峯太郎の作品はほんとうにいたるところにあるので、本当に探すとなると手当たり次第、という感が否めませんでした。

それに私はこういった文学研究は素人ですので、有効な方法というものはなく、手探りで自分で探さなくてはいけません。
以前から峯太郎は朝日新聞記者時代にコラムを書いていたということは知っていたのですが、ようやくそれを調べようと思い立ち、近所の図書館の朝日新聞の復刻版を調べました。ところが予想に反してあまりその数は多くなかったのです。がっかりしていましたら、それを補って余り有る成果がありました。当時の新聞の一面は全面が広告だったのですが、そこに数多くの雑誌広告があり、そこに峯太郎の知られざる作品が多数のっていたのです。そしてその一部にはいかにも興味をそそる広告文が添えられていました。たとえば……

「私は悲でせう(ママ)」大正5年12/29「東方時論」1月号広告
『停滞せる創作界の革命敵使命は作者にありて始めてもたらされたり』

「革命戦話 孤身敵の包囲を脱出す」大正6年2/13「飛行少年」1月号広告

『支那革命当時敵の重囲に陥りたる山中氏の奮戦苦闘の懐旧談は冒険実話中の近来の白眉』

「革命挿話 敵に包囲せられて奮闘す」大正6年3/13「飛行少年」4月号広告

『支那革命戦中計らずも敵に捕われし山中氏が、奮闘振りは眼前に見るが如く、而かも危機方に一髪!! 死か生か』

「医師夫人」大正6年3/30「黒潮」4月号広告

『清新婉麗の才筆を以て鳴れる未成氏が心血を灑いで露満国境の大都哈爾浜に於ける凄惨の事実を書ける約五十頁の長編情話なり篇中躍動する人物に窃窕の日本美人あり可憐の少女あり露人、グル人、韓人あり東大陸の各種族交互錯綜して悲劇活劇展開せらる確かに近来希に見る好読物』

「甲州奇談 黒髪」大正6年3/31「中央公論」4月号広告

『三つの拍手に天地の奥秘人間の肚裏を透視する仙人の不可思議なる物語七十枚』

「沢田中尉の死」大正6年3/31「中央公論」4月号広告

『飛行界の天才にして兼(ママ)て一代の快男児たる真面目躍如』