日本が失ったもの

2007年10月21日

自主性を期待してはならない

「自主性を育てよう」なんと美しい言葉だろう。
けれど、これほど育てにくいものはない。

ある講演会で講師の人が次のような話をされた。

私が校長になった年に、
「先生方には、各人それぞれの持ち味があり、得意不得意があるでしょうから、今年は全校での研究テーマを設けずに、一人ひとりが課題を持って研究を深めていただき、それを自主公開という形で発表してください」と提案しました。その年の研究授業はどうだったでしょう?

例年以上に盛り上がったと思う人は○、全くダメだったと思う人は×を書いてください。(しばし時間をとって)
○と書いた人(手を挙げてください)
      パラパラと手が挙がる。

すると、講師の先生は「今手を挙げている人は人間の本質が分かっていません」といわれました。先生の集団ですら、そういう自主性を求めてもうまく行かないのです。
ましてや、子ども相手に「自主性を育てよう」と努力することは大切ですが、自主性を期待してはいけないと思います。

随分前に聞いた講師の人の話を思い出したのは、先日こんなことがあったからです。
いつもの授業でよいので、公開授業として他の先生に授業を見せてくださいという話がありました。
私は別にどうということもないし、慣れっこでもあるので「いいですよ」と快諾し、2週間ほど前に指導案を配った。というのも、その単元すべての日時と内容を示し、「この単元ならいつでもどうぞ」という気持ちからだった。
一応公開は単元の中では、発展問題の場所。それまでの指導の蓄積結果が問われる部分をわざと選んだ。それも、そこに至るまでの時間の中でたくさんの伏線を駆使するから、いくつか見ると私の授業の組み立てだけでなく、単元の組み立ても見える形にしておいたわけです。

公開する日時は明示されましたが、自主学習会ということなので、一切の強制力はありません。誰が来てもいいし、参加しなくても別にかまわないという研究会です。

予想通り伏線部分の指導時間には誰も来ません。公開する時間になっても、来たのは呼びかけた手前やってきた管理職だけ。管理職は授業をしていませんから、見たって参考にするとは思えません。そこにあるのは教員に対する評価だけのような気がしました。

新任や二年目の子に来てもらえたらなぁと思いながら授業をしたのですけれど、それは全くかないませんでした。
自主性を育てようと願うのは美しいです。けれど、あまりにも自主性に期待してはいけません。

政治の世界も自主性を期待していますね。
民営化すれば、それぞれが自主的に働くだろうという期待を。
自主的に働かない人(指示待ち族)は、バシバシ解雇して生産の能率化を高めようとしています。

でも、これはうまく行かないと思います。自主性が身につき、継続できる人は、元々少ないのですから。


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2007年10月15日

先人の知恵に学ぼう

「教育とは先人の知恵を後世の人に伝え、育てていく営み」であると私は思っている。その私からすると昨今の傾向は非常に苦々しい。

顕著な例を出すと「大人だって悪いことをしている」という言葉に操られ、「大人なんて信用できない」と平然と言う若者がいる。
別にこれは昔からある傾向ではあるが、通常これは青年期もしくは反抗期の若者が言っていた言葉である。

それが20を過ぎた大人や30代近い人まで似たようなことを言う。
テレビのキャスターは「こんな大人がいたのでは、若者が『大人が信用できない』と言うのも当然です」なんて変なお墨付きを与えていたりする。

大人になれば悪いことをする人がいなくなるなんてことは、ちょっと考えれば幻想であることは分かるはずです。大人に悪い人がいなければ、そもそも刑務所なんてガラガラに成っているはずです。

だから、一部の大人を取り上げ、「だから大人は信用できない」って言うのは、普通は青年期までだろうと思うのです。

そもそも、この流れが大きくなったのは「戦前の日本人は間違っていた」というGHQのプロパガンダが発端ではないかと思う。それによって戦後は「自分のなるべき姿のモデル」を失ってしまったのではないか。

自分がどうなっていけばよいのかが分からず、そこに立ち止まってしまう若者が増えてきたのではないか。そう考えると、フリーターやニートの出現は日本の戦前の文化の全否定に原因があるのではないか?とも思える。

しかし、本当に戦前の日本人は間違っていたのか?戦前は軍国主義の教育がなされていたのか?本当に日本人は悪い人が跋扈していたのか?
それなら、日本は悪の子孫なのか?

戦前は悪と単純に思ってはいけない。日本の先人の知恵をもっと謙虚に学ぶべきであると思う。そして社会は、若者が先人の知恵を安心して受け入れられるようにしてやるべきです。

私は、まず「親のいうことをきくこと」を、当たり前のこととして教えていきたい。
それが先人の知恵を学ぶ第一歩であると思うから。
先人が長年かかって築いてきた日本の文化は、西洋に比べて劣っているものでもなく、これから先も十分通用し、保持することが望ましいと思っているのです。

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2007年10月09日

教育勅語の復権を

教育勅語を読んだことのある人はどれぐらいあるのだろう?
すでに失効されて(昭和23年6月19日)約60年も経っているのだから、大半の人は読んだことがないと思う。教員に聞いたところでも読んだことのある人は遠く半数にも及ばなかったから、一般の人で読んでいるのは非常に稀な例だと思う。

しかし、教育勅語に対するイメージは非常に悪い。(と私は思う)
とある教員の集まりで講演者が会場に質問したときに良いイメージを持っているのは約3割で、残りの約7割は否定的なイメージを持っていた。

ほとんどが読んだことがないのにも関わらず、イメージがこれだけ偏っているのは、何らかの先入観を与える情報があったのだと思わずにはいられない。
でも、言葉の端々(例えば「臣民」という言葉)をとらえれば、現代そのままの文として使うには抵抗のある部分もある。原文参照

しかし、その主張しているところは主として「道徳の大切さ」であり、「道義国家日本の伝統」であり、「日本国民としての誇りを継承しよう」という呼びかけを記したものであると思う。

