2007年11月

2007年11月29日

ちょっとのことで作文は変わる

先日「ひげうさぎ先生のだれでも書ける文章教室」を紹介しましたが、それを早速教室で試してみました。
一番は「禁止ワード」です。(一文一義などはすでに指導していたので)
ひげうさぎ先生が提案する日記の禁止ワードは3つです。
「今日」
「私・ぼく」
「思う」
詳しくは本を読んでいただきたいと思います。
(ここに詳しく書いてしまうと著作権を侵害していると言われかねないので)

そして、それから子どもの作文が見事に変化しています。
「今日、僕は○○をしました。△△だと思いました。」
という文を禁止したのですが、それによって無駄な言葉が削られ、文章がスピーディになりました。
さらに、「見たこと」を詳しく書くことを強調したので、その時見えていたものを描写する作文も出てきました。

本当は、どんな作文だったのかを公開すると良く分かるのでしょうけれど、子どもの作文には子どもに著作権があり、WEB上では簡単に公開できないのが残念です。

まだ、始めて2回しか日記を書かせていないのですが、子どもの作文が大きく変わっている気がします。手ごたえ十分です。

下校前に日直が作文を発表しているのですが、そこでも指導できますし、よい点を指摘したり、その日の日記の中から良い物を紹介することもしています。

文章ってのは、ちょっとしたことで変わっていくものだと感じています。
もちろん、下地には4月から続けている作文指導(日直作文以外にもたくさんの作文を書いていますから)という積み上げもあるとは思いますが、今回の禁止ワードってのは、とても有効な方法だと感じています。

興味を持った人は一度「ひげうさぎ先生のだれでも書ける文章教室」を探して実践してみてはどうでしょう。かなりの人にとって参考になる書籍だと思います。
図書館で検索してみるのも良い方法だと思います。

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つれづれ日記 

2007年11月25日

ひげうさぎ先生のだれでも書ける文章教室

今回は、図書館で見つけた本の紹介です。
ひげうさぎ先生は、ウェブネームです。
実際、以前ネットでちらりと見かけたことがありました。そのため、図書館でこの書名を見つけたときに手にとって見たわけです。

今回は作文(日記)についてでした。
普通に「日記を書きなさい」と言うと、どうしても「やったことの羅列」になりがちです。それを打ち破り、子どもに「今まで惰性で書いていた日記」からどうやって脱皮させるのかが始めの章に書いてありました。

これを読んだだけでも、この本の価値は十分にあると感じました。
その後も、ちょっとした言葉で、教師が意図する作文に近づけるにはどのようにしたら良いのかが示されています。今、日記を書かせているんだけれど、どうも文章に深みが無い。以前読んだ作文と似たような作文ばかりになる。という悩みを持っている人にはとても参考になる本だと感じました。

あとがきを読んでみると、この先生が実に多くの人から学んでいることが分かります。
宇佐美寛先生・井関義久先生・向山洋一先生・野口芳宏先生・有田和正先生。
いずれも教育界ではビッグネームの人達です。
そういった人達から学んだことに、ご自身の実践を通して感じたことや経験したことを書き綴ったのがこの本です。

作文指導について考えるとき、ぜひとも参考にして欲しい書籍だと思っています。
ちなみに、この本は柘植書房新社(〒113ーOO33 東京都文京区本郷1-35-13)から2005年に出版されています。(当時1500円+税金でした)

興味がある人は一度探してみてください。

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つれづれ日記 

2007年11月24日

図書館はありがたい

私の住んでいるところの図書館は10冊まで借りることができます。
インターネットを使って予約することも可能です。
蔵書に無い場合も、書名や出版社などを書いて提出すると新しく購入していただける場合もあります。(最近、希望する人が増えたようで、なかなか教育関係の本は購入してもらえないのですが…)

これがすべて無料!
購入していたらと考えるとどれだけ助かることでしょう。
月に20冊借りるとして、1冊がおよそ1000円と考えても約2万円です。年間では20万近くのお金が助かることになります。
もちろん、後日読み返したいとか、確認したいということで再度借りる場合も無料ですからこんなに助かることはありません。

