January 30, 2008
Never Ending Summer(songs from New York)48
「久しぶりね」
「あぁ」
「元気だった?」
「・・・あぁ」
「学校、行ってる?」
「行ってるよ」
「・・・もう、秋ね」
怖かった。目を見るのが怖かった。
かつて、甘いと感じた時もあったはずの沈黙が、冷たい風になってふたりの間を通り抜けてゆく。だからあたしは急かされるように言葉を繋ぐ。意味のない言葉を。今にも彼が席を立って出て行ってしまう気がして。別れの言葉が彼の口唇から聞こえてしまうような気がして。
さよならを告げるために、ここにいるのに。
言いたい想いだけ押し殺した心は、ヒリヒリと音をたてる。
「元気だったの?」
「うん」
「会社は?」
「うん・・・」
「そう」
言わなくちゃ。何度も何度も、そう思う。
きっとこれが最後のチャンス。ちゃんと言わなくちゃ。ちゃんと終わりにしなくちゃ。大好きだった人だから。本当に本当に大好きだった証として。
だけど、一体どう伝えたらいい? 何を言えばいい?
あたしは、どうしたいんだろう。
振り切れてしまった針は行き場をなくして、自分の気持ちさえ見失いそうになる。会いたかったのに。今やっと会えているのに。
ぷつりと、あたしが、途切れる。
グラスを弄ぶ彼の指先に無意識に触れそうになって、慌ててあたしは自分の両手を握り締めた。触れちゃいけない。だけど、どうして?
こんなにも心と行動がウラハラだ。一体いつから?
手を伸ばせば届く距離なのに。なんだか酷く、遠い。無限のような数十センチの距離。
「・・・行くのか?」
「えっ?」
口火を切ったのは彼の方だった。
「ニューヨークに行くんじゃないの?」
「・・・そう・・・うん、行くことに・・・なって・・・」
「そうか」
何て愚かなんだろう。あたしはまだ期待していたんだ。彼が止めてくれることを。行くな、そう言って欲しかった。もう一度、出逢った頃に戻りたかった。だけどもう、眩しい太陽は刺すような陽射しじゃなく、高い空に入道雲は見当たらない。澄んだ風に夏の香りは残っていない。残暑独特の切なさに満ちている。まるで終わってしまった恋を偲ぶように。
「その人とはね、前に・・・」
「言わなくて良いよ。わかってるから」
「違うの、聞いて」
「大丈夫だから。過去に何があったっていい、今でも俺は」
「もう、決めたの」
彼が次の言葉を飲み込むのがわかった。絶望的な後悔に襲われる。
自らの手で、手放した。
運命なんて何も決まっていないのに。今、あたしが選んでしまったんだ。
「・・・幸せになれよ」
ほとんど手をつけないままのテーブルを後に、あたしたちはお店を出た。
出入り口から左右に分かれた道に足を踏み出して、躊躇して、立ち止まる。ここからどこへ向かうのか、わからずにいる。
と突然、ぎゅっと抱き締められた。懐かしい腕。
ぽたぽたと涙が落ちた。
言葉なんていらなかった。全てが通じた気がした。この腕から。胸から。鼓動から。
「・・・ゴメンね」
ほんの刹那だけ、触れたのか触れなかったのかわからない口唇。それが合図であるかのように、あたしたちのひと夏の恋は今、幕を閉じた。
December 17, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)47
この日が来た。
すぐにでも飛び出していって彼女が現れるのを待っていたいと思うのに身体が素直に反応せず、5限が終わった大教室で俺はみんなが出ていくのを座ったままで呆然と見送っていた。
東京へ帰ったら絶対にまた会おうねと約束してあの海で握手して別れてから2ヶ月。
彼女と会えることは単純にうれしいのだが、彼女が今夜会おうと言ってきた目的は何なのか、それを考えると恐くもあり不安でもあった。
どうしても話しておきたいことがあると、メールには書いてあった。
何となくそれは俺にとってよくない話であるような気がしてならない。
「おい!」隣に座っていた福山が俺の腕を肘で突いた。「何ボケーっとしてんだよ。早く行けよ」
「わかってるよ」
俺は何も書いていないノートをわざと大きな音を立てて閉じてバッグに入れた。
