<$HeadSectionCommon$><$BlogTitle ESCAPE$> - livedoor Blog(ブログ)<$OGP$>
Dr.本田のひとりごと(80)



「海城発電」と日清戦争期の人道活動の試練
 
        ― 新作劇の発表に寄せて


写真1.テアトロ 21年7月号カバー
(写真1)総合演劇雑誌「テアトロ」 2021 年 7 月号表紙




1.文学好きの言われ少々

 「文学老年」の私が、物語好きになったきっかけは、古い話ですが、都立の小石川高校時代に「国語」を教えてくださった、飯田万寿男先生という方の影響に遡(さかのぼ)るように思います。この先生は国文学に関して古典から現代文学に至るまで、実に該博な見識をお持ちの人で、その授業には 心底惹(ひ)き込まれました。文学を鑑賞する際の視点が新鮮、かつ独創的で、いつも目からウロコが落ちる思いをしました。古典では、高校生にも文章がわかりやすく、この年頃の少年少女の心を占めていた恋愛のことを指南してくれるものとして、伊勢物語を詳し く解説してく れ たように記憶します。ま た近現代の日本の文学では、北陸出身の泉鏡花と中野重治を勧めてくださり 、飯田先生独自の好みがどこにあるかも窺(うかが)い知れました。先生は、耽美的で幻想に満ちた日本の伝統文化を表現する天才であった鏡花を読むことを勧める一方、詩的でありながら社会批判の精神をきちんと前に出した表現者としてふるまっていく代表として、中野重治を読むことも教えてくれました。重治という卓越した詩人の、「お前は歌うな」で始まる有名な「歌」は、黒板に大きく全体を書いて、解説してくださったことを鮮明に覚えて います。

 泉鏡花は、高校の学力レベルでは、擬古文の語彙や難解な漢字表現についていくのがむずかしかったのですが、なんとか辞書や注に頼りつつ、「照葉狂言」とか「高野聖」などにはまっていきました。後年になって、名作「高野聖」をクメール語に訳して、カンボジアの人々に紹介し、今や広く市民に読まれるようになったという、ペン・セタリン先生の熱意とご努力を知り、「上には上がいるものだ」、と感嘆したこともありました。思い出したように、鏡花を読み直すことはその後も時々あったのですが、彼の膨大な作品群の中で、私に理解がなかなか 及ばず、とても気になっていたのが「海城発電」という、 日清戦争終結直後の明治 29 年( 1896 )1月発表 の 不思議な小説でした。



2.異色の「嫌戦小説」としての泉鏡花作「海城発電」

 この「海城発電」は、どちらかと言うと、耽美と幻想の世界が評判だった鏡花の作品としては異色の、反戦というほど正面切ったものではないとしても、「嫌戦小説」といえる性格のものでした。「海城発電」とは、当時の満州、現・中国東北部遼東半島にある海城市からロンドンに向けて発出された、英国人新聞特派員の至急電報という意味で、発電所とは関係ありません。
 「海城発電」は、当時の日本が「文明国家」として欧米列強に認められ、不平等条約改正を急ぐねらいで、日本赤十字社を設立し、明治19年(1886) 赤十字条約(別名ジュネーブ条約)に加盟した後、赤十字看護員を派遣する初体験となった日清戦争の、「暗部」を描いた小説です。内容は、そのほとんどが、赤十字看護員の神崎愛三郎という人を、軍属つまり軍に従って兵站(へいたん)業務に携わる軍夫たちの長・海野(百卒長という職名)が厳しく尋問する場面の描写に終始しています。一体神崎の戦場での行動のなにが問題となったのでしょうか?
 実は、「勝って来るぞと勇ましく」とは無縁の世界が、この戦争には隠されていたということを、作家は伝えようとしているのです。日清戦争終結翌年の正月、総合雑誌「太陽」の創刊号と言う晴れ晴れしい場所に、時あたかも国民がまだ戦勝の高揚から覚め切っていない中で、日本軍属が清国女性に対して犯した重大な人道の罪をあばくという、冷や水をぶっかけるような小説を書くのは、作家としてなかなか勇気のいることだったと思います。事実、この作品はその後長く、鏡花の全集からは「抹殺」されると言う「憂き目」にあっています。

