2007年01月06日

謹賀新年

というか、もう正月も3が日が終わって今日は6日なんですけどね(汗)

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いしますm(_)m

何か今年もアレですね〜陰惨なというか何というか変な事件から始まったような、そんな感じがしないでもないですが・・・

ま、とにかく今年は干支が「猪」ということで、いろいろなことに「猪突猛進」していきたいと思います。って「猪突猛進」って本来はあまりいい意味じゃないですけどね(笑)周りを考えずに自分勝手に突き進むってことでしょうから(笑)

ま、ある意味ね。気兼ねしないで自分のやりたいようにっていう意味をこめて「猪突猛進」って言葉を使いました。

sfc0361 at 13:19|PermalinkComments(5)TrackBack(0) 雑談 

2006年12月31日

大晦日

今年最後となりました。

ここのところ、忘年会とかいろいろあって更新が滞ってました。

実は今日もこれから出かけるので、きちんとしたことは書けないんですが、最後ですから「けじめ」として何か書こうと。

よくね、今年はどんな年だった?っていう問いかけがありますけど、どうなんでしょうねェ〜私的には「可もなく不可もなく」というところでしょうか。

今年最初の記事「年頭所感」で小説を書きたいって言いましたけど、まだ書けていないですね〜いろいろ調べたりするのにやはり時間がかかるのが正直なところで(ブログの記事が昨年の同時期に比べて激減しているのも小説の資料収集に費やす時間が多かったからかもしれません)、そういう意味では思い通りにはいかなかった1年だったのかなぁ〜とも思います。

小泉政権の(私的)総括も年内にしたかったんですが、これも年内では無理そうです(というか無理ですね)。


ただ、今年は大河ドラマ「功名が辻」をとおして知り合った方々がたくさんできたっていうことは収穫でしたし、大河は終わりましたが、何かにつけコメントしたりしたいなぁ〜とは思います。

もちろん、政治・時事問題や映画(そういえば今年は映画の記事はさっぱり書けなかった)、ゴルフとか好きな分野に関しても書いていきたいなぁ〜と。ま、これは来年に向けてですけどね。

何やらまとまりがなくてアレですけど、本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

それでは少々早いですけど、よいお年を。

sfc0361 at 17:21|PermalinkComments(7)TrackBack(0) 雑談 

2006年12月28日

私的総括・宰相小泉純一郎◆崙始公団民営化」

道路関係四公団民営化推進委員会ここのところ時節柄、忘年会とかいろいろあって、更新とかコメントが途絶えてました。
(コメントはもう少し落ちついたらゆっくりさせていただきますのでご容赦のほどを)

さて、小泉内閣の(私的)総括の第二弾は・・・道路公団民営化についてでございます。


まず、前回のおさらいから。

小泉さんが颯爽と登場して、着手したのが「人事」
党役員人事と組閣は小泉さんが登場するまでは、党内力学・・・つまり「派閥」の論理が働いて、トップたる総理総裁の理想の人事ができなかったんですね。
だから、リーダーシップがないなんて言われつづけた日本の政治。それを変えたのが小泉純一郎。

それが出来たのは、派閥の力学や永田町の論理じゃないからですね。

国民の支持

これを背景にしたからこそ、成し得たんでしょう。だからこそ、

「自民党を変える、変わらなければぶっ壊す」

だったんでしょう。その自民党を変える手段が「人事」だったわけです。「派閥解体」だったわけです。


で、本題。

思えば、『聖域なき構造改革』を掲げて船出した「小泉丸」は爽やかに船出をしましたね。

「地方にできることは地方で」「民間にできることは民間で」を強調していた小泉さんは特殊法人改革に意欲満々でした。

歴代内閣で着手しようとしてもなかなかできなかった特殊法人の抜本的改革。小泉さんはこの特殊法人というわけのわからない「化け物」を整理しようと一生懸命でした。

「化け物」の代表選手が日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団・・・いわゆる道路関係四公団ですね。

詳しく述べると、思いっきり時間がかかりますので(笑)端的に。
赤字ばっかり垂れ流しているからなんですよ。財政投融資制度を通じて、流れ込んだ郵便貯金や年金積立金を原資にして「本当にここに必要なのか?」といわれるようなところに高規格(ゆえに高コスト)な立派な高速自動車道を建設して、建設したはいいけど、車が走らないもんだから料金収入でペイできない、だから金を返せないという「悪循環」を繰り広げてきた「道路」・・・そして国土交通省OBが公団へ天下るという構図。
こういうものが本当にガチガチにできていたんですね。挙げ句の果てには「談合」
この構図こそが「化け物」なんですよね。

小泉さんの構造改革っていうのは、この道路公団民営化にしろ、郵政民営化にしろ、それから遂げることはできなかったけど(安倍内閣へ引き継がれた)道路特定財源の一般財源化にしろね、「化け物退治」なんですよね(笑)

でね。

この道路公団民営化の議論のころよく言われたのが・・・「丸投げ」

この「丸投げ」ってことばは、よろしくない。絶対によろしくない。

だって、小泉さんに限らずね、リーダーたる者はいちいち細かいことまで指図しなくていいんですよ。大きい方針さえ示せば、それでいい。理念とか哲学とかそういうものがリーダーに求められる姿なんですね。

この場合で言えば、「無駄な(高速)道路を造らない」「(政官業の癒着に伴う)既得権益を打破する」ってことを小泉さんが示した。この大方針をどうするかっていう実務的なことはね、スタッフがいるのですから、それに任せればいいんであってね。

最後に小泉さんが決断する。これでいいわけですよ。

どうも、マスコミとか識者は何をやっても批判ばかりなんですね。
ちょっと横道にそれますが、いま安倍首相、叩かれてますよね。僕から言わせれば、この臨時国会で閣法(政府提出法案)をすべて成立させたってところで素晴らしいと思うんですけど。教育基本法改正や防衛省設置法などなど従来まで触れることすらタブーだった「不磨の大典」のようなものを改正なり成立させた。ここをマスコミや識者は評価しない。マスコミは反体制っていうのはもちろん分かるけど、あまりにも「質」が悪すぎる。いいことは評価して悪い部分は指摘するっていう姿勢じゃないと。
だけど、やはり安倍首相が叩かれてる。。マスコミとか識者が揃って大叩き。
で、驚いたことにマスコミとか識者はね・・・小泉さんを持ち上げるんですよ(笑)小泉さんが現役の時「史上最悪の首相」「独善的」それから「議会制民主主義の崩壊を招く手法」ともまで叩いてた人たちが今度は「小泉さんは良くも悪くもリーダーシップがあった」とか「安倍首相は顔が見えない」とか言い出す始末。これには開いた口がふさがらない。

結局は、道路関係四公団民営化もね。すごい議論だったわけですよ。
道路関係四公団民営化推進委員会・・・七人の侍ともいわれましたが。。最後は最終答申を巡って委員間で意見が対立してしまって最終的には猪瀬直樹さん、大宅映子さん、川本裕子さんの3人になってしまいましたが、これはやはり「議論」があったからなんでしょう。政府の“御用委員会”じゃなかったということの証左。

マスコミとかはね、政府の“御用委員会(審議会)”のことは“隠れ蓑”とか“お手盛りシャンシャン”とか揶揄したり批判したりしてたくせに、民営化推進委員会の意見が対立すると、“まとまらない”とか“空中分解”“迷走”とかわけわからんことを言い出す。
つまり、何をやっても批判なんですよね(笑)

だから、道路公団民営化になりましたけど何かにつけて批判でしたね。僕はすごくよかったと思うし、いままで誰もが手をつけてこなかった部分にメスを入れたってことは賞賛に値すると思うけどなぁ〜