「大丈夫だよ」福山は俺の耳に顔を寄せて甘い声でささやく。「姉さんが何を言っても、そんなことは関係ねぇ。おまえはおまえで言いたいことを言えばいいんだ。おまえの気持ちさえしっかりしていれば、姉さんの心を取り戻すことなんか簡単さ」
「そうだろうか」
「そうさ。姉さんのほうから会いたいって言ってきたってことはだな、姉さんがおまえのことを気にかけている証拠なんだから」
「そうだろうか」
「そんなこともわかんねぇのか?」あきれたような顔をする。「もしそうじゃないんだったら、ニューヨークへ行くにしても何にしても、いちいちおまえに言わずに黙って行っちまうじゃん」
「やっぱ行くのかな?」
「そんなことは俺に聞きよっても知らんけん。ばってん、俺の予想では、たぶん行くことにしたんだろう。ただその前におまえに会ってちゃんと自分の気持ちを伝えたいと、こういうことなんだろうと思うよ」
「今さらそんなことを言われたってなぁ……」
俺は思わず大きなため息をついて肩を落とした。
「おいおい、しっかりしろよなぁ」福山は俺の肩に腕を回して、「そういうことをもし言ってきたらとしたらだなぁ、姉さんの中には、おまえに引き止めてほしい気持ちがあるってことなんだよ、なぁ、おまえ、わかるか?」
子供に言うような口調で福山は俺の顔をのぞきこんだ。
女性心理の分析に限っては並みの学者なんかより余程精通していることを自認する福山がそう言うからにはそうなのかもしれないが、引き止めるような勇気は俺にはないし、俺にはそんな権利もない。
至近距離で俺の横顔を眺めていた福山はそんな俺の内心を察知したのか、肩に回していた腕をはずして、俺の背中を思い切りたたいた。
「とにかく行ってこい! おまえの気持ちひとつなんだ。おまえは姉さんと別れたくないんだろう? ずっと一緒にいたいと思ってるんだろ?」
俺は間髪をいれずにこっくりとうなずいた。こいつには何でも正直に明かしてしまう。
「だったら、その気持ちを正面から姉さんにぶつけるんだ。そうすりゃ、きっと姉さんだってわかってくれるさ」
「そうだろうか」
「そうさ。男なら前進あるのみじゃけんの。爪を立てて牙を剥いて突き刺してそのまま最後まで突っ走るんだ。それが基本だよ」
福山は自信たっぷりに言ってふっと笑った。
女性の取り扱いに限っては石田純一より格段に優秀であることを自認する福山が言うからにはそうなんだろうが、やはり俺の中にはまだもやもやが残る。
とはいえ、こうしてここに座っていても何も解決しないわけで、待ち合わせをした以上は行くしかないわけで、とにかく俺は立ち上がってバッグを肩にかけたが、その刹那、再び憂鬱が襲ってきて深く長く息を吐いた。
一足遅れて立った福山が、俺の肩に右手を乗せて揺さぶった。
「しっかりがんばってこい。んで、終わったらうちに寄れよ」
「ん? なんか用事か?」心配してくれているということがわかっているが、一応とぼけて聞いてみる。
「用事はないけどな。つーか、あれだ、また新作が入ってるから貸してやるよ。だから、とにかく終わったら俺んちへ来い」
「けど、そっちだって今日は柴咲コウちゃんとデートなんだろ。ラブホに連れ込んだりしてたら遅くなるんじゃないのか」
「なんば言いよるけん。彼女とはそんな関係じゃなかと。この時期にそんなうわさが広まるといかにもって感じだから、あまり言わんでくれ。今日はメシだけ食ってすぐに帰ってるから、まず終わった段階で電話をくれよ。待ってるから。な!」
うなずくしかなかった。福山に背中を押されて教室を出た。
太陽が沈もうとしていた。福山に付き添われるようにして正門へ向かう。
こいつの言う通りなんだろうなと思う。彼女は年上ではあるが、おっちょこちょいで頼りないところがあり、というかほとんどそういうところばかりなんだから、年下で学生の俺がリードしてやらなければいけないのだ。ニューヨーク行きを決断したんだとすればそれは、甘い言葉に誘われて舞い上がってしまっているに違いなく、きっとまたあとで泣きを見ることになるんだ。ここは福山が言ったように、俺自身が気持ちをしっかり持って彼女との会見に臨まなければならない。
強い決意を込めて、彼女が指定してきた店の前に立って、俺はひとつだけ大きく深呼吸した。
