旅行記

2013年07月21日

ヒロシマ半日滞在記

先日も述べた通り、日本に帰国して以降は「旅行に行こう」という気持ちが大幅に後退した状態にある。30代の身体にムチを打って、週末に遠出するモチベーションを湧かせるのは容易ではない。

偶然チャンス生まれる

しかしながら、偶然にもこの度広島に行く用事ができた。
自由に行動できる時間は半日ほどしかなかったので、今までちゃんと見て回ったことがないあの施設に行ってみた。

images (1)
 

僕が足を運んだのは広島平和記念公園である。ここの原爆ドーム、そして平和記念資料館は、以前来た時は通り過ぎるだけだったので、今回はちゃんと時間を取って見て回ることにしたのである。数多くの日本人観光客に加えて、欧米を中心とした外国からの旅行客も目立つ、特別な場所である。

人類史上初めての原爆投下地点をとなったヒロシマ。太平洋戦争に至るまでの歴史の流れとか、原爆投下に至るまでのアメリカの政治家・軍人の動向などを再度確認することができた。また、施設の展示物は原爆の恐ろしいまでの破壊力を視覚的に訴えてくる。数多く展示されている被爆者たちの証言や、彼らの記憶を描きとめた絵画も、胸に深い印象を刻んでくる。

雑感

ここに来て思ったことは、原爆投下という事件は、大多数の日本人の心の奥深くに強烈な記憶として刻まれているということである。

この痛ましい記憶があったからこそ、戦後の日本が、平和な社会を目指す方向性が力強く形作られてきたのだと思う。そしてその一方で、この記憶が強烈であるからこそ、日本人が原子力発電に対して複雑な感情を持つことも理解できるのだ。

原発と原爆では、爆発時の破壊力という点では圧倒的に違うという事実にもかかわらず、両者を混合して考えて原発廃絶を唱える人も多い(参考文献)。こういった誤解・思い込みの背景にあるのは、やはり世界で唯一の原爆被害、という記憶にあるのだろうと考えている。

約半日この施設で過ごしたわけであるが、結論としてはここに来ることができて非常によかった。日本人として、忘れてはならない記憶を呼び戻してくれる場所だと思う。ぜひ、一人でも多くの人に足を運んでもらいたいと思う。(日本人に限らず外国人も。特にアメリカ人。)

せっかくこういう気分になったので、今度時間を見つけて「はだしのゲン」でも読むかな。



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2013年05月14日

MBA最後の旅行記 ~チベット・帰還編(成都)~

チベットからの帰路は、シガツェから四川省・成都に向かう飛行機である。

しかし、この予定をガイドさんに伝えたところ、一瞬彼女の表情が曇る。そして僕にこう語りかけてくる。

「本当に帰りの便はシガツェからなのか?私は過去20年間ガイドとして勤めているが、今まで一人たりともシガツェの空港から帰った人はいない。」とのこと。

僕はその言葉に一瞬たじろいだのであるが、予約便を再度確認してみると、シガツェ発だということは間違いないようだ。どうやら、シガツェ⇔成都便は2011年に就航し始めたばかりであり、地元の人にもほとんど知られていないようである。


シガツェの空港にて

ということで、当日は朝早くに起きてシガツェ空港に向かった。

IMG_1493空港への道中では、眩いばかりの朝日が僕を出迎えてくれた。

いくどとなく幻想的な風景を見せてくれたチベット、やはり離れるのは惜しいものだ。

そして空港到着。

IMG_1494・・・。

ちっちゃ!


その辺の街角にある、政府機関の建物の方がよっぽど立派である。今まで見た空港の中でも最高クラスの小ささである。

IMG_1495しかも、曲がりなりにも空港なのに携帯電話の電波通じないとは何事か。なめとんのか。(なお、僕のキャリアは国内最大手の中国移動である。)

いくら山奥にあるとはいえ、基地局くらい立ててくれ、ほんとに。

IMG_1499とはいえ、険しい山々と青一色の空に囲まれた滑走路はとても絵になる。

この飛行機で、後ろ髪を引かれる思いをしながらチベットを後にしたのである。

ちなみに、運行は西蔵航空であった。客室乗務員のユニフォームはチベットの民族衣装っぽいデザインになっており、結構カッコよかった。唯一残念だったのは、乗務員が全員漢民族(っぽい顔つきの人達)だったことか。


MBA最後の旅行先は成都

2時間あまり飛行機に乗ったところで、四川省・成都に到着である。今回の旅行で最後に訪問する都市である。若干時間が余ったので、1泊2日で寄ることにしたのである。


今回成都に寄った理由はただ一つ。
パンダを見るためだ。


何を隠そう、僕は密かなパンダファンである。あの愛くるしい見た目および振る舞いには思わず心を奪われてしまう。

しかしながら、思い返せば中国滞在の2年弱の間で1回もパンダを見ていないことに気づいた。幸運なことに、成都にはパンダ繁殖のための施設である成都大熊猫繁育研究基地がある。そこには前々からぜひ行ってみたかったのである。

ということで当該施設に向かったのであるが、期待通り、パンダファンの僕にとっては最高に楽しめる施設であった。

IMG_1665当施設には合計68頭のパンダが飼育されているとのことであるが、その半分くらいは見ることができた。

一つの飼育場にパンダが5頭もいるなど、日本の動物園ではありえないくらい贅沢な光景。

IMG_1652これは親パンダが子パンダにマッサージしている風景(←ウソ)。

IMG_1612これはパンダのセクシーポーズ(←ウソ)。

この施設で知ったのであるが、パンダは腸などの消化器官がとても短いらしく、必要な栄養素を摂取するためには、とにかく食べ続けなくてはならない。パンダは一日10時間の睡眠をとるのだが、残りの起きている時間のほとんどを食事に費やすのである。なお、彼らの食べる笹は四川省の山奥からトラックで運んでくるらしいが、一日に食べる量が半端ではないので非常に大変そうだ。

ちなみに、これも今回の施設で知ったのであるが、パンダのウ○コは笹を食べ続けているため黄緑色をしている。(下品で申し訳ございませんm(_ _)m)

この施設、当初は6頭の飼育から始まったらしいが、今では68頭まで増やすことができたとのことであり、これは立派な業績として誇れるものだ。というのも、パンダの繁殖期は1年間に72時間ほどしかないらしく、繁殖には困難を極めるからだ。ただ、現在もジャイアントパンダの生息数は2000頭程度と言われており、依然絶滅の危機にあることには変わりはない。

この施設は、単純にパンダを見て癒されるだけでなく、世界が抱える生物多様性の問題についても考える良い機会になったと思っている。


そしてもう一つの観光名所へ

成都のもう一つの見所は、三国志関連である。劉備が興した蜀という国こそが、今の四川省一帯である。

IMG_1526成都市街には武侯祠という施設があり、そこには蜀の初代皇帝である劉備をはじめ、関羽・張飛といった配下の武将たち、および軍師・諸葛亮孔明などが祀られている。彼らの塑像や、蜀に関連する様々な史料や貴重品が並んでおり、三国志ファンにとっては胸アツな場所となっている。(ちなみに、僕の三国志関連知識は約90%が横山光輝の漫画とKOEIのゲームによってもたらされており、自分の知性の低さを反映している。)

