テレビ番組

2010年02月08日

善悪と権力 そしてマネジメント

先週のNHKの爆問学問は、過去の放送をいくつか取り上げていた。
その中の一つの話しだ。

「今まで悪とされてきたものは、生命的なものだ
 生きようとする意志が人やものを傷つけてきた」

と哲学者の木田元が言っていた。


これが、とても衝撃的だった。

確かに生きるのにあまりに必死になる必要がある世界では、
何が善で、何が悪かに構ってられないし、
周りがそれを見張ったり、抑制する事もできなかったのだろう。


思うに、殆どの王様や権力者は、殆どの庶民にとっては
悪でしかなかったのだろう。


高い志のない権力は、すぐに自分にだけ都合のいい世界作りに向かい、
悪と呼ばれるものに近くなってしまう。


人が瀕死なのを見捨ててまで、自分が食べ、自分の子孫を残そうと犯し、
自分の安全のために、人から全てを奪う。

自分を守ったり、心地よくするものだけを残そうとする。
自分に危害があったり、自分が手をかけていないのに光を放つ存在を
恐れ、闇に葬ろうとする。


人は権力があると自然とそうなるものだ。飢えた時代には特に。

権力を持っていないから、そうなっていないだけで、
飢えていないから、そうなっていないだけで、
今でも多くの人の胸の奥には、そんな悪が潜んでいる。


過去の教養人が読む書物の多くが小説であった理由の一つは、
手を変え、品を変え、そういう人間の本性を感情に訴えながら突きつけ、
人の気持ちに共感できる能力をつけさせる事にあったのではないかと思う。

それで、昔の教養人は小説をよく読んだ。本の多くは小説だったし、
科学が発達するまでは、実利的な知識など数少なかったのだから。
人の立場にたつという、たった一つの事を身につけるために。

それほど、権力者が社会や人のために志を持つという事は難しい。
今の政治家の政治と金問題を見ているとそれが良くわかるし、
多くの人はそれを簡単にあきらめる。

ならば、それを防ぐためにはどうしたらいいのか。
何らかの規制を掛けるしかないのか。

あるいは、ドラッカーの言うマネジメントなら何かできるのか?
つまり、自分のしている事がどう評価されているか、
という情報がフィードバックされれば、変わるのだろうか?

これは情報の伝達のコストが限りなく0に近くなってきた
今、試してみる価値のある事ではないだろうか?

sfukuchan at 00:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年07月20日

ものより大切なものがある

先週(7/13)放送のカンブリア宮殿の話を見て感動しました。
(http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20090713.html)

瀬戸内の小島に住む、伝説の時計職人の話で、
他の人ではもう修理できない時計を修理するおじいちゃんの職人でした。

持ち込まれるのは、思い出の品だからなおしてほしいという昔の時計、
闘病中の主人が大切にしていた時計などなど思い出ぎっしりの時計。。。


「時計よりも、その周りのものの方がずっと大事」と語る時計職人。


時計をなおすのは、自然光で時計が見れる午前中だけ。
なおし終わって、海を見ながらたそがれる日常。

壊れた時計と一緒に届く、大切な思いを切々と語った手紙や、
時計を治した後に届く感動と感謝に溢れた手紙に囲まれた生活

見てて、なんだか涙が出てきそうになりました。

いつか、こういう仕事の仕方ができるようになりたいな。
と思いました。

sfukuchan at 23:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月02日

経済学のすすめ

先日 「アダム・スミス」を読んだ後に、今「まっとうな経済学」を読んでいる。
この後、一緒に買った(数年前に売れた)「ヤバイ経済学」も読もうと思っている。

NHKでも、「出社が楽しくなる経済学」という番組があり、
毎週欠かさず見ている。
自分の中で軽い「経済学」ブームだ。

実は私は大学は商学部で、経済学についての授業も受けていたのだが、
知らない事だらけで実に勉強になる。当時一体何を教えてもらって
いたのだろうかという気持ちになる。

多分思うに、当時の授業は実に教科書的で、現実の生活とかけ離れ
すぎていたのだろう。それで全く覚えていないのだと思われる。
経済理論というのはやたらに美しいものなのだという印象しか残っていない。

「まっとうな経済学」や「出社が楽しくなる経済学」は現実社会の出来事に
照らし合わせて説明してくれるので、社会の構造理解にとても役に立つ。
私たちが実は知らないところで搾取されている可能性について考えさせられる。

これについて学んだ事から考えると、高校までの教育において経済学を
もっと教えてもいいと思う。法律という存在の意味なども重要だろう。
世界史、日本史なども大切だとは思うが、今を生きる上でどちらの方が
大切なのかと思う。

その他だらだらと何年も習う国語や高等すぎてこれまた現実の必要性と
関係がなくなっている数学など意見を言いたい事は山のようにあるが、
それはまた別の機会にしよう。

しかし、折角高校で経済を教えても、それが教科書的な事の記述と
受験用の暗記に終始してはこれまた意味がないだろう。
暗記する箇所が拡大するだけになってしまう。

これもたくさんの受験生に採点しやすいテストをするための、受験の
産業化と効率化の影響かと思うと、教育にはもう少し何らかの手を
打つべきなんだなと思う。

sfukuchan at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)