<$BlogTitle ESCAPE$> - livedoor Blog(ブログ) <$OGP$>
Dr.本田のひとりごと(82)



JAIH地方会 マイノリティと健康での5人2014
JAIH地方会 マイノリティと健康での5人 2014年5月、
NGOシェアの主催で開かれた東日本地方会「マイノリティと健康 ― いのちの格差を縮める」の懇親会での集合写真。
左から、冨田茂、沢田貴志、本田徹、陳天璽(無国籍ネットワーク代表)、長純一。(敬称略)



疾走する魂の戦士 ― 長純一さんへ
    本田 徹



君はいつも全力で走り続けてきた。

重い病を得た今も、なまなかの患者とはならず、

自分たちが苦闘の上築き上げようとしてきた、

東北の地の、隅々までとどく医療の仕組みが、

自分にはどう適用されるのか、真摯に知ろうとする。

骨の髄までの、臨床医魂!

その仕組みが、どう働き、どうつながり、

あるところでどう蹉跌するのか、

冷静に見届けることを望む。

そこに注がれる君の視線は、

あくまで熱く、そして冷たいものだ。

自分を突き抜け、自分を越えていくものに、

無念と希望と、心からの贈る言葉を託しながら。

小さな会釈と、いつもの君の はにかんで、

いっぱいの矜持を含んだ笑みと、

優しい、やわらかい、確かな力で握り返す手とで。

信州を、神戸を、石巻を、疾走しつづけた、

勇気ある、いのちの戦士。

まだ休んでなどいられるか、という、

君のつぶやきが、僕の耳朶を打つ。

すこし離れた福島の緑一面の山の村から、

君に、心からのエールを送る。

(2022年6月22日)


---------------------

注)長純一さんが、6月21日の自身の56回目の誕生日に発表された、末期のすい臓がんであるとの、病床からのリアルタイムの動画発表は、多くの友人仲間に衝撃と感動を与えました。同時に、彼が東日本大震災以降、宮城県・石巻の地で確立に取り組んできた包括的地域ケアのシステムについて、消化器疾患を専門とする総合診療医としての彼が、このようながんに罹り、そのシステムの恩恵を受けることになった運命の転変を、素直に感謝し、受容していることに、潔さを感じたのでした。私のつたない詩はそうした彼の勇気ある行動へのオマージュとして、会見後に書いたものです。友人であり、佐久病院の同窓生でもある、長さんの、穏やかな日々を心からお祈りします。
---------------------



***


「Dr.本田のひとりごと」は、引き続きnoteで配信します。

シェアのスタッフブログページ

***




このエントリーをはてなブックマークに追加

日本の皆さん、こんにちは。私たちは東ティモール事務所のライムンドとアラオです。私たちは事業が開始されてから3年間、船舶に関する活動を担当してきました。船舶がいよいよシェアから保健センターに移譲されることになり、盛大に式が執り行われました。その様子を今回はレポートさせていただきたいと思います。

202206_7
移譲式始まります!

2
ライムンドが司会をしました


大変だった移譲までの道のり

2020年2月、日本から一隻の船がやってきました。私たちの事業地であるアタウロ島は、電気や道路などのインフラが整っておらず、住民が病気になった際、簡単に医療施設へアクセスすることが難しい現状があります。
私たちが一緒に事業を行っている保健センターは、月に一度、医療者たちが住民と協力し医療施設へのアクセスが難しい村や集落に対し、移動診療を行っています。過去には船舶を利用した移動診療を行っていましたが、船舶の維持管理がうまくいかず、移動診療を中止しなければならない年が長く続きました。船舶の利用は保健センターにとっても運用が難しいもののようでした。
そこで、シェアは船舶1艇の支援と維持管理トレーニングを実施することで、移動診療が長期的に継続して行われることを事業の中で目指しました。

3
ディリ港に到着した船

4
到着した船を使って、移動診療へ!

事業期間中は、シェアが中心となって船舶の管理を行いました。保健センターが船舶を必要とする活動を実施する際は、3日前には船舶利用のリクエストレターをシェアへ提出(何の目的で、誰が何人乗船し、何時に出発するのかを記載)するという約束でした。しかし、保健センターの上部組織である保健局や保健省からの突然の申し入れがある場合など、急に依頼が来るのが当たり前で、私たちが優先すべき活動もあるため、調整が難しいことがたくさんありました。
船舶利用のリクエストにこたえられない場合は、私たちスタッフがリクエストを言ってきた人と、根気よく話し合いもしました。時には、大雑把に船舶を利用しようとする保健センタースタッフに対して、イライラしてしまうこともあったほどです。
3年間を通して、保健センターや保健省と関係構築をすすめ、維持管理の仕組みづくり・技術向上、予算確保、船頭の育成など移譲のための準備を行い、ついに船を引き渡せる状態にまでなりました。

