2006年12月03日

いじめについて

先回の記事にはharukaさんからたくさんのコメントをいただいた。
いじめられている方は、どうしたらよいのだ。いじめている方よりも、そちらのことを考えるべきじゃないのか。ということはよく分かります。
いじめられている方の人権・学習権の保護が今はされていない。ということもよく分かります。

それでは、どうしたらよいのか?
私は、まず『どうしていじめがこれほど深刻になったのか。』から考えてみたい。

なぜ、昔はいじめで自殺が無かったのか?
一つ目は、みんなが生きるのに必死だった。という時代背景もあるだろう。
二つ目に、「卑怯なことを憎む気持ち」が子どもの中にあった。ということもあると思っている。『卑怯なこと』とは、『後ろから襲うこと』『一人を大勢で攻めること』『仲間を裏切ること』などである。
それを子どもたちは『人として最も恥じるべき行為』として教育されていた。

これは、誰がやっていたのか?少なくとも学校ではない。
多くは家庭教育(両親と祖父母・兄弟)と社会教育(地域社会)だった。

しかし、現在この二つは瀕死の状態である。地域社会と子どもとのつながりは非常に希薄になった。家庭も祖父母が同居することが減り、兄弟も減った。両親は離婚が増え、仕事に追われて『愛情よりも金をくれ』と言わんばかりの家庭も出現してきて、それが珍しくなくなってきた。

先の野球の例を引用すれば、ライン際を担当していたレフトとライトが働かなくなっている。そして、本来「カバーに回る」ことしかしてこなかったセンターが、すべての打球を処理することになった。この状態はセンターが疲弊するだけで、何の解決にもならないことは自明の理である。

すべての打球の処理をセンターに望むなら方法は一つだろう。
『教育にお金をかけましょう』それも、『人材確保』で。
野球の例で言えば、センターを増やすのです。動かないレフトとライトの代わりに動けるセンターを一人でも二人でも増やすのです。
人数を増やすのはインチキだというかもしれないけれど、学校関係の仕事をしている人からすれば、当然の方法。

ただ、金がかかる。だからやりたくないだけ。

こう書くと、『優秀な人を採用すれば(無能なものを解雇すれば)採用人数を増やさなくてもできるんじゃないの?』って言う人がいるかもしれないけれど、先の野球の例で言えば、『センターにイチローを守らせれば、ライン際の打球まで処理する』と言っているようなものです。それでは解決になりません。

凡愚でよいのです。人数を増やせばよいのです。
スクールカウンセラー・図書館司書・様々な大人を雇えばよいのです。目が増えれば、気づきやすくなります。気づけば救えることもあります。
目が増えることで、いじめられた子をフォローする人。いじめていた子をフォロー(再教育)する人。教科を中心に教える人。と仕事が分担できます。

別室に追いやれば、解決するという単純な問題ではないのです。
別室に追いやれば、問題はその時は隠れていても、やがて大きく育って『地域に返ってきます』
いじめられた子を救いたければ、人間をください。
いじめていた子を救いたければ、人間をください。

人間は日本が誇る『大きな資源』です。少子化になり、人は『貴重な資源』です。
すべての人が活きるように、生きていけるように。
教育にお金をかけてください。
教育に人間をください。
すべての教育を学校の責任にするのなら、お金をください。人間をください。

現場の声はみんな一致しています。海外の例を見ても、人員を増やすだけでいじめが減っています。なのに、なぜ日本はその手をとらないのですか。
日本がいくつかのものを失って、今のいじめがあります。
そこを解決しようとしなければ、先は見えてこないと思います。

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sevenstarslight at 08:12コメント(5)トラックバック(1) 
日本が失ったもの 

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トラックバック一覧

1. いじめた子の更正 大河内清輝君自殺の場合  [ 新しい窓の可能性〜窓あきシート学習 ]   2006年12月04日 11:24
一昨日、大河内清輝君のお父さんが出演した報道番組の最後に ナレーションでこんなことを言っていたのをご存じでしょうか。 彼をいじめていた4人の同級生のうち3人が毎年命日に焼香に訪れるという。 彼らは、事件後、??ate-2退

コメント一欄

1. Posted by さとう   2006年12月03日 10:54
おっしゃる通りだと思います。

教員のほとんどはそこそこです。
優秀な教員は少なく、
劣悪な教員は、わずかです。
(控えめに言いました。優秀な教員はけっこう多いのです。)

以下の記事に、納得できました。
http://cala99.at.webry.info/200611/article_9.html

悪意と不信感だけで教育改革。
だれのための改革なのでしょう。
2. Posted by ごんべ   2006年12月03日 17:11
大賛成です。

同じ教員という立場だからかもしれませんが、本当に現場の声はみな同じです。

なのに何故そうならないか・・・
安易な合理主義は人間教育にふさわしくないということに国は気が付いていても企業の理念には負けてしまうのかもしれませんね。

教師や学校に競争原理を持ち込み、給料や学校予算に反映される日もそう遠くはなさそうな昨今。
ますますギスギスした人間教育になっていってしまいそうで不安です。
3. Posted by 七星 来人   2006年12月03日 23:11
さとうさん>
多分、同じ記事を読んでいますね?
誰のための教育改革か?多分それは政治家のための教育改革でしょうね。
ごんべさん>
安倍さんの教育改革は未来の日本のためという考え方は無いように思います。
予算削減、愚民化政策の一環だと私は重っています。違うかなぁ。
4. Posted by 新しい窓1113   2006年12月04日 11:34
先生の立場でここまで書かれるのは大変なことだと思っています。少し応援させてください。
この記事にTBさせていただきました。
不適切ならご連絡ください。削除します。
5. Posted by 七星 来人   2006年12月05日 00:25
新しい窓1113さん>
トラックバックに記事の引用ありがとうございます。
私は、どこかを責めればよい。見えないところに隠せばよいと思っていません。
現場は、みんな何とかしたいのです。それでも公教育では人員削減が行われています。図書館司書も教員が兼任しているところがたくさんあります。スクールカウンセラーも学期に1回程度来校するだけのところが多いと聞いています。
そして、そのカウンセラーが来るために膨大な資料を準備しています。
凡愚な教員でよいのです。まずは目を増やすこと。手を増やすこと。足を増やすことだと思っています。
教員免許更新というのは、一見不適格教員を発見するのに有効なようですが、凡愚でよいのです。とにかく人手が欲しいのです。

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