛みとして感じ、苦しんでしまう人だ。
しかし、もう一つのタイプがいるように思えてしまう。

それは…。とにかく「責めたい!」というタイプ。詳しいことは分からないけれど、「他人を責めるのは気持ち良いから(ちょっと正義っぽいし)悪いことをやっているわけではなく、自分は正義のためにやっているという感覚に浸っている」
表現をキツくすれば「暴徒」。

自分が暴れる・暴力に対して何らかの正当性を持って自らの行為を正当化する行為です。
例えば、あるあるのデータ捏造。これによって被害を受けた人は本当はどれぐらいいるのだろう?
これを信じて納豆をたくさん食べ続けた人?
納豆の対価として代金を払っているのであり、金銭的な損失は実は無いと思います。

納豆をたくさん食べたために健康被害を被った人?
確かに納豆を必要以上に摂取すれば健康被害を起こす可能性があります。(大豆イソフラボンには摂取制限があります)けれども、データ捏造がばれるまでに時間が短かったこともあり、健康被害は今のところ聞いたことがありません。

被害を受けたのは実は「デマを放送するのにお金を出したスポンサー」ではないでしょうか。一気にイメージが悪くなりましたから。

そうなるとあの騒動は本来「被害を受けたスポンサー」と「被害を与えた番組製作者」との争いになるはずです。けれども、「私もだまされた」と被害者に加わる人がいます。それでも、実際には金銭的な被害は無いのです。

番組をあてにして大量に納豆を仕入れた所(大手スーパー?)も、当初仕入れた分は売りさばいたわけですから被害者ではありません。(いつもよりも高値で販売したという話もありましたけれど)

さて、この場合どう責任をとるのがよいのでしょう。
番組制作者が登場して「今回は申し訳ありませんでした」と切腹でもすればよかったのでしょうか?暴徒はそれで怒りの行き場を失ってしまうわけですから収まると思いますけれど、これは過剰に責任をとり過ぎだと思いませんか?

切腹しようと日本刀をお腹に当てようとしたら「まてまて、そこまですることは無い」と止めるような場面ではないでしょうか?
「今回のことを肝に銘じて、今後信頼を回復できるよう誠心誠意自分の仕事に打ち込みなさい」それが、周りのとるべき対処ではないでしょうか?

最近の報道の流れを見ていると、誰一人として「今後、信頼回復できるよう…」とは言っていないのが気になっています。誰もが「切腹せよ」「切腹せよ」と連呼しているような印象を受けています。

実際には「生きて汚名を受けるよりも…」という気持ちも分かりますが、それを拡大していけば「失敗したら死ななくてはいけない」という流れになり、「失敗がバレタラ切腹じゃ!ばれないように何とか隠せ!」という気持ちも分からなくはありません。

被害者と加害者だけでなく、第三者として冷静に罪業を見つめる裁判官のような立場に本来、マスコミはなって欲しい。被害者になりきってしまうと、視聴者すべてが被害者の立場に立ってしまい、過剰な罰を与えかねない。

再チャレンジとは、別のところで頑張るという再チャレンジもあるだろうけれど、同じ場所で汚名を受けながらも、信頼回復に向けて耐え続けるのも一つの責任のとり方だと思うのだけれど。

教師はやっぱり甘いのかもしれませんね。
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sevenstarslight at 07:04コメント(12)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2007年01月24日

動き出した子どもたち

去年の申し送りで何人かの子どもがADHDを疑われていた。
2学期まではなんとかそれなりに授業にも参加していた子どもたちだけれど、最近ほかの先生の授業で暴れている事実が発覚してきた。

元々音楽の授業では「指示を聞かない」「勝手に動き回る」などの話があり、音楽の授業では一緒に音楽の授業にでるなどを行っていたのだけれど、最近は音楽だけでなく、他の専科の先生の授業でも同様のことが起こり始めている。

これは、一つの危機的な兆候だと思う。何かが崩れ始めているのだと思う。専科の先生の技量のせいだけではないと思う。何かが崩れ始めているのだろう。

自分としてはクラスの中の人間関係は良好だと思われる。友達同士のトラブルはほとんどないから。それなのに専科の先生の授業では荒れるのだ。

特定の専科ではない。すべての専科の授業で荒れているのだ。
一度学級の様子を再度細かく見つめ直す必要があると思う。
学力の面なのか?それとも耐性が十分に育っていないのか?今までの学級経営に何か問題はなかったのか?

実際、今までも同様のことを他の先生に指摘されたことがある。「授業がやりにくい」と。自分の授業では騒ぐ児童もいなければ、立ち回る児童もいない。

だから見逃してきた何かが今崩れ始めているのだと思う。
けれど、直接見えていないだけに原因はみつけにくい。それはあたかも最近の子どものいじめが陰湿であり、密室性をもっており、二面性の中で見えにくくなっているのに近い。

ラスト2ヶ月あまり。もう一度クラスの作り直し・見直しが迫られている瞬間だ。

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sevenstarslight at 07:11コメント(7)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2007年01月23日

教育基本法の改正を逆手にとって

今回の記事は、いつもと大分トーンが違います。
ハッキリいうと、かなり独善的で一部の人は読むと不快になるかもしれません。
申し訳ありませんが、途中で不快に感じた方はそれ以上読まないでください。

『教育再生』が声高に叫ばれているということは、『現在の日本の教育は死んでいる』ということを前提に話をしています。
(まず、この前提に同意できない方はこれ以降は読まないでください)
死んでいるのですから、生き返らせるためには電気ショックなどのインパクトのある方法が必要です。ですから、これから書いていくことは、教育におけるある種の電気ショックであると思っています。万人に受ける方策ではないと私自身も承知しています。

提言1
学校にランク付けをせよ。
提言2
ランク付けに応じて人員の配置(増員)をせよ。
提言3
ランクに応じて人員の質的配置をせよ。

まず、提言1です。学校にランク付けというとそれだけで反発する声が聞こえそうですが、現在『教育は死んでいる』という前提ですが、死んでいるのといっても全部が同じように死んでいるわけではありません、危篤状態・ICU治療室にいる状態・入院治療している状態・通院で済んでいる状態・売薬で済んでいる状態・薬を必要としていない状態など学校によって差があるわけです。
まず、そのランク付けを行いましょうということです。

