2014年11月23日

今日の横浜も お休みです。

 "タイトル通りお休みです。"と思っていましたら、昨夜の地震です。これに触れずに、「京都だけのブログアップは有り得ない」と思ってしまいました。

 昨夜は、テレビで、突然の、地震警報でした。暫く、何の報道も無かったので、「誤報だったのか。でも、無ければ無いで良かったよね。」と、我が家の奥様と話していました。そして、暫くの後の、長野の震度6弱の地震報道でした。"びっくり"と同時に、"軽井沢の定宿が心配"でした。

 あと一つ、横浜の自宅が、全く、地震を感じなかったのであります。テレビで見ると、神奈川でも震度3とのことでした。でもねぇ、本当に、何も感じなかったのですよねぇ・・・。

 軽井沢在住の人のブログでは、震度3だったそうで、短い間だったものの、結構な、揺れだったそうです。定宿、大丈夫かなぁ・・・。何も、連絡が無いから、大丈夫だと思っているのですがねぇ・・・。

地震で被災された方々に、心より、お見舞い申し上げます

 
と、云うことで、昨日の続きであります。


 昨日来、申し上げているように、修行僧でもないのに、"何を求めて京都に来た?"と、勝手に悩んでおりました。結構、真面目に、それを考えながらの京都散策でした。でも、一か所だけ、自信をもって答えられる処がありました。それは、太秦 広隆寺であります。広隆寺には、約半世紀も前からの、"私の恋人"がいるからでありました。

  は、私の高校時代までさかのぼります。私が行った学校は、地元では、結構、有名な進学校でありました。その中で、成績は底辺を漂っていましたし、スポーツ等は何をやっても下手、容姿に至っては最悪の高校生でした。ですから、可なり、悲惨かつ寂しい高校生活を送っていました。

 か、その高校の国語の教科書だったと思います。章と章の境のページに、広隆寺の弥勒菩薩の写真がありました。そして、ある時、その写真を見て、体に衝撃が走りました。それまで、その写真は、何度も、見ていたのですが、その時は、何故か、その写真から目が離せなくなりました。十代後半の多感な時代だったからだと思いますが、弥勒菩薩の柔らかな体の線は、仏様と言うより、人間的な生気を感じ、色気さえ感じてしまったのであります。特に、顔の頬の線と、肩から肘・手先までの、線の柔らかさには、言葉を忘れるくらいの衝撃を覚えた事を、今でも、記憶しております。

 以来、私にとっては、永遠の(女性?)像となったのであります。

 隆寺の弥勒菩薩には、高校の修学旅行で、初めて、実物を観ました。観て、ため息をついたことを覚えております。その後は、中々、機会がありませんでしたが、確か、昭和50年頃、徳島で単身赴任をしている時、妻に黙って、会いに行った事があると記憶しております。

 回、久しぶりに、かつ、一人で京都に行くことになりましたので、早速、会いに行こうと心に決めておりました。そして、20日14時過ぎに、嵐山周辺の散策を経て、やっと、広隆寺にたどり着きました。

 ってみて、驚いたことが二つあります。一つは、嵐山は、(紅葉見物だと思うのですが)あれだけの人出だったのに、広隆寺は、私が参拝している時に会った人は、4、5人程度だったと思います。まあ、確かに、広隆寺には、モミジは少ないのですがねぇ・・・。

 は、広隆寺を含めて弥勒菩薩と、私の印象というか、記憶とが、かなり、違っていたということであります。広隆寺自体は、覚えてなくても当然だとは思うのですが、恋人とも思っていた弥勒菩薩の印象が可なり異なっていたのは、少くなからずの、ショックでありました。確かに、展示方法と場所が、昔とは、かなり違っていたとは思うのです。今回は、可なり薄暗い室内の中で、所々に、スポットライト的な照明が当たっていました。室内に入った時、"暗い"というのが、第一印象でした。

 の記憶では、弥勒菩薩は、木目調の灰色に近い色をしていたと思っていました。今回見た弥勒菩薩は、かなり、黒っぽい色が目立ちました。私の記憶違いか、照明の当て方か、はたまた、時の経過による変色か・・・。

 も、あの色香とも見まがう、体の線の柔らかさ、色っぽさは、記憶通りでありました。会場には、他にも国宝級の仏像が、幾つもあります。それらを観乍ら、弥勒菩薩の前では、可なりの時間を費やしました。最初に、正面に立って参拝をした後、少し戻って、向かって左にある大きな柱に寄りかかって、立ったまま、見つめていました。その後、向かって右にある柱でも、同じことをしていました。

 して、弥勒菩薩の近くの仏像を眺めた後、弥勒菩薩と向かい合わせに存置してある仏像を見て、改めて、弥勒菩薩の正面にあります椅子に座って、弥勒様を見つめておりました。
 暫く、見つめていましたら、ふと、また例の疑問が私の頭の中に、浮かんできました。「お前は、何を求めて、京都くんだりまで来たの?」であります。私は、すかさず、「うん、此処だったら言えるよ! 弥勒菩薩さんに会いに来たのよ! だって、弥勒菩薩さんは、昔からの、私の恋人だから・・・。」と、答えました。と、同時に、自分の視線が弥勒菩薩からずれていたのに気が付き、慌てて、焦点を弥勒菩薩のお顔に合わせ直しました。

 の時、弥勒菩薩は、微笑んだように見えました。もう一度見直しても、弥勒菩薩の口元は、優しく、微笑んでいるように思えました。私には、弥勒菩薩様が「何言ってんのょ・・。」と云っている様な気がしました。

 あ、これを、このまま現世で再現すれば、飲み屋の美人ママと、歳を取った酔客とのやり取りと同じであります。弥勒菩薩を、これだけ下世話な話にすり替えてしまう程、悟りとは程遠い自分を、恥ずかしいとは思いますが、気持ちは気持ちです。嘘を言っても、かえって、罰当たりになると思った次第です。

 りがけ、室を出る寸前に、もう一度、弥勒菩薩を見て、心に焼き付けました。弥勒菩薩は、同じように、口元に、微かな微笑みを浮かべて、見返してくれたような気がしました。外に出た瞬間に、私は、心の中で呟きました。 

 だって、

 "本気だったのだから・・・。"




(下) 弥勒菩薩が鎮座まします広隆寺 霊宝殿です。

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 後年、仏様には、男女の性別は無いことを知りました。でも、でもです!  日本人の感覚では、観音様は"女"と思っている筈です。あの体の曲線は、"女"でないと有り得ないと思います。私も、最初は女だと思っていました。



sfree261jp at 10:00コメント(0) 
京都 | 京都寺社

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