日蓮宗 法明教会

当教会の信徒さん向けの法話と時折やや専門的な小考を掲示いたします。

「葬儀には僧侶無用」の主張に援引されそう


最近は、「葬儀に僧侶の読経無用」と云う主張をする人も居るようですが、そのような主張の根拠に使われそうな箇所が「勝五郎再生記聞」にはあります。

それは疱瘡で6歳にて死亡した藤蔵が埋葬されるときの僧侶の読経について、藤蔵の生まれ変わりである勝五郎が「さて僧共が経をよめども何にもならず、すべて彼等は銭金をたぶらかし取らむとするわざのみにて、益なきものなれば、悪く厭はしく思はれて、家に帰り、(僧は尊きものにて、経よみ念仏申せば、よき国へ生まるときく、さて地獄極楽など云へる国はしらずやと問ひしによりて、僧のことをかくいへり。)机の上に居たるが、人に物をいひかけても聞きつけず。」(岩波文庫「仙境異聞」370頁)と語っています。

また、霊体の藤蔵は「我が家にて親たちのもの云ふことも聞こえ、経誦む声も聞こえたれど、吾は既に云へる如く僧はにくく思(おぼ)ゆるのみなり」(370頁)と死後の様子の一端を語っています。

 

知行所の記録に「菩提所は同領三沢村禅宗医王寺」とあるので、藤蔵の葬儀は禅宗の僧侶の読経だったのでしょう。

心を込めた読経でなかったか?。

経力が弱いお経であったか?。

読経の功徳は無形なので、功徳を回向されても自覚できなかたか?。

「経よみ念仏申せば、よき国へ生まるときく、地獄極楽など云へる国はしらずや」と問われても、死後の藤蔵には解らない事柄であり、良いところに生まれ変わると云う現象も現れていないので「僧共が経をよめども何にもならず」と語ったのか?。

などと推測されます。

ついでに申しますと、藤蔵の生まれ変わりで有ると語った勝五郎も僧を嫌って居たとのことです。

 

【(父親の源蔵が)勝五郎がいたく仏事、僧等をきらふ由を語りて、去ぬる二十一日に、或る寺へ往きたるに(故(ゆえ)ありて寺号をしるさず。)茶よ菓子よともて囃(はやし)し侍れど、「寺の物はきたなし」と云ひて一つだに食はず、いたく心苦しき思ひをしはべり。彼が僧徒をかく悪(きら)ひ侍ることは、去々年(おとつとし)わが許に源七とて、すこしの縁(ゆかり)ある者の病めるをおきて侍るに、それが死にたるときに、弔ひ来たれる僧の布施に、銭をつつみて遣(や)りたるを、勝五郎見て、「何とていつも門(かど)にたつ僧に物をあたへ、今またあの僧に銭をとらせたる」と問ふ故に、僧といふ者は人に物こひて世すぎをする物ゆゑに、呉(く)るゝことぞと申して侍れば、「僧といふ者は人の物をほしがる悪しき者ぞと申せるが、それより後きらひに成りたるやうに覚え侍る」と語るを、勝五郎きゝ果さず、「イナ然(さ)には非ず、きらひなる故ありて元より嫌ひなり」と、言葉に力をいれて断りぬ。其の元より嫌ひなりと云ふ由(いわれ)を問(た)ずぬれども、「憎きもの也と」のみ云ひて、他事にまぎらはして答へざりき。】(378頁)

と勝五郎の僧嫌いを語っています。

中有身の食べ物

臨終直後から母胎に入るまでの霊体を中有と云います。中有の別名を「食香」とか「尋香」と称しますので、「中有は、お線香の香りを食します。だから、良い香りのお線香を立ててあげましょう」と云う説明を耳にすることが有ります。

 

「香の煙を食べている霊体の姿を見た」という霊能者も居るようなので、業報いかんに因ってはお線香の香りを食とする中有も居る場合が有るかも知れませんが、しかし、中有身の説明をしている「倶舎論(くしゃろん)」や「大毘婆沙論(だいびばしゃろん)」には、「段食(だんじき)の香氣を食する」と有りますが、お香の香りを食するとは記していません。(段食とは団食とも云い、飯・麺・魚・肉・菜など有形の食物を云います。)