方法はいじめに例を挙げれば、「教育委員会に(学校から)報告があった数」「保護者から教育委員会等に報告(訴え)があった数」を元に計算すればよいと思います。
そこで、ランク付けします。

ここでは便宜上平均より多いグループからA・B・C・D・Eランクまでの5段階とします。(平均値をCとします)緊急に再生治療が必要なのはA・Bランクの学校です。

ランク付けをしたところで、提言2にうつります。
Aランクの学校にはいじめ対策用雇用という形で「正規採用教員の加配」を行います。(2,3名程度)いじめの多かった学年を中心に副担任という形で常時子どもの様子に関われる立場とします。(授業も行いますが、休み時間にカウンセリングなども行うために、授業時間は軽減します)
Bランクの学校にも同様に加配を行います。ただし、こちらはAランクよりも軽度であると考えられるので、1,2名とします。
C・D・Eランクの学校には加配は行いません。

これにより、いじめの早期発見が物理的には可能になります。

人数さえ増やせばよいのか?という疑問が呈されると思いますが、ここで提言3が出てきます。教員の質的配置です。
これが一番難しいです。前提として、次のことが必要です。
(a) 教師は1校に基本的には6年間勤務すること。
(b) 校長・教育委員会に人事権が存在すること。

まず、Aランクの学校で転任希望者を募ります。他校よりも教育困難な学校なわけですから『自分の技量では教育できない』という自信が無ければ自主的に転任してもらうわけです。ただし、6年未満の場合はある程度のペナルティを負います。
残り期間(たとえばその学校に5年勤務している場合は1年間)給与の5%を「いじめ対策協力費」として拠出します。つまり、それだけ払っても転任したいという希望はかなえるのです。
次にBランクの学校で転任希望者を募ります。こちらも同様に「いじめ対策協力費」を出します。ただし、こちらはBランクなので協力費は給与の10%です。

次に、Aランクの学校の校長がC・D・Eランクの学校の教員から転任希望者を募ったり、来て欲しい助っ人を指名します。(もちろん助っ人の場合は拒否も可能)
そうです。Aランクの学校には『進んで教育困難校で働こう』というやる気のある教員を集めるのです。「いじめ対策協力費」は次にAランクの学校に転勤してくる教員がもらうことになります。(いじめ対策協力費全体の6割程度がAランクの学校に支払われることになります。)
Aランクの学校が終わったところでBランクの学校の校長が転任希望者の中から指名したり、助っ人を指名します。(同様にいじめ対策協力費全体の4割がBランクの学校に支払われることになります)

さて、この論ですがもちろん『暴論』です。細かい数字の計算はしていません。
でも、こうやって教育困難校は再生する手立てを取ることが『教育基本法』で求められています。
根拠ですか?
改正された教育基本法(これ以降は特に改正と断りません)の第五条3には
『国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う
とあります。
いじめによって教育の機会が奪われていると訴えられているのですから、それを改善するために教員の数的配置(加配)ならびに質的配置をすることが「義務教育の機会を保障する」ことにつながります。また、そういう手立てをとらない場合は『実施に責任を負っていない』と非難することも可能です。

さらに、教育基本法第十六条3には
『地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない』とあります。
さらに4には
『国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない』と書いてあります。

『実情に応じた教育に関する施策を策定、実施しなければならない』のです。いじめの件数が他校よりも多いという『実情』があるのですから、それに応じるための施策を策定し、実施する義務が国及び地方公共団体にはあるのです。
また、そのときに必要な財政上の措置も講じなければなりません。

つまり、現在いじめや校内暴力などで教育が円滑に行われていないひどいところには『金も人材もかける』という施策を策定し、実施しなければ『教育基本法に違反している』のです。ぜひとも「Aランクの学校」などとランク付けし、そこに金も人材も派遣するよう政府に求めたいものです。

なぜ、地方公共団体ではなく国(政府)に求めるかと言うと、教育基本法第十七条2には『地方公共団体は、前項の計画(政府の教育の振興に関する施策)を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に冠する基本的な計画を定めるよう努めなければならない』と定められているからです。

改正された教育基本法が有効になる4月以降、ぜひとも国・地方公共団体へ圧力をかけたいものだと思います。(他の教員が不利になる部分には目をつぶってね!)

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追伸…上で取り上げた教育基本法は改正前には一切書かれていない部分です。教育基本法が改正されたのですが、不利な部分を取り上げるだけでなく、うまく利用することも考えたいと思っています。

sevenstarslight at 07:28コメント(5)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2007年01月22日

再チャレンジはできるのか?

最近いろいろな不祥事が発覚している。不二家の「期限切れ原料の使用」とか、あるあるの「データ捏造」とか。

それぞれ、決して誉められることではないが、その後はどうなるのだろう?という思いでいる。実際には「あるある」はあまり心配していない。
テレビ関係は打たれ強いから。(というか、叩かないから)

出演したタレントがそれで事務所を解雇されることも無いだろうし、テレビ局もそれで責任者が解雇されるということはないだろう。事実、フジテレビでは「フジテレビは今回のことについて何も関係ありません」というコメントを発表したとか?
番組を制作した子会社についても、ここの捏造は初犯ではないという。
つまり、テレビ関係の会社については「今までもお咎めが無いし、これからも無いだろう」という楽観的な見方をしている。

それに対して、マスコミ以外の不二家の場合はどうなるかは、予断を許さない状況だと思う。雪印の事例を見ても分かるけれど、マスコミがセンセーショナルに連日報道し、実際二度と立ち上がれないぐらい叩きのめされている。
実際、雪印は2000年当時1080円ほどあった株価が最近順調に回復しているとはいえ、450円にも満たない状況。
三菱自動車も400円前後だった株価が一気に100円を割り込み、現在も回復してきているとはいえ、200円近くでしかない。
同業の企業が株価をその間に2倍から4倍程度にしているのに比べて、成長率が低いといわざるを得ない。

これは、何を示しているか。
そう、『再チャレンジの困難さ』を示しているというのです。
特にマスコミに取り上げられ、風評であろうが長期にわたり繰り返し批難されると再チャレンジが非常に苦しくなるということを示しているのです。

折りしも、安倍総理が『再チャレンジできる日本に』ということを掲げていたけれど、それについてはなんら具体的な方策も制度も提示していない。

さて、それではマスコミが現在「教育再生」を声高に叫び、「教育は死んでいる・崩壊している」「不適格な教員が多数いる」と報道していることはどんな結果をもたらすのでしょう?

