20180831-1 写真1 PHC 40年 ウボン講演
アルマ・アタ宣言40周年 ウボンでの講演「すべてがプライマリ・ヘルス・ケアから始まった」

1. アジア・太平洋公衆衛生国際会議に招かれる

去年の5月、デビッド・ワーナーさんや、工藤芙美子さん、広本充恵さん、そしてHSF(シェアから独立した、タイの財団Health SHARE Foundation)の仲間たちと一緒に、東北タイ(イサン)のウボン市やケマラート郡を講演やワークショップで回ってから、いつの間にか1年以上が経ちました。今回は8月16−17日、ウボン市で開かれたアジアの高齢化問題を考える国際会議でお話する機会を与えられ、タイ訪問は27年ぶりとなる連れ合いを伴って訪ねました。この会議は、Rajabhat大学公衆衛生学部とウボン県保健局の共催で開かれました。

 アジアの高齢化は、急速なスピードで進行しています。家族計画などの政策や人びと自身の価値観の変化などがあいまって、タイやベトナムでは、いま、日本を上回る速度で、(A) 高齢化社会(65歳以上の人の全人口に占める割合が7%以上)から、(B) 高齢社会(同割合が14%以上)への歩みをたどっています。日本はすでに、(C) 超高齢社会(同割合が21%以上)に突入しています。日本は、欧米諸国に比べると、(A) から(B) への移行に24年という早いペースで到達したのに、ベトナムは19年、タイは22年と、日本をさらに上回る速度で到達する見込みということです。タブーのない家族計画の成功で、一家に一人ないし二人の子どもという世帯構造の縮小がもたらされました。しかし、コインの裏側として、この成功は、日本に次いで、中国、ベトナム、タイなどの国々で急速な社会の高齢化を促し、対策が一層急がれるようになっているわけです。

20180831-2 写真2 ESCAP資料 高齢化のスピード
高齢社会への歩み(ESCAP:AGEING IN ASIA AND THE PACIFIC Overview 2017)より

 私は、今につながる20世紀以来の人類共通の取り組みが、「すべてアルマ・アタから始まった」(Everything started in Alma-Ata)と講演冒頭で述べましたが、その考え方は聴衆の方々にも共有されたように思いました。日本の経験の中で、アジアの国々にとって参考となるかもしれない、佐久や山谷での取り組みなどを紹介しつつ、一方で、タイにおける郡レベルの保健システムを活用した、PHCに基づく包括的な地域ケアの仕組み(縦割りでなく、高齢者も障害者も子どもも、可能な範囲で一体化したケアのあり方)から、日本が学ぶべきことの多いことも指摘させていただきました。

私が驚いたのは、ウボン県保健局の前局長で、シェアから独立した現地財団HSF(Health SHARE Foundation)の理事長も務める Jinnpipat 医師の発表が、ほとんど、7月23日に起きたラオスのダム決壊事故への救援活動報告一色だったことです。この事故とは、Attapeu県に建設中の水力発電所ダム(セピアン−セナムノイ発電所)が、折からの豪雨と工事の不良で、決壊事故を起こしたというものです。アタプー県とウボン県が姉妹都市関係を結んでいることもあり、発災と同時にウボン県は全力を挙げて救援に向かいました。そのこと自体は素晴らしいことではあったのですが、このダムの建設には、タイの電力会社も資本や工事の面で深く関与していました。事故をきっかけに、国境を越えた電力事業の利益ばかりを考えて、現地の人々のいのちや生活、生態系を犠牲にして顧みない開発のあり方に、タイの市民社会では深刻な危機感や反省が生まれています。アジアの「パワーハウス」を目指していたラオス政府は、いったんすべての水力発電所建設計画を棚上げにし、見直すことを、表明しています。

引用:バンコック英字紙Nation:“Don’t make dam business solely about profits, say (Environmental)advocates”( Aug. 18-19, 2018)

高齢化問題を話し合うタイの国際会議で、隣国ラオスのダムの決壊事故が一大トピックになったこと自体、医療・教育・貧困などの社会問題と、地球環境・生態系の課題とが、いまや地続きになったというSDGsの基本認識が、改めて人びとの胸に落ちたのです。

20180831-3 写真3 ケマラート病院に完成した訓練センター  (1)
ケマラート郡病院に新設された訓練センターの前でほほ笑むチェリーさんとトムさん

2. ケマラート郡でHSFの活動を見る


・ケマラート郡病院内の保健訓練センター
ケマラート郡で私たちが最初に向かったのは、郡病院の構内にできた新しい、保健活動訓練センターでした。これは、日本大使館の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」を、ケマラート郡病院自体が申請し(HSFやシェアもお手伝いをしましたが)、今年7月ようやく建物の完成に漕ぎつけたものです。HIV陽性者やLGBTの人たち、また地域の保健ボランティアなどが幅広く利用できる、白壁の立派な訓練センターで、2階は80人くらいが一度にトレーニングを受けられる広い部屋で、1階はHSFの事務所などが入る予定となっています。本当は去年デビッドさんがいらしたときに、開所式を挙行できればということで、関係者が努力していたのですが、さまざまな事情で1年遅れとなってしまいました。

 HSFスタッフのチェリー代表もトムさんも、ほっとした様子でした。トレーニングの施設を探しまわる苦労が減るほか、今ある事務所をたたんで、ここに移転することで、事務所賃貸料が軽減することも、HSFにとっては大きな救いとなります。このセンターを活用しながら、ケマラート病院との連携・協力を深め、HSFが一層発展していくことを願わずにはいられませんでした。
 
・バディ・ホーム・ケア(Buddy Home Care)ワークショップ
 8月16日にケマラートで開かれた、ワークショップはとても楽しいと同時に、心温まるものでした。このワークショップは、主として、バディ・ホーム・ケアにかかわる、保健ボランティアや若者リーダーの人たちを対象に、いまタイの農村社会でも深刻化している問題 ― 親の出稼ぎによる子どものネグレクト、学校でのいじめ、不登校、スマホや薬物依存、世代間の乖離(かいり)と確執、テイーン・エィジャーの妊娠や性の問題、などをロール・プレイやグループ討論を通して話し合い、共感的な理解を深めていき、実際の家庭訪問活動でも生かしていくことを目標としています。