さらに、「来週までには返さないといけない」という気持ちが読書に向かわせてくれます。何とかその日(期日)までに読みきろうと頑張れます。

買ってしまって読んでない本があることを思えば、とても良い刺激です。

そして、図書館には読書スペースがありますし、冷暖房もあります。
私なんか本に囲まれているとそれだけで幸せな気分になります。
(私の部屋は実際に本であふれかえっています。そのために床も強化しましたので)

図書館ってホント便利ですよ。

それになんと!最近の図書館ってCDやDVDの貸し出しをやっているところもあるんです。
最新のものはなかなか無いようですが、それでも気楽に楽しめるのがよいところです。みなさんも、週末には図書館に出かけてみてはいかがですか。

追伸…ヒアルロン酸の注射を現在も続けています。ジョギングができるまでに回復しました。階段は相変わらず不安なので手すりから手が離せませんけれどね。

追伸2…12月が近づくと、成績処理のシーズンに入ります。(うちは3学期制です)
記事の更新をしばらく休むことになると思います。ご了承くださいませ。

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読書記録 

2007年11月22日

事務局として

縁あってある人の教育講座の事務局を勤めさせていただいている。
かれこれ5年になるから年数だけは多いと思っている。
今年は日程的に厳しい面もあり、今までよりは参加者数が減っていた。
けれども、少人数であるだけにアットホームな雰囲気で参加者がのびのびと意見交換をすることができたのではないかと思っています。

教育に関してのバッシングは少なくありません。教師に対しても公務員に対してもバッシングの数は増えることはあっても減ることは無いような感じです。

それは、一部の教員・公務員の不祥事がマスコミに登場するからであり、すべての公務員・教員が不祥事を起こしているような風潮になってはまずいと思っています。
実際、私が事務局をしている教育講座は休日に有料で開催しているものです。
参加費もお世辞にも安いとはいえないと思っています。
けれども、毎年のように参加してくださる人や、新たに参加し、「とても有意義で素晴らしかった。来年も参加したい」という声をたくさんいただきました。

それは、教員の質が急激に落ちているのではないことを示していると思います。

教育については、「誰でも意見が言える」と思います。
それだけに、近年価値観の多様化が起こり、「この方法なら万人の賛同を得られる」という方法が減ってきたのも事実だと思います。
けれども、一人ひとりの教員が、「自分の信じる価値観に沿って自腹を切って自己研修に励んでいる姿」はどうしても伝えたいと思うのです。

今回、私は事務局ということで黒子に徹し、あれこれと忙しく動き回りました。それすら、「接客業」である教員にとっては意味のある研修だったのではないかと思っています。
丸一日研修会の事務局として参加者の先生方と同席させていただいたことを感謝しています。

追伸…最近、飲み屋で「公務員なんてみんな汚いことやっている」って発言を聞いて悲しくなりました。新聞で報道されるのは氷山の一角というとらえ方もあるでしょうが、「ごく一部」というとらえ方もあるのではないかと思うのです。
一事が万事というとらえ方は、危険な気がしています。

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つれづれ日記 

2007年11月20日

島田 紳助 「ごはんを大盛りにするオバチャンの店は 必ず繁盛する」

島田 紳助 「ごはんを大盛りにするオバチャンの店は 必ず繁盛する」正直に言うと、この本はまだ途中までしか読んでいない。
だから、全体的なことは未だつかめていないというのが、正直なところ。
けれど、前半を読んでいて気になることがあった。
教育に直接関係していることではないけれど、これだけは書いておきたいと思ったので今日、書いておきます。
もしかしたら、全部読んだときに、「この解釈は間違っていました」と訂正することになるかもしれないけれど、その時はごめんなさい。

島田紳助という名前を知らない人は、おそらくあまりいないだろう。
彼はテレビの司会などで活躍するタレントだ。
タレントが出した本だからある程度は売れるというのだが、この本はそれを差し引いても興味深い本であると思う。

私が一番気になったのは「従業員の満足度」という言葉。働く人がその仕事に対してどれだけ愛着を持ち、仕事を楽しんでいるのか?という視点。
それが達成されれば、顧客満足度も上がっていくのだという主張。