 主人公の日赤看護員・神崎愛三郎という人の出身や背景については、原作ではなにも触れられていません。しかし、私は、愛国主義・好戦主義一色に染まっていた当時、敵も味方もなく、人道医療救援を何より大切な行動基準として、戦場で挺身したこのような人物のモデルは、戊辰戦争で辛酸の限りを嘗(な)め、そこから立ち直ってきた奥州越列藩同盟の子弟がふさわしいと考え、神崎を没落会津藩士の息子としました。ここからは、私の創作です。
 NGOの活動は、シェアの場合も含め、ある意味で、「赤十字の精神」を継承させてもらっているところがあります。つまり、人種や宗教、貧富、社会的ステータスなどの違いで、苦境にある人々、難民などを差別せず、人道の精神で接し、救うように最大限努力するということでしょう。
 私も、ささやかではありますが、エチオピアやルワンダ、東ティモール、神戸などでの緊急支援活動に参加した経験のある者として、神崎の気持ちは痛いほどわかります。それにしても、軍の思想と赤十字の精神との厳しい対立を、ここまで描き込んだ、鏡花の筆の冴えと勇気に敬意を持ちます。


写真2.蹇蹇録 著者肖像写真
(写真2)「蹇蹇録」と陸奥宗光肖像写真 (岩波文庫)
「出典:国立国会図書館デジタルアーカイブ」




3.陸奥宗光と田中正造 — 東学農民戦争をめぐって

 今回この作品を書くにあたり、近代における日本と周辺国との関係などいろいろ歴史の勉強をし、文献を読み込んだのですが、その中でも感動したのは、陸奥宗光という幕末から明治にかけての武士、政治家・外交官の残した文章でした。
 日清戦争の顛末(てんまつ)に関する優れた記録である「蹇蹇録」(けんけんろく)、妻・亮子に当てた書簡集などには特に心を打たれました。もちろん、彼の立場や主張にすべて賛同するわけではないのですが、明治10年(1877)の西南戦争後、土佐立志社の政府転覆計画に加わった廉(かど)で入獄し4年を過ごし、その後、特赦を受けて英独2国への留学を果たし、ヨーロッパ先進国の憲法や政治制度について、宗光は真剣な学びを続けます。この集中した勉強が、後のち、条約改正交渉、朝鮮王朝へのアメとムチの政策、清国との戦争準備・遂行など多方面にわたる、宗光の国家運営責任者としての辣腕を養い、支えていくことになります。しかし、こうした八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍は非常な激務となり、結核を病んでいた彼の体力を奪い、死期を早めた面がありそうです。迫り来る死を予期したからこそ、後世のために「蹇蹇録」を書き残して置かねばならないと、鬼気迫る思いで執筆に励んだ宗光の姿勢には、敬服せざるを得ません。近現代に書かれた政治家の著作として、これほど率直で、臨場感に溢れ、文章の格調の高いものは、他に類がないのではないでしょうか。
 陸奥宗光は、幕末維新の志士であり、坂本龍馬の愛弟子で、長崎の海援隊の中心メンバーでもありました。彼の愛妻・亮子に送った手紙を読むと、細やかな心遣いと愛情の深さに打たれます。これほど高潔で私心のない、優秀な人物は、今の日本の政治家や外交官にいるのか、すこし寂しくなるほどです。

 「蹇蹇録」(けんけんろく)では、政略家、外交交渉家としての辣腕、透視力に感心する一方で、朝鮮半島の国と人びとに対する侮蔑的な態度、大日本帝国が「大陸」にのしていくための、手段として「半島」経営を考えていく、徹底して功利主義的な考え方に驚かざるを得ないところがあります。これはその時代の人間の限界でもあるし、宗光自身が置かれていた立場がしからしめたものでもあったのでしょう。あるいは、獄中で真剣に原書を勉強し、翻訳まで行った、英国の哲学者・経済学者ベンサムの影響もあったかもしれません。
 陸奥は息子の一人を、足尾銅山の所有者・古河市兵衛に養子として与えていますし、足尾の資源調査にもかかわっています。その点では、NHKの大河ドラマで今をときめく渋沢栄一もまた、古河に協力する、陸奥の盟友の一人でした。ですので、古河はもちろん、渋沢にも陸奥にも、その後の銅山開発、採掘、有毒な鉱滓の河川への直接投棄によって、環境が広範に汚染されたり、農民が田畑を失って流亡化するような事態が起きても、反省したり、真剣に対策を取る行動にはつながらなかったように見受けられます。
 西南戦争後、反乱の一派として、獄につながれ4年を東北で過ごした間、古河の継続的な支援を受け、留守を預かる妻・亮子一家の生活に不安がないよう宗光は腐心しています。その面からも、終生彼は古河に恩義を感じていたのでしょう。
 このへんのところが、足尾銅山の公害が起きたときに、陸奥と田中正造の立場を分けることともなったのだと思います。
 もう一つ、宗光と正造の立場・意見をくっきりと対立させるのは、東学農民戦争への評価です。宗光は東学の叛徒を鎮圧、征伐すべき対象としか見ていませんでしたし、日清戦争遂行の邪魔を除くためには東学農民への徹底した「流血の弾圧」も辞さなかったと思います。この点は、侯爵井上馨も同様でした。しかし、東学農民、特に、指導者の一人である全琫準(チョン・ボンジュン)などは、若い日の陸奥や渋沢がそうであったように、西欧などの帝国主義の国々を攘夷し、東学という新しい宗教思想に基づいて、国の独立を守りたいとする志の強い人たちで、その意味では、両者が理解し合えた可能性はあったのかと思います。しかし日本側にそのような態度で臨んだ人は、例外的に田中正造がそうであった程度です。東学党の指導者、全琫準について、正造の日記には次のように記録されています。

