2005年05月27日

お詫びの品 〜やおよろずサモナー前奏曲〜

 お詫びの品が、ポストに入っていた。
「幸運?」
 彼は疑わしげにその小箱を手に取る。まず耳を宛て、中からチクタクとか危険な音が聞こえてこないかを確かめて。次いで、宛名を確かめる。間違って届いたギフトを開けて、後で酷い目に遭ったことがあるから。
「宮野聡だから、間違いない」
 自分の名前であることを何度も確かめ、彼、聡はようやく箱を鞄に仕舞った。
「ただいま」
「おっかえり……また怪我してんのかよ、兄ちゃん」
 部屋に戻ると、一つ年下の弟にまで笑われた。足首に包帯を巻いているのは今朝のこと、今は頭にも巻かれている。これで血が滲んでいたなら・・・いや、いつものことだと笑われて終わりだ。聡は溜息と共に
「うるさいな」
 と力なく答え、制服を脱ぎ始める。体についた無数の傷は、彼の不幸の証だ――断じて名誉の証ではない。
「おい、着替えるから出てけ」
「あー?いいだろ別に」
 寝転がったままマンガを読んでいる弟。怒鳴りつけようとして、自分より立派な体格を空手で鍛えた弟の逆襲を恐れる自分にさらに溜息をつく。自分の貧弱で傷痕だらけの体を見られるのが嫌だった。特に弟にだけは。
「へへ、お礼に俺が着替えるのも見せてやるって」
「見たくねぇよ」
 何が悲しくて、弟がポージングするのを見なければならんのだ。
「っと、これ、何なんだ?」
 手短に着替えを終え、鞄から箱を取り出す。包装もなにもされてない箱を開けると、一枚の紙切れと……
 美しい金色の髪に澄み切った蒼い瞳。それは不思議の国のアリス
「……の人形?」
 小さな人形を、弟に見つからないように胸ポケットに収める。こんなものが送られてきたと知られた日には、半年は脅されることになるだろう。
 手紙は、端正に綴られていた
 
 前略
 宮野聡様
 
  当方の手違いにより、あなたの幸運の調整が過去十七年にわたり誤って最低レベルに固定されておりました。
  大変なご迷惑をおかけし申し訳ございません。
  お詫びの者を贈らせていただきますので、なにとぞご寛恕ください
  
 運命調整局

 沈黙する聡。ぱらりと捲られるマンガ。
「・・・そりゃ、不幸だけどさ」
 小さい頃から不幸の連続だった。道を歩けば自転車にはねられ、車にぶつかり、犬に追いかけられる毎日。体を鍛えようとすれば、一日目で骨折。
 告白しようと放課後そっと後を追えばストーカーとして補導され、憧れていた同級生と二人きりになった途端に蜂の大群が押し寄せてきたり。
「・・・この人形がお詫びなのか?」
『そうねぇ。あなた、不足幸運量が二十七億四千五百万もあるから、それをゼロにするのがあたしの氏名ってわけ、よろしく』
 人形がもぞもぞとポケットから顔を出し、挨拶した。

「どわぁぁぁっ」
 いきなり絶叫を上げた兄を、弟は不審そうに見た。しかし、いつものことだとまた視線をマンガに戻す。

『あたし、アニー。よろしくね!あなたをどんどん幸福にして、不足幸運量を補うから』
「不足幸運量・・・っていうか、に、人形がしゃべ、しゃべっ」
 小声で尋ねる。アニーと名乗っている人形の声は小さく、弟に聴かれる心配はない。
『あたしは人形じゃなくて、妖精。元の世界に戻るには、運命だかなんだかを操っている連中の協力が必要なんだよね。で、本来あなたが受け取るべきだった幸運の量が二十七億四千五百万も溜まっていて、それをゼロにすれば!』
 アニーは手を打ち鳴らし、にやりと笑う
「あたしは運命の人と出会って、元の世界に帰れるってわけ。それにしても、幸運がそこまでない人生を生き抜いてきたのってすごいわ……あ、違うか。死ねば幸運も不幸もないし、そう考えると生きていること自体が不幸っていうか」
 そこまで言われるほど酷い人生だったのか?聡は反論しようと回顧し
「………」
 沈黙する。
『さあ!そうと決まればバンバン幸運にしてあげるわよーっ!ふむふむ、君は妹が欲しかったんだね、わかった!』
 言うなり、小さなPDAをどこからともなく取り出した。
『えっと・・・あったあった。性別を、女っと』