IMG_1528劉備さんの像とか

IMG_1538諸葛亮孔明さんの像とか、

IMG_1556桃園の誓いの像とか、色々あります。


激辛料理再び

成都の食事事情は、御存知の通り激辛である。

少し前に行った湖南省も唐辛子多用で激辛だったが、ここ四川省においては唐辛子プラス山椒で激辛+痛いという味になる。「果たして食べれるのか…?」と戦々恐々としていたのであるが、結果的にはあまり問題なく食べることができた。むしろ、この刺激は病みつきになる

food写真はこんな感じ。赤色は唐辛子、緑色も唐辛子である。赤は食べられなかったが、緑は食べることができる。そして食べた後、1~2分で汗が噴き出してくる。味が濃い分、ビールや白米も進む。消化を促進する作用があるのか、翌日のトイレもあまり問題はなかった。ひょっとしたら、中途半端に辛いものを食べるのが一番まずいのかもしれない。

このように、4食連続で地元料理(=オール激辛)を食べたのであるが、結果的には大満足だった。今回の滞在で、僕の四川料理に対する評価はグンと上がった。


成都で一番やりたかったこと

成都に来て最もやりたかったことの一つは、巷でよく聞く「四川省の女性は美人である。」という言説の真偽を確かめることであった。

そこで僕は2日間、目を皿のようにして人間観察を続けた。
その結果、以下のような結論に達した。

“一般の人のレベルは他の地域とそこまで大差がない気がする。ただし、数人眼を見張るような美人を見掛けたことは事実である。ひょっとしたら、上位数パーセントの美人度は他地域よりも高い可能性が濃厚。”

それよりも、僕が気になったのは女性たちのファッションである。

僕の観察結果によると、この地域の女性たちの平均身長は他地域対比で低い。恐らくそのために、この地域の女性たちはヒールの高い靴、もしくは上げ底サンダルの装着率が高いのである。

この考察には結構自信があるので、成都に行ったことある方とは是非意見交換を行いたいものだ。まだ成都に行ったことがない方は、是非直接ご自身の目でお確かめ頂きたい。


最後にはやっぱり罠が待ち構えていた

2日間の成都滞在を終え、ついに上海に帰る時間がやってきた。

帰りの便は、中国が誇るLCC・春秋航空である。この春秋航空、他の航空会社と比べても段違いに安い。しかし、安いだけあって、正直居心地は悪い。しかし、この居心地の悪さこそ、LCCというビジネスモデルはどういうものか、ということを消費者に身をもって教えてくれるのである。

今回は、まさに最強コンボを披露してもらった感があり、僕を含めた乗客全員を不快の底に叩き落としてくれた。
  • 席が狭くて前後左右の座席との密着率が異常に高いのはデフォルト。
  • いきなり機材整備の遅れで1時間遅延。
  • ようやく機内に案内されるが、遅延中に天候が悪化し、さらに1時間遅延。
  • 離陸前は空調をつけないルールらしく、機内サウナ化
  • あまりの暑さにキレた乗客と客室乗務員が口論開始。
  • 暑さに苛立った乗客に対して、別の乗務員が飲料水の提供開始。でも有料
  • 暑さに耐え切れなくなった赤ん坊(=僕の真後ろ)が泣き叫び、機内は地獄絵図の様相に。
  • 1時間やることがなく暇だった僕は、ブログ書こうとPC取り出したものの、備え付けのテーブル壊れてて完全にヤル気喪失。

このような地獄のような機内状況を乗り越え、2時間遅れで離陸、3時間ほどしてようやく上海に到着した。

今回ほど、LCCの不快さを満喫したと同時に、伝統的キャリアの素晴らしさを再認識したフライトはなかった。できればもう乗りたくないとは思うものの、節約とブログネタの仕入れのため、近いうちにまたお世話になる気もしてきた

ということで、これからもよろしく、春秋航空。

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以上で、僕のMBA最終旅行が終了した。

本当に、よく学び、よく遊んだMBA生活だったと思う。
しばらく考えても、やり残したことは思いつかない。
それくらい、濃密な2年弱の時間を過ごすことができた。

来週からは東京での新生活のスタートである。
一刻も早くギアチェンジをして、新たな生活も目一杯楽しめるようにしたい。

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2013年05月09日

MBA最後の旅行記 ~チベット・シガツェ編~

ラサに3泊した後は、チベット第二の都市であるシガツェを訪れる。


ラサからシガツェへの道のり

シガツェに行くためには、専用車を使う必要がある。僕が乗ったのはトヨタのランドクルーザーだったが、もっぱら四輪駆動車をチャーターするのが一般的だ。というのも、ラサからシガツェへの道のり舗装はされているものの、ところどころ穴が開いていたり、デコボコの道があったりするので、通常の車両だと立ち往生してしまうリスクがあるからだ。

そして、この専用車こそがチベット旅行を異次元の高さに導いた主因である。だいたい専用車1日のチャーターは3万円程度するようなので、ちょっとラサ近辺を行き帰りするだけでウン万円が一気に飛んでしまう。僕の場合は個人旅行だったので、専用車代をツアー参加人数で頭割りすることもできない。専用車を使ったのは実質2日間だけだったとはいえ、金銭負担はかなり大きかった。

なので、費用を少しでも浮かせたい人は、ラサの市内観光だけに絞ればいい。しかしながら、チベットの魅力はラサ市内だけに留まらないのも確かである。


シガツェの様子

第二の都市シガツェは、近年急速に発展しているとは言え、まだまだ小都市に過ぎない。ラサも人口40万人程度しかいないが、シガツェに至っては10数万人にすぎない。上海の人口2300万人と比較すると、その小ささは際立つものがある。

小さな都市であるが故に、観光スポットが満ち溢れているわけではない。

IMG_1391中心的な観光地はタシルンポ寺である。ここでは、歴代パンチェン・ラマ(ゲルク派でダライ・ラマに次ぐ第二の高僧)の霊塔や26メートルにも及ぶ弥勒菩薩像が陳列されていたりと、なかなか興味深い光景を見にすることができる。ここでも、信者が熱心に巡礼をしている姿を確認できた。

IMG_1377その他にも、小規模なお寺としてシャル寺がある。こちらではコンパクトな敷地の中に、整然とした様式美を目にするすることができる。

IMG_1364シガツェから90キロほど離れたところにはギャンツェという小都市があり、そこには白居寺がある。かなり大規模な寺院であり、写真の塔が有名。


市内以外で目に留まったもの

実を言うと、シガツェ近辺の見どころというのはこんなものである。

どちらかと言うと、僕が一番楽しんだのラサからシガツェまでの移動時である。ラサからシガツェまでは、専用車で約5時間の道のりで、山を4つ超えていく。この道のりこそが、とても楽しく、かつ色々と考えさせられるのである。

