忍岡小学校へようこそ
ようこそ忍岡小学校へ

1.忍岡小学校とは

台東区には、創立が明治8年で142年間という、都内でも指折りの長い歴史をもつ、忍岡(しのぶがおか)小学校があります。池之端に位置し、不忍通りを隔ててすぐ不忍池や上野公園に接するという、恵まれた環境に置かれた学校です。私は3年前からご縁があって、1年に1度、6年生の授業で1時間(正味45分)お話をさせていただいています。なぜ忍岡小学校について「恵まれた環境」というのか? それは今日の「ひとりごと」の主題であるSDGs (Sustainable Development Goals:持続可能な開発) にも関係が深いことです。この学校の子どもたちは、生物の観察や歴史の学習を、上野公園という豊かな自然と歴史が息づく場所で、実物に即して、行うことができるからです。

 校長の吉藤玲子先生は、明るく、エネルギッシュで、温かい配慮に満ちた方です。ご自身学生時代に、当時日本列島の住民や自然を苦しめていた公害や環境破壊の問題に強い関心をもち、水俣まで出かけ、故・原田正純先生の知遇や薫陶も得たという探究心旺盛な方でもあります。また大田区などでの教員経験もおありとのことで、さまざまに困難な家庭環境で育つ現代の子どもたちへの、共感や理解も深くもっておいでです。

 忍岡小学校は、平成28年、29年度の台東区教育委員会研究協力学校になっています。その研究テーマとは、「学ぶ意欲をもち、グローバル化する国際社会を生き抜く子供の育成 〜 『伝統・文化』、『国際理解』の学習を通して」ということだそうです。

伝統・文化とは、
「・長い年月を経て、日々の中で様々な形で伝わってきたもの。
 ・現代において評価され価値のあるもの。 
 ・新たな文化となって未来へ受け継がれるもの。」とされます。

そして国際社会で必要とされる能力・態度とは、
「・異文化や異なる文化をもつ人を受容し、共生することのできる態度・能力。
 ・自からの国の伝統・文化に根ざした自己の確立。
 ・自らの考えや意見を自ら発信し、具体的に行動することのできる態度・能力。」とされます。
(いずれも東京都教育委員会資料)
 
 なるほど、合点の行く考え方だと、私は思いました。そして、こうした研究テーマを子どもたちと父母、先生がたが共同で進めていく上で、忍岡小学校はとても恵まれた自然と歴史の環境下にあるということは、さきほど述べたことからも理解していただけると思います。


2.私の授業内容

 7月1日は父母の授業参観の日でもあり、各学年の授業は基本的に保護者にも開放された形で進められていました。私は、「つながりあう世界 〜 NGOとは?」といったところから始め、世界、とくに開発途上国の子どもたちが、日々どういう生活や学びをしているかを、タイや東ティモールなどの国を例にとってお話しました。

ET栄養ゲーム
エルメラ県の小学校での栄養ゲームの様子
 

 東ティモールでは、小中学校での学校保健活動に、いかに子供たち自身が主体的に参加し、手洗いや食・栄養やマラリアなどの病気の予防について学び、それらの知識や実践を、一種のChild-to-Childの活動としても、地域に伝えている、といったお話をしました。いつも定番となっている寄生虫(回虫)のところでは、回虫自体を見た子どもはもういませんので、写真を見せると、「スパゲッティ?」と声をあげたりする子がいたりで、それがおなかの中にいる虫だということを知るとみなびっくりした様子でした。

私自身が、遥か昔、回虫少年だったこと、チュニジアで青年海外協力隊の医師として働いていたとき、仲良くしてもらった村の校長先生が、息子のお尻から出てきたサナダムシ(条虫)をホルマリンの瓶に詰めて、大切なコレクションとして、授業に活用していたことなどを懐かしく思い出しました。

回虫のおなかの中での様子 エプロン
回虫についてのエプロン・シアター (東ティモール・エルメラ県)


一方で、タイの田舎では、今、Buddy Home Care(バディBuddyは仲間、友だちの意味)という、保健ボランティアのおばさん、おじさんと10−15歳くらいの子どもがペアを組んで、高齢者や障害者の家を訪ねて、話し相手になったり、マッサージや散歩の同行といった簡単な在宅ケアの担い手になっているといったお話もしました。台東区でも、近年学校レベルで、認知症サポーター制度というものが、試験的にスタートし、認知症当事者の方がたや病気そのものへの理解を、先生がたや父母、子供たち自身の間でも広げていこうという動きになっていると、吉藤先生はお話になっていました。

Smile Factor
Buddy Home Care: 自宅を訪ねてくれたBuddyの子どもをハグするおじいさん

 
 台東区内には山谷地域というところがあり、かつて日本の高度成長時代(昭和30−50年代)に、首都高速道や新幹線、東京タワー、高層ビル群などの建設に献身してくれたおじさん、お兄さんたちが、いまや高齢化し、住んでいる町があることや、その人たちの日々の生活や療養を支えているボランティアや看護師さん、ヘルパーさんたちが活動する様子なども伝え、彼らに隣人として接し、理解してもらうように努めました。

