ただでさえ暑い夏に、暑い沖縄。
そのうえもっともっと暑い久高島。
前回訪れたのは10月。
7月の日差しは秋と比べ物になりません。
まずは全身に日焼け止め。そして長袖。
小さく平坦な島の移動はもっぱら自転車。
長袖を着込まないと「ジリジリ」という音が聞こえるほど腕が焼け付きます。
そして帽子。
その上からスカーフで顔を隠して・・・と、聞こえは完全防備のようですが、
ここまでしても「くっきり焼けた!」
はーーーー、空しい。
そのうえあまりにも日焼け止めを塗りたくったおかげで
シャワーでも落ちない!!こすってもこすっても!
那覇にもどり「ちょっと日差しが弱い?」とさえ思ったほど。
しかし、ここは南の島。
南国を訪れるとはそういうことです。
そういうわけで、
神奈川での本格的な夏到来の前にすでに日焼け済み。
それもまた一向か・・
さて、前回の続きに入りましょう。
思いがけない監督との出会いで、夜には島人に様々な話しを伺うこともできました。
「沖縄戦」での「ヤマト(日本本土)」に対するやりきれない思いも
直接伺うと返す言葉などはなにもありません。
私にできるのはちゃんと話をきくことだけです。
朝日を見るために、宴から早々に抜け出し民宿にもどると
オバアの親戚の方が外のベンチで星を眺めています。
「海まで星見にいくか~」とさそわれ、
真っ暗な中をその方の懐中電灯頼りで浜辺に向かいます。
この日は地元の方も「とても珍しい」というほどのすごい星でした。
プラネタリウムのように
下の星までシッカリ輝きを放っています。
新月に近い日でもあったため月の光が邪魔をしなかったからでしょう、
天の川の姿も綺麗に眺めることができました。

「洗濯しながら見た、青い空と・・・」 
「人気の無い、青い砂浜。」
出発する前は「島にいったらのんびりできる」と考えていましたが
甘かった。
波乱含みの1日目から最終日まで、ユックリとは程遠い滞在になりました。
人が人を呼び、
沖縄でいうところの「いちゃりばちょーでー」でしょうか。
ご一緒させていただいた方皆さんに親切にしていただき、嬉しい誤算の連続でした。
知り合った方々との「夜の会合」がいかに遅くとも、
いかにアルコールが入っていようとも、
翌朝の日の出は欠かせません。
朝日が顔を出すのは5時半過ぎ。
5時にはパッチリ(?)と目が覚め、近くの浜へ向かいます。
薄明るくても、まだ空も海も夜の色を引きずっています。
少しずつ雲が色味をおびてきて、
鮮やかな光が差し込むまでの変化は全てが見逃せません。
ブルーから紫、ピンクからマゼンタ、そしてオレンジに移り変わるまで、
そして強烈なエネルギーの朝日が顔を出すと
「今日一日が始まる。」という思いが押し寄せてきます。
朝日をあびて、全てが一気に息づくのが解ります。
誰しもが無意識に手を合わせる「ご来光」という意味を体感します。
しばらくの時間ボーっと朝日をあび、
再び宿へ戻ろうとするときにはすでに強烈な日差し。
朝の6時頃ですよ!!
暑い!
南国の人が早起きな理由は「寝ていられないから」なんだと実感しました。
島民の方々は6時頃すでに生活を始めていらっしゃいます。
貸し自転車も6時頃にはあたりまえのように営業。
暑くて民宿でじっとしていられない私は
唯一日陰が確保できる港のベンチにて缶コーヒーで一息。
そんな私を見て、知り合ったばかりの方が声をかけてくださったり、
朝のコーヒーに誘ってくださったり(その方の庭先)
たかが二泊の一人旅とは思えない充実振りでした。
浜で波や空を見ながらスケッチしたり読書したりなんていうはかない夢は
「真夏で日陰が全く無い状況」にもろくも崩れ去りましたが、
アセロラの畑を案内してもらったり、
海ぶどうの養殖畑に出向いて見学させていただいたりしたことは
全く予想もしなかった出来事でした。
島の話や沖縄の話を伺えて、一緒にお酒を飲んで話して。
聖地の井戸でのお清めを許していただいたこともとても貴重でした。
あるのはただただ静かな自然だけというこの島で暮らしていらっしゃる方々。
人間が、ありのままの自然や、昔からの風習と向き合いながら
この地で現代を生きていくという、
一見「相容れない」ような環境を構築していくことの難しさを
「たかが二泊だけ」なのにずっしりと考え込んでしまいました。
変わっていくのは人間を取り巻く環境だけ。
自然は昔から同じたたずまいで存在しているだけです。
久高島の神様は、
どのように今を見ていらっしゃるのでしょうか?
沖縄の神々は、八百万の神々は、
どのように見ていらっしゃるのでしょうか?
目の覚めるような美しい色を伴った沖縄の自然を目にして、
この素晴らしいもの達と人間とのこれからを考えずにはいられませんでした。
またおいでと言ってくださった方々にお別れをするとき、
またすぐ訪れるような、「ちょっと行くけどまたすぐ戻りますから」
という感覚で久高島を後にした自分に驚きを持ちました。
何回も足を運んだわけではないのに、
沖縄や久高島に対するこの思いは何でしょうか??
おっとりと構えているようでありながら、
自分のアイデンティティをしっかりと持ち合わせているこの地に惹かれたのでしょうか。
今回の再訪で「自分はまた何かを感じる」と期待していましたが、
さまざまな嬉しい誤算により期待以上のものを頂くことができました。
きっとまた訪れるこの島々は私を一回りも二回りも大きくしてくれる気がします。。









