仕方ない。

妥協しながらやっていく。そんなブログ。

タイムマシンが完成したら、「明後日のお前に『一昨日来やがれ』って言われたから来たよ」って誰かに言ってやりたい。

社畜恋愛論。

明後日から社員旅行。
記憶の中では人生初海外。
さて、どうなることか。

お久しぶりです。僕です。
最近は会社の人にときめいてあきらめて
いろいろ吹っ切れて婚活パーティ的なところに行こうかと考え始めています。
社内恋愛ってどうなんだろ?
ありやなしやでいったらなしだろう。

自分がいつから人間関係に保守的になったのかはもう思い出せないが、
昔はもっと後先考えずに突っ走っていた気がする。
付き合う以前に気持ちを伝える前から断られることや別れた後のことを考えて、
そこから「そもそも私は本当に彼女が好きなのか?」と論点が飛躍する。
一時の人恋しさに負けて身近な女性に甘えようとしているだけなのではないか。
人と人とが結ばれるためには盆栽の松の枝ようにねじ曲がって複雑怪奇な過程を経る必要があるのではないか。私は彼女の何を知っているというのか。たまたま仕事でよく会話するだけで彼女のプライベートは依然未知のままである。多面的たる人間のある一面だけを見て惚れたはれたなどというのは愚の骨頂、幼児向けジグソーパズルよりも簡単すぎる男ではないか。
百歩譲ってこの気持ちが恋だったとしても、彼女の心の内も定かでないというのに一方的に気持ちをぶつけるのは無粋である。
紳士たるものそのような近視眼的恋愛道に足を踏み入れるわけにはいかない。私の誇りが許さない。
綿密な調査の上に私の気持ち彼女の気持ちとそれぞれの将来について幾通りものパターンでシミュレーションを行い、万人が納得する結論を導くのが紳士たる恋愛ではなかろうか。
軽い気持ちで男女交際に溺れるのは高校生までで十分だ。私は大人の男として女性を愛するということについてもっと深く考える必要がある。
そうこう考えているうちに有耶無耶になった思考は現状維持という最も甘い考えに行きつくのだ。
果たしてこれが私の求めている答えでないことだけは明確であるが、それ以上にどうこうする気力もしくは体力が今の私にはないことに気付いたのはつい一昨日のことである。
私は恋に恋する乙女のような軟弱者に成り果ててしまったのか。
妄想世界で完結しておけばいいものを、行動を起こす気もない現実にまで妄想を持ち込むとは言語道断。
それならばいっそのこと普通に生活していたら絶対に出会わない女性に恋愛を前提とした出会いをするよりほか方法はないと考え、たどり着いた答えが冒頭の街コン参加である。
結局社内恋愛といういばらの道を避けて安寧を求めて修羅場の大海へ船を出す阿呆が一人いるだけなのであった。

っつーか彼女は俺をどう思ってるんだろ?
うまく知る方法はないかな。 

個人的な友人の定義について。

9/1ということは、新学期が始まる頃だということだ。
にもかかわらず、私はまだ夏休みを取っていない。
かむばっくさまー。

どうも私です。

私の数少ない親しいと呼べる友人が
何故か私と同じような広告代理店に勤めている割合が高いことに気がついた。
巡り合わせというか運命というか、良くいえばそういうものを感じる。
悪くいえば私のような変人の一度は通る道なのかもしれない。
まぁ、みんな媒体は違うようだが。

しかし友人とは言っても、全員と既に年単位で会っていない。
友人とは何なのか。
例えば良く「友達と遊んだ」というが、
恐らく上記の友人たちと会ったとしても、「遊ぶ」ことはないと思う。
では何をするか、といえば、近況報告だろう。
お互いに近況報告をし、何か直面している問題があればそれを話し、
「自分だったらこうする、解決できないのはお前が悪い」
「いや、それは俺も考えたがこういう問題が発生するだろう。そんなこともわからない貴様は馬鹿か」
「なにをう!」
「やるか!」
と罵り合う。
そしてお互いに「なんだこいつ」と思いながら別れる。
そういう関係が私にとっての友人である。

逆に「遊ぶ」相手はそれほど親しくないイメージが強い。
ダーツをしたりカラオケをしたり麻雀をしたり。
そういう「遊び」によってつるんでいた奴もこれまで数多くいた。
しかし彼らは友人と呼ぶには些か精神的距離があるし
恐らく連絡を取ることも取ろうと思うこともないだろう。
相手から連絡が来た場合には、
(宗教かマルチかはたまた借金か…)と警戒する。
これは、少なくとも私は、友人とは呼ばない。 

不思議なことに、頻繁に遊ぶ誰かよりも、年単位で会ってない友人の方が
「あいつならこう考えるだろうな」と思うことが多い。

上記を考察するに、私が友人に求める資質は「思考」にある。
自分と同等かそれ以上の思考ができ、その思考をぶつけ合える相手。
それが私にとっての友人の定義なのだと思う。

