情報提供
現在、Googleのストリ-トビュ-でアンコ-ルワットの内部が閲覧可能です。このブログを参考にしてご覧ください。
平成23年3月にHISのツア-でカンボジアに向け旅立った。もちろん、目的はアンコ-ルワットだ。巨大な遺跡群に夢は膨らむ。しかし、内戦で遺跡が損傷を受け復旧が進まないと聞く、また、治安状態はどうか南方の気候に馴染めるか不安も頭をよぎる。
カンボシアの予備知識は次のようなものでお粗末だ。
802頃 ジャヤーヴァルマン2世がシャイレーンドラ朝(ジャワ島)からの解放を宣言しプノン・クレン 丘陵で即位した これがクメール王朝の始まり
1113~1143年頃 アンコ-ルワット建立(ヒンドゥー教寺院)
1170年前後 アンコール・トム(仏教寺院) タ・プロ-ム建立(仏教からヒンドゥ-教寺院へ改修)
1431年 アユタヤ王朝(タイ)によりアンコ-ル・トム陥落
1570年前後 アンコ-ルワットを仏教寺院へと改修
1632年 日本人の森本右近太夫一房 アンコ-ルワットを訪問する
1860年 アンリ・ム-オにより密林に眠っていたアンコ-ルワットが世界に紹介される
準備不足だが 気にしない! もう空の上だ
搭乗機はベトナム航空、ハノイでやや小型の古い飛行機に乗り継ぐ、成田より約7時間30分シェムリアップ空港に到着した。
タラップを降りると30°以上の気温、日本は真冬なので余計に暑く感じる。空港のロビ-に着くと白い象が出迎えてくれた。
入国手続きを済ませ一路ホテルへ、カンボジアで一般的なタクシ-は見かけない。トゥクトゥクという乗り物で移動しす る。ごらんのとおり、バイクに小さな車体を付けたもので日本の車検は通りそうもない乗り物だ。
空港のロビ- 何ともエキゾチック
ロビ-の白い象 名物タクシ- トゥクトゥク
いささか疲れたが、ホテルの従業員が荷物を運んでくれてようやく部屋に着いた。部屋に入るとまたまた驚く、調度家具は分厚い木材で作られいて、タンス・テ-ブル・椅子が並んでいた。椅子に触ってみると重い無垢材で作られている。男性の力でも移動は大変だ。日本で買えば大変な金額だ。合板は無いのかな!
一晩疲れを癒やしさあ元気で遺跡巡りに出発だ。
流ちょうな日本語を話すガイドさんの話に耳を傾ける。クメ-ル王朝が成立する前、小さな王国が沢山あったようだが、これほで巨大な寺院はジャヤーヴァルマン2世の王朝が成立した後のことらしい。

カンボジアの寺院遺跡の見どころ
とにかくスケ-ルが大きい。西大門前の長い橋を渡り、門をくぐりアンコ-ルワット前の広場に着く。広場は観光客でいっぱいだ、ガイドの案内で寺院内を見学するが、ゆっくり見ていたらどのくらい時間がかかるか分からない。ポイントを絞って見学することをお勧めする。
それは、黄金伝説と森本右近太夫一房の痕跡だ。
アンコ-ルワット(ヒンドゥー教)スーリヤヴァルマン2世建立
それは、黄金伝説と森本右近太夫一房の痕跡だ。
アンコ-ルワット(ヒンドゥー教)スーリヤヴァルマン2世建立
砂岩とラテライトで築かれ、周壁東西1030m南北840m
第1回廊 東西200m 南北180m
第2回廊 東西115m 南北100m
第3回廊 1辺60m
中央祠堂 高さ65m
西大門 アンコ-ルワット遠望する あまり広いので2画面を合成してあります 

