仕方ない。

妥協しながらやっていく。そんなブログ。

タイムマシンが完成したら、「明後日のお前に『一昨日来やがれ』って言われたから来たよ」って誰かに言ってやりたい。

社畜の日常と今後の決意。

お久しぶりです。
たまにカウンターをまわしてくれてる方はありがとう。

そういうわけで、大学を中退した俺は4月からの使用期間を兼ねたアルバイトを経て
今日正社員になった。
まぁ、大した変化があったわけでもない。
女を信用しなくなったことと
仕事って面白いなと知ったことと
東京を魅力的な街だと思うようになったこと。
ついでに言うと、強がりとかではなく、人生は何が起こるかわからないから面白い、と言えるようになった。

ベンチャーに入ったからブラック臭は拭えないが、
それでも事業開発部でプロジェクトの諸々を任せてもらえて
経験を積めるのは魅力。
こうして人間は成長していくんだろうな、というのを実感するのは
今までの人生に無い経験。
これまで自分の能力で十分に賄えると踏んだことしかしてこなかったのは
やはり完全に間違いだった。
無駄な四半世紀を過ごしたとは思いたくないが、
やはりもっと有意義な過ごし方はあったんだろうな。

直近の1カ月なんかは、もうね。
時給1000円のアルバイトなのに
一部上場企業の専務相手に営業かけて受注貰ったりとか
Webサイト構築事業で新規参画企業のデータを全部入力したりとか
身分に対しての責任の重さを感じていた。
俺がバックレたらどうなっちゃうんだろう、とか満員電車で妄想してニヤける毎日w

なにはともあれ、今日から正社員。
バックレることはもうできない。
いざというときには責任を負って沈むしかない。
今までと違った新たなスリルが追加されて
やっぱり仕事って面白いな、と再確認できる。

こういう毎日も悪くないな、と思う。

ちなみに俺の日常を文字で書くと
起きる→会社行く→仕事する→家に帰る→オナニーする→寝る
この味気なさ。
仕事がつまらなくなったら死ぬしかないんだろうな、と思う。

とりあえずは、会社に必要な人間になろうと思います。
こいつがいなくなったらマズイな、と思わせたら俺の勝ち。
さて、何年で勝てるかな。 

ひな祭りの意義について。

知ってるか?もう2月が終わっちゃったんだぜ。
このブログも1カ月以上放置してしまったことになるんだぜ。
多分2月は日数が少ないからこういうことが起きるんだな。
決して俺がサボったからではない。決して。


今日は3月3日。ひな祭りの日である。
ひな祭りと言えば、女の子の成長を祝う祭りである。
江戸時代に入るまでは雛人形ってのはお内裏様とお雛様しかおらんかったらしい。
今みたいに官女や囃子がいる段飾りは江戸時代になってから。
割と最近できたものなんだってね。
ちなみに3月3日を過ぎても雛人形を飾ったままにしておくと、そこの女の子は行き遅れるらしい。
迷信に過ぎないけれどもね。

しかしこれは良く考えると男親にとっては複雑な祭りである。
愛娘の健やかなる成長はもちろん喜ばしいことだが、
成長するにつれ、いずれ来る反抗期。やがて訪れる「彼氏ができた」発言。
そして、遅い来る「娘さんを僕にください」という死の言葉。
ずっと自分の可愛い可愛い女の子だと思っていた娘が、ぽっと出の誰かに連れ去られるドナドナ。
そんなことを想像すると、とても複雑な気分になってしまう。
永遠に手元に置いておきたい。
自分と、妻と、愛娘の3人だけの生活がずっとずっと続くものだと思っていた。
この平安を乱す者は何人たりとて許すまじ。
そういった憎悪と憤怒の入り乱れる混沌こそが、このひな祭りの本質なのではないかと思う。
お父さんが「雛人形片付けてよ!」という妻の罵声に耐えながら、行き遅れを願って飾り続けることも無理なかろうことなのである。

そんなひな祭りであるが、我が家ではもう何年も雛人形を飾っていない。
とても立派な7段飾りがあるんだが、持ち主が実家に住んでいないのだから飾っても仕方がない。
というか、もう健やかに成長しきってしまったのだから如何ともしがたい。
ちなみに我が家では妹のひな祭りの時には誕生日やクリスマスのようにプレゼントが用意されたものであったが、我々兄弟の端午の節句に至っては、特に何を飾るでもなく、また当然のようにプレゼントなども用意されず、ただただちらし寿司を食わされて終わる日になっていた。
この場を借りて、世の中の親たる者に、高々にジェンダーフリーを訴えかけたいと思う。
あまりそんなことばっか続くと俺みたいにグレちゃうんだからね☆


