スタジオジブリ映画「風立ちぬ」のモデル
零戦の主任設計者 堀越二郎の郷里
映画のように白い雲と青い空があった
堀越二郎の郷里再訪問(平成26年9月23日(火))
藤岡歴史館を訪ねる。ロビ-には企画展に使用したパネルが3枚、ノ-ト、日本航空学会誌が展示されていた。つづいて、七輿山古墳付近から生家跡付近を撮影する。中央の竹藪あたりが生家跡。
生家付近を訪ねる。石垣の途切れたあたりが生家跡らしい。石垣は落合代官所跡地の一部。
堀越二郎の郷里を訪ねて(平成25年6月30日(日))
生家のあったこの地域は、西北に鏑(カブラ)川が東には鮎(アユ)川が流れ、南には関東山地が迫るなだらかな丘陵地帯となっています。また、この丘陵地帯は、土地が肥え水に恵まれていたため、遙か昔より人が定住しており、大きな古墳が点在し各種遺跡が多数残っています。
信号機付近(上落合)で出会った地域の古老は、「二郎さんは自分よりかなり年上ですが、温厚で大変優秀な人でした。」と話していました。氏は明治36年生まれ、このような穏やかな田園地帯で幼少期を過ごし、藤岡中学・第一高等学校・東京帝国大学へと進みました。
大きな地図で見る
今回は徒歩で町内を見学する!藤岡歴史館を出発し町道を北へ、坂道を少し下ると七輿山古墳に着く、案内板(写真付き)で説明文を読み古墳を見学しながら頂上まで登る。また、頂上からは西上州の山々を遠望することが出来ました。
次は宗永寺、古墳から100mほど東にあります。古木が生い茂りひんやりした境内を散策、途中、近くの古墳から出土した舟形石棺が展示されていたのでこれも見学しました。
さて、目的の生家付近へ!北の参道を出て上落合西の信号へゆっくり歩く、途中のコンビニで喉を潤しさらに生家付近へ。すると、お年寄りが一人草刈りをしていたので立ち話をする。(話の内容は上記)生家のあった場所は、ここから300mほど東とのこと、早速生家付近を見学する。
氏が過ごしたのは、明治末期から大正初期とのこと、その頃は今よりも人家が少なく、水田や畑そして森が一面に広がる風景だったと思われます。氏は温厚で実直な人柄だったとか。「このような環境なら」なんとなく納得した郷里への訪問でした。
「 七輿山より北方面の遠景」
道路の先中央の信号機付近が藤岡市上落合 右手奥こんもりした竹林の付近が生家のあった所 (以下の映像は パノラマ化したものです 画像を拡大すると より鮮明にご覧頂けます)
「生家付近より南方の遠景」(中央右手が七輿山古墳)
「上落合の信号より北方の遠景」
「七輿山古墳」 生家より数百メ-トルの距離 幼い頃の遊び場だったか?
「頂上からは西上州の山脈が」
山脈の左 最も高い所が吉井町の牛伏山付近 牛伏山には「青い山脈」の歌碑があります 西条八十が 牛伏山頂上からの眺望に感動し これを詩にしたのが「青い山脈」だそうです
「こちらも遊び場と思われる 生家より数百メ-トルの距離にある 宗永寺の山門」
「境内」 小説「風立ちぬ 」との接点
秋近い夏、出会ったばかりの「私」とお前(節子)は、白樺の木蔭で画架に立てかけているお前の描きかけの絵のそば、2人で休んでいた。そのとき不意に風が立った。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。ふと私の口を衝いて出たそんな詩句を・・・・・・・
堀辰雄(明治37年生まれ)と堀越二郎(明治36年生まれ)はともに東京帝国大学へ進学、同じ時期に同じ大学に在籍した。また、寄宿舎名簿には両者の名前が載っていたと聞く。二人に接触が有ったかは分からないが、お互いに顔は知っていたのではないでしょうか。
ところで、「風立ちぬ」は作者本人の体験をもとに執筆されたと聞く。文中に「私とお前(節子)が初めて会ったのは長野県の軽井沢」とあります。軽井沢は浅間山のふもとにあり白樺林が続く高原の町です。ここ上落合の丘の上からも浅間山がよく見えます。また、藤岡駅から軽井沢駅までさほど遠い距離ではありません。 地理的にも何か因縁がありそうです!
