読書感想「蹴りたい背中」

蹴りたい背中
【はてなダイアリー】http://d.hatena.ne.jp/asin/4309015700
【評価】★★
【作者の顔】★★★★★
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綿矢りさタンの第二作。芥川賞受賞作です。

しっかし、相変わらず組版スカスカ。
まあ、前の「インストール」なんて、本当にこれを「本」として売るのか?というくらい、組版の技術を駆使して、内容的には短編のものを、なんとか一冊の本にしました!という感じが出ていましたが、
今回の「蹴りたい背中」も、組版の職人技で、短〜中編のものを、なんとか一冊の本にしましたぜ旦那、これで大儲けでんな、グヘヘ感がある。
これで1000円もとるんだもんなー。暴利でっせ。
んで、芥川賞最年少受賞作品として、売れに売れてるみたいじゃないですか。
俺が手に取った本(もち、図書館のものな)は、なんと133刷!いやー、売れてるじゃないですか。
とりあえず、不可能を可能にする、恐るべき組版職人集団KAWADE DTP WORKSに乾杯。

で、そんな批判的な気持で、後ろをめくると、本のカバーに印刷された綿矢りさタンの横顔!はかない笑顔!!


いや、萌えましたよ。カワイイ!!


インストール」の時は、白黒だったのが、今回はカラー写真。しかもはかない笑顔!
いやー、綿矢りさタンマニアのココロを知り尽くしていますな。
良い仕事してるじゃない、KAWADE DTP WORKS!!
しかも略歴には「現在、大学在学中」とあるじゃないですか。
大学在学中ですよ。もう、おおっぴらにおセクスとかできるわけですよ。
さすがに「高校在学中」では、法律やらなんやらで、おセクスとかできないじゃない。(いや、気にしない猛者もたくさんいらっしゃるでしょうけど (笑))
ですが、「大学在学中」ですから、お酒も飲めるし、おセクスもできるんですよ!!
あんな体位でも、こんな体位でも、おセクスできるんですよ!!
うおおおおん!!!!萌ええええええーーーーーーー!!!!!
というわけで、また読む前から萌えてしまいました。

話の内容は、
高校生活で、クラスになじめない私(ハツ)。
同じようにクラスに溶け込めない「にな川」が、オリチャンというモデルの熱烈なマニアだということに気付く。
このにな川という男は、もう救いようのないヲタ。偏執狂的オリチャンヲタ。
実は、私はオリチャンとたまたま会ったことがあり、そのことをにな川に告げる。
すると、にな川が大フィーバー。「どこで会ったんだ」「どんなシチュエーションだったんだ」とか、いろいろと聞いてくる。しょうがないので、私はオリチャンとたまたま出会った場所なんかを案内。
やがてにな川の家に行ったりして、私はにな川と親しくなっていく…

ってな話。

題名の「蹴りたい背中」というのは、にな川の背中を「蹴りたい」わけよ。
というか、にな川が、傷ついていくのを見たい、もっと傷つけ!という私の歪んだ感情なんだろうね。
それじゃあ、私がにな川が嫌いなのか、というと、嫌いなんだけど、実は自分と相通じるものがあって好き、だけど、自分と相通じるものがあるから嫌い、嫌いなんだけど、でも自分と相通じるものがあって好き…という、どっちやねん!的感情なんですね。
いわば、「蹴りたい」は拒絶なんでしょう。拒絶したい、でも拒絶できない。拒絶できないけど、拒絶したい。拒絶したいんだけど、拒絶できない、という、どっちやねん!的感情ですね。

まあ、この心情は、発情期の猫なんか見てるとわかります。
お互いフーッと喧嘩をしている二匹の猫。不倶戴天の敵、今ここに、という感じで喧嘩。
でも、ふと目を離したスキに、なぜかおセクス、仲良くラブラブにおセクス。獣だけに、獣のようなおセクス。いやいや、おセクスというより、獣だから、交尾か。
と思ったら、すーぐに喧嘩。怒髪天を衝くって感じで喧嘩。
マウントポジションからの容赦ない引っ掻き攻撃。
って、お前ら、どっちやねん!という感じ。交尾するのか喧嘩するのか、どっちやねん!

まあ、この心情は、発情期のバカップルなんか見てるとわかります。
なんか、つまんねーことで喧嘩しているバカップル。別れるだの何だので喧嘩。
でも、ふと目を離したスキに、いつの間にか「あふぅん」とか「いゃーん」とか、仲良くイチャイチャ。
「さっきはゴメンね」「こっちこそ…」なんて、今からハメ撮りでもすんじゃねえの?って勢いでイチャイチャ。
と思ったら、まーたすぐに喧嘩。どーでもいいことで喧嘩。んで、別れるだの何だのの修羅場。
って、お前ら、仲良いのか悪いのか、別れるのかくっつくのか、どっちやねん!

まあ、要はアレだ、SMだわ。
「イタイのは嫌だ。でも快感を得たい」という感情。
快感を得たい、でもイタイ。イタイのは嫌、
でも、イタくないと快感は得られない、快感を得られないのは嫌、
だけど、嫌なのは快感を得られないこと。
快感を得るにはイタくなければ駄目。
イタくなければ快感は得られない…
ああ!