5
移動診療に出かけると、多くの住民が診察の開始を待っています

202206_6
移動診療の様子

船舶の移譲のための式典

4月25日、遂に移譲の日がやってきました!
東ティモール保健省大臣、在東ティモール日本国大使館の大使も参加してくださり、盛大に式が執り行われました。
私が一番感動したのは、保健省大臣からの言葉です。オデッテ大臣は「今日、この日に移譲された船舶に対し、私たちは最大の責任感を持って管理していかなければなりません」と関係者全員に対して言っていました。「アタウロは今年一つの県となりましたが、日本の皆さんから支援していただいたこの船舶を守るため、また住民が健康になる活動を行っていくために、私たち皆が継続して協力していく必要があります」と。
また「20年にわたる日本政府からの支援、そして、これまでのシェアの支援に対しても感謝している」とメッセージをいただきました。

1
保健大臣からのメッセージ 「一丸となって船の管理を続けていきます!」

日本国大使館の杵淵大使からは、「アタウロ島の住民の健康を守るために、船舶がこれからも長く安全に利用されること、またその際はシェア が作成し、保健省からの承認を得た船舶管理ガイドラインに沿って、正しく維持管理されていくことを希望している」とテトゥン語で挨拶をしてくださいました。
最後には、私たちの祖国、東ティモールの独立20周年と日本と東ティモールの関係が20年を迎えることに対して、お祝いの言葉もいただきました。

式典の中で私が驚いたのは、私たちがこれまでに船舶管理トレーニングを実施してきた船頭に対し、保健省との職員契約が交わされたことです!
杵淵大使も船頭がサインするところを見守ってくださいました。
事業の初期にはシェアの職員として勤務し、事業終了後に保健センターの職員となることが計画されていましたが、この話がうまく進むか不安だったのです。たくさんの人に見守られながら契約書にサインした船頭である彼が、これからも健康を守る船を守っていってくれるだろう、と私は確信しました。

202206_8
日本人船舶専門家からの指導を受けている船頭のアグストさん(船頭への船舶維持管理訓練時)

202206_00
職員契約を交わす 船頭のアグストさん

アタウロでの説明会

保健省に移譲された船舶はアタウロに渡り、移譲式の翌週には、アタウロで船舶譲渡の説明会が行われました。この目的は、アタウロ保健センターに移譲された船舶を、アタウロ在住の人々が自分たちの健康を守るために利用される船であり、これからはアタウロに住む人々全員で船を守っていく!と認識してもらうためです。

アタウロでの説明会は私、アラオが担当し、3年間の事業の中でシェアが実施し、達成できたことについて報告しました。私が嬉しかったのは、今回の式に参加した村長から、シェアにもっと長い期間事業を実施して欲しいという声を聞けたことです。これまでの事業の中で、大変なこともありました。けれども、自分たちを必要とする声、そして、シェアの良さを認識している人、シェアの事業によって健康になった人がこの島にたくさんいる、と知ることができました。

202206_10
アタウロでの説明会では、アラオが司会進行を務めました

また、式の中で、アタウロ保健センター長が、「シェアが作成した船舶管理ガイドラインに従い、定期的に船のメンテナンスを行うなど、船を長期的に利用するために遵守しなければならない事を、私たちも守っていきたい」と発言してくれました。そして、何より、今回の式に参加したすべての人から、「シェア、ありがとう!!」とたくさん言ってもらえたのが何よりも嬉しく、私は誇りに感じました。

202206_11
保健センター長、保健局で実施した維持管理会議のときも、
「私たちの責任で今後船を運用していきます」とお話してくれました

船舶とシェアの関係はこれで終わりではなく、これからも運用サポートを行うために続いていきます。船が長く利用され、人々の健康を守っていってくれますように。私たちはこれからも保健センターと共に活動していきます。

これまで私たちの活動、特に船舶の活動を応援してくださっていた皆さん、本当にありがとうございました。そして、これからも応援してくださいね。

アタウロでの私たちの活動はまだまだ続きます!住民の皆さんがまた喜んでくれる、そんな事業を行うために、私たちは頑張ります。

202206_12
アタウロ県知事、保健センター長、そして村長、集落長たちと共に。
皆で船を守っていきましょう!




***
シェアはnoteで、スタッフブログを引き続き配信します。
活動地からの配信を楽しみにして下さい〜!

シェアのスタッフブログページ
***



1654657160855-luorQYJZbw
文責:シェア東ティモール事務所 ライムンド・ドミンゴス・グテレス( 左)、
アラオ・シメネス・モラト( 右)

※この事業は、皆さまからのご寄付と、外務省日本NGO連携無償資金協力や民間助成金の資金をいただいて実施しています。
*******************




donation1
このエントリーをはてなブックマークに追加
cb20220524_1

こんにちは、カンボジア事務所の溝口です。4月中旬から日本へ一時帰国をしており、そろそろカンボジアへ戻る日が近づいてきました。先日13日(金)にはオンライン報告会 「駐在員から聴く」〜コロナ禍で生まれた子どもたちの1000日〜を開催しました。ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!

