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「改革の本丸は労働市場だ!」と銘打った対談が、先週の金曜日、アゴラ研究所所長・池田信夫氏と人事コンサルタント・城繁幸氏の間で行われた。コンパクトに趣旨をまとめると「労働市場の硬直性は深刻な状況にあり、早急に解雇規制の緩和をしなければいけない」という内容だった。

●経営者はなぜサービス残業をやらせるのか。
この対談で語られた内容の1つに、長時間労働の横行は雇用の硬直性が原因であり、解雇を簡単に出来ない以上、業務量の波が長時間の残業で調整されている、というものだった。これ自体は過去にも指摘されてきた話で、一度雇用すれば簡単に解雇できない、だから経営者は仕事量が増えても将来また不況になった時に困らないように人を増やさず、雇用者の数を最低限に抑えて長時間労働をさせる、さらには派遣や請負といった形で直接雇用を可能な限り避ける、というものだ。

これは経営者の側に長時間の残業をさせるインセンティブがある、結果としてサービス残業も横行するという話だが、もう1つ重要な事がある。それはサービス残業は日本の文化に根ざしているので容易に無くならなず、結果としてブラック企業が量産されてしまうという事実だ。

●法律を守ったら企業は潰れる。
本来、サービス残業は違法行為で到底許されるものではない。その一方で労働基準法は現在の経済情勢とそぐわない状況になっている事は間違いない。労働者の問題に詳しいノンフィクションライター・吉田典史氏は、違法行為に手を染める企業を厳しく批判しながらも、「労働基準法をキッチリ守ったら多くの企業は潰れる」と指摘する。

普通、そこまで法律と実態にズレが生じれば、法律を変えるべきという事になる。しかし、そうならないのは日本特有の文化があるからだ。これは「空気の研究」で近年改めて注目されている山本七平氏が40年も前に指摘している。

●「日本人とユダヤ人」が指摘する日本人の性質。
山本七平は、日本の文化に異常に詳しいユダヤ人、イザヤ・ベンダサンが執筆する、という奇妙なスタイルで「日本人とユダヤ人」を書いた。これは当時300万部を超える大ベストセラーとなった。特異な日本人論を披露する山本七平は「日本人とユダヤ人」の中でも、日本人の法律に対する奇妙な態度を指摘している。

戦中・戦後の日本は食料不足の状況にあり、米を始め食料は配給制度を採っていた。しかし、配給されたものだけを食べていても量が足りずに餓死してしまうので、当然それ以外の食料も手に入れようとする。それがヤミ米だ。しかし、当時ヤミ米を取引する事は違法行為だった。

違法行為だが食べなければ死んでしまう。この死んでしまうというのは決して比喩ではなく、実際にヤミ米を食べる事を拒否して餓死した裁判官が一人いた。

さて、このような状況で日本人はどうするか。通常は守ると皆が死んでしまうような法律は実態にそぐわないから変えよう、となるはずだが、日本人の感覚では「守ると死んでしまうような実態にそぐわない法律は無視しよう」となる。結果として法律を破ることが普通で、法律を守った人(=餓死した人)がニュースになるという極めて奇妙な事が起きる。

とはいえ、この法律も完全に無視されるわけではない。あまりにも目に余る破り方をすると、しっかり摘発される。

では一体何のための法律なのか?という事になるが、これは日本人の「ルールはほどほどの所までなら破ってもいいが、やりすぎはダメ」という感覚に非常にフィットしている。ヤミ米ではぴんとこないと思うのでサービス残業を例に考えてみよう。

●ホドホドとやり過ぎの境目は?
A.月収100万円の会社員が毎日1時間のサービス残業をさせられている。これに不満を感じて友人に愚痴をこぼしたところ「それだけ貰ってるなら文句言うなよ」といわれてしまった。

B.月収15万円で毎日終電近くまで働かされているのに残業代は一切出ない、という環境で働いている人がいる。これに不満を感じて友人に愚痴をこぼしたところ「なんて酷い会社だ! すぐにでも労働基準監督署に行った方が良いよ!!」といわれた。

