生きる意味はないという人があります。
人間もアンドロイドも同じで、生きる意味はない、
やりたいことをやって死ぬだけだと、
という考え方です。

ところが生きる意味仏教に教えられているので、
「生きる意味は私には分からない」の間違いです。 

生きる意味がないと主張するなら、
仏教で明らかにされた生きる意味を知って、
それが生きる意味にならないことを論証しなければなりません。 
仏教は価値を発見して人間に生まれた意義を
教えられているのです。

現代では、ニヒリズムの人が多くあります。

意味がないということも言うし、
自殺はだめだとも言うし、
矛盾しています。

自殺はなぜいけないのかいうには、
生きる意味がなければなりません。
人の命は地球よりも重いといっても、なぜ重いのか
という人の命の価値のことです。 

アインシュタインは
常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションだと言っています。 
18までにみんなの言っていたことや、
思っていたことが常識となってしまうのです。

趣味や生きがいなら、すべての人に共通してあるということはない。
人それぞれです。
人それぞれの価値観は、
誰かに決められるものではありません。

でも死んではいけないというなら、
死なずに生きる目的が何かなければなりません。

ニヒリズムというのも一つの生きる手段であり、生き方に過ぎません。
ところが仏教では、生きる目的を教えられているのです。
その目的を果たすのが本当の生きる意味です。