この「天才の系譜」というカテゴリがどういったテーマを持っているかと申しますと、「First Step:どれから聴くか」で紹介している比較的わかりやすいとされる名盤を20〜30枚程度聴いていくと、どうしてもモダン・ジャズ疲れといいますか、倦怠感/マンネリ感とでもいうべき感覚に陥ってしまう可能性が出てきます。どれも素晴らしい作品ではあるのですが、言うなれば毎回毎回パスタだと飽きちゃうのと同じ感覚です。そんな時モダン・ジャズ以前のアーリー・ジャズを聴いてみたり、あるいは全く別ジャンルの音楽を聴くというのもアイデアだとは思いますが、変化球のようなモダン・ジャズを聴くのもマンネリからの脱却には有効なのではないかということで「Second Step:Jazzを探求する」を用意いたしました。わかりやすさや聴きやすさ低下するかもしれませんが、複雑で難解系ジャズもたまには良いのではないかというのがこのカテゴリの趣旨です。その「Second Step:Jazzを探求する」がジャズメンによる綿密な計算に基づく確信犯的なチャレンジを評価するのに対し、「天才の系譜」は図抜けた個性/能力を持ち天才としか表現できないと思える作品を取り上げております。特に”人”、それも飛びぬけた個性を持つジャズメンに注目したカテゴリが「Third Step:誰を聴くか/天才の系譜」ということになります。


ジャズ界には個性的な演奏家が多数存在します。もちろん他のジャンルにも個性的なアーティストはたくさんいます。そもそも個性がないと、どの世界でも人気が出るはずないので当たり前と言えば当たり前ではありますが。個人的には他のジャンルの音楽もそれなりに聴いてきたつもりでおりますが、それらの知識で判断する限りジャズメンの個性は群を抜いています。そう思えて仕方がありません。


ポップスのアーティストの個性は、ファッション/ダンス/PVなどを通じても表現されます。エルヴィス・プレスリーが両手を開いた時のヒラヒラ。マイケル・ジャクソンのムーンウォーク、マドンナの際どい表現などなど。しかし、ジャズメンの個性は演奏/作曲といった音楽性で表現されます。あくまでもジャズの本質/ジャズメンの個性とは、演奏を通じて表現されます。当時はそれしか個性の表現方法がなかったとも言えますが。


そんな個性の強い演奏家が数多登場したジャズ界にあって、最も個性が強いのは誰か。もちろん十人のジャズ愛好家にこの質問をすれば十通りの答えが返ってくると考えるべきでしょう。確定的な通説は存在していないはず。ですが、このブログではジャズ史上最も個性の強い演奏家としてピアニストのセロニアス・モンクを推したいと考えています。


あくまでも個人的な印象であることお断りした上での考え方ですが、モンクは「全身ジャズメン」。全身全霊をジャズに注ぎ込み、最終的には心身のバランスを失ってしまったジャズメン。気難しい一方で純真無垢。他のどのジャズメンも築くことのできなかった独自の世界観に到達してしまったジャズ仙人。そんな印象があります。


このようなモンク異次元説に辿り着いた要因は、彼のCDを聴き、ライヴ映像を観たことももちろんなのですが、クリント・イーストウッドが制作したモンクのドキュメンタリー映画『ストレイト・ノー・チェイサー』 【英語版wiki】で観た彼のイメージを引きずっている可能性があります。この作品は衝撃的でした。


『ストレイト・ノー・チェイサー』は通り一遍の偉人伝なんかでは決してありません。月並みな美談を並べて「こんな凄いジャズメンがいたんだぞ」といった内容ではなく、気難しくときおり奇行すら見せるようになっていた時期のモンクの姿をひたすら追った記録映像です。目を背けたくなるような場面というと言い過ぎかもしれませんが、後味の悪いシーンも多々あります。ですが、”天才”と呼ばれ色々な意味でバランスを崩しながらもジャズという音楽に全てを捧げた純粋な男の姿がそこにはあります。かなり重い内容の作品ですので、心に余裕のある時にでも是非ともチャレンジして頂きたい作品です。