って、何か話が大きく逸れているようだけど、いやいや、逸れてませんぜ。
この話は、私は、にな川が好き。だけど、嫌い。嫌い、だけど好き、好きだけど嫌い…という、微妙な感覚を描いています。
まあ、これは、要するに「他者」を問題としているわけです。
「他者」というのは、理解し合えない、だけど理解し合わなければならないもののことです。
理解し合いたい、だけど理解し合えないもののことを、「他者」というのです。
この作品では、その「他者」の問題が描かれているのです。

例えば、主人公はクラスの中で孤立してるのですが、
かと言ってクラスのグループに興味がないわけではない。
むしろ、すごく興味がある。むしろ、すごくその中に入りたい。
だけれども、その中には入れない。入りたくない。
でも、その中に入りたい…という心情が描かれています。
集団に同化したい感情と、同化したくない感情。これをあわせもっているのが、この主人公なんです。
ですから、その主人公は、にな川に、自分自身の姿を見てしまい、大嫌いなんだけど、でも興味ある、好きかもしんない、だけど嫌い、拒絶したい、でも、ちょっと興味ある…という、まあなんつーかわかりにくい心情を描いているわけ。
そこいらへんの機微というのを、この小説では描いているのでしょう。
ただ、扱う問題がこんな感じで微妙な問題であるため、わかりにくいところがあります。
その意味では、前作「インストール」の方がわかりやすかったかな。
まあ女子高校生思春期まっさかり的な「他者」の物語、とでも言うべきでしょうか。
そんな「他者」の問題を、現代の若者がライトな感じで書きました、という感じ。


ところで、この作品は書き出しが話題になっているようです。
僕も少し気になりましたね。3頁の

葉緑体?オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。

って記述ですが、句点の打ち方が間違ってませんか?
いえね、句点ってのは、いわば文の終わりに打つもんじゃない。文章を一旦閉じめる時に打つでしょ?
例えば、「彼が刑務所に行った、と聞いた。」とかね。
んで、文章を終わらせたくない場合、文章を続ける場合に読点(、)を打つわけ。「刑務所に行った」で文章は終わらずに、「と聞いた」に続くわけだから、上の文章では読点が付くんですよ。
あくまで文章は「〜と聞いた」で終わるわけだから、句点でとじめているんです。
それで、綿矢りさタンの文章は、「葉緑体?オオカナダモ?ハッ」で文章が終わってないわけですよ。
っていうこのスタンス」に続くじゃないさ。
だから、ここは「葉緑体?オオカナダモ?ハッっていうこのスタンス」じゃないと、日本語の句読点の打ち方としてはおかしいわけ。
むしろ、この「ハッ」が、「ハア?」というニュアンスを出したいなら、「?」でも入れておくとか、あるいは「!」にするとか、ちと工夫しておくべきでしょう。
だって、「彼が刑務所に行った。と聞いた。」なんて、なんかお尻の穴がムズムズするじゃない?
どうやら、綿矢りさタンは「っていうこのスタンス」という言葉の前で、一旦文章を終わりにする、というニュアンスを出したいみたいなのね。
というのも、同じく3頁に、

ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。

という記述があるのよ。これも「っていうこのスタンス」の前に、句点が打たれていて、綿矢りさタンは、「っていうこのスタンス」の前で、一旦文を閉じめるという意識があるみたいね。
いわば、「っていうこのスタンス」と、その前の文章に間を開けたいんだろうな。
でもさ、「っていうこのスタンス」というのは、前の文に続くわけで、ここでは読点を打つのが一般的ですよ。
まあ、異化効果を狙ってるんだろうけど、稚拙。
そんなに読点で間を開けたいんなら、他の文章で、読点で処理されている箇所を、むしろ句点にした方が、間として効果的なような気がします。
例えば、3頁の、

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。

なんていう箇所も、ちとクサイけど「胸を締めつけるから」と句点を打ち、さらに「細長く細長く。」とすれば、間としては空き、さらに前後の短文が間として効いてくると思うんだよね。
他にも、3頁の

うずたかく積もった紙屑の山、私の孤独な時間が凝縮された山。

というところも、読点ではなく、句点を打っておけば、間としては空くんで、別に日本語の句読点の打ち方を歪めてまで「っていうこのスタンス」の前を句点にしなくても良いんですよ。
そんな些末なことにこだわるより、もっと他にこだわるべき表現があるはずです。

まあ、そういう効果を狙ったんだと強弁されてしまうと終わりなんだど、
文章として変なところは変なところなので、そこいらへんはハッキリしておきたいですね。
すくなくとも、句読点の打ち方を知らない人、と批判されてもいたしかたないような気がします。