 
 「全琫準(ぜん・ほうじゅん)、字(あざな)ハ祿斗(ろくと)。謀略ニ富ムトイヘドモ公明正大ヲ以テ自ラ改革ノ業ニ任ゼント欲ス。然レドモ祿斗ノ志ハ宗教ヲ以テ根本的ノ改革ヲ試ミント欲ス。但シ朝鮮ノ国教ハ儒教ヲ以テ人心ヲ圧政セルヲ以テ、祿斗ガ刷新ノ宗教ヲ忌ミ叛心アリト誣(し)ヒテコレヲ捕ヘントス。部下コレヲ怒リ遂ニ兵ヲ挙ゲザルヲ得ザルニ至ル。祿斗一人兵を挙グレバ一人ハ全党ニ関スルヲ以テ東学党全体兵ヲ挙グルニ至ル。故ニソノ首領ハミナ死ヲ倶(とも)ニシテ日本兵ニ斃(たお)サル。朝鮮百年ノ計ハ精神ヨリ改革セザレバ不可ナリ。軍隊知ラズ、コノ新芽ヲ蹂藉(じゅうせき)ス。惜哉(おしいかな)」(明治二十九年)


写真3.チョンボンジュン 捕縛後の写真(中央)1895
(写真3)全琫準 - 捕縛後の写真(1895)
「出典:ハンギョレ新聞社」



4.戯曲「海城発電 ― 四つの国の物語」(総合演劇雑誌「テアトロ」2021年7月号)

 今回発表した戯曲では、鏡花の原作に基づく、看護員神崎と百卒長海野(うんの)の対決を描く第二幕に続いて、第三幕では、農民戦争の指導者・全琫準と討伐側の指導者・日本陸軍少佐、南小四郎の二人の独白を、交互に語らせると言う手法を、私は取りました。
 鏡花の原作「海城発電」を下敷きに、明治・大正・昭和の三代、日本、朝鮮、清国、ロシアの四ケ国にわたる、より大きな構想の物語として、拙いながら劇の台本を書き上げました。 
 その理由の一つは、今日あまりにも韓国にたいするバッシングやヘイトスピーチ的な言動が日本社会に横行していて、これは難民など外国人一般に対する私たちの社会の冷淡さともつながるものですが、そのへんのナラティブ(話法)を少しでもより共感的、相互理解的なトーンに変えたいな、という思いが切にあったことです。
 私にとってはその意味でのロールモデルは、江戸時代に日韓理解のため朝鮮通信使の実現に献身した雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)、明治以降朝鮮の優れた文化・工芸の紹介に努めた柳宗悦(やなぎ・むねよし)です。

 こう言った発言をする一方で、私は北朝鮮で起きているはなはだしい人権侵害の状況を座視できないと考え、尊敬する小川晴久教授のNGO「No Fence」などを支持する立場であることもはっきりさせておきます。

 最後に、この「ひとりごと」の結びとして、平成天皇が平成13年のお誕生日に、韓国との関係について記者団の質問に答えた次のお言葉を引用させていただきたいと思います。


(宮内庁HPより)
 「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

 しかし,残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。

 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。」


(了 2021年6月17日)

このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは。2020年度インターンです。

シェアでは、毎年、インターン期間の最後に、インターンが企画から実行まですべてを行う「インターン企画」を実施しています。一年間一緒に活動してきた仲間と取り組むインターン活動の集大成です。

今年度は、日本での子育て経験があるネパール人のマラ・スミタ・マンジャリさんと、ネパール人妊産婦さん達に母子保健サービスを届けている保健師の三浦さんをゲストに迎えて、インタビューを行いました!