本題に戻ります。モンクはなぜ天才なのか。他の誰とも違う、この1点に尽きると思われます。どの点で違うのか。ポイントは2つ。演奏家として、そして作曲家として異質です。


ジャズは作曲能力を競う音楽というよりも、演奏スタイルで個性を主張する音楽。これは大原則です。モンクは他の誰とも違うピアノ演奏のスタイルを持っています。彼はアート・テイタムやオスカー・ピーターソンのように、流麗なテクニックを披露することはまず100%ありません。アーマッド・ジャマルは、華麗なピアノ・テクニックも持っていたのでしょうが自らのスタイルを貫き曲芸的な技術力を封印。独特の「間【ま/space】」を追求したピアニストでした。そのジャマルはモンクに大いに触発されたとされています。モンクはテクニックではなく独特の「間」で世に知られるピアニストの代表者。その独自性が尋常ではありません。聴く人によっては「単なるヘタクソなピアノ弾き」と思われる可能性すらあるほど際どい「間」を使うことすらあります。


更にモンクは作曲家としても多数の楽曲を遺しており、中には"Round Midnight"のようにスタンダード化したものもあります。この作曲という点に関してもモンクの独自性/異質性は際だっています。「変な曲」が多数あります。ふざけているのか、と思わず吹き出しそうになる曲すらあります。ですが、モンク本人は至って真面目。全くの想像ではありますが、彼の場合、他の誰とも違うものを作ってやろうと意気込んで無理からに個性を発揮しているというよりも、そもそも他の誰とも違うフィルターを持っているとでも言うのでしょうか、特殊な思考回路を備えているとしか思えない独特の作品を多数遺しています。


スタンダード曲を弾かせても異質。作曲をしても異質。モンクはそんなジャズメンです。丸ごと異質ということに。流麗、華麗、心地よさといった通り一遍の褒め言葉でモンクを言い表すことはできそうにありません。変人、変態、そして天才。モンクを形容しようと思えば、こういった極端な表現を用いるしかありません。私にはそう思えます。


そんなモンクを作品単位で紹介する訳にはいきそうにありません。丸ごと異質なので。ですので、今回は一枚の作品に限定せず、彼が遺した豊饒この上ない作品群の中から適宜引用しつつ彼の生涯を追ってみたいと思います。


セロニアス・モンクは1917年ノース・カロライナ州生まれ。彼が5歳の時、家族でニューヨーク・マンハッタンへ転居し、6歳でピアノを弾き始めます。ほとんどは独学だったそうですが、ハーモニーとアレンジに関してはジュリアード音楽院で学んだそうです。


高校を中退し、宣教師とともにオルガン伴奏者としてツアーに同行するようになり、10代後半でプロのジャズメンになります。1940年代前半から中盤にかけてモンクはニューヨークの名門ジャズクラブMinton's Playhouse【英語版wiki】の専属ピアニストとなります。1940年代初頭のミントンズ・プレイハウスと言えば、モダン・ジャズがまさに生まれた地。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、チャーリー・クリスチャンらが集いビ・バップを産み出したまさにその”現場”でした。チャーリー・クリスチャンの歴史的な音源である"Live at Minton's Playhouse"【1941】が録音されたのもこのクラブでした。この録音には無名時代のモンクも参加しております。


モンクはキャリア初期にビ・バップの誕生というジャズの歴史上最大の事件に遭遇していたことになります。当時の自身のスタイルを「アート・テイタム風のHard Swingだった」とモンクは後に振り返っています。Duke EllingtonやJames P.Johnsonらのストライド・ピアニストの影響を受け、ジョンソンとは隣人同士で10代の頃からの知人だったそうです。

モンクの仲間だった女性ピアニストのMary Lou Willimas【英語版wiki】は、モンクの創造性がいかに突出していたかを表す以下のようなエピソードを語っています。


