2005年05月10日

改めて書き直しましたよ やおよろずさもなー(1)

やおよろず・さもなー 第一話、その1

 キサは「甘いものさえあれば食事はいらない」というタイプなのだけれど、ぼくがそれに付き合っていたら間違いなく病院送りになるだろう。というわけで、買い物に行くのも料理をするのも、後片付けをするのもぼくの仕事だ。何しろ、ぼくとキサは二人暮らしなのだから。
 ……何か自分が騙されているような。いや、単なる錯覚だろう。ぼくは端末をたたき、駅前のストアへ接続した。
「いらっしゃいませーっ!」
 安っぽいアニメ絵の、エプロンドレスを纏った女の子が、端末の上に浮かんで、優雅にスカートの裾を掴んでお辞儀した。
 ……システムをリニューアルすると聞いていたけど、こういう方向に強化したのか。
 ここ数日の献立を伝えると、数秒間彼女は沈黙した。遅い。かなり古い機器で無理矢理動かされているのだろう、このAI。少し気の毒だ。
「今日のお勧めはこちらになります!」
 表示されたのは、天然牛のステーキ。一週間くらい、キサと一緒にワッフルだけ食べて生活することに耐えられれば、ぼくの乏しい所持金でも何とかなるだろう。
 というか、まともに栄養バランスとかを考えて選んだのか、この献立?疑わしい。一番高いものを売りつけようとしていないだろうか。
 疑念の目差しに気付いたのだろうか。
「はい?」
 エプロンの裾で手を拭っていた彼女が首を傾げた。
「気にしない。ええと……予算はこれくらいなんだけど」
「ふむふむ」
 渋い顔で悩まれた。むにゅ、と柔らかそうな頬を指先がつついてへこませる。
 な、なんて無駄なところに技術と資金を投じているのだろう。そういえばこのストアの店長はクラシック・アニメのコレクターという噂を聞いたことがある。店の利益よりも趣味を選んだに違いない。
「むぃーっ」
 変なうなり声を上げられてしまった。というか、そこまでぼくの言った予算は低いのか?
「こんなところでどうでしょう?」
 示されたのは、サラダと塩。もちろん天然ものではない。
「……って、これだけ?」
「はい、お勧めです。ご主人様の食事には野菜が不足しています」
 微笑まれてしまった。
「さっきのステーキは」
「それ以外ですと、コロッケとパンなど」
「野菜が入ってない」
 むぅ、と彼女は頬をふくらませて、そっぽを向いてしまった。
「ワガママなご主人様!もう知りませんっ!」
 いいのか、この店。
 予算を引き上げて、コロッケとサラダと塩を注文したぼくは端末の電源を落とした。
「キサ、買い物に行ってくるね」
「ん」
 昨日、図書館から戻ってきてからキサの様子がおかしい。部屋にこもったきり出てこないのだ。今の返事も扉越しだ。
「あけていいかな、キサ」
「死にたくないならやめておけ」
「さすがに、死を覚悟してまで開けはしないね」

 端末からはき出されたカードを差し込むと、調理されたコロッケ、塩とドレッシングがパックされたサラダがトレイに乗って「受け取り口」から出てくる。殆どが自動化されていて、支払いも端末に登録されているクレジットでの決済で、つまり楽々だ。
 さらに。ぼくの前にいるのも、その前にいるのも、後ろにいるのも、そろさらに後ろにいるのも、全員がロボットだ。
 買い物にかぎらない。自動車に搭載されているAIは、人間という気まぐれで、眠くなったりよそ見をしたりする生き物よりもずっと安全に目的地まで運んでくれる。たまに歩いている人を見かけるが、ほとんどが運動不足を解消するためのスポーツとして歩いているだけだ。人間の体力が衰えているわけではない。ただ、その体力は行楽としてのハイキングや山登り、レジャーのために使われているだけで。
「〜♪」
 気兼ねなく、ぼくは口笛を吹きながら蒼く晴れ渡った空の下を歩く。コロッケとサラダを供にして、家に帰った。