さて、カンボジアでは先月と同様に乳幼児健診を実施しています。今回の乳幼児健診から、5歳未満児の子どもたちが参加しています。元々女性子ども委員会をはじめ、各自治体で扱っている子どものデータが5歳未満児でまとめられていることなどから、今回から5歳までの子どもたちを乳幼児健診の対象とすることにしました。

cb20220524_2

【写真1: お母さんたちが乳幼児健診時に持ってくるイエローカード(子どもの成長曲線やワクチン記録をするためのカード)に成長記録を記入する保健センタースタッフ、ボランティア、シェアスタッフと監督をするモーガン】

乳幼児健診の対象が5歳までとなると、顔ぶれや雰囲気が一気に変わります。シェアが使っている身長計は、寝そべりながら計測するので、2歳以上の大きなお子さんには不向きです。保健センターで使っている起立したまま計測できる身長計を使用させてもらいました。

cb20220524_3
【写真2:保健センターが所持する身長計を使っている様子】


人数が増えたことで、子どもたちやお母さんにとっては待ち時間が増えました。お母さんたちは農作業で忙しい中、時間を作って乳幼児健診に来ています。よく「農作業は時間の融通が利くだろう」「村の人は待つことに慣れている」と思いがちですが、天気を読みながら働いているので、働かなければ作物が駄目になってしまうことがありますし、繁忙期は家族総出で収穫にあたるなど、私たちが想像する以上に過酷で忙しいのです。相手へのちょっとした想像や配慮は、常に忘れないでいたいと思います。

今回、子どもの人数が多く、待ち時間が長かったことで、不満を漏らされる参加者がいたのも事実です。参加者を飽きさせないようにするだけでなく、1村で乳幼児健診の開催を2回に分けるなど、スケジュールの組み方も工夫が必要で、試行錯誤をしながら、引き続き活動を進めていく予定です。

cb20220524_4
【写真3:乳幼児健診に参加する親子】



文責:カンボジア事務所 溝口 紗季子



***
シェアはnoteで、スタッフブログを引き続き配信します。
活動地からの配信を楽しみにして下さい〜!

シェアのスタッフブログページ
***



*****************************
毎月定額募金「いのちのリレー募金」のご紹介

NGOシェアの目指す、現地の人材を育て、地域の課題を根本から解決するためには、
継続した支援活動と皆さまからの息の長いご支援が必要です。
毎月継続してご支援をいただく「いのちのリレー募金」へのお申込みをお待ちしております。
シェアは認定NPOとして登録されており、シェアへのご寄付は寄付控除の対象となります。

いのちのリレー募金についてはコチラ▼

>>>いのちのリレー募金ページへ移動<<<
*****************************


このエントリーをはてなブックマークに追加

日本の皆さん、お元気ですか?東ティモール事務所スタッフのロジーニャです。
今年5月20日は、東ティモールが独立してから20周年の記念日です。独立を達成したあの日からもうすぐ20年。このブログを書く機会に、様々なことを振り返ってみました。読んでくださると嬉しいです。

tl_20220512_1
ロジーニャさん一家(一番右がロジーニャ)


独立までの日々

1999年8月30日の国民投票で「独立」が決定するまで、私たちはインドネシアによる統治時代を過ごしました。国民投票の実施を実現するために多くの人が各地で血を流し、そして亡くなりました。独立から20年が経った現在も遺骨が見つからず、本当の別れを伝えられていない人々もいます。また、独立が決定した直後に起こった独立に反対する民兵団による放火・破壊行為、女性に対するレイプが横行し、癒すことのできない傷を抱えている人もいます。

当時、私は17歳、高校2年生で、私の過ごした村で何が起こっているのかを理解できる年齢でした。学校へは兄妹と一緒に行き、何かあったときには私たちが逃げられるようにと、兄が必ず私たちの前を歩きました。

