ジャズ愛好家の方々は、映画音楽に対しどのような印象をお持ちでしょうか。それほど興味をお持ちでないかもしれません。私個人はサントラ愛好家でもありますので、ジャズとサントラがクロスオーバーするジャズ系サントラは好んで聴いております。今回は、ジャズ愛好家層にもアピールするはずのジャズが映画音楽に組み込まれた画期的な一例を紹介してみたいと思います。


映画が登場したのは今から100年以上前。当時は録音技術が確立しておらず、音なし映像のみのサイレント映画=無声映画でした。トーキー【ウィキ】と呼ばれる音付映画の実用化は1920年代後半になってから。レコードの実用化が1910年代中盤ですので、映像と音の融合は、レコード形式の音楽頒布実現から15年ほど遅れたということになります。

映画プロデューサーの立場で考えてみて下さい。映画のトーキー化が実現したとなると何が変わるでしょうか。まず真っ先に思い浮かぶのは俳優の台詞です。台詞を口に出す変化に対応できなかった俳優たちはト−キー化とともに映画界を追われたと言われております。

次に、バックグラウンド・ミュージックの登場です。例えば、失意のどん底に叩き落され主人公が嘆き悲しむシーン。主人公の心情をより明確に観客が理解できるように、哀しい気なメロディを流すという現在では当たり前に使われる手法が登場します。戦いに赴く兵士たちが登場するシーンなら勇猛果敢なマーチ。良くあるパターンです。

では、こういったバックグラウンド・ミュージックは誰が作曲するのか。トーキー映画が誕生したばかりの頃にサントラ専門作曲ががいるはずもありません。

多くの場合、売れないクラシック作曲家あるいは現代音楽の作曲家が起用されました。あるいはミュージカル/オペラ作曲家です。ガーシュウィンのような売れっ子は本業で忙しいので無理。音楽学校で正規の教育を受け、「次世代のストラヴィンスキーになるぞ!」と意気込んでいたものの、全く芽が出ずくすぶっていた作曲家など掃いて捨てるほどいたはず。そもそもクラシック界はいつまでたってもモーツァルトやベートーヴェンの再演が基本で、新進作曲家が交響曲を書いたからといって、上演してくれるチャンスは滅多にありません。

そういった売れない作曲家にハリウッドは目をつけます。その結果、本業では芽が出なかったものの映画音楽の大家となる作曲家が多数登場することになります。自らが望んだ道ではなかったかもしれませんが、「クラシック音楽家くずれ」の音楽家たちは、結果として映画音楽界で成功を収めることになります。

一方、1930年代/1940年代にジャズがアメリカ音楽界のメインストリームになると、多くの音楽家がジャズメンを志します。ですが、レコーディング・アーティストとして、あるいは演奏家として成功を掴めるのはほんの一握り。

1950年代初頭まで、ハリウッド映画のサウンドトラックと言えば、クラシック的なオーケストレーション系音楽が主流でしたが、1950年代中盤あたりから、ジャズの要素を取り入れた音楽が散見されるようになります。


Henry Mancini "Touch of Evil - Main Title"【1958】。邦題『黒い罠』【ウィキ】という映画のサントラです。

この曲は、主人公がメキシコ系アメリカ人で、メキシコと国境を接する町を舞台にしたサスペンス映画。ですので、ラテン調のビッグバンド・ジャズ風のサントラになっております。







ちなみに映画自体も大傑作。余談ではありますが、監督のオーソン・ウエルズは映画の天才と呼ぶべき人物。もし彼をジャズメンに例えるなら、チャールズ・ミンガス的な存在と個人的には考えております。


このラテン・ジャズ調のサントラを作曲したのはヘンリー・マンシーニ【ウィキ】。サウンドトラック作曲家のビッグネームです。『ティファニーで朝食を』の挿入歌「ムーンリヴァー」はジャズスタンダード化。以前「変わり種Jazz【5】Quincy Jones " Quincy Jones Explores the Music of Henry Mancini"【1964】」でクインシー・ジョーンズによるマンシーニ楽曲集を紹介したことがあります。