今回は、マラさんのインタビューを通して見えてきた、誰もが暮らしやすい社会をつくるためのヒントをお伝えしたいと思います。

マラさん写真マラさん紹介
お姉さんがネパールの日本企業に勤めていたことから、
日本に興味を持ち日本語を学び始める。
1988年に初来日し、ネパール帰国後に日本人と結婚。
海外での出産・育児を経て、
2002年に当時2歳と4歳の子ども達を連れて再来日。
現在はシェアの医療通訳者としても活躍中。


日本での子育て

ネパールで育ち、シンガポールとフィリピンで子育てを経験されてきたマラさん。
日本に来て、予防接種や役所の手続きが、時間通りに進むことに驚いたそうです。
それでも、日本にいて子育てがしにくいと感じることもありました。

 子育てをしている親たちがすごく肩身のせまい思いをしているのが悲しい
マラさん)
子どもが走って知らない人にぶつかってしまうことはよくあります。
もちろん、どこの国でも親が自分の子どもを注意して見ていることは大事です。

しかし、ぶつかってしまった後の周りの対応が日本と海外で違います。
海外では「子どもだからしょうがない」と言う人が多かったです。

日本では親を咎めるような視線を送る場面を多く見ました。
これでは子育て中の親たちが萎縮してしまうと思います。


 地域全体で子どもを育てられなくなっているのを寂しく思う
マラさん)
日本では「責任は誰が取るのか」という考えが子育てにも影響していると感じます。

海外では、他人の子どもであっても「子どもはみんなかわいい」と、無償の愛情で気軽に遊ぶことができました。

しかし、日本では他人の子どもを「怪我をさせたらまずい」となり、気軽に子どもと遊ぶことができなくなっていると感じます。


インターンが見つけたヒント
日本でも地域全体で子どもの成長を喜ぶ。
このことが、子どもにとっても、親御さんにとっても、良い環境ではないでしょうか。
子育てがしやすい環境づくりは「一緒に見守っているよ」という温かい目を向けることから始まるのかもしれません。

マラさんインタビューの様子
お話に引き込まれて、インタビューはあっという間でした


日本での関係づくり

日本人が在日外国人の方々に取りがちな態度についても率直にお話ししてくださいました。

 外国人を含む誰もがつながりを持てる社会になってほしい
マラさん)
日本に来て何年かは、なかなか挨拶を返してもらえませんでした。
挨拶を交わせるようになったのは、アパートから今の家に引っ越して、子どもが学校に通い始めてからです。

ご近所さんは、私や家族が「どこで働いているのか」「どこの学校に行っているのか」がわかり、声をかけてくれるようになりました。
それまでは、私たちを信用していいのか決められなかったのかもしれません。

特に、日本人にとって、アジア系の人は馴染みが薄く、仲良くなるのが難しいのかなと思います。


インターンが見つけたヒント
外国人の方々とあまり交流したことがないと、話しかけるのに勇気がいりますよね。
そんな時、ついつい住まいや学校・仕事などから人となりを類推して、話しかけても大丈夫かを判断していることはありませんか?
でも、そのような情報がなくとも、隣人として、直接話しかけてほしいと思っている外国人の方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。


19年の歳月を経て

日本での暮らしも長くなったマラさん。今の日本をどう感じていらっしゃるのでしょうか。

 日本の子育てや在日外国人へのサポートがさらに充実することを願っている
マラさん)
私が子育てした頃に比べると、いろいろな子育てサポートも増え、正直、今の子どもたちがうらやましいなと思います。
このような取り組みが広がってきたことは良かったと思います。

私も今はいろいろなところで在日外国人の皆さんをサポートする立場になりました。
サポートの現場で感じるのは、せっかく始まったサポートが実を結ぶために、個々人に合わせて、より深くより細やかな対応が求められているということです。

最後にマラさんはこうおっしゃいました。
「日本に来て、私もいろいろありましたが、
日本が好きだからずっと住んでいるのだと思います」


インタビューを終えて
私たちインターンはこれまで在日外国人の方々と直接お話しする機会があまりありませんでした。
今回、私たちだけでは気づけなかった視点を教えていただき、私たち自身も日本の社会を見つめ直すことができました。

今日、電車で出会う子どもや親御さんに、さっそく寄り添う態度を示すことができれば、そこにはのびのびと子育てできる空間が生まれるかもしれません。

また、在日外国人の方々に「無意識」に疎外感を感じさせることがないように、彼・彼女らの声を聞き、お互いに理解しあえる機会を積極的につくっていけたらなと思いました。

子育て世代が暮らしやすい社会、在日外国人の方々が暮らしやすい社会は、"私たちみんなが暮らしやすい社会"だと私たちは思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は、インターン企画インタビュー第2弾「保健師さんに聞いたNGO×自治体が生み出す力」をお届けします。

お楽しみに!