国際社会が東ティモールの苦しみに気づき、支援を開始してくれるまで長い年月が必要でしたが、2002年5月20日にようやく独立達成の日を迎えることができました。


私の国〜20年の変化

都市部で生活する人々は自国の発展を感じている人もいるでしょう。大きなスーパーが建設され、化粧品や電化製品も、お金を出せば買うことができます。でも、農村部で生活する人々は、独立の恩恵を受けていると感じている人は少ないように思います。村内の道は整備されておらず、清潔な水を蛇口から得る人はほとんどいません。雨水をバケツに溜めたり、川や水源までの悪路を越えて水を汲み、生活用水に使用しています。電気がない生活をしている集落・村もまだまだたくさんあります。

tl_20220512_2
都市部(ディリ市内) ショッピングモール


tl_20220512_3
農村部 村の貯水槽まで水を汲みにくる男の子


首都ディリに住む私にとっても、毎日の出勤に使う道路は排水路の整備がされておらず、雨期になると道路の一面が行き場を失った雨水で覆われ、行き来が難しくなります。自分の若かった頃と比較すると、平和な暮らしを手に入れたことは何物にも代え難い幸せなことですが、道路や給排水など生活基盤の整備に関しては、今後の変化に期待しています。

tl_20220512_4
都市部 雨期になり、冠水している道路


インドネシア統治時代、私の過ごした村にも診療所はありました。助産師はおらず、男性の看護師のみが勤務していたため、母は診療所での出産を拒み、一番下の妹を家で出産しました。出血がひどく、父が助産師を探すのに苦労しました。

現在はその診療所も再建され、東ティモール人の医師、助産師、看護師が勤務しています。村に住む私の妹は以前、家での出産を選択しましたが、その際にも医師が家に訪問し、分娩介助をしてくれたと聞きました。村に住む妊婦さんたちが診療所を利用して無事に子どもが生まれたと耳にすると、20年前との変化を感じ、私は嬉しいです。

tl_20220512_5
診療所で生まれた赤ちゃん


シェアの活動〜これまでとこれから

私がシェアで働いていることもあり、保健分野の発展は、特に身に染みて感じています。各村に診療所が建設され、医療者が必ず配置される仕組みができています。仕事をする上での管理能力や、患者への対応・治療に関しては未だ改善すべき点がいくつかありますが、東ティモール人の医師、助産師、看護師の数が20年前と比較して格段に増えたことは素晴らしい変化です。

シェアでの私の勤務は2009年、エルメラ県で開始しました。当時、住民の保健衛生に関する知識はほとんどなかったと言ってよいと思います。子どもたちは食べ物のゴミをその場で捨て、トイレも至るところでしていたので、寄生虫に感染したり、下痢に罹る子たちが多くいました。

シェアが村の中での保健活動を開始し、20年前と比較して、住民の病気を予防する力がついてきたと感じています。私の家のある集落でも、家庭内にゴミを燃やす箇所をつくり、その場所のみでゴミを燃やしています。そのほかにも、食事の前には手を洗う、1日に2回は水浴びをする、1日に摂取するご飯は栄養バランスよく食べることなど、健康になるために必要な基礎的な知識を住民が得て、それを実践する家庭が増えています。

tl_20220512_6
小学校での「手洗いについて」の啓発活動


tl_20220512_7
住民へ保健促進活動を行う保健ボランティアへの指導


tl_20220512_8
小学校での「下痢について」の保健教育


実際に私が変化を目撃することができたのは、アタウロで家庭訪問をしながら調査をしたときのことです。私たちが学校保健事業の中で伝えた、誰でも簡単につくれる手洗い場 "ティッピータップ″ を家庭でもつくり、実際に使用している様子を見ることができました。その家庭の母親が、「子どもが学校で作り方を学び、手洗いが大切だと私たちに伝えてくれた」と語ってくれました。

13年間のシェアでの仕事に私は誇りを持っています。シェアは住民を想い、彼らの生活を健康にするため、様々な方法でアプローチをしています。シェアスタッフの一員として、今後も「すべての人に健康を!」をモットーにしていきたいです。

tl_20220512_9
調査中に見つけた、家庭につくられた簡易手洗い場



これからの東ティモール〜私の願い

先月4月19日、大統領決選投票が行われました。ノーベル平和賞の受賞者でもあり、元大統領でもあるラモス・ホルタ氏が当選しました。東ティモールに生きるすべての人が、生活基盤を整え、平和で安心した暮らしを手に入れられる、そんな政治を行って欲しいと切に願っています。

日本の皆さんのこれまでの支援に心から感謝し、私は、あの苦しみを乗り越えた一人の東ティモール人として今ある平和を守り、そして、自国の発展のために、できることから少しずつ行っていきたいです。
新型コロナウイルス感染症が収まったら、私の愛する東ティモールに是非一度足を運んでください。



***
シェアはnoteで、スタッフブログを引き続き配信します。
活動地からの配信を楽しみにして下さい〜!

シェアのスタッフブログページ
***



rozina
文責:フレリア

※この事業は、皆さまからのご寄付と、外務省日本NGO連携無償資金協力や民間助成金の資金をいただいて実施しています。
*******************




donation1
このエントリーをはてなブックマークに追加
スオスダイチュナムトマイ!(あけましておめでとうございます!)カンボジア事務所の溝口です。カンボジアでは4月14から16日までの3日間、クメール正月で新しい年を迎えました。カンボジア事務所ではお正月前にお坊さんに来てもらい、スタッフの健康や事務所の繁栄を祝福してもらいました。日本では午前0時の日付が変わると同時に新年を迎えますが、実はカンボジアではその時間が毎年異なります。新年を迎えるときに7人いる女神のうちの一人がこの世へ降りてくると言われていて、今年は午前10時に新年を迎えました。