ちなみに教育勅語で示されている12の徳目は以下の通りである。

孝行(こうこう)
友愛(ゆうあい)
夫婦(ふうふ)ノ(の)和(わ)
朋友(ほうゆう)ノ(の)信(しん)
謙遜(けんそん)
博愛(はくあい)
修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう)
智能(ちのう)啓発(けいはつ)
徳器(とくき)成就(じょうじゅ)
公益(こうえき)世務(せいむ)
遵法(じゅんぽう)
義勇(ぎゆう)

どれをとってもみな大切な徳目だと私は思う。現代では忘れられがちな徳目もいくつか入っている。(孝行・謙遜・修学習業・公益世務・遵法・義勇)それぞれの徳目について分からないときには明治神宮のHPを見ていただきたい。

戦後学校が抱えた問題の多く(例えば学級崩壊・学力低下・校内暴力・いじめなど)はこの徳目が身についていれば全く起こらないと言っても過言ではないような気がする。もちろん、教育勅語が制定されていた時期には、「学校では全く問題がなかったか」というとそんなはずはないのであるが、理想とする姿(望ましい姿)としては、なんら間違いではないし、それ自体軍国主義を誘発したり、助長するものではないと思う。

ここで、「教育勅語の復活を」なんて書けば、「それは軍国主義の復活だ」とか「右翼化している」と批判されかねないが、教育勅語の主張する12の徳目については、現代でもその価値は普遍であるし、教育の目的としては適切なのではないかと思う。

昨年、教育基本法が改定されたのだけれども、「これからは道徳教育をさらに重視せよ」という声が上がるのであれば、その時にはぜひとも教育勅語の12の徳目も考慮に入れて欲しいと思っている。

この12の徳目が重視され、教育に生かされるようになることが私の考える「教育勅語の復権」です。
もちろん、語句(先に出した「臣民」など)については現代に合わせるよう改定される必要はあると思いますが、国民が身につけるべき徳目としては、教育勅語の徳目を考慮して欲しいと思っています。

教育勅語を一度も読んだことが無い人は、先に示した明治神宮のHPなどで、口語訳や12の徳目だけでも、一度見ていただけると嬉しいです。

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2007年09月18日

偉人の作り方

日本の偉人って言うと誰を思い出しますか?

坂本竜馬、野口英世、福沢諭吉、豊臣秀吉
吉田松陰、西郷隆盛、徳川家康、織田信長
湯川秀樹、江崎玲於奈、佐藤栄作…

最近の偉人って言うと誰なんでしょう?

イチロー、松井秀喜、野茂英雄、中田英寿、中村俊輔…

あれ?スポーツ選手ばかりです。
ノーベル賞受賞者だけでも2000年以降でも
白川英樹、野依良治、小柴昌俊、田中耕一といるのに、
なぜか「偉人」って感じがしません。

その他で思いついたのは羽生善治ぐらいでしょうか。
小泉純一郎、田中真紀子などの政治家は偉人に入るのでしょうか?

個人的には、田中角栄さんは偉人と認めてよいと思っています。
確かに、贈収賄などの罪で罰せられ、晩年は寂しいものだったと思いますが、「日本列島改造論」に見られるようにパワフルに日本を成長させていった功績は認めてよいと思います。

犯罪者だから、逮捕されたからという問題点はありますけれども、評価できるところは評価できると思うのです。

最近、偉人が出てこないなぁと思っています。
政治家などに、偉人が出て欲しいなぁと思っているのですが、なかなか出てきません。

最近思うのですけれど、過去の偉人ってのは欠点が全く無かったのでしょうかね?
借金ばかりしていた浪費家だったとか、妾をたくさん囲っていたとか、実はいろんなことがあるけれど、周りの人が目をつぶっていたんじゃないかな?って思います。

自分のことを考えたって、今までに悪いことをしていないのか?って言われると「ぐぅ」と言うよりありません。

教師は子どもを見るときに「プラスの蓄積」で見ようとします。「マイナス」にあまり焦点を合わせすぎないようにします。マイナスは目に付きやすいのですが、それを指摘したところで、プラスに転化することはほとんどありません。

それに比べて、プラスに注目することで、マイナスが見えにくくなることは良く経験することです。

そうやってプラスの蓄積で人を評価することでマイナスが見えなくなった人の中から偉人は生まれるのではないだろうか。あまりにもマイナスを大きく見すぎていないだろうか。だから現代では偉人はなかなか登場しないのではないだろうか。

教室では、偉人とまではいかないまでも、プラスで輝く子どもを育てたいと思っています。その為には、クラスの中でプラスをプラスとして評価し、マイナスはプラスで相殺できるような雰囲気に育てることが大切だと思っています。

人は善もあれば、悪もある。どちらが大きく育っているのか?それが偉人と凡人の違いだと思います。けれど、凡人は凡人なりに善の方が大きくなるように育てていく必要があると思うのです。その為には、周りの関わりも大切だと思います。
そういう意味でも、クラスの雰囲気作りは担任教師が一番気を使わなくてはいけない仕事だと思います。

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2007年08月13日

戦争は好きですか?

戦争が好きですか?って聞かれたら「ハイ」なんて答える人はいないだろう。それは時代を遡って、どの時代に聞いても同じだろうと思う。

この時期(終戦記念日の近く)になると、戦争の悲惨さを訴える番組が放送されるけれど、気になるのは視点が「民衆レベル」であること。
「はだしのゲン」は視点が一般民間人のレベルである。
ここから見れば、戦争は何もいいことが無いように見える。そして、「戦争なんかなくなればいいのに」という台詞が繰り返される。

さて、日本の軍部が暴走して戦争を始めたような認識を持っている人も多いと思うけれど、世界はどうだったのか?それを知って欲しいと思うことがある。
誰だって戦争は嫌いだ。

日本史だけに視点を向けると、どうしても「(真珠湾攻撃で)戦争を始めたのは日本の軍部(上層部)が悪かったからだ」となりがちである。
果たして、本当にそうなのだろうか?あの時、戦争を始めなければどうなっていたのだろうか。世界地図が大きく変わっていただろと思えて仕方ない。

世界史の未習問題が昨年話題になったけれど、個人的には世界史は大切であり、必修にする必要があると思っている。
確かに日本史に比べ、扱う話題が多く(範囲が広いので当たり前ですけれど)全容を知るのは難しく、特に近代史になればなるほど「各国の歴史認識」に大きなズレを含んでいるので難しいのだけれど、日本人はどんな民族で、どんな歴史の中を生きてきたのか、そして日本人はこれからどうしたらよいのかを考える基礎知識になるのではないかと思っている。

アメリカという国は、どうやってできた国で、どうやって領土を拡大し、勢力を伸ばし、世界での地位を高めてきたのか。
イギリス・フランスというヨーロッパの国の近代化はどうやって推し進められたのか。
中国という国はどんな歴史を持ち、どんな文化を持っている国なのか。
アジアの国々がなぜ「植民地」としての歴史を持っているのか?