 ぶつぶつと何か言い続けている兄がさすがに心配になった。
 なったが、このマンガの続きを読むほうが優先度は高い。寝そべりながら頁を捲ろうとして
「あれ?」
 何か息苦しいことに気付く。
 胸の下に敷いていた座布団に目をやって、Tシャツと肌の隙間から、胸の谷間を垣間見た。無言で身を起こし、ふっくらと膨らんでいる胸に触れる。
「うわぁぁっ」

「うわぁぁっ」
 硬直していた聡が我に返ると、童顔に似合わない大きな胸を両手で掴んでいる少女と視線があった。すぐに目をそらそうとして
「ま、まさか和樹か?」
 Tシャツには韓国の国旗に描かれている変な模様が印刷されていて、それは間違いなく弟の和樹がさっきまで着ていたものだ。その紋様の大半が胸の谷間に沈んでいて、大きく膨らんだ双丘の尖端は、それぞれに尖っている。
「兄ちゃん、お、俺っ」
『あー。言葉使いがなってないなー』
 聡の肩に立っているアニーがさらさらとPDAにペンを走らせる。
「お、おい、やめろっ」
「兄ちゃぁん、あたし、変だよねっ・・・あ、あたし?あれ?あ、あた、あたし・・・いやぁぁぁっ」
『仕草もだめ』
 両手を激しく振り回していた和樹が、急にしくしくと啜り泣きを始め、両手で顔を覆った。そのままなよなよと崩れ落ちる。
『あとは・・・妹さんから好きって言われたいんだね。アニーに任せて!』
「やめてくれーっ」
『へ?』
 アニーが間抜けな声を上げた。
 ゆらり、と和樹が立ち上がる。
「お兄ちゃん……」
「ナ、ナナ、ナンデショウカ」
 怪しい視線に顔を強ばらせつつ、聡は少しずつ後ろへ下がる。
「好き……好きなの……」
『もーっ、あんたがいきなり大声で言うから、間違えたじゃないっ』
 キーキーとアニーがわめいたが、それどころではない。ゆらりゆらりと近づいてくる妹に、汗をだくだく流しながら聡は壁を伝って逃げ続ける。
 やがて、部屋の端に追い込まれた。
「……しよ♥」
「正気にもどっ、む、むぐ、ぐぐ」
 例え女になったとしても、和樹の筋力は聡を上回っていた。強く抱きしめられ、そのまま唇を奪われる。
「お兄ちゃんはあたしのこと、嫌いなの?」
 涙をぽろりぽろりとこぼす。畜生!これが和樹じゃなかったら、と心の中で絶叫する。潤んだ大きな瞳といい、弟だった頃の面影は殆ど消えていて、とんでもなくかわいい女の子なのだから。
「あ、あなた達……」
 どさり、と買い物袋が落ちる音と、姉の声。
 彼女の目に映っているのは、押し倒されている自分と、馬乗りになっている妹。
「……聡っ!」

『あれー?幸運不足度が上がっちゃった……』
 眼下の修羅場を眺めつつ、アニーは溜息をつく。
『ま、最初は失敗もあるわよね。次で挽回挽回!』
 あはははは、と脳天気な笑い声は、「あたしはお兄ちゃんが好きなのっ」と泣き喚く少女と、「俺はなんて不幸なんだぁぁぁぁ」と絶叫する少年と、二人を激しくしかり続ける女性の声でかき消されたのだった。
 

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