読書記録

2008年01月15日

怒りをコントロールできない子の理解と援助

hirarinさんから紹介されてから、何度も読み直した本。
それがこれ「怒りをコントロールできない子の理解と援助」(著:大河原美以)
この本は、「診断名をつけてそれで解決したつもりになっている(自分にはできることが無いと思っている)教師」には、耳の痛い話だろう。
「あの子はADHDだから…」
「あの子は虐待されて育っているから…」
「あの子はLDだから…」
「あの子はアスペルガーだから…」

私は毎年のようにADHDと思われる子、行為障害・反抗性挑戦障害の子を受け持ってきた。診断された子を持ったことも一度や二度ではない。
しかし、その多くは3学期を迎えるまでに劇的に変化していった。

どうしてきたのか、それは実は言葉にうまくできないでいた。
その時、その時に自分がベストと思う言葉をかけ、向き合ってきた。行為を修正することも模範を示すことも、じっと待つこともあった。
細密な記録をとっていれば、再現性もありきちんと言葉で説明できたかもしれなかったけれど、毎日怒涛のように連発する行為を正確に記録するのは困難だった。

だから、「なぜ、そうするのか?」と聞かれても、言葉にできなかった。
「今までの経験」としか答えられなかった。

この本を読みながら、「ああ、こういうことなんだよなぁ」と自分の行為の中で説明ができなかった部分が言葉で説明されているのをある種快感である。

「しつけ」とは安定した大人が子どもを愛することなのです。

この言葉の持つ意味は深く、そして重い。
教師も親も、この言葉の意味を理解して欲しい。
その人には、家のローンがあって深夜まで仕事をしなくてはいけないのかもしれない。時給の高い夜間や深夜の仕事に従事しなくては生活できないのかもしれない。

けれども、一度立ち止まってこの言葉を理解して欲しい。
あなたは大人ですか。
大人というのは、どういう意味なのですか。
子どもを愛するというのはどういうことなのですか。

この本は、決して片手間に気軽に読めるような本ではない。
寝転がって読んだり、電車の中でパラパラと読めるような本ではない。
この本は、読者に強く語りかけてくるから。
自分を見つめながらしか、この本を読むことはできないから。

また、そういう姿勢で読み進めなければ、この本の意味は分からないだろう。
もっとも、そうやってこの本を読み進められる人は大人であり、すでに問題の半分は解決できるような人なのだと思うのだけれど。

できれば、この本を「時間が無い」と子育てに力を入れられないでいる人にも、伝えていきたいと思っている。本当に必要としているのは、そういった人達だと思うのだから。

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2007年11月24日

図書館はありがたい

私の住んでいるところの図書館は10冊まで借りることができます。
インターネットを使って予約することも可能です。
蔵書に無い場合も、書名や出版社などを書いて提出すると新しく購入していただける場合もあります。(最近、希望する人が増えたようで、なかなか教育関係の本は購入してもらえないのですが…)

これがすべて無料!
購入していたらと考えるとどれだけ助かることでしょう。
月に20冊借りるとして、1冊がおよそ1000円と考えても約2万円です。年間では20万近くのお金が助かることになります。
もちろん、後日読み返したいとか、確認したいということで再度借りる場合も無料ですからこんなに助かることはありません。

さらに、「来週までには返さないといけない」という気持ちが読書に向かわせてくれます。何とかその日(期日)までに読みきろうと頑張れます。

買ってしまって読んでない本があることを思えば、とても良い刺激です。

そして、図書館には読書スペースがありますし、冷暖房もあります。
私なんか本に囲まれているとそれだけで幸せな気分になります。
(私の部屋は実際に本であふれかえっています。そのために床も強化しましたので)

図書館ってホント便利ですよ。

それになんと!最近の図書館ってCDやDVDの貸し出しをやっているところもあるんです。
最新のものはなかなか無いようですが、それでも気楽に楽しめるのがよいところです。みなさんも、週末には図書館に出かけてみてはいかがですか。

追伸…ヒアルロン酸の注射を現在も続けています。ジョギングができるまでに回復しました。階段は相変わらず不安なので手すりから手が離せませんけれどね。

追伸2…12月が近づくと、成績処理のシーズンに入ります。(うちは3学期制です)
記事の更新をしばらく休むことになると思います。ご了承くださいませ。

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2007年11月20日

島田 紳助 「ごはんを大盛りにするオバチャンの店は 必ず繁盛する」

島田 紳助 「ごはんを大盛りにするオバチャンの店は 必ず繁盛する」正直に言うと、この本はまだ途中までしか読んでいない。
だから、全体的なことは未だつかめていないというのが、正直なところ。
けれど、前半を読んでいて気になることがあった。
教育に直接関係していることではないけれど、これだけは書いておきたいと思ったので今日、書いておきます。
もしかしたら、全部読んだときに、「この解釈は間違っていました」と訂正することになるかもしれないけれど、その時はごめんなさい。

島田紳助という名前を知らない人は、おそらくあまりいないだろう。
彼はテレビの司会などで活躍するタレントだ。
タレントが出した本だからある程度は売れるというのだが、この本はそれを差し引いても興味深い本であると思う。

私が一番気になったのは「従業員の満足度」という言葉。働く人がその仕事に対してどれだけ愛着を持ち、仕事を楽しんでいるのか?という視点。
それが達成されれば、顧客満足度も上がっていくのだという主張。