「当時は誰かのアイデアを許可なく自分の曲に取り入れるなんてことは日常茶飯事だったのよ。だから、バッパーたちは、盗まれ難いような音楽を産み出すように努力したの。彼らは吸血ヒルのようなものよ。剽窃は止まなかった。ミントンズのテーブルに座ってシャツの袖口やテーブル・クロスにせっせとメモをしている輩を見かけたわ。仲間内ですらモンクが思いついたアイデアを許可無く奪っていった。しまいには彼のトレードマークであるベレー帽やバップメガネといったファッションすら盗まれちゃったんだから。まったく失礼しちゃうわ」


モンクの才能はすぐにレコード会社に知られることとなり、1944年にコールマン・ホーキンスのカルテットとのレコーディングに参加。1947年にはブルーノート・レコードと契約。1947〜1952年までリーダーとして録音を行います。

  
Thelonious Monk "Genius of Modern Music Vol.1"【1947】
セロニアス・モンク 「ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.1」【1947年録音】

  
Thelonious Monk "Genius of Modern Music Vo.2"【1951/1952】
セロニアス・モンク 「ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.2」【1951/1952年録音】

この2作は後に編集されたブルーノート時代の総集編。「初期モンクを聴くならこの2枚」的な著名作です。当時から彼がジーニアスと認識されていたことが解ります。ただ、発売年によって収録曲が異なります【参照:英語版wiki Thelonious Monk Blue Note Session】。


Vol.1収録"'Round Midnight"【1947年録音】。モンク作。

木訥なピアノ。一音一音鍵盤をポロンポロンと押していくかのごとく。ぎこちないのか、ヘタウマなのか微妙な印象。これがモンクのスタイル。他の誰にも表現できない不思議な世界観。そのモンクの飄々としたピアノを包み込むかのようなホーン・アンサンブル。タイトルを良く表しています。たしかにこの曲が表現しているのは「夜更け過ぎ」。モンク作品の中ではどちらかというとモンクらしさの薄い曲のような気がします(あくまでも私見)。


同じくVol.1収録"Well,You Needn't"。モンク作。

誤解を恐れずに言えば、「調子っぱずれ」。あるいは「素っ頓狂」。モンク・メロディにはそんな異質さを感じます。


Vol.2収録"Straight,No Cahser"【1951年録音】。モンク作。

こちらも代表曲。ヴァイヴ:ミルト・ジャクソン。


モンクは特殊な間を用いるピアニストであると同時に、独特の曲調の作品を生み出す作曲家としても評価されています。彼はモダン・ジャズ期の作曲家で最も多くレコーディングされた作曲家でした。ジャズ史全体で見るとデューク・エリントンに次ぐ2位。ただエリントンは1,000曲以上の楽曲を遺していますが、モンクはおおよそ70曲。たった70曲ですが、レコーディングされた回数で1,000曲を誇るエリントンに次ぐということは、いかにモンクがジャズメンたちから支持の高い作曲家だったかが解ります。


いわゆるジャズ・スタンダード曲とは、1930〜1940年代に上演されたミュージカルやオペラの挿入歌である場合がほとんど。ロマンティックなメロディが主体。あるいは、ダンス・ミュージックとして書かれたアーリー・ジャズ期の楽曲。ですが、モンクはモダン・ジャズ期の作曲家。リスナーが一生懸命に耳を傾けるために書かれた曲です。モダン・ジャズのために書かれた曲ということになります。マイルス、コルトレーン、ソニー・ロリンズのような人気ジャズメンも作曲はしましたし、スタンダード化した曲もあります。ですが、スタンダード化率と楽曲の評価ではモンクが突出していると考えるべきでしょう。


紹介した3曲は初期作ですが、どれもモンクのキャリアを代表する曲ばかり。モンクらしさに溢れた特徴を持ちます。彼の作品を聴き込んでいくと初めて聴く曲であっても「モンクらしいなぁ」と思えるようになります。これは凄いこと。メロディやアンサンブルで自分の個性を示せるジャズ作曲家は長い歴史を紐解いてもそれほど多くはないはず。