IMG_1288やはり、一番感動的だったのがチベット三代聖湖のひとつ、ヤムドク湖であろう。

山の上から見ると、まさに光輝いて見える。雪解け水でできた淡水の湖であり、鮮やかな色を放っている。

IMG_1305水はこんなに透き通っている。さすが聖湖。

3725348_origヤムドク湖の近くで出会ったのが、チベット原産の大型犬チベタン・マスティフ。体重は60~80kgなので、下手したら僕よりサイズが大きい。(注:適当な写真がなかったのでweb上から拝借)

このチベタン・マスティフを見た瞬間、僕は一目惚れしてしまったので、ふつふつと「飼いたい」という思いがもたげてきた。その後調べたら、このチベタン・マスティフ、北京などのブリーダーから買おうとすると数十万~数千万円くらいするらしい。高地から低地に連れて行く時に、多くは適応できずに死んでしまうため、飼育が難しいとのこと。中国人の富裕層にとっては、この犬を買うことは自分のステータスを誇示する意味があるらしい。

とにかく高すぎなので、本当に買うかどうかの判断は僕が富裕層の仲間入りしてからでも遅くはあるまい。(←可能性低)

IMG_1333こちらは途中で通りかかった氷河。年中雪が途切れることはないが、過去数十年は地球温暖化の影響もあり、氷河のサイズは目に見えて減少しているという。


目に飛び込んでくる貧困

風景以外に僕の胸を打ったもの、それはラサ市内だけでは見えない、チベットにおける明確な貧困の現実である。

IMG_1339少し車を走らせるだけで、今に崩れそう、というか既に崩れている建物だけの集落は腐るほどある。そういった場所にも、人はちゃんと住んでいるのだ。

車中から見た限りでは、荒れ地が土地の大部分を占めている、という印象を受けた。チベットの人々の主食はツァンパであるが、これは他の農作物があまり育たず、食べ物の選択肢があまりないからではないだろうか。時折農作業の現場も見ることができた、当たり前のように牛や馬に農地を耕させていた。農業機械の姿はまったく見ることはできなかった。

IMG_1352児童労働も当たり前のように存在していた。

風景のよい場所に駐車すると、物売りの商売人が寄ってくるのは中国の各都市で見られる光景だが、その中に子供を見かけたのは今回のチベット旅行が初めてだ。恐らく学校にも通っていないのではないだろうか。

貧しい身なりの彼らを見て、いたたまれなくなって僕も思わず彼らから買い物をしてしまった。この児童労働の現場を見て、複雑な思いが去来した。


とはいえ、経済開発は着々と進んでいる

上記のように、貧困が嫌でも目に入ってくるのは確かなのであるが、一方で、「よくこんなところに道路通したな」、もしくは「よくこんなところに送電線通したな」という場所も数多く見ることができたのは驚きだった。

僕が行った範囲においては、たとえどんな険しい山々の中にあろうとも、こういった基礎的なインフラは整備されていたのである。

よく知られているように、チベットには中央から集中的に財政移転がなされている。一部の人々に言わせると、これは中央によるチベットの経済支配ということになる。しかし、一歩ラサを離れると、そこには広大な未開発の地と明確な貧困が広がっているのは確かなのである。

漢民族によるチベットの開発は、この地に広がる美しい自然を傷つけるという点で盲目的に肯定されるべきものではないが、彼らの経済活動がチベット民族の生活を豊かにしている、という点は紛れもない事実であると実感した。

高齢者の増加の示すこと

経済水準の向上は、ラサを始めとした都市部を歩いてみるとすぐに見て取れる。

IMG_1201僕がチベットに来て驚いたのが、高齢者が意外に多いことである。

ガイドさんに聞いたところ、平均寿命は女性で75歳程度、男性でも70歳程度はあるらしく、これは先進国に匹敵する水準といっても過言ではなかろう。

ちなみに、左写真のご老人の背中には「84」という数字が縫いつけられているが、これは彼が84歳ということを示している。80歳以上の方は寺院や公共施設に並ぶ必要がないらしい。

この意外な長寿の要因は、①大気汚染が存在しないということ、そして②医療サービスが庶民まで行き届くことになったから、ということだそうだ。

チベット族のご老人たちは、老いようともポタラ宮をはじめとした仏教施設への巡礼を欠かさない。仕事からは現役を引退しても、仏教徒であることからは引退しないのである。当たり前のように信仰が日々の生活に根付いている社会の中で、引退後の余生を楽しんでいるようにみえるチベットのご老人たち。その姿を見て、信仰を持たない僕は少し羨ましい思いを感じた。

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以上のようにして、僕の計6日間のチベット滞在は幕を閉じた。

この地における数々の美しい風景は、今も僕の脳裏に焼きついている。

個人的にすっかりチベットの持つ魅力に魅了されてしまったので、またいつかはこの地を訪れたいという思いが強まった。ガイドさんの親切な説明のおかげで仏教に対する理解も少しばかり深まったので、同じく仏教国である近隣のネパール、およびブータンも訪れてみたいと思うようになった。

今後の夢は膨らむばかりである。

(次回、最終帰還編に続く)

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2013年05月07日

MBA最後の旅行記 ~チベット・ラサ編~

ラサについてからは、まずは現地ガイドと合流しないといけない。というのも、外国人には駅を降りた瞬間、公安職員が張り付き、ガイドにピックアップされるのを確認するまで離れないからである。

僕の場合は、幸先良く出口を出たところですぐガイドさんと落ち合うことができた。青蔵鉄道を利用したので高山病の症状も現れず、幸先良くラサ観光をスタートすることができた。


まずはガイドさんと合流

旅行費用を削減するため、日本語ガイドではなく中国語ガイドを雇ったことは先日のエントリーでも述べた通り。

しかし、僕の中には一抹の不安があった。というのも、内陸部に行くと必ずといっていいほど地方独特の訛りに悩まされた過去があるからだ(事例1 2)。

さはさりながら、今回に限ってはこの不安は杞憂に終わった。

女性チベット人ガイドのヤンジュオさん、普通話の発音は僕の想像を大きく上回って標準。聞くところによると、大学時代は遼寧省で勉強していたらしい。なるほど、遼寧省といえば大連に代表されるように、発音面ではもっとも標準的と言われている。

いやいや、これは運がよかった。おかげさまで、彼女の言うことの90%は理解することができた。(ちなみに、彼女以外のチベット人と話した時は、やはり訛りのため聞き取れない場合が多かった。)


ラサ滞在の感想

僕は合計3日間ラサの観光に費やしたのであるが、一言で感想を述べると来てよかった、ということに尽きる。本旅行を通じて、晴れてラサは中国でのマイベスト旅行先として認定されることとなった

