華麗な魔法とともにスキンヘッドが駆け抜ける。
今年のクラブW杯で一人の中年が躍動した。
ファン・セバスチャン・ベロン。サッカー好きでこの名を知らぬものはいないであろう。
このクラブW杯で最も目を引いた選手が彼であったと断言できる。
注目の的は間違いなくバルセロナだった。
バロンドール受賞者のメッシの人気は他の追随を許さなかった。決勝ゴールは彼の胸で決められたし、敵を背負ってなお前を向ける俊敏性は世界一の冠に偽りはなかった。
今や世界一のMFの呼び声高いシャビはバルサの中盤に落ち着きとリズムを、闘将プジョルは敵の攻撃に身を投げ出しゴールに鍵をかけ続けた。
試合も途中出場のペドロが終了間際に同点ゴールを決め、精根尽き果てた守備陣をダニエウ・アウベスの見事なクロスがメッシによって沈められた。
エストゥディアンテスも統制の取れた守備、とりわけ戦う姿勢には多くの感動を呼んだことだろう。
両チームのチームカラーを見ていると奇妙な感覚に陥った。
かつては「個人技」の南米vs「戦術」の欧州と呼ばれた。
比較的メディア露出の少ない南米勢は、持ち前の個人技で欧州をねじ伏せる。一方個人技で勝てない欧州組は個を封じるために様々なシステムを編み出し互いに切磋琢磨してきた。
しかし今年見ていると図式が大分変ったように思った。メディアの世界的拡大、スカウト網等色々要素はあるだろうが、両者の関係は逆転していた。
さて話を戻そう、ベロンである。
今大会を見る限り、彼がエストゥディアンテスの要だった。多分彼がいるといないでは相手に与える恐怖感が全然違うだろう。
彼はなにが凄いのか?
的確なコーチングで守備を統制する。正確なパスで攻撃を操る。
その両方でバルサを威圧し続けた。エストゥディアンテスの魂であり続けた。
ピッチの上では常に彼に目がいった。いい位置取りをしていた。対峙したシャビやプスケッツはやりづらかっただろう。
彼のプロキャリアはこのクラブで始まった。
父も在籍したこのクラブでメキメキと頭角を表し、強豪ボカへ移籍。すぐさまイタリアのスカウトに見染められサンプドリアを経てパルマへ。
当時強化策を取っていたパルマはセリエA でも注目されていて、事実UEFAカップを勝ち取る。
良い選手を取る文化が強いイタリアでベロンが次に選んだチームはラツィオ。
このチームは今見直すと本当にいい選手が揃っていた。
同胞のシメオネ、ネドベドやスタンコビッチ。前線にもボクシッチやサラスとリーグ制覇をするに値するチームだった。
(個人的には意外なチームが優勝したな、と思ったものだったが。)
世界一のMFと呼ばれるほどに成長したベロン。右足から繰り出される正確なパスは敵陣をズタズタに切り裂いた。
ここで幸せな2年を過ごした後に名門マンチェスターUの門を叩く。
世界有数の強豪チームに所属することとなった彼の未来は明るいはずだった。
彼を悲劇に陥れたのは怪我と、ロイキーンだった。
組織化された現代フットボールに二つの戦術はいらない。ボールハンターとして稀代の才能を魅せる二人は並び立たず、ボールを足もとで欲しがる両サイド(ベッカム・ギグス)のプレースタイルはベロンの精密なロングパスの威力を半減させた。
時を同じくして行われた02年の日韓W杯でまさかの予選敗退。グループの勝者がイングランドだったことを含めて、この時期にベロンがプレーヤーとして狂っていったのは皮肉だった。
プレミアを制しても、大富豪の力で後に成り上がるチェルシーに行ってもベロンらしさは戻らなかった。
ステップアップの地であるイタリア(インテル)に移っても輝きを取り戻せない。
末は今や2流リーグと言っていい母国へと戻っていった。新陳代謝の激しいサッカー界では「ベロンは終わった」と囁かれ、僕自身プレーヤーとして彼への関心は薄れていった。
しかし、母国で魔法使いは甦る。
エストゥディアンテスに戻った彼は慣れ親しんだ環境で伸び伸びとプレーし、南米王者に輝く。その功績を称えられ、南米最優秀選手に選ばれた。
トップアスリートにとって環境が与える影響は大きいことは当然わかっているが、サッカー選手として下り坂の年齢でこれほどまでに輝けるものなのか?
