日本のポンペイ金井東裏遺跡!発見から現在までの発掘調査経過 榛名山と二ツ岳 雪の谷川連峰(群馬県庁より撮影) 
榛名山3

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注 上図マップの説明 ブル-シ-ト等南北5区画が発掘場所。中央区画南地点で、人骨や甲・かぶと等が出土。最北区画で古墳出土。最南区画で人と馬の足跡が確認された。
注 上写真の説明 写真中央から左へ水沢山、二ツ岳、相馬山、榛名富士 山の右すそ野が発掘場所

完全武装の武人は、火砕流に向かって倒れていた。恐れを知らない勇者なのか?家族を守ろうとした優しい父親なのか?そして何者なのか?成人女性・幼児・乳児との関係は?1500年前の古墳時代にタイムトラベルし、この謎を推理してみませんか!
平成24年 9月     
国道353号金井バイパス(上信自動車道)の建設に伴い発掘調査を開始。  
平成24年11月19日 甲を着た古墳人(1号人骨、1号甲)、乳児の頭の骨(2号人骨)を発見する。
平成24年12月     1号人骨の周辺から別の甲(2号甲)および鉄鏃・矛を発見する。
平成24年12月12日 発掘現場が一般公開され、2,635人が見学をする。
平成24年12月13日~14日 人骨等を発泡ウレタンで保護し、県埋蔵文化財事業団に移送する。
平成24年12月20日 3号人骨を発見。さらに、翌年1月にかけて発掘される。
平成25年 2月     甲を着た古墳人の詳細な調査を開始する。
平成25年 3月 3日~8日 甲を着た古墳人を一般公開、8,306人が見学に訪れる。
平成25年 4月23日 人骨から約110m南の同時期の地層で、人の足跡115個、馬の蹄跡29個発見、長さ11㎝~25.5㎝で素足で榛名山に背を向け歩いていた。その他、円墳、土器を集積した祭祀跡(土器300点以上出土、土器内部に管玉、ガラス丸玉等あり)も発見した。
円墳(直径16m高さ1.6m)には、埋葬施設が南北に並んで2カ所あり、南側が大型で鉄剣と大刀が出土、北側は小型でガラス製の勾玉と小玉が出土し埋葬者は男女が予想される。
平成25年4月24日  1号人骨の大腿骨が約43㎝と確認され、身長を約163㎝と推定したと発表。
平成25年 4月26日 3号人骨が
首飾りを着けた成人女性身長約143㎝あると発表。
平成25年 5月     甲を着た古墳人の北西約30メ-トルで4号人骨を発見する。
平成25年 8月15日 4号人骨が幼児、性別は不明であることを発表。女性と幼児は歯が残っているのでDNA鑑定をする予定。
平成25年10月21日 赤色顔料の「ベンガラ」を団子状にした赤玉(5.5~8㎝、350~400g)100点と青銅製の乳文鏡1枚(5.68㎝、26.4g)が出土したと発表した。
平成25年11月3日 事業団は、1号人骨の頭骨の下の土の中から鉄製のかぶと(横矧板鋲留衝角付冑・ヨコハギイタビョウドメショウカクツキカブト)を新たに確認したと発表した。(4日報道)これは、頭骨のCTスキャン撮影の結果判明した。かぶとは高さ13㎝、前方部がとがった楕円形(25×20㎝)で、後頭部に短冊状の鉄製の「しころ」が付き、左右の頬あては内側を向いていた。太田市出土の国宝「埴輪 桂甲の武人」によく似ている。 
 また、撮影画像から上下の歯が残っていることも確認されDNA分析が行われる。さらに、新たな円墳(直径8.3m高さ0.8m)も出土した。
平成25年11月9日 事業団において
「かぶと」のCTスキャン撮影結果(ビデオ映像・写真画像)が一般公開された。
平成25年12月4日 事業団は1号人骨の北西約70mの火山堆積物の中から馬を装飾する馬具「剣菱形杏葉ケンビシガタギョウヨウ」が出土したと発表した。(5日報道)事業団では、杏葉を着けた馬が1号人骨と同時に火砕流で被災、馬具が馬から外れたものと推測している。
平成25年12月18日 甲を着た古墳人が、小学館の漫画雑誌「ビックコミック」最新号に掲載の人気作「
宗像教授シリ-ズ スサノオ最後の戦い」あの男が帰ってきた!!“日本のポンペイ”の謎に挑むため――!?・・・・・ で漫画化された。(作者星野之宣氏)
平成25年12月20日 2号甲の内部から、骨製「小札の短冊状板」を発見したと事業団が発表した!
