多門二郎は満州事変時に第一線で第二師団長として活躍し、峯太郎は『少年倶楽部』昭和八年三月号で「多門第二師団長を迎う」、『日の出』三月号で「多門二郎将軍伝」、『少年倶楽部』四月号で「多門鬼将軍」を執筆しています。
最初の「多門第二師団長を迎う」によると、峯太郎はわざわざ第二師団の駐屯地である仙台まで訪ねて多門将軍に取材をしています。また第二師団の宮城副官が峯太郎の士官学校時代の同室の同級生で、参謀長は陸軍大学の同窓で親しい間柄というのも御愛嬌です。
この多門将軍は『弾雨を潜りて』(昭和二年、織田書店)という日露戦争従軍時の自伝を出版しています。仙台での動員令から凱旋までを描いたものですが、これがのちの峯太郎の『戦へ駆立てるもの―国境第一線の前後―』(昭和十三年、春陽堂書店)にかなりの影響を与えていることを発見しました。
『戦へ駆立てるもの』は『皇国苦戦記』シリーズの第一巻で、日露戦争の戦記として峯太郎の戦記物の総決算の一つと言っていいでしょう。その登場人物の一人として多門二郎中尉(当時)が登場します。陸軍の第一線を見つめる目として登場しているわけです。この二冊の一部を比較してみましょう。
「中尉殿、将校は集会所へ、集合であります」
「なに、来たか」
戦術書を投げすてて、椅子を立上った多門中尉、
――さてはいよいよ来たな。かうなったら、大学の試験も何も、あるもんか。
悦びきって、将校集会所へ、駆けつけて行った。
連隊長の山本大佐がすでに来てゐて、連隊副官と何か、ヒソヒソと小声で話してゐる。(『戦へ駆立てるもの』)
さて、一方、
「中尉殿、将校は集会所に集合であります。」
さては愈々本物になったな。かうなれば大学校も何もあるものかと、戦術書を抛り出して集会所へ駆込んだ。そこにはもはや数人の将校が集まってゐて、連隊長と連隊副官とは何か小声で話してゐる。(『弾雨を潜りて』)
といったぐあいです。以前横田順弥さんが『敵中横断三百里』に影響を与えた本を考察されていましたが、またこれで一つ峯太郎に影響を与えた本がみつかったといえるのではないでしょうか。もっとも『皇国苦戦記』は多門二郎だけではなく、乃木将軍、東郷提督など数多くのエピソードからなる本であるので、あくまでも数多くあるものの一つとしかいえません。