日蓮宗 法明教会

当教会の信徒さん向けの法話と時折やや専門的な小考を掲示いたします。

31年春彼岸法話

 

彼岸会は日本独特の行事だそうで、今から1213年前になりますが、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間『金剛般若波羅蜜多経』を崇道(すどう)天皇のために転読させた」と(平安前期歴史書・日本後紀)あるのが、歴史上最初のお彼岸法要の記録だそうです。

桓武天皇の時代に、新しい都になる長岡京を造営する責任者が暗殺される事件が起き、桓武天皇は弟の早良(さわら)親王が暗殺の主謀者であるとし、早良(さわら)親王を淡路島流罪に処しました。断食をして無実を訴えていた早良(さわら)親王は淡路島に送られる途中で餓死します。その後、桓武天皇は四人の奥さんと母親の5人を亡くし、皇太子に立てた息子・安殿(あて)親王まで病気になってしまいます。その上、都には飢饉・天然痘が流行ったので、未完成の長岡京から平安京(今の京都)に都を移しました。不祥事の連続は、早良親王の祟り怨霊に違いないと云う事で、早良親王に崇道天皇と云う追号を送り、お彼岸の7日間、読経をする行事を行ったのです。

 

有名な仏教民俗学者五来重氏の研究によると、お彼岸の中日から昼間が長くなり農作業を始める時期なので、お日様に太陽に豊年満作を祈ったそうです。お日さまに願う(日願)と仏教の彼岸とは音読みが同じなので

「お彼岸」と通称され仏教行事として行われるようになったとの事です。

 

国立歴史民俗博物館関沢まゆみ教授の論文「日本の民俗伝承にみる死後の世界」において、

【葬送儀礼をめぐる民俗伝承から見ると、死後の霊魂の行方については、あまりこれといった伝承はない。(取意)】と述べ、また柳田國男が『先祖の話』において、「霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰であり、春秋の二回の祭り、すなわち正月と盆には顕幽二界の往来ができると思っていた」と指摘していることを述べ、

【お盆に燈籠や提灯を吊るして亡くなった人の霊が帰ってくる目印にするということは広く行なわれていますが、これは先祖のみたまは、自分の慣れ親しんだ家の灯りが見えるくらいのところにいるという意識を反映しているともいえます。民間信仰にみる死後の世界というのは、(中略)仏教の説くこの世と隔絶した別世界というのではなく、先祖たちの霊魂はいつもこの世の故郷の近くにいて、草葉の陰から子孫を見守っている、里山の端から故郷の村を見守っている、というような感覚であったといえそうです。】(大法輪平成3010月号)

と、日本の民間信仰における死後観・霊魂観の特色を語っています。

 

調査によると、「あの世の存在を信じている日本人は40パーセント」だそうですが、あの世の存在を信じている人でも、「先祖さんや亡き肉親は、霊的に存在しているのだろう」と漠然と民間信仰的な考えでいるようでして、「死後苦しい状態に有って救いを求めている先祖も居る」と深く考えて追善供養に努める人は少ないようです。

 

先日、倶利伽羅不動寺森下瑞堂住職著「墓じまいの結末」と云う本を読みました。

真夏なのに真冬の格好をした若い女性が「医師からどこも悪くないと云われているが、ともかく寒くて仕方ない」と相談に来たそうです。同寺の創設者である大住職森下永敏大住職が霊視し、「身内の方で浜辺で生活していた人は居ませんか?。私には海中の光景がみえます。そこは冷え冷えとしたところで、真っ暗です」と言うと、女性ははっとして「実は父の遺骨を海に散骨しました」と答えました。

「散骨はだめですね。海の底のお父さんが寒い寒いと言っておられます。その影響をあなたが受けているのです」との永敏大住職の指導に従い父親のお墓を建てたその女性は寒さから解放され季節らしい服装でお礼参りに来た。と言う話が紹介されてます。

娘さんに、浮かばれていないお父さんが供養を求めた現象だったのですね。

 

