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 「生きた 愛した 歌った」(きぼうのいえ刊) ‐
山谷の俳人・いざわさわ男遺稿集に寄せて 
 

東北大震災という途方もなく膨大で、圧倒的な悲しみと試練の中で、人のいのちの尊さとかけがえのなさと、にもかかわらずの、もしくはそれゆえの、人の世のはかなさに思いを馳せざるを得ない日々が続きます。なぜ東北の恵みの海に「たつき」を求めて、平和に暮らしてきた多くの人びとが、その海ゆえに、かくも理不尽で、非業の死を遂げねばならなかったのか? だれにも答えがない問いを問い、しかし明日に向かって、少しずつすべてのことを建て直していくしかないという現実を受け入れ、静かに努力する人びとの姿に真底打たれます。

生きた、愛した、歌った

 写真1:「生きた 愛した 歌った ‐山谷の俳人 いざわさわ男」

 震災のこととは直接結びつかないのですが、最近、一冊の本を何人かの仲間と協力して上梓(じょうし)することができました。山谷の生んだ、代表的な俳人で、「いざわさわ男」という俳号を持つ、伊澤健次さんの遺稿集です。人一倍人情家で、思いやり深い人だった、さわ男さんが、いまもし生きていらっしゃれば、大地震・大津波・原発事故の三重惨禍に見舞われた方々を深く思い、大きな瞳にあふれるほど泪(なみだ)したことでしょう。さわ男は、1929年(昭和4年)、東京都台東区下谷に生まれ、幼少のころは、上野や浅草の庶民の生活や祭りに馴染(なじ)みましたが、実父が早く亡くなったこともあり、その後再婚した母と義父に連れられ、開拓民として北海道に渡ったりして、あまり幸福とは言えない少年時代を送ったようです。20歳過ぎに単身、函館から上京して以来、あちこちの飯場や飲食店などで働きながら、45歳頃から、東京都(当時)城北福祉センターが発行する、山谷文芸誌「なかま」に盛んに寄稿するようになります。それとともに、1976年に発足した山谷俳句会の発起人・同人の一人となり、俳句会が出版した、「車座」、「泪橋」、「みなせん」という3冊の山谷句集にも精力的に自身の俳句を寄せています。
 さわ男は、山谷に生き働いた人ですが、同時に浅草の芸能と祭りの文化をこよなく愛し、三社祭の観察記を克明に書き続けました。その傾倒ぶりと執筆量は、博覧強記というにふさわしく、玄人(くろうと)はだしのレベルに達していました。山谷と浅草はいわば地理的に背中合わせの場所であり、野良着と晴れ着、褻(ケ)と晴(ハレ)の関係にあり、彼は生活者・労働者としての足場と矜持(きょうじ)を山谷に置きつつ、超日常的な空間と夢のひとときを、浅草の祭りと芸能への偏愛で満たしたとも言えます。一方、さわ男は当時としては稀な、いわばカミングアウトした男性同性愛者でしたが、そのことを臆せずに「なかま」に書き続けた勇気も並大抵のものではありません。さわ男には、二人の心を許せる仲間がいました。この本の、共同編者でもある、伊達天こと、篠原勝一さんと宮下忠子さんです。篠原さんは、もと城北福祉センターの所長さんで、山谷俳句会の生みの親、育ての親とも言うべき方です。宮下さんは、城北福祉センターの医療相談員として働きながら、日雇い労働者、ホームレス者、そして売春の仕事に就かざるを得なかった女性たちを見守り、支え、彼、彼女らのすぐれたライフヒストリーを書き続けてきた方で、「思川」(おもいがわ)(明石書店刊)は、戦後女性史文学の白眉とも言える秀作です。
 私自身は、さわ男さんの晩年の2年足らずの間、主治医として関わらせていただいただけですが、彼の人柄と好奇心に満ちた知性に惹かれ続けてきました。この本を生むきっかけとなったのは、さわ男が人生最後の10カ月ほどを、山谷のホスピス「きぼうのいえ」で送ってくれたことです。多くのスタッフやボランティアの「家族愛」に包まれて、晩年のさわ男は、ほんとうの意味で「終の棲家」(ついのすみか)の安らぎを得たのだと思います。その機縁で、越藤加奈子さんなど訪問看護ステーションコスモス(山谷のいろは通りにある)のナースたちも、さわ男さんの「養病」(闘病は彼に似合わない言葉でした)を温かく支えてくれました。越藤さんは、この本の縁の下の力持ちとして、地味で時間のかかる校正の仕事を一手に引き受けてくれました。本の出版を待って、彼女は気仙沼でのシェアの救援活動に参加してくれたのです。
 さて、きぼうのいえで深い感謝とともに暮らしたさわ男の姿は、千葉茂樹監督のドキュメンタリー映画「マザーテレサと生きる」(2009年制作。女子パウロ会でDVD化)に生き生きと写し取られています。この映画をご覧いただくと、さわ男の鷹揚(おうよう)で、ユーモアに満ちた人柄や、宮下忠子さんとの心の交流などがしみじみ伝わってくると思います。
 最後に一つ。さわ男さんのことを、2009年にシェアの招きで来日してくださったデビッド・ワーナーさんが、10月27日、山谷訪問の際に見舞ってくれたのでした。デビッドさんに渡した、彼の句の私の拙い訳が、その後、デビッドさんたちの運営するNGO「ヘルスライツ」(HealthWrights)の機関誌 “Letter from Sierra Madre” 65号(2009年12月号)に掲載され、さわ男のことも写真入りで紹介されたのです。私にとっては限りなくうれしいことでした。
その句をここに紹介しておきます。
「野宿冬 いのちの生活(たつき) アルミ缶」
 “The harsh winter chill falls on the shoulder of a rough sleeper,
The only means of survival left for him
Is collecting discarded aluminum cans on the street.

http://www.healthwrights.org/hw/content/
newsletters/NL65.pdf


さわ男、デビッド、本田 きぼうのいえにて1

 写真2:きぼうのいえでのさわ男、デビッド、本田

 「生きた 愛した 歌った」を通して、戦後の日本の復興と発展を、文字どおり体を張って支えてくれた日雇い労働者の街山谷の、汗と風と祭りのにおいを感じ、庶民さわ男の味わいある詩文ワールドを堪能いただければ、編者の冥利に尽きますし、天上のさわ男もきっと破顔一笑していることでしょう。
 (了) 2011.4.19

この本は「きぼうのいえ」で入手することができます。下記にお問い合わせください。職員でケースワーカーの遠藤紀子さんらが受け付けてくれます。送料込みで1部1200円だそうです。

ホームページ:www.kibounoie.info/kifu.html