November 21, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)46
「ついこないだまで、テラス席あったのにねぇ」
「うん」
前髪を切り過ぎたと言って、ひっきりなしに片手で額を押さえている奈々と向かい合いながら、あたしは慌しいランチタイムを過ごしていた。まだ半分残っているパスタのお皿を横にずらして、グラスの水をゆっくりと飲み込む。
「もう秋になっちゃうんだねぇ」
「そうだね」
「あぁあ、早いなぁー」
「そうだね」
「寂しくなるねぇ」
「・・・うん、ありがとう」
そこで、ふっと奈々が笑う。指先で前髪を何度かすいてから、テーブルに身を乗り出した。困ったような笑顔が目の前にある。
「何?」
「連絡とれたのー?」
「・・・ううん、もういいや」
「いいのー?」
「うん。だって仕方ないよ」
「ダメだよ!」
奈々の口調に、視線を上げる。どうして奈々が泣きそうな表情になっているんだろう。あたしの代わりに。
両手に持っていたグラスを置いて、あたしは今まで彼に送ったメールを思い出す。夏色の甘い甘いメールを。ケンカした後のゴメンねのメールを。返事のこなくなった幾つものメールを。それから、さっき送ったばかりの最後のメールを。
「最初、連絡とらなかったのはあたしだし・・・たぶんもう、誰かと幸せにしてるんだよ」
「会いたくないの?」
「彼が会いたくないなら仕方ないし」
「もう好きじゃない?」
「・・・・・・・・・」
好きじゃない。もう全然好きなんかじゃないよ。短い言葉なのに、あたしの口唇はその音を出すことを拒否している。だって会いたかった。だから会うのは怖かった。まだグラグラ揺れたままの心は、このまま逃げ出そうとしている。遠く離れてしまえば、もう会えないとわかれば、自分を納得させられる気がした。それしかできなかった。
「もう、決めたから」
「ねぇ、幸せ?」
言葉につまる。幸せって、何だろう。
前髪を両手でおさえた奈々の目が、みるみる真っ赤に染まってゆく。
「・・・大丈夫、ありがとう。幸せになるよ」
「いま、幸せ?」
「いま、は・・・うん、でも、だって」
「幸せだって、思い込もうとしてるみたいだよ」
「そんなこと・・・」
その時、マナーモードにしてあった携帯が小さく揺れた。バッグの中を覗き込む。光る画面に表示された名前。
瞬間、何も考えられなくなった。波の音が聞こえた、気がした。そんなはずはないのに。
何日も何日も一緒にいたのに、何も話せていなかった。本当の気持ち。
伝えたい。会いたい。会いたい。会いたかった。
この夏に、さよならを告げるために。
October 16, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)45
9月も終わりに近づいて、秋学期が始まった。まだ残暑が厳しいが、朝のキャンパスを通り過ぎる風にふと秋の気配を感じて、俺は足を止めた。
あれから1ヶ月が過ぎた。
受話器から聞こえてきたあの男の声が、今でも耳から離れない。
そこに彼女が一緒にいたのか、それともいなかったのか、本当のところはわからない。
けれど、彼女が一緒にいなければ、あの男が彼女の携帯を使っていたことの説明がつかない。
それはわかっているが、俺は、そうじゃないと思いたい。あんな時間に一緒だなんて、そんなことはありえない。都合のいい解釈だとわかっているが、そう思いたい。
終わらないと思っていた夏が終わろうとしている。
いや、もう終わったのかもしれない。
それなのに、俺はまだ日に焼けたままだ。
右腕を日差しにかざしてみる。
今日から講義が始まったのに、まだテキストを買っていない。
キャンパスは活気に満ちあふれているが、俺は1人だけ取り残されている。
あの電話のあと、彼女からは何度も着信があった。
メールも届いていた。
だが俺は、電話をとらなかったし、メールも開けずに削除した。
恐かった。
ひたすら恐かった。
あの男は言った。彼女を連れてニューヨークへ行くのだと。
結局俺は、一瞬だけ彼女の寂しさを埋める役割しか与えられていなかったのだ。