実は、これと似た話を以前読んだことがある。今はもう書店では売っていないと思うけれど、(何しろ、20年ぐらい前に出版された本だから)「これがサンリオの秘密です。」辻 信太郎 (著) 扶桑社という本。
従業員が仕事を楽しいと感じることで、仕事の効率を上げていくという考え方。
働く人が生き生きと楽しさを感じてくれることで、そこに来てくれたお客さんの満足度も高まるのだという考え方。

合理的ではないといわれるかもしれないが、「人間が人間に接する仕事」には、多かれ少なかれ、「働いている人」の表情などに顧客の満足度は比例するのではないかと思っている。
「いつリストラされるのか…」と思いながら、笑顔でお客に接することは難しい。

教員に限らず、現在多くの仕事は「サービス残業」を期待されている部分は多くないだろうか?「仕事を楽しむ」という日本古来の伝統が「欧米化」して、「働くことは苦役」となっていないだろうか?
どの職業も、働いている人が「仕事を楽しみ、誇りを持てる構造」を目指して欲しいと思っている。

誰に言えば良いのかは良く分からないけれど、そうなった時に、日本の力がぐうんと伸びるのではないかと私は信じている。

追伸…教育とは直接関係の無い話でごめんなさい。

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2007年08月30日

祖国とは国語

いろいろと考えさせられる本だった。
それが今回紹介する「祖国とは国語」藤原正彦(新潮文庫)

この本は連載されていたエッセイなどを集めた書籍なので、どことなくまとまりが無いという感じは否めない。内容も「教育」に関する提言・主張と思われる章と「家族」に関するショートコントのような章と「終戦前後」の思い出の地(満州)を再訪する家族旅行をまとめた章とがあるから、まとまらないのはいたしかたないだろう。

このブログの趣旨からも、第一章の「国語教育絶対論」を中心に書こうと思います。

この章で主張されていることは「国語教育の大切さ」
言語をしっかりと身につけないと、思考そのものが未熟なものになる。
「読むこと」が国語教育の根幹であり、最も重視されなければいけない。
日本の文化は国語の理解があってこそ継承できる。
古典の朗読・暗唱によって言葉のリズムが理解でき「美しい言語が身につく」

ちなみに著者の藤原正彦氏は「国家の品格」の著者でもある。
しかし、藤原氏の本業は数学者である。数学者が「一番大事なのは国語だ」と言っているのです。私も専門は国語ではないのですが、近年「一番大事にしなくてはいけなのは国語だ」と考えていましたから、素直に読み進めることができました。

また、国語教育以外では「個性の尊重」を批判していらっしゃいました。
少し引用してみよう

以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−
『個性の尊重』により苦手、嫌いが個性として大目に見られる。単なる甘やかしとおもねりが、『個性の尊重』という美しい言葉の魔力により、子どもへの『理解ある態度』と変貌するのである。
子どもの個性のほとんどは悪い個性であり、それを小学生くらいまでのうちに正すのがしつけであり教育である。
この厳しい過程の中で、子どもは傷付くことを繰り返しながら我慢力を身につける。家庭教育と学校教育は、機会を見て個性を踏みにじることから始まる。国民が、『個性の尊重』などという美辞に酔いしれている限り、この国の将来はおぼつかない。
−−−−−−−−−−−−−−引用終わり

個性の尊重は私自身大変疑わしいものだと認識していました。今だから言えるのですけれど、昔MLが盛んだった頃に同様の主張をして激しい口論(?)になったことを思い出します。
教員の中には、こういう考えは嫌いな人がいるようです。でも、「すぐに、かっとなってけんかっぱやい」という他の人との差異点を個性とは私は呼びたくないのです。
これは直さないと人間関係にひずみを生じます。本人もいろいろな点で不利です。

巻末に斉藤 孝さんが「こんな人に文部科学省大臣になってほしい」と書いていましてけれど、伊吹さんにも読んでもらえないかなぁ?なんて思いました。

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2007年08月28日

南京事件 「証拠写真」を検証する

偏っていると言われることを承知で、この本を紹介します。
南京事件 「証拠写真」を検証する(東中野修道・小林進・福永慎次郎)草思社発行
です。
ちなみに、この本と前後して(写真集)「南京大虐殺」などを読んでいます。

おそらく、こういう書籍をじっくりと読む時間は、こういった長期の休みの時にしかとれないだろう。そう思いながらこの休みは南京事件などに関する書籍をたくさん読んだ。

たくさんの証拠写真・証言を見るたびにその残虐性に驚いた。

ところで、この本を読んでいくと「あれ?あれれれ?」という気持ちになる。
例えば、南京事件を伝えるときに、この写真を見たことは無いでしょうか?

この写真を見ると、戦争の悲惨さ、そして一人残された子どもの哀れさがしみじみと感じられ、こんな酷いことをするとは…という怒りの感情も湧いてきます。

ところが、これは南京の写真ではありません。
これは「上海」で撮られたものです。(元の写真にはSHANGHAIと赤鉛筆で書かれているとか!)それも軍事物質の集積場。
そして、この写真には前の部分があるのです。男の人が男の子をそこに連れて行き、おいてくるところの写真です。
そう、やらせ写真なんです。

こちらの写真も有名な写真です。「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」にも掲載されている証拠写真です。
でも、これは変。南京事件は12月です。冬なのにこの格好ですか?
足元の影も冬にしては短すぎます。

いろいろな残酷な写真を集め、それを「日本軍が南京で行った」と説明をつけている写真がこのほかにも多数紹介されていました。

「南京事件があった」ことは疑いの無いことでしょう。実際に戦死の記録もありますから。でも、南京ではない写真まで含めて「南京でこんなことがあった」と言われるのは、先祖に対する冤罪そのものではないかと思えてきます。