それぞれの国が今の姿になるには、それなりの理由がある。それが歴史である。
しかし、歴史は作られるものでもある。「現在を守るために、過去を美化する」ことが行われることもある。「自分の味方を増やすために、他人を極悪人に仕立て上げること」もある。

例えば、第二次世界大戦が無ければ、世界地図に「日本」という国は無いだろう。
フィリピン・タイ・朝鮮・韓国その他アジアの国も存在しないだろう。
「戦争は嫌い。戦争を二度とするな」という言葉で思考停止してはいけない。
昔の日本人だって軍部だって戦争は避けたかったのだ。

戦争は好きですか。誰だって嫌いです。
現在の安全の中から「過去を単純化して(一部・一面だけを見て)祖先を侮辱していないだろうか」
これは、日本という国を否定し、自分が日本人であろうとすることを否定する。
そして、自分は今までの日本人ではないと歴史ある国家から自分を切り離し、「自分は(昔とは違う)善良な日本人」という歴史から切り離された孤児(歴史孤児)になってしまう気がする。

世界史をじっくりと調べて欲しい。
様々な視点に立って、知って欲しい。そして、日本という国の歴史を知り、どんな国であり、どんな人柄・国柄なのかを知って欲しい。史実と自己都合のデマを史料を元に見破って欲しい。

最近、テレビでのインタビューで若い人の答えの中に、何か物足りなさを感じるのは、私がすでに歳を取りすぎたということでしょうか。
でも、日本人を残したいと思います。歴史の中でつながっている日本人を残したいと思います。

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2007年01月22日

再チャレンジはできるのか?

最近いろいろな不祥事が発覚している。不二家の「期限切れ原料の使用」とか、あるあるの「データ捏造」とか。

それぞれ、決して誉められることではないが、その後はどうなるのだろう?という思いでいる。実際には「あるある」はあまり心配していない。
テレビ関係は打たれ強いから。(というか、叩かないから)

出演したタレントがそれで事務所を解雇されることも無いだろうし、テレビ局もそれで責任者が解雇されるということはないだろう。事実、フジテレビでは「フジテレビは今回のことについて何も関係ありません」というコメントを発表したとか?
番組を制作した子会社についても、ここの捏造は初犯ではないという。
つまり、テレビ関係の会社については「今までもお咎めが無いし、これからも無いだろう」という楽観的な見方をしている。

それに対して、マスコミ以外の不二家の場合はどうなるかは、予断を許さない状況だと思う。雪印の事例を見ても分かるけれど、マスコミがセンセーショナルに連日報道し、実際二度と立ち上がれないぐらい叩きのめされている。
実際、雪印は2000年当時1080円ほどあった株価が最近順調に回復しているとはいえ、450円にも満たない状況。
三菱自動車も400円前後だった株価が一気に100円を割り込み、現在も回復してきているとはいえ、200円近くでしかない。
同業の企業が株価をその間に2倍から4倍程度にしているのに比べて、成長率が低いといわざるを得ない。

これは、何を示しているか。
そう、『再チャレンジの困難さ』を示しているというのです。
特にマスコミに取り上げられ、風評であろうが長期にわたり繰り返し批難されると再チャレンジが非常に苦しくなるということを示しているのです。

折りしも、安倍総理が『再チャレンジできる日本に』ということを掲げていたけれど、それについてはなんら具体的な方策も制度も提示していない。

さて、それではマスコミが現在「教育再生」を声高に叫び、「教育は死んでいる・崩壊している」「不適格な教員が多数いる」と報道していることはどんな結果をもたらすのでしょう?

適切な法制度を講じない限り、教育の再生は難しいでしょう。内部での改革・改善に期待していては、前出の企業が立ち直れないのと同様の結果を生むでしょう。

それでは適切な法制度とは何でしょう?
それは、次回の記事としたいと思います。

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追伸…イソフラボンの過剰摂取については理科系の人からは健康面で有害であるという見方もあります。

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2006年12月04日

教師は人を活かしているか?

小学校では、すべての教科(一部違う場合もあるだろうけれど)を担任が教えています。給食の時間も、休み時間も掃除の時間も一緒にいることが多いです。
それは、全人格的な教育ができるだろうということも考えに入っていたと思います。

ところで、学校の先生って子どもの活かし方ってうまいのだろうか?
※注意
ここからは、私の狭い経験からの話だから、違うことも十分に考えられますから、決して鵜呑みにしないでくださいね。

私の狭い経験から書くと、だんだんと優秀な先生が入ってくるようになってから、活かし方が下手になったような気がしています。優秀な先生なのに下手って書くとなんだ?って思われるでしょうけれど、優秀な先生は優秀な高校・大学を出ています。
友人も優秀な人が多いわけです。基本的には優秀な人の性格は「まじめ」「正直」「努力家(勤勉)」って所でしょうか。

それが教師になると今まで付き合ったことも無いようなタイプの子どもがいっぱいいます。「不真面目」であったり「注意散漫」だったり、「努力する習慣」が無かったり…。付き合ったことが無いタイプですから、彼らの欠点が目に付いてしまいます。その欠点を直してやれば、その子が良くなるように思います。