実は、これと似た話を以前読んだことがある。今はもう書店では売っていないと思うけれど、(何しろ、20年ぐらい前に出版された本だから)「これがサンリオの秘密です。」辻 信太郎 (著) 扶桑社という本。
従業員が仕事を楽しいと感じることで、仕事の効率を上げていくという考え方。
働く人が生き生きと楽しさを感じてくれることで、そこに来てくれたお客さんの満足度も高まるのだという考え方。

合理的ではないといわれるかもしれないが、「人間が人間に接する仕事」には、多かれ少なかれ、「働いている人」の表情などに顧客の満足度は比例するのではないかと思っている。
「いつリストラされるのか…」と思いながら、笑顔でお客に接することは難しい。

教員に限らず、現在多くの仕事は「サービス残業」を期待されている部分は多くないだろうか?「仕事を楽しむ」という日本古来の伝統が「欧米化」して、「働くことは苦役」となっていないだろうか?
どの職業も、働いている人が「仕事を楽しみ、誇りを持てる構造」を目指して欲しいと思っている。

誰に言えば良いのかは良く分からないけれど、そうなった時に、日本の力がぐうんと伸びるのではないかと私は信じている。

追伸…教育とは直接関係の無い話でごめんなさい。

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読書記録 

2007年11月15日

作文指導(野口流の継承)

作文指導の基本は野口芳宏先生のやり方を真似している。
野口先生の作文指導の基本は

(1)多作であること
(2)日直作文による日々の指導
(3)個々の作文に対する添削は行わない
(4)作文には朱墨でたくさんの○をつけることと評価する誉め言葉を添える

であると思っている。
基本的に私はこの4つに気をつけて作文指導をしている。
沢山書かせているが、一つ一つの作文に対して添削したことはない。
日々の日直作文の中で良いところ(真似して欲しいところ)を誉め、さらに「ここを変えるとよくなる」というところを1箇所指摘して直すぐらいです。
(直さないこともあります)

題材は通常の日記・物語の再話・空想日記(ウソ日記)・なりきり作文・なりきり作文の返事・お礼の手紙・物語の続き作り・絵作文など様々な種類を出している。
行事があれば、その作文を書かせている。
もちろん、授業で作文の構成について説明したり、書き出しの方法などについて説明して課題に沿った作文を書かせるようにしていたりはするけれど、基本的にはあまり工夫をしていない。

原稿用紙はB5サイズで400字詰めのものを自作している。
これは、書き出しの位置が薄く示してあったり、日付を書く部分や名前を書く部分が明示してある。また、複数の原稿用紙に渡るときには糊付けしてばらばらにならないように「糊付け」の部分が作ってある。

工夫しているようだけれど、基本的には野口先生のアイディアに沿った原稿用紙を使っている。

追伸…最近、齊藤 孝さんの「作文力」という本を読みましたけれど、齊藤さんの主張には野口先生に通じる部分が多くありました。今年一年はこんな感じで作文指導を続けようと思っています。
内容的には高まりがあるのかどうかは不確かですけれど、書くスピードは確実に速いです。作文を嫌がる子もほとんどいないのは大きな成果ではないかと思っています。

追記…笑顔さんから質問があったことを中心に記事にしました。
   不明な点があればご質問ください。分かる範囲で答えたいと思います。

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つれづれ日記 

2007年11月14日

目の力

目の力
  − 育てる目・見守る目・憧れる目 −

               七星 来人

誰かが話を始めると
60を超える瞳が
ひときわ大きく開いた

声のするほうを見つめる目は

時には
 間違いは許さないぞ
        という厳しさを持ち、
時には
 がんばって最後まで話して
        という慈しみを持ち、
時には
 どんなことを言うのだろう
        という期待を持ち、
時には
 あんな風に発言できたら…
        という憧れを持ち、

そんな瞳の力に
 鍛えられ
 守られ
 育てられ

一人ひとりが、主役であり
一人ひとりが、監督であり
一人ひとりが、観客である

そんなクラスの授業だった

温かくも、
 決して妥協を許さない
成長を喜び、
 怠慢を決して許さない

あんなクラスに育ててみたい
60を超える瞳に見送られ

そっと教室を後にした

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ちょっとした詩 

2007年11月13日

人の記憶力

人の記憶力ってどのぐらいあてになるのだろうか?
時々他のブログを見て歩くのだけれど、「一人の証言」で判断されるのは正しいのだろうか?という思いがある。それは冤罪ではないのだろうか?という思いである。