適切な法制度を講じない限り、教育の再生は難しいでしょう。内部での改革・改善に期待していては、前出の企業が立ち直れないのと同様の結果を生むでしょう。

それでは適切な法制度とは何でしょう?
それは、次回の記事としたいと思います。

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追伸…イソフラボンの過剰摂取については理科系の人からは健康面で有害であるという見方もあります。

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日本が失ったもの 

2007年01月21日

あるある データ捏造

人気番組「あるある大辞典供廚如▲如璽燭隣埖い発覚した。

私は聴いた瞬間「やはりなぁ」という思いだった。
「あるある大辞典」は「最新の学説に基づいて番組を作っている」という印象があった。新しい学説をセンセーショナルに取り上げ、単純化して示すことで人気のある番組だった。

基にしている学説が新しいだけに「真偽の検討」はどうしてもいい加減になりやすい。発表された論文そのものが「架空のデータを使用している場合」だってありうる。そうなると、「ある学説に基づいて番組を作り始めたけれど事実ではなかった」とか、「事実とは確認できなかった」という場合が出てきて当然である。

作ったのに放送されないということになる。(本当は放送できない番組)

現在、放送番組は「子会社」「孫会社」に発注している場合が多いと聞く。いわゆるアウトソーシングであり、コスト削減のためである。では、この「放送できない番組」の制作費はどこが払うのだろう。

それは、「子会社」が自腹を切るしか方法がない。
しかし、そんなお金の余裕があるわけが無い。現在は富の一極集中が行われており、末端は以前に比べて楽になっているところか、非常に苦しくなっている場合の方が多い。

自腹を切れば倒産。ならば…データを改造し「事実であると報道するより無い」という判断が働いたとしても、理解できないわけではない。
以前書いたことがあるけれど、次々と「効果絶大なダイエット法」が発見されることに私は疑問を持っていた。

また、その番組の影響で一時的にヒット商品が生まれるものの、その人気が決して長続きしていないことにも注目していた。

マスコミで放送されると、「すべてが真実」と思い込みやすいのだけれど、決してそんなことはない。ということを学ばなくてはいけない。
自分で調べ、考え、判断していくという力が必要になってくるのだと思う。

ある意味これは「ニセ科学」と共通していると思う。理系に弱い人ほど、論理的に考えず、衝撃的な映像やデータ(数値)・グラフにだまされるという。
理科離れが問題になるのは、こういう事実を検証しながら見るということができない人が増えているということなのです。

簡単にだまされ、デマゴークで盲目的に猪突猛進してしまう…。
中小売り店から、あっと言う間に納豆が消えて「大手企業だけが独占的に設けた」今回の納豆協奏曲。
この事実から、人は学ばなくてはいけない。
そして、初等理科教育の大切さを再確認しないといけないのではないかと思うのです。

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つれづれ日記 

2007年01月18日

持久走

冬の時期、山間部でなければ、運動場で持久走を行うところが多いことでしょう。
冷たい空気の中に白い息を出しながら走る姿…。

最近うちの勤務校でもそういう時間を設けている。まじめに走っている子もいれば、話をしながら歩いている子もいる。まじめに走っている子は、体から湯気が出ているような状態になる。

さて、その後手を洗い、うがいをして教室に入る。汗の始末はどうするの?
ふと疑問に思う。確かにたかだか3分程度走ったところで汗が滴り落ちることは無いだろう。実際私も汗ばむ程度だったから。
それでも、寒い教室にいればそれだけ風邪を引きやすくなるのじゃないかなと心配になる。

持久走で体を鍛えれば、風邪をひかないという声が聞こえる気がするけれど、風邪をひくかひかないかは『免疫力』によるところが大きいと思う。ひいてしまったものを早く治すかどうかは『体力』の部分もあると思うので、まるっきり無駄とは思わないけれど、『体力だけ』では風邪は防げないと思う。

実際、私は体力的にはあるほうだと思う。けれど、免疫力は昔からたいしたことは無かった。実際によく風邪をひいていた。手洗いをし、うがいをしょっちゅうやっていたけれど、良く風邪をひいた。何日も倒れるということは幸いにしてなかったけれど、多分、誰よりもよく風邪をひいていたと思う。

そんなわけで、持久走の練習も良いけれど、終わった後の汗の始末にもちょっと気をつけたいと思っている。具体的にどうするかと言うと「暖房を早めにつける」という手を考えている。教室で汗がひいていくまでの間、少し高めに暖房をつける。
汗が乾いてしまえば大丈夫だと思うから。

今年はインフルエンザが流行するのかな?
風邪で何人も休むのかな?
そんな心配をしながら、できることはやっておこうと思うのでした。

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つれづれ日記 

2007年01月17日

学校評価アンケート

学校評価アンケートの集計をしていました。
回答方法は、「そう思う」「どちらかというとそう思う」「どちらかというとそう思わない」「そう思わない」という四択。

私が保護者だったらと考えると、よほどのことが無い限り多分「どちらかというとそう思う」を選択すると思う。実際、アンケートの集計結果をみてもその答えが一番多い。もちろん、全部「どちらかというとそう思う」と答える人は稀で、「そう思う」や「どちらかというとそう思わない」が多少混じることになる。

だからある程度その3つの選択肢でアンケートは終わることが多いし、それが普通だと思う。

けれど、時としてほとんどが「そう思わない」という回答に染められることがある。今回集計していて見つけたのはそんなアンケート。

とっても気になった。解答欄のほかに自由記述の欄が設けられていたのだが、そこに書ききれず、裏面にまで渡って批判が綴られていた。もっとも、学校に対してというよりも「個人攻撃」に近かったのだけれど。(幸い、攻撃先は私ではありませんでしたが)

非難されるのは正直言えば辛い。でも、それが改善に向けての要望ならば、仕方ない。けれど、非難のための非難のように思えるとなんともやる気が起きてこないのです。すべてに否定され、非難されると「そこから学んで」という理想論は吹き飛び、意気消沈してしまいます。

