仕方ない。

妥協しながらやっていく。そんなブログ。

タイムマシンが完成したら、「明後日のお前に『一昨日来やがれ』って言われたから来たよ」って誰かに言ってやりたい。

生存報告と生存戦略について

ポケモンマスターになるために仕事辞めたい。
どうも僕です。
1年4~5か月ぶりの投稿です。
この1年で昇格したり営業に回されたり営業クビになったり部下ができたり
いろいろありましたが元気です。 

今年で29歳になっちまうので
今後の人生についてじっくり考えてみた。
何となく小学校の頃は、30歳くらいには子供がいて
郊外の一軒家を買って、
適当に仕事してるんだろう、的なイメージを持っていた気がする。
中学くらいになったときには
30歳なんて弁護士か医者になってモリモリ仕事していて、
金バンバン稼いでガンガン使って楽しんで
独身貴族最高!!結婚なんてどーでもいいぜ!みたいになってるノリだった。
高校になった頃には弁護士?医者?(ヾノ・∀・`)ムリムリ
十分な不労所得があって一生働かなくても生きていける方法ねぇかな、と思ってた。
ちょっと飛んで、大学の頃には
金持ってる女のヒモになって、適当に生きていきたいと思ってた。

年を食うごとに着実にクズとしての階段を昇ってきた俺だったが、
今になって思うと、本気で自分のやりたいことってなんだったのかを考えたことなかった気がする。

でもって、今俺はWEB専門の広告代理店の一角で
広告ばらまいて飯食ってる。

こういうことがしたいわけじゃないんだけどなぁ、と思いつつ、
じゃあ何がしたいんだと問われたら答えがない、という現状が情けないので
いろいろ考えてみたんだけど、

俺が人生の中で心が震える出来事っていくつかしかなくて
大体が娯楽がらみなんだよね。

・はじめて劇団四季見たとき
・オペラの脚本書いて、それが公演されたのを見たとき
・街コン企画のアイディア出して実行された後のアンケート結果見たとき

何かイベントとか娯楽系の企画をして、
それでみんなが楽しんでくれる、時間が有意義なものになる、
そういう瞬間に心が震えやすいんだと思う。

となると、今のtoBの会社で働くよりは、toCよりのエンターテイメント系の会社でやった方が
なんぼか有意義なんじゃないかと思い始めとる。

今年で会社入って3年目だから、ここはやり切っとかないと社会的なゴニョゴニョがあれなのかもしれんけど
30になっちまったら手も足も出なくなる気がするので
早いうちに動き出した方がいいんだろうなぁ。

という話を社長にしたら
なぜかオペラ公演をやるための企画書書けとか言われて
8月末までにオペラの企画書作らなきゃならなくなった。
なんでWEBの代理店がオペラ……まぁ、とりあえず書くけどさ。
メンツ的に実現は無理だし、というかオペラがやりたいのかと問われれば違うから
多分来年の今頃はいないんだろうな、と思う。

そんなわけで僕は元気です。
このブログの更新は不定期で適度に続けていきますね。

社会人的健康問題。

健康診断で善玉コレステロールが少なすぎて再検査を食らいました。
どうも僕です。
身体の中から善が消えていく……。

健康診断で引っかかったのは人生で初めてだ。
これまで多くの健康診断(主に治験)を受けてきたが、引っかかったことは一度もなかった。
それがこの度とうとう引っかかってしまった。
俺も気づけば27歳。もう若くはないということか……。

善玉コレステロールとは、悪玉コレステロールを退治してくれる正義のヒーローみたいなやつで、
適度なアルコールの摂取か、適度な運動により増加し、
喫煙や肥満で減少してしまうらしい。
アルコールで増えるヒーローとは、とんだ酔っ払い、いやいや、酔拳の使い手である。
ちなみに悪玉コレステロールは動脈硬化という名の世界征服を企む悪の組織で、
こいつらと善玉コレステロールが日々体内で終わりなき戦いを繰り広げているというのだ。
なんと浪漫のある設定。映画化決定。

そして今、俺の体内では正義のヒーローが絶滅の危機に瀕している。
悪の組織の魔の手が俺の動脈に延びようとしている。
そうはさせない!立ち上がれ、善玉コレステマン!