山谷路上での空き缶集め
山谷で空き缶集めをして生計を立てるおじさん


3.SDGsと緑のカーテン

最後に、私はまとめとして、「21世紀に地球市民として生きる君たちへ」という題で、2015年から世界全体の目標となったSDGs(持続可能な開発目標)のことをお話しました。考えてみれば、SDGsは単なるお題目ではなく、日々の生き方・暮らし方そのものであり、そこから出発して、地球の環境や生物多様性といった大切な課題に取り組んでいく活動そのものなのだ、という思いを、忍岡小学校の取り組みや、先生方や生徒、父兄の問題意識にも感じ取ることができました。
 
 7月1日の上野は梅雨の天気で、けむるような雨天の中、校舎の壁面を覆う、琉球朝顔の緑のカーテンの鮮やかな緑と藍のすずしげな美しさに、私は目を奪われました。

忍岡小学校写真1
忍岡小学校の校舎を覆う緑の美しいカーテン


日本でも指折りの夏の酷暑に悩む熊谷市などが、自治体をあげて、こうした蔦科の植物を上手に利用して、あちこちの公共の建物や個人宅に緑のカーテンを作ることを、奨励し、コンテストを行い、町の景観をよくするとともに、地球温暖化現象を少しでも和らげ、市民の意識を高めていこうとしているのも、SDGsの活動として有意義なものだと思われます。

忍岡小学校がいかに地域で愛され、住民の誇りとなっているかは、この日の保護者の方々の熱心な参観の様子からも知ることができました。こうした伝統と歴史のある学校で、あらたに国際理解や環境保全、生物多様性保護などの活動が進み、次代を担うすばらしい地球市民の子どもたちが育っていくことを祈って、私は学校をあとにしました。

SDGs シェーマ
SDGsのシェーマ


2017年7月7日
シェア代表 本田 徹
honda





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「共生主義宣言 − 経済成長なき時代をどう生きるか」(コモンズ)を読んで

西川潤 共生主義宣言 本カバー
共生主義宣言 表紙


1.はじめに

先日、尊敬する開発経済学者で、早大名誉教授の西川潤先生(ここから先は、親愛をこめて「西川さん)と呼ばせていただきます)から、フランスの経済学者マルク・アンベールさんとの共同編著「共生主義宣言 − 経済成長なき時代をどう生きるか」(コモンズ)をお贈りいただきました。

文章は平易ですが、少し横文字の用語もありますし、内容は必ずしも簡単に頭に入るものではありません。一つには、東京のような大都会に暮らして、「外」から与えられた食物や消費財に頼っているだけの私のような人間には、ほんとうの意味で「共に生きる暮らし」をしている自信がなく、実感として「共生主義」を受け入れ、実践することが、まだむずかしいのかもしれません。

しかし、この本に盛られているマニフェスト(宣言)とそれを支える考え方、そして豊富な国内外の事例は、たぶん人類や地球の未来と運命に深くつながる重要なものなのだ、という確信はもてました。ですので、一知半解な知識だし、まちがった理解に基づいたデタラメを言うリスクが大いにあると、思いつつ、この一文を草し、皆さんにも一緒に考えていただければ、嬉しいです。

まず、「共生主義」とは何かについて、フランス発のこの運動のホームページに掲げられた宣言をお読みになってください。原語はフランス語ですし、全体を知るには仏語の理解が必要ですが、要約版は日本語を含むいくつかの言語でも読むことができます。

共生主義宣言(要約版)


ずばり「共生主義」(Convivialisme:仏語)とは何か? アンベ−ルさんは第2章の「共生主義宣言―相互依存宣言」の中で、こう語っています。
「共生主義は、『自然資源が有限であることを十分認識し、この世界を大切にする気持ちを分かち合いつつ、競い合ったり協力し合ったりして人類が生きていくには、どのような原則が必要か』を考える。もちろん、われわれはみなこの世界に等しく属しているということを念頭に置く」
なるほど。得心の行く、考え方ではあります。


2.「いのちの思想」の滔々たる系譜

さて、先日アーユスのNGO大賞を、ありがたく、また慎んでお受けしたときのスピーチで私は、青い地球に生命が宿って38億年くらいの時が経ち、宇宙船地球号は、膨大な<いのち>とそのゲノムを乗せてどこへ向かおうとしているのか、と言った意味のことをお話させていただきました。

核戦争や過度な経済・産業活動によって地球環境自体を滅ぼしてしまう、破壊的な能力を人類が獲得してしまった今、私たちが生命界全体に対して負っている責任の重大さは一層ぬきさしならないものになっています。

アーユス(サンスクリット語の「いのち」)の名を冠するNGOの賞を授与されるという栄誉をいただく以上、そのことにはぜひ触れさせていただきたいと思った次第です。
 

 私の乏しい読書や学習の経験からは、アンベールさんや西川さんの「共生主義」は、古くて新しい、人類共通の生命哲学の系譜を受け継ぎ、危機にある現代にもう一度実践的な知恵として位置づけし直そうという、模索の中で生まれてきたもののようにも見えます。
 