 小札は長さ6.6㎝、幅3㎝、厚さ数ミリ。それぞれ複数の穴が開けられており、数十枚が3段に連なる状態だった。CTスキャン解析で確認され、火山灰を取り除き発見された。実際の武具としては機能しないが、権威者の象徴として使われた可能性がある。
平成25年12月27日 群馬県知事、金井東裏遺跡の現地保存を表明。遺跡一帯は上信自動車道の 建設予定地であるが、史料価値の高い人骨や古墳が見つかっていることから保存の必要性を表明した。 陸橋を造り遺跡の上に道路を通す見込み。
平成26年1月11日報道 事業団では、同館内で公開している、「甲を着た古墳人」のレプリカ等を初めて県外で公開する。2月に埼玉県東松山市の大型ショッピングセンタ-で開かれる埋蔵文化財展に出展する。また、甲を着た「群馬ちゃん」のイラストも作成予定。
平成26年3月8日~10日報道 事業団では人骨の歯のDNA分析を開始すると発表した。人骨の由来が日本か朝鮮半島か、判明する可能性がある。さらに、骨から試料を採取し分析する方針で、当時食べていた食料も解明されるかもしれない。
 また、甲に付着していた繊維は組紐のような物と判明、さらに、甲の内部から刀子と砥石が発見されたとの情報があった。
平成26年8月19日報道 人骨発見場所から南へ400mの金井下新田遺跡で、製鉄遺跡を発見したと事業団が発表した。
 この遺跡は5世紀後半のもので、住居床面の中央部に炉の跡や製鉄で使う「ふいご」と呼ばれる器具の一部などがあり、製鉄が行われていたと見られている。当時の最新技術である「馬の生産」や「製鉄」が行われていたようで、この地域での新たな発見が期待される。
平成26年10月29日報道  
よみがえれ古墳人 東国文化発信事業「国際シンポジウム」の開催
  「甲を着た古墳人」の発見で話題となった金井東裏遺跡には、当時の人々の生活や社会を物語る、多くの情報が秘められていました。さらに、詳細な調査を進める中で、当時の国際交流の様相を色濃く示す資料が、数多く含まれていることがわかってきました。甲を着た古墳人は、当時の東アジア世界の交流を物語る証人でもあったのです。
 今回の事業では、文化庁補助金(地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業)を活用し、文化庁長官である青柳正規氏をはじめ、日韓で活躍する著名な研究者をお招きし、県内と東京都内において2回の国際シンポジウムを開催します。
群馬会場 
 開催日時:2014年12月6日(土)9:10~17:20(開場8:40)
 会場:群馬会館・ホール(前橋市大手町2-1-1) 電話:027-226-4850
東京会場
 開催日時:2015年1月17日(土)9:30~17:00(開場9:10)
会場:銀座ブロッサム中央会館・ホール(東京都中央区銀座2-15-6) 電話:03-3542-8585
平成26年11月27日報道   よろい人骨は「渡来系」 別地域から移住してきた
 男性の骨や歯を分析した結果、九州や近畿地方で出土している、渡来系の顔立ちの人骨に似ていることが判明した。また、男性は幼児期に群馬より古い地質の別の地域で育ったとも見られている。弓を引くための腕の筋肉や乗馬に使う足の筋肉も発達していたという。 
   男性の近くで発見された、成人女性の骨も分析された。こちらは、国内の遺跡から出土する人骨の顔立ちであるが、男性と同じように群馬より古い地質の土地で育った経産婦だったとみられる。
 事業団では、人骨のDNAや食性の分析を進めており、今後、出生地や食生活などが判明する可能性がある。
平成27年3月4日報道   最新情報「顔面の骨を復元 渡来系の形質が確認された」 
  よろい人骨は弓を使い、乗馬が出来た40歳代前半の男性で、身長は1m64㎝。顔面の骨を復元したところ、面長で、鼻が細いといった渡来系の形質が確認された。また、育った地質を反映する歯のエナメル質を分析すると、岐阜から近畿などに多い地質で育ったと判明、群馬との距離を考えると、特に長野県の伊那谷周辺で幼少期を過ごした可能性が浮上した。
 もう一つの女性の人骨は、30歳代後半の経産婦で、渡来系の形質はなかったが、男性と一緒に幼年期を過ごしたとみられる。よろい人骨の集団は、渡来系と現地住民の混成で、伊那谷付近で長く馬の生産に従事し、全体かその一部が5世紀後半に群馬の地に移住したものと推測される。
平成28年5月12日報道   事業団は金井東裏遺跡の南に隣接する金井下新田遺跡で古墳時代の地域首長の祭祀遺構を発見したと発表した
 