写真1
【写真1: お正月前のカンボジア事務所。今年も皆が健康でありますように。】

お正月前に年が変わる時刻を20代のシェアのスタッフたちに聞いてみたのですが、スタッフたちは新年を迎える時間を特に気にしてはいないようで、「多分気にするのは親世代の人たちだと思う」と中々現代っ子(?)な答えが返ってきました。それでもクメール正月はカンボジアの人々にとって、家族で過ごす1年の中で最も重要な行事です。

さて、お正月前には乳幼児健診を8村で実施しました。昨年はエンドライン調査を中心に活動していたので、シェアとしては約1年ぶりの乳幼児健診でした。
健診の合間に現地代表のモーガンがお母さんたちの身長測定を行ない、BMIを算出しました。自由参加だったのですが多くのお母さんたちが「測ってほしい!」と列を作っていました。カンボジアでは身分証明カードに身長が記載されているのですが、そこに書かれている身長と違う人もいたようで、びっくりされている人もいました。

写真2
【写真2: お母さんの身長を測るモーガン】

村の保健ボランティアさんたちは、3月に実施された保健ボランティア会議でボディマスインデックス(BMI)計算の仕方を学びました。シェアのスタッフがBMIは身長と体重を使って計算をする肥満度を表わす指標で、適正なBMIを保つためには、定期的な運動や食生活が大切なことを伝えました。保健ボランティアさん一人ひとりがスマホなどの電卓機能を使って、自分のBMIを計算してみました。電卓を使うことに慣れていない人も多いので、最初はシェアのスタッフが付き添って計算し、その後に一人で練習しました。自分で体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)の計算ができるか繰り返し確認をして、計算式を書き留めている保健ボランティアさんもいて、これから村人にも教えていってほしいと思います。

写真3
【写真3: BMIについて学習をする保健ボランティアさん】

お正月も終えて連日30度を超える暑い日々が続きますが、村での乳幼児健診は今後も続きます!

写真4
【写真4: 乳幼児健診に参加する親子。帽子がとっても似合っています!】


溝口は4月19日から日本へ一時帰国をさせていただいています。5月にはオンラインでの報告会を予定しています。詳細はHPやメルマガ等で追ってお知らせします。
このエントリーをはてなブックマークに追加
Dr.本田のひとりごと(82)


honda


「女の平和」とウクライナ戦争
      
         ― ペロポネソス戦争を鏡として ー




1.不幸で、不当な戦争の始まり

 プーチン大統領の声明により、ウクライナ戦争(彼は「特別軍事作戦」と呼び、「戦争」という表現をロシア国内で禁じています)が始まった2月24日から、この文章を書き始めた4月12日時点で、すでに一カ月半以上が経過し、戦争は国外避難民だけで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)よると430万人以上を生み、第二次大戦後のヨーロッパで起きた最大級の悲劇となりました。これに、推定することの難しい国内の避難民を加えると、国民の半数近くが、故郷を追われて命からがら、シェルターを求めて移動している可能性もあります。単に失われた人の命の数だけでなく、国土や資産、自然環境、生物界に与えた甚大な被害を思うと、本当に悲しく、暗澹たる気持ちとなります。
もちろん、非は一義的には、明白な証拠提示や外部からの独立調査や検証のないまま、東部の自称およびロシア承認の独立「国家」、ウクライナ領内ドンバス地方の2州の住民が、ウクライナ軍によって多数殺傷されている、という理由を振りかざして、従属国とも言うべき、独裁国家ベラルーシュ側から一方的に軍事侵攻に踏み切った、プーチン大統領とロシア軍側にあることは間違いありません。また、陸上戦で苦戦を強いられ、北部戦線から撤退したロシアの残虐な破壊の跡、ジェノサイド的行為も次々と明らかになるにつれ、この戦争がもともと無理筋で、まったく道義を有しないものだったことが、立証されてきています。


2.ソ連邦崩壊後のNATO(北大西洋条約機構)のレゾンデートル(存在理由)