 釈迦、老子に始まり、近現代で人類に大きな知恵を残してくれた、ソロー、トルストイ、チェーホフ、ガンジー、宮沢賢治、南方熊楠、レイチェル・カーソン(「沈黙の春」の著者)、シューマッハ(「スモール・イズ・ビューティフル」の著者)などの人びと。そして、共生主義という言葉の直接の生みの親は、イヴァン・イリッチのConviviality(自立共生)にあることを、私は西川さんの筆になる本書の第1章を読んで初めて知りました。

そう言えば、イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」(ちくま学芸文庫)の訳者・渡辺京二さんは、「逝きし日の面影」の著者でもあり、「苦海浄土」の石牟礼道子さんの同志とも言える人です。このお二人がどんなに深く人のいのちを見つめ、慈しみ、語って来たかを、すこしだけ、学んできた者として、共生主義の広い裾野を感じることができます。


3.プライマリ・ヘルス・ケアから皆生農園まで − 実践を通して学ぶ

 プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)は、共生主義を保健・医療の分野で展開したものと考えることもできるな、と私は本書を読んで、改めて感じました。西川さんはかつて、鶴見和子さんらと共に「内発的発展論」を唱えた先駆者でもあります。

彼が同名の書(東大出版会 1989)の第1章「内発的発展論の起源と今日的意義」で紹介しているのは、1977年にダグ・ハマーショルド財団が提言し、当時世界的な反響を生んだ「もう一つの発展(Alternative Development)」論の基本原則でした。 

つまり、1)人間の基本的必要に志向(Needs-oriented)、2)内発的(Endogenous)、3)自立的であること(Self-reliant)、4)エコロジー的に健全であること(Ecologically sound)、5)経済社会構造の変化が必要であること(Based on Structural Transformation)。これは、途上国の主導で1970年代に、新国際経済秩序(New International Economic Order)が国連総会で採択され、それに呼応する形で1978年にPHCに関するアルマ・アタ宣言が発布されたのと、軌を一にする動きだったわけです。その意味では、PHCは、より公正で、普遍的な「もう一つの開発」を、保健・医療分野で実現しようとした、試みだったとも言えます。

この「ひとりごと」の45回(2013年6月)で私は、「草木国土悉皆成仏」という天台密教思想の根幹にある(梅原猛さんの説)ことばに触れながら、UNESCOの文化多様性宣言の中のある文章を紹介しました。以下、その部分を引用します。

草木国土悉皆成仏をめぐって


2001年にユネスコは、「文化多様性に関する世界宣言」(Universal Declaration on Cultural Diversity)を出しています。その第1条で、文化多様性は人類共通の遺産(the common heritage of humanity) だとして、「人類にとって文化多様性が必要なのは、自然にとって生物多様性が必要なのと同じだ」(Cultural diversity is as necessary for humankind as biodiversity is for nature) と強調しています。

そして、この宣言は、2005年にユネスコが出したもう一つの宣言「バイオエシックスと人権に関する世界宣言」(Universal Declaration on Bioethics and Human Rights)と「対」になっているものです。

生物多様性と文化多様性の両方を尊重していくことが、人類と地球の生存と発展のために不可欠だという価値観は、この共生主義を貫くものともなっているのです。
 
 本書では、理論的なことにとどまらず、フランスや日本で共生主義に基づく、環境に親和性の高い農業実践と、それを都市の消費者を直接つなぐ運動の成果事例が豊富に紹介されています。またアフリカ学の勝俣誠さんによる、現場と理論をつなぐ丁寧な解説も、たいへん参考になります。

 私自身は、元・JVCのスタッフで、ソマリアで「風の学校」の創設者・中田正一さんとの出会いが機縁となって、農業の道に進んだ鴇田三芳さんたちによる「皆生農園」の働きに共鳴し、小さな定期購入者になっています。毎月どんな新鮮野菜が届くのかなと、楽しみにしています。彼のところの農産品はほんとうにおいしく、解説付きできちんと送ってくれますので、皆さんにもお薦めしたいと思います。皆生農園のHPは下記の通りです。

皆生農園のHP


 昔、鴇田さんがまだ農園を始めたばかりのころ、小学校入学前の三男の耕(こう)を連れて、当時江戸川区小松川にあったシェアの事務局を支えてくれていた、大嶽さんの息子さんと一緒に彼の農園を訪れ、芋堀りをさせていただいたときの、子どもたちの喜びようはいまだに忘れられません。そういう土になじむ体験を通して、都会の子どもたちが、食べ物を作り、いただくことが、どんなに大変で、でも楽しい営みなのかを、学んでいく機会を増やすことはとても大切です。その意味でも、こうした、志ある農業実践家と、私たちはもっと結びつき、協力していく必要があるのでしょう。

おーい里山 ビッグイッシュ―
ビッグイッシュ―「おーい、里山」(#310、2017年5月1日号)


