2006年05月07日

引き際・・・切ないね お別れは突然やってきてすぐにすんでしまう

ad87b3a2.JPG引き際…。

深い。

切ない。

そもそも「引き際」ということを意識したことは実はあまりない。

これが僕のよくないことだったりするかもしれない。

まぁ、前向きな部分で言うと、どんどん「次にやりたいこと」を見つけ、実行する人なので、「引き際」ということを意識せずに、次々に新しいことにチャレンジしてきていると思う。あくまで「変化」であり、「引き際」とは解釈していない。

一方、「引き際が悪い」と世の中的に言われたり、自分でも実際そう思うのは「だらだらと続けていること」だと思う。

ただ、最近の社会や会社は、「だらだらと続けること」を許さない傾向にあり、ばっさりとクビにされたり、異動させられたりすることもあるわけで、だらしない引き際は減っているかもしれない。

また、「だらだらと続けている」状態であっても、そこに「誠意」だとか「愛」があれば、応援したくなる。

スポーツに詳しくないものがこのようなことを語るのは非常に失礼しかもしれないが、知らないなりに言わせていただくと、三浦カズや清原はある意味、だらだらと現役を続けているかもしれないが、そこには「誠意」だとか「愛」を感じてしまうのである。いや、本人たちには実はそのようなものはないかもしれないが、そう信じさせる力を持っていたりすると思うわけだ。

引き際も大事だけど、「続ける」ための「愛」や「情熱」も大事。

…深いね。切ないね。

「引き際」ではないけど、「死」が引退となってしまうケースは本当に切ない。いやでも終了がやってきてしまう状態。それが「死」である。ずーっと趣味は音楽なのだが、ミュージシャンには引退する前に、「死」を迎えてしまった人も多い。これで終わる必要なんてまったくないのに、死がそれを奪ってしまうケースもある。

切ないな。

で、約1年1ヶ月やってきたこのブログも今回で最終回です。

keroちゃんが書いているように、このブログは明確に引き際が悪かった、と、言いだしっぺとして反省しています。

某ビジネス誌の敗軍の将、兵を語る

ではないですが

いま、振り返ると
「いかなる理由であれ、担当している日の更新が滞ってしまった際のフォローが弱かった」
「コミュニケーションが足りなかった」
「途中から、目標、ビジョンが明確ではなくなってきた」
ことがよくなかったなぁと思っています。

結果的に、大宮君の離脱であり、最終的には私とkeroちゃんしか更新していないという状況になったのも、そもそもの原因は上記のような点にあるかな、と。

自分という人間の小ささや、至らなかった点に反省しています。

至らなかった点で言うと、自分がいかに意見のない人間であるか、表現力の乏しい人間であるということを今回の執筆活動を通じて学びました。

とはいえ、上手く行っていた時期もあるわけですし、毎日40人〜50人の読者にみていただいたり、一部のトピックスはコメント、トラックバックも多数あり、世の中に多様な意見を発信する、多様な議論を喚起するというミッションは、それなりには達成できたのではないか、とも思っています。

また、ここ数年話題になっているブログの可能性と限界について、学ぶことができたのは大きな収穫です。

今回のブログの経験は私の人生と、今後関わることに上手く生かしていきたいと思います。

しばらく充電した上で、keroちゃんと一緒に、次のブログ系企画を考えようと思います。

ご愛読どうもありがとうございました!

文:陽平ドットコム
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