そして、この人はどうしてこの文を書いたのだろうという思いが浮かびます。
この文章を書くのに時間は当然かかっている。それだけの労力をかけて文章を書いているのだから学校に対する何らかの思いがあるのだろう。学校をどうしたいのだろうかと。

冷たく突き放されたアンケート用紙を見ながら、今後どうしていったら良いのだろうかと少し途方にくれています。
せめて書いた人の名前が分かれば真意をもっと詳しく聞くことができるのに…。

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つれづれ日記 

2007年01月16日

全員達成

今更何をという感じだろうけれど、ずっと「教育基本法」について書いていたので、なかなかきっかけが無くてかけなかった。

三学期。これはなかなか短くてあっという間と言う印象が強い。まぁ、ここまでくれば後は何とか…ってクラスの雰囲気もある。(一部には『あと何日でお別れだ』って指折り数えている人もいるというけれど)

三学期を迎えるときの担任の思いってのは正直に言えば『今までの成果』に左右されると思っている。報われたなぁって思うときは本当に短い三学期に感じる。
あの努力はなんだったんだって思うときには長く感じるのでは?って思う。

まぁ、今までの経験だと『短い』って感じるほうが多かったのは、運が良かったのかもしれない。
学級を見ると、いつの間にか喧嘩が減っているし、何かやろうとすればササッと子どもの手が伸びている。発問すれば手が林立する。作文を書きなさいといえばおおよそ30分あれば全員が400字ぐらいは書いている。
宿題の点検をすれば、うっかり者が数名いるもののほとんど提出している。

三学期は楽だっていうのが私の思い。まぁ、運がいいのでしょう。

だけど、それに甘えることなく次のステップを用意しなくてはいけない。
作文のレベルアップ。思考力のレベルアップ。計算力のレベルアップ。

目に見える形としては漢字や計算のミニテストだろう。
1学期は20名が満点を取った。2学期は27名が満点を取った。
3学期は何とか30名を超えたいと思う。できれば全員が満点を取ってお祝いをしたいと思う。

計算は割り算の筆算。九九のできなかったある子もある男もそれなりに計算力がついてきている。時間がかかるので、制限時間の中ではなかなか満点が取れないけれど、時間さえ与えればきちんとできるようになっている。あと少しだ。

宿題も提出忘れはあと3名となっている。なんとか全員に達成させたい。

こう書いていくと私の目標には『全員達成』というのがキーワードになっていることに気づく。「全員達成なんて無理だよ」って言う声が聞こえる気がする。
全員が達成するなんて大切じゃないよ。個性を大切にしなきゃって言われたこともある。でも、教えている限り、『全員達成』それを目標からははずしたくないと思っている。

4年生で、どこまでできるのか。初めてだけに結果は読めないけれど、残り2ヵ月半『全員達成』目指して駆け出して行きたいと思っている。

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つれづれ日記 

2007年01月15日

教育基本法 第四章

(補則・法令の制定)
(旧)
第十一条(補則)
この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。
(新)
第四章 法令の制定
第十八条 
この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない 。

長らく書いてきた教育基本法もようやく第四章。これで終わりです。
もっとも、この部分は補則であるので、それほど大きな変化は無いです。

「必要がある場合には、適当な法令が制定」だったものが、「必要な法令が制定」に変わっただけである。
語感からすると「速やかに法律を制定せよ」という即時性が強調されたように思う。先の第三章にも共通するのだが、基本的には「時代に合わせて変化させやすいフットワークの軽い行政・立法」になっている印象がある。
それによって現場では変化の連続になる可能性が否定できない。
杞憂で終わればよいのだけれど。

ご意見・ご感想をお聞かせいただければ幸いです。

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教育基本法 

2007年01月14日

教育基本法 第三章

教育行政に関する法律
(旧)
第十条(教育行政)
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

(新)(教育行政)
第十六条 
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。


ここで、注目するのは「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」という部分が付加されたことだろう。
教育基本法や他の法律は「不当な支配」に入らないのはもとより、定めるところにより行わなくてはいけないという強制力を持たせた部分だろう。

これによって「教育もその法律によって刻々と変化し続けること」が要求され、個人の判断での取捨選択は許されないことになる。
もっとも、「法」はもともと強制力を持つものだから、ここに書かれなくてもすでに強制力はあったのだけれども。


ところで、指導要領は法律なのだろうか?要領とは「物事をうまく処理する手順やこつ」なので、法律とは区別されると思う。もっとも、今の指導要領は「最低基準」なのでこれをやらなくてはいけないという強制力は持っていると思うけれども、これ以上は不可とはかかれていないように思う。

ここで、改めて「教育基本法」を見てみよう。「わが国と郷土を愛するとともに…」という愛国心に関わる部分。これにも「強制力が発生する」わけです。「書いてあることについては指導しなくてはいけない」ということです。もっとも、どの程度教えるのか、どのような方法で教えるのか、どの時期に教えるのかについては明記されていないので、現場に一任されているようなものだと思います。

校長先生の権限が強化され、教育委員会がその点で評価し、人事異動を行うようになれば、自然と現場に緊張が走ることになると思います。
そういう観点で教育基本法を見てみると「教育委員会」の指導力を強化できる部分が含まれています。後に出てくる第十七条の2項です。

この辺りさらりと後半に書かれているのが怖いです。そうです。みんなが注目するであろう第十六条の後ろにさらりと書いてあるのです。

思い起こせば、教員が注目するであろう第九条の後ろの第十条にも家庭教育のことがさらりと書いてありました。

(教育振興基本計画)
第十七条
政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。


私が注目したのは「国会に報告するとともに、公表しなければならない」という部分です。これは「国会に報告し、それによって審議。時限立法の制定という流れが容易になるという意味」があると思います。

時限立法は憲法などに比べて容易に可決します。それも「法」なので、それに教育はしばられることになります。
その時、その時に応じた要求が教育になされることが可能になります。
「教育は水がしみこむようにゆっくりと進めるものだ。慌てて教育を変え、速やかな効果を求めてはならない」伊藤博文の言葉です。