欠点を指摘して、ちゃんと直せるなら問題ないのですけれど、なかなか難しい子もいます。そういう子は、「才能が無い」と突き放されてしまうことがないでしょうか?
それに比べて、「なんで教師になれたの?」って言うような経歴を持った人は、付き合ってきた人間が実に幅広くて、そういう人の良さを見つけやすいような気がしています。狭い範囲の体験に基づいていますから、一般的にはどうかは分かりませんけれど。

先日、徳川家康の本を読んでいたら、こんなエピソードが出てきました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
徳川家康が、江戸に都を作り始めた頃、政権交代の隙間を狙った盗賊がいっぱい入り込みました。江戸の治安はとても悪かったといいます。
その時、徳川は泥棒のボス鳶沢という男を捕らえます。打ち首・さらし首など見せしめにして殺したのかと言うと、そうではありません。
徳川家康はこの鳶沢に屋敷を与えたのです。古着商いの元締めにもしたのです。そして、子分たちにも商いを許したのです。

鳶沢は泥棒の世界とはいえ、その大勢の仲間をまとめるボスです。ボスになるには、それだけ人をひきつける才能があるということです。それを徳川家康は利用したのです。お陰で江戸の治安は良くなったといいます。
ちなみに鳶沢とその仲間は窃盗団を捕まえることもやるようになったといいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人は才能を認め、他の人の役に立つ場所を与えられると、意気に感じて働くものなのです。いじめている子はどうなのでしょう?自分が働く場所・活躍の場は与えられているのでしょうか?いじめられている子はどうでしょう?その子の才能が他の子に認められるような場面や機会を先生は用意できたのでしょうか?

将棋の駒には個性があります。角や飛車が大駒といわれへぼ将棋では大活躍しますが、プロになると歩兵や香車・桂馬などと言った駒をうまく活かして戦っています。桂馬だから勝てる場面、銀将だから勝てる場面をうまく見つけて戦っています。
人間は将棋の駒とは違うけれど、そういう個性を見抜いて、一人ひとりを活かしていきたい。
授業で活躍できる場面・休み時間に活躍できる場面・掃除の時間に活躍できる場面。
様々な場面を用意し、計画的に子どもを活かしてやりたい。
そうすれば、子どもの心の中の不満が少し軽くなるような気がしている。

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2006年12月03日

いじめについて

先回の記事にはharukaさんからたくさんのコメントをいただいた。
いじめられている方は、どうしたらよいのだ。いじめている方よりも、そちらのことを考えるべきじゃないのか。ということはよく分かります。
いじめられている方の人権・学習権の保護が今はされていない。ということもよく分かります。

それでは、どうしたらよいのか?
私は、まず『どうしていじめがこれほど深刻になったのか。』から考えてみたい。

なぜ、昔はいじめで自殺が無かったのか?
一つ目は、みんなが生きるのに必死だった。という時代背景もあるだろう。
二つ目に、「卑怯なことを憎む気持ち」が子どもの中にあった。ということもあると思っている。『卑怯なこと』とは、『後ろから襲うこと』『一人を大勢で攻めること』『仲間を裏切ること』などである。
それを子どもたちは『人として最も恥じるべき行為』として教育されていた。

これは、誰がやっていたのか?少なくとも学校ではない。
多くは家庭教育(両親と祖父母・兄弟)と社会教育(地域社会)だった。

しかし、現在この二つは瀕死の状態である。地域社会と子どもとのつながりは非常に希薄になった。家庭も祖父母が同居することが減り、兄弟も減った。両親は離婚が増え、仕事に追われて『愛情よりも金をくれ』と言わんばかりの家庭も出現してきて、それが珍しくなくなってきた。

先の野球の例を引用すれば、ライン際を担当していたレフトとライトが働かなくなっている。そして、本来「カバーに回る」ことしかしてこなかったセンターが、すべての打球を処理することになった。この状態はセンターが疲弊するだけで、何の解決にもならないことは自明の理である。

すべての打球の処理をセンターに望むなら方法は一つだろう。
『教育にお金をかけましょう』それも、『人材確保』で。
野球の例で言えば、センターを増やすのです。動かないレフトとライトの代わりに動けるセンターを一人でも二人でも増やすのです。
人数を増やすのはインチキだというかもしれないけれど、学校関係の仕事をしている人からすれば、当然の方法。

ただ、金がかかる。だからやりたくないだけ。

こう書くと、『優秀な人を採用すれば(無能なものを解雇すれば)採用人数を増やさなくてもできるんじゃないの?』って言う人がいるかもしれないけれど、先の野球の例で言えば、『センターにイチローを守らせれば、ライン際の打球まで処理する』と言っているようなものです。それでは解決になりません。

凡愚でよいのです。人数を増やせばよいのです。
スクールカウンセラー・図書館司書・様々な大人を雇えばよいのです。目が増えれば、気づきやすくなります。気づけば救えることもあります。
目が増えることで、いじめられた子をフォローする人。いじめていた子をフォロー(再教育)する人。教科を中心に教える人。と仕事が分担できます。

別室に追いやれば、解決するという単純な問題ではないのです。
別室に追いやれば、問題はその時は隠れていても、やがて大きく育って『地域に返ってきます』
いじめられた子を救いたければ、人間をください。
いじめていた子を救いたければ、人間をください。

人間は日本が誇る『大きな資源』です。少子化になり、人は『貴重な資源』です。
すべての人が活きるように、生きていけるように。
教育にお金をかけてください。
教育に人間をください。
すべての教育を学校の責任にするのなら、お金をください。人間をください。

現場の声はみんな一致しています。海外の例を見ても、人員を増やすだけでいじめが減っています。なのに、なぜ日本はその手をとらないのですか。
日本がいくつかのものを失って、今のいじめがあります。
そこを解決しようとしなければ、先は見えてこないと思います。

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2006年12月02日

別室登校に賛成ですか?