 なお、バディ・ホーム・ケアについては、「Dr本田のひとりごと(68) タイのプライマリ・ヘルス・ケアからの学び直しの旅 − 目からウロコのHSFによるバディ・ホーム・ケアの試み(2016-12-2)」をご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/share_jp/archives/52749254.html

・雀の親子の巣を愛情深く守る故・プミポン国王
 ワークショップが開かれたのは、タンボン(Sub-district)の公民館のようなところでしたが、驚いたことに、雀が、故・プミポン前国王の写真の額の裏側と窓との狭い空間に上手に巣をかけていたのです。そして、子どもも大人もそのことに無頓着というか、そっと見守っているという感じなのです。ときどき、親雀が窓の枠の隙間から野外に、虫やみみずかなにかを捕りに行き、運んでくると、巣の中は、子どもスズメの黄色い鳴き声で騒然となります。なんと頬笑ましい光景でしょう。そしてそれをそっと、良い意味で知らん顔して放っておく、タイの人びとの寛容さと、生き物への愛情を感じないわけにはいきません。もっとも、国民の敬愛を一身に集めていた王さまの、写真の裏側に巣を作った雀の家族の賢さも、でかしたものだと思いますが。・・・

そこで、下手な句を一つ。

うるわしや 王の愛護と 雀の子

How Lovely it is!
King’s blissful protection
   for kid Sparrows

20180831-4 写真4.王さまの写真の裏にできた雀のお宿
故プミポン国王に守られた雀の親子の巣

・ティーンの妊娠をめぐる参加型ロール・プレイ
 この日のトレーニングで私が一番感動し、考えさせられたのが、ティーンの妊娠をめぐるロール・プレイでした。最近のタイでも、11歳の女の子が母親になったというニュースが、人びとを驚かせていました。中学の高学年や高校生の妊娠は、東北部の農村でもそう珍しいことではなくなっているようです。妊娠の結果、家族も含め皆から責められ、孤立し、相談相手もなく、自殺に追い込まれたケースもあると聞きます。そこで、この深刻化する問題にどう地域で、取り組んでいくか、ということを、こうしたワークショップで皆がいっしょになって考える機会を作りたいと、チェリーさんたちは願ったのです。
ユース(若者)の女性リーダーが妊娠した女の子の役で真ん中に座ると、両親、兄弟姉妹、おじ、おば、祖父、祖母などの親族、そして、村の議員、村長、長老、福祉事務所の担当者、保健ボランティア、ヘルス・センターの看護師・医師、郡病院の産婦人科医、おまわりさん、学校の先生、同級生など、およそ彼女の生きる世界になんらかの関わりを持つ人の役柄に扮する参加者が20人以上、ぐるっと車座を組んで座ります。第一部 ‘Negative’ (否定的な場)では、彼女に対して、周りの人たちは一人ずつ、まずは告発するような、指弾するような言葉を、彼女に浴びせかけていきます。いわく、「家族の恥さらしだ」、「お姉ちゃんのせいで、私も学校に行くのが嫌になった」、「親のしつけが悪いからこんなことになるんだ」、「もう学校には来なくていいからね」、「子どもが生まれたら、すぐ孤児院に入れるからね」などなど。ステレオタイプ化されてはいるが、毒をもった言葉が次々と投げつけられると、妊娠した女の子役の女性自身の表情が、芝居だと分かっていても、だんだん張りつめていくのが、容易に見て取れます。そして、こうした非難や冷たい言葉を象徴するように、一人が発言すると、発言者が女の子の体に一本のビニールの紐を巻き付け、席に戻ります。全員が一言ずつ言っていくと、最後には体中を20本の縛(いまし)めの紐で結(ゆ)わかれた女性が、裁きの場に孤立無援で座っている形となります。

この張りつめた ‘Negative‘ の場は、’Positive’ (肯定的)の場に変換されます。
しばしあって、ファシリテータのニーナさんが、今度は、「皆さん、それぞれの立場でどういう言葉をかけてあげれば、彼女が救われるか、前向きな解決が図れるか、考えて、順に発言していってください」と切り出します。
すると、「赤ちゃんは家で皆で育てるから大丈夫」(おばあちゃん)とか、「妊婦検診にはきちんと来るんだよ」(産婦人科医)とか、「子どもが生まれて落ち着いたら、いつでも学校にもどっておいで」(学校の先生)などの温かい言葉が贈られ、その都度、紐は彼女の体から解かれていきます。最終的にすべての縛めから解放された女の子と、車座の人たちは向き合い、ニーナさんの司会のもと、それぞれの立場でこのロール・プレイからどんな思いや感想をもったか、実際にこうした状況に直面したら、どのようにふるまうだろうか、などをなごやかに話し合います。
ここで強調されているのは、一方的にだれかを責めても、建設的な問題解決には張らない、みんながよく話し合い、相手の立場を思いやって、コミュニティの課題を解決していく努力が必要なのだ、という学びをしていくわけです。

このロール・プレイを見学して、私は、HSFが、1990年代の工藤芙美子さん以来のPRA(参加型学習法)の根本にある、「共に学び、共に生きていく」という、ほんとうの保健教育の骨法を完全に自家薬籠中のものにしたな、と感嘆したことでした。
 デビッド・ワーナーさんにもこのことを報告すると、Buddy Home Careは本当に素晴らしい、ぜひ次の彼のNGO・HealthWrightsのニュースレター、 ”Letter from Sierra Madre” で紹介したいと言ってくれています。彼の記事を読むのがいまから楽しみです。

20180831-5 写真5 ティーンの妊娠劇
写真5.ロール・プレイ: ティーンの妊娠

 HSFは相変わらず、かつかつの財源で、苦労していますが、少数者や疎外された人たちに対する彼らのポジティブな働きは、SDGsの時代に地域に絶対必要とされるものだし、そのことをよく理解し、支援してくれる人たちの輪も、タイの国内外ですこしずつ広がっていることは、今回の短い訪問でも実感することができました。HSFの皆さんに大きな感謝と連帯の気持ちを伝えて、この回の「ひとりごと」を終わります。

honda

本田 徹

(了 2018年8月31日)