運動量は確かに落ちている、その穴を頭脳で埋める。
ポジショニングに優れ、仲間を動かす。元々ロングパスが得意なことから視野の広さには定評がある。それをうまくチームに還元し、強化していった。
右足に錆は感じない。止まったボールを蹴らせると依然世界トップクラス、ダイレクトパスの美しさはラツィオ時代のそれだった。
今や代表でもレギュラーとしてアルゼンチンを引っ張っている。
彼が今回世界的コンペディションに出て何が証明できたのだろう?
『まだまだ俺は出来るんだ。』
確かにいまだに彼が一流プレーヤーだという証明にはなっただろう。前述の長所はシャビに勝るとも劣らない。
『アルゼンチンは世界一だ』
マラドーナ監督として来年のW杯で強烈なインパクトを残す可能性は、おそらく0だ。今のアルゼンチン代表はスター軍団ではあるがチームとして機能していなく、ベロンが南アフリカの土地でジュールリメ杯に口づけする機会はないと言える。
母国愛が強い彼が世界一に飢えていたとしても不思議ではない。
しかし、彼はフットボールの魅力に改めて取りつかれ、喜びに任せてプレーしていたように感じた。
フィジカル化が進むヨーロッパサッカー。勝利に対しての多額の報酬からビジネスの要素が強くなっていることがサッカープレーヤーをアスリートへと変えていっている時代とも言える。
そんな中、いまだにテクニックが蔓延る母国に戻った彼が、プレーに対して強く喜びを感じていても不思議ではない。
逆転されても、足を吊って、苦しそうにボールを追うベロンを見て、そう思わざるをえなかった。
今年のクラブW杯で一人の中年が躍動した。
ファン・セバスチャン・ベロン。サッカー好きでこの名を知らぬものはいないであろう。
このクラブW杯で最も目を引いた選手が彼であったと断言できる。
注目の的は間違いなくバルセロナだった。
バロンドール受賞者のメッシの人気は他の追随を許さなかった。決勝ゴールは彼の胸で決められたし、敵を背負ってなお前を向ける俊敏性は世界一の冠に偽りはなかった。
今や世界一のMFの呼び声高いシャビはバルサの中盤に落ち着きとリズムを、闘将プジョルは敵の攻撃に身を投げ出しゴールに鍵をかけ続けた。
試合も途中出場のペドロが終了間際に同点ゴールを決め、精根尽き果てた守備陣をダニエウ・アウベスの見事なクロスがメッシによって沈められた。
エストゥディアンテスも統制の取れた守備、とりわけ戦う姿勢には多くの感動を呼んだことだろう。
両チームのチームカラーを見ていると奇妙な感覚に陥った。
かつては「個人技」の南米vs「戦術」の欧州と呼ばれた。
比較的メディア露出の少ない南米勢は、持ち前の個人技で欧州をねじ伏せる。一方個人技で勝てない欧州組は個を封じるために様々なシステムを編み出し互いに切磋琢磨してきた。
しかし今年見ていると図式が大分変ったように思った。メディアの世界的拡大、スカウト網等色々要素はあるだろうが、両者の関係は逆転していた。
さて話を戻そう、ベロンである。
今大会を見る限り、彼がエストゥディアンテスの要だった。多分彼がいるといないでは相手に与える恐怖感が全然違うだろう。
彼はなにが凄いのか?