ブルーノートに吹き込んだ作品でモンクの名前は瞬く間に知れ渡ります。ところが、1951年彼はあるトラブルに巻き込まれてしまいます。1951年の夏、ニューヨークの路上に駐車した自動車の中にモンクとバド・パウエルがいたところ、警察官が車内検査を要求。結果、パウエルの持ち物と思わしき麻薬が発見されます。男気あふるるモンクは友人であるパウエルのものだと証言することを拒否。結果、モンクはニューヨーク市にあるクラブで働くための労働許可証であるキャバレー・カードを剥奪されてしまいます。つまり、アルコール類を供する店舗、多くのジャズメンたちが研鑽を積む場所であるナイト・クラブでモンクは演奏することができなくなってしまった訳です。その後数年間、モンクは作曲、レコーディング、劇場でのコンサート、ニューヨ−ク市以外のナイト・クラブでのライヴに専念せざる得なくなり、活動が大幅に制限されてしまう憂き目に遭います。


ジャズ・クラブは仲間との交流の場であり、最先端のジャズが生まれる場所。新しく作った曲を演奏し、観客の反応を伺い、もし好評であればレコーディングをするというテストの場であったはず。新しいジャズメンと知り合う絶好の場でもあったはず。モダン・ジャズ黄金時代の1950年代半ば、モンクはその研鑽の場を奪われてしまいました。事件の発端が人種的な軋轢にあったのかどうかはわかりません。仮にこの処分がなければモンクのキャリアがどう変わっていたかという点も想像がつきません。良い方に変わっていたのか、あるいは逆なのか。ただ、全盛期のモンクが創作活動の上で窮屈な思いをしたことは確かと考えられます。


1952年、モンクはPrestige Recordsと契約。Art Blakey、Max Roach、Sonny Rollinsらモダン・ジャズの同時代社とセッションを重ねます。レコーディングの最中、ある歴史的事件が発生します。いわゆる「喧嘩セッション」です。


1954年クリスマス・イヴに行われたレコーディングでの出来事でした。モンクのピアノとの噛み合わせがいまひとつだと感じたマイルス・デイヴィスは、モンクに対し「オレ様がペットを吹いているときはピアノを弾くんじゃねえ」【敬称/語尾は想像】と言ったそうです。たったこれだけ。要は、マイルスがトランペットを演奏中はモンクに「静かにしててね」と言っただけ。マイルスがリーダーの録音ですから、モンクも素直に従ったまで。にも関わらず、ジャズ歴史本などではとっくみあいの殴り合いが起こったかのように「喧嘩セッション」と記述され、「が故に熱気が高まり録音も白熱し、素晴らしいものとなった」なんてまことしやかに書かれたりしています。喧嘩したから録音が白熱するってどんな理屈なんだと。


実際、マイルス本人が感情的なもつれなどなかったことを後に自伝で語っておりますし、何よりその後不振に陥ったマイルスが復活したきっかけはジャズ・フェスでモンクらと行ったジャム・セッションだったとすら言われています【参照:80枚目:Miles Davis "'Round About Midnight"【1955】】。後にグループのメンバーであるコルトレーンが麻薬にハマってどうにもならなくなってしまった時、マイルスはモンクに彼を預けたほど。マイルスとモンクは共演も多くありませんし、ジャズ・ジャイアンツ同士ですので両雄並び立たずの典型で演奏家としては相性が良くなかった可能性はあったにしても、この「喧嘩セッション」うんぬんといった語り口はジャーナリズム手法として疑問を感じなくもありません。「マイルスとモンクって仲が悪かったんだぁ」とか言い出しちゃうすっとこどっこいが必ず出てきちゃいますんで。


このマイルスとモンクによるセッションは、後に"Miles Davis and Modern Jazz Giants"【1959年発表/英語版wiki】と"Bag's Groove"【1957年発表/英語版wiki】という2作の編集盤に、他のセッションでの録音と併せてリリ−スされます。 


 
Miles Davis "Miles Davis and Modern Jazz Giants"【1959】
マイルス・デイヴィス 「マイルス・デイヴィス・アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」【1959年発表】



