読書感想「大学生の論文執筆法」
大学生の論文執筆法 (ちくま新書)大学生の論文執筆法 (ちくま新書)
著者:石原 千秋
販売元:筑摩書房
発売日:2006-06
おすすめ度:4.0
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【評価】★★★
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石原千秋先生の本ですね。
相変わらずの石原千秋節が健在ですね。
題名通り、大学生向けに書かれた論文執筆法ですが、どちらかというと文系、特に文学系の学生向けでしょうね。
石原さん自身の体験やら、あるいは石原さんの研究分野の研究者の例を出しながら、大学生のレポートの書き方を指南する、という感じ。
石原さんって、なんか微妙な衒いを見せつけるようなところがあって、それがちょっと嫌味に感じるところがあるんですよね。

この本では、最近流行のカルチュラル・スタディーズ(略してカルスタ)へも批判的なスタンスを取っており、
カルスタの流行にのっているような研究者は耳が痛いところもあると思います。
具体的には、次のような記述があります。
少し勢いが衰えてきたとはいえ、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)が大流行だ。ところが、僕は学会版カルチュラル・スタディーズはあまり面白いとは思わない。こういう情報量で勝負する論文の多くは、情報を時系列的に羅列しているにすぎないからだ。「これは、こうなって、次にこうなって、最後にこうなりました」という語り口である。これを、僕は「ストーリー系の論文」と名付けている。しかも、だいたいにおいて「〜は近代において作られた」という結論に達することに決まっているらしい。近代は抑圧の時代だから、近代になってから「作られた」ものはみんな抑圧の装置であって、したがって「悪い」という理屈らしい。それで、僕はこれを「作られた系の論文」とも読んでいる。
論者個人が情報を意味づけるだけの固有のモチーフを持たないから、結局「抑圧の時代である近代が悪い」という「大きな物語」にいとも簡単に接続してしまう。「正しい」ことが好きな研究ジャンルで、僕は密かに「学会の道徳の時間」と呼んでいる。
ひどい場合には「作られたこと」それ自体を指して、「作られたものにすぎない」という語り口で、それを「悪い」ものだと決めつけている論文も少なくはない。文化は人類の歴史上どこかで「作られた」ものなのだから、こういう論法で行くならすべての文化は「悪い」ことにならなければならなくなるはずなのだが、構築主義の立場に立つはずのカルスタがどこかに「悪くない本質」があると思っているらしいのだ。滑稽な話だ。
この滑稽さを大学一年生用に説明しておこう。
構築主義は、たとえば「男らしさ」も社会がつくり上げたものにすぎないと考える。簡単に言うと、「男らしく」育てるから男が「男らしく」なるに過ぎないと考えるわけだ。これとは逆に、男には生まれつき「男らしさ」が備わっていると考えるのが本質主義である。つまり、どんな風に育てようと男は「男らしく」なるはずだと考える立場だ。ところが、構築主義が「作られたものは悪い」という語り口で論じれば、必然的に「作られなかった自然のままのものは悪くない」ということになってしまう。これでは、本質主義そのものだ。つまり、構築主義の語り口の前提には、本質主義が隠されていることになる。これが「滑稽」だと言ったのである。
カルチュラル・スタディーズに話を戻せば、たしかに多くの事実を教わることはありがたいことだ。その調査に要した時間と手間を考えると頭が下がる思いもする、かというとそうでもない。退屈なだけだ。それはカルチュラル・スタディーズの論文には「なぜか」という問いが仕掛けられていないからだ。カルスタは情報を平板化する。その結果、「これがこうなりました」とストーリーを説明するところで終わってしまうのである。(77〜79蓮