追善供養が必要である事を知ってもらうために、霊的なものを視聴した人の体験談を紹介する事が多いですが、それらの体験談は再現性が無いし、「それらの体験は、思い込み・幻覚幻聴・偶然などで説明できる」などと否定する人に信じてもらうことは、なかなか難しいですね。

でも、追善供養を求めている先祖霊や亡き肉親が居る場合が多いと言うことに想いをいたす人が増えてほしいですね。

Windows10にアップ

一体型のパソコンをWindows10にアップすると、テレビ機能が削除されてしまうので、アップしないでおりました。
「Windows7が使えなくなる来年一月までに買い換えよう」と考えていたのですが、節約のため、Windows10にアップして使い続けることに決め、出張修理を頼みました。アップ作業はほぼ五時間かかりましたが料金は19,800円ですみました。
以前、NECに問い合わせた際にも「旧機種のためWindows10に対応していないのでOSの変更は控えてください」との事でしたが、テレビ機能の他、キーボードの上部にある消音とか音量などのボタンも働かなっただけで、不都合は無いようです。
良い修理業者でしたので、数日後に、メイン的に使用しているデスクトップのハードデスク全体をSDDに移し交換してもらいました。パソコンの動きは速くなりました。2時間の作業で料金は19,800円でした。

信行日の法話

『大悲経』の「梵天品第一」に、釈尊が梵王の考えを問いただし、梵王が自らの考えの過ちに気づき、仏道に帰依する場面があります。

「自分(梵天)が天地自然を造った。災害や戦争、人々の病気怪我などのあらゆる事は梵天の自分が起こしているものだ」と云う考えが誤りであったこと、この世界は梵天の差配によるのではなく業因縁で動いている事実に気付くのです。

 

この問答は、天地自然を造ったり、人々の運命を差配する絶対的力を持った神の存在を否定する仏教の立場を端的に表しています。

 

端的に言うと、善因楽果・悪因苦果の因果の道理に、則っているのだから、幸せを招く最勝の方法は善根功徳(善因)を積むことと云うことになります。

 

芥川龍之介の小説に「蜘蛛の糸」がありますね。地獄で苦しむ元盗賊のカンダカが生前中に蜘蛛の命を救った善根をカギとして、釈尊が蜘蛛の糸を垂らしてやったのですが、カンダカが自分一人が助かれば良いと云う考えを起こした為めに、蜘蛛の糸が切れてカンダカは地獄に落ちてしまったという話です。

こちらに救われる資格が無いと仏神も救い得ないと云う考えが良く表されている話だと思います。

 

釈尊が78歳頃の事、コーサラ国の波瑠璃王にシャカ族の迦毘羅衛城(かぴらえじょう)が攻められ、シャカ族がほぼ全滅すると云う悲劇が起こりました。そのさい、目連尊者が「神通力を使ってシャカ族を護りたいが、いかがでしょうか?」と釈尊に進言したところ「過去世の業因縁に因る事だから、そなたの神通力をもってしても免れられない」と答えられたとの事です。

「摩訶止観」に、

「取締官は責主(金銭などの貸し手)の正当な返済要求を咎めることができないと同じように、業報が発現することを道場神も遮ることができない(取意)」(摩訶止観巻第八下)

と云う説明があります。

因果の道理上、当然、受けなければならない業報は仏神といえども遮る事は難しいのですね。

 

仏・菩薩・諸天善神のご守護を受けるためには、過去の悪しき業(思念・行為)を消滅し、善根功徳を集積し、守護を受けられる資格を具える事が大事な条件なのです。

唱題行は、釈尊の功徳を譲り受ける行です。また過去の悪業(悪行為)を消滅する行です。

世の中の動きや人々の運命は、すべて神様の思い通りになると云う考えを元にして、お題目を唱えるのでは無いのです。

 

単に諸天や仏・菩薩の神力にすがる行では無いのですから、仏教の基本的立場にかなっています。

 

唱題のさいには、「お題目に因って釈尊の功徳を譲り受けられるのだ。滅せぬ罪は無いのだ。お題目の功徳をカギとして、釈尊・諸大菩薩・諸天が護り導いてくれるのだ。あゝ有り難い。」と思念してお題目をお唱えしましょう。

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