Miles Davis "Bag's Groove"【1957】
マイルス・デイヴィス 「バグス・グル−ヴ」【1957年発表】 


ミルト・ジャクソン作曲のスタンダード"Bag's Groove"を。

実際、マイルスが吹いているとき、モンクは沈黙。ソロもとってもどことなく窮屈そうではあります。


そもそもモンクはサイドマンとして他人のレコーディングに参加するタイプのジャズメンではありません。特殊なスタイルですので、誰とどんな曲を演奏しようがモンク色が出てしまうはず。言うなれば「取扱い説明書が必要なタイプ」の人間です。自由にやらせ、干渉しない。これが唯一の方法。取り扱いを間違えればマイルスとのセッションのようになってしまって持ち味が死んでしまう訳です。


1955年、モンクはRiverside Recordsと契約。1961年までの6年間に恐るべき作品を発表することになります。ですが、セールス面は大苦戦。モンクの音楽は大衆受けするには「難しすぎる」とみなされるようになってしまっていました。レコード会社が次々に変わるといかにも売れっ子のようですが、実は前所属Prestige Recordsからたった108.24ドルでRiversideはモンクとの専属契約を買い取ったそうです。Prestigeにすればモンクのレコードを出しても売れないから厄介払いのためタダ同然でも譲りたかったということなのでしょう。


Riversideは第1作目として難解なオリジナルを排したスタンダード集を録音させます。それが"Thelonious Monk Plays the Music of Duke Ellington"【1955/英語版wiki】でした。


Thelonious Monk "Thelonious Monk Plays Duke Ellington"【1955】
セロニアス・モンク 「プレイズ・デューク・エリントン」【1955年録音】


8曲目収録"Caravan"。

砂漠を颯爽と歩くラクダのキャラヴァン隊の姿がイメージできる曲ですが、モンクが弾くとラクダは躓き気味。


Riversideで初めてモンクのオリジナル曲を収録した"Brilliant Corners"【1957/英語版wiki】は、モンクのディスコグラフィの中でも評価の高い作品。



Thelonious Monk "Brilliant Corners"【1957】
セロニアス・モンク 「ブリリアント・コーナーズ」【1957年録音】


1曲目収録"Brilliant Corners"。

もの凄い音の分厚さ。1957年録音でこの分厚さです。構造の複雑さ。モダン・ジャズの到達点のひとつと言えると思います。この作品を聴くとモンクを自由奔放系の天才と決めつけてしまうのは間違いかもしれません。理詰めの確信犯。チャールズ・ミンガスのようなジャズ賢人的な作品のようです。


テナーはソニー・ロリンズですが、あまりにも複雑な楽曲だったためロリンズをしてもこの曲を全部通して吹くことは一度もできなかったそうです。結局、何度か録音したテイクの上手くいった部分を継ぎ接ぎして完成させたとのこと。ライヴ感覚が基本のモダン・ジャズでは異例のこと。


またモンクの写真は気むずかし屋であることが伝わるものばかりですが、今作のジャケット写真に写るモンクはほぼ唯一笑顔です。


1957年にNY市のキャバレーカードを再取得すると、ファイヴ・スポットでの伝説ライヴを6ヶ月間に渡り敢行。この時期の編成はカルテットでワン・ホーンはジョン・コルトレーンでした。1950年代中盤から後半にかけてのコルトレーンと言えば、第一次マイルス・デイヴィス黄金クインテットの大番頭として活動していたことで知られていますが、先ほども少し触れましたが1957年彼は重度の麻薬依存症に陥りマイルス・クインテットから一時的に放逐
されてしまいます。そして、モンクがズタボロ状態のコルトレーンを拾った形になります。



Thelonious Monk "Thelonious Monk and John Coltrane"【1961】
セロニアス・モンク 「セロニアス・モンク・アンド・ジョン・コルトレーン」【1961年発表】


この"Thelonious Monk and John Coltrane"という作品は、1961年になってリイシューされた編集盤。モンクのグループでのコルトレーンの演奏を集めたものです。


1957年カーネギー・ホールで行われたモンク/コルトレーンによるライヴ版"Epistorophy"。

この曲もモンクの代表作で、スタンダード曲。モンクらしい曲です。


コルトレーンがマイルス・グループに再加入するためモンクの元を去った後、モンクはグループのメンバーをなかなか固定することができませんでした。コルトレーンの次にフロントとして加入したのはジョニー・グリフィン【参照:Johnny Griffin "A Blowin' Session"【1957】】でした。

