現在山中峯太郎研究協会では、会報の特別付録として峯太郎の処女作である『真澄大尉』を連載しています。
その主人公たる真澄威春大尉の名前の読み方が、「マスミ」なのか「マズミ」なのかという質問を会員でSF作家の北原尚彦さんからよせられましたので、改めて調査してみました。
そういえば当会も御指導願っている横田順弥先生の『雑本展覧会』(日本経済新聞社、2000年)に収録されている「神様は大切に!!」というエッセイにも、
「タイトルの読みも「まずみたいい」と判明し、喜んでいる。」
とあります。
で、第一回のタイトルが右の通りです。これはどうも「す」に点はなさそうです。さらに、第一回の本文中で大尉の名前が出てきたのが、次のコピーです。これは明らかに
「す」であって、「ず」ではありません。
これだけなら、やはり「ますみ」であろうという結論でいいのでしょうが、なかなかそうはいかないのが難しいところです。私が入手したのは国会図書館所蔵のマイクロフィルムを紙焼きコピーしたもので、かなり黒っぽい点点が一面にあり、ふりがなに点がついているかどうか、という判定は難しいのですが、何回か連載をつづけていくうちに「す」に点が打たれているようにみえるのです。
ここにその一例として挙げるのが最終回(第六十三回)のタイトル部分です。かなり見づらいとは思いますが、肉眼では「まずみ」よよめます。全体としてみると、「まずみ」と仮名を振ったタイトルがほとんどのように思えます。さらに最終回の本文を見て見ると、このようになっていて、これもまた「まずみ」とよんだほうが、適当ではないかという気がします。
結局のところどうなんだ、という話なのですが、実はこの「大阪毎日新聞」のルビはけっこういいかげんで、同じ単語でも場所によってルビがちがっていることがあります。多数決で、というなら「まずみ」でしょうが、最初にでたもの、というなら「ますみ」になります。なかなかむずかしいところです。しかし通例として濁らないほうの「ますみ」が一般的ではないかなあ、という気はしています。岡田真澄という俳優もいますし、江戸時代にはなんとか真澄という民族学者がいたように記憶しています。
ちなみに真澄大尉はどんな顔をしていたかというと、最終回の挿絵で御紹介いたします。挿絵をご覧下さい。