「宗永寺山門の南の丘より遠望(左下に寺の屋根 右奥が赤城山)」
この丘からは 赤城 榛名 妙義の上毛三山 浅間山 谷川岳が一望出来ます
「生家付近」
堀越二郎の生家付近の映像です 左手奥に竹林があり そのあたりが生家のあった場所だそうです この道を真っ直ぐ行くと藤岡市の市街地 そして(旧)藤岡中学がありました
「南方面の山脈」
右奥に 日航ジャンボ機墜落事故現場 御巣鷹山があります
藤岡歴史館企画展
堀越二郎の軌跡 開催期間 7月13日(土)より9月8日(日)
藤岡歴史館では、藤岡市制施行60周年記念イベントとして企画展を開催します。(入場料無料 開催時間 午前9時より午後5時(最終入館午後4時まで))
ポスタ-に次のイベントが掲載されていました(内容要約)
7月27日(土) 夏休み親子航空教室 「要予約」
親子で工作をしながら飛行機が飛ぶ原理などをわかりやすく解説し、夏休みの体験、親子の思い出づくりを通じて、飛行機の面白さや空への想いのきっかけをつくります。
講師:東京大学大学院鈴木真二先生 補助:大学生、専門ボランティア
「午前」対象:幼児~小学校3年生 「午後」対象:小学校4年生~中学生
7月28日(日)紙ヒコ-キ大会 「要予約」
(会場:毛野国白石丘陵公園)
参加者が作成した紙飛行機の飛距離を競います。
〇風立ちぬ部門 映画で登場した紙飛行機の飛距離を競います。
〇自作紙飛行機部門 自慢の紙飛行機で飛距離勝負。
〇美しい紙飛行機部門 見た目勝負。飛ばなくてもOK。
こちらは 藤岡歴史館正面玄関です
零戦の主任設計者 堀越二郎の郷里
映画のように白い雲と青い空があった
堀越二郎の郷里再訪問(平成26年9月23日(火))
藤岡歴史館を訪ねる。ロビ-には企画展に使用したパネルが3枚、ノ-ト、日本航空学会誌が展示されていた。つづいて、七輿山古墳付近から生家跡付近を撮影する。中央の竹藪あたりが生家跡。
生家付近を訪ねる。石垣の途切れたあたりが生家跡らしい。石垣は落合代官所跡地の一部。
堀越二郎の郷里を訪ねて(平成25年6月30日(日))
生家のあったこの地域は、西北に鏑(カブラ)川が東には鮎(アユ)川が流れ、南には関東山地が迫るなだらかな丘陵地帯となっています。また、この丘陵地帯は、土地が肥え水に恵まれていたため、遙か昔より人が定住しており、大きな古墳が点在し各種遺跡が多数残っています。
信号機付近(上落合)で出会った地域の古老は、「二郎さんは自分よりかなり年上ですが、温厚で大変優秀な人でした。」と話していました。氏は明治36年生まれ、このような穏やかな田園地帯で幼少期を過ごし、藤岡中学・第一高等学校・東京帝国大学へと進みました。
大きな地図で見る
今回は徒歩で町内を見学する!藤岡歴史館を出発し町道を北へ、坂道を少し下ると七輿山古墳に着く、案内板(写真付き)で説明文を読み古墳を見学しながら頂上まで登る。また、頂上からは西上州の山々を遠望することが出来ました。
次は宗永寺、古墳から100mほど東にあります。古木が生い茂りひんやりした境内を散策、途中、近くの古墳から出土した舟形石棺が展示されていたのでこれも見学しました。
さて、目的の生家付近へ!北の参道を出て上落合西の信号へゆっくり歩く、途中のコンビニで喉を潤しさらに生家付近へ。すると、お年寄りが一人草刈りをしていたので立ち話をする。(話の内容は上記)生家のあった場所は、ここから300mほど東とのこと、早速生家付近を見学する。
氏が過ごしたのは、明治末期から大正初期とのこと、その頃は今よりも人家が少なく、水田や畑そして森が一面に広がる風景だったと思われます。氏は温厚で実直な人柄だったとか。「このような環境なら」なんとなく納得した郷里への訪問でした。
「 七輿山より北方面の遠景」
道路の先中央の信号機付近が藤岡市上落合 右手奥こんもりした竹林の付近が生家のあった所 (以下の映像は パノラマ化したものです 画像を拡大すると より鮮明にご覧頂けます)
「生家付近より南方の遠景」(中央右手が七輿山古墳)
「上落合の信号より北方の遠景」
「七輿山古墳」 生家より数百メ-トルの距離 幼い頃の遊び場だったか?