何より、この改革の成果が現れるのは2年先3年先ではない。だから批判ばかりするんじゃなくて、検証してから考えたいですね。とりあえずはこのまま公団を続けていたら間違いなく「化け物」が大きくなるばかりであったであろうことを考えると、「化け物」を退治したことを僕は大いに評価すべきと思うのであります。



※年内に総括したかったんですけど、予定しているテーマがあとは「郵政解散」「拉致問題」「中韓外交」「靖国参拝」「日米同盟」・・・とあるので年またぎになりそうです。

sfc0361 at 22:59|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 小泉純一郎 

2006年12月12日

今年の漢字は「命」

今年の漢字は「命」…ご出産やいじめ自殺問題など

今年の漢字 1年の世相を表す「今年の漢字」に「命」が選ばれ、12日、京都市東山区の清水寺で、森清範貫主(せいはん・かんす)が特大の色紙に揮毫(きごう)した。
 日本漢字能力検定協会(本部・京都市)の公募に、過去最多の9万2509票が集まり、「命」は8363票だった。秋篠宮ご夫妻に悠仁(ひさひと)さまが誕生されるという明るい話題の一方、いじめ自殺や飲酒運転による死亡事故など、「命の重みを痛感した年」という理由が多かった。2位は「悠」、3位は「生」だった。(読売新聞)



やはり、というか何と言うか・・・
昨年は「愛」でしたね。
昨年もこの「今年の漢字」を記事で取り上げました。気になって見てみたら昨年も12月12日でした。決まってるんですかね。

たしかに今年ほど「命」の重みを考えさせられたことはなかったように思います。
読売新聞の記事にもあるように今年の前半は「飲酒運転による死亡事故」で後半は「いじめ自殺」ですね、暗い面で言えば。
そんな中、悠仁さまがご誕生されたことは本当に「明るい」出来事でした。

当たり前のことですが「命」は粗末にしてはいけませんね。


毎年のことながら、さまざまな「事件」「事故」ありますけどね〜この時期になると

「来年はどうかいい年でありますように」

って思いますが・・・


この「今年の漢字」も年末の風物詩ですよね。これと「流行語大賞」(これはもう終わったんですかね?)、「年末ジャンボ宝くじ」でしょうか。

僕的には・・・・・・う〜ん・・・「国」かなぁ〜 いや、やはり「命」でしょうかね。


sfc0361 at 23:25|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 雑談 

2006年12月10日

功名が辻・最終回「永遠の夫婦」

タイトル義昭さてさて、この1年続いた「功名が辻」じゃが、今宵で最後と相成ったのォ〜 あ〜頭がかゆいわ。。
そこでのォ〜今宵は対馬守・・・もとい土佐守じゃ。あ〜余が生きておった頃は対馬守であったから、土佐守と言い難いのじゃが、あ〜土佐守とその御内儀・千代の「夫婦ぶり」なり「思い出話」などをの、『あの世』から昔語りをしようと思ってのォ〜 太閤と光秀、それから土佐守の母御前・法秀尼、あ〜それから・・・そちは誰じゃったかのォ〜???




金八おそれながら山内一豊が家臣・五藤吉兵衛為浄にござりまする!







義昭あ〜そうかそうか。相分かった。ところで、光秀。信長めは来てはおるまいの?









信長公方・・・なぜわしを誘わぬ?まあ〜よい。早よう始められよ。










義昭(・・・・・まったく誰が呼びおったのじゃ)あ〜以上でお揃いかの?









市お待ちくださりませ!
兄上、私、千代に「ナマ板」をつかわす約束をしておりましたのに、渡せませなんだ。それが悔しゅうてなりませぬ。








義昭あー!!!頭がかゆいッ!!!以上でござるな!!!








信長早く始めよ!










義昭分かっておるわ!あ〜それではの・・・土佐守と千代の「夫婦ぶり」じゃが・・・








秀吉あ〜それでは余から・・・










信長サル!!










秀吉・・・は?










信長偉ろうなったのォ〜「余」とはのォ〜









秀吉あ〜イヤイヤ・・・あ〜ハハハハ(苦笑)あ、ではお屋形さまを差し置くようで恐悦至極ではござりまするが、それがしから申し上げたく存じまする。
左様、一豊と千代どのとは・・・あれは〜稲葉山城攻めのときでござった。
当時、一豊はお屋形さまの直臣ではござったが、それがしの与力(ドラマ上です)としてついており申した。
稲葉山城は当時は難攻不落の名城でござったが、お屋形さまのそれはもォ〜鮮やかな軍略により申して落城寸前でござった。
千代どのは、敵方・斎藤龍興の家臣・不破市之丞どのの姪御でござって、稲葉山城の中におり申した。
わが軍師・竹中半兵衛重治に稲葉山城を早おォ落とすにはいかがいたしたらよいか尋ねたところ、二の丸に通じる裏道を小勢でもって奇襲に及ぶ、という策が出申して、そのときに一豊と千代殿を夫婦と成すように、と言ってのォ〜そのときは何が何だか分かり申さなんだが、あの二人は昔から好き合うていたと、半兵衛が言うており申した。のォ〜そうじゃの、母御よ。

法秀尼左様でござります。あ、恐れながら初めて御意を得まする。山内一豊が母・法秀にござりまする。
千代は、出が近江の生まれでござりまする。戦で父と母に死なれ、相当怖い思いをしたのでしょう。傷を負いながら近江からはるばる尾張の私の庵へたどり着いた時には、それはもう可哀相なほどでございました。
しばらく千代と暮らしました。あの子は本当に利発で、賢い子でござりました。私も本当の娘のように思えて・・・千代との暮らしは本当に楽しゅうございました。
この子と一豊が将来夫婦になってくれたら・・・と。と、申しますのは一豊は我が子ながら生来愚鈍にて戦国を生き抜いていくには道を誤ってしまうのではないか、と心配をしておりました。
そんな愚息を道を誤らずに生涯を全うさせるには、賢い妻が必要だと思っておりました。
そういう意味で千代と目合うてくれたら、母としてどんなに心強いか、と。
秀吉さま、本当にありがとうござりまする。御礼申しあげまする。

秀吉あ〜何の何の(笑)









市兄上、私、千代に「ナマ板」をつかわす約束をしておりましたのに、渡せませなんだ。それが悔しゅうてなりませぬ。








義昭何じゃ、先ほどから「ナマ板」「ナマ板」と。何のことじゃ!?








市「ナマ板」にござりまする。
千代は本によい女子でござりました。頭が良いと申しましょうか。
千代がつくる内掛けやら小袖やらは・・・本当によォ〜出来ておりました。
それから・・・


秀吉あ〜さすがはお市さま!!そうです。千代どのは帝行幸の折にも・・・









市サル、黙っておれ。
・・・あれは私が近江に嫁ぐ前でござりました。千代は遠乗りにも付き合ってくれて、嫁ぐ不安を聞いてくれたり、包丁のつかい方も教えてくれました。その折に千代が言うておったのは、本当は「ナマ板」の上に菜の物を置いて包丁を使うそうでござりまするが、貧しくて「ナマ板」が買えぬゆえ升を使っておるとのことでございました。
私は千代には大変世話になったゆえ、「ナマ板」を千代へ送りたかったのですが・・・