4.結びとして―里山資本主義とSDGs
 
 2011年3月11日の東日本大震災とその直後に発生した、福島第一原発事故は、今に続き、またいつ終息するとも言えないたいへんな試練を日本列島とその住民にもたらしました。その帰結はたぶん、22世紀になっても本当の意味では見えてこないのだろうと思います。

 路上生活者支援の週刊誌「ビッグイッシュ―」が2017年5月1日号で、「おーい、里山」という特集をしているのはとても時宜にかなったことでした。この雑誌は一貫して、福島からの避難民のためのメッセージを発信し、事故の被災当事者たちの声を伝え、専門家の意見や助言を掲載し、当事者たちを助ける働きをしてきたからです。同時に、危機に瀕する福島の美しい里山をどう蘇らせるかは、住民と「外からの」協力者や専門家が一致して考えていかねばならない、長期に及ぶ課題なのでしょう。このプロセスで、行政が果たさねばならない役割にも大きなものがあります。
 
 その意味で、私たちが学ばなければならないのは、「里山資本主義」という考え方なのかもしれません。提唱者の藻谷浩介さんと、NHK広島取材班の共著については、以前紹介したことがあります。

「里山資本主義」 藻谷浩介、NHK広島取材班(角川Oneテーマ21)

ひとりごと37:2011年3月
日本哲学会の場で聴く「持続可能性」の思想 − 原発事故と大震災の中で働く哲学者たちの危機意識


 「共生主義」は本当に可能なのか、そして、日本の社会で多数派と言わないまでも、きちんと影響力や発言力をもった考え方として、定着し、広まっていくことができるのか。
そんなことを思いながら、この有意義な本の最後のページを閉じたのでした。

 最後に、シェアの現場での仕事に関わりの深いSDGsについて。国連が2015−2030年の15年間にわたって世界全体の(途上国だけでなく先進国にも必要なものだから)開発目標として定めたSDGs(持続可能な開発目標)は、まさに共生主義にもとづく社会を創っていこうという野心的な企図でもあるわけです。

SDGsを通して、私たちの暮らしを成り立たせている、モノやカネや情報やサービスによる、世界的なつながりや構造的差別・搾取の関係を見直し、少数者や生態系に対してより配慮し権利尊重を旨とした、生き方が問われてきます。人びとの健康に関わるNGOとしては、シェアはやはりSDGsの中でもUHC(Universal Health Coverage:普遍的医療保健保障)に関する分野において、参加型で、インクルーシブ(包摂的)な活動を目指していきたいと願っています。

さて、今日からは東北タイにでかけ、デビッド・ワーナーさんや、HSF(Health SHARE Foundation)の仲間たち、工藤芙美子さん、広本充恵さんらと活動をともにしてきます。

また帰国したら、ぜひ、この「ひとりごと」で、タイからのつぶやきを皆さんと共有したいと思います。



2017年5月20日
シェア代表 本田 徹
honda




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Pun moo of HSF
HSRのマスコット、水牛の親子「パン・モー」



1.水牛の親子(パン・モー)に託すHSFの願いと行動
 
2012年にシェア・タイから独立しタイの財団となったHealth and SHARE Foundation (HSF)は、ちょうどシェアが「うさぎ」のシェーちゃんアーちゃんをマスコットとしているように、水牛の親子、あだなは「パン・モー」をマスコットにしています。この親子がまた、シェーちゃん、アーちゃんに負けないくらいかわいいのです。なぜバッファローをマスコットにしたかというと、代表のチェリーさん(看護師)の説明によるとこうです。「パン・モー(Pun Moo)は東北タイ(イサーン)の言葉で、パンが分かち合うこと、モーは友だちという意味です。パン・モーはだから「シェア・ウイズ・フレンズ」ということになります。水牛は、働き者で、正直であり、あくまで平和の志をもって歩み続ける、素晴らしいスピリットの持主です。ちょうどHSFが目指している理想と価値観を、パン・モー親子は体現してくれているのです。」

この11月に私は1週間ほど、東北タイとバンコックを旅しました。HSFのスタッフにぴったり同行して活動現場を見学し、ロイ・クラトーン祭り(精霊流し)の、68年ぶりという名月をモン河の川岸で眺め、HSFの理事さんたちと意見交換を行い、確かに彼らは地に足の着いた、すばらしい「パン・モー」として働いているな、と改めて深い感銘を受けました。


シェアタイ活動 小学生のサマーキャンプ
シェア・タイのエイズ教育 子供たちのサマーキャンプ2002年



2.20年以上にわたる地域でのHIV活動を通して培った参加型教育(PRA)