*****************************
毎月定額募金「いのちのリレー募金」のご紹介

NGOシェアの目指す、現地の人材を育て、地域の課題を根本から解決するためには、
継続した支援活動と皆さまからの息の長いご支援が必要です。
毎月継続してご支援をいただく「いのちのリレー募金」へのお申込みをお待ちしております。
シェアは認定NPOとして登録されており、シェアへのご寄付は寄付控除の対象となります。

いのちのリレー募金についてはコチラ▼

>>>いのちのリレー募金ページへ移動<<<
*****************************
このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは。在日外国人支援事業部の吉田です。関東も本格的な雨のシーズンを迎えました。湿度が高い中、マスクをつけて過ごされる時間も多いと思いますが、体調に気をつけてお過ごしくださいね。

さて、在日外国人支援事業部では、5月に、ネパール人女性普及員(female health promoter 保健ボランティア)と一緒に、昨年度の活動を振り返り、今後の計画について話し合いました。


今年も妊産婦訪問を続けます
昨年度は、新型コロナウイルス感染症の影響で、対面での活動は制限されましたが、リモートによる妊産婦訪問を行うことができました。妊産婦訪問では、ネパール人のお母さん達に、母子保健サービスについての大切な情報を届けるだけではなく、コロナ禍で気軽に人に会うことができなくなってしまったお母さん達に、母国語でおしゃべりする憩いの時間も届けることができました。女性普及員も訪問を重ねて、活動の手応えを感じているようでした。今年も活動の柱として、妊産婦訪問を続けることになりました。

栄養の正しい知識を広めたい
昨年、勉強会で栄養について学んだ女性普及員は、さっそくその知識を妊産婦訪問に活かしてきました。その中で、妊娠前から葉酸を摂取することが望ましいと知っているネパール人女性が非常に少ないことを実感し、葉酸摂取の必要性を多くのネパール人に知らせたいという意見が出ました。そこで、今年はFacebookを使い、どうして葉酸摂取が必要なのか、どのくらいの量を目安に摂取すればよいのか、どんな食品に含まれているのかなどを、ネパール語で発信することになりました。

また、栄養について、女性普及員自身も誤解していたことや知らなかったことが多くあったようで、勉強会後、自分達の食生活にも変化があったそうです。妊娠中だけ食事に気をつければよいわけではないと気づき、もっと若い世代にも栄養・食事の大切さを知ってもらいたいと考え、今年度はネパール人学校の生徒向けに栄養セミナーを開催してみたいというアイデアも出ました。


ミーティングの様子昨年を振り返り、栄養の話に熱が入りました


妊娠・出産・子育てについてもっと勉強したい
女性普及員から「お母さん達にしっかりと必要な情報を伝えるために、もっと妊娠・出産・子育てについて勉強したい」と言う声があがりました。妊産婦訪問で実際にお母さん達と話をしてみて、自分達もまだまだ勉強しなければならないことがたくさんあると感じているようです。女性普及員からの「母子手帳の内容を理解したい」「子どもの成長・発達の目安を知りたい」というリクエストに応え、今年も勉強会を開催することになりました。


ネパール人コミュニティと日本社会の架け橋に
子どもを産み、育てる時に、たくさんのサポートがあるに越したことはありません。日本でも様々なサポートが用意されるようになってきました。しかし、サポートがあることを知らなかったり、知っていてもどうやって利用するのかがわからなかったりして、サポートにアクセスできない在日外国人のお母さん達がたくさんいます。

女性普及員は、ネパール人のお母さん達が必要な情報やサポートにたどり着けるように、地道に活動を続けています。また、言葉が通じない中、文化も慣習も違う異国の地で、妊娠・出産・子育てをしているお母さん達にとって、自分たちのことを気にかけ、見守ってくれる女性普及員の存在は、大きなよりどころになっていると感じます。



ミーティング後の笑顔今年の計画が無事に出来上がって、みんなほっとした笑顔になりました


女性普及員も、この活動を通して、日本での生活に充実感を覚えているようです。自信をつけ、より輝いていく女性普及員と共に活動できるのは、シェアにとっても光栄なことです。
ネパール人のお母さん達が安心して妊娠・出産・子育てができるように、女性普及員の挑戦はこれからも続きます!



yoshida

在日外国人支援事業担当
吉田 美穂

このエントリーをはてなブックマークに追加

皆さんこんにちは。カンボジア事務所の溝口です。

新型コロナウイルスの影響により、ステイホームが続く中で、オンラインショッピングや宅配サービスを利用する機会が増えたのではないでしょうか?

日本では宅配が私たちの生活に当たり前のように馴染んでると思います。一方、カンボジアで生活をしていると、「カンボジア国内って郵便とかあるの?」「宅配便とかちゃんと届くの?」と聞かれることがあります。

そこで今回、先日首都からコンタクトレンズを注文し、プレアビヒア州まで届けてもらった様子をご紹介したいと思います。

カンボジアでは2月20日のコミュニティ感染事案が発生した以来、州を超える移動が制限される時期がありました。首都プノンペンなど感染が拡大した地域では、ロックダウンが行なわれたことにより、通勤や日々の買い物に対して制限が設けられました。