 扉を開けると、そこは古書によって占領されていた。
「……これはいったい」
 蔵書印が捺された古書が、キサの部屋から溢れ出ている。蝶番ごと吹っ飛んだ扉が、ぼくの部屋の扉と激突している。
 つまり、だ。ぼくは目を閉じて人差し指を立てる。
 キサの部屋で山積みになっていた古書が扉に向かって崩れ落ち、施錠されていた為に支えきれなくなった扉ごとリビングに流れ込んだ、と推理できる。
「一目でわかることをいちいち言うのは、お前の悪い癖だな」
 またぼくは、思っていたことを口に出していたらしい。古書が作り上げた室内の丘陵地帯、そのどこからかキサの不機嫌な声が聞こえてきた。
 いや、手が少しだけ丘の上に出ていた。もぞもぞと動き、ぐーの形で拳が握られた。
「……?」
 ぼくが見ていると、それはぱーの形になり、ついでちょきになった。
「じゃんけんをしたいのかい、キサ」
「違う。助け出そうとしないお前を殴ってやろうと思ったのだが、いややはり平手打ちが良いと考え直した。だが、それでも傍観しているお前には目つぶしこそふさわしい」
 ぼくが、慌ててキサを引っ張り出したのは言うまでもない。
 キサは、閉じていた目を開いた。美しい瞳がぼくをとらえる。
「櫛はどこだ」
 冷ややかな声。ああ、ぼくはまたキサを失望させてしまった。美しい黒髪はキサという完成された美を構成する重大な要素の一つ、けれどあんな姿勢だったのだから、髪がぐしゃぐしゃになっていることくらい予想できただろうに。ぼくは自分の至らなさを歎きつつ、古書を踏まないようにと壁伝いに洗面所まで行って、櫛を持ってきた。
 ばさばさになっている黒髪を櫛で梳き、キサは古書を一冊広げる。
「昨日から、何を読んでいるのか興味のあるぼく」
「授かった力を活用する方法だ」
 その参考資料が、20世紀末のコミック雑誌やマンガの単行本というのはどういうわけだろう。
「ううっ」
 誰もいない片隅から、啜り泣く声が聞こえてきた。
「ぼくの目には見えないけれど、そこにいるのは腐れすっとこどっこい妖精のアニーなんだろうね」
 ふわふわと、一冊の古書が浮かんでいる。時折ページが捲られているが、そこには誰もいない。いや、確かに存在しているのだ。ただぼくの目には見えないというだけで。なぜって、妖精を見ることができるのは清らかな心の持ち主だけであって、つまりキサのように汚れのない清純な少女くらいにしか見えないのだろう。ぼくの心は決して汚れている訳じゃなく、ぼくには心なんてものがないだけだ。
 溜息をつく。ぼくは日常的な日々を送りたいというのに、世界はぼくに日常的な日々を送らせてくれない。年上のお姉さんに見える同級生と一緒に生活しているだけの、それこそどこにでも転がっていそうな平凡なぼくだというのに。
「キサ様、どうか世界を救われても、自らを犠牲にすることはなさらないでくださいっ」
 浮かんでいるのは、古い古い「少女コミック」と呼ばれる単行本だった。
「うむ。悪しき妖精の跳梁跋扈を防ぐために、世に希望と光をもたらす。選ばれた異世界の少女である私が、二つの世界を共に守るのは定めというべきか」
 ぼくの理解を超えた世界がそこに広がっていた。

 まあ、話を少し整理しよう。
 そもそもの始まりは、妖精という変な連中がバカなことをしたのが発端だ。
 今から一千年程昔の話だ。それまで一つだった世界が二つに分離を始めた。一つは科学と法則の支配するこの世界。もう一つは、魔法のような「そんなのありかよ」という事が可能な世界。妖精であるアニーに言わせれば、自分たちの世界を支配する法則を科学といい、異世界を支配しているが自分たちの世界の法則に反する法則を魔法というのだそうだが。
 ともかく、妖精達は科学の支配する世界では存在を赦されない。なぜなら、妖精は「情報」を操ることで、物理法則等々、こっちの世界の法則を無視する事ができたからだ。ところが、何しろ身の丈数十センチという矮小な脳みそしか持っていない妖精達だ。「何とかなるだろう」と調子に乗って、魔法という対抗手段を失ったこっちの世界の住人に好き勝手な悪戯を始めた連中がいた。
 が、その連中は気付いた。科学という法則が、二つの世界を結んでいた道を塞いでしまったことを。
 数百年の呆然が終わって、こっちの世界に残った妖精達は二つのグループに分かれた。
 一つは、人間の恐怖や憎悪等々、負の感情を増大させ吸収し、それによって「道」を作ろうという連中だ。人間の感情でなんで道が開くのかは、ぼくにはよくわからない。
 もう一方は、いずれ二つの世界が接近し融合することが確実なのだから、放っておけばいいというグループだった。
「ま、だから人間が恐怖のどん底で滅んでもいっかーと思ってたんだけど、あんまり派手なことをされると、人間が魔法の存在に気付きかねないでしょ。そうなったら、二つの世界ごと破滅しそうだし」
 と、なぜ「悪い妖精」のすることを妨害するのかと、「ほっとけ派」の一人であるアニーは至極面倒そうにぼくに説明をした。
 悪い妖精達は、人間の負の感情を増幅させる。例えばぼくが誰かを憎んでいるとしよう。彼らはぼくの憎悪を膨らませ、彼らの力を借りさせて、ぼくがその誰かを殺すようにし向けるのだ。
 殺された奴にも、きっと親しい人間は何人かいるだろう。ぼく一人が持っていた憎悪は、ぼくが殺人を犯すことで数倍の憎悪に膨れあがるのだ。
 妖精の姿を見ることができたキサは、アニーと共に世界を救うための戦い、つまり悪い妖精との戦いに身を投じたわけだった。
 