マンシーニは1924年生まれですので、マイルスやコルトレーンとほぼ同じモダン・ジャズ世代。ジュリーアド音楽院卒業後、グレン・ミラー楽団のピアニスト兼アレンジャーとなりますが、ジャズ界ではそれほど大きな業績を残すことはできず、B級映画のサントラを手掛けたことをきっかけに映画音楽界へ転身。つまり、言葉は悪いのですが「ジャズメンくずれ」ということです。

マンシーニの代表作をもう1曲。"Pink Panther"【1964】。

あまりにも有名な「ピンクパンサーのテーマ」ですが、聴いてお解りのように、実は完全なジャズ系楽曲です。マンシーニはサントラという形を借りて、自身のジャズ観を披露していた訳です。









マンシーニと似たタイプのジャズ系サントラ作家をもうひとり紹介します。英国のサントラ作家ジョン・バリー【ウィキ】です。


John Barry "James Bond Theme"【1963】。

あの有名な「ジェームズ・ボンドのテーマ」も良く聴けば実はジャズ系サントラ。

バリーは音楽学校でクラシック教育を受けるも退学し、英国のローカル・ジャズ・バンドで演奏していました。ウィキによれば、スタン・ケントンの主催する通信教育で作曲、編曲、ハーモニーを学んだそうです。










その他、『スター・ウォーズ』などのオーケストラ系サントラで知られるジョン・ウイリアムス【ウィキ】も、そもそもはジャズ・ピアニスト志望でした。


サントラのジャズ化は英語圏に止まりません。


フランスのジャズ作曲家Alain Romans【wiki】が音楽を担当した仏映画『ぼくの伯父さんの休暇』【1953/ウィキ】のサントラ収録曲"Quel Temps Fait-Il A Paris"。











イタリアでも1960年代にCine Jazzブームが興ります。


Armando Trovajoli "Seven Gold Man"【1965】。邦題『黄金の七人』【ウィキ】。


チネ・ジャズは現在ではラウンジ・ミュージックなどど呼ばれ、アルマンド・トロヴァヨーリ楽曲は一部でレア・グルーヴ的な支持を受けております。








同じ傾向は日本映画界にも見られます。八木正生【ウィキ】は、日本のジャズ創世記に活躍したピアニストですが、1960年代/1970年代にサントラ作家として活躍します。

『非行少女ヨーコ』【1966年】の予告編。

この予告編で流れるサントラはR&B系ですが、劇中曲にはほぼバップ的な楽曲を提供しています。


以上のように、1950年代中盤から1960年代にかけて、世界中の映画音楽にジャズが取り入れられるようになりました。これは、他のどの分野でも起こることですが、要は「流行の移り変わり」がサントラ界に起こった訳です。それまで主流だったオーケストラ編成によるクラシック音楽ベースのサントラと比べ、ジャズ系サントラは斬新と観客に受け止められたと考えられます。

となると、映画プロデューサーたちはジャズ系サントラを書ける音楽家を探さなくてはなりません。とは言っても、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスのように、一線で活躍しているジャズメンは映像の添え物であるサントラに興味を示すはずもありません。マイルスによる『死刑台のエレベーター』はタイミングと実験性が絶妙に組み合わさって実現した、あくまでも例外的なパターンと考えるべきでしょう。

そこで、プロデューサーたちは、かつて映画がトーキーになった際、芽の出ないクラシック作曲家に目をつけたように、不遇をかこっているジャズメンに目をつけます。今回の記事の主役であるLalo Schifrinはジャズ系サントラ隆盛期に、ジャズメンからサントラ作家に転身した代表格になります。


ラロ・シフリンに関しましてはこれまで関連3作紹介しております。

44枚目:Lalo Schifrin "Piano,Strings & Bossa Nova"【1962】

緻密にアレンジされたボサ・ノヴァ・ジャズの金字塔。至高のトータル・アルバム。明らかに過小評価されているように思えます。騙されたと思って是非。


53枚目:Dizzy Gillespie conducted by Lalo Schifrin "Free Ride"【1977】

恩師ディジーをフィーチャーした恩返しアルバム。まさかのフュージョン・ロック路線に老体ディジーを適応させてしまうという離れ業アルバム。騙されたと思って是非。


66枚目:Jimmy Smith "The Cat" 【1964】

ジャズ史上最も売れたアルバムと言われることのあるベストセラー人気作。アレンジャーとして参加したシフリンはビッグバンド・サウンドをバックに超人ジミーをフィーチャーしました。