これまでは、時々シェムリアップやプノンペンに行ってコンタクトレンズを購入していたのですが、さすがに移動制限がある中で買いに行くのは難しい…ということで今回初めて宅配をお願いしました。以前、プノンペンの眼鏡屋さんで購入した際、「プレアビヒア州まで届けることもできるよ」と教えてもらったので早速連絡をして、注文をしてみました。度数が合っているかどうか、確認のために写真を送ってくれて、支払いも銀行のアプリを使って送金ができ問題なく注文ができました。

写真1
(写真1: 梱包している様子まで写真で送ってくれるのはカンボジアならではかもしれません。)


プノンペンからプレアビヒア州まで(350辧砲瞭擦里蠅5000リエル(日本円で約125円)で届けてくれることになりました。
アプリを使って追跡ができる運送会社を通じて発送されていて、追跡番号をアプリに入力すると、発送日時や自分の荷物が今どこにあるのかをスムーズに確認することができます。

写真2
(写真2: アプリを使って配達状況の確認ができます。)


カンボジアでは相乗りタクシーが荷物を運んでくれることが一般的です。
書類一枚からでも快く運んでくれるのが嬉しい点で、料金は運転手と交渉になります。運送会社や大型バスで配達される場合は所定の停留所まで受け取りに行くことがほとんどですが、タクシーの場合は電話で話をしながら自宅やその近くまで届けにきてくれることが多いです。

カンボジアにも郵便局はありますが、各州に1箇所ある程度で、街中で郵便ポストを見かけることはありません。カンボジア国内で書類や物資を届ける際にはタクシーが主流のような気がします。
さて、注文したコンタクトレンズですが、なんと配送手続きの翌日にはプレアビヒア州まで到着していました。窓口で自分の電話番号を伝え、サインをして受け取り終了!あっという間でした。大きな問題もなく、とてもスムーズに荷物の受け取りができました。

少し前のことになりますが、移動の制限により、州外の地元へ帰る頻度が減ってしまったカンボジアのスタッフも、「これから家族が送ってくれた荷物を取りに行くんだ」と嬉しそうにしていました。

コロナ禍にも関わらず、たくさんの人の荷物と想いを運んでくれる宅配サービスへの感謝は日本もカンボジアも変わりません。

写真3
(写真3:プノンペンからプレアビヒアへ行く相乗りタクシーに、コピー機を積んでいるところ。どんなものでも届けてくれるところにカンボジアの可能性を感じます。)


カンボジアにおいても、日本においてもコロナの影響はありますが、皆さんとご一緒にコロナ禍を乗り越えられるように、皆さまのご支援に応えられるように、引き続き頑張っていきたいと思います!




mizoguchi

文責:カンボジア事務所 溝口 紗季子
(NGOシェア・カンボジア事務所 インターン)


*****************************
毎月定額募金「いのちのリレー募金」のご紹介

NGOシェアの目指す、現地の人材を育て、地域の課題を根本から解決するためには、
継続した支援活動と皆さまからの息の長いご支援が必要です。
毎月継続してご支援をいただく「いのちのリレー募金」へのお申込みをお待ちしております。
シェアは認定NPOとして登録されており、シェアへのご寄付は寄付控除の対象となります。

いのちのリレー募金についてはコチラ▼

>>>いのちのリレー募金ページへ移動<<<
*****************************

このエントリーをはてなブックマークに追加
皆さんお元気ですか?
東ティモール事務所でシェアが建てたヘルスポスト関連を担当しているライムンドです。

東ティモールでもコロナのワクチン接種が開始し、私も先月接種することができました。
接種翌日は、体調を崩し仕事を休むことになりましたが、その後は元気に過ごしています。

スライド1予防接種を受けるライムンド

さて、2019年11月、シェアが建設したヘルスポストは無事、保健省に譲渡されました。
しかし、シェアの活動は譲渡後も続いています。
先月28日には、ヘルスポスト維持管理会議の為のモニタリングを行いました。

今回は、そのモニタリングの様子を皆さんにお伝えします。

スライド2シェアが建設したヘルスポスト

ヘルスポスト維持管理会議とは

シェアは、保健局がきちんとヘルスポストを管理できるよう、関係者会議を開催しています。
毎年一回、会議で住民の利用状況施設の状態管理の方法について共有し、課題の話し合いを行います。

今年度も、会議に向けて準備を行っています。

スライド3昨年のヘルスポスト維持管理会議の様子

大雨によるヘルスポスト周辺への影響

今回のモニタリングでは、4月の大雨による建物や周辺地域への影響が確認できました。

ヘルスポストの近くには、大きな川があります。
この川は、普段、水が無いため川岸の整備されていませんでした。
そのため、今回の大雨により増水し、ヘルスポストの近くまで水が迫っていたことが分かりました。
ヘルスポストから上流に少し歩いたところにある家は一部、川に流されてしまっていました。