黄 文雄氏(台湾出身の評論家)が「中国人は古代の昔から贋物づくりの名手で、伝統でもあるので、これは普通のことです。私は若い頃から戦場をめぐる写真贋造の話は噂で聞いていて、実物をみたこともあり、今日見せていただいたのと良く似ていたので、あヽあの手の種類だなと思い出します」と語ったことも忘れてはいけないだろう。

そのほかにもトリミングにより中国人を消したもの。意図的に墨で塗りつぶしたもの。切り貼りで作ったものなどが紹介されている。

気になる人は、図書館などで「南京事件」に関する写真集などとこの本を見比べてみるとよいと思います。

追伸…雪国ではそろそろ新学期が始まっているでしょうね。こちらも新学期の準備を着々と始めています。読書三昧の日々もそろそろ終わりそうです。

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2007年08月25日

教科書から消された偉人 隠された賢人

今日紹介しようと思うのは、「教科書から消された偉人 隠された賢人」(濤川 栄太)発行:イーグルパブリッシング です。

この本に登場する主な人物を挙げてみよう。
吉田松陰  徳川慶喜  山岡鉄舟  近藤勇    土方歳三 
武田信玄  上杉謙信  毛利元就  柴田勝家 
坂本竜馬  勝海舟   西郷隆盛  高杉晋作   大久保利通
東郷平八郎 乃木希典  新渡戸稲造 山本五十六

歴史に興味がある人なら「知ってる知ってる」という名前ばかりだろう。
どの人も日本の時代を生き、その時代に大きな影響を与えた人物です。

歴史の学習を「記憶物」ととらえると、無味乾燥な気がするけれど、昔の賢人の知恵を学ぶ、偉人に対する憧れを持つことが歴史の学習だと思えば、この人達は取り上げてもなんら遜色はない人物ではないかと思う。

学習内容が削減されたことにより、教科書での扱いが薄くなった人もいれば、参考資料にさえもほとんど登場しなくなった人もいる。歴史は時間と共に膨大な量になっていくのだから、削除される部分がなければ、学ぶことは増加する一方であるとも言える。

けれど、歴史の学習で取り上げないのなら、「道徳」の時間でこういった人達の復活を図ってはどうだろう?「すごい人がいた」「こんな人になりたい」「こういう生き方がカッコイイ」などといった感動を子どもの心に生み出すのではないだろうか。

尊敬する人と聞かれて「両親」と答える人が多いという話を聞いたことがあるけれど、「尊敬する人」は「身近にいないような突出した人」であってもいいと思う。
誰もがこんな人になれるとは思わないけれど、憧れる気持ち、近づきたい気持ちそういう気持ちが自分の行動を美しくしていく気がする。

昔、「金八先生」の中で、坂本金八先生が、「坂本竜馬」にあこがれ、その肖像画を見ながら「こんなとき坂本先生だったらどうしたんでしょうか?」と話しかける場面があったが、「偉人に学ぶ・偉人に近づこう」という心が金八先生を成長させるのだと思う。

教科書には登場しないけれど、若者が憧れる偉人・若者をひきつける賢人が日本にもたくさんいたことを、今の人にも伝えたいと思いました。

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2007年08月18日

いわゆる「A級戦犯」を読んで

お盆休みになり、ぽっかりと空いた時間ができたのでいろいろな本を読んでいます。中心は最近興味を持っている近代史に関わるものが多いです。

今回取り上げるのは、小林よしのりさんの「いわゆるA級戦犯」(幻冬舎)という本です。小林よしのりという名前を聞いて「右翼の漫画家だ」と思って続きを読むのを止めてしまう人がいるかもしれないけれど、この本はA級戦犯について割りと淡々と説明している部分が多い。

ところで、A級戦犯という言葉は知っていると思いますが、どういう意味だと思っているでしょうか?「A級」というのは、「B級」「C級」に比べて犯罪の度合いが酷く、重い罪を犯したという意味に理解していないでしょうか?

恥ずかしながら、私もB級戦犯・C級戦犯という言葉があるのだから、A・B・Cは犯した罪の重さだと勝手に思っていました。

でも、それは間違いでした。A級戦犯として28名が起訴されています。そのうち死刑は7名。獄中死7名です。(後は終身刑などです)しかし、B.C級戦犯でも1061人が死刑になっています。A/B/Cは刑罰の重さではないのです。

では、どう区別したかというと
A級は戦争を遂行した国家指導者など
B級は戦場で命令する立場にいた指揮官など
C級は実行した兵隊など
という区分だそうです。

そしてこの戦犯のうちA級戦犯を裁いたのが有名な「東京裁判」です。これは、いろんな意味で問題のある裁判であることは有名なところです。
冤罪もあったのではないかという想像も難くありません。

事実を史料から読み取り、汚名挽回・名誉回復のチャンスがあってもいいのではないかと私はこの本を読みながら考えました。
もちろん、これ以外にも「南京虐殺」などについてもいろいろと本を読みました。歴史の奥深さ、そして真実はどこにあるのかを考えることが大切ではないかと思いました。

靖国神社・A級戦犯など、マスコミが意識して流している情報は一面的な事実でしかないのではないか?そうやって疑いながら、様々な文献を調べて近代史を理解していくことが現代を生きている私たちが、祖先に対する礼儀ではないかと感じました。