このエントリーをはてなブックマークに追加
 
SKMBT_C284e18080317180
「医者のいないところで」表紙

1.「医者のいないところで」2015年版
 
個人やNGO/NPOなどのグループにとって、決定的な影響を与えられる、または活動の準拠となるような導きを受ける本というのは、そんなに多くはないのでしょうが、私たちNGOシェアにとっては、この「医者のいないところで」(Where There Is No Doctor)は、設立以来35年にわたって、まさにそうした役割を果たしてくれた一冊でした。

この本の日本語訳は、もともと長野県南佐久郡南牧村に住む、すぐれた翻訳家・河田いこひさんが原訳を作ってくださっていたものを、2009年にシェアが、数多くの保健医療関係者などの協力をいただいて監修し、同年デビッド・ワーナーさんがシェアの招聘で来日される機会に刊行したものです。

佐久病院の医師で、私が長くおつきあいさせていただいている、畏友・色平哲郎医師が、河田さんに、「こんな面白い本がありますよ」と良い意味で「けしかけて」、翻訳を始めていただいた、といった裏話があったことを、最近私は色平さんから教えていただきました。当時の自治医大の医学生らも河田さんのお手伝いをしてくれたと、言うことです。

この本の英語の初版はたしか1977年といいますから、約40年前に出版され、世界中の保健ワーカーや、草の根の人々に愛読され、PHC活動の最良の手引書として活用されてきました。欧米では、家庭医学書としても、親しまれているということで、実際、最新の医学情報も分かりやすく載っています。


デビッド 佐久大学
2009年デビッドが佐久を訪問した時の集合写真 
前列左から、河田さん、デビッドさん、
後列左から、色平さん、青木美由紀さん(当時・東京事務局スタッフ)、本田


私たちの2009年度版日本語初版が完売し、ストックがまったくなくなってしまった今年初め、なんとか、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)40周年と、シェアの創立35周年の節目に、2015年英語版を新たに監訳して、刊行したいと一念発起しました。2009年版に比べ、大きな内容の変更はないのですが、それでもいくつかの章では、完全な新訳の作成が必要となりました。

時間の制約もあり、東京で勤務し、かねて信頼する、4名の看護師・医師の仲間に参集いただき、編集委員として全面的な協力をいただいて、ようやく7月中の出版に漕ぎつけました。編集委員を含め、一人ひとりのお名前は記しませんが、校正、版下や印刷のたいへんな作業を担ってくださった、素晴らしいプロフェッショナルの方々、シェアの東京事務局にも大きな助けをいただきました。本当にありがとうございます。

さらに、この本はなんと言ってもデビッドさんご本人の、私たちシェアへの励ましの結果としてもあります。ご自身、シャルコー・マリー・トゥース病という遺伝性の筋肉の病気を持ちながら、PHCと地域リハビリテーション(CBR)の世界で、先駆的なお仕事をされてきた、デビッドさんの粘りつよい志には脱帽のほかありません。さらに「権利としての健康」を推し進め、ケアリング・コミュニティを創ろうと長年彼が、メキシコの山村の仲間たちとがんばってきた結果、この本が生まれたのでした。

最近、デビッドさんとメールでやりとりする機会があり、彼が時々使ってきたケアリング・コミュニティ言葉の意味や、彼がこの言葉に託した考え方をお伺いしてみました。

2018年6月29日付の彼からのご返事にはこう書かれています。

「私にとって、真のケアリング・コミュニティ(そこでは、人びとがお互いを大切にし、気づかい合い、共通の善のために協力して働く)を創るお手伝いをする上で基本となる前提条件は、子どもの教育の変革です。学校教育は、競争よりは、協力をもっと大切にするべきです。教育は、子どもたちが、自分たちで観察をし、自分たちで考える力をつけることを助けるべきです。教育は、子どもたちが協力してニーズを分析し、計画し、すべての人たちに共通の福祉のための共同の行動が取れるように、能力形成してあげることが必要なのです。」

“To me one of the most fundamental prerequisites for helping build a genuinely caring community (where people care for and about each other and work jointly for the common good) is the transformation of children’s education. Schooling needs to put much more emphasis on cooperation rather than competition. It needs to help kids make their own observations and think for themselves. And it needs to enable them to jointly analyze needs, and then to plan and take collective action for everyone‘s mutual well-being.”

デビッドさん自身も、その形成に大きく貢献した、 ’Child-to-Child’という考え方は、単なる参加型教育手法にとどまらず、人びとの意識改革から社会変革までを目指したものだったことがわかります。
 
「医者のいないところで」の中でも、私がとくに好きなのは、序章の「村の保健ワーカーへの言葉」という文章です。ケアリングという<わざ>の本質的な意味と、保健ワーカーに求められることを、温かい、サポーテイブな言葉で、さまざまな状況や場面で応用が利くように、懇切に語り尽くしています。保健・医療・福祉に携わるすべての方がたに読んでいただき、日々の仕事で生かしていただきたい、珠玉のメッセージだとおもいます。

改訳にあたっては、用語や表現の中に、今の時代にはそぐわなくなっていたり、差別的な響きを与えるものについて、できるだけ注意して、直しました。数十年前には無意識で使ってきた言葉の中にも、時代の推移とともに、考え直さなければならない表現となる場合も出てくることを、今回の出版を通して改めて学びました。

多くの医療・看護・福祉関係者、また学生さんたちや市民にもぜひ読んでいただきたい本としてお薦めしておきます。英語の原文自体も読みやすいものなので、日本語文と対照することで、英語学習の教材としても、役立つものと思います。

お求めは、シェアのHomepageからお願いいたします。


アホヤ村(メキシコ)のPHCクリニックの様子 1960年代後半
ケアリング・コミュニティを愛情こめて活写するデビッドさんの絵
− 1960年代末のメキシコのPHCクリニック


2. 共生社会論と西川潤教授の本


ケアリング・コミュニティと似た概念で、近年より体系的に理論化が進んでいるものに共生社会論があります。これについて、日本で最も早くからその重要性に気づき、紹介に努めてきたのが、卓越した開発経済学者として活躍されてきた西川潤先生です。

共生主義の発祥地と言える、フランスではこの言葉は、’Convivialisme’と呼ばれています。「ともに生きるという生き方」くらい意味になるでしょうか。詳しくはサイトをご覧ください。