計20万以上円という異次元の出費をしたのであるが、その価値はあった。
とにかく、チベットは美しい

今まで中国各地の汚い都市(すべてがとは言わないが)と比較すると、雲泥の差である。

IMG_1134まず、空気がぜんぜん違う

青く光る空と、手の届きそうな距離に浮かぶ雲。上海や北京と同じ地球上にあるとは思えないほどだ。

IMG_1140街の中も、中国の他都市と比べて格段に清潔に感じる。よく清掃されており、ゴミが散乱している姿もないとは言わないが、稀にしか見ることができない。

IMG_1102僕が泊まったホテルは旧市街であるため、日々の生活にチベット仏教が根付いている空間であった。信者は寺院に対して熱心に祈りを捧げ、巡礼を行う。

現地人のガイドさんを雇ったこともあり、チベット仏教に対しての理解を大きく深めることができたのも収穫だった(それまでは恥ずかしながらダライ・ラマくらいしか知らなかった)。それと同時に、自分の中でチベット問題を考える上での様々な判断材料を得ることができた。

IMG_1116天空の宮殿といわれるポタラ宮の美しさには圧倒された。

歴代のダライ・ラマが少しずつ増築を重ねてきたこのチベット仏教の総本山には、人を魅了するオーラがある。

IMG_1197信者と一緒にポタラ宮の周囲を巡礼もした。心なしか、人々の信仰の深さを肌で感じることができたと考えている。

IMG_1150その他にも、ダライ・ラマの避暑地であるノルブリンカとか、

IMG_1237ラサ北部にあるセラ寺も訪問。

チベットではところどころ、文革期に紅衛兵によって破壊された寺院を目にすることができる。

文化的に重要なものは徐々に修復されつつあるが、それでも過去の破壊の跡は痛々しく残っている。

IMG_1155チベットにおける食事は、ヤクを使った地元料理に加えて、中国本土および隣国ネパールからの影響を大きく受けている。

特に僕はカレーが好きなので、ネパール風カレーを特に好んで食べた。ヤクの生乳および乳製品(バター)は苦手だったとはいえ、全体的に料理も口に合った。

IMG_1108ただし、やはり高度がもたらす問題はある。例えば、地元ビール(ラサビール)を頼んで飲んだのであるが、瓶1本で頭痛がしてきた…。やはりアルコールのまわりは圧倒的に早い。

加えて、降り注ぐ紫外線の量は半端ではない。地元の人の肌は日焼けで真っ黒であり、小学生くらいの子供でも肌のシミが目立った。この地においては、紫外線対策は必須である。

IMG_1189ラサでは、現在集中的な道路工事が実施されている。地下に暖気システム(石炭をエネルギー源とした暖房装置)を張り巡らせる計画なのだという。聞くところによると、ラサは冬場にはマイナス20度前後にまで気温が下がるものの、今までは電気(エアコン)、もしくは薪を燃やすことで人々は寒さをしのいでいたという。

僕も現在暖気システムが導入されてない上海に住んでいるが、冬場は寒さに震えている(暖気は長江以北の都市でしか導入されてない)。マイナス20度の中、暖気がなかったとは、さぞかし今まで悲惨な想いをしていたのだろうと想像できる。

石炭使用量の増加により、大気汚染が進むのではないかと懸念されるが、マイナス20度なら仕方ないか、という気になってくる。

加えて驚いたのが、現地における土木作業員の中には、女性が少なからずいるということである。見た感じだと、大体30~40%は女性が占めていた。

この理由をガイドさんに尋ねてみたところ、「今行われている道路工事は政府系企業が仕事を受注している。政府系の場合、民間業者よりも給与水準が高く、女性を含めて応募が殺到する」ということらしい。日本はおろか、中国においてもかなり珍しい光景であると言えよう。


ラサ独特の光景

ラサにいてとりわけ目につくのが、治安維持部隊の多さである。

IMG_1177僕の泊まったホテルは2008年チベット騒乱が起こった場所で、チベット族が多く住むラサの旧市街にある。

その近辺における警察官・軍人の多さは異常である。街を歩いていると、ほぼ全ての交差点に写真のような交番が設置されている。ガイドさんの話によると、2008年以降、ラサ市内には500~600箇所このような交番が設置され、治安維持に神経をとがらせているのだという。

この状況は、他の中国の都市に慣れ親しんだ僕には、かなり異様に映った。

このように、ラサでは多数の警察官等が街頭で不審人物がいないか目を光らせているわけである。


そんな中、案の定というか何と言うか。
ええ、僕もしっかりされましたよ、職質。


どうやら警察官の目には立派な不審人物と映ったらしく、身分証と居住先の提示を求められた。

一瞬焦ったのであるが、万が一に備えて、パスポートを携帯していて本当によかった。簡単にパスポートをチェックしただけでめでたく解放された。

自分の危機管理能力も向上したな、と密かに自分の成長を認識したラサでの昼下がりであった。

(次回、シガツェ編に続く)

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2013年05月02日

MBA最後の旅行記 ~チベット・出発編(西寧)~

卒業式も終わり、運良く進路も無事決まったところなので、卒業式翌日からはMBA最終旅行に旅立つことになった。


今回の旅程

今回のメインの訪問先はチベット第一の都市ラサと、第二の都市シガツェである。
全日程を書き記すと、「上海浦東→(飛行機)→青海省・西寧→(青蔵鉄道)→ラサ→(専用車)→シガツェ→(飛行機)→四川省・成都→(飛行機)→上海虹橋」というルートになる。

ということで、まずは飛行機で西寧に向かう。


西寧に向かう理由

そもそも、なぜ西寧に向かうかというと、そこからラサに向かう青蔵鉄道に乗るためである。

では、なぜ僕が青蔵鉄道に乗るのかというと、
①車中の景色は素晴らしいという話を聞いたことがある、
②高山病にかからないようにするため、

という二点からである。

特に高山病に関しては、大変気にしている。ラサは海抜約3700メートルに位置するが、上海は約6メートルである。これだけ標高差があるので、用心するに越したことはない。以前(小学生の頃だが)スイスのアルプスに行った際には、たいそう高山病に苦しめられた思い出がある。思わずのた打ち回りたくなる苦しみ。できれば、あの苦しみを再度味わいたくないのである。

実を言うと、上海発~ラサ着という列車もあるのだが、これは全行程約48時間かかる。しかし、西寧発であると、その半分の約24時間で到着である。そもそも、上海~西寧間は大した景色を期待できないだろうと考えられるので、その区間は飛行機に乗って時間を節約することにした次第である。


まずは西寧近くの青海湖観光

第一の目的に西寧のホテルには、夜10時過ぎに到着した。翌々日の午後が青蔵鉄道に乗る日なので、丸一日は西寧の観光にあてることができる。

ここで僕は、青海湖への団体ツアー(=中国人用)に申し込む。

事前に仕入れた情報によると、西寧の市内にはさしたる観光スポットはなく、そこから約100キロ離れた青海湖に行くのがオススメらしい。ただし交通手段は限られているので、基本的には団体ツアーに申し込むしかないわけだ。