安全で平和な国に生まれた自分の幸福を感じながら、その国が生まれ、成長する過程でどんなことがあったのか、先人はその時どう考え、どう対処したのか傲慢にならずに読み解いていくことが、先祖に対する礼儀ではないでしょうか。

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2007年07月16日

がばいばあちゃん

図書館で予約しておいた本がようやく届いた。本当は予約したことをすっかり忘れていた。
まぁ、ちょうど3連休中に届いたから、都合が良かった。

休みでもあるので、お弁当を作って山の中へドライブ。そして木陰の涼しい場所を探してそこでゴロリと横になって読んだ。
川の流れる音。木々の葉がこすれあう音。森の中の青い匂い。

どれもこれも「がばいばあちゃん」の世界を感じさせてくれる。車の音さえもう少し聞こえなければ、言うことはなかったけれど…。(それは連休中では無理ですよね)

貧乏だけど、うちは明るい貧乏。先祖からの貧乏。
明るく、楽しく生きている姿を垣間見ると、笑えると同時に力がわいてくる。

三連休。いろんな本(やっぱり教育関係が多い)を読んだけれど、たまには時間の流れない淀んだ空間で、まったりと本を読むのがいいなぁ。

もうすぐ、夏休み。読みたい本はいっぱいあるけれど、研修・出勤・出張などなど、やっぱりまったりとした時間は短い。けれど、ここでしかできない読書もあるような気がする。

もうすぐ夏休み。図書館の季節がやってこようとしている。

sevenstarslight at 23:09コメント(0)トラックバック(0) 

2007年05月14日

最近読んだ本

今日は最近読んだ本の紹介です。
「AD/HD(注意欠陥/多動性障害)のすべてがわかる本」講談社:1200円
健康ライブラリー イラスト版 監修 市川宏伸(東京都立梅ヶ丘病院院長)

この本は題名どおりADHDについて書かれている本です。職業柄こういう類の本はよく読んでいるのですが、この本の優れているところは「イラスト版」であるということ。それも1つのテーマについて見開きでわかりやすくまとめられていること。

どちらかというと、保護者向けに書かれているという印象だけれども、ADHDの子供に対して保護者・地域・学校・医者がそれぞれどう対応したらよいのかがわかりやすくまとめられている。

ADHDについて保護者に説明しようとするなら、この本から必要な部分をコピーして渡すというのも良い方法ではないかと思いました。

一度ADHDかな?と思われる子どもの対応に困っている人は読んでみたらどうでしょう。参考になる部分が多いと思います。


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2006年11月16日

必読書リスト!

読書週間が終わったけれど、実はあまりその結果には満足していなかった。読んだ量からすると多分他のクラスよりは断然多いと思う。(学校の目標に達しなかった子が少ないという意味)まぁ、学校の目標ページのほぼ倍の量をノルマとしていましたから。(達成できなかった子は2名)

でも、読書記録を見ながら満足できなかった。読んでいる本がいわゆる最近のやわらかい話ばかりなのだ。「ずっこけシリーズ」が悪いわけじゃない。「にん玉乱太郎」がいけない訳じゃない。「こまったさんの料理シリーズ」が悪いわけじゃない。もちろん、そういう人気のある本を読むことも大切だと思う。

でも、この子達は「世界の名作」と呼ばれるようなお話にいつ出会うんだろう。自由に本を選ばせていては、こういう本に手が伸びないのではないだろうか。「日本の偉人」について、思いをはせることはあるのだろうか。「世界の偉人」に心打たれ、自分もその世界に近づいてみたいと思うことはあるのだろうか。

自由読書も良いけれど、じっくりと腰をすえて読まなくてはいけないような本も読ませたい。そういう願いから「必読書リスト」を作成しました。
とはいっても、お金をかけることはできませんから、図書館から『4年生に読ませたい。読んで欲しい』という本を私が選び、「必読書リスト」を作成し、その本を学級文庫としました。

冊数はクラスの人数+1。長いお話だから、机に持ち込んでも良いこととしました。ただし、自宅への貸し出しはしません。(学級文庫は持ち帰り不可になっているので)3月までに読んで欲しい。と言いましたが、長編が多いので全員が全部読めるとは思いません。また、普通の4年生には難しいかなと思うようなお話も数点入れています。この本を読んで考えて欲しい。もう少し経ってから読み返すことで、今と違う自分に成長している姿に気づいて欲しい。

自己満足かもしれません。余計なおせっかいと言われるかもしれませんけれど、私みたいなのが薦めなければ、こういう本を四年生は読まないのかもしれないと思ったからです。それというのも図書室で本を探してみたら、「名作」と言われる本の少ないこと。伝記・偉人伝も少なかった。

図書館にあるのは子どもに人気のある「やわらかい本」が中心だった。声を上げないと、今に「過去の名作」は学校の図書館から姿を消すかもしれない。自由読書が最も良いと主張する人がいるけれど、それによって「漫画に近い本ばかり読む子」が多くなったように思う。
食事で言えば食べやすい「おかゆ」のようなやわらかいものばかり食べていると言えばよいのだろうか。時には「するめ」のような硬いけれど、噛むほど味が出るものを食べさせないといけないのではないか。

私がクラスの子に渡した「必読書リスト」そこには1/4のおかゆと1/4の普通食と1/4の骨付きの魚と、1/4のするめが含まれている。本当はおかゆは入れたくなかったけれど、少しは読める本も入れておかないと一冊も読めない子が出ると思ったから。

どうなるか分からないけれど、私は、子どもと楽しみながら鍛えたいと思っている。作文指導・音読指導・漢字指導は毎日のように繰り返しているが、作文を考えるとき、名文を知ることはとても意味があると思っている。そのためにも「名作」に触れさせたいと思っている。乱読から精読へ。そのためのステップは学校でしかできないとも思っているから。

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2006年10月28日

今こそ武士道の復活を

「武士道」って聞くとどんなイメージがあるんだろう?

