功徳廻向の問題に関連して。
経力を強調することは、大乗経の特色のようですが、
『大般涅槃経』に
「一闡提(不信の者)を除き、其の余の衆生は是の経を聞き已(おは)らば、悉く皆能く菩提の因縁を作る。法声光明毛孔に入らば、必定して当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」
(菩薩品第十六)
「在々処々の諸行の衆生、(大般涅槃経の)声を聞くこと有る者は、有(あ)らゆる貪欲、瞋恚、愚癡悉く皆滅尽す、・・・是の大涅槃因縁力の故に、能く煩悩を滅して而も結自ずから滅す。・・・是の経を聞き已(おは)らば、亦無上菩提の因縁を作り、漸く煩悩を断ず。」
(菩薩品第十六)
などの文が有ります。
読誦の声あるいは読誦三昧で発せられる光明によって、聞く者が菩提に近づく因縁となり、貪欲、瞋恚、愚癡を除く事が出来る功能が有ると云う趣旨の文です。
これらの経文にもとづけば、追善廻向での法華経の読誦唱題が霊にとどけば解脱の因縁となると言い得ましょう。
悟りの高い菩薩になると、
「分身散体して十方の国土に遍じ、一切二十五有の極苦の衆生を抜済して悉く解脱せしめん」(無量義経十功徳品第三)
と云う救済活動を行うことが出来るとあります。
また『大智度論』にも
「答えて曰わく、是の菩薩は不可思議神通力を以てカナエ(大なべ)を破り、火を滅し、獄卒を禁制し、光を放ちて之を照らせば衆生の心楽しむ、乃ち為めに法を説くに、聞いて則ち受持す」
(昭和新纂国訳大乗経大智度論4・123頁)
とあります。
これらの文によれば、至心の供養廻向を行う施主の意を憐れんで、施主に代わって、大菩薩が説法教導してくれる場合もあると言い得ます。
日蓮聖人が『法蓮抄』に
「されば経文に云く『若し能く持つこと有るは即ち仏身を持つなり』等云云、天台の云く『稽首妙法蓮華経一帙八軸四七品六万九千三八四一一文文是真仏真仏説法利衆生』等と書かれて候。
之を以て之を案ずるに法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す此の文字の数は五百十字なり、一一の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って大地をつきとをし三悪道無間大城を照し乃至東西南北上方に向つては非想非非想へものぼりいかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならんとこそねんごろに語らせ給うらめ、」
(昭定950頁)
と教示されていますが、この教示は上掲の涅槃経や大智度論の文にもよっているのではないでしょうか。
功徳の移譲が出来ないと仮定しても、経の功徳力や仏菩薩の救済活動があるとすれば、読経唱題しての追善廻向は霊の救いに有益であると言い得ましょう。