光秀おそれながら申し上げます。










義昭お〜光秀か!何じゃ、言うてみよ。










光秀それがし、山内どのと千代どのとは何度か話をしたことがございまする。山内どのはとにかく実直であられた。一本気とでも申しまするか。そこは山内どのの魅力でござった。ただ、大局的に物事をみるという部分が欠けており申した。そこを補っていたのが千代どのでござった。千代どのはとにかく明るい女子でござった。そして何より大らかでござったな。大らかさというのは考え方が広いことに通じまする。
それがしが「天下布武」について迷っておったころ、千代どのに「迷うが人でござりまする」と諭されましてな。あの言葉は死んだいまでも頭に焼き付いておりまする。
実直さが取り得の山内どのと実直ゆえに不器用なところを千代どのの大らかさが補ってた。
それ以上にあの二人は仲睦まじい夫婦でございましたから、それが強みなのでござりましょう。

金八お、おそれながら・・・









信長光秀。









光秀何でござりまするか。









信長「天下布武」について迷っておった、と申しておったのォ〜
朝廷にとって変わって新しき世を創るというのがわしの目指すところの「天下布武」なのじゃ!それに不満を抱いての謀反であったか!?
フン、まぁ〜よいわ。アレ(本能寺)はアレで面白かったわ!
わしは一豊のことは「岩倉の家老の子倅」としか覚えておらなかったわ。ゆえにあやつの顔を見るとの、「そちは岩倉の・・・」というのが癖のようになったおったわ(笑)
ただ、あやつの槍はなかなかのものではあったな。
桶狭間のときと金ヶ崎じゃな・・・とくに金ヶ崎ではよォ〜働きおった。
千代は・・・あの女子は大した女子じゃ。
岩倉の家老の子倅にあの女子は金十両を出して馬を買うてやったことがあったのォ〜サルも金柑頭も覚えておろう。あの馬はわしも乗ったが大した馬じゃ。馬揃えにも出したほどじゃからな。
じゃがな、夫のために妻が大枚はたいて「名馬」を買う。千代が狙ったのはこれだけではないんじゃ。いかに名馬とは言え馬などはすぐに死んでしまうか、使い物にならなくなるかしかないのじゃ。千代が買ったのは「馬」ではない、「うわさ」を買ったのよ。アレで岩倉の家老の子倅の名前は広まったことであろうよ。「馬」は死ぬが「うわさ」は死なぬのよ。あの夫婦は、わしと濃、サルと寧々とは違って、千代がいかに大した女子であっても、それは岩倉の家老の子倅と夫婦でなければ千代も平凡な女子で終わったことであろうよ。

金八おそれながら言上仕りまする。
わが殿は、たしかに信長さまや秀吉さま、光秀さまとは比ぶべくもなく器量はずいぶんと劣るやもしれませぬ。
さりながら、わが殿のすごさは・・・本当に恐れ多いこととは存じまするが申し上げます。
わが殿のすごさは・・・奥方さまに頭の上がらぬところでござりまする!

秀吉あいや、吉兵衛よ。それなら、わしも・・・おかかには頭が上がらぬぞ。








金八いやいや、恐れ多いこととは存じまするが『あの世』ゆえ無礼承知で申し上げまする。
秀吉さまと寧々さまは・・・わが殿と奥方さまとは「似て非なるもの」と存じまする。と、申しまするのは、秀吉さまは、政事にせよ軍略にせよ「天才」でござりまする。わが殿は法秀尼さまが申し上げましたとおり世の中を見極められぬ「愚鈍」の生まれにございまする。それゆえ、奥方さまの言うことは素直に吸収することが出来申しました。これは中々できることではございませぬ。いや、わが殿も人でござりまするゆえ見栄というものはござりまする。ひょっとすると「千代め、ござかしい」と思うことはあったやもしれませぬ。さりながら、そうは思っても最後には「千代が○○と言うておった」「千代ならばいかがいたすか」ということがわが殿のご決断の目安になっていたのは間違いござりませぬ。
巷では奥方さまの「女大名」ぶりばかりが喧伝されておるようでございまするが、奥方さまのお力を引き出しておるのは、わが殿の「力」でござりまする。
そして、何よりも!
「好き合うていた」このことが、お二人が真の「夫婦」であることの証かと存じまする。

信長こうして聞いておると、岩倉の家老の子倅の母と家臣は当然ではあるが、わしもサルも光秀も・・・それから市も、この「夫婦」とは何がしかの「縁」はあったわけじゃが・・・公方、公方はどうなのじゃ?







義昭ん?わしか!?
わしは・・・・・・わしはないわ!そ、その方に苛められてそんな暇はなかったわ!!

そんなことより、とうとう終わったのじゃなぁ〜
と、締めに入ろうとしておるが、どうやって締めたらよいか迷っておるわ。

最終回の記事がこういう形式でよかったのかのォ〜

あ〜とにかくの、みなの言うことをまとめるとの、こういうことじゃ。

山内一豊とその妻・千代・・・この「夫」にしてこの「妻」あり、ということであろう。一豊は千代以外の女を娶った場合は、「一国一城の主」どころか、どこかの片隅で野垂れ死にするのが関の山。
逆に千代が一豊以外の男に嫁いだ場合は、「戦国の三賢夫人」どころか、名もなき平凡な女子で終わったことであろう。

「功名」「功名」とこの夫婦は戦国を駆け上がってきたわけじゃが、「功名」の果てにあったのは、木曾川で初めて会った時の気持ちをお互いが最後まで持ちつづけたという「夫婦」の姿にあった、ということなんじゃろう。


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※みなさん、1年間本当にありがとうございました。
僕は第7回からの投稿でしたが、脱落せずに続けてこれたのはみなさんのおかげです。

お付き合いありがとうございました!(脱稿)

sfc0361 at 22:45|PermalinkComments(19)TrackBack(7) NHK大河ドラマ「功名が辻」 

2006年12月09日

私的総括・宰相小泉純一郎 崘蛭恐鯊痢

2001年総裁選・街頭演説「自民党を変える!変わらなければ、この小泉が自民党をぶち壊します!!」




タイトルのとおり、あくまで「私的」な総括ですので、ご了承ください。

第87代・第88代・第89代の内閣総理大臣として日本の舵を取った「小泉純一郎」
実に在任期間が1,980日。
これは戦後日本の内閣総理大臣在任期間としては佐藤栄作元首相、吉田茂元首相に継いで第3位!

僕は自分のプロフィール欄にも書いているとおり小泉前首相を支持してきました。小泉さんが92年だったでしょうか、宮沢改造内閣の郵政大臣として入閣した時の記者会見でその姿をはじめてみた時から「この人に日本の舵取りを任せてみたい」って思ってましたから。

ここで余談。
中曽根大勲位がよく言っていた言葉なんですけど
「90年代の日本は“失われた10年”であった。首相も1年ごとにコロコロ変わって安定しない状態であった。これは“漂流”であろう。その“漂流”を止めたのは小泉君の功績だ」
本当にそのとおりだと思います。
ただ、“失われた10年”の根本(「バブル景気」であってその原因である「プラザ合意」だと僕は思っています)をつくったのが大勲位と竹下さんだと思うんですがね・・・
脱線しましたが、本来は中曽根内閣の後を担った竹下内閣で「構造改革」は推進すべきだったんです。
だけど、それはやらなかった。やれなかったのかやる気がなかったのかは定かじゃないけれど、とにかくバブル景気に浮かれた。そのうえ竹下さんはリクルートで失脚してしまった。
その後は宇野〜海部〜宮沢〜細川〜羽田〜村山と政権が移行したけど、どれも「?」な政権でしたね。
村山さんの後を担ったのが亡くなった橋本龍太郎さん。このときに自民党総裁選に対抗馬として起ったのが小泉さんなんです。
結局は派閥の論理で小泉さんは敗れてしまうんですけどね。でも、小泉さんはこのときの総裁選で持論の「郵政民営化」を掲げて戦ったことで「小泉純一郎ここにあり!」と存在感を示したことができたのが将来への布石になったんだと思います。
橋本さんは政権を担った後、「構造改革・行政改革」を推進していくのですが、消費税を5%にしたことによって結果的に経済の低迷を招いたり、その余波もあって参院選で敗北した責任をとって辞任してしまったんですね。でも、僕は橋本さんを評価したいのは「省庁再編」と「ロシア外交」でした。とくに「省庁再編」で首相のリーダーシップの強化(官邸機能の強化)をシステム化したのは大きいですね。
橋本さんの後は小渕さん、森さんと続きました。小渕さんは橋本さんの盟友ではあったけど「構造改革路線」は採用しませんでした。財政出動による「景気回復路線」をとったんですが、志半ばで亡くなられました。
森のオッサンはある意味で可哀相でしたね。「口は禍の元」なのかもしれませんが、マスコミが必要以上に叩きすぎた感はあります。ま、森のオッサンがマスコミを嫌った、ということもあったんでしょうけど。
最後は“えひめ丸”の件で危機管理能力をマスコミに激しく糾弾されて、辞任しちゃった。