先ほど、ラロ・シフリンはジャズ界で「不遇をかこっていた」といったニュアンスの説明をしましたが、実はそれほど不遇だった訳ではありません。演奏家としてビッグ・スターではありませんが、コンスタントにリーダー作を発表しておりますし、アレンジャーとしては大成功を収めております。それなりの評価を得ている実力者といった感じでしょうか。

ラロ・シフリン【wikiウィキ】の経歴を簡単におさらいしておきますと、彼は1932年アルゼンチン生まれ。クラシック音楽を学ぶためフランスに留学しますが、当地でジャズに出会ったことをきっかけに、ジャズメン転向を決意。帰国後、アルゼンチンで16人編成のビッグバンドを結成し、TVの音楽を手掛けるようになります。

1960年、面識のあったディジー・ガレスピーとニューヨークで再会。ピアニストとしてグループに迎え入れられることに。南米に出自があることが理由と思われますが、当時流行していたボサ・ノヴァ・ジャズ系アルバムを自身名義で数枚リリースします。過去紹介作"Piano ,Strings & Bossa Nova"【1962】はこの時期の録音です。

ところが、シフリンの才能を高く買ったのはジャズ・レコード会社ではなくハリウッドでした。当時シフリンが契約していたMGMは1963年にハリウッド映画"Gone With the Wind"のサントラをオファー。これを受けたシフリンはサントラの仕事に手ごたえを感じたのでしょう、同年末には、映画の都ハリウッドへ拠点を移すことになります。


1964年にはアラン・ドロン/ジェーン・フォンダ主演のフランス映画『危険がいっぱい』【原題:Les Felins/ウィキ】のサントラを担当します。


"Les Felins Main Title"【1964】。「危険がいっぱいメイン・テーマ」。

ラロ・シフリン・サウンドの魅力である特徴的なベース・ラインが早くも出現しております。










人気TVシリーズ『0011ナポレオン・ソロ』【ウィキ】のテーマ曲は、サントラ作家ジェリー・ゴールドスミスが作曲しましたが、この曲をシフリンは1965年にジャズ・バージョンへとアレンジし直します。

"Theme The Man From U.N.C.L.E."【1965】。




1967年には超人気TVシリーズ『スパイ大作戦』【ウィキ】のサントラを手掛けます。現在も続編が制作されているトム・クルーズ主演のスパイ映画シリ−ズ『ミッション:インポシブル』の元ネタに当たります。

Lalo Schfrin "Mission:Impossible"【1967】



同じく『スパイ大作戦』から劇中使用曲"Mission Blues"。



サントラ『スパイ大作戦』のレコーディングには、全曲ではないもののシェリー・マン、バド・シャンク、レイ・ブラウンらが参加しております【参照:wikipedia Soundtrack"Mission:Impossible"】。









1967年には、スティーヴ・マックイーン主演の刑事サスペンス映画『ブリット』のサントラを担当。

"Bullitt Main Title"【参照:wikipedia Soundtrack "Bullitt"】。

ベース・ラインとシンバルが強調された魅惑のシフリン・サウンドがほぼ完成。ロック・ジャズ的、あるいはフュージョン的と言うべきか。









そして、シフリン・ワールドの決定打となる驚愕のサントラを発表することになります。クリント・イーストウッドがアウトローな刑事を演じる人気作『ダーティハリー』シリーズ【ウィキ】です。

"Dirty Harry Main Title"【1971】。シフリンにも映画にも興味はなくても、この曲だけは是非とも聴いてみてください。

魅惑のベースライン。妖艶なシンバル。なんだコレ?。史上最強のグルーヴと個人的には申し上げたいところです。ちなみにベースはChuck Rainey。深夜の高速道路を(制限速度内で)ブッ飛ばす際には是非この曲をウーハーMaxで流して頂きたいところです。