HSFの中核を担っている、チェリーさん、ノイさん、トムさんらは、皆、工藤芙美子さんが、1994年に東北タイのウボン県とアムナッチャラン県でHIV・エイズの予防・啓発活動を開始してから以降、シェア・タイのスタッフになった人たちです。一方、彼らの活動対象・パートナーだった方がたは、普通の村人であり、HIV陽性者であり、患者さんであり、障害をもった子どもであり、ラオスから移住してきたセックスワークを生業とする女性とその家族であり、MSM(=Men who have Sex with Menの略。男性と性行為をする男性)であり、また地域のさまざまな機関(病院、保健所、行政)の職員であったりしました。これらのカラフルな人たちとともに、差別のない暮らしを創り、共存していき、困っている人や仲間を助けるために、HSFのスタッフは、コミュニケーションやファシリテーションの技を磨くことを、工藤さんをはじめいろいろな専門家(タイ人、日本人)から学んできました。その有力なツールが、PRA(参加型農村調査法:Participatory Rural Appraisal)という手法でした。

理論としては、英国サセックス大学のロバート・チェンバースという先生たちのグループが、長年の途上国での実践を通して創り出してきたものと言われていますが、工藤さんは必ずしも初めから、PRAを意識して使ったというよりも、村で保健ボランティアと対話したり、デビッド・ワーナーの「医者のいないところで」(Where There Is No Doctor)といった本を参照・活用する中で、自然にPRAを身につけていったようです。チェリーさんらHSFの活動者は、工藤さんやシェアの日本人たちと働いた20年にわたる修練と経験の中で、少しずつ、自らの技と心を磨き、東北タイ式のPRAを創りあげ、いまそれがよく花開いてきたのだということを、ワークショップなどの見学を通して私は感じ取ることができました。


Buddy home care training 2
バディ(VHVと子どものペア)で楽しいゲームに興じる:ケマラート市内郡保健所で



3.高齢社会へのタイの取り組みとFCT(ファミリー・ケア・チーム)そしてバディ・ホームケア(Buddy Homecare)

タイでは、いま、日本に迫るようなスピードで高齢社会への歩みが始まっています。これは、第二次大戦後アジアでもっとも早くから家族計画に成功した国であったという、タイ国の輝かしいコインの裏面という性格を持っています。いずれにしても、高齢とともに、さまざまな慢性疾患や認知症を発症した方がたを、地域で支え、人としての尊厳をもった暮らしを、最後まで続けていただく、という取り組みがとても重要になってきています。

そこで生かされているのが、タイ独自に発達してきた、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の仕組みです。とくに郡病院から、タンボン(Sub-district)にあるヘルス・センター(現在は、Community Supporting Hospitalという呼称に変わってきているようですが)、村の保健ボランティア(VHVs)に至る、地域のリソース(資源)を十全に活用するという考え方と政策です。2015年から本格的に全国で始まったFCT(Family Care Team)では、保健ボランティアのうち選ばれた人たちを、村のケアギバー(介護者)として養成し、ヘルス・センターの看護師らとチームで地域の高齢者宅を回り、必要なケアを在宅で提供していくという体制を組むようになっています。こうしたFCTがタイ全土で1万5000組以上、すでに活躍していると聞きます。また去年くらいから、Primary Health Clusterという、FCTなどの活動を支える診療拠点が都市部を中心に展開するようになり、ウボン市でもそうしたクラスターの一つを見学することができました。

私が今回の滞在中とくに瞠目したのは、ケマラートの市部でHSFが保健所と協力して始めた、バディ・ホームケアのトレーニングでした。これはVHVと10−15歳の子どもが2人一組のペアを組んで、高齢者宅や支援を必要とする障害者宅などを回り、ケアを提供するという試みで、まだ始まったばかりとは言え、非常に独創性の高い、有望な取り組みという印象を受けました。この子どもたち自身、経済的に困窮していたり、ラオスからの移民の家庭など、恵まれない環境で育った子が多く、自尊心や将来への目的意識を培っていくことがむずかしくなっている場合も多いと言います。そうした子が、保健ボランティアのおじさん、おばさんと一緒に家庭を訪問する中で、生きがいや勉学への意欲を取り戻してくれるようになり、またVHVにとってもモチベーションを高めるきっかけになることが期待されます。高齢者自身にとっても、子どもが家に来て話し相手になってくれることは、とても嬉しいことでしょう。

こうしたFCTやBuddy Homecareのタイならではの独自性は、日本のように、高齢者ケア、障害者ケア、小児ケアなど、地域の端々まで、縦割りが貫かれ、「水平の連携」を欠いたシステムに対して、大きな示唆を与えてくれるものと思われます。

最近、慶應義塾大学・看護医療学部/大学院健康マネジメント研究科教授の小池智子さんから教えていただいた言葉に、’Reverse Innovation’という概念があります。つまり、途上国「発」で、先進国にとっても大きな学びとなるような技術・考え方で、普通は先進国から途上国の向きにしか起こらないと私たちが思い込んでいるイノベーションが、「逆向き」に起きることが大いにあり得ることを教えてくれています。バディ・ホームケアは、ある意味で、長年、HIV孤児や村の障害児や保健ボランティアと接し、協働してきたHSFのスタッフだからこそ、考えついたり、取り組もうと思ったスキームで、これもリバース・イノベーションの一つとして、日本の私たちが、謙虚に学んでいかねばならないことなのでしょう。