というわけで、酒を飲んで運動したいと思います。
これ遅ればせながら今年の抱負。夏くらいまでには金貯めてジムとか通いたいなぁ。

 

年始の挨拶と抱負について。

あけましておめでとうございます。
元気でしたか。
俺?俺は元気じゃない。
一時期40度近い高熱にうなされてた年末年始でござった。
今も万全じゃないという、ひどい状況です。

ともあれ、お正月です。
皆様、年賀状は何通届きましたか?
もう年賀状の時代ではないとは言え、手紙の持つ温かみは忘れてはいけない風物詩だと思います。
俺?俺は0通だよ。
っつーかもう年賀状なんて10年くらい1通も届いてないよ。
夏の蝉然り、冬のクリスマス然り、
風物詩というのは、自分と関係ないところで人知れず行われて、たまに見かけて「おぉ、もうこんな季節か」と感じるものなのだよ。

しかし昨年は俺の人生で結構大きな変動の年だったと思う。
がっつり仕事したし、仕事しすぎてぶっ倒れたし、
人間関係の構築方法を忘れてしまって彼女ができる気がしなくなったし
気づいたらもう9か月くらいセックスしてないし。
逆にもうセックスするの怖いし。
うまくできる気がしないよ。
何の話だっけ?

まぁ、そんな私でしたが、このブログも2011年にはじめて、もう2015年か。
時間が経つのは早いもんだ。
こんな感じで年間10回くらいの更新ペースで適当にあるんだかないんだかわからないブログが広いインターネットの片隅にあってもいいんじゃないかと、最近思い始めている。
そういや前やってたブログは2年くらいで閉鎖してた気がするな。
時間の流れ方が変わったなぁ。 まだそんな経ってる気がしない。

今年は何か違ったことがしたいなぁ。
金貯めて一人旅するとか。海外旅行とか。
彼女はいらないけど友達が欲しいな。
人との繋がりを作る1年にしたい。
そうしよ。
この希薄になった人間社会・東京砂漠の中でひときわ輝くサボテンのとげになるのだ!

……なんか違うけど、いいか。

そんなわけで、今年もよろぴく。 

社畜恋愛論。

明後日から社員旅行。
記憶の中では人生初海外。
さて、どうなることか。

お久しぶりです。僕です。
最近は会社の人にときめいてあきらめて
いろいろ吹っ切れて婚活パーティ的なところに行こうかと考え始めています。
社内恋愛ってどうなんだろ?
ありやなしやでいったらなしだろう。

自分がいつから人間関係に保守的になったのかはもう思い出せないが、
昔はもっと後先考えずに突っ走っていた気がする。
付き合う以前に気持ちを伝える前から断られることや別れた後のことを考えて、
そこから「そもそも私は本当に彼女が好きなのか?」と論点が飛躍する。
一時の人恋しさに負けて身近な女性に甘えようとしているだけなのではないか。
人と人とが結ばれるためには盆栽の松の枝ようにねじ曲がって複雑怪奇な過程を経る必要があるのではないか。私は彼女の何を知っているというのか。たまたま仕事でよく会話するだけで彼女のプライベートは依然未知のままである。多面的たる人間のある一面だけを見て惚れたはれたなどというのは愚の骨頂、幼児向けジグソーパズルよりも簡単すぎる男ではないか。
百歩譲ってこの気持ちが恋だったとしても、彼女の心の内も定かでないというのに一方的に気持ちをぶつけるのは無粋である。
紳士たるものそのような近視眼的恋愛道に足を踏み入れるわけにはいかない。私の誇りが許さない。
綿密な調査の上に私の気持ち彼女の気持ちとそれぞれの将来について幾通りものパターンでシミュレーションを行い、万人が納得する結論を導くのが紳士たる恋愛ではなかろうか。
軽い気持ちで男女交際に溺れるのは高校生までで十分だ。私は大人の男として女性を愛するということについてもっと深く考える必要がある。
そうこう考えているうちに有耶無耶になった思考は現状維持という最も甘い考えに行きつくのだ。
果たしてこれが私の求めている答えでないことだけは明確であるが、それ以上にどうこうする気力もしくは体力が今の私にはないことに気付いたのはつい一昨日のことである。
私は恋に恋する乙女のような軟弱者に成り果ててしまったのか。
妄想世界で完結しておけばいいものを、行動を起こす気もない現実にまで妄想を持ち込むとは言語道断。
それならばいっそのこと普通に生活していたら絶対に出会わない女性に恋愛を前提とした出会いをするよりほか方法はないと考え、たどり着いた答えが冒頭の街コン参加である。
結局社内恋愛といういばらの道を避けて安寧を求めて修羅場の大海へ船を出す阿呆が一人いるだけなのであった。

っつーか彼女は俺をどう思ってるんだろ?
うまく知る方法はないかな。 

個人的な友人の定義について。

9/1ということは、新学期が始まる頃だということだ。
にもかかわらず、私はまだ夏休みを取っていない。
かむばっくさまー。

どうも私です。

私の数少ない親しいと呼べる友人が
何故か私と同じような広告代理店に勤めている割合が高いことに気がついた。
巡り合わせというか運命というか、良くいえばそういうものを感じる。
悪くいえば私のような変人の一度は通る道なのかもしれない。
まぁ、みんな媒体は違うようだが。

