『ウェルカム・ドールハウス』『ハピネス』のトッド・ソロンズ監督作品。

 12歳のアビバは赤ん坊が欲しくて仕方がなかった。
 そんなある日、母親の友人の家で暮らすデブチンの息子に赤ん坊が欲しくてたまらないことを打ち明けたアビバはデブチンとそのまま関係を持ってしまう。その結果、アビバの体の中に一つの生命が宿った。
 そのことに怒り狂ったのはアビバの両親。
 両親は堕胎を奨めるが、アビバは頑としてそれを拒む。しかし結局は母親に病院へ連れて行かれ、中絶手術を受けたアビバ。
 目を覚ました彼女に両親は「手術は上手くいった」と話すが、実は子宮を摘出してしまったため子供が産めない体となってしまっていた。
 そしてアビバは旅に出た。
 アビバという一人の役を異なる8人の女優が演じる。
 ちょっと前に『またの日の知華』という映画が公開されていました。観ていないので何とも言えないのですが、その映画も一人の女性の人生を数人の女優が演じるということで話題となっていました。
 そういえば『隣人13号』も二人一役で話題になってましたね。
 最近こういった手法は流行っているのかな?

 ということで今回の映画は肌の色、体型、年齢すべてが異なる八人の女優が一人の女性アビバを演じます。
 あえて共通している部分を挙げるなら8人の女優すべてが幸薄そうな顔つきをしているということくらいかな?

 最初はこんな風に8人一役なんてことしたら滅茶苦茶になってしまうのではないかと思っていたのですが、不思議なことにその辺の違和感はあまり感じなかった。
 この映画に出てくる小児性愛者がアビバに対し「人は年を取ったり外見が変わったとしても基本的な部分は変わらない。明るいやつは大人になっても明るいし、根暗な奴は一生根暗のまま」と語ります。
 つまり8人の女優が一人のアビバを演じていますが、アビバの根本にあるものは何も変わっていないのです。
 アビバの根底にあるもの。それは「赤ちゃんが欲しい。そうすればずっと誰かを愛し続けていられる」という考え方。
 たとえ外見や年齢が異なる役者が演じているとしても「誰かを愛し続けたい」「誰かに愛されたい」そういった考えがアビバの根底には渦巻いているのです。

 アビバは旅に出る。愛を探す旅に出る。
 アビバが行き着いた先はサンシャインハウスというキリスト教の考えに基づく慈愛の精神に満ちた人たちが集う場所。
 そこで暮らす人は盲目だったり何かの病気の冒されていたりするなどハンデキャップを背負っているのですが、みんな仲良く暮らしている。
 そこで束の間の幸せを感じるアビバだったが、その家はあまりに狂信的。
 明るい環境の裏では中絶手術をする医者を射殺したりするなどの過激な手段も取ったりもしていた。そしてアビバが中絶手術をしたこともバレてしまったことによりまた愛を探す旅に出る。

 アビバは誰かをずっと愛し続けることを希望し、そのために赤ん坊を熱望した。しかし彼女は中絶手術により赤ん坊を産める体ではなくなった。
 たとえ何百人の男と関係を持ったとしても彼女が求めるものは決して得られないのである。愛を探す無限ループはまさに終わらない物語。

 そしてこの映画のもう一つ重要なテーマに「回文」という要素がある。
 回文とは「竹やぶ焼けた」といったように上から読んでも下から読んでも同じ文章になるというもの。アビバ自身の名前も回文になっている(AVIVA)など随所に回文が盛り込まれる。
 そしてこのことがより物語が終わらないことを意味しているのだと思う。上から読んでも下から読んでも同じ名前。違う読み方に変わることは無い。
 つまり違った自分に生まれ変わることは出来ないのである。
 主人公にこういった名前を付ける事によって同じことの堂々巡りを永遠と続ける運命であることを強調しているのではないでしょうか?

 「愛」という形の無い物を見つけるためアビバは今も世界を彷徨い歩いているのかもしれません。

 ★★★☆

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Story
8人の女優が主人公の少女を交互に演じたことが話題になった、トッド・ソロンズ監督の異色ドラマ。母親になることを熱望する12歳の少女・アビバは、愛を求めて美しく残酷な現実世界を彷徨う。出演は『ラスベガスをや...(詳細こちら