武士は食わねど、高楊枝というやせ我慢のイメージ?
「切捨てごめん」という傲慢な態度のイメージ?

私は「武士道」ってのはある意味では「日本人の美意識」だと思っています。
「ルールを守らないのは格好悪い」というような道徳意識にもつながっていたような気がしています。

急にどうしてこんなことを書き出したかと言うと、今話題の「高校での必修科目の未履修問題」について考えていたからでしょう。
私が武士道で思い出すのは「決闘」のシーンです。
一対一で戦い、そこには明確なルール(美意識)があります。ルールを守らないと「武士の風上にもおけない…」と言われてしまうからです。名誉を重んじた文化と言い換えても良いと思います。「家の名を汚すな」というのも同じような意味合いで使われていたように思います。

さて、そういった観点で今回の事件を考えてみると???なのです。
カリキュラムなどは「どの教科を何単位(時間数)教える」というルールがあります。そのルールを破って勝負(この場合は受験)に勝とうという考え方が見える気がするのです。

先の決闘の例で言えば、遠く離れた背後から銃で撃つような感じです。そこにはルールはありません。「とにかく勝つためにはどうしたらよいか?」しか思考がいっていないような気がします。もちろん、保護者や生徒からの要望があったのかもしれませんし、競争に負けると「学校の名誉が傷つく」という部分があったのかもしれませんが、「ルール違反が見つかれば、それ以上の不名誉」という思いは無かったように思います。

「勝てばよい」という結果優先の結果ともいえるのではないでしょうか?
「武士道」と聞くと、「古臭い」「血なまぐさい」と拒否反応もあるでしょうが、古く日本人の中に入り込んでいた価値観ではないかと思うのです。
「武士道は日本人の宗教だ」という考えもあると思います。それによって倫理観が保たれていた部分は確実にあると思います。

少年非行にしても、今回の問題にしても、「生き方の美意識」が薄れているように思います。学校で道徳を教えるならば、そのあたりをもっと意識して「清貧」の価値を見出しても良いのではないかと思うのです。
「美しく生きる」これこそが「美しい国、日本」につながるように思うのです。

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2006年10月25日

読書の秋

秋になるとスポーツの秋だと運動会。勉学の秋だと学習発表会。
学校は秋になると大忙しです。
さて、秋になると「読書の秋」ということで、読書活動に力を入れる学校も多いのではないでしょうか。

読書週間とか読書月間とかいろんな活動があります。
良書精読とかも良いし、多読も良いと思います。
私は今回「課題付き多読」を子どもたちに話しています。
読書の質は比べられないので、学校で行う活動はもっぱら「多読」が多いのですが、『多読だけではもったいない』と思っています。

中学年には読ませたい本ってのがあるのです。
それは伝記。それもイチローとかマツイとかの現代のヒーローじゃなくて、昔の偉人達の伝記。野口英世とか、コロンブス・リンカーン・エジソンなど少し前ならみんな知っていたような人物の物語。

読んだ後に、親子で感想を話し合ってもらえたらベストだと思っている。
(保護者がまず知っているような人物だと、例え親が忙しくて一緒に読んでいなくても話し合いが成立するような気がしているからですけれど)

そして、失敗に負けない人間の強さ・たくましさ。逆境に負けないで立ち向かう人間の勇気や美しさに気づいてもらいたいと思っている。
そういった人に憧れる気持ちが育ってくれれば、嬉しいなぁと思っています。

まぁ、姑息ですけれどクラス目標(当然学年目標よりも遥かに高い)を達成したらごほうびをあげる約束になっています。
さらに、今回はクラスの目標の二倍を達成したら「すばらしい商品」をあげることになっています。(もっとも、この「すばらしい商品」は学校に死蔵されていた物品なんですけれど。子どもたちも「埋もれていたもの」ということは知っていますが、何かは知りません)

姑息なんだけれど、ちょっと思い出に残る品。自慢できる品じゃないかなぁと思っています。春の読書では目標達成どころかほとんど本を読まなかった子がいましたが、今回はせめて学年目標は達成させたいなぁと思っています。

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2006年10月23日

現代のDEATH NOTE

以前にもDEATH NOTEを取り上げたことがあるけれど、今回は二度目。
前回とはちょっと違った思いがあってエントリーを書こうと思っています。

DEATH NOTEとは名前を書かれたら、その人が死ぬというノート。
そのノートを巡ってのストーリーなのだが、現代にはこのデスノートが存在しているような気がする。

名前を書かれたら死ぬ。
書く人物の顔が頭に入っていないと効果はない。

主人公の夜神月(やがみ・らいと)はこのノートを手にし、「世の中を変えてやる」と思うようになる。そして、「(夜神月が認める)まじめで心優しい人間だけの社会を作る」ことをめざし、凶悪犯罪者の名前をデスノートに書き始める。
そして、「道徳のない人間、人に迷惑をかける人間を病死や事故死で少しずつ消していく」ことにした。