シェアは、今回確認した被害への対応を、今後保健スタッフや村長と協議していきます。

スライド5

スライド6ヘルスポスト周辺の様子

ヘルスポストの現状と課題

今回、モニタリングにより、施設の一部に雨漏りによる変色がみられることやヘルスポストの掃除が行き届いていないこと、保健スタッフ宿舎の管理が行き届いていないことなどが分かりました。

また、必要な人数のスタッフがいない問題もあります。
ヘルスポストの運営に必要な5人の医療スタッフの内、看護師1人しか配置されていません。

これは、首都でのコロナ感染症蔓延の影響でもあります。
新たに配置される予定だった保健スタッフは、コロナ関連施設に配置転換となりました。
ヘルスポストを管理している看護師も、保健センターの勤務と掛け持ちとなっています。

今回のモニタリングで現状の把握ができたことは、維持管理会議へ向け、前向きな結果です。

維持管理会議は今月、実施する予定です。
今回のモニタリング結果を関係者と共有し、維持管理の方法を話し合っていきたいと思います。

スライド8保健スタッフから聞き取りを行う様子


*******************



donation1
このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは。最近、数年前の海外旅行の番組を観ながら、海外が恋しくなり、現地に行けない分、語学に興味が出てきた、在日外国人支援事業部の松尾です。

母子保健分野の課題の一つ 〜医療通訳のニーズ〜

シェアで働きだして1年半。気づいたことの一つが母子保健分野の医療通訳の必要性です。

「夫の通訳を介して説明した時は、いつも笑顔で“大丈夫”とだけ話す外国人妊産婦さんを見て、特に問題はないだろうと思っていたけれど、医療通訳を交えて話すと、質問をしたり、わからなくて困っていると伝えてくれたり、初めて本音で話してくれたのよ。日本語でうまく伝えられないから”大丈夫”と言っているだけで、実際は困っていることも多いと気づいたわ。」
という保健師さんの話。

「在宅医療が必要な外国人のお子さんとそのご両親への支援を検討しているものの、両親が状況をどう理解し、今後どうしていきたいと考えているのかわからず、困っています。」
という保健医療従事者からの相談。

医療が必要な場面に比べ、保健の分野は、一見大きな問題はなさそうに見えるためか、医療通訳を活用する環境がなかなか整っていない現状があります。

しかし実際には、言葉の問題で、外国人妊産婦には必要な情報が届きにくく(夫や友人の通訳時には、彼らの理解度や価値観に左右された限られた情報しか伝わっていないことも多い)、子どもの予防接種などの母子保健サービスにアクセスできないでいる状況があったり、保健医療従事者が、対象者の状況がわからず、適切な支援ができずに困っていたりと、母子保健分野には幅広い通訳ニーズがあることを実感しました。


ニーズを踏まえて、新しい事業の開始 〜医療通訳の積極的活用から、支援体制構築へ〜

このような背景から、シェアでは今年4月から、赤い羽根福祉基金の支援を受け、「外国人母子の健康を守る切れ目ない支援体制構築事業」を開始しました。

この事業では、母子保健分野で医療通訳を安心して活用できる環境が整い、外国人妊産婦自身が、必要な情報を得て母子保健サービスにアクセスでき、日本で安心して出産や子育てが行えるように、また、保健医療従事者が、外国人妊産婦の状況を理解し、ニーズに添った支援が行いやすくなるように、母子保健分野での医療通訳の積極的な活用をすすめていきます。


チラシシェア母子保健通訳相談のご案内 チラシ


また医療通訳の活用を通して、保健医療従事者の、外国人母子を取り巻く状況や文化的背景等への理解が深まり、困りごとや課題等の認識が進んでいくよう、一緒に取り組んでいきます。

その他、対象地域の外国人母子支援に携わる機関で、インタビュー調査を行ったり、外国人妊婦向けの母親学級等も行っていく予定です。

主な活動対象地域は、これまで活動を続けてきた杉並区と、その周辺3区(新宿区、中野区、豊島区)で、医療通訳の相談は、その他の地域へも対応していきます。

そして、これらの活動を通して明らかになった、外国人母子の実態や課題、ニーズをまとめ、4区の関係者と共有し、連携しながら、母子保健分野の医療通訳を含む支援体制構築に向けたネットワークづくりを目指していきたいと考えています。


妊婦訪問女性普及員と通訳者と一緒に妊産婦訪問を行った時の様子


この写真のように、保健医療従事者が妊産婦訪問を行う時も、医療通訳者が同行し、ニーズに添った支援をしやすい環境が整うよう、そして外国人母子が日本で安心して暮らせるように。
詳しくはまたご報告していきます!