実際に最近の教育行政をみていると「ゆとり教育」にしろ、「総合的な学習の時間」にしろ、朝令暮改のそしりを受けかねない状態です。
現場が右往左往しているようでは教育の効果は現れづらいと思います。あっという間のトップダウンで困るのは何もソフトバンクだけではありませんよ。

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教育基本法 

2007年01月13日

教育基本法 第二章(3)

(旧)
第七条(社会教育)
家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。


(新)
(社会教育)第十二条
個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。


社会教育に関しては、「家庭教育及び勤労の場所その他」が「個人の要望や社会の要請にこたえ」に変わっているものの、社会教育の範囲が広げられたということであり、大きな変化はない。

2項においても、「公民館等の施設の設置」が「公民館その他の社会教育施設の設置」と範囲が拡大されていることが変わっているがそれほど大きな違和感は無い。「教育の目的の実現に努めなければならない」という部分が「社会教育の振興に努めなければならない」と変わっている。

ここが、社会教育で最大の変化だろう。社会教育を盛んにすることが大切である。というか、「盛んに行えばよい」「機会を設ければよい」という意味合いに聞こえる。教育の成果は求めないし、教育基本法に掲げられた目的に縛られずに、広い範囲で行うことを奨励していると取れる。

この変化は小さくないだろう。文部科学省のHPの比較では変わった部分に下線が引かれているが、この部分は引かれていない。意図的なのか、大きな違いではないと判断したのかは不明だけれど、ここの変化は少なくないと思う。

新設
(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)
第十三条
学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

この部分は意味があるのだろうか?と思う。相互に連携、協力に「努める」という建前論は当たり前だと思う。そして「努める」は拘束力は弱いと言わざるをえない。まぁ、「自覚するとともに」という部分があるので、「自覚が足りない」と学校・家庭・地域をそれぞれに責めることの拠り所にはなると思うのだけれど。

政治教育については文語体を改めて口語体に近くなっている以外変化は無いので、下記に表示するにとどめる。
(旧)
第八条(政治教育)
良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

(新)
(政治教育)
第十四条
良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。


宗教教育については、基本的には変わっていないが、一部付加された部分がある。
(旧)
第九条(宗教教育)
宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

(新)
(宗教教育)
第十五条
宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。


付加されたのは「宗教に関する一般的な教養」の部分。これが教育上尊重されなければならないということです。特定の獣肉を食べることを強制したり、教義を踏みにじるような行為を禁じたものだと理解しています。
仏教・神道に加え、地域によってはイスラム教・ヒンズー教にも配慮しないといけないところがあるかもしれませんね。

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教育基本法 

2007年01月12日

入院ラッシュ??

今年は、担当クラスの子が入院するということが続いている。
1週間程度入院するとPTAの規約により「お見舞いの品」を担任が届けることになっているけれど、今年度はもう3回もあった。

救いは事故でもなく、重症の入院でもないことだろうか。
今はそれぞれ退院して元気に通学している。

一度など同じ病室に同じクラスの子が二人入院なんてこともあった。(なんたる偶然!)他のクラスは入院した児童は一人もいないのだから「どうしてうちだけ多いんだろう?」って気持ちにもなります。

思い出すと「マイコプラズマ肺炎」で大量に欠席したのもうちのクラスだけでした。病気にかかりやすいというのか、流行に敏感と言うのか…。

冬本番。インフルエンザが流行すると嫌なので最近は休み時間明けには「手洗い」「うがい」を強制的にやらせていたりします。もちろん給食前にはうるさいです。
(もともと、そういうことはうるさくやらせているのですが…)

健康一番。健康だったら、多少の失敗しても再チャレンジできます。
初めできなかったことも、チャレンジしているうちにできるようになることってたくさんありますから。

普段の生活では、どのクラスよりも元気に暴れ周り、うるさいぐらいはしゃぎまわり、休み時間には大声で歌って踊っているクラスなのに、なぜかそういう子が病気になっちゃうんです。

みなさんも、手洗い・うがいをしっかりして、病気にならないようにお気をつけくださいませ。

追伸…クリックも忘れずにしていただけると嬉しいです。
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つれづれ日記 

2007年01月11日

教育基本法 第二章(2)

教員について書かれた部分
(旧)再掲
2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

(新)
(教員)
第九条
法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し絶えず研究と修養に励み 、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ 、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。


「研修と修養」が教員に対して強調されました。先の部分と合わせて考えると公的な研修会が増加するのではないかと予想されます。そして2項でも「養成と研修の充実」ということが強調されています。

ちなみに、研修とは「研究」+「修養」です。研究とは「子どもをより良くするための方法について学ぶ」という意味合いで、修養とは「教員自信の資質を高めるための努力をする」というような意味です。

昔は修養ということで、読書・音楽会への参加など、教養を高めるということも含まれていたようですが、最近は、それらは修養とは認められなくなったようです。
研修の意味も最近は「研究」に偏っているように思います。
「特別支援教育について」「算数科教育について」「生徒指導について」どれも、研究だと思いますから。

(新)新設部分
(家庭教育)
第十条
父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。


新設された家庭教育に対する部分。「子の教育について第一義的責任を有するもの」と明確に表記しています。「それは学校で教えてくれ」と言い辛くなることが考えられます。

今だと「うちの子が万引きをしたのは学校の責任だ」という発言を時々聞きますけれど、それを抑える拠り所になりそうな部分です。(もっとも、そういう保護者はこの文書を読んでいないでしょうけれど)

生活習慣・自立心・心身の調和どれも、現在学校でやってくれと押し付けられる傾向にある部分です。それに対して教育基本法は「保護者の責任が一番」と言っているわけです。
そのため、その部分に関しては「保護者の指導」を学校がサポートという立場になります。第一に責められるのは保護者という観点になります。

さて、そうなるといじめていた子の保護者を学校が責めても良い。いじめられていた子の保護者がいじめていた子の保護者を責めても良いということになります。
極論ですが(現実的ではありませんが)いじめた子の保護者に対して「損害賠償請求」ができるということです。この部分はマスコミにもう少し大きく取り扱って欲しい部分です。