バカみたいだ。
というより、正真正銘のバカだ。
深いため息が漏れた。
部屋に帰ろう。
このまま講義に出ても、どうせ何も頭に入らない。
俺は身体を反転させ、正門のほうへ戻り始めた。
携帯が震えたのはそのときだった。
一瞬ハッとしたが、どうせ福山がエロDVDの返却を催促してきたに違いない。
そう思いながら見ると、彼女からのメールだった。
心臓が激しく鳴る。
あのあと毎日届いていた彼女からのメールは、1週間で途切れた。
もしかしたらもうニューヨークへ行ってしまったのかもしれないと思っていた。
彼女のことは忘れようと努力していた。
なのに今さらいったい何だっていうんだ。
かすかな腹立ちを覚えて無視を決め込もうと思ったが、いったん途絶えていたメールがまた来たことにはそれなりの理由があるに違いないと思い直して、恐る恐る開いてみた。
文字を追いながら、頭の中にあの曲のリフレインがよみがえる。
そうだ。
俺たちの夏は終わらないのだった。
携帯を閉じた俺はきびすを返して教室へ向かって駆け出した。
September 17, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)44
「何、俺に会いたくて来たの?」
「・・・違うよ」
「偶然? じゃぁ運命だな」
「もっと違う」
溜め息混じりに言いながら、睨みつけるつもりが、何だか力が入らない。情けなくて、どうしようもなくて、あたしはただ笑っていた。
「どうしてここにいるの?」
「お前に会うために」
「あのねぇ・・・」
「来れば?」
「行きません」
「人を獣みたいに思ってない?」
「思ってません。あ、でも・・・」
上目遣いに見上げた先に、余裕の笑顔がある。少しの躊躇の後で、あたしは意を決して口を開いた。
「携帯、充電させてくれない?」
あたしの目をじっと見つめてから、無言で回れ右をしてスタスタを歩いていく。あたしはその後姿を追いかけた。
カードキーでドアを開けて、片腕をドアにかけた格好のまま呆れたように笑う。首を室内の方に少し傾けて、どうぞ、の合図。ずるいな、と思いながら、あたしはおずおずを足を進めた。奥のソファーに腰掛ける。
ベッドからは遠い位置を、気にしながら。
「で? どうしたのよ」
「・・・迷子」
「はぁ?」
「場所がわかんなくなっちゃって」
「そんなん聞けばいいじゃん、って、あぁ、だから携帯?」
ポン、と充電器を渡される。彼の元へ行く途中で道に迷ってしまって、メールを作って送信ボタンを押したところで、電源が落ちた。半ばこれが運命なのだと諦めながら、それでも懲りずに、ようやく連絡をしようとした矢先のことだった。真っ黒になった画面を愕然として凝視する。走って、歩いて、疲れてしまって、どこかに泊まらなければと入ったホテルがいっぱいで、じゃあ違うところを、と出ようとした瞬間、目の前にアイツがいた。それでのこのこついてきてしまうあたしって何なんだろう。
携帯に灯った赤いランプをしばらく眺める。
また、勇気を失いそうになる。
もう彼は待っていないんじゃないだろうか。何度も何度も連絡を無視して、今更だなんて。きっと、うんざりしてる。あたしが一番、あたしにうんざりしている。
「なぁ、お前さぁ・・・俺がお前のこと好きだって知ってるよな?」
「えっ・・・?」
「他の男のこと考えてんじゃねーよ」
「そんなんじゃ・・・」
「また戻るんだ、ニューヨーク。一緒に来るか?」
何言ってるの、そう笑おうと顔を上げると、そこにはアイツの真剣な顔があった。何でそんなことを、突然。動揺を隠せずに、あたしは視線を逸らす。もう騙されない。いっそ騙されたい。あたしの心はぐちゃぐちゃだ。ずっとずっと、ぐちゃぐちゃのままだ。
ぐい、と頭を引き寄せられて、髪の毛を撫でられる。
「返事は待つよ。さんざん待たせたしな」
そう言ったアイツの顔は、歪んでもう見えなかった。あたしはバスルームに駆け込む。鏡の中のあたしが泣いていた。悲しいのか、嬉しいのか、わからない。呼吸を落ち着かせて、大きく息をつく。もう一度、鏡を覗き込む。しっかりしなさい、そう言い聞かせる。このままじゃいけない。どこにもいけない。
だから、もう、行かなくちゃ。