先日テレビを見ていたら、「いじめ」や「傷害行為」・「授業妨害」など問題行動を起こした児童・生徒を普通教室から隔離して「別室登校」させるという話をしていた。

確かに被害家族・被害者にとっては朗報のように聞こえる。けれど、本当にそうだろうか?私は疑問に思っている。
それは、こうやって「隔離された児童生徒」はどうなるのだろう?ということだ。

少年院という施設がある。
極度な問題行動を起こし、周りの児童生徒に悪影響を与え、このままでは更正の可能性が低い子どもが入る場所だ。では、ここを出てきた児童・生徒はどうなるのだろうか?再犯をしないよう、日々の生活を送っているのだろうか?

噂で聞くところでは、そういう例は少ないらしい。
少年院で他地区の少年・少女と仲良くなって行動範囲を広げたり、巧みな犯罪を行うようになったり、少年院にいたことで他の児童生徒を支配下におこうとしたり…。

今回の「別室登校」をさせられた子どもはどうだろう?同じようなことにはならないだろうか。
「別室に隔離させられた」ことで、世間を恨み、復讐しようとする心を育てるのではなかろうか?それで解決するのだろうか?

人を生かすことになるのだろうか?教育とは『人が人として生きて行く術を教えること』ではないだろうか。隔離し、見えなくすることではないのではないだろうか。
いじめ報道の中でも、「いじめた子を隔離・転校」という意見があったけれど、それで、被害者を守れても、加害者を育てることはできるのだろうか?

教育はすべてのことを見通して行わなくてはいけないとう難しさがそこにはある。
厳罰だけでは人は育てられない。人は感情というやっかいなものを持っているから。
理性だけでは行動しない部分を持っている生き物だから。

そして、いじめをなぜするのか?その生育暦に共通項はないのか?
それに対する対策は無いのだろうか?
短絡的に考えず、広い視野で考えて対策を採って欲しいと思っている。

まさか、別室登校・少年院・刑務所・死刑(この世からの抹殺)を狙っているわけではないでしょうね?厳罰主義は教育とくに青少年の教育には不適切だと思っている。

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2006年11月28日

野球にたとえて(2)

それでは、前回の続きです。

テレビ中継では、センターの選手がボールを取れずにフェンスまで追いかけるシーンが多くなりました。すると、テレビを見ていた人たちも「最近のセンターの選手はたるんでいる!もっとしっかりと練習して鍛えなおせ!」と監督に文句を言うようになりました。

そこで、監督はセンターの選手を呼んで、次のことを言い渡しました。
1.複数年契約を打ち切ること。(いつでも自由契約になるということ)
2.適正があるかどうかを毎月調べるために千本ノックを受けること。
3.長年チームに貢献した人に送っていた功労金を削減すること。
4.キャプテンの立場から球団歌を全選手が歌うように強制させること。
5.レフトやライトのせいにしないで、どの打球にも反応し、全力で追いかけること。

さて、センターの選手はどうしたでしょう?
辞めたら、功労金も昔辞めた選手よりもずっとわずかしかもらえません。
今辞めたら、他のチームでも雇ってくれるのは難しいです。まして、自由契約になったら明日からの食費にも困る始末です。

困ったセンターの選手はレフトの選手のところに相談に行きました。
するとレフトの選手はこう言いました。
『ぼくが古傷だらけで、体がぼろぼろなのは知っているだろ?あんな早い打球についていくのは無理だよ。君は、ぼくより若いんだからもっと頑張ってもらわなくちゃ。』

次にセンターの選手はライトの選手のところに相談に行きました。
すると、ライトの選手はセンターの選手の頭を叩きながらこう言いました。
『ぼくは新しく大きな家を建てただろ?それに高級外車も買ったんだよ。休みの日には豪華なパーティも開きたいし、ブランド物のスーツだって欲しいんだよ。そのためには、野球だけじゃ稼げないだろ?だからゴルフの大会に出たり、歌を歌ったり、CMに出たりしなきゃいけないんだよ。忙しいんだから、暇な君とは違うよ!君がちゃんと練習してセンターの仕事をしてくれないと困るよ。それに、チームが負けたら、また年俸が下がっちゃうじゃないか。そうなったら責任とってくれるんだろうね!』

センターの選手はしょんぼりして帰りました。

次の日、センターの選手は、ベッドから起き上がれなくなってしまいました。
起き上がれないので、リモコンでテレビをつけると、アナウンサーがこんなことを言っていました。

「最近のセンターの選手は昔に比べてやる気がありません。それは、複数年契約で高い年俸をもらっているからです。試合でエラーをしても年俸が下がることが無いからです。チームが優勝するには、センターの選手を日の出から日没まで徹底的に走らせ、体力をつけさせなくてはいけません。日没後は、自宅で日付が替わるまで素振りをさせるべきです。」

すると、解説者がこんなことをつけたしました。
「実は、この間休みの日にセンターの選手が何をやっているか調べてみたんですよ。そうしたら、センターの選手はほとんど練習をしていませんでした。そのくせ、練習用のボールの数が少ないとか、新しいバットが欲しいとか贅沢なことばかり言ってるんですよ。」

センターの選手は、ぼんやりとしながらテレビを聞いていました。
ほほに、ひとすじの涙が光りました。
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2006年11月27日

野球にたとえて(1)

ちょっとしたお話を考えてみました。
野球にたとえてみたお話です。
長い話なので、2回に分けてアップしようと思っています。
いろいろと想像して読んでいただけると光栄です。

あるチームに3人の外野手がいました。強いチームではありませんでしたので、3人とも安い年俸でしたが、それぞれが走り回り、声を掛け合い、ミスをしてもそれをお互いにカバーしあいながら試合に出ていました。

ある年、このチームが優勝しました。みんな大喜びです。
ライトの選手は単年契約でしたからこれはいい機会だと年俸を一気に上げてもらいました。

レフトの選手は、年俸はあまり上げてもらえませんでしたが、豪華なマンションを建ててもらいました。

けれども、センターの選手は複数年契約だったため、年俸は上げてもらえませんでした。

次の年、チームの成績は一気にダウンしてなんと最下位になってしまいました。

ライトの選手は一気に年俸がダウンしました。そこで、あわててCMに出たり、講演会に出たりと副業に力を入れることにしました。高い年俸のときに買った新築の家を手放したくなかったからです。
副業が忙しくて練習も休むことが多くなりました。
試合に出ても疲れているのでライトのライン際に守備位置をどんどん変えて行きました。右中間の打球は全部センターに任せることにして、ライン際の打球だけを追いかけることにしました。