 ただ、ロシアだけを責めれば済む話なのかというと、私はそうではないと思います。第二次世界大戦の惨禍に学び、また東西冷戦終結後の、ヨーロッパの新秩序形成の過程で、軍事同盟的なものだけで、世界の平和を維持・管理していくやり方を改めるべきだという流れ、つまりゴルバチョフの言う「新思考」も働いていたはずでした。なによりも、ゴルバチョフは、核戦争を絶対に防がなければならないということを、イデオロギーの対立を超えて重視していました。東西融和の流れの中で、1998年から2013年までは、G8という形で、ロシアが、日本を含む西側の「先進国」による、年1回持ち回り開催のサミットに招かれていた時期もあったのです。1991年のソ連邦の終焉とともに、ワルシャワ条機構が崩壊し、NATO(北大西洋条約機構)のみが力を増すという、著しい力の不均衡を生んだことは、不幸のはじまりでした。

ゴルバチョフ氏は2018年出版の『変わりゆく世界の中で』(副島英樹訳・朝日新聞出版)と題する回想録の中で、1990年当時の米国外交の最高責任者、ベーカー国務長官との会談における彼の発言を引用しています。
「もし米国がNATOの枠組みでドイツでのプレゼンスを維持するなら、NATOの 管轄権もしくは軍事的プレゼンスは1インチたりとも東方に拡大しない、との保証を (ソ連が)得ることは、ソ連にとってだけでなく他のヨーロッパ諸国にとっても重要なことだと、我々は理解しています」

当時ベーカー氏も、東西冷戦の終結という果実を大切にしていくため、これ以上のNATOの拡大はしないことが、互いの信義を守るために必要だと考えていたのです。しかし、こうした良識的な意見は、その後ほとんど西側で顧みられず、ロシアを仮想敵とした、軍事的なBuild-upは着実に進められていきます。NATOが軍事同盟として生き延びていくためには、だれに対して同盟するのか、という敵対者、「かたき役」の存在がどうしても必要でした。それがソ連の後継国家ロシアだったのです。もちろん、ロシア国内での民主化の停滞や逆流も、西側の警戒心を搔き立てたことでしょう。いずれにしても、ソ連邦崩壊時16カ国だった、NATOは徐々に拡大し、今や30カ国になり、ウクライナの加入も将来的には約束されていました。バルト三国にとどまらず、ウクライナまでNATOに加盟することになれば、ロシアは直接国境を挟んでNATO諸国と軍事的に対峙することとなり、著しい緊張と不信をロシア側に与えることになるのは、十分予想されることでした。結果、ベーカー氏が東西両ドイツの統一の対価として、ソ連に約束していたことを裏切る状況を、米国とNATOは創りだしてしまったわけです。

NATO東方拡大東京新聞224.9
 図1.NATOの東方への拡大(出典:東京新聞2022年4月9日記事)

 ゴルバチョフは同じ回想録の中で、「もしソ連邦が維持され、すでにソ連と西側の間にできていた関係が保たれていたら、NATOの拡大は起きなかっただろうし、双方は別の形で欧州安全保障システムの創設にアプローチしていただろう」という、口惜しさをにじませる言葉も残しています。
軍事同盟の本来の目的は、敵陣営との間の一種の「恐怖の均衡」、相互抑止力によって、リアルの戦争に進まないようにしておくことのはずです。それができなかったことは、核が兵器として使われ得る21世紀の現代においては、軍事同盟の失敗を意味します。ウクライナ戦争を見ていて強く思うのは、「寸止め」の自制が、対立する両者の間で効かなくなっていることです。

女の平和 岩波 高津訳 カバー
写真2.アリストパネース「女の平和」(高津春繁訳・岩波文庫)カバー


3.現代への啓示としてのペロポネソス戦争とアリストパネース「女の平和」

 そこで、歴史の教訓として想起したいのは、古代ギリシャ世界を2分する大戦争となったペロポネソス戦争(BC431-404年)です。抜群の海軍力を駆使してペルシャ戦争の天王山となったサラミスの海戦(BC480年)を勝利に導き、新興覇権都市国家となったアテナイは、その後海外への植民や侵略を重ねて、領地、属国を増やし、次第にこれまでのギリシャ全体の指導者だったスパルタの地位を脅かすようになります。  
スパルタ率いるペロポネソス同盟と、アテナイ率いるデロス同盟との、熾烈な戦闘と交渉の軌跡は、トゥーキュディデースの『戦史』(久保正彰訳・岩波文庫)に詳細かつ迫真の筆致で描かれています。とくにアテナイの軍事同盟が従属国に課した船舶建造の分担金や上納金は重く、従わなければ、厳しい制裁を受け、ときにはアテナイからの侵略の結果、住民は奴隷として売り払われ、アテナイの息のかかった新しい植民者によって、領土が奪取されてしまうといったことがしばしば起きました。また、両大国のご機嫌をうかがいながら、どちらの陣営に属するか決めかねたり、勝ち馬に乗り換えたりと言った悲喜劇が、あちこちの小都市国家で起きました。
 結局、アテナイがBC415年に始めた二次にわたるシシリア遠征が大失敗に終わり、自慢の海軍も壊滅的な打撃を受け、ペロポネソス戦争の帰趨を決することになります。これ以降、アテナイは往年の輝きを失い、徐々に没落していきます。それとともに、デロス同盟の加盟国が次々とアテナイを見限って脱退していくことになります。