共生主義や共生社会論を知るには、西川さんの下記の本が役立ちます。理論だけでなく、実際にフランスや日本において、産直運動などの形で、ともに生きる生き方を実践されている個人やグループの活動事例が説得力を持って叙述されています。日本で言うと、藻谷浩介さんらの「里山資本主義」に共通する考え方と言えるのかと、私は思っています。


共生主義宣言 カバー
共生主義宣言(コモンズ刊)


西川潤本 SDGsカバー
未来への選択(日本経済新聞刊)


そして、もう一冊、SDGs(持続可能な開発目標)との関連で、西川さんが最近まとめられた理論的なお仕事が、「2030年 未来への選択」(日経プレミアシリーズ)です。SDGsの背景にある、地球全体の環境問題と社会経済問題を併せて考える価値観について、とても説得力のある議論をされていて、勉強になります。

3.アルマ・アタ宣言40周年記念のシンポジウム
   
そんなわけで、今年、35周年を迎えるシェアも微力ながら、このPHC40周年という節目に、SDGsの21世紀を、どう、みんなでともに生きていくべきなのか、考え、話し合う機会を作りたいと思いました。その意味で、「医者のいないところで」は、PHCを地域で実践し、ケアリング・コミュニティ作りに貢献してきた、重要な仕事と位置づけられます。
 
以下は、ご案内の文章です。

「アルマ・アタ宣言40周年記念シンポジウム誰一人取り残されない地域社会の実現に向けて−PHCからSDGsへの歩みと課題を現場に即して考える」
               
今年9月には、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)に関するアルマ・アタ宣言が世界に向けて発布されてから40周年を迎えます。健康格差や社会的疎外の問題が厳しさを増す、21世紀のグローバルな状況の中で、PHCとそれが目ざすUHC(普遍的医療保障)の課題は、ますます重みを増しています。2015年から国連加盟193か国の参加と承認を得て、15年間にわたり世界の開発と保健を導くこととなったSDGs(持続可能な開発目標)は、PHCを引き継ぎながら、新しい理想を示す<たいまつ>のような役割を担っています。

しかし、現場の一つひとつの地道な活動とその連携・協力なくしては、この理想の達成を成しえないことも明らかです。SDGsにおける一つのキーワードは「共生社会」です。共生社会論で早くからすぐれた仕事をされ、SDGsへ理論面でも確かな光を当ててくださってきた西川潤教授に基調講演をいただきます。そしてPHCやUHCの分野において内外の各地でがんばってきた人々の活動事例を報告してもらいます。

その後、世界のSDGsの動向に詳しい、アフリカ日本協議会の稲場雅紀さんにファシリテータをしていただき、参加者の方がたと意見交換や対話を交わしたいと思います。私たちが生きる世紀を、より人間的で共生、持続可能なものにしていくための知恵と勇気を、このシンポジウムを通して培いたいと願っています。

詳しい申し込みの仕方は、シェアのホームページからお願いします

なお当日会場で、デビッド・ワーナーさんの「医者のいないところで」2015年版日本語訳の本も販売いたします。
 
シンポジウムのお知らせ
   
それでは、酷暑の折、皆さまのご健康をお祈りし、8月25日にお会いできることを、楽しみにしております。


本田徹

 (2018年8月3日)
このエントリーをはてなブックマークに追加
忍岡小学校へようこそ
ようこそ忍岡小学校へ

1.忍岡小学校とは

台東区には、創立が明治8年で142年間という、都内でも指折りの長い歴史をもつ、忍岡(しのぶがおか)小学校があります。池之端に位置し、不忍通りを隔ててすぐ不忍池や上野公園に接するという、恵まれた環境に置かれた学校です。私は3年前からご縁があって、1年に1度、6年生の授業で1時間(正味45分)お話をさせていただいています。なぜ忍岡小学校について「恵まれた環境」というのか? それは今日の「ひとりごと」の主題であるSDGs (Sustainable Development Goals:持続可能な開発) にも関係が深いことです。この学校の子どもたちは、生物の観察や歴史の学習を、上野公園という豊かな自然と歴史が息づく場所で、実物に即して、行うことができるからです。

 校長の吉藤玲子先生は、明るく、エネルギッシュで、温かい配慮に満ちた方です。ご自身学生時代に、当時日本列島の住民や自然を苦しめていた公害や環境破壊の問題に強い関心をもち、水俣まで出かけ、故・原田正純先生の知遇や薫陶も得たという探究心旺盛な方でもあります。また大田区などでの教員経験もおありとのことで、さまざまに困難な家庭環境で育つ現代の子どもたちへの、共感や理解も深くもっておいでです。

 忍岡小学校は、平成28年、29年度の台東区教育委員会研究協力学校になっています。その研究テーマとは、「学ぶ意欲をもち、グローバル化する国際社会を生き抜く子供の育成 〜 『伝統・文化』、『国際理解』の学習を通して」ということだそうです。

伝統・文化とは、
「・長い年月を経て、日々の中で様々な形で伝わってきたもの。
 ・現代において評価され価値のあるもの。 
 ・新たな文化となって未来へ受け継がれるもの。」とされます。

そして国際社会で必要とされる能力・態度とは、
「・異文化や異なる文化をもつ人を受容し、共生することのできる態度・能力。
 ・自からの国の伝統・文化に根ざした自己の確立。
 ・自らの考えや意見を自ら発信し、具体的に行動することのできる態度・能力。」とされます。
(いずれも東京都教育委員会資料)
 
 なるほど、合点の行く考え方だと、私は思いました。そして、こうした研究テーマを子どもたちと父母、先生がたが共同で進めていく上で、忍岡小学校はとても恵まれた自然と歴史の環境下にあるということは、さきほど述べたことからも理解していただけると思います。


2.私の授業内容

 7月1日は父母の授業参観の日でもあり、各学年の授業は基本的に保護者にも開放された形で進められていました。私は、「つながりあう世界 〜 NGOとは?」といったところから始め、世界、とくに開発途上国の子どもたちが、日々どういう生活や学びをしているかを、タイや東ティモールなどの国を例にとってお話しました。