要するに“漂流”が続いたんですね。
90年代にやらなきゃならなかった「構造改革」が置き去りにされてしまったんですね。→前述したように橋本さんはやろうとしたけど貫徹できなかった。

この“漂流”を止めなきゃならない。日本が進むべき進路は何なのか!?それを明確に示すリーダーは果たして誰か・・・


2001年総裁選・街頭演説2001年総裁選・街頭演説
















「自民党を変える!変わらなければ、この小泉が自民党をぶち壊します!!」

これが意味するのは大きかったですね。聞いてて小気味がいいというか。
小泉純一郎という政治家はおよそ『既得権』には無縁の人なんですね。ここでいう『既得権』にはつまりは私服を肥やすという意味が含まれています。小泉さんにはそういうところがないんだと。

このときの自民党というのは『既得権』の固まりのような政党でしたからね。
というか、自民党の中でもいわゆる主流派といわれた当時の「旧橋本派」「江藤・亀井派」なんかがその中心にいたんでしょうね。

小泉さんはそれを変えたかった。
道路や郵政などなど利権の構図が見え隠れする『既得権』を打破しないことには本当の意味での「構造改革」はできないんだと。

それを象徴する言葉としての
「自民党を変える!変わらなければ、この小泉が自民党をぶち壊します!!」
なんですね。


小泉さんは、2001年4月の自民党総裁選で橋本竜太郎、亀井静香、麻生太郎の各氏と選挙戦を戦いました。
下馬評では「橋本さんの再登板か」との見方が強かったんですが、その下馬評を覆して地方票が圧倒的に雪崩をうって小泉さんへ入っていった。
このときはテレビのニュースで連日のように流れていましたからね。僕も心の中で「ひょっとすると小泉さんいけるかも」って思ってましたよ。胸が湧き上がるようなワクワク感が自分の中でありましたね。

地方票が小泉さんに流れていったのを見て、国会議員票も変わりました。
亀井さんは本選を降りて、小泉支持に廻りましたね。亀井さんの政策(緊急経済対策・・・財政出動による景気浮揚策なんでしょうが)を小泉さんが受け入れるってことで亀井さんは降りたみたいですが。
地方票の動きと亀井さんが小泉さんの軍門に降ったっていう事実が、それこそ「雨後の筍」の如く自民党国会議員が「小泉支持」に廻った要因になりました。

結局、本選で小泉さんが圧勝しました。自民党総裁に就任したんですね。イコール内閣総理大臣です。

いやァ〜このときの感動はいまだに忘れられないですよ。どんな舵取りをしてくれるのかってね。

で・・・小泉さんはやってくれましたね。

「派閥解体」ですよ。それは「閣僚人事」で明らかになりました。

従来型のトコロテン人事をやらなかった。派閥の推薦を考慮しなかった、というか無視した。全て誰にも相談しないで一人で考えた「閣僚人事」

馴れ合い所帯・前例主義の自民党に激震が起きたのがこの「閣僚人事」だったんですね〜
小泉さんの方針は本当に明確でしたね。
自民党を変えるためにはどうしたらいいか、と考えるといままでの自民党ではダメだっていうことですから。そのための「派閥解体」だったわけです。

この人事以降、小泉さんと「抵抗勢力」の争いが続くんですね。

とりあえず第1回はここまでです。

sfc0361 at 19:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 小泉純一郎 

2006年12月06日

不調

・・・PCがどうにも動きが悪い。。
やはり、もう限界かなァ〜

買い換えるか・・・どうするか・・・

本当はこんな記事じゃなくて、「道路特定財源」の見直し論議について思うところを書きたかったのですが、書いてる途中で
「不正な操作をしたので、消去されます」
みたいな警告が出てくるのはなぜ???何も不正な操作なんかしてないぞ!

無視しようとしても警告は消えないし、警告を消すと、全部消えちゃうし。。。

とりあえず、こんなところで。

sfc0361 at 22:50|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 雑談 

2006年12月03日

功名が辻・第48回「功名の果て」

タイトル「功名の果て」・・・生意気なことを言うようですが、これって最終回のサブタイトルでも良かったと思いますネ。→最終回をどういう構成にするかにもよるでしょうけども。
ちなみに最終回のサブタイトルは「永遠の夫婦」
これはこれで最終回にふさわしい。

だけど、今回の内容で「功名の果て」というのはどうにもしっくり来ないというのが正直なところです。僕の呑み込みが悪いのかもしれないけれど。

ちなみに「果て」という言葉を辞書で紐解いてみると次のようになります。

はて【果て】
1 果てること。終わること。また、物事の終わり。しまい。限り。すえ。「―もない議論」「旅路の―」
2 年月を経過したあとの状態。「なれの―」「栄華の―」
3 広い地域の極まるところ。いちばん端の所。


「功名の果て」は、第1義の意味として捉えるんでしょうね。

そういう前提に立つと、やはりしっくり来ないですねェ〜

いや、原作のように「種崎事件」で終わるならば、「功名の果て」で納得できます。

もともとこの夫婦の最大の目標が「一国一城の主」になることでしたから。
それこそ、織田信長〜豊臣秀吉〜徳川家康と天下の主が変わっていく中で、この夫婦は様々な「辻」に差し掛かってきたけれど、そのつど千代が上手にサイコロを振ってきて、切り抜けてきたんですね。そして、最終的に土佐を得た。これがこの夫婦の最大の「功名」だったわけです。

だけど、その「功名」の結果として、千代が惚れた“ぐうたら伊右衛門”ではなく千代の知らない“政治家・山内一豊”ができあがってしまった。

前回も書きましたが、この夫婦の最大の目標であった「一国一城の主」。これを成し遂げた途端にこの二人は「夫婦」ではなくて「領主」とその「奥方」という機関になってしまった。

これが「功名の果て」なんだろうと。原作はこういう締め方だったと僕は感じていたんです。

もっと言えば、原作の最後・千代が一豊に言った言葉に尽きるのだと思いますネ(文言は正確ではありませんが、だいたいこんな感じだったと思います)。

千代「私ども夫婦が努力して得たものが、結局は土佐の領民の命を奪う結果にしかならなかったのかと思うと、何のために今日まで生きてきたのか悲しくなったのでございます。しかし、もう申しますまい。申しても詮無きこと」
一豊「わしが無能だからか」
千代「ありていに申せば、さようでございます」


だけど、僕は前回書いたように「種崎事件」はつまるところは千代が“そうさせた”ともいえるんじゃないか、と思っています。一豊を創り上げたのが千代ならば、やはり千代にも原因の一端はあるんじゃないかと。

何かいろいろ書きましたが、要するに原作では一豊の仕置きを千代は納得していないわけです。納得しないまま、寂寥感や無情感に覆われたので「功名の果て」でいいんです。

だけど、ドラマでは「種崎事件」について千代と一豊が分かり合えてしまった。どんな理屈にせよ分かり合えてしまった。

分かり合えてしまったら・・・何が「功名の果て」なんだろうか???

