「お兄ちゃん、またねー」
「ああ、気をつけて……」
聡は重い重い溜息をついて手を振った。一年生は東校舎、二年生は西校舎。だから二人は校門で別れることになる。
「……お兄ちゃん」
再び深く溜息をついた聡に、彼の美しい妹はなぜか嬉しそうに、大きな胸の前で手を組み合わせた。
「そんなにあたしと離ればなれになるのが辛いのね……私もだよっ」
額を打ち付ける勢いで、そのまま倒れ込んだ。
「だから、一緒に帰ろうねお兄ちゃん!今日はお姉ちゃんもお父さんもいないから……きゃっ」
顔を真っ赤にして走り去っていく妹。
「ふふ、もてもてじゃなーい。血のつながってない妹が、ちょっといけない恋愛感情を持つ……男の幸せの一つって奴!?……なのに、なんでそんなに不幸そうなのよ!」
キーキーと、ポケットの中にいる小妖精がわめいている。
「そりゃ……和希がつい昨日までは弟の和樹だったからで、ついでに僕は妹に恋をする趣味がないからだと思うよ……」
重い足を引きずりながら、運命管理局公認・幸運ゼロの男は校舎へと入っていった。
「僕は不幸だ……」
教室には誰もいなかった。
黒板にも、何も書かれていなかった。
なぜなら。
「今日は休みだった……和樹のことですっかり忘れてたよーっ」
この前の日曜日は、学年挙げて模擬試験だった。その代わりの休みに水曜日を持ってくるところが、気の利いた学校なのかも知れない。が、すっかり忘れて登校してきた聡にとっては、逆に恨めしい。逆恨みだが。
「あれ……あ、今日休みかぁ」
がばっと振り返った。
「よぉ!」
「同志だ……」
にこっと笑う彼に、思わず天井を見上げる聡。もちろん涙を隠すためだ。
「なんだぁ、お前も出てきちゃった口かよ!」
「あ、ああ」
忘れ物大王、村芝佑一。彼ならば休校日であったことも忘れてくるだろう。
「って、お前は模試受けるの忘れてたから、今日は一人だけ模試じゃないかっ」
「あっれー?そうだったっけ、あはは、忘れてた。ありがとな、聡!」
「素敵シチュエーションだわ」
「お、おいっ!」
なぜか握手を求められ、握り返していた聡は胸元からの声にぎょっとした。
「ちょっと天然入った子と、ばったり学校であり得ない出会い。あのときはありがとうねってデートに誘われるけど、そこでもどじっ娘全開!そこから幸せな物語が始まるのよぉ〜」
「こ、こら、変なことするな」
「あはは、変なのはお前だぞ、聡ー!」
「逃げろっ、逃げてくれぇーっ」
Pi。胸元から小さく、電子音がした。
「ん?あれ?」
走り出そうとした村芝は、立ち止まった。胸が、揺れた気がしたから
見下ろせば
ぷるんっ
「あれぇ?」
「頼む、やめろアニーっ!やめてくれぇーっ」
「わ、わ、わっ」
胸を押さえ込んだ村芝は、「ぁん」と微妙な声を上げ、座り込む。
「あーだめ!どじっ娘はもっとこう、すごい転び方しないと。ええと、属性ドジっ娘、ドジっ娘……」
「ちょっとまてーっ!あいつは物忘れが激しいだけで、ドジじゃないぞっ、っていうか、なんだよその属性って!」
「あーーーっ!またあんたが素っ頓狂な声だすから、設定間違えたっ!」
「へ?」
ギギギギギギ、と軋む音をたてて村芝を見る。
そこには、ぽややんと微笑みながら、大きく広がったスカートの中から靴だけを覗かせている美少女がいた。
「ねぇ、聡くん?」
「は、はいっ」
くすぐるような美少女の声に、思わず直立不動。
「ええと……わたしって、女の子……だったっけ」
「……へ?」
ごそごそと上着の中に手を入れ
「やぁん……こ、これ、おっぱいだよね」
服の下からわかる。彼(?)の手は今、ブラ越しかどうかともかくとして、両胸を自分の手で揉んでいる。
「多分」
視線をそらした彼に「やっぱりぃ……じゃあ」と不吉な声が聞こえた
慌てて視線を戻せば、スカートの中に手を入れて、顔を赤く……
「こ、こらっ、こんなことでなにやってんだよぉ」
「あ……そ、そうか。ぼく、やっぱり女の子なんだよね。あはは、なんか自分が男の子だった気がしたんだけど、自分が女の子だってこと、忘れちゃってたみたい。そうだよね、女の子は男の子の前じゃこんなことしちゃいけないし……」
「いや、男の子だったってのは事実で……」
いきなり手を捕まれた。
「もう、聡くんってば」
聡の手が、ふくよかな胸の膨らみに触れさせられ
「これでも、男の子だっていうの?うふふ、変な聡くん」
「……どういう属性なんだよぉ」
「ええと、不思議系」
アニーはそれだけ言って、そそくさとポケットの中に戻ってしまった。
「ねぇ、聡くん」
「な、なに?」
きゅっと抱きつかれた。胸にすがりつくように……桜色に染まった頬と耳、漏れた吐息が下から吹き上げ、女の子の匂いが鼻に届く……
「あのね、あたし……模試をどこで受ければいいか、覚えてないの……連れて行ってくれる?」
いきなり女の武器を使われてしまった。もちろん、聡陥落。
「こ、こっち、だよ」
ギクシャクと歩こうとして
「お兄ちゃん……その女……誰」
「か、和樹!なんでここにっ」
「お兄ちゃんにお弁当作ったんだけど、渡すの忘れてたから」
「あらら、あたしと同じね」
「えーーーーーーーーーーーーーーっ!お兄ちゃん!この女からもお弁当作ってもらってたの!ゆ、ゆるせないーっ!」
「うわー!」
「……ま、また幸運が減ってしまった……」
ポケットの中で、あははーという気楽な笑い声と、違うんだぁっという泣き声と、お兄ちゃんの馬鹿浮気者という罵りを聞きながら。
「あ、そうか。もっと深いシチュエーションにすればいいのよ!うんうん」
反省なく、次の作戦をアニーは練っていた。