 

「倶舎論」には、

「段食に資(もと)とすると雖(いえど)も、然(しか)も細にして麁(そ)に非らず。その細とは謂(い)はく唯だ香気なり。斯(こ)れに由るが故に健達縛(けんだつばく)の名を得たり。(中略)諸の少福の者は唯だ悪香を食す。其の多福の者は好香を食す。」(冠導阿毘達磨倶舎論巻第九)

と、中有は段食の香気を食すると説明していますが、お香の香りを食するとは云っていません。

「大毘婆沙論」にも、

「問ふ。中有の位に在て段食を資(もと)とするやいなや。答ふ色界の中有は段食を資(もと)とせず。欲界の中有は必ず段食を資とす。問ふ欲界の中有の段食云何ん。有るは是の説を作す。欲界の中有は。食有る處に至ては。便ち彼の食を食し。水有る處に至ては、便ち彼の水を飮み、彼の飮食に由て以て自ら存濟す。此の説理に非らず。所以は何ん。中有極て多く、周濟し難がたし、故に謂く契經に説かく。袋等從り粳米等を瀉で、鐺(とうかく)の中に置くに數(かず)極めて稠密なるが如し。五趣の有情受くる所の中有、處處に散在し數量彼に過ぎたり。若し彼れ諸の飮食を受用すといはば、一切世間の所有の飮食、唯だ狗犬一類の中有に供すとも、尚を周濟せじ。況や餘の中有、而も充足すべきや。又中有の身既に極微輕妙なり、麁重(そじゅう)の食を受けば身散壞(さんえ)すべし。是の説を作すべし。中有には香を食す、麁質(そしつ)を食するに非ず。故に前の過(とが)無し。謂(いは)く有福の者は、清淨華果の食等の輕妙の香氣を饗(きんきょう)して、以て自ら存活す。若し無福の者は、糞穢臭爛(ふんえしゅうらん)の食等の輕細の香氣を饗(きんきょう)して、以て自ら存活す。又彼れ食する所、香氣極少なり。中有多しと雖(いえど)も而も周濟することを得(え)。」(阿毘達磨大毘婆沙論巻第七十)

と説明し、「欲界の中有は段食の香氣を食する」旨を記していますが、お香の香りを食するとは云っていません。

「中有身はお線香の香りを食べ物とする」と云う巷間の説は、本来の説明から少し外れているように思えます。

 

江戸時代の国学者平田篤胤が「勝五郎再生記聞」と云うものを残しています。

今から199年前の事件ですが、勝五郎が八歳の時、「自分は、六歳で死んだ程窪村の藤蔵の生まれ変わりだ」と色々と語りだし、役人などが調査したところ勝五郎の話が事実で有る事が判明したとのこと。

この話の経緯と勝五郎が語った再生するまでの様子を記しています。

死後に食べ物を供えてもらった時の事を「食物を供へたるも食ふことは為さざれど、中に温かなるものは、其の烟気(けぶり)の香(にお)ひで甘く覚えたりき。」と語っていますが、「中有は、段食の香気を食する」との「倶舎論」などの説明に合っています。

暖かいと香りが立つのでお供えは暖かい方が良いかも知れません。

 

Y家49日忌法話

四十九日供養は「倶舎論」の説に基づいています。

「倶舎論」と云う仏典は、今から大体1620年前ぐらいに生まれた世親菩薩の著作でして、その「巻第九」 に、死亡後に生ずる霊体である「中有」の説明があります。

説明の幾つかを拾い上げてみます。

 

中有身は、これから往くべき世界(境遇)に住する者達と似た形をしている。

 

欲界の中有の大きさは、五・六歳の小児ぐらいで、しかも根(感覚器官)は明利である。

(欲界とは、淫欲・食欲の二欲を有する者の住むところで、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・六欲天のこと)

 

中有身の姿は、同類の中有身と自分より下位の中有身を見ることが出来るが、上位の中有身は見えない。

中有身は極細なので、普通の人の眼では見えないが、極浄天眼を修得した者は見ることが出来る。

 

中有身は、非常に早く移動できる能力があり、五根(眼・耳・鼻・舌・身)を具している。

何でも通り抜ける。金剛など堅いものでも遮ることが出来ない。

人に生まれ変わることが決まった中有身は、他の趣(境涯)に往くことは出来ない。

 