 
Thelonious Monk "Misterioso"【1958】
セロニアス・モンク 「ミステリオーソ」【1958年録音】


1958年ファイヴ・スポットで録音されたライヴ盤"Misterioso"。




1959年、モンクは生涯の相棒となるテナー奏者と漸く巡り会います。チャーリー・ラウズ【Charlie Rouse/英語版wiki】です。


ラウズはリーダー作も発表したことのあるジャズメンではありますが、それほどビッグネームとまでは言えません。彼の名前がガイドブックなどに登場するにしても、ほとんど場合モンク・グループのメンバーとしてです。ラウズはモンクが体調を崩し事実上引退する1970年まで彼を支え続けます。


The Thelonious Monk Orchestra "At Town Hall"【1959】
セロニアス・モンク・オーケストラ 「アット・タウン・ホール」【1959年録音】


ラウズが加入したのは、The Thelonious Monk Orchestra名義で発表されたライヴ録音盤"At Town Hall"【1959年録音】から。この作品は聴きやすく、モンク作品の中でもお勧めしたい作品なのですが、残念ながらYoutubeに音源がありませんでした。ラウズ擁するモンク・グループの演奏は後ほど改めて紹介いたします。


また、モンクはピアノ・ソロ作品も数枚残しております。オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンスをはじめ、ジャズ・ピアノの歴史に名を残すような特異なスタイルを持つピアニストはソロ作品を録音する慣例のようなものがあります。



Thelonious Monk "Thelonious Himself"【1959】
セロニアス・モンク 「セロニアス・ヒムセルフ」【1959年録音】


スタンダード"April In Paris"。



ここまでモンクのディスコグラフィを年代順に追ってみた訳ですが、若干消化不良の感は否めません。たしかにこれらの演奏も素晴らしいのは間違いないですし、モンクの異質性も随所に感じられはします。ですが、実はモンクの恐るべき演奏が堪能できるのは正規盤ではなく、ライヴ演奏ではないかと常日頃感じています。モンクは世界中でライヴ・ツアーを行っており、素晴らしいことに比較的多くの映像が残されております。Youtubeには多数のライヴ映像がアップされています。ここからはそれらの映像を紹介いたします。


トリオ構成での"Blue Monk"。

モンクの足。


1964年、日本のTBSのスタジオで収録された"Epistrophy"。

サックスはチャーリー・ラウズ。モンクとの相性の良さがひしひしと伝わってきます。2:30からモンクの壮絶なソロ。彼の弾き方に注目すると、彼がいかに風変わりなピアニストかわかります。それにしても半世紀前に日本の地上波でモンクが流れたのでしょうか。凄い時代だったとしか言いようがありません。


トリオでの"Round Midnight"。



1969年ベルリンでのソロ演奏。"Caravan"。

”超絶”という言葉では言い表せない演奏。生物として特殊。それこそ「神の使い」的な奇蹟とか秘蹟と呼ぶべきレヴェルなんじゃないかと。


今回の記事はあっちこっちに話しが飛びすぎてモンクの素晴らしさを正確にお伝えすることができたかどうか不安が残ります。もし伝わらなかったとしたらそれは管理人の筆力不足が原因なのは明らかです。Youtubeには他にもかなりの数の動画/スタジオ音源がアップされていますので是非ともモンクを聴き漁ってみてください。すぐにではなくとも、ジャズを深く知っていく過程のどこかできっと彼の音楽に心を奪われる瞬間がやってくるはずです。


最後に荘厳な"Satin Doll"のソロ演奏を。この動画を観る度に私は神々しさを感じます。大げさではなく鳥肌が立ちます。

「天才」などと言ってしまうと敷居が高くなってしまうかもしれませんが、平たく言えば「味」でしょうか。心の底からモンクには味があると思います。彼の存在がジャズの奥行きをより深くしてくれていると断言できます。





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