ET栄養ゲーム
エルメラ県の小学校での栄養ゲームの様子
 

 東ティモールでは、小中学校での学校保健活動に、いかに子供たち自身が主体的に参加し、手洗いや食・栄養やマラリアなどの病気の予防について学び、それらの知識や実践を、一種のChild-to-Childの活動としても、地域に伝えている、といったお話をしました。いつも定番となっている寄生虫(回虫)のところでは、回虫自体を見た子どもはもういませんので、写真を見せると、「スパゲッティ?」と声をあげたりする子がいたりで、それがおなかの中にいる虫だということを知るとみなびっくりした様子でした。

私自身が、遥か昔、回虫少年だったこと、チュニジアで青年海外協力隊の医師として働いていたとき、仲良くしてもらった村の校長先生が、息子のお尻から出てきたサナダムシ(条虫)をホルマリンの瓶に詰めて、大切なコレクションとして、授業に活用していたことなどを懐かしく思い出しました。

回虫のおなかの中での様子 エプロン
回虫についてのエプロン・シアター (東ティモール・エルメラ県)


一方で、タイの田舎では、今、Buddy Home Care(バディBuddyは仲間、友だちの意味)という、保健ボランティアのおばさん、おじさんと10−15歳くらいの子どもがペアを組んで、高齢者や障害者の家を訪ねて、話し相手になったり、マッサージや散歩の同行といった簡単な在宅ケアの担い手になっているといったお話もしました。台東区でも、近年学校レベルで、認知症サポーター制度というものが、試験的にスタートし、認知症当事者の方がたや病気そのものへの理解を、先生がたや父母、子供たち自身の間でも広げていこうという動きになっていると、吉藤先生はお話になっていました。

Smile Factor
Buddy Home Care: 自宅を訪ねてくれたBuddyの子どもをハグするおじいさん

 
 台東区内には山谷地域というところがあり、かつて日本の高度成長時代(昭和30−50年代)に、首都高速道や新幹線、東京タワー、高層ビル群などの建設に献身してくれたおじさん、お兄さんたちが、いまや高齢化し、住んでいる町があることや、その人たちの日々の生活や療養を支えているボランティアや看護師さん、ヘルパーさんたちが活動する様子なども伝え、彼らに隣人として接し、理解してもらうように努めました。

山谷路上での空き缶集め
山谷で空き缶集めをして生計を立てるおじさん


3.SDGsと緑のカーテン

最後に、私はまとめとして、「21世紀に地球市民として生きる君たちへ」という題で、2015年から世界全体の目標となったSDGs(持続可能な開発目標)のことをお話しました。考えてみれば、SDGsは単なるお題目ではなく、日々の生き方・暮らし方そのものであり、そこから出発して、地球の環境や生物多様性といった大切な課題に取り組んでいく活動そのものなのだ、という思いを、忍岡小学校の取り組みや、先生方や生徒、父兄の問題意識にも感じ取ることができました。
 
 7月1日の上野は梅雨の天気で、けむるような雨天の中、校舎の壁面を覆う、琉球朝顔の緑のカーテンの鮮やかな緑と藍のすずしげな美しさに、私は目を奪われました。

忍岡小学校写真1
忍岡小学校の校舎を覆う緑の美しいカーテン


日本でも指折りの夏の酷暑に悩む熊谷市などが、自治体をあげて、こうした蔦科の植物を上手に利用して、あちこちの公共の建物や個人宅に緑のカーテンを作ることを、奨励し、コンテストを行い、町の景観をよくするとともに、地球温暖化現象を少しでも和らげ、市民の意識を高めていこうとしているのも、SDGsの活動として有意義なものだと思われます。

忍岡小学校がいかに地域で愛され、住民の誇りとなっているかは、この日の保護者の方々の熱心な参観の様子からも知ることができました。こうした伝統と歴史のある学校で、あらたに国際理解や環境保全、生物多様性保護などの活動が進み、次代を担うすばらしい地球市民の子どもたちが育っていくことを祈って、私は学校をあとにしました。

SDGs シェーマ
SDGsのシェーマ


2017年7月7日
シェア代表 本田 徹
honda





このエントリーをはてなブックマークに追加
jpg


「共生主義宣言 − 経済成長なき時代をどう生きるか」(コモンズ)を読んで

西川潤 共生主義宣言 本カバー
共生主義宣言 表紙


1.はじめに

先日、尊敬する開発経済学者で、早大名誉教授の西川潤先生(ここから先は、親愛をこめて「西川さん)と呼ばせていただきます)から、フランスの経済学者マルク・アンベールさんとの共同編著「共生主義宣言 − 経済成長なき時代をどう生きるか」(コモンズ)をお贈りいただきました。

文章は平易ですが、少し横文字の用語もありますし、内容は必ずしも簡単に頭に入るものではありません。一つには、東京のような大都会に暮らして、「外」から与えられた食物や消費財に頼っているだけの私のような人間には、ほんとうの意味で「共に生きる暮らし」をしている自信がなく、実感として「共生主義」を受け入れ、実践することが、まだむずかしいのかもしれません。

しかし、この本に盛られているマニフェスト(宣言)とそれを支える考え方、そして豊富な国内外の事例は、たぶん人類や地球の未来と運命に深くつながる重要なものなのだ、という確信はもてました。ですので、一知半解な知識だし、まちがった理解に基づいたデタラメを言うリスクが大いにあると、思いつつ、この一文を草し、皆さんにも一緒に考えていただければ、嬉しいです。

まず、「共生主義」とは何かについて、フランス発のこの運動のホームページに掲げられた宣言をお読みになってください。原語はフランス語ですし、全体を知るには仏語の理解が必要ですが、要約版は日本語を含むいくつかの言語でも読むことができます。

共生主義宣言(要約版)


ずばり「共生主義」(Convivialisme:仏語)とは何か? アンベ−ルさんは第2章の「共生主義宣言―相互依存宣言」の中で、こう語っています。
「共生主義は、『自然資源が有限であることを十分認識し、この世界を大切にする気持ちを分かち合いつつ、競い合ったり協力し合ったりして人類が生きていくには、どのような原則が必要か』を考える。もちろん、われわれはみなこの世界に等しく属しているということを念頭に置く」
なるほど。得心の行く、考え方ではあります。