こうして、翌日朝7時からのツアーに参加したのであるが、図らずも悲劇的な思いをすることとなった。


青海湖ツアーでの悲劇

【悲劇その①】
IMG_0940青海湖へ向かう途中に、日月山という観光名所があるので、まずはここに向かう。

この山は標高3000メートル超の位置にあり、5月だというのに山頂には雪が残っている。なかなか美しい景色を望むことができる。

IMG_0916ここにはお約束通り商売人たちが待機しており、土産物なんかを売っている。

そこで、僕の目に留まったのはヤクである。ヤクとは、標高3000メートル以上の高地に生息する牛で、チベット地方におけるメインの家畜である。

僕は初めて実物のヤクを目にした嬉しさから、無邪気に戯れ、そして10元を払ってヤクに載せてもらったりした。

このように楽しい時間を過ごしていたところ、足元から嫌な感触が伝ってくる。これは…。

ヤクのウ○コ踏みつけてる。
見事なくらい、僕の左足はかの物体に埋もれている。しかも、かなりのビッグサイズ。

過去10年間ほどの記憶を呼び起こしても、このような経験はなかったため、思わず涙目である。急いで周囲の雪にこすりつけて、公衆トイレに駆け込んで水で洗い流す。ひょっとしたら、バスの中に臭いを持ち込んでしまったかもしれない。ひさびさに心拍数が上がる思いをした。

【悲劇その②】
再度バスに乗ってしばらくすると、ようやく青海湖に到着した。

IMG_0971この青海湖、実は世界で2番目に大きい湖である。実際行ってみたところ、水辺はなかなかの美しさである。

ただ、ここでの問題はとてつもなく寒いことである。

海抜3200メートルの高地にある湖であることから、夕方に我々が到着した時には気温5度くらいになっていた。僕はしっかりとダウンジャケットを着込んでいたのであるが、それでも容赦なく寒さは襲ってくる。せっかく治ったと思った風邪がまたぶり返してくる気配を感じた。

朝7時から夜10時まで、ほぼ丸一日かけて参加した青海湖ツアー。見どころはあったものの、正直言ってかなり過酷だった。チベットに辿り着く前に力尽きそうである。


そして列車に乗り込む

しかしながら、ツアー翌日からは青蔵鉄道に乗ってチベットに向かわなくてはならない。

IMG_0996駅職員による何重ものチェックを受けた後、ようやく鉄道に乗る。ちなみに、駅の様子はこんな感じ。ラサに向かう人達でごった返している。

IMG_1003まず、コンパートメントは前回の列車の旅と同様、硬卧(6人部屋)である。僕はまたしても最上段に乗り込む。

しかし、今回はなぜか天井が低いようだ。まったく上体を起こすことができない。これは苦しい…。こういうこともあり、コンパートメント内には寝る時間だけいることにした。

IMG_1008一方で、もっと料金の安い座席(硬座)を覗いてみると、そこはカオスであった。

充満する食べ物とタバコの匂い。トランプに夢中になる乗客たち。そして、通路および座席下の空間で堂々と寝る者までいる。

この空間で24時間過ごすのは、さすがの僕でもキツかったと思われる。よかった、6人部屋にして。

IMG_1004僕の定位置はコンパートメントから一歩出た通路である。ここでぼんやりと風景を見ながら時間を過ごす。

この通路内には車内放送が流れていて、この内容がなかなか味がある。多言語化(普通話・英語・チベット語)されているコンテンツとされていないコンテンツがある、というのが特徴だ。

車内を眺めると、確かに一定程度(5%くらい?)は西洋人の姿を見ることができる。青蔵鉄道の存在は、一部の外国人には知られているので、外国語のコンテンツも用意されている。

多言語化されているのは、チベット・青海省の観光案内や高地での健康管理の方法などである。

一方、普通話でしか語られないコンテンツとは、「バランスの良い食事を摂らないといけない」「道端にタンを吐いてはいけない3つの理由」など、あきらかに自国人民を指導する内容になっている。たしかに外国人には必要ないコンテンツだと思うが、中国人相手にもわざわざ列車で流すような内容なのかと、内心疑問が湧いた。聞いてて面白かったけど。

IMG_1013夕飯時には、腹が減っていたので食堂車に行ってきた。事前に旅行会社からは、「高いのであまりお勧めしません」という忠告を貰っていたのだが、興味本位で行ってきた。

チンジャオロースを頼んだのであるが、なんと45元。今まで頼んだチンジャオロースの中で、一番高いのではないだろうか。なお、味はCEIBSの食堂に出てくるものと同水準であった(値段は約10倍)。やはり、旅行会社の忠告は正しかったことが証明された。

この青蔵鉄道、2006年に開通したのであるが、設備的にはとても最近導入したものとは思えない

まず、トイレがよく詰まる。詰まった暁には、延々と違う車両までトイレを探しに出かけなくてはならない。僕はうっかり用を足した後に詰まったことを確認したのであるが、その際は冷や汗が出てきた(幸い、後ろに人がいなかったのでそのまま放置した。後続の人、スマン。)。

また、車両内には電源プラグが用意されているのであるが、なぜかこれらはことごとく壊れている。作動するのは10個に1個くらいである。一般的にスマホの電池の持ちは悪いため、必然的に電源プラグを巡る乗客同士の熾烈な争いが発生する。正直、とても面倒くさい。


美しい車窓の風景

このように、色々と面白い話題を提供してくれる青蔵鉄道なのであるが、車両から見られる景色は絶景である。なんだかんだ言って、恐らく道中24時間のうち、僕は12時間くらいは景色を見ながら過ごしたはずである。

以前乗ったシベリア鉄道においては、景色が3日間変わらないことはザラにあり、そのため読書や睡眠の時間を豊富にとることができたが、青蔵鉄道の場合はそうではない。

IMG_1006荒地があったり、

IMG_1034だだっ広い平原があったり、

IMG_1051湖があったり、

IMG_1017雪景色を見れたりする。

IMG_1067高地を走る列車なので、空も雲も近く、幻想的な風景を楽しむことができる。

のんびりと、何も考えずにひたすら車窓に流れる風景を楽しめる空間、それが青蔵鉄道なのである。

IMG_1053ひとつ興味深かったのが、チベット自治区に入ってからの警備の物々しさである。数キロおきに人民解放軍っぽい人が立っていて、通過する電車に対して敬礼をしている。

しかし、四方数キロに渡ってなにもないのである。こんなところで働かなくてはならない方々に同情すると同時に、自治区内における警戒感の強さを肌で感じることができた。

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そして、乗車後24時間が経ち、ついに目的地ラサに到着した。

(次回、ラサ編に続く)