私も以前似たような経験がある。
(随分昔の話なのだけれど、個人情報とも関わるので、少し脚色を入れます)

担任外のクラスに、登校拒否の児童(ここではA君としておきましょう)がいました。A君は算数がとっても嫌いです。繰り上がりの足し算は指を使えば何とかできるものの、繰り下がりの引き算になると逃げ出してしまいたくなるほど苦手でした。

ある時、図形の学習をやっていました。
非常に簡単な問題を出したのですが、A君は答えられません。
そこで、補足説明を繰り返し、答えを暗示しました。
再度A君に確認します。(今の説明が分かったかどうかを知りたかったので)
やっぱり答えられません。

再度、下位概念から一つ一つ説明を繰り返します。
これで分かったかどうか確かめるためにA君を指名しました。
やはり答えられません。
単元は始まったばかりです。このことが理解できていないと、この先の学習は全く理解できるはずがありません。これは譲るわけにはいきません。
再度、説明を繰り返します。(もう、指名しませんでした)

それから半年ほど経ってから、A君の母親が教育委員会に電話をしたと聞きました。
内容は次のようなものです。

A君は算数の時間に連続して何度も指名されいじめられた。
学校に行きたくないと言っている。先生が怖い。
先生に「殺す」と言われて、刃物を突きつけられた。
学校に行くと殺されるから行きたくない。
そう言ってその後A君はしばらく登校しませんでした。

「子どもがそう言っているのだから、間違いない」
保護者も管理職もそう言って受け付けませんでした。
けれども、実際には「何度も指名して」いじめたわけではありません。
A君は算数という苦痛から逃れたかっただけなのです。

ここまで読んで気づかれたと思いますが、連続して指名した後もA君は半年間、普通に登校しています。
それから、『半年経って登校拒否』をしたのです。

とても不自然な話だと思います。(ついでに言うと、それ以降A君にはほとんど指名をしていません。宿題の答え合わせなどで、「確実に答えが合っている」時に当てたこと以外はありません。)

A君は、何らかの原因で学校に行きたくなくなり、それを納得させるために過去の思い出を探し続けたに違いありません。そして、その話を誇張し、聞き手(この場合は主に母親)を味方につけるために大げさな話(刃物の話)を付け足したに過ぎません。(T.Tで授業していたのですから、同僚に聞けばそれはすぐに分かりますが、『同僚の先生はかばって嘘をついているから信用できない』と言われました)

人の記憶は揺らぎやすいのです。
特に時間が経ってからの話は、信憑性が薄いのです。
記憶には、忘却と自分に都合の良い話が混じっていくものです。
特に一人だけの記憶はあてになりません。
人は無意識のうちに「都合がいいように」考えたいものだからです。

『嘘も百回繰り返せば真実になる』とかのヒットラーは言ったといいます。
これも、人の記憶のいい加減さを表した言葉だと思えるのです。

近年、歴史に関していろいろな話が出てきています。
沖縄の集団自決。南京大虐殺。
私は、近代史とはいえ、人の証言だけに頼るのは非常に危険だと思います。

文書・史跡など証言に頼らないで歴史を冷静に分析することは、非常に困難だと思いますが、「死人に口なし」とばかりに不確かな証言だけを信じて、死人を悪人に仕立てるのは古い日本人の私にはどうも馴染めない。
(南京大虐殺の例を挙げれば、当時の人口を調べれば『大虐殺があった』という証言のいい加減さは明白であるにも関わらず、「証言者がいる」というだけで『大虐殺はあったのだ』という主張をするのは過去の人物に対する冒涜だとさえ思っている)

自分が良い人になろうとするとき、一番簡単なのは『他の人の悪行を責め立てる事なのだ』
そして、理性ある人ならば、『昔の○○はひどい人だ。私はそれを糾弾する良い人だ』という「安易な良い子」になろうとする心と、戦わないといけないと思う。

何が事実であり、何が「記憶の産物」なのかを冷静に見つめないといけないと思う。
時間が経ってからの証言は、気をつけたいものだと思う。

追記…最近、ニュースキャスターが「こんなに悪い人がいるんですよ。許せないですね。私は良い人だから、許しませんよ。」という態度がどうも気になるのです。いつのまにか「被害者の側に立って悪を責める」という立場にニュースキャスターがなっているような気がするのです。

