●はじめに 

今回は「淡海節」の採譜にチャレンジ。20年前の51歳ごろの自己流譜面を、音源を参考に採譜修正した。河童さん譜面も参考にさせていただいた。写真は都山譜に変換しているところ。朝の散歩途中のSA(サービスエリア)にて鉛筆で採譜。これを自宅に持ち帰りペンで清書する。

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●本日は「即位正殿の儀 」の祝日でした。歴史に残る重要な儀式の日・・・・・この日に淡海節の採譜でした。歴史に刻まれる重要な日・・・・・私の生前中にはまず遭遇しない記念の日でした。
 外は台風20号のまたの大雨。午後1時からテレビをじっと見ました。

皇居・宮殿「松の間」で22日午後、厳粛な雰囲気のもと行われた即位礼正殿の儀。みやびやかなしつらえの高御座に上った天皇陛下は、顔を上げて正面を見据え、はっきりとした口調で国内外に即位を宣言された。「平和」と「国民に寄り添う」との言葉が印象的でした。

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「淡海節」・・・・・都山譜 

2行目、5行目の「もみ手の」ところを、講習会での表示で書いてみた。

「秋が来たので・・・・・」の2番の歌詞は赤字で書いた。
タ)淡海節


「淡海節は」三重県民謡か?滋賀県民謡か?不明。両方の県名を併記した。この唄は、小節に収まらない自由調子のところがあります。とりあえず、小節に収めて採譜しています。終奏を書き忘れました。


●「淡海節」関連の過去fueブログ・・・・・  

    http://blog.livedoor.jp/shakuhachi_fue/archives/17935945.html

 昔よくfueブログに来られた、大分県のミイにゃんママさんです。「淡海節」日本一。

●「淡海節」音源 

YouTube 元井美穂さん 三味線弾き語り

https://youtu.be/pqhfICojdx8


2017日本民謡フェスティバル出場(平成29年6月18日(日))

 吉富さん(ミイにゃんママさん)

https://drive.google.com/open?id=0B1CDs5jM5E-ROGZGaTMxNGpUcXc


 ●「淡海節」について 

志賀廼家淡海(しがのやたんかい)が自作自演したことによって広まり、大正78年(19189年)頃最も盛んにうたわれた唄である。本名は田辺耕治といい、関西劇団の人気喜劇俳優であった。唄は俗曲調のお座敷唄で、曲調は「名古屋甚句」から来ていると思われ、歌詞の中のヨイショコショは下関や山口、萩などの花柳界で流行した「ヨイショコショ節」から取ったといわれている。

      日本の民謡(秋田・民謡企画出版)より転載

 

●志賀廼家淡海が1917年(大正6年)、熊本の大和座の劇中で「ヨイショコショ節」を初めて唄い、それがファンによって「淡海節」と呼ばれるようになった。日本の庶民層、花柳界などでも大いに受けた劇中歌の一つである。現在では淡海生誕地の滋賀県大津市堅田で民謡化され、1984年(昭和59年)に淡海節保存会が結成された。

   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


●志賀廼家淡海(しがのやたんかい)

 1883年(明治16年)1213日、滋賀県滋賀郡本堅田村(現滋賀県大津市本堅田)の割烹旅館の子として生まれ、本名田辺耕治と言う。江州音頭で注目を浴び、18歳の時に芸界へ入り芸名を桜川国丸と名乗った。

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●淡海の写真

     https://www.shochiku.co.jp/shinkigeki/cast/meiyu/より転載

 1905年(明治38年)新派劇団堅国団を組織して座長となり、1908年(明治41年)喜劇に転じて、芸名を志賀廼家淡海と改め座名も八景団と変えて地方巡業で芸を磨いた。一世を風靡した「淡海節」は地方巡業の途中舞鶴の浜でヒントを得たと伝えられ、1917年(大正6年)熊本の舞台で発表し、天性の美声もあって世間から絶大な評判を得、1919年(大正8年)一座解散の後喜劇界に進出し、曾我廼家五郎・十郎と人気を二分する喜劇界名優として知られた[1]。第2次世界大戦後は宗教劇に転じ、東西本願寺の後援で蓮如劇、続いて親鸞劇で全国を巡演した。1956年(昭和31年)1015日、巡業先の鹿児島で急逝した。

   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より