☆競馬予想の本質論〜グリチャ人気番組『先週の結果分析』の判定がA〜Dまで同回収率=儲からない理由(パリミュチュエル方式の馬券/競馬予想に於いては、情報の正しさとその価値は別次元)〜
※『先週の結果分析』での前走レースレベル別の次走成績データ(※ダートのみ・重賞OP除く・1年間)
まず最初に『先週の結果分析』の批判記事ではありません…別にJRA番組だからと言って遠慮するとかもないですが。
そして、フォローもしておきますが、『先週の結果分析』の解説陣は競馬ブック吉岡哲哉氏や元ダービーニュース長谷川仁志氏など実力派揃いで、まあ見ても損は無い番組と思います(私もとある情報だけ毎週4分位見てます)…ただし、それの判定の回収率(価値)は以下の通りA〜C(D)まで有意な差は無いというレベルです。
「メンバーレベル…A単複回収率0%・B87%・C84%・D84%・E42%」
「タイムランク…A84%・B91%・C89%・D72%・E61%」
“価値”はそんなものですが、“精度”が悪いのかと言えば別にそんなコトも無いと思います(共に強い馬1頭の存在だけで評価が引っ張られ過ぎる辺りは欠陥と思いますが)
例えばスピード指数(西田式)という概念が世に出た時には、それだけで簡単に当たるし儲けられたそうです…でも今はそうではない。
何故かと言えば、スピード指数の性能(精度)が落ちたのではなくて、価値が落ちたからです。
ようはそれがマイナー情報からメジャー情報へと立ち位置が変化したからです…競馬予想に於ける“安易な正解情報”は結局広まって、皆が利用するので“儲からない情報”になるというのが終点です。
話を戻して『先週の結果分析』の「タイムランク」ですが、そんな決着タイムが早い云々はもはや現代競馬予想の全ての基幹にある情報と言っても過言ではないのです…それを元に競馬新聞やスポーツ紙では印打ちやオッズ想定もされています。
もちろん“決着タイムが早い=馬が強い”というのはそれなりの相関関係があるでしょうが、それは既に出尽くされている分野なのです…そして競馬予想の電脳化が進む中で今後も重点的に取り扱われて行くでしょう…そこで他よりも優位を得るのは至難の業です。
それが古典的な「基準タイム×馬場差×ペース差」から進化しない「タイムランク」が、もはや生きた化石として価値を有さなくなるのは自然の理であるワケです。
(くれぐれも…確かにタイムランクAは強いんですよ…でもその情報で優位性を得られる時代はとっくに終わっているのです…強いという意味では正解ですが、妙味を得られる情報(回収率100%を目指せる情報)ではないという意味ではほぼ無価値というコトです)
ちなみに、私自身は反時計派・非ラップ派です…走破時計自体は見る必要が無い位に思っています。
何故『先週の結果分析の判定』と『ウチの判定』に大きな価値差(回収率に繋がるかどうか)が生じているのかと言えば、ウチは現代競馬予想の常識であり最大派閥であると言うべき“タイム論”に与しないのが大きいのかなと自己分析します。
(そもそも、前者はただタイムが早いやメンバーが強いというのを判定しているのに対して、後者(私)は次走役立てる為のみに特化した判定をしていますので…だからそういう結果差で前者が劣るなどの論調は筋が違うのでしょうけれど)
誰もやらない予想理論はそもそも99%不正解ですし、かと言って誰もがやる予想理論は時すでに遅し…勝つ為にはその間にあるだろう“高回収率立ち位置”に陣取り続けるしかありません…そういう意味では時代によって勝てる予想は目まぐるしく変化するワケですが、現状ではウチの地道な積み重ねを下地としたアナログ算出のレースレベル理論は良い線にあるのではないかと思っています(出しっ放しでそれを必ずしも予想に役立てられていない状況は、非常に勿体ない反省すべき点なのですが…)。
そして、『先週の結果分析』が人気番組であるのに対して、恐らくウチのレースレベルを予想に本気で取り入れているのは、私を含めて世の中に数人のみという希少性もそれを助長する材料でしょう。
(毎週レースレベルをこの様な形で掲載して、それを読者さん側で役立てて貰うのは至難であるのは分かっています…もしも私がナツさん並にバイタリティあったら幾らでも手立てはあるのですが、そうではないのでスミマセン(提案なりオファーなりはお待ちしております))
何が言いたいのか…説得力があっても・それが正解だとしても、まず誰もが分かる話・誰もが知り得る話には価値が無いのです・・・『先週の結果分析』もあまりに王道の至極正論だからこそ無価値に陥っているのです。
昨日もツイッター上で異論反論頂きましたが(大歓迎です)、そんなウチの極論暴論含む有力馬診断の見解(自説)は結果的に不正解という箇所も当然全然ありますが、そうやって一般と違う話の方に価値は眠っている可能性が見出せるというコトです(一般論は幾ら語っても情報としても娯楽としても意味は乏しい/一般論と異なる正解をどれだけ積み上げられるか勝負とでも言えるでしょうか)。
そこの正解・不正解をジャッジするのは読者様の担う部分でもあるとも…是非ともそういう目で競馬予想の情報化社会で自立した歩みをして頂くのがベストなのだろうと思う次第です。