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つれづれ日記 

2007年11月12日

日記の宿題

今年は例年に無く日記など作文の宿題を出すことが多い。
日本語で考える力をつけたいという思いからだ。

マンガを見て、そのストーリーを書くという宿題も出した。
有名な童話のパロディも宿題に出した。
行事があればその都度、その時の様子を作文に書かせた。
お礼の手紙も些細なことでもできる限り書かせた。

先の週末、日記の宿題を出した。
ある男君がいきなり叫んだ。
「やった!○○のことが書けるぞ!」
日記の宿題を出して、大喜びされた。
こんな経験は今までになかった。

たくさん書くことで、『書く』ということに抵抗がなくなってきたのだろうか。
ある男君は作文が苦手な児童だ。てにをはも間違えることがあるし、促音(っ)も間違っていて、後で訂正させることも多い。

そんなある男君だけに驚きがあった。
思い返せば、最近は「日記の宿題」を出すと「もう一枚原稿用紙を下さい」という子の数が増えて来ている。

書く機会が増えることで「自分の考えをまとめて文章にする」ということに喜びを見出す子どもが増えたのかもしれない。
そうだったら嬉しいのになぁ。


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つれづれ日記 

2007年11月10日

タクト

タクト
           七星 来人


真っ黒なスーツに身を包み
 観客に背を向けて立つ

目を閉じて 神経を 耳に集中させ
 心で感じる 理想のオーケストラをめざし
            ゆっくりと呼吸を整える

バイオリンに軽く視線をおくり
  ビオラの気配を感じつつ

木管楽器の一群の
  呼吸の乱れを感じて
            ふと、タクトを止める



打楽器のリズムを意識して
  ゆったりとタクトを動かし始める

  ピッコロは ピッコロの旋律を
トランペットが 目立ちすぎないように
  打楽器は  目立ちすぎず
      引きこもりもすぎず

ドラの出番は少ないけれど
  彼がいなくちゃやっぱり困る

トランペットは主役だけれど
  独善過ぎてはチト困る

大太鼓は目立たないけれど
  しっかり音をだしてくれないと
  和音がうまく広がらない

様々な楽器 様々な音
 どれもこれも素適な音色
       かけがえのない音色

一つ一つの楽器の音を活かしながら
独自の和音を育てていきたい

今日も 観客に背を向けて
     ゆっくりとタクトを振り出す

それぞれの楽器の 新しい音を 求めて
         新しい音を めざして


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ちょっとした詩 

2007年11月08日

アイサツ【公事円(こうじえん)より】

教室という一種独特の公共の場所
そこで起こる様々な事件・トラブルをなくし、円く治めるためのキーワードをつづった「公事円」(造語です)気に入ってもらえたら嬉しいです。

アイサツ【愛察】
相手の愛ある行動を察し、それに感謝し、応えようと思うこと。またそうしようとする態度。
基本は挨拶にある。
なお、対義語として相殺(あいさつ)がある。

アイサツ【相殺】
相手を憎み、殺してやろうと執拗に思うこと。また、その態度。
基本は無視(シカト)にある。
対義語として愛察(あいさつ)がある。


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公事円 

2007年11月06日

様々な家庭の事情(2)

いる子は木曜日になると欠席することが目立ちます。
運動が得意ないる子は、少し離れた所にあるクラブチームに参加しています。土日はもちろん朝から夕方近くまで練習しています。
また、平日である水曜日の夜も10時近くまで練習をしています。そのため水曜日は帰宅が11時頃になります。水曜日は下校すると食事も車の中というハードスケジュールです。

当然宿題なんてやっている時間はありません。移動する電車の中で宿題の一部ができればOKという感じです。
この子も前回のある子同様去年は登校拒否傾向があると言われていました。

様々な家庭があり、それぞれが自分の考えるベストの教育をしているのでしょう。
けれど、それで学校を休んだり、登校拒否になるというのはどうなんでしょう。

学校教育の立場というか、世間が認めている学校の価値は一昔前とは比べ物にならないぐらい下がっているように思います。スポーツスパルタとも思えるような行為も「さくらパパ」とか「チチロー」なんかの例を思い出すと、一概には否定しづらい状況です。