 ……ところで、この長すぎるプロローグで疑問を持つ人は必ずいるだろう。そう、なぜそれで少女コミックを読んでいるのか、と。
「そうかなぁ」
 疑わしげな声が空中から聞こえてきた。心を読まれたに違いない。
「いや、例によってお前が虚空を見つめながらぶつぶつ独りごちていた」
「沈黙は金なりだなあ」
 しみじみと……って、そうじゃなくて。
「ふむ。善良なる存在を従え、悪しき存在と戦う。そのような物語を図書館で検索したところ、この本が該当したのだ。そこで、参考とするために借りて読んだ」
 ここにクラシックタイプのゲーム機がないことを奇蹟に思うべきだろう。
「というわけで、行くぞ」
 彼女は古本を蹴散らす勢いで部屋に駆け込み、一瞬で制服に着替えて飛び出てきた。
「キサ、ちょっと待ってよ、行くってどこに行くのさ」
「古典のたしなみがないというのは哀しむべきだな、アニー」
「そうね」
 哀れむような視線を、何もないところから感じる。
「古文書に依れば、多くの場合、悪と戦う少女の敵は、学校にいるのだ」
 それは話を作る上の都合だとぼくは思う。日本に住んでいる女の子が、いくら正義のためとはいえ昨日はアメリカ今日はパリというわけにはいかないから。
「何をしている。さっさと着替えろ」
「キサ、昨日ぼくは制服をクリーニングに出したところなんだよ」
 溜息をつく。以前「やってみる」というのでキサに洗濯を頼んだところ、マイクロメートル単位で仕上がりにこだわり始めたので、それから洗濯やクリーニングもぼくがやっているのだ。
 キサの制服とぼくの制服を一緒に出すのは、なんとなく躊躇われたので、ぼくの制服だけをクリーニングに出しているのだ。
 というのは無論口実であって、せっかくの夏休みをこんなことに使いたくないというのが本音だ。
「そうか、口実か」
 またやってしまった。
「ふむ……」
 キサは少し考え、すぐに頷いた。いや、ぼくよりも数千倍早く廻る彼女の頭脳だから、熟慮の末の決断であるに違いない。そう期待するぼくの髪をキサが撫でた。
「う……」
 途端に、全身を悪寒が包んだ。
 ぼくよりも10センチくらい背が高いキサを見上げ、何をするのかと尋ねようと口を開く。しかし、彼女の顔がどんどん小さくなる。違う、ぼくの体が縮み始めたのだ。
「き、キサ……、何を……」
「うむ。先日、アニーよりもらった力でお前に戦ってもらったのは覚えているだろうか」
「それくらい、覚えてるに決まってるじゃないか」
 思い出したくないが、忘れられない記憶というのはある。
「その時の情報を記憶しているので、再構成している。それから、服についてはこの」
 とキサはスカートの裾を掴んだ
「制服の情報で変換中だ。初等部の制服は、中等部と同じだから実に助かるな。まあ、リボンの色が違うだけだが。女子生徒が女子の制服で学校に行く、問題解決」
「すばらしくエレガントな解決策です、キサ様」
「うむうむ」
 自画自賛しているキサと、太鼓持ちの妖精の暢気な声が頭の上から聞こえてくる。
「に、二度とあんな姿に、な、にゃ、るものか……」
 胸が膨らもうとするのを押しとどめようと、両手で強く押し返す。ふにゅ。掌の中央付近で、突起の存在を感じてしまう。
「ふにゃあ」
 思わず吐息を漏らすぼくを興味深そうに見ていたキサが、言った。
「いつも思うのだが、なぜ猫と人間の情報を混ぜ合わせると、耳だけが猫になるのだ」
「うにゃ、にゃあっ」
 尖った耳をつままれた。
 少し遅れて、胸の辺りに感じていた重みが和らぎ、それが肩にかかったのを感じる。考えたくないが、つまりそういう……
 見下ろせば、ささやかに膨らんだ胸がブレザーを押し上げている。足下は、さっきから涼しい風が吹き抜け、時折薄い布がさらさらと触れている。
「うう……キサ、一つ致命的な欠陥があるよ」
「なんだ」
「猫耳と」
 恥ずかしさを押し殺しつつ、お尻に手を伸ばし、細長いそれを掴んだ。
「尻尾の生えた女の子なんて、学校にはいにゃい……」
「……そういえば、そうだな。まあ、何とかなるだろう」
「にゃらにゃいっ」
 抗議するぼくは、しかしキサの片手で頭を押さえられると何もできなくなった。
「なぜなら」
 キサは拳を握り、深く頷く。
「正義の少女に従う、お助けキャラが猫耳少女であったとしても、それは良くあることとして許容される。行くぞっ!」
「うにゃぁぁーっ」
 ひょいと片手でぼくを抱き上げ、キサは傲然と扉を開けた。
(続く)

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