笑わないパチモン屋 1.2
カチ
濃紺のスカートの裾を恥ずかしそうに掴み、頭を下げた。
「え……」
「どうなさいました?」
婉然と微笑み、跪く。俺の前に、跪いた。
顔だけが大人で、体はまだ幼く。
か細い手足、子供のような
子供そのものの体躯をエプロンドレスで包み。
俺の前に、跪く。
どれだけの時間が流れたのか、覚えていない。
「おお、この子が君のメイドかね」
部長が、あの女――少女の髪を撫でていた。ヘッドドレスを乱さぬように、優しく。
「じゃあ、さっそく報告書を見せて貰おうか」
「はい」
彼女がゆっくりと立ち上がり、スカートの裾についた埃を払う。手にしていた資料を配り終えると、俺の傍らに立つ。
「御主人様より許可を得て、ご説明いたします」
どうなってるんだ。この子は、顔こそ二十代だが、体つきはどうみても中学生なんだ。いや、だいたいメイド服を着ているんだ。なんでそんなに平然としていられるんだ。
彼女は、俺を讃えながら説明を続けている。誰も何も言わない。途中から入ってきた連中も、彼女をちらりとは見るが、驚きもせず呆れもせず、空いた席に腰を下ろす。
「すばらしい内容だよ、君!」
部長に肩を叩かれた。
「いやぁ、市場をここまで分析できるとは……見直したよ!メイドを雇うようになって、少しはやる気を出したということかね」
どっと笑い声が沸き起こる。
「御主人様」
僕の手を、小さな手が掴む。あの女の顔が、恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに輝いていた。
「これでよろしかったでしょうか」
俺の手が、あのボタンに触れた。
そういうこと……なのか?俺の望みは……叶ったのか?
もう、あの女はいない。いるのは、俺の命令をただ待っているメイドが一人だ。
「ああ……すばらしかったよ」
優しく撫でてやると、彼女は優雅に膝を折った。
すべてが変わったように思った。
いつもの席に腰を下ろす。課長の席には、同期の親友が座っている。あの女におべんちゃらを使っていた連中は、不安そうに奴を見ている。それはそうだろう。あいつにはお世辞なんて通用しない。
「御主人様、次は何をすればよろしいでしょうか」
椅子の隣にちょこんと座った彼女を抱き寄せる。「わ、わ」と言いながら、恥ずかしいですと呟きながら、それでも逆らうことはない。頬を赤く染め、目をそっと閉じる。
「こら、まだ仕事中なんだ。今日は家に帰って、食事を頼む」
「はい、わかりました」
名残惜しげに何度も振り返りながら、彼女は出て行った。それを誰も咎めようとしない。そう、ボタンを押したとき、世界はそういう風に作り替えられたのだ。
「聞いたぜ。レポート、大評判だったそうじゃないか」
「ああ、まあな」
村井達貴。同期の出世頭だ。ついさっきまではあの女にへこへこ頭を下げて、取り入っていた奴だが、掌を返したように俺に親しげに話しかけてきた。それにしても耳の早い奴だ。
「俺が主任、荒城が課長。お前もそろそろ……って頃かもな」
「それはどうだかわからんがな」
笑う。久しぶりに、肩の力を抜いて村井と笑い会う。あの女がいたおかげで、俺たち三人の友情がどれだけ壊されたことか。だが、それは「なかったこと」になったのだ。
「まあ……」
村井が声を潜めた。
「荒城には気をつけろよ」
「え?どうしてだ?」
「あいつは、あれで結構出世とか気にしてるからな。お前が本気を出したら……ってことだよ」
肩を軽く叩き、村井は意味ありげに笑った。
俺と奴が出世を争う?まさか。
あいつほど仕事ができる奴はいない。俺なんて、あいつの足下にも及ばない。今日のレポートが高い評価を得たのは、荒城からヒントを貰っていたからだ。
それでも、一抹の不安はあった。あの女が消えたことで、世界が変わってしまったのは事実だ。荒城が、変わってしまっていたとしたら……いや、そんなことはない。
「荒城、ちょっといいか」
「ん?」
不機嫌そうに顔を上げた。
「おい、一応課長なんだぜ。部下に示しがつかないから……頼むぜ」
「おっと。すまんすまん」
笑って言い直す。
「荒城課長、時間を少し頂けますか?」
にやりと笑い、荒城は席を立った。そのまま二人で並び歩く。喫煙コーナーまで一緒に歩こう……というところだ。
「良かったな。レポート、部長が高く評価していたぞ」
「ああ。お前からいろいろ教わったからだ。ありがとう」
「気にするな。俺はヒントしか言ってない。それを仕上げたのは、お前の腕、さ」
そう。荒城は変わっていなかった。安堵しつつ、俺は手を動かす。
「どうだ?今夜あたり?」
くいっ。手首をひねる。荒城は、しかし首を横に振った。
「悪いが、今夜はちょっとな。お前、家にメイドいるんだろ?早くかえってやれよ」
「おいおい!メイドは嫁さんじゃねぇんだぞ!」
爆笑した俺だったが、荒城の顔は真剣だった。
「メイドは、主人より先に食事ができないんだぞ」
「そう……だっけか」
そういえば、あのゲームの設定ではそうなっていた気がする。
「わかった」
俺は頷いた。あの憎たらしい女も、今じゃ可愛いメイドだ。そう、たっぷり可愛がってあげないとな……
(続く)
Posted by sh_o at 19:01│
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