レフトの選手は、そのころ体中にたくさんの故障を抱えていました。昔のように走れないし、投げることもできなくなってきたのです。
そこで、ライン際で定位置よりも前のほうに守備位置を変えていきました。ライン際で前のほうの打球だけを追いかけ、左中間の打球はセンターに任せることにしたのです。

センターの選手は複数年契約なので、年俸は変わらないはずでしたが、『最下位になってみんな苦しんでいるのだから』という理由で年俸が下げられてしまいました。

センターの選手も、年々年をとり、体が思うように動かなくなっていました。
けれども、ライトもレフトもライン際に守備位置を変えてしまったので、以前よりも広い範囲を守ることになりました。
当然、打球の処理が遅れ、今までなら取れていたような打球も後ろにそらしてしまうことが出てきました。

その時です。大きな怒鳴り声が聞こえてきました。
「センター何やってるんだ!しっかりとれ!この給料泥棒!」
声のした方を見るとそれは、ライトの選手でした。
ライトの選手は、副業のゴルフスイングの練習をしながらいつものライン際で立っていました。

「しっかりやってくれないと、こっちにしわよせがくるんだよなぁ」
別のほうで、ぶつぶつと文句を言っている声が聞こえてきました。
それはレフトの選手でした。
レフトの選手は、足元をならしながらいつもの位置に立っていました。

センターの選手は悲しくなりましたが、複数年契約の途中だったので、文句も言わずにぎゅっと唇をかみしめてこらえました。(つづく)


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2006年11月26日

教育に予算を

コメントの中に教育予算の話がありました。そこで、少し調べてみました。
すると、次のような資料を見つけました。(世界と日本の社会動態より)
以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−
■教育予算
教育予算の割合が高いのは先進国を除いた国々。最も予算割合の高いマレーシアは23%。全体の総予算額が高くないために割合が高くなっている。先進国では、欧州各国がおおむね5%前後、国家予算の膨大なアメリカの教育費は2%。日本の教育予算は、教育科学振興費を含むと約7.7%。
実質予算では公立学校教育費の約3.6%が教育費とされ、西欧諸国の5%と比べて低くなっている。
−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
途中まで読んで「日本はちゃんと予算を教育に取っているじゃないか」と思っていましたが、「教育科学振興費」を含んでいるとのこと。では、この「教育科学振興費」って何でしょう。
調べてみました。(国税庁のHPです
以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−
ライフサイエンスをはじめとする基礎的研究のほか、宇宙開発、海洋開発、コンピュータなど情報通信(IT)の研究開発などの推進に役立てられています。
−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
文教及び科学技術振興費としてまとめてあるので、約7%と高いものの、実質はその25%は学校教育とは関係の無いものでした。それを平成18年度の予算で計算すると教育科学振興費を含んで6.6%除くと約5%となりました。
おや、西欧諸国とほぼ同じじゃないですか。
まぁ、日本の場合「人件費」が高いとの指摘もありますから…。
もうちょっと調べてみないといけませんね。
「日本は教育にお金をかけていない」というのは、正しいのか?ってね。

調べて行くと政党のHPにたどり着いた。
(まとめて読むならここ
<社民党>
・日本の教育予算はGDP3%半ばという水準であり、世界標準といわれる5%と比較してあまりにも貧弱です。政府は、教育改革を叫んでも、金は出しません。競争の押し付けによって家族や地域社会が崩れ、子どもを育む社会の力が低下している現実に対応せず、予算をケチり、矛盾を教育現場に押しつけてきたのがこれまでの教育行政の実態です。
<日本共産党>
・日本の公財政教育支出の水準はOECD諸国の7割弱で、日本の教育条件はきわめて劣悪です。この改善に力をつくします。「30人学級」の実現、私学助成の拡充、障害児教育の拡充などをすすめます。とくに高等教育予算はOECDの半分以下です。
<民主党>
・OECD平均並みの教員配置を目指す。

自民党と公明党はそういう記述はありませんでした。
どちらかというと、予算よりも「制度を厳しくして質を上げる」のように受け取れました。(以下は参考までに)
<自民党>
・教員免許更新制、専門職大学院制度、新たな教員評価制度の導入などにより優れた教員を確保
・国による学校評価ガイドライン、外部評価システムの導入
<公明党>
・教員評価を徹底するとともに、教員養成のための大学院を創設し、「新たな少人数教育システム」の導入

政党の発表というのは、自分の論理のために都合の良い数字を出している可能性が高いので、実態を調べるのはもう少しやらないと駄目みたいですね。

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2006年08月20日

尊敬について

今、子どもが尊敬している人は身近にいるのでしょうか?
身近にというのがポイントです。

古くは「両親」「教師」が挙げられていました。尊敬しているから「無条件に」言うことを信じ、行動していました。
だから「人を殺してはいけません」と親や教師が言えば、「ハイ」と子どもは答えていたし、それを受け入れていた。

けれども、最近はその傾向が薄くなった。
同じように「人を殺してはいけません」と言っても、「なんで殺しちゃいけないの?」という質問が返ってくる。

大抵の子どもは、理由を聞くと納得するのだが、一部納得しない子どももいる。納得できないから「親を殺す」子どもがニュースに頻繁に登場するのではないだろうか。

「無条件に相手の言うことを信じる」ことに否定的な人もいるとは思いますが、それは「対等な人間関係」や「十分に成熟した思考ができる大人」のレベルだと思います。「あの人の言うとおりだ」と信頼し、尊敬できる人が身近にいるというのは、子どもの成長にとって大切なことだと思うのです。