直接手を下していないだけに「殺人」という罪の意識はそこにはない。

さて、私は現代にはデスノートが存在しているような気がする。ただし、それは一冊でもない。書き込むのに必要なのはインターネットに接続できる環境だ。

気づいた人もいるだろうけれど、それは2チャンネル・ブログをはじめとするインターネット。もちろん、マスコミもそれに含まれている。

例えば何か事件を起こしたとする。それが未成年であって本名が報道されていなくても2チャンネルなどの掲示板では名前が書かれたりする。顔写真すら出されることがある。
名前と顔がみんなに知られることで追いつめられ、その後の人生のやり直しが不可能になる場合も多々あるのではないだろうか。また、マスコミに取り上げられそのために電話・メールなどで周りから責められ追いつめられていく例は珍しくないのではないだろうか。

確かに罪を犯したことは責められても仕方ない部分もあるだろう。けれど、そのことで個人的な攻撃(メール・嫌がらせの電話など)を許すことはいけないと思う。これは私刑ではないだろうか。法治国家としては法で裁く以外の行為を認めてはいけないと思う。
ただ、書き込んでいる人たちはそんなつもりは多分無いと思う。けれど、そこに名前を書かれた人はどうなるのだろう。そこに顔写真が掲載された人はどうなるのだろう。

確かに死刑に値する犯罪者もいるだろう。けれども、懲役と言っても「執行猶予」がつくような犯罪者に対しても同じようなことをしていないだろうか。
これが現代のデスノートなのだろうか。

DEATH NOTE
How to use it

このノートに名前を書かれたものは死ぬ。
書く人物の顔が頭に入っていないと効果はない。
ゆえに同姓同名の人物に一遍に効果は得られない。
死因を書かなければそれはすべて自殺になる。
もしくは、就職が阻害されたり、再就職もできなくなり、収入が大幅に減らされる。社会的に存在が抹消されることもある。その後人間界で生活できなくなり、別の世界へと旅立つこともある。

このDEATH NOTEは使うべきではない。
死に神も、現代にやっかいなDEATH NOTEを落としてくれたものだ。

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2006年10月22日

火の鳥(鳳凰編)

手塚治の代表作に「火の鳥」という漫画がある。ご存じの人も多いことだろう。
先日、ふとこの話を思い出した。たくさんある中の『鳳凰編』という話だ。

簡単に言うと、この話は「我王」という一人の男の物語である。
不遇な身の上に育った我王は人殺しを続け生活していた。それがある僧との出会いから仏像づくりの才能を開花させる。けれど、過去の悪事がばれて、唯一残されていた右手をも失い、都から追放されるという話である。

これを思い出したのは、人生に『再チャレンジ』が許されないのでは?という思いがあったからだろう。

手塚治は『ブッダ』にも同じようなキャラクターを登場させている。過去に何人もの人の命を奪ったアナンダやタッタである。この二人もブッダに影響され、ひとかどの人間に成長していく。

仏教の思想なのかもしれないが、悪人であってもその罪を心から改めようとすれば、人は変わることができ、再チャレンジできるという話は良く登場する。

では、実際にはどうだろう。強制わいせつ罪に問われた芸人は所属プロダクションを解雇され、芸能界への復帰はできないだろうと言われている。
飲酒運転をした教員はたとえ自転車であっても懲戒免職を含む処分を検討されている(一部確定している自治体もあるらしい)この教員も再び教壇に上がることはできないだろう。(臨時採用でも今の情勢では難しいと思われる)

飲酒運転は確かに誉められる行為ではない。けれど、それでその人から職業を奪い去ってしまってよいものだろうか。教員という仕事での間違いではない。何人もの命を奪ったというような許し難い罪でもないように思う。
その人の(職業に対する)才能を他の間違いを理由に奪ってしまうのは「失敗を絶対に認めない社会」ではないのか。「再チャレンジ」なんて夢物語ではないのか。

厳罰化は、今の世の中の流れだけれど、本当にそれで良くなるのだろうか。

科学的に証明されている訳ではないけれど、こんな話を聞いたことがある。
「働き蟻のうち、本当によく働いているのは8割で、2割の働き蟻は実は怠けている。けれども、その怠けている蟻を取り除いて、よく働いている8割だけの集団にするとやはり、その中の2割の働き蟻は働かなくなる」

実は、この話には続きがある。
「逆に怠けている2割の働き蟻だけにすると、その中の8割がよく働く働き蟻になる」
過去に失敗をしたからと、問答無用と排除するだけで問題は解決しないのではないか。今は「職を奪う」「収入を減らす」ことばかりに力が入っているけれど、それは全体の生活レベルを落として行くだけではないのか。
収入の二極化を意図的に広げて行くだけではないのか。さらに言えば、二極化の底辺だけをいたずらに増加させることになるのではないか。

「何か問題があればすぐに辞めてもらう」という一見正当性を持った意見に縛られ、「自分も切り捨てられる状況になりつつある」ということに気づいていないのだろうか。それとも、「自分は切り捨てられたから、他のやつも同じように切り捨てられたらいいのに!」という思いなのだろうか。
他の人がそうやって転落していくのを見て、溜飲を下げているだけではないのだろうか。

リストラから始まった流れかもしれないけれど、そもそもそれが間違いだったのではないだろうか。排除の理論は好きになれない。

新任教師がおとなしくなっているのは、「失敗したら職を失う」から失敗しないように何もやらない。と決めているからかもしれない。
40代の教師・50代の教師は、今職を失ったら家のローンが払えない。子どもの教育費が払えない。家族を養えないなどの不安があるから、昔に比べて体当たりで指導できなくなっているのではないか。

