深夜から翌日まで12時間ぶっづけの行程込みの計16時間をかけ
富士山登頂をしてまいりました。
さて、まだ私が幼かった7歳と10歳の二度
どっぷり文科系でひょろひょろの亡き父が、どういう思いか
私を連れ富士登山に挑戦しました。
7歳のときの登頂は無理でしたが(高山病になり下山)
10歳のときのチャレンジでどうにか登頂できた様子が写真に残っています。
ただ、いまいち記憶が定かでないのと、なぜ父が富士山にこだわったのか、
その思いを大人になった今なら感じることが出来るのではと漠然と思っておりました。
そして、その経験と関係あるのかないのか昔から私は、富士山が大好き。
似たようなルックスの山は海外にもありますが
あんなにエレガントなシルエットが他にあるでしょうか?
なだらかに広がる裾野は貴婦人のドレープのごとく・・・・
季節や天行為によって様々な表情を見せてくれる、優雅な山、富士山。
その富士登山にやっと今年チャレンジできたのです。
しかしあいにくの天気で数日前から天気予報とにらめっこ。
着いた五合目やはり雨。それもわりとしっかり降っている。おりしも台風10号接近。
しばらく様子を見て、少し降りが落ち着いてきたところで出発です。
幼いころとはいえ、やはり残る記憶。足を進めるごとに来る不思議なデジャヴ感。
六合目までは皆さんハイキング気分で。
左右の緑も多いですし、このころまでは空気がおいしいことを感じる余裕を持てますが
登山はこれから。
なんといっても五合目以上の富士山はほとんど緑がありません。
何度もの噴火で出来た、溶岩が層になって作られた山。
どこを見ても赤い砂と溶岩石ばかり。
以前の屋久島とは違い(詳しくはこちら)
苦しい登山中に目と心を休ませてくれる物がありません。
癒し目的では難しい山です。
本来は、後ろを振り返れば下界の富士五湖周辺の模様を満喫することが出来るのですが
今回は全てを厚い雲が覆っています。
登頂するんだというシンプルな目的のみでの登山です。
高山病にかかったら下山するしかありません。
それが一番恐い。
酸素ボンベを携帯して、ゆっくりダラダラ登る登山歩行で進みます。
七合目を過ぎると、今までの登山道ではなく、岩場を登って行きます。
足場を探してゆっくりと。
この岩場が延々と続きます。
足を滑らせたり、落石をおこしたら大変です。いろいろな筋肉が緊張します。
このあたりで高度3000m
酸素はもちろん薄く、気圧は地上の1/3とも言われていますが、慎重に進んでいるせいか思った以上に元気で
たまに厚い雲のあいだから差してくる日光と
同時に見える青い空をとてもありがたいと感じる自分が嬉しいです。
眼下は雲に覆い隠されています。
雲の絨毯ですね。
飛行機からは見ることができますが
自分の足で立ってこの風景を眺めるとさながら天上人にでもなった気がします。
おこがましいですが。
はるかかなたまで広がる雲海です
それはそれは壮大な風景です。
天気が良く、町並みを眺めるのも素晴らしいですが
うねうねと連なる雲の波を上から見渡せるのもすごいものがあります。
酸素を吸い、休憩をとりながら慎重に慎重に登ってきました。
でも体力は奪われ、足も張っています。
予約した山小屋は八合目。
今夜はそこで雑魚寝です。
しかし予想通りまったく寝付けません。
人が寝られる大きな、ふすまなしの「押入れ」だと思ってください。
上下二段になっていて、そこに到着順に押し込められていきます。
20名は並んで横になれるでしょうか。
ですのでもちろん男女は関係ありません。
トイレも紙を流してはいけませんし、水は貴重なので無いところが多いのです。
「年に一回はするべきだわ、富士登山」と思ってしまいます。
物の貴重さが身にしみてわかります。
季節がら、やはり親子連れも多い。
10歳くらいの女の子とお父さんも居ました。
お互い気遣って思いやっている姿を見て、両方の気持ちが伝わってきます。
愛する娘と一緒に、日の出を見たい、見せたい。
登頂したい。というお父さんの気持ち。
ここからが本番一睡もしない状態で午前3時近くに出発です。
「山頂で日の出」にこだわらず、出発時間をずらします。
雲が多いので星は見えないかもと思っていましたが、綺麗に見えていました。
天の川もくっきりと。
しかし空を眺めてばかりはいられません。
周りは本当に真っ暗で
懐中電灯を照らしても「ピンポイント」なのでかろうじて足先を照らす程度。