(新設)
(幼児期の教育)
第十一条
幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。


幼児期とは満6歳までをさしますから、おおよそ入学前の子どもと理解してよいと思います。明確に書かれていませんが、「幼稚園・保育園」の充実とその監督の責任は国と地方公共団体にあるという意味に取れます。お金も出すけれど、口も出す。という関わり方が強まるように思います。

今回取り上げた部分は、新設された部分が多く、「何が付加されたか」ということに話が集中しました。少し、力が入りすぎた部分や過大解釈の部分があるかもしれません。
気づいた点があればご指摘ください。

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教育基本法 

2007年01月10日

教育基本法 第二章(1)

第二章 教育の実施に関する基本
(旧)
第四条(義務教育)
国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

(新)
第五条
国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。


変わったところは、義務教育は9年というところが、別に法律で定めるところによりという表現に変わり、教育年数が変えやすくなっている。これは、一部にはスキップ(飛び級)を実施することを視野に入れているためといわれている。

ところで、スキップの他に落第も可能になるのだけれど…。少子化だから義務教育を延長して子どもの数を増やす?なんてことはないでしょうね。

(新設)
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。


新設の2項ですが、これは「義務教育は学力だけでなく、基本的な資質(生活態度や人格形成などが含まれると考えられる)に対しても責任を負う」と言っているようにも受け取れる。責任範囲の広がりを感じずにはいられない部分です。

3項の「水準を確保」とあるので、公的な研修がこれによって増える可能性があるなぁと思っています。相互の協力の下ということなので、国から制度として研修が制定され、地方公共団体が実施するように思います。責任を果たすためには、今以上に増えるのではないのかと思われます。

(旧)
2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。
(新)
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

ここに「授業料は徴収しない」とある。これは変わっていないのに、ここを拠り所として「義務教育は無料だから給食費は払わない」という主張があるようですが、困ったものです。そういう場合の多くは担任の教員が払うようにお願いに行くわけですが、教員の取立てなんて怖くも何ともありませんから(逆に脅されることもあるようですから)払わないのでしょうね。

(旧) 削除された部分
第五条(男女共学)
男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。


男女共学はもう、今は当たり前となっているから削除されたのかな?そういえば私立の男子校・女子高ってのもどんどんと共学に変わっていますね。

(旧)
第六条(学校教育)
法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみがこれを設置することができる。

(新)(学校教育)
第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体、及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。


私は、2項の部分に注目しています。「必要な規律を重んずる」「進んで学習に取り組み意欲を高めること」を『教育を受ける者』にではなく、『学校がやるように』強制しているわけです。「学習意欲を高めること」はともかく、「規律を重んずる」のは学校だけに求められてもなかなか難しいのではないかと思います。

どこかで、規律を重んずることを教え、実行させなくてはいけないということですから、この点においては、家庭・社会ではなく学校に全責任を持つように教育基本法は行っているように思います。(このあたり、微妙に分かりづらい表現になっていると思います)

次の部分は、「(教員)第九条」として独立 した。そのため、ここではふれずに後ほど話しをしたい。
(旧)
2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

(新)
第七条
大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。


大学の独立性が書かれている部分です。大きな変更も無いと思います。「社会の発展に寄与するもの」ということですから、「実社会で役に立つ」ことがこれから強調される傾向がでるかもしれません。

(私立学校)
第八条
私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。


私立においても、公立と分け隔てなく教育について公的機関がバックアップすることが義務付けられている部分です。公立がダメということを盛んに報道されていますので、それなら私立へという人に対して配慮している部分です。
もっとも、安倍さんは筋金入りの私立育ちですから、母校に気を使っているという見かたもできるかもしれません。

さて、第二章は今回の改訂の中心となる部分なので、この後2回に分けて記事をアップする予定です。読んだ感想、意見などを聞かせていただけると嬉しいです。

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教育基本法 

2007年01月09日

速効を求むべからず(朝日新聞の社説)

朝日新聞の1月4日の社説に「速効を求むるべからず」という記事が掲載された。
教育の明日を語るものでした。
この記事は教育基本法が改正されたことに対する抗議が込められている記事だとは思ったけれど、朝日新聞らしくないというか教師に対する後押しのようなものが感じられた。もっとも、基本的には「教育基本法に反対」という朝日らしい主張が込められているのだとは思うのだけれども。

ここでは、伊藤博文の次の言葉が引用されている。「教育は水がしみこむようにゆっくりと進めるものだ」あわてて教育を変え、速やかな効果を求めてはならないというのである。
もっとも、「教員への締め付けは強めようとしていた」らしいです。実際に文部省(現在の文部科学省)は「小学校教員心得」をつくり、尊王愛国・道徳を教えることを徹底しましたから。

教育基本法が改正されました。その記事の中でも書いていますが(まだ一部しか公開していませんが)今回の改正で私が気になっているのは『細則・時限立法などを適宜利用することで、教育基本法以外の法でも教育に制限が加えられやすい』状態になっていることです。

とりあえず今はこういう形にしておいて、何かあれば『即座に立法し、実施させる強制力を隠し持っている』という狙いがあるように思えるのです。そして、今回その声を上げなければ、次の本番「憲法改正」で同じ手口が使われるように思っているのです。

教育は息の長い取り組みです。結果が分かるまでには工業製品には考えられないような時間が必要となります。それだけに、一時の流行で教育の進む方向を安易に変えないほうがよいと思うのです。
一番困るのは『右だ、やっぱり左だ』と指示を出され、それに合わせてそのつど走らされる子どもたちだと思うのです。

大きな失敗は、大きな損失を招くのが教育だと思うのです。
これは、私が教員だからそう思うだけなのでしょうか?

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つれづれ日記 

2007年01月08日

子どもの数とおせち料理

子どもの数が減ってきている。他業種の人と話をしていたら『子どもの数が減ってきているから、仕事は楽になっているでしょ?』って言われた。
工業製品で製品数を減らせばすぐにそれは仕事が減少するということを意味していますから、そう思うのはもっともだと思うのですが、学校の場合そんなに変わらないという思いがあります。

例えば、40人が35人になったとします。5人分少なくなるのは「テストの採点」などの特殊な業務です。授業はまず変わりません。経験は無いのですが、10人になっても授業の準備などはあまり手間は変わらないと思います。

けれども、これを一般の人に話しても理解してもらうには仕事の内容についての説明をかなりしないと分かってもらえません。

そこで、短時間に分かってもらうために次のような話をしました。

おせち料理作るとするでしょ。一の重・二の重・三の重にそれぞれ煮物・酢の物や焼き物をつめていきます。さて、10人前のおせち料理を作るのに10時間かかったとします。では、5人前のおせち料理を作るとしたら何時間かかるでしょう?

