ElTopo


 『ホーリー・マウンテン』に引き続き、刈谷日劇で鑑賞したのが本作。にしてもこの二本立てって、強烈すぎない?もしこれがミッドナイト上映で、酒でも呑みながら観ているのであれば、勢いで「ついでに『サンタ・サングレ/聖なる血』もいっちゃう?」と変な勢いが付くのかもしれない。でも、僕はこの二本立てをゴールデンウィークの真昼間に観ているわけです。上映終了後の疲労感と言ったら・・・。

 でもやっぱ名画座って良いですね。何が良いって映画館の雰囲気が良いのです。シネコンと呼ばれる金太郎飴の様な劇場ではなく、それぞれが個性を持っています。そして映画と映画館が直結する。つまり「〇〇という映画を××って映画館で観た」と作品と箱がリンクしてくる訳です。ここがリンクしてくる映画って、自分の中では後々まで印象に残りやすい傾向にあります。
 それに僕がこの刈谷日劇を訪れた日、客数は疎らでした。でもその中に一人で映画館に来ている20代くらいの若い女性がいたのです。こういったシチュエーションから大槻ケンヂの傑作青春小説『グミ・チョコレート・パイン』を思い出し、妄想爆発。モテない自分が名画座での出会いによって女性と付き合い始め・・・良いなぁ〜、こんな青春。などと古びた椅子に腰かけながら一人ニヤニヤしていたのでした。
 更に言えば出会いのキカッケとなる映画が本作だなんて、凄く素敵なシチュエーションだと思いません?こういう素敵な妄想が出来たのも、きっと名画座という環境のおかげでしょうね。

 ってことで、アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品『エル・トポ』です。

 ジョン・レノンやボブ・ディラン、そして寺山修司も絶賛したというカルト映画の極北と評されている本作。
 実は学生時代に一度ビデオで観ています。もう彼是15年以上も前でしょうか?キッカケはまだ月刊化されていなかった頃の映画秘宝によって本作の存在を知り、そこに「奇形や残酷描写満載」と書かれていた事に興味を持ったから。つまり面白半分でこの映画に臨んだのです。
 確かに映像面では驚かされる面も数多くありましたが、当時はそれほど面白いとは思わなかった。更に言えば途中でウトウトしていた部分もあったのではないかなと・・・それでも当時ブログではない頃の旧映画大陸では、面白いと書いた記憶が有ります。ようは見栄を張っていたのですね。当時のログは存在しませんが、今読み返してみると、きっと赤面するような内容だったでしょう。
 でもこれもまた良い思い出って事で許して下さい。だって映画を観始めた当初って、解らない映画を解ったと解釈してみたりしたくなるじゃないですか。その傾向は今も変わらないかもしれないけれど・・・。 

 さて「モグラは穴を掘って太陽を探し、 時に地上へと辿り着く。しかし太陽を見た途端目は光を失う」という語りから始まる本作ですが、このフレーズから僕の頭に過ぎるのはCoccoの『雲路の果て』。
 この歌詞に「この目さえ光を知らなければ 見なくて良いものが有ったよ 体があなたを知らなければ 引きずる想い出も無かった」とあります。何かを得ようとすれば、何かを失う。この世は一事が万事そんな感じだと思いますが、この映画で描かれている世界もまさに同じではないでしょうか?

 エル・トポ(アレハンドロ・ホドロフスキー)は子供に大好きな人形と母親を捨てるように伝え、共に砂漠を旅する。行き着いた街は何者かによって住人が殺戮され、まさに地獄の様相を呈していた。
 そこで悪事を働いたゴロツキ共を排除したエル・トポは、街で暮らしていた女性と愛し合い、子供を捨てて砂漠へと再び旅立っていく・・・。

 人には人生において様々な転換期が存在する。ようは人生の分岐点の様なものです。この映画もエル・トポという一人の男の人生の決断。それによって翻弄されていく姿を描いた作品だと思わなくもない。
 黒装束を身に纏ったエル・トポに対する印象は、悪を挫くヒーロー。そんな感じです。街の悪漢を退治する姿からはマカロニウエスタンに登場する流離いのガンマンでヒーロー(ジャンゴ!)。そんなイメージを多くの方が抱くのではないでしょうか?
 しかし彼の人生は「子供を捨てる」という決断を取った時から変容し始める。

 子供以上に大事な存在として選択した彼に言い寄ってきた街の女。彼女は自分が子供以上に大切な存在だと選択されるや、彼に対して無理難題を課します。それは「私は最強の男としか付き合わないから、四人の凄腕のガンマンを殺してみてよ」といったもの。
 そこでエル・トポは4人の凄腕ガンマンと称される聖者に会いに行き、彼らを殺そうとするわけです。しかし、相手の実力は相当なもの。真っ向から立ち向かっては歯が立たない。そこで彼は落とし穴を掘って殺したり、聖者の母親を襲って相手を動揺させた瞬間に射殺したりと『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』並に卑劣極まりない手段を使って、4人のガンマンを始末していく。
 ある聖者は言います。彼がやってきた途端、飼っていたウサギが次々と死んでいったと。きっとそこまでの殺気を孕んでいたのでしょう。一人の女性のために。しかし、その女性はレズビアンとしての道が開け、彼をあっさりと裏切って去ってしまうのです。そして彼は小人の集団に救われる。

 ここからが本作の第二幕となります。彼は洞窟で暮らす小人の一族(近親相姦を繰り返したため、こういった状況に陥ったらしい)を解放しようと、地上に出るための穴を掘ろうとします。しかし資金が足りない。そこで頭を丸めるなど以前と違った風貌に生まれ変わったエル・トポ。彼は一人の小人の女性と共に道化を演じ、街の人から恵んでもらったお金によってトンネルを掘ろうとする。
 彼は以前の黒装束を身に纏ったガンマンとは全然違った人生を選択する。それによりこの世の中で繰り広げられる混沌を違った視点で受け止めるようになる。あくまで客観的な視点で。
 それは人を差別し、奴隷の様な存在を殺し合いさせ、楽しむような社会。三角形に目が描かれたシンボリックなマーク(アレですよね、アレ?)が支配する世界には積極的に関わろうとせず、彼はあくまで道化としての道を選ぶ。全ては観て見ぬふりで、トンネルを掘ることに全てを費やす。
 そして全てが完成した時、目が覆うばかりの悲劇が待ち受けている。つまりオープニングでの語りであったように、モグラは太陽を見た途端、目は光を失うのです。
 
 突然ですがデヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』にある台詞に「この世は美しい、だから闘う価値がある。後半部分は賛成だね」というモーガン・フリーマンの台詞が有りました。この映画の印象にこの台詞が一番しっくりと来たのは、自分だけでしょうか。
 残酷な世の中ではあるけれど、戦わなければ生きてはいけない。戦わなければ、何も見えてこない。この映画で描かれている地獄曼荼羅のような出来事の数々は、それを象徴しているようにも思えます。

 アレハンドロ・ホドロフスキー二本立てという苦行を乗り越えた後、そんな事を考えながら刈谷日劇を後にしたのでした。因みにこの日、刈谷日劇では同じくホドロフスキー監督作品『リアリティのダンス』も上映されていました。体力に余裕が有れば併せて鑑賞する事も考えましたが・・・やっぱ無理でしたね。
 ホドロフスキーの映画、体力使うわ。

 ★★★★

 2015 #31 刈谷日劇2にて鑑賞

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