matsuo

在日外国人支援事業担当
松尾 沙織


このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは。カンボジア事務所の溝口です。

最近、業務終わりに市場で炭火の焼き鳥を毎日買っていたら、お店のおかあさんがおまけをしてくれるようになりました。

さて、カンボジア事業では「子どもの栄養改善アプローチ1000日プロジェクト」の第一フェーズ終了が近づいています。2017年から開始したこのプロジェクトの達成度を測るエンドライン調査のデータ収集が始まりました。

データ収集は子どもの身長・体重を測定するチームと、養育者及び妊婦への栄養に関する聞き取りを行うインタビューのチームに分かれて行ないます。身長・体重測定は、対象村である39村の2歳児未満の子ども全員を対象に行なわれ、インタビューのチームでは、計算されたサンプル数に基づいて約250人の養育者、約150人の妊婦さんへ聞き取りを予定しています。

写真1 (2)
【写真1:実際のデータ収集の前に、事務所でタブレットを使ったインタビューのリハーサルを行なう様子。】


データ収集については、ベースライン調査時と同じく、mWaterという調査用アプリケーションを活用しています。
▶ベースライン調査も過去のブログで紹介しています


シェアでは2月頃からエンドライン調査を行なう上で必要な手続きや、データ収集のための人員配置、保健ボランティア会議を開催して調査に協力する村の保健ボランティアさんへの説明など、様々な準備を進めてきました。準備の途中、新型コロナウイルスの影響で集会や州をまたぐ移動が禁止になり、調査のスケジュールが思うように立てられず不安になる時期もありましたが、5月 中旬からデータ収集を開始しました。

写真2
【写真2: 途中で雨が降る中、コ―ヨンと呼ばれる農耕用トラクターに乗って村を目指します。】


写真 3
【写真3車が入れない森の中を進むため、トラクターを貸してくださる地域住民の協力が欠かせません。 】


インタビューの中で、出会ったケースをひとつ紹介します。
6人の子どもを持つ妊婦さんは、自分が午年生まれであることを知っていますが、今年で31歳なのか、43歳なのか、はっきりとは分からず、6人の子どもの年齢や彼女の顔などから想像するほかありませんでした。 インタビューのはじめは妊娠3ヶ月と言っていましたが、詳しく話を聞いていくと産前健診のために保健センターへ訪れたのが2ヶ月前、実際は妊娠5ヶ月に差し掛かるところが分かりました。直近の24時間で彼女が何を食べたかを聞いていくと、朝食に魚の干物と白米、お昼にはこの時期に採れる熟れたマンゴーを食べたきりでした。彼女の子どもたちも同様に白米中心の食生活を送っています。

この家族のように、味の濃い少量のおかずや汁物で、多くの白米を食べることがカンボジアの家庭ではよく見られます。炭水化物でお腹が満たされたとしても、成長に必要な栄養素が足りません。

また先に紹介した家族は、日本の住民票のようなものにあたるファミリーブックと呼ばれる重要な書類や子どもの出生証明書を持っていませんでした。本来ならば受けられるべき行政による支援から漏れてしまっている可能性があることが、今回の聞き取りを通して分かりました。

この家族のように出生や在住にまつわる書類を持たない人は、カンボジア国内でも稀なケースになっている印象を受けます。しかし、特にアクセスの悪い農村地域や僻地ではこのような状況がまだ見受けられます。

エンドライン調査の傍ら、ぬいぐるみワークショップで作成していただいた可愛いうさぎのぬいぐるみを調査に協力してくれている子どもたちに届けています。ぬいぐるみがあることで、インタビュー時に子どもが退屈せず、また身長・体重測定がスムーズに行えるため、とても役に立っています。シェアのローカルスタッフが、色とりどりのぬいぐるみの中から子どもたちに好きな色のぬいぐるみを選んでもらうよう工夫していて、より一層子どもたちに喜んでもらえています。
▶ぬいぐるみワークショップについてのブログはこちら

写真4 (3)
【写真4: うさぎのぬいぐるみで子どもをあやしながらインタビューに協力しているお母さん】


データ収集は6月いっぱい続く予定です。

写真5 (2)
【写真5:村中をまわりながら調査対象の家庭を訪問する調査スタッフ。】






mizoguchi

文責:カンボジア事務所 溝口 紗季子
(NGOシェア・カンボジア事務所 インターン)


*****************************
毎月定額募金「いのちのリレー募金」のご紹介

NGOシェアの目指す、現地の人材を育て、地域の課題を根本から解決するためには、
継続した支援活動と皆さまからの息の長いご支援が必要です。
毎月継続してご支援をいただく「いのちのリレー募金」へのお申込みをお待ちしております。
シェアは認定NPOとして登録されており、シェアへのご寄付は寄付控除の対象となります。

いのちのリレー募金についてはコチラ▼

>>>いのちのリレー募金ページへ移動<<<
*****************************
このエントリーをはてなブックマークに追加