 アリストパネースの最高傑作『女の平和』(リューシストラテー)は、BC411年、つまりアテネにとっての絶望的とも言うべき、シシリア遠征大敗北後の時代背景の中で初演されたのでした。この劇作の原題、リューシストラテーは、主人公の女性の名であるとともに、リューシス(解体)とストラス(軍隊)の合成語で、「軍隊を解散させた女」、の意味になります。
 夫である人を含め、アテナイの男たちがいつまで経っても泥沼のような戦争を止めようとしないことに腹を立てた、リューシストラテーは一計を案じ、仲間の女性たち、さらにはスパルタの女性たち、とくにスパルタ(ラコーニア)の女性リーダー、ラムピトーにも連絡を取り、あることを実行に移します。


ラムピトー 私はね、平和が見えるというのなら、ターユゲトス(スパルタ一の高い山)の頂上にだって行くわよ。
 リューシストラテー 話すわ、これはかくしておくべきではありませんからね。皆さん、わたしたちは、もし男たちに平和をどうしても結ばせようと思うなら、清浄に保たれなくてはなりません。
カロニーケー 何から? 言ってよ。
リューシストラテー あなたがたやる?
カロニーケー やりますってさ、たとえ死ななくっちゃならないったって。
リューシストラテー それじゃ言いますよ、わたしたちは身を清浄に保たなくてはなりません、男から。


 つまりリューシストラテーは、アテナイとスパルタの完全な停戦まで、すべての男との同衾(ひとつ寝)を拒むように女たちに提案するのです。その後もアクロポリスの丘に保管された戦費を、通せんぼして、役人に渡さないなどの秘策を弄して、男どもを途方に暮れさせます。役人の怒りの発言に、女主人公リューシストラテーは、なんとしてでも、軍隊解散者の「名にし負う」ように、役人に倍する怒りの言葉をぶつけます。


リューシストラテー どういたしまして、この不浄者め、あたしたちは戦争の二倍以上の被害者ですよ。第一に子供を生んで、これを兵士として送り出した。
役人 しっ! 過ぎたことをとやかく言うな。
リューシストラテー 第二に歓喜にみちた青春を享楽すべきそのときに、軍旅のために空閨を守っています。それからあなた方は、わたしどもの、ほら、あのことを気にもかけない。わたしどもは、乙女らが閨(ねや)のなかで未婚のまま老いてゆくのがたまらない。


 結局、仲たがいした両国の男どもに逆らって、女たちはアテナイでもスパルタでも、セックス・ストライキの共同ピケラインを布き、断固譲りません。そして、見事に女たちは戦争を終わらせ、リューシストラテーは無血闘争終了の言葉を皆に贈り、「床入り」を勧めます。


リューシストラテー さあ、すっかりうまくゆきましたから、ラコーニアの方、この方たちを(と人質を指し)お連れ遊ばせ、そして(アテーナイ人に)あなた方はこの方々。(と仲間の女たちを指す) 男の方と女の方と、女の方と男の方とが連れ合って、私どもの幸運に感謝して、神々さまに踊りを奉納。これから後は、二度とふたたび過ちを重ねぬように用心いたしましょう。


 現実の歴史は、このように展開しなかったのはもちろんですが、絶対平和主義者だった、アリストパネースの真骨頂は、この作品で遺憾なく発揮されています。


 4.結びとして 

 ペロポネソス戦争から2500年経った今、人類は当時よりすこしは聡明になったのでしょうか? 残念ながら、進歩したのは核兵器を始め、大量破壊的な殺傷能力を有する武器の開発という面ばかりで、理性や他者への共感能力の面では、まったく進歩していない私たち自身は、それこそ途方に暮れるしかありません。
 しかし、真剣にペロポネソス戦争から教訓を引き出し(A.トインビーが勧めてくれたように)、なにより核戦争を防ぎ、互いの価値観や人のいのちを尊重する世界を目指して、微力でも傾けていくしかありません。そのためにも、市民社会のエンパワメントが、一層求められているのだと思います。

 (2022年4月14日)

このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは!在日外国人支援事業部の山本裕子です。ここ半年ほど、ネパール語の様々な資料作成に向けて、翻訳調整業務に集中的に取り組んできたため、ネパール語が読めないのに、文字化け部分に気づけるようになり楽しくなってきています。