2.「いのちの思想」の滔々たる系譜

さて、先日アーユスのNGO大賞を、ありがたく、また慎んでお受けしたときのスピーチで私は、青い地球に生命が宿って38億年くらいの時が経ち、宇宙船地球号は、膨大な<いのち>とそのゲノムを乗せてどこへ向かおうとしているのか、と言った意味のことをお話させていただきました。

核戦争や過度な経済・産業活動によって地球環境自体を滅ぼしてしまう、破壊的な能力を人類が獲得してしまった今、私たちが生命界全体に対して負っている責任の重大さは一層ぬきさしならないものになっています。

アーユス(サンスクリット語の「いのち」)の名を冠するNGOの賞を授与されるという栄誉をいただく以上、そのことにはぜひ触れさせていただきたいと思った次第です。
 

 私の乏しい読書や学習の経験からは、アンベールさんや西川さんの「共生主義」は、古くて新しい、人類共通の生命哲学の系譜を受け継ぎ、危機にある現代にもう一度実践的な知恵として位置づけし直そうという、模索の中で生まれてきたもののようにも見えます。
 
 釈迦、老子に始まり、近現代で人類に大きな知恵を残してくれた、ソロー、トルストイ、チェーホフ、ガンジー、宮沢賢治、南方熊楠、レイチェル・カーソン(「沈黙の春」の著者)、シューマッハ(「スモール・イズ・ビューティフル」の著者)などの人びと。そして、共生主義という言葉の直接の生みの親は、イヴァン・イリッチのConviviality(自立共生)にあることを、私は西川さんの筆になる本書の第1章を読んで初めて知りました。

そう言えば、イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」(ちくま学芸文庫)の訳者・渡辺京二さんは、「逝きし日の面影」の著者でもあり、「苦海浄土」の石牟礼道子さんの同志とも言える人です。このお二人がどんなに深く人のいのちを見つめ、慈しみ、語って来たかを、すこしだけ、学んできた者として、共生主義の広い裾野を感じることができます。


3.プライマリ・ヘルス・ケアから皆生農園まで − 実践を通して学ぶ

 プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)は、共生主義を保健・医療の分野で展開したものと考えることもできるな、と私は本書を読んで、改めて感じました。西川さんはかつて、鶴見和子さんらと共に「内発的発展論」を唱えた先駆者でもあります。

彼が同名の書(東大出版会 1989)の第1章「内発的発展論の起源と今日的意義」で紹介しているのは、1977年にダグ・ハマーショルド財団が提言し、当時世界的な反響を生んだ「もう一つの発展(Alternative Development)」論の基本原則でした。 

つまり、1)人間の基本的必要に志向(Needs-oriented)、2)内発的(Endogenous)、3)自立的であること(Self-reliant)、4)エコロジー的に健全であること(Ecologically sound)、5)経済社会構造の変化が必要であること(Based on Structural Transformation)。これは、途上国の主導で1970年代に、新国際経済秩序(New International Economic Order)が国連総会で採択され、それに呼応する形で1978年にPHCに関するアルマ・アタ宣言が発布されたのと、軌を一にする動きだったわけです。その意味では、PHCは、より公正で、普遍的な「もう一つの開発」を、保健・医療分野で実現しようとした、試みだったとも言えます。

この「ひとりごと」の45回(2013年6月)で私は、「草木国土悉皆成仏」という天台密教思想の根幹にある(梅原猛さんの説)ことばに触れながら、UNESCOの文化多様性宣言の中のある文章を紹介しました。以下、その部分を引用します。

草木国土悉皆成仏をめぐって


2001年にユネスコは、「文化多様性に関する世界宣言」(Universal Declaration on Cultural Diversity)を出しています。その第1条で、文化多様性は人類共通の遺産(the common heritage of humanity) だとして、「人類にとって文化多様性が必要なのは、自然にとって生物多様性が必要なのと同じだ」(Cultural diversity is as necessary for humankind as biodiversity is for nature) と強調しています。

そして、この宣言は、2005年にユネスコが出したもう一つの宣言「バイオエシックスと人権に関する世界宣言」(Universal Declaration on Bioethics and Human Rights)と「対」になっているものです。

生物多様性と文化多様性の両方を尊重していくことが、人類と地球の生存と発展のために不可欠だという価値観は、この共生主義を貫くものともなっているのです。
 
 本書では、理論的なことにとどまらず、フランスや日本で共生主義に基づく、環境に親和性の高い農業実践と、それを都市の消費者を直接つなぐ運動の成果事例が豊富に紹介されています。またアフリカ学の勝俣誠さんによる、現場と理論をつなぐ丁寧な解説も、たいへん参考になります。

 私自身は、元・JVCのスタッフで、ソマリアで「風の学校」の創設者・中田正一さんとの出会いが機縁となって、農業の道に進んだ鴇田三芳さんたちによる「皆生農園」の働きに共鳴し、小さな定期購入者になっています。毎月どんな新鮮野菜が届くのかなと、楽しみにしています。彼のところの農産品はほんとうにおいしく、解説付きできちんと送ってくれますので、皆さんにもお薦めしたいと思います。皆生農園のHPは下記の通りです。

皆生農園のHP


 昔、鴇田さんがまだ農園を始めたばかりのころ、小学校入学前の三男の耕(こう)を連れて、当時江戸川区小松川にあったシェアの事務局を支えてくれていた、大嶽さんの息子さんと一緒に彼の農園を訪れ、芋堀りをさせていただいたときの、子どもたちの喜びようはいまだに忘れられません。そういう土になじむ体験を通して、都会の子どもたちが、食べ物を作り、いただくことが、どんなに大変で、でも楽しい営みなのかを、学んでいく機会を増やすことはとても大切です。その意味でも、こうした、志ある農業実践家と、私たちはもっと結びつき、協力していく必要があるのでしょう。

おーい里山 ビッグイッシュ―
ビッグイッシュ―「おーい、里山」(#310、2017年5月1日号)


4.結びとして―里山資本主義とSDGs
 
 2011年3月11日の東日本大震災とその直後に発生した、福島第一原発事故は、今に続き、またいつ終息するとも言えないたいへんな試練を日本列島とその住民にもたらしました。その帰結はたぶん、22世紀になっても本当の意味では見えてこないのだろうと思います。