また、こんなふうにも批判されています。
こういう具合に、政治的な性格は日本のカルスタにもシッカリ受け継がれているが、そのポリティカル・コレクトネス(「政治的正しさ」と訳されるが、これも気取って「PC」なんて言われていた)の姿勢は、まるで「学会版道徳の時間」である。最近は、それにポスト・コロニアリズム(植民地主義以降の文化研究)の要素が加わって、PCの激しさの度合が強くなっている。ちょっとカルスタの面々の気に入らないことがあると(なぜか彼らは学会で徒党を組んでいて、なるほど政治集団に見える)、「差別だ、差別だ」と魔女狩りがはじまって、鬱陶しいこと甚だしい。最近は少し変わってきたが、一時期の学会誌の紙面は、僕が「カルスタ仕立てのポスコロ風味」と皮肉っている論文で埋め尽くされていた。
僕はもともと学会政治に生理的嫌悪感を持っているので、この十数年以上学会へはまともに行っていない。もっとも、僕自身も若いときは学会政治にどっぷり漬かっていた(というか、巻き込まれていた)時期があるから、人のことを批判できる立場ではないのだが(もうおわかりだと思うが、僕はこういう理由でカルスタが嫌いなので、この項目にはかなりのバイアスがかかってることを否定しない)。(233蓮

この本、読みようによっては、カルスタ批判とも言えるような内容でしたね。
また、割と毒を吐いているようなところもありまして、
研究者の中には、自分ではほとんど論文を書きもしないで、他人の論文の批判ばかりしている「秀才さん」もいる。実は、これは自分で論文を書かないからできることなのである。自分で論文を書けば返り討ちに合うからだということもあるかもしれないが、それは大した問題ではない。
自分できちんとした論文を書けば、ある立場を取らざるを得ない。そうなれば、その立場と同じ意見には賛成せざるを得ない。何でもかんでも批判ができるのは、自分の固定した立場がなく、批判できるポジションをその度ごとに選んでいるからなのである。だから、何も仕事をしていない「秀才さん」が最も批判が上手にできることになる。研究の世界には、たまにそういう人間がいるのである。(65〜66蓮

なんてのも、石原節炸裂って感じです。
おそらく石原千秋先生の頭の中には「そういう人間」が数名、具体的にあがっているんでしょうね。
どうせなら、その人間を具体的に指名して、個人攻撃をはじめて欲しかったです。


石原先生の本って、話が脱線するんですけど、その脱線した方が面白いところがありましてね。
例えば、
「印税」とは本の定価に対する著者の取り分のことで、ほとんどの場合定価の一割である。一冊七〇〇円の新書なら、そのうちの七〇円が書き手の収入となる。(95蓮

なんていう蘊蓄の方が勉強になったりするわけですよ。
落語よりも、枕の方が面白いという、困った落語家さんみたいな、憎めないキャラの石原先生です。


とは言え、やはりキチンと論文の執筆法も教えているのですが、
どちらかというと、論文の執筆以前に、文系の大学生の心構えやたしなみというか、躾のようなものに筆を割いているように思えましたね。
本はちゃんと買え、とか、蔵書リストをつくれ、とか…。
大学生なら読んでおくべき本も紹介されており、文系の大学生なら「これくらいは勉強しておかないとね」という感じなんですね。
そういう意味では、この本は大学生、それも学部1〜2年くらいにはお勧めだと思います。
でも、最近はゆとり教育世代だから、ひょっとしたら、大学院修士の1〜2年目くらいまでも本書の範囲内に入るかもしれません。

論文の書き方にしても、それこそ引用の仕方とか、タイトルの付け方など、「執筆法」というよりは、執筆以前のマナーなりエチケットの方にウエイトが置かれているように感じました。
「論文執筆法」として採られた方法は、いわゆる「二項対立」のやりかたで、そうした二項対立的な論文の具体例をあげながら、どれとどれが対立するのか、その対立軸の線引きにウエイトを置いて話をされているように思えました。
まあ、大学生でしたら、二項対立くらいは理解していてほしいわけで、これは賢明なチョイスでしょうね。
石原先生もおっしゃっていましたが、論文はすべからく二項対立の要素があるわけですよ。


現代思想なんかも、コンパクトにまとまっているし、
とりあえず、読みものとしても楽しめますし、なかなか良い本だと思いますね。
ただ、石原千秋先生特有の「上から目線」が気になる人には、お勧めできません。(笑)



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