しかし友人とは言っても、全員と既に年単位で会っていない。
友人とは何なのか。
例えば良く「友達と遊んだ」というが、
恐らく上記の友人たちと会ったとしても、「遊ぶ」ことはないと思う。
では何をするか、といえば、近況報告だろう。
お互いに近況報告をし、何か直面している問題があればそれを話し、
「自分だったらこうする、解決できないのはお前が悪い」
「いや、それは俺も考えたがこういう問題が発生するだろう。そんなこともわからない貴様は馬鹿か」
「なにをう!」
「やるか!」
と罵り合う。
そしてお互いに「なんだこいつ」と思いながら別れる。
そういう関係が私にとっての友人である。

逆に「遊ぶ」相手はそれほど親しくないイメージが強い。
ダーツをしたりカラオケをしたり麻雀をしたり。
そういう「遊び」によってつるんでいた奴もこれまで数多くいた。
しかし彼らは友人と呼ぶには些か精神的距離があるし
恐らく連絡を取ることも取ろうと思うこともないだろう。
相手から連絡が来た場合には、
(宗教かマルチかはたまた借金か…)と警戒する。
これは、少なくとも私は、友人とは呼ばない。 

不思議なことに、頻繁に遊ぶ誰かよりも、年単位で会ってない友人の方が
「あいつならこう考えるだろうな」と思うことが多い。

上記を考察するに、私が友人に求める資質は「思考」にある。
自分と同等かそれ以上の思考ができ、その思考をぶつけ合える相手。
それが私にとっての友人の定義なのだと思う。

思えば最近会社で親しくしている相手とも
やることは基本的に会話に尽きる。
昼飯を食いに行きつつ会社の問題点を挙げ、その解決策をぶつけ合う。
若しくは将来やるべき事業計画の案を出し合い、そのプロセスを提案し合う。
または、現在の会社を大きくするためにはどのような事業が考えられるかを
コスト面やリソースの問題も含めて考える。
そういったことばかりしている気がする。

こう考えると、私には友人がいないと思っていたが、そんなことはなく、
いないのは遊び相手だったのだ。
だから休日はPCと一日中向き合うことになり、
アウトドアに出向くこともなく、
ひたすら内へ内へと抉り込むようになる。

私の生活改善に必要なのは遊び相手か。

遊び相手って、友達作るより難しいんじゃないかな・・・。 続きを読む

三大欲求の一部を抑制した際の不可解な思考について。

あまりに女性との接触が無さすぎる。
もういい年だし、結婚も視野に入れるべきなんだろうけど、
なんともはや、女性とのプライベートな接点がない。
というか、もはや接点の作り方すらわからない。
学生時代に自ら作っていたと思い込んでいた接点は
実は講義やゼミやサークルの過程で作らされていたものだと知る。
ここでモノを言うのが所謂コミュ力と呼ばれているものなのだろうが、
なんともはや、私にはそれが無い。
いや、人並みにはあるのか。
しかし人並みでは殻が破れないのも、また一つの真実。

あまりに女性との接点が無さ過ぎて
満員電車とかでスマホを弄ぶ手に女性の二の腕なんかが触れると
私の中の獣が目を覚ます。
朝だから半分寝惚けているのもあるのだろうが、
今朝などは夢現に目の前の女性の肩を抱く妄想をしてしまった。
はからずも触れてしまった久々の女性の柔肌は実に心地よく、
妄想と現実の境目が曖昧になってゆく。
「いっそこの人が彼女になってくれねぇかな・・・」
とか思ってしまっているところが怖い。
池袋までの10分間が永遠に感じる恐怖。
きっと魔が差したとかほざいて痴漢する奴って俺みたいなやつなんだろうな、と自己嫌悪に陥る。
そんな灰色のウィークデイである。

彼女をつくるって、こんなに難易度高かったっけ。
きっと既に私は人生のボーナスステージを終えてしまったのだ。
あとは地道な努力。コツコツと行き先も判らぬまま何かを貯めていくしかない。
そう考えると、もう結婚とかどうでもいいと思えてくる。
結婚しても、浮気されて離婚とかなったらもう心折れるとかの騒ぎじゃ済まないし、
離婚とかしなくても、果たして私を心から愛してくれる女性はこの世に存在するのだろうか。(反語)
万が一私を愛してくれる女性がいたとして、私はその愛に応えられるのだろうか。(疑問)

こういう疑心暗鬼ループに入るってことは
最近プライベートで誰とも話していない証拠だな。
大学時代は声掛ければ誰かいたのに、
人生って、世知辛い。 
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