作る量が半分になるので、作る時間も半分の5時間ぐらいで終わるでしょうか?
いえいえ、そんな単純には行きません。では、もう少し時間がかかって6時間ぐらいでしょうか?

答えは約9時間。ほとんど変わりません。
確かに豆を入れる量とかは半分になりますが、それをふっくらとした煮豆に仕上げる時間と手間はそれほど変わらないのです。卵を割る時間は減ったとしても、それにだしや白身魚のすり身を入れたりして蒸す時間は意外と変わらない。
材料を用意して、作業している時間はほとんど変わらないのです。手間が少しずつ(量の分だけ)減るに過ぎないので、時間は思ったより変わらないのです。

少量だけおせち料理を作っても、作業が多少減るだけで、手間は変わらないのです。
『少量だけでも、たくさんの種類を作るから意外と楽にはならないのですよ』と言うとなるほどねぇって納得してもらえました。

うちの市内では、業者テストを購入することが禁止されています。保護者の金銭的負担を軽くするために教師がすべて手作りすることになっています。
これも子どもの数が少なくなると学年の先生が少なくなりますから、かえって手間が増えてしまいます。(人数が多ければ、算数のテストだけを作ればよいものが、人数が少ないと算数と社会と体育とかに増えるわけです。学年が一クラスの場合は全教科作らなくてはいけなくなります)

今回は、お正月ネタなので、教育基本法の記事よりも優先させていただきました。
(教育基本法関係の記事はほぼ全部書き終わりました。後は総括の記事を書き上げる予定です)

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つれづれ日記 

2007年01月06日

岸本裕史さん逝去

岸本裕史さんが逝去されていたというニュースを聞きました。

岸本さんと言ってもピンと来ない人もいるかもしれませんが、100マス計算を考案された方です。「見える学力、見えない学力」の著者でもあり、教育コンサルタントであり、ドラゼミ総監修者でもありました。

私が、実際にお会いしたのは山口のでき学セミナーだった。
先ほど、その講演内容のメモを見返してみた。
『学力と人格』ということで、話をされていた。

学力を上げると人柄もよくなる。
現在はTVによる就学前教育をしている。
個室は妄想とごろ寝のルームとなっている。
確かな学力は長く時間がかかる。
先生が楽で効果があること。
学力の低い子は荒れる子。
脳の発達は夜に起こる。
高い学力は読書量によって支えられる。
本を読まない子は学力が伸びない。
豊かな学力を育てるには、1に根気・2に根気・3,4が根気で5に集中

メモをみながら、いろいろと思い出した。
教育において、退職後も様々な場面で活躍し続けた岸本さん。
改めてご冥福を祈ります。

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思い出ばなし 

2007年01月05日

教育基本法 第一章(2)

第一章には新設された項目があります。
それが次の第三条(生涯学習の理念)です。これは安倍さんの提唱する「再チャレンジ」とも一致する部分ではないかと思います。

(生涯学習の理念)
第三条国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

ところで、「社会の実現が図られなければならない」とありますが、この責任を持つのはどこなのでしょうか?素直に理解すると「政府」となると思います。つまり、この部分は「政府の活動を強制する」部分でもあると言うことです。
社会教育・生涯教育が広く実施できるようにすることを政府に求めている部分ということだと思います。(もちろんそれを実際に行う地方公共団体に対しての圧力でもあると思います。)

さて、次に教育の機会均等について述べられています。先の新設部分がありましたので、条項の数字がここから先は一致しなくなっています。

(旧)
第三条(教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
(新)
(教育の機会均等)
第四条すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

ここまでは、ほとんど変わっていないでしょう。というか、表現を易しくしただけで意味している内容は同じだと思います。
新しく付け加えられたのは、次の文です。

(新設)
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。

特別教育に関する支援をしなくてはいけないという制約を政府および地方公共団体に課した部分だと思います。今までの教育基本法でも網羅していたという指摘もありますが、ここに書き加えることでいっそう明確になったと思います。
「教育上必要な支援を講じなければならない。」というのですから、人的支援・金銭的支援をこの条項を元に要求することも可能だと思います。

実際にはそれが「教育上必要だ」ということを国や地方公共団体に説明する資料を作成する必要が生じてきますので、難しい面はありますが、可能性としては以前よりも高くなったように思います。

(旧)
2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。
(新)
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

この部分は、内容は同じなので良いでしょう。
ここまで見てきて、過去の教育基本法よりも平易な文章・指示している内容を明確にしている部分が多く見られます。
個人的な見解では、(新)の方が理解を得やすい部分が多いのではないかと思っています。

新学期に入る前に何とか記事を仕上げたいなぁと思っています。
間に合わなかったときは、少し間が開くことになると思います。ご了承ください。
(他の記事が入ると思います)

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教育基本法 

2007年01月04日

教育基本法 第一章(1)

今日は、教育基本法の第一条と第二条です。教育の目的と方針の部分です。
まず、第一条(教育の目的)です。
(旧)
第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(新)第一章教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


付け加えられたのは「民主的な」という部分。削られたのは「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」という部分。
目標とする国民の姿からこれらが削除されたわけです。それが「必要な資質」という言葉に置き換わったわけです。もっとも、その「必要な資質」については後に(第二条)に書かれていますから、削除というよりも表現方法が変わったということだと思っています。私としては、新の方がすっきりと項目立てしてある分見やすいかなぁと思っています。

(旧)
第二条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

(新)第一章教育の目的及び理念
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。


第二項の「自律の精神」第三項に「男女の平等」や「主体的に社会の形成に参画」・第四項の「環境の保全に寄与する態度」第五項の「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」ってのが新しく付け加わった部分かなぁと思っています。