「頂上からは西上州の山脈が」
山脈の左 最も高い所が吉井町の牛伏山付近 牛伏山には「青い山脈」の歌碑があります 西条八十が 牛伏山頂上からの眺望に感動し これを詩にしたのが「青い山脈」だそうです
「こちらも遊び場と思われる 生家より数百メ-トルの距離にある 宗永寺の山門」
「境内」 小説「風立ちぬ 」との接点
秋近い夏、出会ったばかりの「私」とお前(節子)は、白樺の木蔭で画架に立てかけているお前の描きかけの絵のそば、2人で休んでいた。そのとき不意に風が立った。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。ふと私の口を衝いて出たそんな詩句を・・・・・・・
堀辰雄(明治37年生まれ)と堀越二郎(明治36年生まれ)はともに東京帝国大学へ進学、同じ時期に同じ大学に在籍した。また、寄宿舎名簿には両者の名前が載っていたと聞く。二人に接触が有ったかは分からないが、お互いに顔は知っていたのではないでしょうか。
ところで、「風立ちぬ」は作者本人の体験をもとに執筆されたと聞く。文中に「私とお前(節子)が初めて会ったのは長野県の軽井沢」とあります。軽井沢は浅間山のふもとにあり白樺林が続く高原の町です。ここ上落合の丘の上からも浅間山がよく見えます。また、藤岡駅から軽井沢駅までさほど遠い距離ではありません。 地理的にも何か因縁がありそうです!
「宗永寺山門の南の丘より遠望(左下に寺の屋根 右奥が赤城山)」
この丘からは 赤城 榛名 妙義の上毛三山 浅間山 谷川岳が一望出来ます
「生家付近」
堀越二郎の生家付近の映像です 左手奥に竹林があり そのあたりが生家のあった場所だそうです この道を真っ直ぐ行くと藤岡市の市街地 そして(旧)藤岡中学がありました
「南方面の山脈」
右奥に 日航ジャンボ機墜落事故現場 御巣鷹山があります
藤岡歴史館企画展
堀越二郎の軌跡 開催期間 7月13日(土)より9月8日(日)
藤岡歴史館では、藤岡市制施行60周年記念イベントとして企画展を開催します。(入場料無料 開催時間 午前9時より午後5時(最終入館午後4時まで))
ポスタ-に次のイベントが掲載されていました(内容要約)
7月27日(土) 夏休み親子航空教室 「要予約」
親子で工作をしながら飛行機が飛ぶ原理などをわかりやすく解説し、夏休みの体験、親子の思い出づくりを通じて、飛行機の面白さや空への想いのきっかけをつくります。
講師:東京大学大学院鈴木真二先生 補助:大学生、専門ボランティア
「午前」対象:幼児~小学校3年生 「午後」対象:小学校4年生~中学生
7月28日(日)紙ヒコ-キ大会 「要予約」
(会場:毛野国白石丘陵公園)
参加者が作成した紙飛行機の飛距離を競います。
〇風立ちぬ部門 映画で登場した紙飛行機の飛距離を競います。
〇自作紙飛行機部門 自慢の紙飛行機で飛距離勝負。
〇美しい紙飛行機部門 見た目勝負。飛ばなくてもOK。
こちらは 藤岡歴史館正面玄関です
つづく
コメント
コメント一覧 (1)
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事におけるJAL123便の元気な生存者が、日本の埼玉県警察の警察官(日本語で おまわりさん?)らの手により
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した
一方、救助に奔走したのは米国のみであった