それでは、なぜ親・教師を尊敬しなくなったのでしょうか?
それは「教育勅語」の完全否定が根本にあるように思います。あそこに書かれていることは「すべて軍国主義の礎」であるという認識が一部にあり、それを言われるのを恐れて学校でも「両親を尊敬し、大切にしなさい」とはあまり声高に教えることが少なくなったことが原因の一つにあるように思えます。もちろん、家庭も「先生を尊敬し、一言も聞き漏らさないように話をよく聞いて、言われたとおりにやりなさい」とは言わなくなっています。

子どもの命も教師の命も平等というのは正しいでしょう。けれども、「現在の時点」で子どもと教師の善悪の判断の価値が等しい(平等)という事はあり得ないと思います。それは「人の経験の否定」であるとも思います。
故人の知恵ともいえる「ことわざ」も最近は軽視されているのか、あまり教えなくなったことも遠因かもしれません。

今の文化・繁栄は、先人の知恵と工夫の積み重ねの上に成り立っています。その一点を見ただけでも、経験の大切さ(価値の高さ)は否定できないと思います。そして、身近にいてもっとも過去の経験から学べるのが親であり教師であると思うのです。

そういう価値を子どもにちゃんと伝えていきたいと思っています。
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2006年08月16日

尊敬すること

先回の続きになります。今回は「尊敬」です。
中国の授業風景を見ながら、子ども達が「先生を尊敬」していることが伝わってきました。それは、「先生を見て話す視線」「最後まできちんと見ている」「起立して話す」「先生の話に乱入しない」といったことでよく分かります。先生達へのインタビューの中で紹介されたのですが、「親に対する尊敬」も中国は根強いようです。

さて、日本です。「尊敬する人」として誰をあげるのか…
コッソリアンケートを見るとひどいものですね。無記名ということでの無責任な書き込みも目立ちます。
三菱電機エンジニアリング株式会社の新一年生を持つ保護者アンケートをみても、先生を尊敬する「師弟」を支持する方が6割いるものの、「対等」お互いの意見を尊重し、友達のような感覚の関係を支持する方が3割を越えています。さらに「先生よりも生徒を優先すべき」(先生は生徒の言うことを聞くべき)という意見も少数とはいえ、無視できない割合いました。(クラスに1名以上いる割合です)

中国では「無条件に両親と共に教師は尊敬の対象」だとか。
日本との違いが明確です。尊敬の念の無い教室は簡単に荒れます。
ベネッセの資料提供によるページですが、以下のページも参考にご覧下さい。校内暴力・学級崩壊」について【前編】

戦前、戦中は家長制度の下、両親の権威は絶対であり、尊敬と畏敬の念にあふれていたと思います。それが戦後「アメリカもどき」の友達親子の登場と共に(それがあたかも進歩的で、民主主義の原点のように思われて)広がってきた。そして、少子化。子どもはいつのまにか「お子さま」となり、いつしか家長制度のトップに君臨しだした。
それは、まさに「躾られていない犬が飼い主を従わせる姿」と重なっている。(αシンドロームをご覧下さい)参考 アルファシンドローム

飼い主がしっかりとリーダーシップを取り、集団を組織している中にいれば、犬は自分のポジションを探し、集団生活に馴染みます。ところが、飼い主がリーダーシップをとらず、犬のなすがままにしていると、いつしか犬は「俺がリーダーシップをとらなくては…」と考え始めます。
しかし、いきなりリーダーとして動けるわけではないので、どうするのかというと…。

「他人の言うこと:命令:を聞かない」「いきなり暴力的になる」
あれ?どこかで聞いたことありますよ。
そうです。学級崩壊のパターンそのものです。
実は人間は高度な生き物だと思っていますが、教育されなければ、犬とそれほど変わらないのです。(長年集団生活をおくってきた動物の本能の部分でしょう)

もちろん、リーダー不在、自分がリーダーにならなくちゃと思っていますから、誰も尊敬していません。大切にもしていません。

尊敬って大切ですよ。集団生活を円滑に行うためにも。
けれども、最近は尊敬する人をおとしめることに力を入れる人たちが多くなったこともあり、社会全体がいびつな感じがします。
本当は他人をおとしめるような人は品性下劣であり、無視されても良いと思うのですが、最近はどうもそれが跋扈(ばっこ)しているようですね。

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2006年08月14日

学習意欲(後編)

学習意欲が低い子どもは何に左右されているのか。

それは、
(1)保護者の意識
(2)マスコミの思想操作  の2つである。

しかし、実は保護者の意識のほとんども(2)のマスコミの思想操作によってなされている。実はこの学習意欲の低い子どもは「マスコミ」が創り出した物なのである。

マスコミの思想操作は「オーム事件」から顕著となっている。
この事件はいわゆる「エリート」が事件を起こしたことをマスコミは問題視した。「高等教育を受けても、このような事件を起こしてしまう」(教育は無力だ)という論調から「高等教育を受けたから、このような事件を起こしてしまう」(高等教育を受けると犯罪を起こす)という論調にいつしかすり替えられてしまった。
その流れはその後の「高級官僚の不祥事」や「外務省は伏魔殿」という報道にも見られるようになった。

物事を単純に考えたい人は「教育を受けると犯罪を起こす」と短絡的に認識してしまった。また、マスコミも「勝ち組」を攻撃することで、「一般大衆の声を反映している」と思いこんで必要以上に「高学歴」に対するバッシングを強めてしまった。
その前には「学歴不問」などという就職試験に対して「学歴不要」という間違った意識を育ててしまった。「学歴よりも本人の実力次第」という実力を学歴のない物が偶然持てるかのように思わせてしまった。
イチローや松井が「練習しないで実力を獲得した」などということがあっただろうか?いや、ありはしない。

その結果「学歴」に対する拒否反応を底辺層に与えてしまった。
すでに「高学歴」を手にした物が「学歴」を否定し、実力勝負というのは分かる。野球に例えれば、「甲子園の優勝投手だったけれど、入団テストを受けてメジャーリーグに行く」という姿だ。これは、成功する可能性もそれなりにあるだろう。
けれど、ろくに「学歴もない人」が学歴を否定して、実力勝負だと言ったところで、それは成功する可能性は低いだろう。
例えば、「野球はやったことないけれど、入団テストを受けてみた」ところで、プロ野球の選手として活躍できるとはとても思えない。