ぎゅっと目を閉じて、深呼吸。ニッ、と笑ってみる。下手な笑顔。
バスルームを出て行くと、アイツの声が聞こえた。電話をしているようだった。邪魔をしちゃ悪いな、とバスルームに戻ろうとした、その瞬間。視界の端に、見覚えのある携帯。それはアイツの手の中に。通話中のランプ。あたしのだ。ドクン、と心臓が大きな音をたてる。
「ちょっ・・・何してるの?」
「だから、心配しないでいいから」
「誰と喋ってるの?」
「それはご自由に」
「返して!」
奪い返した携帯を、どうすることもできない。無表情のまま、息もできない程きつく抱き締められる。
「・・・もしもし?」
遠く、遠く、彼の声が聞こえた。
September 03, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)43
風は、少しだけひんやりとしていた。さっきまでの豪雨はすっかり止んだが、空はまだ雲に覆われているのか、海岸も海も闇の中に沈んでいる。対岸の明かりもぼんやりとかすみ、海へ続く道路の街灯に照らされたところだけがぼんやりと丸く浮かび上がっていた。
雷雲が去ったと思われる南の空が絶え間なく何度も光り、ときおり上空で稲妻が左右に走るが、音は届かない。
彼女と過ごした1週間、何度かこうしてバルコニーに出て、夜の海を眺めた。あのときの風は生暖かく、湿気を多量に含んでいた。
深いため息をついて、俺は部屋に戻った。
すでに日付が変わってしまっていた。テーブルに置いた携帯を取り上げて見るが、着信もメールもない。
やはり、彼女は来なかった。
まだ希望を捨ててはいけないと思うが、こんな時間から来るとも思えない。
キッチンへ行って冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファーに身体を沈めて開けた。
もうあきらめよう。
縁がなかったということなのだ。
明日の朝チェックアウトしたら、そのまま東京に帰ろう。
彼女には、あの男のほうがふさわしいのだ。
そもそも、年下でまだ学生の俺なんかが彼女の相手になりえるはずがなかったのだ。
夢を見ていたのだとでも思って、忘れるしかない。
ビールの苦味が涙を誘い、Never Ending Summerのリフレインが頭の中で響く。
終わらない夏なんて、幻想でしかない。地球が回っている以上、季節は必ずめぐり、夏はやがて終わる。俺たちの夏は、もう終わったのだ。楽しかったあの瞬間は、決して戻ってはこない。
彼女の笑顔とNever Ending Summerが脳内をぐるぐる回る。
寝室に置いた携帯が鳴ったのは、ビールが半分ほどになったときだった。
思わず手が震え、缶が床に落ちる。
ビールがこぼれるのにもかまわずに、俺は携帯に飛びついた。
August 13, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)42
懐かしい景色だった。3週間だなんて思えないくらいに、まるで久しぶりに故郷に帰ってきたみたいに、あたしの胸は切なさでいっぱいだった。
変わらない日差し。だけど少しだけ、秋を予感させる落ち着いた光に感じるのは、あたしの心のせいだろうか。
文字の薄れた看板を見上げる。songs from New York。しばらくその前で佇んでいたけれど、もうあの曲はかからなかった。そのことが、時間の経過を感じさせる。終わらない夏も、今は終わってしまったんだろうか。
「お姉さん、入らない? あいてるよ、今なら安くしてあげるよ」
「あ、大丈夫です」
軽く会釈して、あたしは慌てて歩き出す。中を覗き込むと、あんなに混雑していた海の家も人はまばらで、あの店員の女の子の姿も見えなかった。
何だってあたしはここにいるんだろう。
なんて、同じことを考えてる。
幾度となくかかってきた電話にも出ないまま、メールにも返事をしないまま、あたしはこの場所へとやって来た。来なきゃダメだと思った。このままじゃダメだと思った。会うのが怖かった。本当は会いたかった。
だけど、会ってどうするっていうんだろう。
あたしは許せるんだろうか。でも一体何を? 彼を? あたし自身を?