ところで私に彼女が出来たのはご存じだろうか。
毎日幸せです^^ 

同窓との会合と麻雀について。

久々に同じゼミで仲良かったグループで集まり麻雀をやった。
気付いたらみんな公務員に決定しており、安牌な人生をモリモリと謳歌する気満々な様子で、
それに対して俺は人生是綱渡りがモットーなんじゃないかと自分でも疑うくらいの不安定さで、
同じ4年間を過ごした者同士とは思えない有様だった。
そんな中で何でもない顔をしつつ心の底ではドップリ落ち込む哀れなアラサー男が、そこにいた。
っていうか俺だった。


しかし凡そ1年ぶりの再会だったので、昔ほどぶっちゃけた話が出来ない雰囲気でなんとも寂しい。
前は素面でもセックスの好きな体位とか恋人のセックスのやり方とか、こういうプレイはアリやナシや、みたいな赤裸々な話題に溢れていたのに、今回は酒を飲んで1時間程経過した後におっかなびっくりそういった話題に触れる、といった流れで、
求めていた感じというか、そういうのとは些か違ったのが印象的であった。
思えばみんなあと2,3カ月もすれば社会に羽ばたいて行くわけで、
就活に揉まれたフラストレーションと、進路決定によるカタルシスと、最後のモラトリアムを追い求めたりなんかするうちに、性格も変わるってもんだ。
いや、まだまだ序の口。
きっと社会の荒波は彼らを一層変わらせてしまうんだろう。
そうして何年も経てば、きっともう同じ卓を囲んで麻雀をするなんて夢物語になってしまう。
そんな悲しいことは嫌だけれど、避け難い事実なのだ。
もう道は違われたのだから。


というわけで、今日の麻雀は譲ることなく全力で勝ちに行った。
大人げないと言われようと、これ賭け麻雀じゃないよと言われようと、勝ちに行った。
調子に乗って6万点まで到達するも、調子に乗り過ぎてフリテンチョンボ……。
チョンボから流れとかツキまで手放してしまったようで牌が寄らない寄らない。
しかしオーラスで跳満上がって結局最終的に3万5千点でトップ。
いやー、いいゲームだった!

また2月にやろうって言って解散したけど、果たして集まれるかなぁ。
なんとなくこれが最後な気がしてしまうセンチメンタルな冬なのだった。
 

東京という街とそれに群がる一般ピープルに関する考察。

最近よく東京へ行く。
東京はなんでもあるけれども、何でも無い街でもある。
自分の目標や意思が薄弱な者は、摩天楼の隙間に吸い込まれて消えてゆくのだ。
そして夢や希望に満ち溢れた若者が、己の限界を知り、何かを悟った時にも、目映いネオンを支える影の中に埋もれてゆく。
全く、東京とはそういう街だ。

しかし自分のやりたいことがハッキリしている者にとっては、これ以上の場所はなかろう。
人も物も、ありとあらゆるものが集まってくる。
そしてその中から、運の強い者だけが必要なものを過たず掴み取り、自分の夢を叶えて身を立てるのだ。
おおよそ、東京とはそういう街だ。

そんな街に私が頻繁に足を踏み入れるのは、私が自分の限界を未だ知らないからに他ならない。
この街で、何かを掴みたい。
自分なら、何かを掴めるはず。
そんな客観的に見れば一縷の望み、御釈迦様の垂らした蜘蛛の糸を探して日夜眠らぬ街を闊歩する私は言わば大学生という皮を被ったリビングデッドである。
貪欲で、自分が何者かわかっていない。
自分は何か立派なことを成し遂げられるという野心を持ちつつ、
それでいてモシカシタラ自分ハ何物ニモナレナインジャナイカなんてどこかで不安を抱えている。
私のような腐臭を湛えた亡者は他にも数多にいることだろう。

しかし敢えて言いたい。
我々は必ず生き返る、と。

長野という東京から近からず遠からずの場所から傍観している私はそう言っている。
きっと私が東京という魔酒に酔わないのは、絶えず傍観している自分を残しているからである。
東京は恐ろしい街だ。
ここにいれば何とかなる気がしてしまう。
しかしいるだけでは駄目なのだ。
自分の力で何かをしなければ。
そしてその何かは、自分の頭で考え、自分の体を使って表現するしかない。
これが重要である。