第一回廊南面
創建者ス-ルヤヴァルマン2世の業績を称えたレリ-フ

黄 金 伝 説
アンコ-ルワットが完成した時、表面の化粧石に使用した砂岩は朱色に塗られ、さらに回廊の浮き彫りの表面は金箔で覆われていたといわれている。南回廊や、十字回廊の天井や柱にかすかに朱色の部分が残っている。また、寺院全体が金箔に覆われていたとの説もあり真偽の程は分からない。
謎 なぞ ?
金を何処から
現在、カンボジア・タイ・ベトナムでは金の採掘量の統計は確認できない、インドネシアが世界7位程度。 この時代、金は貴重であり大量の金箔をどのように確保したか謎である。
痕跡
朱色の痕跡は右下画像の天井に、また左下の画面の墨書周辺にも見て取れる。しかし、金箔の痕跡は確認出来なかった。
森本右近太夫一房
1632年アンコ-ルワットを訪問する
第一回廊と第二回廊の間の
墨書の内容
宝永九年正月初而此所来
寛永九年正月初めてここに来る
生国日本肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫一房
生国日本肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫一房
生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房
御堂心為千里之海上渡
御堂心為千里之海上渡
御堂を志し数千里の海上を渡り
一念之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために
其仏像四躰立奉者也
ここに仏四体を奉るものなり
寛永九年正月丗日
一念之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために
其仏像四躰立奉者也
ここに仏四体を奉るものなり
寛永九年正月丗日
( 森本右近太夫一房 生年不詳~1674年5月3日没 加藤清正の重臣森本一久の次男 )
サンライズとサンセット
翌朝、暗いうちに起きてアンコ-ルワットの朝日を見に出かける。一年をとおして曇りが多く、なかなか朝日に出会えないそうだ。しかし、見て下さい、なんとラッキ-な。朝日です。
アンコ-ルワットのサンライズ
祠堂中央から昇る美しい朝日
こちらも見て下さい。プノンバケンの夕日です。遙かに、バライ湖が赤く染まり、なんとも美しいカンボジア大地の遠望です。
プノン・バケンのサンセット
右手にバライ湖くを望む
ここで一言
遺跡周辺には蚊などの虫がいないので快適---遺跡の敷地内を見ると気がつきますが、雑草が有りません。おそらく除草剤や殺虫剤を散布して管理しているものと思われます。
路上販売の土産物1,000円が多い---平均月給が2万円程度のカンボジアで1,000円とはあまりに高い。日本人値段と思われる。
暑いけれど長ズボンが無難---遺跡見学では、石の階段や滑りやすい坂道が多い。転んで手足をすりむく人を見かけた。転ばぬ先の長ズボン。
修復が続く遺跡群
遺跡周辺には蚊などの虫がいないので快適---遺跡の敷地内を見ると気がつきますが、雑草が有りません。おそらく除草剤や殺虫剤を散布して管理しているものと思われます。
路上販売の土産物1,000円が多い---平均月給が2万円程度のカンボジアで1,000円とはあまりに高い。日本人値段と思われる。
暑いけれど長ズボンが無難---遺跡見学では、石の階段や滑りやすい坂道が多い。転んで手足をすりむく人を見かけた。転ばぬ先の長ズボン。
修復が続く遺跡群
アンコール・トムの中心寺院バイヨン(仏教寺院)ジャヤーヴァルマン7世建立
観世音菩薩




タ・プロ-ム(仏教寺院)
トゥームレイダー
アンジェリーナ・ジョリー主演 アドベンチャ-・アクション映画の撮影場所になったことでよく知られている。遺跡の修復が遅れ、未整備のところが、映画のイメ-ジに合っている。
正面全景
ガジュマルの侵食が激しい中央祠堂、壁のいたるところにデヴァタ-が彫刻されている。ここが、トゥームレイダーの主要撮影場所、映画ではここの地下に宮殿があるとの設定で物語が進む。
バンテアイ・スレイ寺院(カンボジア)
優美な外観は多くの観光客を引きつける。中央に東洋のモナリザといわれるデヴァタ-がある。アンコ-ル・ワットから北へ20km、クレ-ン山麓に立つ小規模なヒンドゥー教寺院。 
門の彫刻 彫刻の拡大 東洋のモナリザ



寺院の全景です それほど大きな寺院ではない

シェムリアップ(カンボジア)の街中へ

門の彫刻 彫刻の拡大 東洋のモナリザ



寺院の全景です それほど大きな寺院ではない

シェムリアップ(カンボジア)の街中へ
アンコ-ル遺跡群訪問の途中で買い物や食事しましょう。珍しいみやげ物やおいしい料理に出会えますよ。 みやげ物店


象の乗り物 賑やかな街中のマ-ケット


マ-ケットのレストラン(焼肉・ビ-ル) ホテルのレストラン(タイ料理)


つかの間のカンボジアの旅でした。ツア-参加者16名。(20歳代女性6名男性1名、40歳代女性1名、60歳代女性2名男性6名)心配された下痢や発熱などの病気も無く、無事帰国することが出来ました。HISさんありがとう!
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