ストレスがたまります。
高度も高くなっているし、気温は昼間より勿論低い。風も強い。
出発時間をずらしたせいで人も少なく心細くはあります。
周りが見えないので、どこをどう歩いているのか解らなくなってくるのです。
遭難したら大変だなあ、これどころじゃないんだ。
と思いながら、それでも上に見える山小屋の光を見つけて向かいます。
雲が流れてきて「やはり日の出は無理かな」と思ったころに夜が開けてきました。
雲はうっすらと赤くなっているものの、分厚い雲に覆われて太陽は姿を見せません。
なんだか雲の量も多くなってきたような・・・ここは先を急いだほうが。と思ったとき
雲間に強い光を感じました。
「あ!あ!」
と言っているうちにみるみる光が広がっていきます。
ウネウネと四方八方にはてしなく広がる雲に光が彩りを与えていくさまは
神様の姿を見ているようでした。
いえ、笑っていただいても結構です。
本当に心底感動しました。
こんな広がりや厚みのある日の出がどこで見られるでしょうか。
雲が多かったからこそ見ることができたこの情景に涙をにじませつつ登山再開です。
しかし、ここからが今回のピークと言っていいでしょう。
雨です。
みるみる一面が雲に覆われ、霧のように細かい雨が強い風と共にしっかり身体を叩きつけます。
山の雨は横から下から降ってきて
襲い掛かる感じです。
しかも「胸突き八丁」といわれる、富士登山のなかでも過酷な最終工程です。
下を向いても雨が目に入ってくる。
この最終工程で下山するなんて絶対にイヤだという思い
(実際、ここからは引き返せないことになっています)
しかし、この状況ではあきらめて降りていく人も多々居ます。
途中、山小屋の人に
「こういう雨は頂上も悪天候。登頂したとしても1m先も見えない」
とアドバイスをもらい、それでも行くなといわれたわけではないと頑張って登ります。
雨で目を開けるのも辛いなか
下山を決心した人と何回もすれ違っていくうちに
「ここで下山してもキツイ。行くしかない。」と何回も思います。
黙々とただただ、雨風のなか足だけを進めていきます。唯一の救いは夜が明けていることでしょうか。。。。
永遠と続くのではないかと思われた、そんな中
薄くなった上方の雲のあいだから、頂上に鳥居が見えました。
先が見えるというのはこのことです
見えるものにむかって進むのは、見えない先に向かうのとは雲泥の差です。
そしてなんと
山頂についたとたん青空が広がってくるではないですか。
山の天気はわからない。
眼下はやはり台風の影響か360度雲に覆われて「ド、ドドーン」と花火のような雷の音が絶え間なくきこえる。。。。
ああ「登山は人生そのものだ」と
誰かが言った言葉が身にしみてわかる・・・・
人生も登山も予想外。
苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。
はじめからの晴天では解らなかった様々な自然の動きと色合いを見せてもらって
こんなに素晴らしい自然を美しい地球を
こんなちっぽけな人間のエゴで壊してはいけない
と心から思ったのでした。
自然は雄大で壮大で、私たちに様々なことを教えてくれる。
大好きな木々も、この富士山も
ただ黙って立っているけれどその存在力はすごい。
威圧的でさえある。
でも優しい。
ドレープを広げている貴婦人のような富士山は優しくて美しくてそして強く、すごい山。
ここからは頂上の火口をぐるっと回る「お鉢巡り」
これをしない人も多いですが、折角訪れたのだから
「富士山のてっぺんのてっぺん」に行きたい。(気象観測所のある地点)
これも勿論平坦な道行ではなく、大いに上り下ります。約2時間。
火口には、雲のなごりか霞がかかり
まわりの天気とあいまって虹がかかっています。
「富士山火口の虹」
なんだかすごいものを見ているような気になりながら
圧倒的なスケールで大きく口をあけた火口を覗き込みます。
あー、私って、アリンコと同じくらい小さい。
と本気で思ってしまう程のスケールです。
屋久島で優しさを知り、富士登山で強さを自然から教えてもらいました。
たたずまいは全く違うけれど、どちらも同じ「大いなる偉大」自然です。
そして人間も自然の一員。
優しさと強さ
両方を持ち合わせていればこそ「地上の一員」と言えるのでしょう。
「ニッポンのテッペン」で
大きく深呼吸をしながら
そんなことを身体全体でしみじみ感じる事のできた富士登山