『ダーティハリー』劇中使用曲"Scopio's View"。

1:30辺りからの変調と1:50からのブリブリな急展開に是非とも注目して下さい。


「ちゃんとしたジャズ」も演ってます。同じく劇中曲"Off Duty"。

0:55からいきなりバップ的なジャズがスタートします。








サントラのみならず映画自体もスーパーな内容ですので、もしご覧になっていなかったら是非とも。

ちなみにクリント・イーストウッドとジャズに関しては、過去記事「Jazzと映画【4】『裸のランチ』/『カンザス・シティ』」で触れております。


先ほど触れましたように、1950年代中盤から1960年代にかけてサントラにジャズが導入されるようになりましたが、初期ジャズ系サントラは、少し言葉は悪いのですが、「甘ったるいスウィング・ジャズ」や「ジャズ風ムード・ミュージック」といった感じです。私個人は、ジャズ愛好家であると同時にサントラ・マニアでもありますのでそういったタイプの音楽も受け入れ可能ですが、純粋なジャズ・ファンの方々に強くお勧めすることには若干の躊躇を感じなくもありません。

ですが、ラロ・シフリンに関しては自信をもってお勧めできます。そもそも彼はジャズメンとしても結果を残しておりますし、『ダーティハリー』に関して言えば、映像の引き立て役であるのが基本のサントラの枠を超えてしまっていると考えております。当時最先端のジャズだったロック・ジャズ/フュージョンに呼応した内容を、サントラという自分の色を極力押し殺さらなければならないはずの副次的音楽で実現してしまったシフリンの凄さは評価されてしかるべきではないかと考えております。


シフリンの進撃はこれだけでは終わりません。次に彼が取り組んだのは、チャイナ的異国情緒とロック・ジャズ/フュージョンの融合でした。

Lalo Schifrin "Enter the Dragon"【1973】。邦題『燃えよ!ドラゴン』【ウィキ】。

欧米人のイメージの中にある東洋的/チャイナ的な先入観とロック・ジャズを融合させることにまで成功させてしまいます。「アチャーっ!」という叫び声まで音楽に溶け込ませてしまいます。相変わらずシンバルがクールに鳴り響き、かっこいいエレピがジャズ・ファンク的な雰囲気をプラスします。












Lalo Schfrin "Magnum Force Main Title"。『ダーティハリー2』のテーマ。











この音楽がアルゼンチン人ジャズメンによって作られたというの事実は、大変興味深いと思わざるえません。

シフリンによるロック・ジャズ/フュージョン的なサントラが大成功を収めると、世界中の映画にシフリン的なロック・ジャズ/フュージョン風の音楽が採用されるようになっていきます。


『スパイ大作戦』(『ミッション:インポシブル』)、『燃えよドラゴン』のテーマは大変著名ですが、個人的にはシフリン・サウンドの金字塔は『ダーティハリー』と確信しております。ですが、長い間『ダーティハリー』シリーズのサントラは絶版になっており、中途半端な編集盤のみCDで流通しておりました。

ところが、2004年にシフリン本人がレーベルを立ち上げ、シリーズ全5作をオリジナル音源でCD化してくれました。ちなみに『ダーティハリー3』【原題:The Enforcer】のみ、シフリンではなくJerry Fieldingがサントラを担当しましたが、それも含めてのCD化でした。わざわざ本人がレーベルを立ち上げてまでCD化した訳ですから、シフリンにとっても『ダーティハリー』シリーズのサントラには自信があったと考えられます。


もちろん、ジャズの核心であるアドリヴをジャズ系サントラに期待することはできません。ですので、厳密にいえばシフリンのサントラはジャズではなく、あくまでもジャズ風サントラと考えるべきではありますが。


サントラ愛好家の間では、シフリンは伝説的なサントラ作家として評価が確立しております。ですが、ジャズ界ではそれほど知名度が高いとは言えません。シフリンはサントラも手がけたジャズメンとして評価されるべきと個人的には強く感じております。彼はサントラ作家としてだけではなく、ジャズメンとしても認識されるべきですし、優秀なアレンジャー/作曲家としてもう少し評価されても良いはずです。











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