 路上生活者支援の週刊誌「ビッグイッシュ―」が2017年5月1日号で、「おーい、里山」という特集をしているのはとても時宜にかなったことでした。この雑誌は一貫して、福島からの避難民のためのメッセージを発信し、事故の被災当事者たちの声を伝え、専門家の意見や助言を掲載し、当事者たちを助ける働きをしてきたからです。同時に、危機に瀕する福島の美しい里山をどう蘇らせるかは、住民と「外からの」協力者や専門家が一致して考えていかねばならない、長期に及ぶ課題なのでしょう。このプロセスで、行政が果たさねばならない役割にも大きなものがあります。
 
 その意味で、私たちが学ばなければならないのは、「里山資本主義」という考え方なのかもしれません。提唱者の藻谷浩介さんと、NHK広島取材班の共著については、以前紹介したことがあります。

「里山資本主義」 藻谷浩介、NHK広島取材班(角川Oneテーマ21)

ひとりごと37:2011年3月
日本哲学会の場で聴く「持続可能性」の思想 − 原発事故と大震災の中で働く哲学者たちの危機意識


 「共生主義」は本当に可能なのか、そして、日本の社会で多数派と言わないまでも、きちんと影響力や発言力をもった考え方として、定着し、広まっていくことができるのか。
そんなことを思いながら、この有意義な本の最後のページを閉じたのでした。

 最後に、シェアの現場での仕事に関わりの深いSDGsについて。国連が2015−2030年の15年間にわたって世界全体の(途上国だけでなく先進国にも必要なものだから)開発目標として定めたSDGs(持続可能な開発目標)は、まさに共生主義にもとづく社会を創っていこうという野心的な企図でもあるわけです。

SDGsを通して、私たちの暮らしを成り立たせている、モノやカネや情報やサービスによる、世界的なつながりや構造的差別・搾取の関係を見直し、少数者や生態系に対してより配慮し権利尊重を旨とした、生き方が問われてきます。人びとの健康に関わるNGOとしては、シェアはやはりSDGsの中でもUHC(Universal Health Coverage:普遍的医療保健保障)に関する分野において、参加型で、インクルーシブ(包摂的)な活動を目指していきたいと願っています。

さて、今日からは東北タイにでかけ、デビッド・ワーナーさんや、HSF(Health SHARE Foundation)の仲間たち、工藤芙美子さん、広本充恵さんらと活動をともにしてきます。

また帰国したら、ぜひ、この「ひとりごと」で、タイからのつぶやきを皆さんと共有したいと思います。



2017年5月20日
シェア代表 本田 徹
honda




このエントリーをはてなブックマークに追加
jpg


Pun moo of HSF
HSRのマスコット、水牛の親子「パン・モー」



1.水牛の親子(パン・モー)に託すHSFの願いと行動
 
2012年にシェア・タイから独立しタイの財団となったHealth and SHARE Foundation (HSF)は、ちょうどシェアが「うさぎ」のシェーちゃんアーちゃんをマスコットとしているように、水牛の親子、あだなは「パン・モー」をマスコットにしています。この親子がまた、シェーちゃん、アーちゃんに負けないくらいかわいいのです。なぜバッファローをマスコットにしたかというと、代表のチェリーさん(看護師)の説明によるとこうです。「パン・モー(Pun Moo)は東北タイ(イサーン)の言葉で、パンが分かち合うこと、モーは友だちという意味です。パン・モーはだから「シェア・ウイズ・フレンズ」ということになります。水牛は、働き者で、正直であり、あくまで平和の志をもって歩み続ける、素晴らしいスピリットの持主です。ちょうどHSFが目指している理想と価値観を、パン・モー親子は体現してくれているのです。」

この11月に私は1週間ほど、東北タイとバンコックを旅しました。HSFのスタッフにぴったり同行して活動現場を見学し、ロイ・クラトーン祭り(精霊流し)の、68年ぶりという名月をモン河の川岸で眺め、HSFの理事さんたちと意見交換を行い、確かに彼らは地に足の着いた、すばらしい「パン・モー」として働いているな、と改めて深い感銘を受けました。


シェアタイ活動 小学生のサマーキャンプ
シェア・タイのエイズ教育 子供たちのサマーキャンプ2002年



2.20年以上にわたる地域でのHIV活動を通して培った参加型教育(PRA)

HSFの中核を担っている、チェリーさん、ノイさん、トムさんらは、皆、工藤芙美子さんが、1994年に東北タイのウボン県とアムナッチャラン県でHIV・エイズの予防・啓発活動を開始してから以降、シェア・タイのスタッフになった人たちです。一方、彼らの活動対象・パートナーだった方がたは、普通の村人であり、HIV陽性者であり、患者さんであり、障害をもった子どもであり、ラオスから移住してきたセックスワークを生業とする女性とその家族であり、MSM(=Men who have Sex with Menの略。男性と性行為をする男性)であり、また地域のさまざまな機関(病院、保健所、行政)の職員であったりしました。これらのカラフルな人たちとともに、差別のない暮らしを創り、共存していき、困っている人や仲間を助けるために、HSFのスタッフは、コミュニケーションやファシリテーションの技を磨くことを、工藤さんをはじめいろいろな専門家(タイ人、日本人)から学んできました。その有力なツールが、PRA(参加型農村調査法:Participatory Rural Appraisal)という手法でした。

理論としては、英国サセックス大学のロバート・チェンバースという先生たちのグループが、長年の途上国での実践を通して創り出してきたものと言われていますが、工藤さんは必ずしも初めから、PRAを意識して使ったというよりも、村で保健ボランティアと対話したり、デビッド・ワーナーの「医者のいないところで」(Where There Is No Doctor)といった本を参照・活用する中で、自然にPRAを身につけていったようです。チェリーさんらHSFの活動者は、工藤さんやシェアの日本人たちと働いた20年にわたる修練と経験の中で、少しずつ、自らの技と心を磨き、東北タイ式のPRAを創りあげ、いまそれがよく花開いてきたのだということを、ワークショップなどの見学を通して私は感じ取ることができました。


Buddy home care training 2
バディ(VHVと子どものペア)で楽しいゲームに興じる:ケマラート市内郡保健所で



3.高齢社会へのタイの取り組みとFCT(ファミリー・ケア・チーム)そしてバディ・ホームケア(Buddy Homecare)

