こんにちは。在日外国人支援事業を担当しています、山本です。
私は、昨日まで地元の熊本に戻り、蜂楽饅頭といきなりだんごなど、熊本の名物を食べられて満喫気分です。熊本に行かれる際は是非お召し上がりください!
さて、今日はシェアの活動に長年通訳ボランティアとして協力してくださっている、長沼ニーダさんをご紹介します。今回は、インタビューの中から、シェアの活動に関わり始めたきっかけや、通訳ボランティアとしての想いなどについて、長沼さんとの会話に近い形でお伝えします。


来日されたきっかけ
もともとは、外交官っていうでっかい夢を持って日本に来ました。日本語学校で勉強して、日本語能力試験1級をとったらフィリピンに帰ろうと思っていましたが、夫と出会い、今に至っています。当初は、結婚までは考えていませんでした。日本とフィリピンの間でできる仕事をしたいと思っていました。


シェアのボランティアを始めたきっかけ
CTICちば(カトリック東京国際センターちば。現在は活動終了)とシェア、カトリック五井教会などとが協力して、五井で外国人を対象に無料健康相談会を開催しており、2004年3月、当時ボランティアをしていたCTICちばから勧められて、参加したのが最初です。
たまたま友人の通訳のボランティアとしてCTICに行っていたら、このようなことをやっているので一緒にやりませんか、という感じでした。その後は、毎回五井での健康相談会開催の際は参加させてもらっていました。
シェアの活動に深くかかわり始めたのは、2006年の結核支援員(通訳)育成研修・選考会(東京都の委託事業)に参加してからです。


日本でボランティア活動を始めた経緯
日本でのボランティア活動に関わり始めたのは1992年ぐらいからです。ちょこちょことプライベートでボランティア活動を始めていました。身近で困っているフィリピン人がいたら、市役所についていって欲しいとか、ビザ関係の書類とか、なぜかくちこみで、個人的に相談が来て、通訳をしていました。
また、結婚後住んでいた地域に、日本の伝統的な井戸掘りをフィリピンで役立てようと活動していたボランティアグループがあって、その団体のフィリピンと日本とのやり取りのお手伝いとかもしていました。お手紙や電話でのやり取りです。そのときは専業主婦でした。上の子どもが生まれてからも、そのグループを通じてフィリピンに通訳に行ったことがあります。子どもの初めてのフィリピンの里帰り先は、そのボランティア活動地でした(笑)。ボランティア先に行ってから実家に帰ったのを覚えています。
結婚してから、家のことをやりながら、自然と小さなところから、そういう風に繋がっていったりする。出会いって本当に不思議だなと思います。

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シェアのインタビューを受ける長沼さん


通訳は生きがいを感じさせてくれる
通訳ボランティアとしてかかわり始めた1990年代は、ちょうど時期的にも、個人的にも、主人が病気で亡くなったこともあり、いろいろありました。主人が亡くなったときは、3歳と1歳の子供がいましたからね、本当に大変でした。主人が亡くなって、働き続けました。主人の負債を相続したんです。だから、それを払わなきゃいけなかった。
でもね、不思議なんですけど、自分の身に起きていることもすごい大変、大変って思いながら、そうやって自分よりも困っている人とかに助けてっていわれると、あ、まだ自分は大丈夫なんだって。私はまだ言葉もできるし、伝えたいことも伝えられるし、何が起きても通訳がいなくても対応できるような自分がいるから。
自分はもう本当に大変だなって思いながらも、結局必要とされていることがあるから、すごい、やりがいとか生きがいとかもらえたような気がするんです。綺麗ごとかもしれないけど、結局救われるのは自分だったんだなって思っていました。だから、不思議。こんな私でも人の役に立てて。こんなすごい居心地が良くて、生きがいを感じさせてくれるのって、本当に、大変でも全然不幸ではない。


夫の病気の経験が「医療通訳」に活きる
主人が病気になったことで、病院に行ったり来たり、一日に2回行ったりすることもありました。で、分からない医療用語にぶつかったりしてたから、自分なりに辞書を引いたりしていました。そして、どういう意味だとか、疑問だと思っていたことを、主治医からそういう説明があるときに、分からないことを聞いたりしていました。おかげさまでその時に、自分は通訳いらなくてもなんとか対応できました。自分もちゃんと聞くし、だから、不思議なんですけど、主人が病気になったおかげで、と言ったらおかしいけど、今があるのかなぁと思っています。
その当時、家に「家庭の医学書」とかあったじゃないですか。今みたいにネット検索とかはなかったから、私はそれをいろいろ読んだり、調べたり、調べた言葉を英語に書き換えてどういう意味なのかとか確認していました。そういうときの大変さとか、辛さなどが、まさか10年後にシェアの医療通訳に繋がるとは思っていませんでした。
でも、まだまだ奥が深いから、きちんと勉強しないといけない。病気だからこそ、きちんとどの分野のどの通訳もきちんと正確に伝えないといけない。病気の場合には命にも関わることがあるから、きちんと正確に、もっと伝えなきゃいけないから、その辺ももっと気を付けなきゃいけないと思っています。


インタビューを終えて−病気だけでなく言葉でも不安にならずに済むように−
長沼さんは、以下のような言葉もおっしゃっていました。
「例えば、健診でも、何をされるか分からないし、もし病気が発見されると思うと怖いでしょ。だから健診でいろいろ聞くこと自体躊躇する人もいるわけでしょ。病気だけで不安なのに、言葉でも不安になったりすると、ダブルじゃない。だから、分かってくれる言語できちんと伝える、説明できる、説明してもらえる、アドバイスできる。母国語でアプローチすると、相手を安心させられるようになれる気がする。親近感も沸いてくる。」
想像力を働かせることで、誰でもこのような外国人の立場に立って感じることができると思います。これは、医療通訳に限らず、手話通訳が必要な人々などにも通じる課題だと思います。長沼さんの想いを胸に、活動に一層力を入れていきたいと思います。




在日外国人支援事業担当
山本 裕子