AとBの例で、友人の反応はごく常識的なものだろう。だが、これはどちらも労働の対価を払っていないので同じく違法行為だ。もしAの状況の人がこれはとんでもない違法行為だ!と上司や経営者に文句を言ってもきっと取り合って貰えないだろう。同僚からも困った人として扱われるに違いない。もしかしたら労働基準監督署で相談しても友人と同じような反応をされてしまうかもしれない。Bの状況で働く人も、Aの人の話を聞いても自分と同じ状況だとは思わないだろう。

この違いは一体なんだろうか。法律を厳密に適用すればどちらも違法行為なのに、ある程度の水準までは我慢するのが普通で、騒ぎ立てる方がかえっておかしいという扱いをされる。その一方である水準を越えると途端にトンでもない話だ!となる。

これを山本七平氏は「法外の法(ほうがいのほう)」と呼んでいる。日本人には一般的な意味での宗教的な規範も法の支配もなく、皆が法外の法を基準に判断すると指摘する。「法外の法」の基本となる考え方は人間、もしくは人間性であり、そこから外れたものはたとえ法律であっても無視される。しかし完全には無視されず、やり過ぎると前述のヤミ米のように摘発され、サービス残業もたまに摘発される。

建前としての法律と、心の底にあるまた別の法律、つまり「法外の法」があるような状態が日本という国であり、日本人はそれに従っているという。以下、少し長いが引用してみよう。

●「人間」という定義。
「日本では、満場一致の決議さえ、その議決者をも完全に拘束するわけでないし、国権の最高機関と定められた国会の法律さえ、百%国民に施行されるわけではないから、厳守すれば必ず餓死する法律ができても、別に誰も異論はとなえない。

法律を守った人間はニュースになるが、破った人間はもちろん話題にものぼらない。といって全日本が無法状態なのではない。ここに日本独得の「法外の法」があり「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という断固たる不文律があるからである。

従って裁判もそうであって「法」と「法外の法」との両方が勘案されて判決が下され、情状酌量、人間味あふるる名判決などとなる。日本人はこの不文律を無意識の内に前提とするが、これは日本独得のもので外国にはないから、外国の会社などと契約を結ぶ場合…えてして大きな失敗をするわけである。

ではこの法外の法の基本は何なのであろう。面白い事にそれは日本人が使う「人間」または「人間性」という言葉の内容なのである。

今のべたような「人間味あふるる判決」とか、また「人間性の豊かな」「人間ができている」「本当に人間らしい」とかいう言葉、またこの逆の「人間とは思えない」「全く非人間的だ」「人間って、そんなもんじゃない」「人間性を無視している」という言葉、さらに「人間不在の政治」「人間不在の教育」「人間不在の組織」という言葉、このどこにでも出てくるジョーカーのような「人間」という言葉の意味する内容すなわち定義が、実は日本における最高の法であり、これに違反する決定は全て、まるで違憲の法律のように棄却されてしまうのである。」  イザヤ・ベンダサン 日本人とユダヤ人より

山本七平はこういった話を取り上げながら、日本人は無宗教などと言われるが間違っている、日本人は日本教という宗教の信者だと指摘する(キリスト教徒でさえ彼にかかれば日本教徒キリスト派だ)。そして日本教では「人間とはかくあるべき者だ」という規定があり、それが他の宗教も法律も超えて日本人の心に教義として染み付いているという。(日本教に関する話は書き始めるとキリが無いので、山本氏の著書を参考にされたい)。

山本七平はさら以下のように論を進める。

「守れば餓死するような法律などは「そんな人間性を無視した法律を守る必要はない」と全国民が考えると、その瞬間に違憲として棄却されるから、ないも同様になる。それならこの法律を国会で廃止すれば良いではないか、と主張する外国人が居ればまことに日本を知らぬ奴といわねばならない。
というのはこの法律は「人間性を無視しない範囲内」では厳然として存在し、それをおかせば罰せられるのである。従って「そりゃ、ヤミをやらねば食って行けないし、おれもやってるけど、あいつはやりすぎるよ、あんなことまでやれば、つかまるのはあたりまえだ」
ということは、人間性という法外の法の保障する範囲がはっきり決まっており、これを乗り越えればすぐさま、国会の定める法により処断される、それが当然だ、という考え方である。」 同上


日本人が均一の価値観を持っている時代ならばこのような空気がある意味で規律を促す宗教のように働き、プラスの効果もあったかもしれないが、現在では完全に足かせとなっている。