遺構は囲い状で一辺約55mの四角形、高さ約3m厚さ約30㎝網代垣が火砕流でなぎ倒され、蒸し焼き状態で見つかった。住居跡や土器類も見つかっており、祭祀遺構と「甲を着た古墳人」との関連の解明が注目される。
平成28年7月23日  群馬県立歴史博物館 リニュ-アルオ-プン
 
オ-プンを記念して、特別展示「群馬県古墳総合調査と金井東裏遺跡」が開催されています。
 古墳総合調査とは・・・
  昭和10年に、群馬県が県内の古墳の全部調査を行いましたが、今回は約80年後の平成24年から平成28年にかけて、昭和10年の調査を上回る規模で全部調査が実施されたものです。昭和10年には、県内で8,423基の古墳が確認されましたが、今回は約14,000基の古墳が確認されました。今後この成果のデ-タをデジタル化しネット上に公開される予定とのことです。
 
金井東裏遺跡特別展示内容・・・
 金井東裏遺跡の概要や「甲を着た古墳人のレプリカ」、さらに希少資料の鹿角製小札(ロッカクセイコザネ)の関係資料が展示されています。
 人骨発見からの経緯や評価が、約30分のビデオにまとめられ放映されているので、興味のある方は見学されると良いでしょう。
平成28年11月17日報道  金井下新田遺跡で馬の頭骨などが見つかる
 金井下新田遺跡で、6世紀初頭の榛名山噴火による火砕流で埋没した場所から、横たわった馬2体の胴体部分の土が変色し、輪郭が分かる状態で見つかった。頭骨や四肢骨の一部も残っていた。16日に発表した県埋蔵文化財調査事業団によると、古墳時代で馬の形が分かるような跡の出土は全国でも珍しい。 2体は同じ竪穴建物跡で見つかった。

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私の推理
二ツ岳の状況・・・・・雲仙普賢岳を例に取ると、噴火から大規模火砕流発生まで約6ヶ月、その間小規模なものを含めると火砕流は約9,400回発生したそうです。二ツ岳から発掘現場まで直線距離で約8.5㎞、遺跡周辺の住民は火山の噴出物が落下し小規模火砕流が発生する中、被災の恐怖や避難判断で混乱状態だったと推測されます。
甲を着た古墳人の立場・・・・・甲・かぶとを身に着けて武器を持つからには、地域のリ-ダ-であり治安を維持する立場の人物と思われます。混乱状態の地域で盗賊等の略奪阻止や住民の避難指示を最後まで行っていたのではないでしょうか。火砕流が迫る極限状態の中、妻子を守ろうと溝の中に逃れたが、不幸にも家族全員が火砕流の犠牲になってしまった。
                                                                                 火山灰を取り除き 甲を着た古墳人を一般公開
 平成25年3月3日県埋蔵文化財事業団において、詳細な調査を進めていた甲を着た古墳人とその他の遺物を一般公開した。
詳細写真 右前方より撮影 左腕 指 頭骨が確認出来る 頭骨の下 両手の間にかぶとを確認

人骨修正1
右後方より撮影 大腿骨が確認出来る 両手 両足を付き うつ伏せの状態
人骨修正2
左前方より撮影 右上腕 指先 が確認出来る
公開右側面

国内初甲を着けた人骨 発掘現場が一般公開された
 平成24年12月12日の1日だけの公開とあって大勢の人が見学した。榛名山は6世紀に2回大きな噴火をしており、人骨は軽石層と火山灰の下3mほどの地中から出土していた。
地表よりかなり深い場所なので驚いた 地層の写真
軽石層
上下の写真を比較すると 火砕流堆積物の中から発見されたのがわかる
発掘現場1
さらに前方よりの写真
全体
1号人骨 1号甲 後日のCTスキャンで小札甲と確認された
鎧北
多数の鉄鏃が出土した
鉄鏃の矢
火山灰が取り除かれた鉄鏃
公開鉄鏃
発掘現場全体の写真 
現場説明会
発掘現場周辺の映像 拡大してご覧下さい
左端の建物の裏が古墳発掘現場
中央が1~4号人骨 1~2号甲等の発掘現場
右端ブル-シ-トの先が 足跡等の発掘現場
正面右の山が赤城山
発掘現場

つづく