タイでは、いま、日本に迫るようなスピードで高齢社会への歩みが始まっています。これは、第二次大戦後アジアでもっとも早くから家族計画に成功した国であったという、タイ国の輝かしいコインの裏面という性格を持っています。いずれにしても、高齢とともに、さまざまな慢性疾患や認知症を発症した方がたを、地域で支え、人としての尊厳をもった暮らしを、最後まで続けていただく、という取り組みがとても重要になってきています。

そこで生かされているのが、タイ独自に発達してきた、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の仕組みです。とくに郡病院から、タンボン(Sub-district)にあるヘルス・センター(現在は、Community Supporting Hospitalという呼称に変わってきているようですが)、村の保健ボランティア(VHVs)に至る、地域のリソース(資源)を十全に活用するという考え方と政策です。2015年から本格的に全国で始まったFCT(Family Care Team)では、保健ボランティアのうち選ばれた人たちを、村のケアギバー(介護者)として養成し、ヘルス・センターの看護師らとチームで地域の高齢者宅を回り、必要なケアを在宅で提供していくという体制を組むようになっています。こうしたFCTがタイ全土で1万5000組以上、すでに活躍していると聞きます。また去年くらいから、Primary Health Clusterという、FCTなどの活動を支える診療拠点が都市部を中心に展開するようになり、ウボン市でもそうしたクラスターの一つを見学することができました。

私が今回の滞在中とくに瞠目したのは、ケマラートの市部でHSFが保健所と協力して始めた、バディ・ホームケアのトレーニングでした。これはVHVと10−15歳の子どもが2人一組のペアを組んで、高齢者宅や支援を必要とする障害者宅などを回り、ケアを提供するという試みで、まだ始まったばかりとは言え、非常に独創性の高い、有望な取り組みという印象を受けました。この子どもたち自身、経済的に困窮していたり、ラオスからの移民の家庭など、恵まれない環境で育った子が多く、自尊心や将来への目的意識を培っていくことがむずかしくなっている場合も多いと言います。そうした子が、保健ボランティアのおじさん、おばさんと一緒に家庭を訪問する中で、生きがいや勉学への意欲を取り戻してくれるようになり、またVHVにとってもモチベーションを高めるきっかけになることが期待されます。高齢者自身にとっても、子どもが家に来て話し相手になってくれることは、とても嬉しいことでしょう。

こうしたFCTやBuddy Homecareのタイならではの独自性は、日本のように、高齢者ケア、障害者ケア、小児ケアなど、地域の端々まで、縦割りが貫かれ、「水平の連携」を欠いたシステムに対して、大きな示唆を与えてくれるものと思われます。

最近、慶應義塾大学・看護医療学部/大学院健康マネジメント研究科教授の小池智子さんから教えていただいた言葉に、’Reverse Innovation’という概念があります。つまり、途上国「発」で、先進国にとっても大きな学びとなるような技術・考え方で、普通は先進国から途上国の向きにしか起こらないと私たちが思い込んでいるイノベーションが、「逆向き」に起きることが大いにあり得ることを教えてくれています。バディ・ホームケアは、ある意味で、長年、HIV孤児や村の障害児や保健ボランティアと接し、協働してきたHSFのスタッフだからこそ、考えついたり、取り組もうと思ったスキームで、これもリバース・イノベーションの一つとして、日本の私たちが、謙虚に学んでいかねばならないことなのでしょう。


Buddy home care training
バディ・ホームケア・トレーニングで見事なファシリテーションをするHSFのPoo Payさん
(シェアのT-shirtと着た人)11月17日



4.マヒドン大学訪問とHSFの今後 − デビッド・ワーナーをイサーンに招きたい(Buddy Homecare)

旅の締めくくりに11月17日、私はチェリーさん、ノイさんと一緒に、バンコック市内のマヒドン大学公衆衛生学部(Faculty of Public Health, Mahidol University)を訪問しました。HSF理事長で、長年の友人でもあり、今年ウボン県保健局長の要職に就いたDr. Jinn Choopanyaが、HSFスタッフとの同行訪問を強く勧めてくださったこともあり、私たち二人が異なる時期にAIHDで勉強したときお世話になり、今はFacultyの先生をされているDr. Nawarat Suwannapongの親切な仲介もあり、この訪問が実現しました。

当日は、副学部長のKwanjai Amnatsatsue先生はじめ、様々な先生方、日本人やパキスタン人の留学生も参加され、2時間以上に及ぶ、有意義で楽しい意見交換となりました。HSFにとっても、ケマラートという国境の町での多文化共生を目指す、東北タイのユニークな財団の活動をアピールする良い機会となったことでしょう。

この席で、デビッド・ワーナーさんを、HSFとシェアの有志で、来年5月ころ、ケマラート病院に日本大使館の資金援助で建設されるHIV陽性者やLGBTの人たちのためのセンターの落成式の機会にお招きし、現地で講演やワークショップを開く計画のあることをお話しました。Kwanjai先生たち大学側は、強い関心をもたれ、ぜひFacultyでそのころ開かれるInternational Forumでもデビッドさんに講演していただきたいという要請をされました。高齢で病気回復後のデビッドさんにあまり負担はかけたくないですが、今後慎重に準備を進め、計画を実現したいと願っています。

空港に向かう前に、私たちは、元シェアタイ代表で、今もHSFの素晴らしいアドバイザーとして、様々な支援をしてくださっている岩城岳央(たけひろ)さんとタイ人の奥様にも再会し、旧交を温めました。
 
今後につながるさまざまな出会いと学びをさせていただいた、今回の旅行でした。
以下、HSFのホームページのご案内です。まだまだ財政的には厳しい状況が続く、生まれて間もない若いNPOですので、日本の皆さんからの支援をぜひよろしくお願いしたいと思います。

下記、HSFのホームページを訪ねてみてください。
http://healthandshare.org/en/

Faculty of Public Health Mahidol にて Nov 18,2016
Kwanjai先生、Facultyのスタッフ、留学生、Cherry、Noiらとの集合写真



2016年12月2日
シェア代表 本田 徹
honda




このエントリーをはてなブックマークに追加