思えば最近会社で親しくしている相手とも
やることは基本的に会話に尽きる。
昼飯を食いに行きつつ会社の問題点を挙げ、その解決策をぶつけ合う。
若しくは将来やるべき事業計画の案を出し合い、そのプロセスを提案し合う。
または、現在の会社を大きくするためにはどのような事業が考えられるかを
コスト面やリソースの問題も含めて考える。
そういったことばかりしている気がする。

こう考えると、私には友人がいないと思っていたが、そんなことはなく、
いないのは遊び相手だったのだ。
だから休日はPCと一日中向き合うことになり、
アウトドアに出向くこともなく、
ひたすら内へ内へと抉り込むようになる。

私の生活改善に必要なのは遊び相手か。

遊び相手って、友達作るより難しいんじゃないかな・・・。 続きを読む

三大欲求の一部を抑制した際の不可解な思考について。

あまりに女性との接触が無さすぎる。
もういい年だし、結婚も視野に入れるべきなんだろうけど、
なんともはや、女性とのプライベートな接点がない。
というか、もはや接点の作り方すらわからない。
学生時代に自ら作っていたと思い込んでいた接点は
実は講義やゼミやサークルの過程で作らされていたものだと知る。
ここでモノを言うのが所謂コミュ力と呼ばれているものなのだろうが、
なんともはや、私にはそれが無い。
いや、人並みにはあるのか。
しかし人並みでは殻が破れないのも、また一つの真実。

あまりに女性との接点が無さ過ぎて
満員電車とかでスマホを弄ぶ手に女性の二の腕なんかが触れると
私の中の獣が目を覚ます。
朝だから半分寝惚けているのもあるのだろうが、
今朝などは夢現に目の前の女性の肩を抱く妄想をしてしまった。
はからずも触れてしまった久々の女性の柔肌は実に心地よく、
妄想と現実の境目が曖昧になってゆく。
「いっそこの人が彼女になってくれねぇかな・・・」
とか思ってしまっているところが怖い。
池袋までの10分間が永遠に感じる恐怖。
きっと魔が差したとかほざいて痴漢する奴って俺みたいなやつなんだろうな、と自己嫌悪に陥る。
そんな灰色のウィークデイである。

彼女をつくるって、こんなに難易度高かったっけ。
きっと既に私は人生のボーナスステージを終えてしまったのだ。
あとは地道な努力。コツコツと行き先も判らぬまま何かを貯めていくしかない。
そう考えると、もう結婚とかどうでもいいと思えてくる。
結婚しても、浮気されて離婚とかなったらもう心折れるとかの騒ぎじゃ済まないし、
離婚とかしなくても、果たして私を心から愛してくれる女性はこの世に存在するのだろうか。(反語)
万が一私を愛してくれる女性がいたとして、私はその愛に応えられるのだろうか。(疑問)

こういう疑心暗鬼ループに入るってことは
最近プライベートで誰とも話していない証拠だな。
大学時代は声掛ければ誰かいたのに、
人生って、世知辛い。 

社畜の日常と今後の決意。

お久しぶりです。
たまにカウンターをまわしてくれてる方はありがとう。

そういうわけで、大学を中退した俺は4月からの使用期間を兼ねたアルバイトを経て
今日正社員になった。
まぁ、大した変化があったわけでもない。
女を信用しなくなったことと
仕事って面白いなと知ったことと
東京を魅力的な街だと思うようになったこと。
ついでに言うと、強がりとかではなく、人生は何が起こるかわからないから面白い、と言えるようになった。

ベンチャーに入ったからブラック臭は拭えないが、
それでも事業開発部でプロジェクトの諸々を任せてもらえて
経験を積めるのは魅力。
こうして人間は成長していくんだろうな、というのを実感するのは
今までの人生に無い経験。
これまで自分の能力で十分に賄えると踏んだことしかしてこなかったのは
やはり完全に間違いだった。
無駄な四半世紀を過ごしたとは思いたくないが、
やはりもっと有意義な過ごし方はあったんだろうな。

直近の1カ月なんかは、もうね。
時給1000円のアルバイトなのに
一部上場企業の専務相手に営業かけて受注貰ったりとか
Webサイト構築事業で新規参画企業のデータを全部入力したりとか
身分に対しての責任の重さを感じていた。
俺がバックレたらどうなっちゃうんだろう、とか満員電車で妄想してニヤける毎日w

なにはともあれ、今日から正社員。
バックレることはもうできない。
いざというときには責任を負って沈むしかない。
今までと違った新たなスリルが追加されて
やっぱり仕事って面白いな、と再確認できる。

こういう毎日も悪くないな、と思う。

ちなみに俺の日常を文字で書くと
起きる→会社行く→仕事する→家に帰る→オナニーする→寝る
この味気なさ。
仕事がつまらなくなったら死ぬしかないんだろうな、と思う。