Buddy home care training
バディ・ホームケア・トレーニングで見事なファシリテーションをするHSFのPoo Payさん
(シェアのT-shirtと着た人)11月17日



4.マヒドン大学訪問とHSFの今後 − デビッド・ワーナーをイサーンに招きたい(Buddy Homecare)

旅の締めくくりに11月17日、私はチェリーさん、ノイさんと一緒に、バンコック市内のマヒドン大学公衆衛生学部(Faculty of Public Health, Mahidol University)を訪問しました。HSF理事長で、長年の友人でもあり、今年ウボン県保健局長の要職に就いたDr. Jinn Choopanyaが、HSFスタッフとの同行訪問を強く勧めてくださったこともあり、私たち二人が異なる時期にAIHDで勉強したときお世話になり、今はFacultyの先生をされているDr. Nawarat Suwannapongの親切な仲介もあり、この訪問が実現しました。

当日は、副学部長のKwanjai Amnatsatsue先生はじめ、様々な先生方、日本人やパキスタン人の留学生も参加され、2時間以上に及ぶ、有意義で楽しい意見交換となりました。HSFにとっても、ケマラートという国境の町での多文化共生を目指す、東北タイのユニークな財団の活動をアピールする良い機会となったことでしょう。

この席で、デビッド・ワーナーさんを、HSFとシェアの有志で、来年5月ころ、ケマラート病院に日本大使館の資金援助で建設されるHIV陽性者やLGBTの人たちのためのセンターの落成式の機会にお招きし、現地で講演やワークショップを開く計画のあることをお話しました。Kwanjai先生たち大学側は、強い関心をもたれ、ぜひFacultyでそのころ開かれるInternational Forumでもデビッドさんに講演していただきたいという要請をされました。高齢で病気回復後のデビッドさんにあまり負担はかけたくないですが、今後慎重に準備を進め、計画を実現したいと願っています。

空港に向かう前に、私たちは、元シェアタイ代表で、今もHSFの素晴らしいアドバイザーとして、様々な支援をしてくださっている岩城岳央(たけひろ)さんとタイ人の奥様にも再会し、旧交を温めました。
 
今後につながるさまざまな出会いと学びをさせていただいた、今回の旅行でした。
以下、HSFのホームページのご案内です。まだまだ財政的には厳しい状況が続く、生まれて間もない若いNPOですので、日本の皆さんからの支援をぜひよろしくお願いしたいと思います。

下記、HSFのホームページを訪ねてみてください。
http://healthandshare.org/en/

Faculty of Public Health Mahidol にて Nov 18,2016
Kwanjai先生、Facultyのスタッフ、留学生、Cherry、Noiらとの集合写真



2016年12月2日
シェア代表 本田 徹
honda




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9月12日、2年ぶりに気仙沼を訪れ、はしかみ交流広場・プロジェクトKのスタッフ、西城さんや大森さんたちとの再会を喜び合いました。

今回の訪問で、楽しみにしていたことの一つは、気仙沼に住む若いお母さんたちが自主的に、去年から始めた「ママの心と身体の健康サロン」というグループと、プロジェクトKが協力して、階上公民館で9月12日に開くという、母と子の健康相談会を見学させてもらうことでした。当日、気仙沼の幅広い地域から集まってくれた、計12組の母親や子どもたちで、公民館はとてもにぎやかで和やかな雰囲気に包まれました。


階上 母と子の健康相談会 受付と測定
健康相談の受付、問診と簡単な検査(血圧、BMI、体脂肪率測定など)の風景


グループのコンセプト
このグループのコンセプトは、「ママと子が気軽に集まり、子は楽しく遊ぶ!
ママは生活に役立ち、また、リフレッシュできる学びを得る!
親子の心と身体の健康を維持することを目的とした気仙沼地域の団体です。」というところにあります。

このママたちが、子育てや介護の大先輩の西城さんや、自身助産師でもあり、子育て真っ最中の大森さんのようなエキスパートから助言をもらいながら、ジョイントでこうした催しを実行するというのは、本当に素晴らしいことだと思いました。

まだ2〜3歳の子どもたちが、階上(はしかみ)公民館の2階の畳の広間で元気に声を出し、走り回っているさまを見ていて、私は「アッ、そうだこの子たちは3.11のときはまだ生まれてもいなかったのだ」という当たり前のことに気づかされ、そして目がしらが自然に熱くなるのを感じました。ぜひ、この小さな新しいグループが、さまざまな困難をのりこえ、気仙沼の若い母親たちや子どもたちの交流と連帯の輪を広げ、発展していってほしいと、切に思いました。またプロジェクトKにとっても、母親グループとの連携は、活動の質的な新展開になるのではないでしょうか。


お母さんの読み聞かせ
お母さんによるアンパンマンなどの絵本の読み聞かせ


記録集「永遠に〜杉の下の記憶」の出版
あの大震災のとき、階上公民館の下の、海よりの「杉の下」の集落では、93名もの方がたが津波に呑まれ、亡くなられたのでした。それらかけがえのない、一人ひとりの方がたを、追憶し、生き残った家族の語りという形で記録し、彼らを偲ぶとともに、二度とこのような悲劇を繰り返すまいと言う祈願から、この記録集「永遠に〜杉の下の記憶」は、今年2016年3月に編まれ、出版されたのでした。