●もう「曖昧」はやめるべきだ。
例えば先ほどの15万円で終電まで働かされる、という人の給料が、もし給料が30万円ならばどうだろうか。40万円ならば? 50万円なら・・・? これがアリかナシかは人によって意見が大きく分かれるだろう。Bの状況であっても将来報われるなら我慢する人もいるかもしれないが、そのような保障は今のようなご時世にあるはずもない。

法の支配を軽視し、このような曖昧さを無意識のうちにまるで美徳かのように扱ってきた事は近年大きな問題となってあらゆる場面で噴出している。

それが経営者による「サービス残業」という名の「窃盗」であり、「生徒間のイジメ」や「力士による可愛がり」という名の「暴行事件」であり、教師や部活顧問による「体罰」「愛のムチ」という名の「暴行事件」「殺人事件」だ。どの問題も、ほどほどならば許容されるが一定レベルを超えると世間から非難され、時には犯罪となる、という意味では全部同じだ。ここまで広範囲にわたって同じ傾向がみられるのであれば、明らかに日本人の文化がこの曖昧さをよしとしているとしか考えられない。

繰り返すが、このような慣習を長年続けてきた日本にとって、サービス残業は日本の文化と言っていい。立派な違法行為であり、過労死の原因にもなっているにもかかわらず、これが厳しく取り締まられず、ある程度は仕方ないという空気になっている状況は、体罰によって生徒が自殺しても「体罰は必要」と言い張る人がいまだにいる状況と酷似している。


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●アベノミクスは失敗している。
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●国が1兆円もかけて電機メーカーの設備を買い取るらしい ~エコポイントの斜め上を行く、呆れた仕組みについて~


法律よりも「日本教の教義」が優先されるようなおかしな状況は、今後早急に直すべきだ。そのためにはどうすべきか、これは次回に続けたい。

続きを書きました! →ブラック企業を消す方法。 ~解雇規制・雇用流動化について~

中嶋よしふみ
シェアーズカフェ・店長 ファイナンシャルプランナー
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●ツイッターアカウント @valuefp  フェイスブックはこちら ブログの更新情報はSNSで告知しています。フォロー・友達申請も歓迎します^^。

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著者プロフィール


中嶋よしふみ ファイナンシャルプランナー(FP)、シェアーズカフェ店長、シェアーズカフェ・オンライン編集長。「保険を売らないFP」。

2011年4月にファイナンシャルプランナーのお店・シェアーズカフェを開業。開業から10年間、一貫して対面相談とウェブで情報発信を行う。2014年、シェアーズカフェ株式会社に法人化。現在は日暮里駅近くに事務所を構える。

情報発信は東洋経済オンライン、ITmediaビジネスオンライン、プレジデントオンライン、JBプレス、日経DUAL等の経済誌で執筆する他、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ等で執筆・出演・取材協力多数(めざましテレビ、報道2001、スッキリ他、メディア掲載・取材協力の詳細を参照)

著書に「住宅ローンのしあわせな借り方、返し方(日経BP)」、「一生お金に困らない人 死ぬまでお金に困る人(大和書房)」。住宅本はAmazon・楽天ブックスの住宅ローンランキングで最高1位、Amazon総合ランキングでは最高141位。

対面ではファミリー世帯向けにプライベートレッスン(相談)を提供。生命保険の販売を一切行わず、金融機関・不動産会社のセミナー・広告等の業務も全て断り、相談料だけを受け取るFP本来のスタイルで営業中。

プライベートレッスンでは独自のカリキュラムを顧客ごとに最適化、相談・アドバイスと組み合わせて高度なコンサルティングを提供。特に住宅購入の資金計画、ライフプラン全体のアドバイスを得意とする。「損得よりリスクと資金繰り」がモットー。

2013年にはマネー・ビジネス分野の士業や専門家が参加する自社メディア、シェアーズカフェ・オンラインを設立、編集長に。2014年よりYahoo!ニュースに配信中。他にも編集プロダクション、専門家向けの執筆指導(オンラインサロン)、社長専属の編集者などの業務も提供。FP事業とメディア事業を車の両輪としてシナジーを経営者として日々追求。

お金よりも料理が好きな79年生まれ。

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