食べ物の香気を食とするので、尋香・食香と名付けられている。少福の中有はただ悪香を食し、多福の中有は好香を食する。

中有身は微細なので、人間が食べるもの(段食)を直接食べないで、食べ物の香気を食とする。

(この事から、香りの良いお線香を立てるとか、温かい食べ物を供えることが勧められています。空港などの嗅覚の優れた検疫犬は密封された食品の匂いを感知できるように、中有身も明利な感覚器官を持っていると云うことなので、包みを開けてないお菓子でも、その香りを食べてくれるしょう。しかし、包装をすこし開けて供えた方が良いかも知れません。)

中有身で居る期間については、

1,定限は無く、生まれる縁がそろわなければ中有身のままでいる。

2,七日間であり、生まれる縁がそろわなければ七日ごとに、しばしば死し、しばしば生ず。

3,長くても七七日である。

4,中有身は、速やかに生有(入胎)を求めるものなので、久しく中有の状態に住するものではなく、速やかに結生(入胎)する。

などの見解を挙げています。

 

(そこで、故人の生処が決まってしまう前に、良い境涯に往けることを願って、七日七日の追善供養が大事にされてきたのです。

ユーチュウブを視聴すると、初七日は蓁広王(本地は不動明王)、二七日は初江王(本地釈迦如来)、・・・七七日は泰山王(本地薬師如来)の裁判を受ける。などと云う説明をしていることが多いようです。しかし、七日ごとに担当の王に裁判を受けると云う説は、中国で作られたと云われている「十王経」や平安末期の日本でつくられたと云われている「地蔵菩薩発心因縁十王経」に基づいた説明です。また両経は、「釈尊が本仏、諸仏は釈尊の分身」としていないで、釈尊を諸仏と同等の仏としている立場のお経です。ですから、十王の裁判説を用いた四十九日の説明を私は行わないことにしています。)

 

勧めたい「戒名と日本人」

「葬式」とか「戒名」で書籍を検索すると、戒名否定や葬式無用を主張している内容らしい書名の本が幾つもあります。

 

植木雅俊著「仏教、本当の教え」の第四章の「日中印の比較文化」にも

「確かに、釈尊の時代には仏教と葬式とは関係ないものであつた。それは、原始仏典の『マハー・パリニッパーナー・スッタンタ』からも読み取ることができる」とか、

「釈尊を荼毘に付したときに、どのお経を読んだであろうか、そんなものはあるはずがない。」とか、

「戒名という言葉も仏典には出てこない。わが国で近世になって始まったものである。発見された舎利弗と目(けん)連の骨壷には戒名らしきものではなく、「サーリプタのもの」と「「マハーモーガラーナのもの」と名前が記されてあっただけである。(取意)」

と指摘していますが、戒名を否定する人達や葬式無用論者が喜んで援用することでしょう。

ただし、鈴木隆泰著『葬式仏教正当論』には、『マハー・パリニッパーナースッタンタ』 の原典を詳しく解釈し、「出家者が葬儀(遺体供養)を執行してはならないとは決して教誡していない」ことを論じています。                  

また、鈴木隆泰教授は、同書において、戒名も否定すべきでは無い旨を論じています。しかし、少々ですが不足を感じておりました。

祥伝社刊・保坂俊司著『戒名と日本人ーあの世の名前は必要か』を読んだところ、鈴木隆泰教授の所論の補完となる良書でした。

一読をお勧めします。

保坂俊司氏は

「「戒名」が死者のすべてに没後作僧というかたちで与えられるようになった背景には、死の恐怖を和らげ、死後の魂の安穏を切に願った人々へ、戒名を与え、仏教的な救いを保障すると云う仏教側の慈悲の心があり、祖先は、死後の魂の安寧を得る方法を、仏教の戒名に求めた経緯を論証しています。

保坂俊司氏は「あとがき」に

「この日本的な戒名の意義を無視して「戒名無用論」を主張すれば、無神論者・唯物論者のように「死」を無意味として「死者」を疎かにし、その魂を等閑視することになり、ついには「生」を軽んじるようになるのではないでしょうか。」と記しています。

 

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