表現の異化効果というのは、文法なり何なりをズラすことによって成立しているんですけど、
だからと言って文法なりその言語の法則を歪めて良いというわけではないはずです。
むしろ、言語の法則を生かしながら、新しい表現を作りあげることこそが異化効果なんです。
まあ、あえて法則を無視する(破る)ことによって異化効果を狙う、というのもあるんですけど、そんなのは後ろから金属バットで殴りかかるような卑劣で稚拙な手段でしかありません。
「巧い表現」というのは、あくまで言語の法則に則った営為なのであって、言語の法則を無視するところに成立するもんじゃないのよ。


まあ、ただ、総じてこの作家は器用です。
表現も悪くはないし、まあテクニックとしてはかなり巧い部類にはいるのでしょう。(荒さは目立ちますが、まあ若さってヤツでしょう)
物語の構造もそんなに悪くない。また、題材の選び方も、したたかで、食えない面があります。
ただ、テクニックに溺れて欲しくないな、と思います。
テクニックだけでは、それで終わってしまうんです。
人の心を打つ小説とは、テクニックだけでは成立しないんだろうと思うんですよ。
なんというか、ドロドロしたファイティングスピリットみたいなもんがないと、貪欲な「表現したい」という気持がないと、駄目なんじゃないか、と思うんです。
ホラ、中田英寿も、ワールドカップのバーレーン戦前に「勝つことだけを考えたい。チームとしてどうするかということよりも、1対1の局面で負けなければ、試合にも負けることはない。(相手の)能力が劣っているとは思わない。気持ちの問題だと思う。」って言ってたじゃないですか。「気持ち」なんですよ。「気持ち」(えっ?違う?サッカーと小説家を一緒にすんな?)。


とりあえず、芥川賞を取りましたけど、正直、この作家は、実力は未知数だろうと思います。
というのも、前作「インストール」、この「蹴りたい背中」ともに、高校生を主人公としています。
従って、我々は無意識のうちに「私」という主人公を高校生・綿矢りさタンと重ねあわせて萌え萌えだったわけです。
いわば、作者が高校生、ということで、その高校生ぶりに萌えていたわけ。
決して「インストール」「蹴りたい背中」という作品そのものに対して萌えてたわけじゃないんですわ。
もし、「インストール」なり「蹴りたい背中」が、高校生・綿矢りさタンが作者じゃなくて、「峯田ゐね 78歳 年金生活者」なんて梅干しみたいな婆さんが書いていたとしたら、誰も評価しなかったはずです。
いわば、彼女の作品は、彼女の作者性に強く依存したものであったわけです。
作品が作者に依存するという現象は、日本において、しばしば見られます。
例えば尾崎豊。
尾崎豊が、「大人への反抗」を歌って、それが共感を生んだのは、彼があくまで一〇代だったからです。
いわば反体制の行動が許される一〇代だからこそ、「大人への反抗」を歌って共感を得ることができたのです。
これがあんた、三〇・四〇代のオッサンが「大人への反抗」を歌ってごらんなさい。
「いい年こいて、テメエも大人だろうが」と言われてしまいます。
実際に、尾崎豊は、二〇代以降は、創作に行きづまっていきます。
そのためにドラッグに…という経緯もあるのでしょうが、
ともかくも、「大人への反抗」を売りにしていた尾崎豊が、いわばその反抗していたはずの「大人」になってしまったわけで、これは行きづまる、行きづまる。
逆に言えば、尾崎豊はその人生を表現として売っていたわけであって、行きづまることは必然であったわけですね。
人生を商品として売ることは、結局は行きづまるわけです。


で、この綿矢りさタンの場合は、これまでの二作で、いわゆる「高校生ネタ」、すなわち、読者に、主人公と綿矢りさタンを重ねあわせさせる、というやり方は、ある程度は出尽くした感があります。
これからは、綿矢りさタンが、その作者性に依存しない作品を書かないと、小説家として生き延びることができないんじゃないか、と感じるんです。
いわば、「綿矢りさ」という作者名を外しても、「ああ面白い、良いこと書いてあるな」という作品、テクストを書かないといけないわけです。
だって、今はこんな萌え萌えな綿矢りさタンも、いつかは年をとるわけですから、まさか五〇・六〇代になっても「高校生ネタ」で勝負するわけにはいかないでしょ?
とりあえず、次の三作目で、この作家が生き残れるかどうかがわかると思います。
「綿矢りさだから売れる」のではなく、「その小説が優れているから売れる」というものじゃないと生き残れないんじゃないかなぁ。
とは言え、これだけの容姿だから、アイドルとして生き残れるかもなぁ。
エロビデオに出演するんだったら、借金してまでもそのビデオを入手するだろうなぁ。(苦笑)

とりあえず、次は一頁二段組みで、五〇〇頁くらいの大作を読んでみたいですね。
まあ、組版マジックで、小説を水増ししているようじゃあ、ちょっと厳しいんじゃないかなぁ。


ということで、綿矢りさタン、
次回作で、もし二〇〇頁超えなかったら、残りはヘア・ヌードで補填して出版するということで(ハアハア)、
何ならお兄ちゃんが少しくらい手伝っても良いですよ(ハアハア)、
メールくれ(ハアハア)。


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