永遠に 杉の下追悼集
記録集「永遠に〜杉の下の記憶」の表紙

 
50人以上の生存者からの聞き書きをほとんど一人でされたのが、小野寺敬子さんで、ご自身お父さまが津波の犠牲になっています。 この聞き書きの凄さと感動の源は、やはり土地のことば、気仙沼方言の生む語りの力強さ、飾り気のなさに、由来するように思いました。波間の向うに永遠に去ってしまった家族に、無限の愛を寄せながら、でも証言者自身の、人としてのユーモアや温かさが自然と出てしまうところに、大きな魅力を私は感じるのでした。


座談会
たとえば、冒頭に収められた座談会の中で、斎藤民子さんは、息子・満(みつる)さんのことを思い出しながらこう語ります。

「うん。神社のお供え餅とりんごでね、みんなでお腹の足しにしたの。別な避難リュックに食べ物や通帳いれてだんだけんと、それは満にもたせでだがら、全部海に持ってがれでしまった。満はあっちで、おやつ食べてこづかいも使ってるかもねえ。」
この母親、民子さんは、どんなに大きな愛情を息子・満に注いでいたことか。だからこそ、息子を喪ったことの悲しみの深さを、こんな風に冗談っぽくでも言ってしまわなければ、自身やりきれないのです。

また腕ききの漁師、小野寺憲夫さんは、いつも一緒に海で漁をしていた、自慢の息子・節夫さんの命を、やはり津波に取られてしまいます。「すこしずつガレキが減っていって、浜がきれいになってきたのを見で・・・『よし!まだ海やっぺ!』って思った。まだ頑張っぺ!って。

今、ワカメもやってるし網もさしてっけんと、いっつも節夫が居だらなぁって思うんだ。一時も頭から離れる事ない。節夫居だらこんな風にやったな、二人でやればこう出来だなって、事ある限り考えでんだ。海さ出で、何回も名前呼ぶんだ。」

こういう、一人ひとりの切々たる話を読んでいると私は、スベトラーナ・アレクシエ−ビッチの「チェルノブイリの祈り―未来の物語」(岩波現代文庫)から受けた、鮮烈な感動を思い出してしまいます。傾聴という点では、小野寺敬子さんの能力の高さにはスベトラーナさんに並ぶものを感じるとともに、やはり小野寺さん自身が被災し、親族を亡くされ、悲劇の細部と杉の下の住民と家族の関係をことごとく知り尽くしていらしたことが、この記録集に高い資料的価値をもたらしたのだと思いました。

なお、この記録集はまだ少し残部があるようですので、本誌1200円と送料で、プロジェクトKに申し込むと入手できるかもしれません。もちろんプロジェクトKそのものを、以下のURLより、ぜひお応援していただきたいです。http://seikatsushien-k.jimdo.com/


最後に・・・
私が気仙沼にお邪魔するたびに再会を楽しみにしている、川柳作家で漁師の鈴木日出男さんのことに触れます。鈴木さんも去年だったかに、仮設住宅を出て、次男さんご家族と一緒に復興住宅に入居されました。句作と水彩画描きと湯治とワカメづくりやアワビ漁りにマイペースでいそしまれる日出男さんは、2年前よりつやつやして元気を増したような印象で、とても安心しました。膝がだいぶ変形して、ときどき針やマッサージも受けておられるようです。
 
いただいた自選最新句集「日出男の寝言語り−その後」から私をうならせた何句かを引きます。
・年始客と見れば離れぬ三才児
・オール電化スイッチ怖くて触れない
・ベランダが姥捨て山になる時代
・ボケモンならここに居ります捜さずも

一句目はお年玉をゲットしようと待ち構える三歳へのユーモラスな観察。二句目は、復興住宅の便利とハイテクが過ぎて年寄りにはなんとも扱いかねている自己への揶揄。三句目は、昨年かに介護施設で起きた、職員によるベランダからの高齢者投げ落とし殺人事件のブラックユーモア。四句目は言わずとしれたポケモンブームを「ボケモン」たる自身の目で茶化した秀句。

いやはや鈴木さん、脱帽でした。どうかお元気で、ますます健筆をふるってください。


階上 鈴木日出男さん
自作の句集を前に語り尽きない日出男さん


2016年9月15日
シェア代表 本田 徹
honda





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タイ財団HSFとシェアの「卒業式」
−新たな2か国草の根パートナーシップ形成に向けて−
 