他人が何もしないでいるときに自分だけが何かを為せば、それは大抵良い方に転ぶ。
これは私が四半世紀生きてきた中で唯一得た教訓である。
簡単なことである。
誰も掃除しない中で自分が掃除をすれば褒められる。
誰も勉強しない中で自分だけ予習復習すれば良い成績を収められる。
誰も恋愛しない中で自分だけ恋愛すれば両手に花でも手に余ることだろう。
世の中の多くの人間は何もしていない。
では自分は何をするのか。
何かを為すならいつなのか?
今でしょ!←これが言いたかっただけ。 

まぁそんなわけで、私はこれから東京へ行ってくる。
有体に言えば、企業の説明会に参加するんだけどね。
いやぁ、あの会社は面白い人が一杯いて、わくわくしちゃうなぁ♪ 

本年の矮小な抱負と、昨年の膨大な反省。と愚痴。

はいはい、あけおめあけおめ。
何が明けて何がめでたいのか原稿用紙3枚以内で説明して欲しいわ。

クリスマスあたりから実家に帰ってきているけど、碌な事がない。
家族にはこき使われるし、金は無いし、プレゼント一つ買えないし、
米は無くなるし、金は無いし、イベントだからつっても何処に行けばいいかわからんし。
こう新年早々愚痴を言ってもはじまらんね。

なんにしても、ブログを1カ月以上放置してしまった。


しかしこの年末からの流れを客観的に見ると、自分はお祝い事やイベントには向かない人間だと言うことがわかる。
クリスマス?お正月?何それ、おいしいの?を忠実に守ってきた私は、今さら人並みに楽しむことなどできないのではなかろうか。
ヨーロッパで発見された狼に育てられた少女が人の生活に馴染めなかったように、イベントを悉くシカトするとたかをくくって生きてきた私のこれが結果なのではなかろうか。
いかにそうだとしても、私はイベントごとに参加したいと思ってしまった。
充実した生活を送る紳士淑女の諸君程ではなかろうと、その一片の欠片程度だけでもイベントの楽しみの残り香を嗅ぎたいと思ってしまった。
しかしそれが実現不可能な夢幻だとすれば、私はまるで太陽を目指し蝋で固めた羽を広げるイカロスではないか。

昨日は女の子を連れて初詣に行こうと無謀な試みをし、その結果長蛇に続く渋滞と私の短い短い堪忍袋の緒に返り討ちにされてしまった。
そして今日、また会うことになっているものの、一体どこに行けばいいのか。
これもまた、女子とは縁がないとたかをくくって生きてきた結果である。
いざ女子と親密に関わろうとするとメッキがはがれ、ボロが出る。
結果彼女は失望して去っていくのだ。
思い返せばこれまでの人生で別れを迎えたのも同じ流れだったような気もしてくる。
つくづく学習しない男だな、私は。


とりあえず本年の目標として、人並みにイベントを楽しめる心を獲得することにしておこう。
手始めにお正月を楽しんでやる。
本当はイベントごとなんて全部なくなればいいと思っていることは秘密にしておきたいと思う。 

あけましておめでとうございます。 

シンプルに、松本旅行記。

諸君は自分の住む街を旅行、観光したことはあろうか?
多くの人が無いと言うはずだ。
何しろ、自らの居住地を巡ることを旅行とか観光という言葉で形容しないのが一般的なのだから。
しかし私は長野県松本市に居を構えてより凡そ3年と7カ月。
この間に3度程この街を旅行し、観光した。
今回はごく最近観光した松本の様子を文字によって表現しようと思う。
これは私の地元から松本に遊びに来たとある御仁に松本を紹介したという経緯で生まれたものである。

その日は我が街の北にある私が気が向いたときに通う大学で学祭があった。
学祭は盛況を極め、まさに松本に住んでいる学生たちが集まって馬鹿騒ぎをしているかの如き状況であった。
この雰囲気を是非知人にも味わわせてやろうと奇特なことを考えて誘ったのが地元に住む私の尊敬すべき御仁であった。
とはいえ、翌日は学祭最終日であると同時に世間では3連休の中日を迎えていた。。
私は実家から食料をくすねがてら、彼の御仁を迎えに行ったものの、拾って帰松する道中は恐るべき混雑ぶりであり、その道程は実に普段の2倍に及ぼうかというところであった。
あまりの渋滞っぷりに即急の到着を諦めた我々は、駅弁で有名な横川という土地にあるSAに立ちより、
そこで横川名物として名高い「峠の釜めし」を食した。
この釜めしは、器が陶器で出来ており、食べた後は持ち帰って再利用できるという点と、その価格にそこそこ見合った内容量から私のお気に入りとして認定された最初の駅弁である。
持ち帰った器は松本の我が家において、通常の丼としての利用はもちろん、蚊取線香の受け皿、来客時の灰皿、猫の餌箱、ゴミ箱、小物入れ、緊急時の簡易便器、その他ありとあらゆる場面で八面六臂の活躍ぶりを見せている。
そういった事情も相まってドヤ顔でこの釜めしを紹介したところ、御仁も甚く気にいってくれたようだった。