とりあえずは、会社に必要な人間になろうと思います。
こいつがいなくなったらマズイな、と思わせたら俺の勝ち。
さて、何年で勝てるかな。 

ひな祭りの意義について。

知ってるか?もう2月が終わっちゃったんだぜ。
このブログも1カ月以上放置してしまったことになるんだぜ。
多分2月は日数が少ないからこういうことが起きるんだな。
決して俺がサボったからではない。決して。


今日は3月3日。ひな祭りの日である。
ひな祭りと言えば、女の子の成長を祝う祭りである。
江戸時代に入るまでは雛人形ってのはお内裏様とお雛様しかおらんかったらしい。
今みたいに官女や囃子がいる段飾りは江戸時代になってから。
割と最近できたものなんだってね。
ちなみに3月3日を過ぎても雛人形を飾ったままにしておくと、そこの女の子は行き遅れるらしい。
迷信に過ぎないけれどもね。

しかしこれは良く考えると男親にとっては複雑な祭りである。
愛娘の健やかなる成長はもちろん喜ばしいことだが、
成長するにつれ、いずれ来る反抗期。やがて訪れる「彼氏ができた」発言。
そして、遅い来る「娘さんを僕にください」という死の言葉。
ずっと自分の可愛い可愛い女の子だと思っていた娘が、ぽっと出の誰かに連れ去られるドナドナ。
そんなことを想像すると、とても複雑な気分になってしまう。
永遠に手元に置いておきたい。
自分と、妻と、愛娘の3人だけの生活がずっとずっと続くものだと思っていた。
この平安を乱す者は何人たりとて許すまじ。
そういった憎悪と憤怒の入り乱れる混沌こそが、このひな祭りの本質なのではないかと思う。
お父さんが「雛人形片付けてよ!」という妻の罵声に耐えながら、行き遅れを願って飾り続けることも無理なかろうことなのである。

そんなひな祭りであるが、我が家ではもう何年も雛人形を飾っていない。
とても立派な7段飾りがあるんだが、持ち主が実家に住んでいないのだから飾っても仕方がない。
というか、もう健やかに成長しきってしまったのだから如何ともしがたい。
ちなみに我が家では妹のひな祭りの時には誕生日やクリスマスのようにプレゼントが用意されたものであったが、我々兄弟の端午の節句に至っては、特に何を飾るでもなく、また当然のようにプレゼントなども用意されず、ただただちらし寿司を食わされて終わる日になっていた。
この場を借りて、世の中の親たる者に、高々にジェンダーフリーを訴えかけたいと思う。
あまりそんなことばっか続くと俺みたいにグレちゃうんだからね☆


ところで私に彼女が出来たのはご存じだろうか。
毎日幸せです^^ 

同窓との会合と麻雀について。

久々に同じゼミで仲良かったグループで集まり麻雀をやった。
気付いたらみんな公務員に決定しており、安牌な人生をモリモリと謳歌する気満々な様子で、
それに対して俺は人生是綱渡りがモットーなんじゃないかと自分でも疑うくらいの不安定さで、
同じ4年間を過ごした者同士とは思えない有様だった。
そんな中で何でもない顔をしつつ心の底ではドップリ落ち込む哀れなアラサー男が、そこにいた。
っていうか俺だった。


しかし凡そ1年ぶりの再会だったので、昔ほどぶっちゃけた話が出来ない雰囲気でなんとも寂しい。
前は素面でもセックスの好きな体位とか恋人のセックスのやり方とか、こういうプレイはアリやナシや、みたいな赤裸々な話題に溢れていたのに、今回は酒を飲んで1時間程経過した後におっかなびっくりそういった話題に触れる、といった流れで、
求めていた感じというか、そういうのとは些か違ったのが印象的であった。
思えばみんなあと2,3カ月もすれば社会に羽ばたいて行くわけで、
就活に揉まれたフラストレーションと、進路決定によるカタルシスと、最後のモラトリアムを追い求めたりなんかするうちに、性格も変わるってもんだ。
いや、まだまだ序の口。
きっと社会の荒波は彼らを一層変わらせてしまうんだろう。
そうして何年も経てば、きっともう同じ卓を囲んで麻雀をするなんて夢物語になってしまう。
そんな悲しいことは嫌だけれど、避け難い事実なのだ。
もう道は違われたのだから。


というわけで、今日の麻雀は譲ることなく全力で勝ちに行った。
大人げないと言われようと、これ賭け麻雀じゃないよと言われようと、勝ちに行った。
調子に乗って6万点まで到達するも、調子に乗り過ぎてフリテンチョンボ……。
チョンボから流れとかツキまで手放してしまったようで牌が寄らない寄らない。
しかしオーラスで跳満上がって結局最終的に3万5千点でトップ。
いやー、いいゲームだった!

また2月にやろうって言って解散したけど、果たして集まれるかなぁ。
なんとなくこれが最後な気がしてしまうセンチメンタルな冬なのだった。
 
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