と思ってしまったわけですよ。だからドラマで言うところの「功名の果て」っていうのは何なのかなァ〜って。

土佐二十万石を得たことが千代・一豊夫婦の最大の「功名」でその結果として「種崎事件」という悲劇があった。そして、それは千代・一豊夫婦を「変形」させたこと、だと思っていたけど、ドラマでは違うようですね。

ただ、今回の放送では「功名の果て」に一体、があったのか、が分かりませんでした。


次回はいよいよ最終回ですね。

sfc0361 at 22:41|PermalinkComments(12)TrackBack(4) NHK大河ドラマ「功名が辻」 

教育再生会議・第1回本会議

「教育再生会議」
一生懸命ですね。ぜひとも公教育の再生を遂げてもらいたい。。
だけど、議事録のアップが遅いですね。いろいろと忙しいんでしょうけども。
とりあえず、第1回本会議議事録

第1回本会議は、安倍首相や伊吹文科相のあいさつ。各委員の自己紹介などなどで具体的な討議はありませんでしたが、委員のみなさんそれぞれの「教育再生」にかける思いが伝わってきます。

もう、本会議は3回。
第1回本会議もすでに10月18日に開催しているので、記事にするのも今更の感じもしないではないですが。
さらに分科会もやってるようです。すごいなァ〜精力的にやってますね。

この「教育再生会議」に限らず、過去の「道路関係四公団民営化推進委員会」などの議論は新聞やニュースでは捻じ曲げて伝える部分も少なくない(というか太田光とか報道ステーションではキャスターの主観・思い込みでケチョンケチョンにけなしていたので)ので、一部のキャスターの捻じ曲がった情報を鵜呑みにするのではなくて、きちんと議事録を読んで、いろいろと思うところを書いていきたいと思っています。



sfc0361 at 21:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治・時事問題 

2006年11月28日

郵便局

郵便局って葉書とか封書とかを投函する以外、あまり利用したことがなかったんですけど、昨日、久々に窓口を利用しました。

と言っても地元(かなり田舎です)の郵便局じゃなくて、昨日ちょっと遠出(さいたま市)をしてたもんで、そこの郵便局。

しかも、送金とかじゃなくて・・・道を聞いたんです(お忙しいのに本当にすみませんでしたm(_)m)。

でもね、本当に嫌なひとつ顔せず懇切丁寧に教えてくれましたよ。地図を書いてくれましたしね。。本当に・・・本当に・・・もういいですよっていうくらい親身になってくれました。

昔、地元の郵便局の窓口を利用した時は、何かねェ〜いやな応対だったんですけど、変わったなァ〜郵便局って思いましたよ。

これも「郵政民営化」のおかげでしょうか。→いまは民営化に向けての準備段階なんでしょうけども。

これからは郵便局をもっと利用しようかなァ〜

sfc0361 at 20:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑談 

2006年11月27日

功名が辻・第47回「種崎浜の悲劇」

タイトル昔、いつだったかは忘れましたけど、細川内閣で経済企画庁長官を務めていた田中秀征さんが「リーダーの資質・・・リーダーに求められるものは“判断力”と“決断力”である」って言ってました。今回のサブタイトル「種崎浜の悲劇」はリーダー・一豊の資質というものを考えさせられました。

判断力と決断力・・・これは似て非なるものなんですね。

優れた判断をしても決断できなければ「政策」にはならないし、決断が早くても裏づけされた判断がひどいものだとその「政策」は愚策になってしまいます。

田中秀征さんは「政治家には“判断力”と“決断力”が求められるが、この2つを持っていたのは石橋湛山元首相である」って言ってました(というか何かの雑誌で書いておられました)。

石橋元首相は、病気のためわずか2ヶ月で退陣されたので、どういう“判断”でどういう“決断”をされて、どのような「政策」を遂行したのか「?」が残りますが、リベラルな政治家として知られ、また自民党ハト派(僕はこの“タカ派”“ハト派”という区別は無意味だと思っています)の総本山みたいな方だったらしいです。
僕は個人的には石橋元首相よりも政敵(?)だった岸信介元首相のほうが“判断力”と“決断力”を兼ね備えた政治家だと思っています。
岸元首相の政治決断である「日米安保条約改定」はまさしく優れた判断をして決断した「政策」であったと思います。

さて、本題。

「種崎事件」は凄惨を極めましたね。首謀者は六平太というのがこのドラマでの設定でした。ちなみに原作ではたしか深尾湯右衛門という家老がこの事件を画策して一豊に進言したことになってます。

原作での「種崎事件」は次のように総括できると思います(※)。
(※注意:以下は僕が高校生の時に書いた読書感想文から抜粋したものですので、司馬さんの言葉そのままではありません。ご了承ください)

結局のところ、伊右衛門の「闇」の部分である「種崎事件」という出来事は、事の善悪は別として、千代にとってはじめて伊右衛門が自分のもとから巣立った証となった、と私は思う。
司馬さんの言葉を借りれば、千代は人生をゲームとして捉えているという。
“ぐうたら伊右衛門”を出世させることが楽しみであったと。出世そのものを楽しみにしていたのではなくて、「開運の馬」や「小袖の展覧会」「関ヶ原前夜での密書」などなど千代はあらん限りのアイテムを駆使して亭主を出世させていくそのプロセスそのものを楽しんだ。そしてゲームは“成功”した。“成功”の結果、伊右衛門は「一国一城の主」になった。
と、同時に伊右衛門は変わった。変わったというより錯覚したという表現のほうが適切だろうか。伊右衛門は独力で「一国一城の主」を勝ち得たと思ってしまった。千代がいなくても政治ができるのだ、と。ゆえに千代の管理下から逃れて、千代の助言なしで一領具足の叛乱を押さえ込もうと、(千代から言わせれば)知恵のない官僚たちと謀議をする。それは山内家が千代と伊右衛門の夫婦世帯という概念から国(行政組織)という概念に変貌したことをも意味するのではなかろうか。
「種崎事件」が千代に何の相談もなく行われたことから考えても、それは読み取れる。
伊右衛門が千代から巣立った(夫婦で巣立ったというのもおかしいが)結果として「種崎事件」という惨劇が起こったのだが、それは見方を変えれば、皮肉にも千代がそうさせた、とも見てとれる。なぜかと言えば、伊右衛門を「領主」として錯覚させたのは千代が出世させたからである。



う〜ん・・・自分が書いたものなんですけど、高校の時のもんですからねェ〜ちょっと稚拙ですね。。

ドラマではこの「種崎事件」、中央政府(家康)から任地の統治を命令される地方政治家としての苦悩という側面で描かれているように思えました。

早く一領具足の叛乱を抑えないと、中央政府から厳しく査定される。管理能力を問われてしまう。「お前、管理能力ないよ」と家康に思われてしまっては、せっかく得た土佐二十万石がなくなってしまう。そうなったら、千代も大勢の家臣をも路頭に迷わせてしまう。

ここの苦悩は、おそらく千代には分からない部分なんだろうと思います。

いや、千代も言ってました。他に方法がなかったのか、と。

これは当事者、つまり一豊以外の人は簡単に言える言葉なんですね。とくに「結果」を知っている後世の人間、つまり僕たちですね。僕たちは簡単に言ってしまうんです。他に方法がなかったのか、と。
でも、これを一豊に言ってしまうのは「酷」なんだろうと、思います。
他の方法を見出すには、あまりにも時間がなさ過ぎましたね。