的確なコーチングで守備を統制する。正確なパスで攻撃を操る。
その両方でバルサを威圧し続けた。エストゥディアンテスの魂であり続けた。
ピッチの上では常に彼に目がいった。いい位置取りをしていた。対峙したシャビやプスケッツはやりづらかっただろう。
彼のプロキャリアはこのクラブで始まった。
父も在籍したこのクラブでメキメキと頭角を表し、強豪ボカへ移籍。すぐさまイタリアのスカウトに見染められサンプドリアを経てパルマへ。
当時強化策を取っていたパルマはセリエA でも注目されていて、事実UEFAカップを勝ち取る。
良い選手を取る文化が強いイタリアでベロンが次に選んだチームはラツィオ。
このチームは今見直すと本当にいい選手が揃っていた。
同胞のシメオネ、ネドベドやスタンコビッチ。前線にもボクシッチやサラスとリーグ制覇をするに値するチームだった。
(個人的には意外なチームが優勝したな、と思ったものだったが。)
世界一のMFと呼ばれるほどに成長したベロン。右足から繰り出される正確なパスは敵陣をズタズタに切り裂いた。
ここで幸せな2年を過ごした後に名門マンチェスターUの門を叩く。
世界有数の強豪チームに所属することとなった彼の未来は明るいはずだった。
彼を悲劇に陥れたのは怪我と、ロイキーンだった。
組織化された現代フットボールに二つの戦術はいらない。ボールハンターとして稀代の才能を魅せる二人は並び立たず、ボールを足もとで欲しがる両サイド(ベッカム・ギグス)のプレースタイルはベロンの精密なロングパスの威力を半減させた。
時を同じくして行われた02年の日韓W杯でまさかの予選敗退。グループの勝者がイングランドだったことを含めて、この時期にベロンがプレーヤーとして狂っていったのは皮肉だった。
プレミアを制しても、大富豪の力で後に成り上がるチェルシーに行ってもベロンらしさは戻らなかった。
ステップアップの地であるイタリア(インテル)に移っても輝きを取り戻せない。
末は今や2流リーグと言っていい母国へと戻っていった。新陳代謝の激しいサッカー界では「ベロンは終わった」と囁かれ、僕自身プレーヤーとして彼への関心は薄れていった。
しかし、母国で魔法使いは甦る。
エストゥディアンテスに戻った彼は慣れ親しんだ環境で伸び伸びとプレーし、南米王者に輝く。その功績を称えられ、南米最優秀選手に選ばれた。
トップアスリートにとって環境が与える影響は大きいことは当然わかっているが、サッカー選手として下り坂の年齢でこれほどまでに輝けるものなのか?
運動量は確かに落ちている、その穴を頭脳で埋める。
ポジショニングに優れ、仲間を動かす。元々ロングパスが得意なことから視野の広さには定評がある。それをうまくチームに還元し、強化していった。
右足に錆は感じない。止まったボールを蹴らせると依然世界トップクラス、ダイレクトパスの美しさはラツィオ時代のそれだった。
今や代表でもレギュラーとしてアルゼンチンを引っ張っている。
彼が今回世界的コンペディションに出て何が証明できたのだろう?
『まだまだ俺は出来るんだ。』
確かにいまだに彼が一流プレーヤーだという証明にはなっただろう。前述の長所はシャビに勝るとも劣らない。
『アルゼンチンは世界一だ』
マラドーナ監督として来年のW杯で強烈なインパクトを残す可能性は、おそらく0だ。今のアルゼンチン代表はスター軍団ではあるがチームとして機能していなく、ベロンが南アフリカの土地でジュールリメ杯に口づけする機会はないと言える。
母国愛が強い彼が世界一に飢えていたとしても不思議ではない。
しかし、彼はフットボールの魅力に改めて取りつかれ、喜びに任せてプレーしていたように感じた。
フィジカル化が進むヨーロッパサッカー。勝利に対しての多額の報酬からビジネスの要素が強くなっていることがサッカープレーヤーをアスリートへと変えていっている時代とも言える。
そんな中、いまだにテクニックが蔓延る母国に戻った彼が、プレーに対して強く喜びを感じていても不思議ではない。
逆転されても、足を吊って、苦しそうにボールを追うベロンを見て、そう思わざるをえなかった。