彼が泊まっているとメールで伝えてくれたコンドミニアムの方は見ないようにして、あたしはひたすら歩き続けていた。どこへ行くのかもわからずに。だけど気付くと、彼との思い出の場所へとばかり足が向かってしまう。
初めて彼と出会ったのは、どのあたりだっただろう。
再会したのは、どのあたりだっただろう。
初めて一緒に食事をしたカフェの場所はもう忘れてしまった。
あたしはどうしたいんだろう。どうしてここにいるんだろう。
「はぁぁ・・・」
小さく溜め息をついて、あたしは海岸の見渡せるコンクリートの階段に腰をおろした。
携帯を取り出して、返信しないままの数え切れないメールを読み返す。
ミネラルウォーターを口に含んで、眩しい海辺を眺めていると、今にもあの時に戻れる気がした。そんなわけはないのに。
と、突然手の中の携帯が震える。小さな小窓を覗くとアイツの名前が表示されていた。あたしは泣きたい気持ちになって、しばらくその名前を凝視してから、ぎゅっと握り締めて気付かないふりをする。
最低だ。最低だと思う。こんな自分は、もうイヤなのに。
あれから、アイツと何度か食事をした。厳密に言えば、アイツが会社の前やマンションの前で待ち構えていて、半ば強引にレストランへと誘われた。だけどそんなのは言い訳だ。ついていったのは事実だ。それを決めたのはあたしだ。
そして、何度かアイツが携帯で話をしているのを傍で聞いていた。会話は英語で、あたしにはよくわからなかったけれど、それでもただの友達じゃないことだけはわかった。そんなのは言葉の問題じゃない。気付かないわけがない。電話が終わった後でアイツは必ず「向こうの仕事の女の子だよ」なんて言っていたけれど、甘く囁かれる何人もの女の子の名前やアイツの態度に、あたしはうんざりしていた。
だったら誘わなければいいのに。
また日本を出たら、同じことを繰り返すくせに。
そんなことを思うのは、あたしがアイツを好きだからなんだろうか。
「何やってんの?」
ぼんやりとそんなことをグルグル考えていたあたしの背後から、声がふってきて、あたしは驚いて振り向いた。あたしよりも10歳くらいは若いんじゃないか、というくらいの年齢の、長めの髪の毛をブリーチした見知らぬ男の子だった。
この期に及んで、まだ期待している自分に嘲笑する。
「・・・待ち合わせ」
「えー、そうなの? 彼氏?」
「・・・そう」
「えー、そうなんだ、いいじゃん、あっちで飲まない?」
意思とは無関係に流れ出した涙を見せないように、うつむいたままであたしは首を横に振った。
「そっかー、じゃー楽しんでねー。彼氏によろしくー」
ぼやけた視界の端で男の子のビーチサンダルが遠ざかるのを見ていた。
こんなに涙もろくはなかったのに。
この海は、涙の味がする。
早く来て。迎えに来て。お願いだから、ここに来て。
自分から会いに行く勇気もないくせに、あたしは何度となく祈った。
もう一度。もう一度、会いたい。
涙が乾いた頃、顔をあげるとオレンジ色の太陽が目の前で微笑んでいた。そんな気がした。
あたしは何かに背中を押されるように立ち上がって、駆け出していた。
August 03, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)41
ガラス越しに見下ろす海岸は、強い日差しを受けて白く輝いていた。お盆を過ぎたこともあって人出は比較的少なくなっているが、それでもそこだけ見れば、3週間前と何ら変わることのない風景が広がっていた。
違うのは、彼女が隣にいないこと。
そして、俺の心に開いた大きな穴。
すべてが遠い過去のことのようだ。
あのレストランの大事変から、実はまだ1週間も経っていないのだ。それなのに、あの瞬間のことも、この部屋で過ごした楽しかった1週間のことも、まるで10年も20年も前に起きたできごとのように思えてしまうのはなぜなのか。
彼女はその後、電話に出てくれなくなったし、メールの返信もない。