火の鳥を改めて読みながら、人生の再チャレンジはとっても難しいことだと改めて感じました。でもなぁ。失敗するから人間で、失敗するから次にそれを生かして工夫して成長していくのが人間だと思うのだけれどなぁ。

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2006年10月15日

好きな本

私の家のトイレには本棚があります。家を改築したときにどうしてもそれだけは作りたかったから。

どんな本が置いてあるかというと「見開きで一つの話題になっているような本」です。つまり1回のトイレで読めるような本ということです。

だからふつう使わないような漢字の説明が書いてある本とか、漢字の成り立ちの本とか小咄の本とか英語の表現の本とかが置いてあります。

それでも、最近一番よく読んでいるのが「歴史物」です。
戦国時代とかの人物の裏話とか俗説とかが書いてある本です。

私が一番好きな歴史上の人物は「徳川家康」です。
中学生ぐらいの時は一番好きだったのは「織田信長」、教師になった頃は「豊臣秀吉」だったのですが、年齢的にも一番好きなのが「徳川家康」に変わってきました。

一番魅力を感じているのは、「人を使う・育てる」という点です。
なるほど、と感じることが多く、「よし、こんなふうに人を育てたい」って思ってトイレを後にしています。

まぁ、徳川家康が嫌いな人にとっては「冗談じゃない!」って思うところでしょうけれど、今の時代織田信長的な人の育て方は難しいと思っていますし、豊臣秀吉のような育て方(人の使い方と言う方が適切かもしれない)も、なかなか難しいと思っています。

だから私は徳川家康に興味を持っているのかもしれません。

教師の修行っていろんなところからできるものなのだと思っています。
大切なのは、その人が「そこから学ぶ気があるか?」だと思っています。

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2006年06月22日

家庭に笑いを

「笑顔セラピー」(野坂礼子KKベストセラーズ)という本がある。
この中に「ある調査では、問題行動を起こす子どもの親の80パーセントは日常的に笑わないと言う結果が出ました。」とあります。

実際、笑わない家庭では「リラックス」する環境にあるのか?と言われると????となりますから、その「欲求不満」の為に問題行動を起こすというのは何となく(経験的にではなく、直感的に)うなずけてしまいます。

笑顔って不思議です。
赤ん坊でさえ、笑います。あの笑顔で周りの人から愛情を独占しようとしているという説があるぐらいですけれど、確かに赤ん坊の笑顔を見るとつられて笑顔になる人が多いように思います。(私はこれを「笑顔が伝染した」と表現しています)

授業の中でも笑いや笑顔って大切だなぁって思います。
笑うことで、いきづまった思考の再スタートができて学習効率も上がっているような気がしています。(単なる思い過ごし?)
リラックス効果もあるような…?(単なる思い過ごし?)

追伸…「語彙が豊かでないとこのジョークは分からないね」という類のジョークもあります。(つまり、ある程度の知識が無いと笑えないジョーク)
時には、3,4人しか笑わないジョークもあります。
「学校で勉強するのは、こういういろんな冗談が分かると人生が楽しくなるからですよ」なんてまじめな顔で言う。でも、これは本心。
洋画だって、原語で聞かないと笑えないジョークはざらにありますから。

「勉強して、難しいジョークが分かるようになる。」これって学級目標としてもちょっといい感じではありませんか?(単なる俺の思いこみ!)

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2006年05月02日

初めて教壇に立つあなたへ

明治図書から出版されている「初めて教壇に立つあなたへ」を読んだ。
もちろん私は「初めて教壇に立つ」わけではない。もっとも、教壇なんて中学校の時以外、私も経験がない。(最近は教壇は無いところが多い)

読みながら、「うん、これはやっているな」という確認みたいなものが多かったけれど、気楽に読めるという点では連休に読むのに適していたと言えるだろう。
けれども、中には「ありゃ、これはやってなかった」と思うこともある。
昔、向山さんに言われたのに忘れていたことをいくつか思い出した。
例えば「机の上に何も置かない」ということ。

今年異動したので、職員室の座席と名簿表を置いている。それを押さえるためにペンケースも置いてある。理科室の鍵も机の上を保管場所に指定されたので置いてある。

異動して、今の職員室に私用のロッカーがないので、すべてのものが机の中に入りきらず、机の上に置いてある物がある。プリントの一時置き場としていた平ぺったい引き出しにはしまう場所のないノートパソコン(備品)を入れているからそれが入らないで机の上に残ってしまっている。

どうも仕事のリズムが作れない。おまけに今までは、机の下に個人持ちのロッカー(キャスター付き)を入れていたのに、ここは置けないように事務机が改造されていた。

漢字スキル・計算スキルは使用が却下されたので使えない。
久しぶりにドリルを使っている。

いろいろと基本から外れていることに気づいた。
職員室の机の上は、急いで何とかしたいと思っている。
とりあえず日々の仕事で使わないファイルを移動し、スペースを空けないといけませんね。さて、連休中にどこまでできるかな?

連休が終わると次は家庭訪問です。
まぁ、今年はすでにたくさんの家庭訪問をしていますので、家が分からないという家は少ないのですけれどね。

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2006年04月17日

公立塾は助けになるか?