ここで、冒頭申し上げた「リーダーの資質・・・リーダーに求められるものは“判断力”と“決断力”である」という田中秀征さんの言葉がズシリと響くわけです。

ホント・・・響きます。。リーダーって本当に大変です。

だから、僕は自分の国のリーダーのことは批判するんじゃなくて、応援したいんです。

あ、なんか変な締め方になっちゃいましたね。一日遅れのせいでしょうか。


●物故者に合掌

今回はお二人です。。
六平太
ドラマのキーパーソンとして本当に存在感あるキャラクターでした。
今回の「種崎事件」では山内家のため、歴史の泥を被って亡くなってしまいました。でも、あそこで死ぬのもどうか、と思うけど。。説明責任があってもよさそうだが・・・
でも、とにかく抜群の存在感で惹きつけられました。
祖父江新一郎
この人も頑張りました。
吟が隠居してから、吉兵衛が亡くなってからは一豊が本当に頼りにしていたんだろうと思います。
吟もやっと一人前の武将だって認めてくれてましたね。

sfc0361 at 23:16|PermalinkComments(17)TrackBack(6) NHK大河ドラマ「功名が辻」 

2006年11月23日

太田光

太田光お笑いコンビ「爆笑問題」のボケ担当、太田光。
本業の“お笑い”をしているときの太田光は好きなんですよ。面白いですよね。

でも、最近(でもないんでしょうけど)本業以外の発言(とくに政治について)はどうも???というか、はっきり言って嫌いです。

あまり人のことを「好き」「嫌い」と言いたくはないのですが、どうも酷い。

漫才は本当に面白くて素晴らしいと思います。でも、政治向きの話はしないほうがいいと思う。

いくつか酷い発言がありました。
例えば、イラク人質事件ありましたよね。
「あの人質になった3人は英雄だと思う」
とか、ね。
あとは人から聞いた話なので真偽の程は定かではないのですが
「米軍基地や自衛隊の基地をすべて農地にする」
なんてことをテレビで言ったとか言わないとか・・・
ほかにもありましたけど、いままで聞いてた範囲で最も酷かったのは・・・
「政治よりお笑いのほうが世の中を変えられる。世の中を変えたいのなら政治家なんかならないでお笑い(タレント?)になったほうがいい」
これかなァ〜
いや、誤解してほしくないのはお笑いをどうこうって言ってるわけじゃないんです。ポイントは政治、そして政治家をかなり馬鹿にしているってところですね。この発言はあまりにも酷い。

とくに小泉前首相に対する誹謗中傷(だと僕は思います。悪口とか批判の度を越えている)は本当に耳をふさぎたくなりました。

太田光は政治的な発言はやめたほうがいい!

どう聞いても、世の中を良くする対案ではなくて、政権に対する誹謗中傷にしか聞こえないから。

sfc0361 at 17:12|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 芸人・ゲイ人 

2006年11月19日

功名が辻・第46回「土佐二十万石」

タイトル突然ですが、土佐藩について。

土佐藩は、成り立ちが不幸でした。
統治者は山内という殿さまです。
天下分け目の関ヶ原の合戦より前の土佐は、長曾我部という殿さまが君臨していました。長曾我部家は関ヶ原の合戦で西軍(毛利輝元・実際は石田三成)に与したため、所領没収の憂き目に遭います。
山内家は藩祖・山内一豊が関ヶ原の合戦で東軍(徳川家康)に与して、その勝利に貢献したことから掛川6万石から一躍、土佐24万石(ドラマでは20万石・のち検地の結果24万石)の主となりました。
一豊は当然、家臣団を増員しなければなりません。
一豊は、この長曾我部の遺臣たちを取り立てる方策を採るべきだったのでしょうけど、恐れたんでしょうかね、入国前に24万石の大家臣団を形成してやってきたのです。
当然、長曾我部の遺臣たちから見れば、山内家は進駐軍のような感じに映ったでしょう。事実、長曾我部遺臣団は“進駐軍”によって粛清される時期がありました。

今回のお国入りのゴタゴタはその“粛清”の最初であり、次回の種崎浜は“粛清”の最大なものだったんでしょうね。

種崎浜の大粛清の後、山内家は粛清だけでは統治できないと悟り、長曾我部遺臣団を抱え込むことにするんですが、その抱え方は異常なほど徹底された“差別化”でした。
“進駐軍”は『上士』と呼ばれ、長曾我部遺臣団は『下士』と呼ばれました。
例えば、代表的な“差別化”は、
『上士』と『下士』が道ですれ違うとき、『下士』は路傍に身をよせて片ひざをついて拝礼
『上士』は『下士』に対して斬り捨てご免の権能を有している。

などなど・・・土佐藩というのは『上士』と『下士』の間にこのような“差別化”があったため、しばしば事件は起きたようです。

余談ですが、僕の尊敬する坂本竜馬は『下士』のなかでも『郷士』という身分でした。ここはよく誤解されがちなんですが、土佐藩の身分制度を『上士』と『郷士』という区別をされる方がおります。これは少なくとも間違いではないけれど正しい表現ではありません。
前述したように『上士』と『下士』という分け方です。『下士』の中でも竜馬のような『郷士』と『郷士』よりももっと酷い扱いを受けたのが岡田以蔵のような『足軽』です。

竜馬はこういう、人が人を差別する、侮蔑するという土佐藩の風土というものが大嫌いでした。いわれのない相当の迫害を受けてきたのです。
なので、竜馬の中には身分差別のない世の中、『自由』と『平等』の社会という概念が形成されていったのだと、僕は思っています。

さて、そういう意味で本編での吟のセリフは含蓄がありました。
長曾我部遺臣団の処遇の仕方で一豊と千代の意見が割れてましたね。千代は吟に一豊を説得するようにお願いしてました。そのとき吟が
「何が正しく何が間違いかは、後の世の民にしか分からぬ事もございます」
このセリフは今日イチでした。

一豊の行った長曾我部家臣団に対する“粛清”と“徹底した身分制度の確立”は現在のスタンダードで見れば間違いなく『悪』ではあろうとは思いますが、それはあくまで現在のスタンダードで見た場合なんですね。一豊は一豊で考え抜いた末での“統治”だったんだろうとも推察できます。
それに一豊がこういう“統治”を行ったからこそ、竜馬が世に出たってことも言えると思うし。やはり『歴史』というのは後世の人々、とくに学者さんが正しい知識と正しい議論で紐解いていくのが大事だと僕は思います。

今回のサブタイトル「土佐二十万石」の意味するところは、単純に一豊の政治家としての統治の仕方の過程として「こんなに大変なことだったんだよ」っていうことを伝えるってこともあったのでしょうけど、トータルで言えば“歴史の見方”なんだろうと思いましたね。
それはまさしく吟の言ったセリフ
「何が正しく何が間違いかは、後の世の民にしか分からぬ事もございます」
「土佐二十万石」の意味するところはこれが大なんじゃないかなァ〜って思いました。
単に政治家・山内一豊の統治力云々や山内家が長曾我部遺臣団に対して酷い仕打ちを行った、とかそういうことじゃなくて。


またまた余談ですが、浅野ゆう子は本当に貫禄が出てきましたね。
この人、昔はトレンディドラマ(いまはこういう言い方しないのでしょうか)にたくさん出てて、そのときは「何だかなァ〜これって演技って言えるのか!?」って感じの演技ぶりでしたけど、しっかり高台院を演じてました。
今日の千代との絡みも良し、淀殿との絡みもまた良し。