松本に到着したのはもはやあらかた学祭イベントも終わろうとする午後4時半頃であった。
とはいえ、学祭の盛況を見せると大見えを切った私はこの時間であっても何かしら盛り上がっていることだろうとあたりを付け、学祭会場たる大学へと向かった。
私の目論見とは裏腹に、学祭は最早佳境を過ぎた様子で、一般展示や発表等の多くが撤収作業を行っていた。
そんな中で生協前ステージで今年全国大会で優勝したと噂を聞いた「和っしょい」のダンスが見れたのは幸運であったと言える。
彼らのダンスはパワフルで、実に良いものであったのだが、
観客参加型のダンスが始まった時、そのテンションに乗り切れず、遠巻きにニヤニヤしながら眺めるしか出来なかった私は、自分の年齢の過多を感じ、少し寂しい気持ちを抱いたことはナイショである。
その他特筆すべきこととしては、隅っこの方で魚釣りの会が販売していた虹鱒の燻製の塩焼きが上々であったことだろうか。
注文する際に堂々たる顔で「鮎一本ください」と私が言った時、会員の「あのう…鮎じゃなくて虹鱒です…」と申し訳なさげな訂正の言葉が私の羞恥心を掻き立てたが、その味は無類であった。

その後私の狭い六畳一間で本を読んだり寝たりしてグダグダ過ごしたのは良い思い出である。
所変われど人間やることは変わらないのだ。

翌日は松本北東部にある浅間温泉に足を運び、古来より松本城主の湯治場であったと言う由緒正しき温泉「枇杷の湯」で昨日の渋滞の疲れを癒した。
ここは左程広い浴場でもないのだが、駐車場も必要最小限に留めており、実にゆったりと風呂に入れる素晴らしき湯治場である。
佇まいや湯上がり所なんかの雰囲気も格別であり、縁側の雰囲気、廊下の趣、入口の引き戸の具合に至るまで、実に趣深い風呂であった。
御仁もサウナに1時間引き籠るといった荒行をやってのける程、大層気にいってくれたようでなにより。

風呂上がりに御仁が以前松本で食した「天守石垣サブレ」を所望したので、松本駅付近のマサムラという洋菓子店へ。
ここの天守石垣サブレは、御仁お勧めの一品であるそうで、折角の機会に私も購入し食べたところ、なるほど、これは至高である。
松本にお越しの際は読者の諸君にも是非食して頂きたい。
ちなみに松本IC近くの土産物屋でも売っていることを確認。
あまりに美味かったものだから既に倍プッシュで購入してしまったのは御仁には秘密である。

天守石垣サブレを腹に収めたものの、そろそろ昼飯時、何か食べようということで向かったのが
松本から少し離れた山形村にある唐沢そば集落。
ここはもともと蕎麦の生産が盛んなところであったようで、かつては蕎麦粉の生産地として生計を立てていた。
そんな中でとある民家が家の一角で蕎麦屋を開いたところ、これがヒットし、現在でも数件であるが、蕎麦屋が林立している。店が民家の一角であるというのが特徴のようだ。
そば通の間では多少有名であるようだが、私はこれまでそんなところがあるとは知らなかった。
ガイドブックで適当にあたりを付けて行ったのだが、かなり山の方に入っていかなければならず、
道中「本当にこんなところにあるのだろうか?民家しかないぞ」という心細さに打ち砕かれなかったのは私にしては上出来である。
そんな精神耗弱状態に耐えきった者だけが食せる蕎麦がそこにはあり、蕎麦と、ついでにそこでも虹鱒の唐揚げを食ってきた。
いや、旨かった。

そんなこんなで松本旅行も幕を閉じたわけだが、こうして見ると意外と自分の知らないところが多いことがわかる。
自分の住んでいる街と言えども、その画一的視点では見えないものを御仁が教えてくれた、普段通りの生活では得難い経験が出来たと思う。
彼女には深く感謝、感謝である。

これを読んだ諸君が松本に足を運ぼうかと少しでも思ってくれるのが一番うれしいかもしれない。
機会があったら是非松本へ、その際は一声かけてくれれば我が愛する六畳一間で釜めしの器を使ったおもてなしをさせてもらおうと思う。 
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