子育ては、それぞれの家庭のルールで、責任を持って行えば良いのだろうか。
もっとも、これらの家庭は、虐待する家庭よりは良いのかもしれないけれど、それで本当によいのだろうか。私の疑問は尽きない。

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つれづれ日記 

2007年11月05日

察すること

察すること
            七星 来人

察すること
それは
 相手の心を想像すること
相手が何を考え
   何を望んでいるのか
相手の心を考えて
相手の気持ちに
   寄り添うこと


察すること
それは
  自分の過去を見つめること
  自分の何が原因で
相手をそうさせているのか
相手の態度を手がかりに
  自分の行動を
 振り返ること

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ちょっとした詩 

2007年11月04日

様々な家庭の事情

先日、ある子さんが登校しませんでした。
他学年の兄弟のところに確認に行きましたが、その子も欠席連絡もなく登校していません。職員室に戻ってもやっぱり欠席の連絡はありませんでした。

そこである子の家に電話をしました。
「ただ今電話に出ることができません。御用の方はまた後でお電話ください。ブチッ」
留守番電話は、こちらのメッセージを受け取ることなく、機械に録音された音声を流した後、電話をそっけなく切ってしまいました。

今度は母親の携帯に電話をしました。
何度も呼び出し続けたら「はい?」とかなり寝ぼけた声。
明らかに今起きたばかりの様子です。ぼんやりとしているのか、なかなか事情がつかめない様子でしたが、最後には「今から二人とも送っていきます。」との返事。

結局ある子はその1時間後に母親に連れられて登校してきました。

ある子は去年まで「登校拒否傾向がある」と言われていた子です。
いじめられている。学習意欲を無くしている。様々な憶測が飛び交っていました。
でも、私は家庭の事情もあるのでは?という思いを持っています。

母親は夜遅くまで働いているわけではありません。それでもこんなことがあるのです。きっと私の知らない別の原因があるのでしょう。
しかし、その家庭の影響をある子がモロに受けているとしたら、去年までの登校拒否傾向は、本人に起因するものではないのかもしれません。

家庭の事情にまで踏み込むことはできませんが、様々な家庭の姿が垣間見られることが多くなったように感じています。

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つれづれ日記 

2007年11月02日

返事をすることは人間関係の基礎ではなかったのか

先日、就学時検診というものがありました。来年一年生になる子の健康診断を行うものです。視力・聴力・内科はもちろん、知能検査なども行います。

その場で気になったことは、「○○君」とか「○○さん」と子どもの名前を呼んでも、全く返事ができない子(声が声として聞こえない子)が多数派であるということ。正確な数字ではないけれど、名前を呼んでも9割以上の子が黙ってこちらに歩いてきた。
もちろん、初めての場所で初めての人が呼んでいるのだから、当然戸惑いはあるだろうとは思う。いつもは元気に返事をしているのに、今日はできなかっただけかもしれない。

ふと、思い出してみると昔は「元気な子」ってのがある程度の割合でいたような気がする。それは1割程度だったかもしれないけれど、その子の返事につられて大きな声で返事をする子が何人かいたような気がする。

今回は元気な子に出会わなかった。
それは偶然かもしれない。

けれど、緊張してカチコチになっているわけではなかった。補助についていた6年生の子を蹴飛ばしたり、殴ったり大暴れした子は一人ではなかった。
注意をしても「そんなの関係ねぇ」とばかりに走り回った子の話は尽きなかった。

「名前を呼ばれたらはっきりとした声で返事をしなさい」
そういうことは、最近の保育園も幼稚園も言わないのかなぁと思えた。
返事をしないが、喋れないわけではない。むしろ昔よりも多弁な子が目立っている。
聞かないけれど、喋っているという感じと言った方が正確かもしれない。

今の子は「無視される」ことをとても嫌がる。その割りには自分は返事をしないというのは、人間関係が「相手からの反応を求める」という受身だけに偏っているように思う。

この先、この子達はどんな人間関係を築くのだろう。
相手の行動を求めるだけではいけないと思うのだけれど…。

私の心配が杞憂で終わることが、今の望みです。

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つれづれ日記 
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こめんと