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2013年04月25日

続いては、高速鉄道で武漢へ

合肥で不動産バブルを見学した後は、再び高速鉄道に乗って今度は湖北省の省都・武漢に向かう。

武漢には特段思い入れがなかったのだが、華中地方最大の都市ということもあり、経済は急速に発展しているという。位置的に北京⇔広州、および上海⇔重慶の中間点にあるのも発展の理由の一つだとか。都市人口も1000万人を超えるている。

武漢出身の同級生に連絡してみたところ、たまたま帰省しているとのこと。合肥から2時間という近さであることから、都市視察も兼ねて今回訪問することにした次第である。


旅の様子

とりあえず、ひと通り観光スポットをぐるっと回ることにした。

IMG_0767こちらは恐らく武漢で一番有名な場所である黄鶴楼。意外と小規模で、歩きまわる距離が少なくて助かった。

IMG_0769小吃の店が数多く立ち並ぶ户部巷で軽食を食べる。衛生面は非常に心配である…。

IMG_0815武漢ではすでに地下鉄が導入されている。2路線しかないけど。それでも、合肥と比較すると都市内の移動は格段にラク。

IMG_0773武漢は、武昌・漢陽・漢口というエリアからなっている。武昌から漢口に行くのに、フェリーを乗ってみた。運賃は3元と格安。乗客は僕以外に3人しかおらず、採算が危ぶまれる。武漢出身の同級生も乗ったことないとのこと。地下鉄できちゃったし、わざわざ乗る必要ないかも。

IMG_0825建設ラッシュはここでも進んでいる。さすがに合肥と比べると控えめだったが。

IMG_0810漢口は1858年の天津条約で開港され、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本が相次いで租界を設置したという歴史がある(ウィキペディアより)。

そのため、沿江大道には数多くの洋館が立ち並ぶ。上海の外灘みたいな感じ。

IMG_0813夜は同級生に、地元で評判の湖北料理のレストランに連れて行ってもらった。さすが、地元の人のオススメは外れなしである。楽しい時間を過ごすことができた。湖北料理も唐辛子を多く使っていたが、前に行った湖南省ほどは辛くなかったので、日本人でも安心である。

IMG_0816武漢の人々は非常に朝食を大事にするらしい。ということで、2日目朝は地元の名物料理である熱乾麺を食べてみる。

うむ。「乾」という文字の通り、もの凄くノド渇く…。口中の水分が吸い取られる感じである。決してマズくはないが、毎日はムリっす。

IMG_0853その後、湖北省博物館や東湖公園、磨山景区といった同級生にお薦めされた観光スポットに行き、深夜便で上海に帰ってきた。

本来であれば、三国志の中で超有名な戦場である赤壁を訪ねてみたかったのだが、武漢市内からは100キロ以上離れており、アクセスが容易でなかったため、今回は断念せざるを得なかった。残念。


そして悲劇もついてくる

今回の旅行中に起こったどうしようもない事件。
2日目午後に磨山景区を観光していたときのこと。

時間を見ようとしてポケットからiPhoneを取り出した瞬間、手許がファンブルした。
次の瞬間、iPhoneは地面に落下する。

急いで地面から拾い上げたところ…。

写真 2013-04-26 9 53 23画面割れてる!!

なんということだろう。

以前、終わりなき戦いを終結させ、無事使用できるようになったiPhone。これから減価償却が終わるまで使い倒そうと思っていたのに、ここにきてまた追加出費を強いられることになるとは。

この破損事件のおかげで、旅行の楽しい気分が台無しである。
もう少し頑張って観光してから上海に帰ろうと思っていたのだが、完全にそういった気が喪失させられた。

このiPhone、ひょっとしたら呪われているのではなかろうか…。(注:いずれも100%人災。)

結局、画面修理代でまた数百元使うことになった。これからも、このiPhoneに一喜一憂させられるのであろうか。暗い気持ちを呼び起こした今回の高速鉄道の旅であった。

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さてさて、いよいよ今週末は卒業式である。

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2013年04月23日

超弩級バブルの目撃者になってきた

Graduation Ceremonyまでまだ一週間あるので、この機会を利用してまた国内旅行に行くことにした。

実を言うと、今回は少し足を伸ばして新疆(ウイグル)に行こうかと思っていた。しかしながら、ここ数日間風邪気味であったため、体調万全でないなか砂漠に行って野垂れ死にしてはたまらん、と思い近場で済ますことにした次第である。

今回は高速鉄道を利用し、安徽省合肥湖北省武漢に行くことにした。


ひさびさの高速鉄道の旅

高速鉄道に乗るのも久しぶりである。1年くらい乗ってなかったかもしれん。

上海から合肥までは3時間の乗車なので、あっという間に着くに違いないと思っていた。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。今回、手違いで耳栓を持ってくるのを忘れたことが命取りになったのである。

僕が乗車して20分後、蘇州駅で男性が僕の隣の席に陣取る。
この男が迷惑極まりなかった。

外見はアイ・ウェイウェイキム兄を足して2で割った感じであり、体格は一言で言うとおデブであった。彼は南京南駅で降りるまでの1時間半、僕を不快な世界に誘ってくれた。

体格がデカイので身体がこちらの席まではみ出してくるのはまだ許せるとして、問題なのはうるさいことである。

まず、電話の声が大きい。とにかく、大声で何かをしゃべっている。しかも、どこぞの方言なのでこちらはまったく理解できず。なぜそんなに怒鳴ってしゃべる必要がある。

電話を切ったら、今度はWechat(=LINEみたいなチャットソフト)である。10秒に一度くらいのペースでメッセージを受信している。女子高生級のメッセージ交換量である。

しかも、その傍らで弁当を食べだしたのであるが、お約束通りクチャ食いしてくれる…。

不快を絵に描いたような時間が僕を支配する。唯一の救いは、弁当完食後彼が昼寝し始めたことだ。ここでようやく僕も安息の時間を取り戻すことができた。


合肥の旧市街を探索

隣人が下車してから1時間ほどして、合肥の駅に到着した。

今回なぜ合肥を訪問先に選んだかというと、先日下記の記事を読んだからである。
[橘玲の世界投資見聞録]中国の地方都市・合肥で起きている不動産バブルの実態

筆者の述べるところでは、合肥では凄まじいバブルが形成されているというとのこと(別のサイトでは、六本木ヒルズが10個分くらい同時に作られていると述べていた)。その凄まじさを実際に体感するために、今回の旅行を企画したわけである。

一日目は合肥の旧市街を探索する。人通りも多く、中国の大都市によく見られる町並みを観察することができた。

さて、いよいよ二日目はバブルが発生しているという市南西部の新市街に足を運ぶ。


とてつもない新市街に圧倒される

まず、朝にバスに乗って滞在先の市北東部から南西部に向かう。まだ地下鉄が開通していないので、路線バスでの移動である。渋滞がかなり酷く、移動に50分くらいかかってしまった。