読売新聞に塾に通えぬ小中学生に“公立塾”という記事が掲載された。
それによると来年度より公立塾なるものを開設する予定だという。
待てよ?
こうなると先日「塾が忙しくて宿題ができない」って家庭はどうする?
また、家庭で学ぶという習慣(家庭学習)の習慣はどうなるのだろう?
子どもを育てるということが、どんどん家庭から離れて行く気がする。

もちろん良いことだとは思うけれど(教員OBにとっても再雇用のチャンスになるし、生き甲斐にもなるだろう)どうもよく分からなくなっている。

家庭での子どもと親の時間を割く形で進んでいくようなのだが、それだけ日本が貧しい国になっている証拠ではないのだろうか?(夫婦が共稼ぎで長時間労働しなければ食べていけない国になっている証拠?)

無料の塾だから「学ぶ意志のない子ども」が混在する可能性も高い。下手をすると学校の授業の続きになりかねない。
家庭から子どもの姿がどんどん引き離されて親子の繋がりが希薄になっていくような気がするのは私の思い過ごしだろうか?
そんな杞憂ならば良いのだけれど。

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2006年03月30日

学問のすすめ

『学問のすすめ』はあの有名な福沢諭吉さんの書いた本です。
なんだ、今さら紹介しなくても知っているという人が多いと思います。
私も確か大学入試の辺りで「福沢諭吉=学問のすすめ」みたいに覚えた記憶があります。

けれども、大学入試ではその程度の知識で十分でしたから、内容までは実はあまり知らないままでした。(「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」ってぐらいは知ってましたけれどね。)
今回数学者の藤原正彦さんと画家の安野光雅さんの共著「世にも美しい日本語入門」を読んでいたら、藤原さんが薦める本のリストに載っていたので、「一度ぐらい読んでないと教員として恥ずかしいなぁ」と思って読む気になったのでした。

読んでみて「学問のすすめ」は「なぜ、勉強しなくてはいけないのか」についてしっかりと書かれている本だと言うことに感動している。小学6年生ぐらいで社会を学習したら「その一部は理解して欲しい」(初編と二編・三編は小学校の教科書向けに書かれている)と思った。

読んでいくうちに、この本が明治時代に書かれたものだと言うことに正直戸惑う。現代を見透かしたような表現にドキッとさせられる。
人は明治の頃に比べてあまり変わっていないのではないかと思われる。
いや、それどころか武士道が廃って、大衆の文化度(文明度?)は却って落ちているのではないかという気持ちにさせられた。

現代でも福沢諭吉の考えは十分に通用するし、今こそ思い出して原点に返って日本という国の将来に希望を持てるようにしていく必要があるように思えてきた。

有名すぎる本だけれど、まだ読んだことがないという人は一読をお薦めする。読んだことがあるという人も、久しぶりにもう一度読んでみると新たな感動があるように思う。特に小学校の教員・中学校の教員にはお薦めの本です。

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2006年03月25日

教師におくる「指導」のいろいろ

最近、読書記録を書いてなかったけれど、本を読んでいないわけじゃなかった。読んだけれどあまりお薦めではなかったので書けなかった。
(どの本を読んだのかは内緒!)

さて、『教師におくる「指導」のいろいろ』という本だが、実は新しい本ではない。1986年出版とあるから20年近く前の本だ。著者は家本芳郎さん。
この本はつい最近寝る前に枕元において読んでいた本。
まぁ、家本さんを少し思い出したからってのがキッカケなんだけれど。

読んでみて驚いた。20年前の本なんだけれど、今だって十分通用する。
(ちなみに今でも高文研から1300円で発売されている)
管理主義の指導に陥らないためのアイディアがいろいろと書かれている。
読み返しながら、ストンと納得できる。

実際、私の勤務先は管理主義な指導が多い。俗に言う「押さえつける指導」まぁ、校長先生が管理主義的な指導をする先生を高く評価しているのだから仕方ないと思うけれど。
その反動が女性教師に向けられることがある。「強い物に従い、弱い物に牙をむく」という野生の習性?が出ている。

なんとかしたいと思うけれど、その糸口が今一つ自分でつかめなかった。
この本を読みながら、「ああ、そうか。そうだったなぁ」って昔読んだことなのに新鮮に読んだ。家本さんの語り口調までも思い出してしまった。

新しい本もいいけれど、古くても良い物をこの春休みには読みたいなぁと思っています。最近は図書館もインターネットで予約が可能なので、いっぱい予約して今から本が届くのを楽しみにしています。
うーん。こう書いておいて春休み中に「読書記録」の記事が少なかったらどうしよう。
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2006年01月18日

<教育力>をみがく

この本は家本芳郎さんが2004年9月に寺子屋出版から出した本。

はじめは図書館にリクエスト(注文して購入してもらうこと)をして読みました。どんな本か読んでみたいなぁって思ったので…。

読み始めて「うむうむ。なるほど」そして結局なじみの書店に電話して購入しました。

特に気に入ったのは
第1章 教師の<教育力>
第5章 指導力不足を乗り越える    という部分

詳しく書くと周りの人に迷惑をかけてしまうのでぼやかすけれど、『指導力不足を生み出す4つのもの』という部分はうなってしまった。
これに該当すると思われる場面を何度も見てきた。
それも最近特に増えてきたような気がする。

個人的な見解だけれども、真面目で優秀(頭脳明晰)な人が指導力不足と見なされることを経験している。これは狭い範囲でしか見ていないからかもしれないけれど。

第5章は特に最近元気の無くなった先生には読んで欲しいなぁと思っています。読んで少し元気が出てきたところで第1章から読んでいくとまた感じ方が変わってくる気がする。

教師を応援し続けている家本先生の姿には本当に感心している。
いつかそんな先生に近づきたいと思っている。
そんなエントリーも書けたらいいなぁ。

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こめんと