それと香川照之。
この人は存在感がありますね。一豊に仕えようとした動機がイマイチ掴めませんでしたが、そんなことよりやはり抜群の存在感でした。


余談さらに続きます。
長曾我部家については、一代で四国を席巻した英雄・長曾我部元親の生涯が個人的には興味深いです。
元親については司馬さんの著作『夏草の賦』が詳しく書かれていて面白いです。それから元親の四男坊で元親の後継者・盛親のことが書かれてある『戦雲の夢』(これも司馬さんの著作です)も面白い。
土佐二十四万石の大名であった長曾我部盛親。関ヶ原で敗れた後、死一等は免れたけど、その後は京で寺子屋の先生をしてたっていう変り種。

この二冊で“土佐”の風土っていうのがけっこう味わえると思います。

sfc0361 at 21:51|PermalinkComments(14)TrackBack(1) NHK大河ドラマ「功名が辻」 

コメント

こんにちは。

先週は風邪をひいてしまって、功名が辻・第45回「三成死すとも」にコメントくださった方々へのコメント返しとご訪問ができなかったことをお詫びしますm(_)m

と、いうわけで・・・コメントくださった ミチさん、ikasama4さん、とん子さん、さくらこさん、くみさん、おりょうさん、もちきちさん、ルビーさん、lovespoonさん、ラフマニノフさん、りっきーさん、kiriyさん。
TBくださった かりんさん。

時間的(体力的に?)に今回はこういう形でコメント返しとさせていただきますので、ご了承くださりませm(_)m



sfc0361 at 10:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0) NHK大河ドラマ「功名が辻」余談 

2006年11月15日

誕生日と命日

桂浜風邪気味で寝ようとしましたが、大事なことを忘れてました。

今日、11月15日は坂本竜馬の誕生日でもあり命日でもあります。

ただ、あくまで誕生日と命日が同じ、というのは旧暦であって(誕生日は天保6年(1836年)11月15日で亡くなったのが慶応3年(1867年)11月15日)、現在の暦で言えば、誕生日のほうはたしか1月3日にあたり、亡くなったのがたしか12月10日だったかにあたります。

とにかく、京都東山に向かって拝礼してから床につきます。




彦馬が撮影した竜馬

sfc0361 at 23:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 竜馬がゆく 

寒くなってきましたね

近頃、寒いですね。
ちょいと風邪気味ですわ(悲)
というわけで・・・寝ます。

みなさん、風邪などひかないようにご自愛くださいませm(_)m

sfc0361 at 23:29|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 雑談 

2006年11月12日

功名が辻・第45回「三成死すとも」

タイトル関ヶ原の合戦後、落ち武者狩りで捕らえられた三成。
そんな敗軍の将・三成は大津城の(大手?)門前で捕縛されたまま晒されてしまうのですが、キツイですね。
東軍の諸侯が通りますから、いやでも三成が目に止まる。
福島正則、山内一豊、細川忠興、小早川秀秋・・・(本当は他にもいたはずですが。例えば黒田長政とか)
小早川秀秋は・・・あれは性格なんでしょうかね。どうどうと三成の前を通らずに、陰から見ている。秀秋の心理状態としては、一言で言えば「怖いもの見たさ」なんでしょうか。
どうどうと通れないのは、「裏切った」という後ろめたさ。
このあたりは司馬さんの著作『関ヶ原』で興味深く描かれていますし、そのあとの三成と秀秋のやりとりも興味深い。
ドラマでの三成と秀秋もよかった、というか三成の迫力がすごかった。

そして、一豊は陣羽織を三成にかけてました。あれは黒田長政がしたことなんですが、主役の特権ですね、一豊が長政の代わりにやってしまいました。そうでもしないと、三成との最後の接点がなくなりますからね。

結局、サブタイトルの「三成死すとも」っていうのは何だったのかなァ〜
三成が一豊に託した淀殿への「遺言」・・・徳川家康を頼もうとも豊臣家と秀頼さまをお守りなされよ。秀頼さまが一大名になろうとも生き延びられよ
淀殿はこれをどうも曲解してるんじゃないですかね。
大坂城で淀殿が家康を筆頭とする東軍諸侯の凱旋報告を受けているとき、心の声で
「三成、そなたの思いは我が受け継ぐ」
って言ってましたけど、あの大上段から居丈高な家康への物言いはアレじゃ家康を怒らせるのも当然でしょう。アレは明らかに家康に対する敵愾心だと思うなり。
淀殿が心の声で語った「三成の遺志」とは果たして何なのか???僕が見た限り今回のドラマでは読み取れませんでした。
少なくとも、三成が一豊に託した“遺言”からは家康から天下を奪い返せというふうには感じられなかった。家康に天下を奪われる悔しさのようなものは感じられたけど、だからと言って家康を倒せ、というふうには感じなかった。
でも、淀殿は家康に対して明らかに好戦的、挑戦的な物言いをしている。ある種の含みがある。だから家康はあんなに怒っちゃった。
あれはあれで楽しめました。

今回のサブタイトル「三成死すとも」はあとに続く言葉があるはずなんですね。
それを解く鍵は「三成、そなたの思いは我が受け継ぐ」
とあるように“三成の遺志”ってやつです。僕はそれを淀殿は曲解しているんじゃないかなァ〜って思ってます。
(あくまでこのドラマでの設定上ですが)“三成の思い”は「豊臣家の存続」だと僕は感じました。三成の言葉からは「悔しさ」こそ感じ取れましたが、「天下を取り戻せ」とは感じ取れない。
だけど、淀殿は三成の思い「豊臣家の存続」じゃなくて三成の悔しさ「打倒家康を果たせなかった」ということのほうにウェイトを置いたんじゃないかなって。
つまり三成の“悔しさ”を“思い”に置き換えた、曲解したんじゃないかと思うなり。
そういう意味から今回のサブタイトル「三成死すとも」は淀殿の言葉なんだろうと。

それにしても近江佐和山19万石、豊臣家五奉行のひとりに過ぎない男が、関八州256万石、豊臣家五大老筆頭の実力者・徳川家康を向こうに回して“天下分け目”のプロジェクトを敢行した。敗れはしたけど、これは賞賛に値します。

石田三成・・・斬首。享年41

余談ですが、与次郎との絡みや“柿は痰の毒”のエピソードは司馬さんの『関ヶ原』からとったものだと思われます。あれはドラマを見るより『関ヶ原』を読むことをお勧めします。
とくに与次郎とのやりとりは映像より活字のほうが伝わるものは数倍違うと思います。

そして、一豊は・・・いよいよ土佐一国20万石の内示を受ける。
千代も新右衛門も吉蔵も新一郎も大喜び。
何より泉下の吉兵衛も喜んでいることでしょう。

・・・って浮かれてる場合じゃないんですよねェ〜六平太が言うように「土佐一国」ってのは厄介は厄介なんです。

その厄介は次回なんですが、この厄介をどう治めるか・・・これが一豊最初の大仕事です。

そして、この大仕事は山内一豊という男の「政治力」が試されることになるのですが・・・

sfc0361 at 22:36|PermalinkComments(12)TrackBack(1) NHK大河ドラマ「功名が辻」 

2006年11月05日

功名が辻・第44回「関ヶ原」

タイトル今回は感想の書きようがありません。
強いて書くとすれば、さすがにNHKもこの「関ヶ原」(天下分け目の合戦であり千代・一豊夫婦の人生最大の「辻」)を15分で終わらせようとする“暴挙”には出なかったようで胸をなでおろした、というところでしょうか。