自律の精神ってのは学級崩壊や少年犯罪に応えて付加されたように思います。それ自身間違っているとも思いませんし、明確にしたことの意味があると思います。
男女平等・社会の形成に参画については時代背景を考えると必要な表現だと思います。環境の保全も環境問題が話題になっている昨今の状況を考えると必要な部分だと思います。
ここで、問題とされるのが「愛国心」につながる第五項だと思います。

他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与するという表現は多分文句はどこからもつかないと思います。尊重するけれど、盲従する必要は無いわけです。また、外国に屈服するだけでは自国の国民の平和と安全を守れないでしょうし、日本だけが平和で安全という事は今後の国際社会ではありえないでしょうから、大切な部分だと思います。

ところで、「我が国と郷土を愛するとともに」というこの前提ですけれど、ここをどう解釈するかです。

私は、自国や郷土を愛するということをここで強調しているとは思っていません。「…とともに、」という表現の場合は、並列ではあるけれど「どちらかというと後半部分に重きを置いている」と思うのです。
つまり、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」を重視するという意味に取れるのです。

他国を尊重するのであって、盲従するのでも服従するのでもないのですから、対等な関係を持つには自国のことも知り、自国の歴史・文化についての理解をもっていないといけないと思うのです。

自国と他国の違いをぶつけ、それをすり合わせる中で、両国にとってベストな距離を探るのが外交だと思っています。
その意味で、外国に合わせ過ぎる傾向があった外交は「土下座外交」などと揶揄されてきたのだと思います。

私は、この部分までは特に問題にすることも無く、「時代の流れを教育基本法の中に明文化した。」と理解しています。
さて、皆様方の解釈はいかがでしょうか?

追伸…ブログは文字のみの交流ですので、細かいニュアンスまでは伝え切れません。(ブログの表現・交流には限界があります
誤解を招くような誇張した論調(文体・表現)になると接点が探しにくくなりますので、そのあたりを少し考慮してコメントの文体を考えていただけると嬉しいです。
(〜の部分は○○ではないでしょうか?といった書き方にして欲しいです。)

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教育基本法 

2007年01月02日

年賀状書き

年賀状は正月に書くと決めてもう何年にもなる。
子どもにも住所を聞かれるので全員に教えるけれど、決して全員が送ってくるわけじゃない。人によっては「まず先生から年賀状を出す」という人もいるけれど、私はしない。子どもにも「送ってくれた人には返事を書いて出します」と言うだけ。
喪中(親戚や別居している場合など分からないこともあるので)などいろんな事情があるのでそうしている。

一応、子どもには次のことを注意している。
印刷でもよいけれど、必ず「直筆で一言書き加えること」「自分の住所をしっかりかくこと」

これは、私の都合でもある。「あけましておめでとうございます」という印刷だけだったら、どんな返事を書けばよいというのだろう。
だから、基本的に自分のことを中心に一言書いてほしいと思っている。
そして、もう一つの「自分の住所」だけれど、これは年賀状の返事を書くのは自宅とは限らないので、いろんなところで書いている。すぐに送りたいと思うのだけれど名前だけしか書いてないと送れない。

私の場合個人情報を学校から持ち帰らないので、子ども住所を調べるためにわざわざ学校へ行かなくてはいけなくなる。それは困るから郵便番号と住所はしっかりと書くように言っている。

まぁ、目上の人に年賀状を出すときの最低限の気配りだと思っています。
優しい人はきっと先生から出すんだろうなぁ。でもね、相手が喪中だったら…かっこ悪いですよ。それに、「どうして返事を出さないんだ」って休み明けに言うのもなんだかなぁって思っている。

出してこない子は「何か事情があるなぁ」って思えばよいのではないかな?と思っています。それが私にとって気楽な実践でもあるわけです。

ちなみに、最近は返事書くの早くなりましたよ。(リピーターは住所とかが登録してあるから、印刷しちゃいますからね。)

それでは、今年もよろしくお願いします。
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sevenstarslight at 07:28コメント(10)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2007年01月01日

出てきた資料

新年あけましておめでとうございます。

年末に大掃除をしました。私の部屋はここ数年で山のように未処理の資料が増えてしまいました。長期休暇に自宅で研修を取ることができなくなったため、その時期にしていた資料整理が滞ってしまったからです。

そんな資料を整理していたら、古い新聞記事を見つけました。
2004年12月19日(日)の朝日新聞の記事です。
PISAの学力テストでフィンランドが一位をとって、どこにその原因があるのかが話題になった頃の資料です。
記事ではフィンランドの授業の様子やカリキュラムなどを紹介していました。

そして、中に次のような記事を見つけました。
『トウーラ・ハータイネン教育相にフィンランドの教育について聞いた。』
という記事です。
以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−
現状では、優秀な学生が大学の教育学部に集まるが、今後は他分野に進む若者が増えるはず。教職をいかに魅力的な仕事にするかが重要だ。給与水準の引き上げ。非常勤講師を減らして終身雇用を増やす。教師の継続的な教育機会を設ける。こうした施策によって将来も優秀な教師を確保したい」
−−−−−−−−−−−−−−引用終わり

教職をいかに魅力的な仕事にするかが重要。
そのためには、
1.『給与水準の引き上げ』
2.『終身雇用を増やす』
3.『継続的な教育機会を設ける』


日本の教育改革でやろうとしていることとの差を感じます。
3は共通しています。日本もフィンランドも同じです。
でも、1.2が全く違います。

これは、フィンランドが『教育予算を取る。人件費にお金を出す。』
と言っているのに対して、日本は『教育にお金を出さない。』と言っているのです。

やる気がある人が教師をやって欲しい。その思いは共通していても、なぜか給与を引き下げる話(日本)と給与を引き上げる話(フィンランド)と、出した結論は全く逆です。

安定した教育を提供したい。そのためにフィンランドは『終身雇用』を増やすことにしました。日本は『人件費を抑えたい』ということで『非常勤講師』で間に合わせることにしました。

『世界の中に、優秀な人材を提供し、国を豊かにしたい』
そんな気概を感じません。目先のお金に固執する小賢しさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

PISAで優秀な成績をというのなら、現在好成績を挙げている国にこそ教育行政をどうするかという手本を求めるべきではないでしょうか?

追伸…正月の初めの記事にしては力が入ってしまいました。
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こめんと