IMG_0678辿り着いたのが、合肥西駅。

言っちゃ悪いが、かなり閑散としている。こんなところに都市機能の新しい中心ができるんだろうか…。

IMG_0687駅近辺をちょっと歩いてみたところ、目に入ってくるのは自動車整備店のみ。商業活動はあまり盛り上がってなさそう。

IMG_0707もう少し歩いたところで、最近移転してきたばかりという市庁舎が目に入ってくる。中国の役所にありがちな、もの凄く立派な建物。至近距離から写真を取ろうとしたら警備員に怒られたので、遠くから撮影。


市庁舎の近辺は圧巻である。
見事な不動産バブルが広がっている


IMG_0712見渡す限り、大規模なビルが建設されている。集合住宅と商業施設の両方の建設が進められているが、とにかくスケールがデカイ。

IMG_0726こっちは集合住宅。

IMG_0727しかも、今までは更地だったとところにいろいろと建設しようとしてため、道なんかもめちゃくちゃ広い。加えて、人の流れがとてつもなく少ないのは印象的だった。

IMG_0698一番びっくりしたのは商業施設(ショッピングモール)である。

中国の大手ディベロッパー資本のショッピングモールに近づいてみた。一見して人通りが少ないので、まだオープンしていないんだろう、と思っていたら実は開店していた!

IMG_0695こちらのショッピングモール、売り場の作りなんかは上海や香港の大規模モールとまったく同じである。テナントを見ても、よく見る外資系ハイエンドブランドがちゃんと入居している。

IMG_0696問題は客の入り具合である。

驚くほど少ない。従業員数のほうが圧倒的に多い。昼食の時間帯だというのに、店を開けていない店舗すらあった。この客の入りでは変動コストすら賄えていないのではないかと懸念される。

IMG_0724歩き回っていると、本当に色々なビルを目にすることができる。

滑り台みたいな形のビルとか、はじめて見た…。


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あまりにも面白かったので、半日間くらいずっとこの一帯を歩き回ってしまった。

僕のイメージでは、この辺りは超巨大なお台場っていう感じである。お台場は僕の中でオワコンというイメージなのであるが、さてこちら合肥の新市街はどういう末路を辿るのであろうか。

普通に考えると、これから合肥市内に新しく人が流入してこない限りは、旧市街か新市街のどちらかは壊滅的なダメージを受けるに違いない。中国の労働人口は減少を辿っているため、市内人口を増やすためには他の地域からの流入に頼るしかない。上海などの沿海部から、内陸部への逆人口移動が起きているという動きもあるようだが、実際それがどれほどのサイズになるのか。

もちろん、僕自身かなりの色眼鏡をかけて観察してしまっているのは事実であり、実際どうなるかは地下鉄を含む都市機能が完成する数年後までわからない。とりあえずは、今後の推移を興味深く見守ることとしたい。

いやー、それにしても凄かった。

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2013年04月16日

チベットへの道のりはかくも遥遠なり

すでに何度かブログでも書いている通り、今月末がCEIBSの卒業式である。

その後はもう少しだけ粘って校内の宿舎に滞在することが可能なのであるが、それもせいぜい1ヶ月ほどである。そういう事情もあり、いまだ進路のない決まっていない僕としては、ひとまず5月中に日本に退却して進路探しを継続させる予定である。

もうすぐ中国を離れるシナリオが濃厚である中、やり残したことを考えてみた。
すると答えはすぐ頭に浮かんできた。


チベットに行っておくべきだろう、と。


チベットに行く方法

外国人がチベットに行くのは、実はあまり簡単ではない。

チベット独立運動は中国政府にとって頭の痛い問題であり、特に大規模な騒乱が起こった2008年3月以降、現地の警戒モードはいつになく高まっている。そういったセンシティブな問題を抱える土地に、外国人を自由に出入りさせては治安維持上大きな問題である、と当局は認識している。

そこで、外国人がチベット入りする際には様々な制限が課せられることになるのである。具体的には、外国人は団体ツアーに参加するか、旅行代理店を通じて個人ツアーを手配しなくてはならない。

団体ツアーは開催されている日程が限られているし、行動に自由がきかないので、僕はあまり参加したいとは思わない。そういう思いもあり、必然的に個人ツアーを選ぶことになるのだが、その場合も代理店経由で入域許可証(パーミット)を取得した上、ホテルも事前に確保、加えて全日程にガイドをつけないといけない、などという制限が課せられており、なかなか面倒くさい。しかも、最近はまたピリピリモードが高まっており、外国人に対するパーミットの発行はしばらく停止されている状況にあった。

しかしながら、どうやら本4月から外国人の入域が再び許可された、という情報をキャッチした。思いがけず舞い込んできた幸運を前に、もうここしかタイミングはない!という直感が働いた。かくして、個人ツアーを手配することにした次第である。


旅行代理店に見積もりを出してもらう

まずはインターネットで旅行代理店を探し、見積もりを出してもらうことにした。(選んだのは、地球の歩き方にも載っている青海省の日本人経営の代理店。日本語使用可。)

僕が提示した条件は以下の通り。特に青蔵鉄道はかねがね乗ってみたいと思っていたので、ここは絶対に外せない。
  • 5月初から計10間程度の日程
  • 行きは青海省・西寧から青蔵鉄道でラサ行き
  • ラサ3泊と、近隣都市のシガツェ・ギャンツェ・サキャに行く
メールを送信し、1日ほど経ったところで見積もりが帰ってきたのであるが、その内容をみて僕は驚愕した。


合計金額17500元


最近の円安の結果、日本円に換算すると28万円に相当する。
これまでの旅行では格安な交通手段・格安なホテル・格安な食事をモットーとしてきた僕にとって、この金額はまさに異次元の領域である(←日銀風表現)。まさに血の気が引いた。


費用削減に苦心する

見積もりを確認したところ、どうやらラサから他都市に行く際の専用車両のチャーター料金がバカ高いようである(しかも、1人で行くので人数割りできない)。移動距離を削減すれば、総費用もだいぶ減ると考え、日程を見直すことにした。

そこで、以下の通り代理店に指示を出し、費用抑制を目指すこととした。
  • 日数は7日間に変更
  • 行く都市をラサ・シガツェ・ギャンツェに限定し、専用車両の移動距離削減
  • ホテル・食事は最低クラスのものに変更
  • 現地ガイドは日本語ガイドから中国語ガイドに変更
以上のような調整の結果、何とか10000元くらいまで下げることができた。なお、この料金は行き帰りの飛行機代は別である。飛行機代を考慮すると合計の出費額は20万円強くらいが最終的な出費となる。


ついに決断する

ここまで大金を投入してまで、行く価値はあるのか??と正直かなり悩んだものの、これを逃したら当面(一生?)行く機会はないかもしれん…という思いが頭をよぎる。


考えあぐねた結果、まさに清水の舞台から飛び降りる気分で先日旅行の手付金を支払ってきた


今後は、カネよりも時間の方が圧倒的に大きな制約条件になるはずである。時間に比較的余裕のあるうちに、やりたいことをやっておく必要がある、と腹を決めた次第である。

ということで、中国MBA最後(?)の思い出作りのために行って参ります。
パーミットおりなくて行けない可能性もあるけど(笑)