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とっても久しぶりにご報告を寄せます。

1990年以来、NGOシェアは東北タイ(主としてウボン県)の村落部で、地元の人びとのお世話になりながら、保健活動に従事してきました。看護師の工藤芙美子さんを中心に、ヤソトン県のシケウ村で下痢予防対策に取り組みました。保健ボランティアたちとの協働を通して、住民どうしの気づき合いを創り出していく、プライマリ・ヘルス・ケアの活動と位置付けられるものでした。結果として、飲み水やタイ式トイレの利用、環境衛生に関する住民の認識や行動が改善し、下痢疾患が著明に減少する成果をあげ、東北全体でシケウ村の保健ボランティア活動は表彰され、一つのモデルケースとなります。1994年からは、活動地をアムナッチャラン県やウボン県に移し、当時深刻さを増していたHIV/AIDSへの地域での予防啓発活動、日和見感染症治療支援などに取り組むようになります。
こうした活動の過程でHIV陽性者による自助グループが、県や郡の病院で徐々に形成され、2003年ころからタイでも導入されるようになった、安価な抗ウイルス薬(ARVs)治療の普及が、陽性者や患者さんたちのエンパワメントを助ける大きな流れを作っていきます。
2008年には、ウボン県の中でも、HIVの新規感染者数がなお多く、ラオスからの移住労働者が種々の健康問題に直面する、メコン河沿いのケマラート郡に活動地を移し、それとともに、子どもや性的マイノリティの問題にも、スタッフは果敢に取り組むようになります。
同時に、長年の懸案だったシェアの現地法人化の準備をすこしずつ進めていきました。2012年にタイ人スタッフが立ち上げた、現地法人HSF (Health and SHARE Foundation) が、3年間の移行期間を経て、完全独立することとなった今年3月の節目に、私は、ケマラート郡とウボン市を、日本からの同行者とともに訪れました。

駆け足での現場の活動見学でしたが、HSFがケマラートのHIV陽性者やラオス人移住労働者のコミュニティによく溶け込み、彼らの信頼を勝ち得ていることを実感できました。それにしても、やはりたいへんなのは、活動資金の確保です。ぎりぎりの綱渡りでスタッフ5人はがんばっているのですが、タイ人特有の明るさなのか、「なんとかなるし、していくさ」といったところが頼もしいようでもあり、ちょっと危なっかしい感じもあります。ともあれ、一緒に卒業式を迎えた仲間としての責任や、今後もパートナーとして、実りある連携を続けていくことの必要性を痛感しました。
タイはすでに中進国であり、援助の必要などないといった議論もよく聞きますが、国境をはさんで常にラオスやカンボジアやビルマからの難民や移住労働者の課題に直面し、それに対して少なくとも保健・医療の面では、人道的でリーズナブルな受け入れ体制を整えてきた、タイの経験から、日本政府や日本人が学ぶべきことは多くあります。コマーシャルセックスに関わるヒューマン・トラフィッキングで、なお国連の女子差別撤廃委員会や米国務省などから、批判を受けるような犯罪が、この国ではあとを絶たず、十分な対策が取られているとは言えない現状があるのです。

卒業式で私が、HSFの代表理事(シーサケット県保健局長が公職)のDr. Jinnと交わしたのはパートナーシップ宣言書と、互いのエンブレムでした。写真で私が抱えているのは、HSFの団体としてのロゴマークですが、その意味するところは、二人のひとが互いに力を合わせてひとつのハートを大切に運んでいる姿に見えます。タイ語で、「ナムチャイ」(水のこころ)は、「思いやり」を意味することばですが、HSFはまさに、地域住民と共に働く事を通して、このナムチャイを実現したいのだと、事務局長で看護師のチェリーさんは言っています。
一方、Dr. Jinnが持っているのは、デビッド・ワーナーが2009年に来日したとき、シェアのために描いてくれた絵で、「弱さから力が生まれる -- From Weakness, Strength」というメッセージを語っています。古代中国の陰陽思想に言う、ネガテイブがポジテイブに変る、という逆転の教えを、かわいい白アザラシの子二匹が抱き合っているような図で表しています。これは、メキシコで障害を持った若者が、すぐれた傾聴能力や「ナムチャイ」をもった保健ワーカーに育っていったという自身の体験から生まれた確信だとデビッドは言います。

12819314_859329744178451_3151784756886863583_o最後に紹介するのは、チェリーの息子・プーピアン君(1歳半)。去年5月に私がケマラートを訪れたときには、彼はまだ首も座らないくらいの赤ちゃんだったのに、いつの間にかしっかり歩き、HSF事務所の皆からかわいがられ、共同保育されている感じとなっています。
プーピアンの意味するのは、「高い山」だそうで、水のこころに通じる、母親チェリーの思いが伝わってくるような、すてきな名前だと思いました。HSFとともに、この子がすこやかでおおらかに育っていってくれることを祈らずにいられません。
今後HSFとのパートナーシップをどう展開させていくべきか、シェアとして克服すべき課題や困難はいろいろありますが、最善を尽くしていきたいと思います。皆さんからのご支援やご助言をいただけるとたいへんありがたいです。


2016年3月9日
シェア代表 本田 徹
honda


3月19日(土)には、タイ事業最終報告会「組織運営とプロジェクト運営の自立〜インタビューで振り返る、タイ事業の26年〜」が行われます。

**応援よろしくお願いいたします**

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