けれども、これを「できる」と思っている子どもが実はたくさんいた。

授業でこどもにこんな事を聞いてみた。
「練習すれば俺だって金メダルぐらい取れる」と金メダルを取った人をバカにしている人がいる。この人をどう思うか?
と聞いたときに、
「その人の言うとおりだ、その人も練習さえすれば金メダルが取れる」だから、バカにしても良い。という回答が1/2ほどいた。
恐かった。何も練習していない人が、努力した人を「自分だってできる」と何もやらないのにバカにすることを肯定しているのだ。
これは、「他人の努力」に対する尊敬の念が根本から無いことも意味している。

ということで、次回は「尊敬」について、論じていきます。

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2006年08月13日

学習意欲(前編)

中国の授業風景を見て、一番の違いは「子どもの学習意欲」だろうと思う。
子どもが「知りたい」「分かるようになりたい」という気持ちを前面に出している。そして、「自分はこんな事もできる」とアピールしている姿をそこに見た。
学校に来ることの意味は「自分が『価値ある人間』に変わるため」と意識している姿がそこにはあった。

それは、子どもの表情という曖昧な基準だけではなく、「挙手の回数(人数)」や「発言の語彙数」という数値的な部分でも違いがあるように思えた。

では、なぜ日本の子ども達は学習意欲を無くしてしまったのだろうか?

そこにこそ、問題の根っこがあるように思う。
日本の子どもは「勉強すること」に価値を見いだしていない。それどころか「勉強してもろくな事がない」と思っている階層がある。と思う。
現在の日本は「学校外でも勉強している」子ども(多くは学校よりも塾の学習に価値を感じている)と「どこでも学習していない」子どもに別れている。

一つ一つについて、これから話をしていこうと思う。

まず、学校外でも勉強している子ども。これは、裕福な家庭に育った子どもに多い。それは、勉強することで資格などを獲得し、高額な収入を得ている親の姿が反映している。いわゆる勝ち組の子どもだ。
この子供の親は「学習することで収入が得られる」という思いがあり、それを子どもにも伝えようとしている。親の価値観に左右され、学習意欲を高めていると言える。また、この階層の子どもは「学校の先生の不祥事」などといった情報も豊富に得ている。そのため、特に「公立の先生」よりも、「塾の先生」に高い価値を認めている。
したがって、学校ではそこそこに勉強し、塾で本気モードで学習するなんて傾向も見られる。

さて、その一方「どこでも学習していない」子どもは貧困家庭に育った子どもが多い。いわゆる負け組の子どもだ。
学校の勉強は実社会には役立たないと思っている。だから「勉強しても仕方ない」と思っている家庭が多い。「官僚の不祥事」があれば、「だから勉強しているヤツはダメなんだ」と勉強=悪という価値観を子どもに植え付けている。
だから子どもは「勉強すると悪い人間になる」と思っているから、勉強するような親不孝はしてはいけないと考えている。

勉強しなかったお陰で高収入を得ることができたという例は無いにも関わらず、勉強しないことで何かしら良い未来が開けるような錯覚に陥っている。
また、「勉強しても悪人になる」と思っているから「人並みでよい」と思ってしまう。「人並み」というのは、周りの様子をみて、それに合わせるという意味だから「他よりぬきんでよう」という意欲は無い。

実際、「人並み」なら「今の人並み」の生活が得られるような幻想を持っている。アルバイト・フリーターで「人並み」の生活が得られるような錯覚を持っている。実際には「親の保護」があって「人並み」の生活をしているだけなのにあたかも自分の力で「人並み」の生活を享受しているような錯覚に陥っている。

そして、一番問題なのは負け組の子どもが「他の子が勉強している姿」を見ていないことだろう。勝ち組の子どもは塾で「他の子が勉強している姿」を見ている。だから、「自分も人並みに頑張らなくては」と思うのだが、負け組の子どもはその姿を知らない。
そうして、二つの集団は交わることなくどんどんと差が開いている。
学習成績が正規分布にならなくなったのは、もう5年近く前からのことだ。それは今も静かに潜行している。この現象が明るみに出るのは、おそらくあと20年以上後の事だろう。

この集団が成人し、子どもを持つようになって「すでに逆転不可能なほどの社会的・経済的差が開いてしまってから」だろう。
その頃には、日本が世界の中に占める地位も大きく変わっているだろう。
そう、日本は「世界の中の日本」から、「アジアの中のちっぽけな日本」に。

では、それを防ぐにはどうしたらよいのか。どんな手段があるのかについては、次回のエントリーとさせていただきます。

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2006年08月10日

日本が失ったもの

先日、中国の授業風景のビデオを見た。
そのビデオを見ながら、過去の日本の姿をそこに見つけた。
けれど、その美点は現在の日本の教育現場からは失われた物が多くあったように思った。

そこで、これを契機に「日本が失ったもの」としてシリーズ化してみようと思いました。下手をすると「ノスタルジー」の一言で済まされてしまうかもしれないけれど、日本が失ったもの。それは流行に惑わされて、本当は変えてはいけなかった「不易」の部分ではなかったのかと感じられたのです。

教員でなければ、「そんなのは教員の質が落ちたからだ」と一笑にふされてしまうような内容かもしれないけれど、今この時期だからこそ、じっくりと考えるに値するテーマではないかと思ったのです。

また、じっくりと考えて文章にしていかなくては、私の本当の思いが読んでくださった人に伝わらないのではないかという思いもあるので、一つ一つについて、丁寧に推敲をし、ポツリポツリと書き上げていきたいと思っています。

是非ともいろんな人の意見も聞きながら、「日本が失ったもの」について考えていきたいと思っています。最近、更新が滞っていますが、そんなことを考え、資料にあたっていると、なかなかエントリーという形にならないものなのです。
今後ともよろしくお願いします。

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