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2013年04月02日

中国トップMBA説明会で広州に行ってきた

以前のエントリーでお伝えしたように、今回は説明会のため広州に行ってきた。
前日までは東京にいたので、上海虹橋空港経由で広州入りである。


説明会の様子

説明会は30日午後からの開催だったので、まずは開催場所である中山大学に向かう。予想通り、大学の敷地はメチャクチャ広い…。キャンパスに入ってから延々と歩いて、会場のある中山大学管理学院まで辿り着いた。

今回は広州という土地柄もあり、電車で2時間ほどの距離にある香港のMBAからも、スピーカーが計3名集まっていた。今回のスピーカー6名は全員顔見知りだったので、久しぶりの再会を楽しむことができたのはよかった(と言っても全員2ヶ月ぶりくらいだったけど)。

参加者は計15名程度で、前回の上海説明会と比較すると人の入りはまばらであったと言える。まあ、日本人人口の差も大きいので、それは仕方ないか。

当日の説明は以下のような順番でなされた。
 ・中山大学管理学院
 ・香港科技大学
 ・長江商学院
 ・香港大学
 ・CEIBS
 ・中山大学嶺南学院

上記の通り、僕は5番目に説明をしたのであるが、聴いている人の反応はイマイチのような…。何か少し嫌な予感がする…。


アンケート結果を開票

説明会終了後は参加者有志との懇親会で広東料理を楽しんだ後、関係者だけで2次会兼反省会に向かった。 その場で参加者アンケートを集計したのであるが、そこで僕にとって衝撃的な結果が示された。

なんと、本説明会を通じてCEIBSに興味を持った人の数=ゼロ

・・・。

せっかく自腹でわざわざ広州まで行って説明をしたのに、このショックは大きい…。
ROI(投資収益率)=ゼロとは悲惨すぎる。

聴衆に対して、まったくインパクトを与えることができなかったのは無念の極みである。上海から遠く離れた華南地方において、まさにアウェーの洗礼というものを浴びせられた結果となった。

大変遺憾であるが、今回の敗戦を機に僕はCEIBSの説明会担当から引退することとしたい。(注:念のため断っておきますが、冗談です)


2日間の広州観光を楽しむ

今回の広州入りのもう一つの目的は観光である。

僕の場合は多少時間にも余裕があるので、説明会後は2泊して市内を探索することにした。 連日の移動の疲れもあって惰眠をむさぼる時間も長かったのであるが、地球の歩き方に載っている陳氏書院や越秀公園、孫中山記念館や、珠江などの有名スポットはひと通り訪ねることができた。

2010年にできた広州タワーにも行ってきた。なんか、東京スカイツリーに形状が似ているような…。
image_2

なお、広州タワーの中で一番ウケたのが↓の地図の記載である。
image

喫茶店を探していたのであるが、その日本語表記に思わず目を疑った。
image_1
中国語:小蛮腰咖啡厅
英語 :Tower Cafe
日本語:させてきたのは腰


意味不明すぎる日本語。


こういった看板・標識類の日本語はテキトーな訳になっていることが多いのだが(機械翻訳しているためだろう)、ここまで意味不明なものを目にしたのは久しぶりである。何を指しているのか1ミリもわからない

このように、広州の奥深さを知った2日間の滞在であった。(←意味不明)


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2013年03月28日

日本一時帰国の雑感(2013年版)

3/18~29にかけて日本に帰っていたのであるが、そのことについて全くブログ上で触れていないことに気づいた。

それはひとえに書くネタがあまりないということに尽きるのであるが、無理やり何点か雑感をひねり出してエントリー上げることにした。


1. 日本では、会う人会う人に中国の空気の悪さについて聞かれる

最近のホットトピックといえば、やはりこれのようである。

PM2.5については僕もかなり気にしており、スマホで常時大気汚染の情報を確認している毎日である。

とは言うものの、上海の大気の状況は(北京などと比べると)そこまで悪くない。PM2.5の水準が100マイクログラム/立方メートルを切る日も多く、とっくに成人した身分としては特段問題なく日常生活を送ることができている(参考:日本の環境基準値は35)

今回日本で会った人ほぼ全員に尋ねられたこの質問、僕としては常に「上海はそこまで悪くない」ということを繰り返さねばならなかった。どちらかと言うと、僕にとっては花粉のほうが遥かに激烈なダメージをもたらしたので、正直早く東京を離れたかったんですけどね。


2. 東京のタクシーは結構快適だった

上海におけるタクシーというのは、ほとんどがフォルクスワーゲンのサンタナである。このサンタナ、お世辞にも乗り心地がいいとはいえない。しかも運転手の運転技術も荒かったりして、タクシーというはかなり不快な空間である。

日本に帰ると、タクシーの値段が肌感覚で10倍くらいするのでまったく乗る気にならないのであるが、乗り心地は段違いによいと感じた。僕が乗ったタクシーの車種はプリウスだったので、「す~、ピタッ!」という感じで走行しており、とても同じ交通手段とは思えない乗り心地の差を見せつけてくれた。

深夜割増を取られたので、会計の際にはあまりの高さに青ざめたけど。


3. 東京も着々と再開発が進んでる

丸の内やら渋谷やらに足を運んだのであるが、ここ1年半程見ないうちにだいぶ新しいビルが増えていて、人の流れも変わっているということとを実感した。都市は常に変化しているということを再認識した。


4. 中国のビル群に比べると、日本のはこじんまり

上海や香港にあるビルは、とにかくバカでかい。それに比べると、日本のビルはだいぶこじんまりしている。

このことに気づいたのは、羽田空港から渋谷に向かう際である。

気持よくリムジンバスの中で寝ていたところ、もうすぐ渋谷に到着するタイミングで目が覚めた。その時、窓の外に見えたビルに対して「なんかしょぼい建物だな」という感想を抱いた。しかし、目を擦ってよくよくそのビルを見ると、それはなんと六本木ヒルズ森タワーであることに気づいた…。

六本木ヒルズですらも中国のビルと比べるとこじんまりして見えるのか…。
そう思った自分の感覚にびっくりである。

言われてみれば、上海環球金融中心は101階まであるし、金茂大厦も88階、今度できる上海タワーなんかは121階建てだもんな。うむ、僕がそういった感覚を持ってしまっても仕方がない。(ちなみに六本木ヒルズ森タワーは54階建て)


5. あまり食べ物に美味しさに感動しなくなっていた

日本における楽しみといえば、やはり食事である。僕が1年前に一時帰国した時は、食べ物のあまりの質の高さに感動したものである。

しかしながら今回は、まったくと言っていいほどそういった感動はなかった
もちろん、食事の質に変化はない。変わったのは自分自身である。

日本を離れていても十分上海での食生活に満足している自分を再発見した、そんな一時帰国であった。

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