冒頭にも言いましたが、合戦シーンが主でしたからドラマの感想は書きようがありません。

「合戦」はよく描いてくれたんじゃないでしょうか、NHK。→『葵 徳川三代』の映像を使っていたのもあったんでしょうね。


ま、一豊についても関ヶ原ではあんな感じだったのでしょう。原作でもそうでしたし、はっきり言えば手持ち無沙汰だったわけですね。やはり兵2000では仕方ないことでしょう。

関ヶ原における一豊の功名というのは、はっきり言うと何もありません。「槍先の功名」ではなくて言うなれば「口先の功名」。小山軍議でのあの「パクリ」はまさに「口先の功名」だと思います(笑)
「口先の功名」というと何やらおかしみを感じますが、実際に一豊はあの「パクリ」で土佐24万石を得たわけです。

あの小山での一豊のひとことについて、原作での家康はたしか次のように言ってたと記憶してます。

「古来、これに勝る功名はないであろう」

一豊にとって、関ヶ原の合戦そのものは結果として「物見遊山」に終わってしまいましたが、東軍を一枚岩にした、という集団心理を確立した功績はやはり大きいものがあったんだと思います。

しかし、東軍が勝っても一豊の顔色は冴えていませんでしたね。
小早川秀秋の裏切り、それに続く朽木元綱や赤座直保などの裏切り、吉川広家の内応などなど西軍の諸将の節操のなさにある種の「憤り」を感じていたからでしょうか。

う〜ん・・・今回はやはり書きようがない(笑)

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2006年11月03日

日本の農政

正しい日本食味わって…海外のレストランに認証制度

 農林水産省は2日、海外の日本食レストランへの認証制度を来年度に導入すると発表した。
 農水省によると、海外にある日本食レストランは欧米を中心に約2万店を数えるが、和食とはかけ離れたメニューの料理を出す店も少なくないという。
 和風の調理法や接客にきちんと取り組んでいる店に日本政府の「お墨付き」を与えることで、正しい日本食に親しんでもらえるようにする。こうした自国料理の認証制度は、タイやイタリアも導入している。
 認定の条件などを検討するため、今月上旬に有識者会議(座長=小倉和夫・国際交流基金理事長)を発足させる。会議では、<1>日本食の定義<2>対象とする国や都市<3>日本産食材の使用割合<4>調理方法や接客技術の具体的な基準――などを検討し、来年2月までに結論をまとめる予定だ。
(読売新聞) - 11月2日19時17分更新



いいですね。こういうことはどんどんやったらいいです。遅すぎたくらいかな、と思います。
と、言いながら僕は海外へは行ったことがないので、海外の日本食レストランで出される「日本食」は食べたことありませんが、友だちとかの話を聞いてると、「なんだこりゃ?」的な“なんちゃって日本食”がけっこうあるとかないとか。

ただ、僕がいいな、と思ったのは、<3>日本産食材の使用割合ってあるじゃないですか。ここですね。日本の農林水産業を輸出産業にしようとする積極的な姿勢が垣間見られる。むしろ本当の目的はここにあるんじゃないかなって思います。

小泉内閣で掲げた「攻めの農政」は安倍内閣でも立派に継承されているってことでしょう。

日本の農政については、これまでは国の手厚い保護行政でした。保護の結果、国際競争の波に対抗できない「弱い農業」となってしまい、また、後継者不足や減反政策による農地の荒廃などを生み出し、はっきり言って戦後日本の農政はあきらかに「失政」です。

だけど、小泉内閣が登場してから本格的に農業分野にも「構造改革」が始まりました。そして、僕は来年度から本格的に施行される政府の政策に期待しています。

やはり注目したいキーワードは「担い手育成」

簡単に言えば、これまでのように単純に農家に対して減反奨励金を一律にばら撒くっていうシステムを全廃して、新たに4ヘクタール以上農地を集積している農家を意欲ある「担い手」として明確化した上で品質の良い農産物を生産する、農業を輸出産業として国際競争に耐えうるものに変える、ってことですね。
それから、よく誤解されるのは「大規模農家だけ」しか担い手になれないのか、っていうことなんですけど、いわゆる小規模農家だって「担い手」になれるわけです。集落ぐるみで営農する組織「集落営農」に参加することによって、「担い手」になれるシステムにもなってるんです。
民主党なんかは、これを農業分野の「格差」が生じる、大規模農家優遇とか言って批判してますが、僕から言わせればまったくの的外れであり、かえって『小沢ビジョン』で掲げている食糧自給率100%を目指すっていうほうがよほど???です。

要するに大規模とか小規模とかじゃなくて、意欲のある農家を育成して結果、国際競争力に耐えうる「強い農業」に構造改革することが必要なんです。

日本の農政については、後日もう少し詳細に書きたいと思います。今回はこのへんで。

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2006年10月31日

中川発言

最近、平日は残業が続いていて記事の更新とかがままならなかった状態ですが、やっと落ち着いてきました。

さて、残業でPCに向かえなかった間に気になった出来事はたくさんあったのですが、そのうちのひとつを今日は書かせていただきます。
自民党の中川昭一・政調会長がいつだったかの「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系列)で
「(日本の)憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国に)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やれば、やりかえす、という論理は当然あり得る。議論は当然あっていい」
「どう見ても頭の回路が我々には理解できないような国が(核兵器を)持ったと発表した。これは何としても撲滅しないといけない」

という発言をしたことから世間は何やら騒いでいるようですが・・・

この「中川発言」の一体何がけしからんのでしょうか???

いや、「けしからん」って言うなってことじゃないんですよ。当然、考え方はいろいろあるわけですから、Aという意見に対してBという反論もあるだろうし、逆にAという同意もあるわけで。

中川政調会長の発言の真意は、日本が核を持つぞ!っていう前提ではないんです。
これは「安全保障」なんです。
安全保障を考えるうえで、いったいどうすれば日本が他国から攻められないですむか、ということを考えると、いろんな考え方やオプションが出てきて当然なんです。

「中川発言」、つまりは「核保有」はオプションのひとつ。

誤解をしてほしくないんですが、僕は日本が核をもつことには反対ですよ。やはり核は拡散防止すべきだし、世界が核軍縮の方向へ向かうのが望ましい。
それに結論から言えば日本が「核武装」することはありえない、と思います。
理由は「日米同盟」。アメリカが許さないでしょう。

「非核三原則」・・・もたず・つくらず・もちこませず・・・これは「国是」です。「国是」なんでしょう。

これって「憲法9条」と似てるんですよ。9条改正というだけで議論すら封印する人がいる。9条が戦後61年の平和を築いた、というものすごい考えをする方が少なからずいらっしゃる。そうじゃないでしょう・・・やはり戦後61年の日本の平和は日米安保があったからこそでしょう。

僕が尊敬する金美齢さんが言ってましたが、1996年の台湾総統選挙のとき、中国が台湾本島を越えてミサイルを撃ち込んだことがあったじゃないですか。あのときは台湾海峡が極度の緊張状態になって、あわや戦争かって感じでしたけど、それを防いだのがアメリカの空母2隻だったわけです。アメリカの2隻の空母がにらみをきかせたおかげで「戦争」を回避できたわけです。

「平和・平和」「非核・非核」「9条・9条」と念仏のように唱えることも必要かもしれません。いや、必要なんでしょう。
しかし、それだけじゃダメだ!ぜったいにダメだ!唱えるだけで平和が築けるなら誰も苦労はしないんです。

いろんな角度からいろんな視点から「日本の平和」「極東の平和」「世界の平和」を考えることが必要だと思います。そして、それは選択肢を制限しないことです。だから議論百出なんです。

「中川発言」はそういうことだと思います。

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