2009年02月22日

善意と経済のジレンマ

資本主義で最も矛盾を感じる事がある。

働くよりも生活保護を受けた方がいい生活ができるという生活保護
働くよりも年金を受け取ったほうが羽振りがよくなるという年金制度

これらは善意が却って怠け心を引き出したり、損得で考えると仕事や
奉仕をしない方がいいという働く意欲を減退させるいい実例である。


資本主義において、自分の利益を拡大するという一指標だけに頼ると、
周りから搾取していたり、弱者をくじいた事により利益を上げていても、
勝ち負けでいうと勝ちである。そこに勝ちがあれば誰でもそれを目指すだろう。

逆に勝ち負けでいうと、勝たないと生き残れない状況においては、善意を
前面に出して行動して死んでいくというのは馬鹿であり、生き残れない。
余裕がある人しか善意は出せないのだ。それも自分の勝ち負けとは違う方向で。

この状況を今「善意と経済のジレンマ」と呼ぼう。
経済学に精通していない私が知らないだけで、同様の概念がある場合は
誰か私に指摘してほしい。



発展途上国に行って、買い物をする場合にも、先進国の人間にとってはあまり
高くない金額で買い物をしても、現地価格よりも高い価格だと損した気分になる。

「ぼったくられた」と思うのだ。

そして負けた気分になるので、そうならないように発展途上国の恵まれない
子供相手にも商売の駆け引きを行い、安く買い叩こうとしてしまう。

その逆に善意で高い金額で買ったとしても、相手にその善意は伝わらないだろう。
馬鹿からうまく金をせしめれたと思われるのが落ちで、感謝を受ける事は
ないだろう。これでは非常につまらないので、誰もその行動を続けない。


また、募金などによって発展途上国を援助するのも資本主義下においては
同様に考えものである。
援助の初期段階は確実にそれによって救われる人間がいるが、その状況に
慣れるとその援助が当然の権利だと考えて、もらえないと損したとまで思われる。

そして、その保護にのっかかり、誰も働かなくなる。
真のボランティアを考える人が、発展途上国に必要なのは保護でなく
仕事なのだという理由はここにあると思われる。


似た例で、裕福な資源を持ちすぎるのも不幸な事であるようだ。
リンという資源がたくさんあり、誰も働かなくても裕福な暮らしができた
ナウルという国がある。この国では働かない暮らしに慣れすぎて、
天然資源が枯渇してきた今になっても誰も働かないという。

資産家の親の下で暮らして、何もできないけど偉そうな馬鹿息子のような
例は近場でも後を絶たないだろう。



自分の力以外で自分に痛みもなく何かができる状況はあまり自分の向上には
役に立たない。しかし、人は楽な方向に流れる性質もあるので、そういう
環境があればそう行動してしまうというのも、誰にも責められない。

では、どうすればいいのか。
それは環境をそういうルールに変える必要があるのだ。
善意でそれを弱めるのではなく、善意がそれをプラスのパワーにできるように
ならなければならない。


フェアトレードは、これを打開するヒントといえるだろう。
まだ、現在のフェアトレードには正直疑いの目もあるが、その考え方や
方向性は素晴らしいと思う。

頑張って働く人に適正利潤をもたらすために、人々を支援する目的で
ものを購入する。善意が状況改善をもたらすのだ。
また善意で行動した人に満足感ももらたらす。

このこれが買った後にも続くとしたらどうだろうか。

トヨタのプリウスがお金持ちに売れたのはここにあるといえるかもしれない。
「私はちゃんと環境に気を使っていますよ」というのが分かりやすく、見える
形で表現できるのだ。

このような仕組みづくりを今以上に機能させるにはどうしたらいいだろう。
それには評価軸が一つではなく、複数ある必要があるのだ。

過去においては情報伝達にそれなりにコストがかかっていたので、指標は一つ
が分かりやすかった。そんなに複雑な情報は多くの人に伝えられなかった。
但し、今は違う。複数の指標を多くの人に伝えられるのだ。

お金以外の指標が必要であると私が主張する理由はここにある。
ではどんな指標がいいのだろうか?

「アダム・スミス」に書かれていた「徳」などもヒントになりえると考えてる。
どんな指標がいいかについてはまた別の機会に記述したい。

sfukuchan at 23:55│Comments(0)TrackBack(0)

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