多くのネパール人妊婦が葉酸について知らないという事実

葉酸は、妊娠を希望している女性が、妊娠したい1か月以上前から妊娠期間中にかけて摂取することが望ましいとされています。葉酸を多く含む食事の摂取に加えて、葉酸のサプリメントを摂取することが、胎児の二分脊椎などの発症予防に効果的だといわれています。
昨年5月、女性普及員(Female health promoter, ネパール人保健ボランティア。訪問活動などを通して妊産婦へ情報提供などを行っている)とともに活動の年間計画を立てた際、葉酸の情報提供の必要性が話題になり、議論しました。

女性普及員は、過去にリモートで妊婦訪問を行ったAさんの声を紹介しました。Aさんがネパール人妊産婦たちと会った際に、彼女たちに医師から葉酸が大事といわれた話をしたら、多くの人が葉酸について全く知らなかった、というのです。Aさんは、1人目、2人目の妊娠中には葉酸について知らず意識して摂取していなかったことから、上の子が少し遊ぶと足が痛いというのは葉酸を摂取していなかったからではないかと不安に思っている、とも話してくれました。

また、日本で妊娠、出産を経験したもう一人の女性普及員も、妊娠中、医師から葉酸についての情報提供がなかったので葉酸を飲まなかったと話しました。ネパールでは、妊娠を希望する女性や妊婦に対して、医師から積極的に葉酸を摂取するよう情報提供しており、病院でも無料でもらえるそうです。それなのに、なぜ日本ではもらえないのか、という質問など、様々な葉酸についての疑問が出てきました。私たちは、日本で出産を迎えるネパール人妊婦へ、栄養の話とともに葉酸についても伝えていく方向で計画を立て、その計画の1つとして、葉酸リーフレットを作りSNSで発信することにしました。

計画会議の様子(明るさ調整済み)年間計画会議で葉酸について議論している様子



一つの言葉からイメージする内容の違いに苦戦

女性普及員の声から、“ネパール人妊婦が知りたい葉酸の情報”を整理し、それに沿った内容となるよう検討しました。また、掲載する以上、情報の正確性も大事にして文章を作っていったところ、文章量が増えていきました。これでは、せっかく作っても文章量が多くて読んでもらえない、ということになりかねない!ということで、翻訳を進める過程で、さらに内容を絞っていきました。
ここで、翻訳をしてみて気づき、削除した内容の例をお伝えします。

「葉酸は水溶性ビタミンであるビタミンB群の一種です」という文章を最初加えていましたが、最終的に“水溶性ビタミン”のところを削除しました。葉酸は“水溶性ビタミン”であり、摂取しすぎても、血液に溶け、尿として排出されるため、そこまで取りすぎに気を付ける必要がないビタミンなのですが、この“水溶性ビタミン”を、そのまま、“水に溶けるビタミン”と訳すだけでよいのか、と翻訳者から指摘があり、初めて、読み手が、“水に溶ける→血液などに溶ける”と想像できるとは限らないことに気づくことができました。身体の構造や仕組みをある程度理解している人にしか伝わらない内容など、難しい言葉や表現を翻訳者の皆さんと議論しながら内容を絞っていきました。

最終的には、「葉酸ってなに?」「多くの妊婦が葉酸を摂取していると聞いたがそれはなぜ?」「葉酸はいつ、どのくらい摂取するのがよい?」「ネパールのように、病院やヘルスポストで葉酸をもらえるの?」「妊婦とおなかの赤ちゃんの健康のための基本は食事です」という5つのテーマについてまとめ、イラストを加えて完成としました。

葉酸リーフレット0331最終版2
3月にSNS配信したリーフレット『葉酸〜お腹の赤ちゃんの健康のために〜』



お腹の赤ちゃんの健康に目を向けるきっかけに

葉酸のサプリメントは、ドラッグストアで買えるもの、インターネットでしか購入できないもの、妊娠中に摂取したほうが良い様々なビタミンやミネラルなどが混ざっているもの、など多種多様に販売されています。自身で情報を入手して、摂取したいものを選択して購入するわけですが、そもそも日本に売っているものは日本語表記メインです。商品の写真を載せたほうが、日本語が読めない人々にとって親切なリーフレットになるだろうと、当初は掲載の方向で考えていました。しかし、とにかく種類があります。検討を重ねた結果、今回は「葉酸 Folic acid」という単語の表記に絞ったイラストで掲載することにしました。

そのかわり、ドラッグストアの薬剤師や妊婦健診で通っている病院の医師や助産師などに相談するようメッセージを加えました。このリーフレットをきっかけに、ネパール人女性や妊婦が自分と赤ちゃんの健康に目を向けるきっかけとなり、周りの日本人に相談し、つながりながら、葉酸を摂取してもらえたらうれしいです。

※この活動は、立正佼成会一食平和基金のご支援を得て行いました。

jpn4c(配布用)



在日外国人支援事業担当
山本 裕子

このエントリーをはてなブックマークに追加