何をしているのか、何を考えているのか、本当のところは何1つつかめなかったが、少なくとも彼女が俺に対して不信感を抱いていることは疑いようのない事実だと思うし、もしかしたらもう二度と顔も見たくないと思っているのかもしれない。
福山に勧められて俺はまたこのコンドミニアムに部屋を取り、彼女にその旨をメールで知らせておいたのだが、果たして彼女が舞い戻ってきてくれるのかどうか、はなはだ不安だった。来てくれるかもしれないという期待はもちろん大いにあったが、たぶん来ないだろうというあきらめのほうが大きかったし、実際俺は朝早くから来ているというのに、太陽はすでに西に傾き始めていて、やがて日が暮れて夜になって、それでも彼女は来なくて、俺は1人寂しくこの部屋で朝を迎えることになるのが明白なような気がしてくるのだった。
伝えたい思いがあふれそうになり、同時に、涙までもあふれそうになってくる。
あの晩、そしてあの朝、彼女は何度も涙を流していた。
もうひとりで泣くなよ。
そう言ったのは俺だったのに。
会いたい。
もうこれで最後になってしまってもかまわないから、とにかくもう一度会ってちゃんと話がしたい。
その気持ちはもちろんメールに書いた。
読んでくれたなら、きっと彼女にもこの気持ちは理解してもらえるものだと信じたい。
西向きの部屋に少しずつ陽光が差し込み始めた。
熱い光。
まだ、夏は、終わっちゃいない。
July 01, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)40
きつく抱き締められながら、器用な指先があたしの肌を直に触れてゆくのを感じていた。体が覚えている手順は何ひとつも変わっていない。中途半端に逃げながら、あたしは迷っていた。迷っている自分に困惑する。
「ちょっと待って・・・」
「・・・言うと思った」
やっとの想いでそれだけ言ったあたしに、笑い声が降ってくる。笑い声と同時に胸の震えがあたしにも伝わる。まるでひとつの体みたいに。だけど次の瞬間、放たれたように、密着していた体が離れた。むき出しの肩に触れている骨ばった熱い指がゆっくりと外される。何もかもを見透かしたような笑顔があたしを見下ろしている。
「ゴメンね、あの」
「そういや初めての時も言ったよな、覚えてる?」
しなやかに腰を何度か撫でながら、もう一度大きく笑う。
「でも待たなかったくせに」
「だって拒まなかったくせに」
いつの間にか再び近付いた距離のまま、顔を見合わせて笑った。二度目のキスは直前でかわす。あたしはあたしが何を求めているのかわからない。
彼の姿が浮かぶ。あたしじゃない誰かと並んで歩く後ろ姿。あたしは追いつけない。その「誰か」の場所にあたしを当てはめようとしても、それは不自然に歪んで、うまく焦点を結べずに脳裏の奥に吸い込まれていくだけだった。例えば歳の差だとか。年下だとか。社会人と学生だとか。出逢い方、過ごした時間、他の誰かの存在、それらが一体どのくらいの意味を持つと言うのだろう。
だってあたしはあたしが一番信じられない。
「今日のところは待っといてやるよ、体調はどう?」
「だいぶ楽になった、ありがと」
「じゃ、もっとエナジーチャージしとく?」
なんてタイミングで、うっかり奪われる口唇。あたしは怒らなかった。拒まなかった。本当は、嬉しかった。
肌が、口唇が、触れ合うことの意味って、何だろう。
「ゆっくり休めよ、具合悪くなったらいつでも電話しろな」
「しないよ」
「無理すんなって」
口唇の端だけで笑う。まるで余裕な態度で。このくらい傲慢に彼もあたしの愛情に自信を持ってくれていたらいいのに。そう思う。
ひとり取り残された静寂の部屋で、あたしは布団をかぶって目を閉じた。考えないように、考えないようにと努力する。
今ならまだ、この夏を永遠にすることも終わらせることもできる。
終わったと思っていたアイツとの夏を、もう一度始めることだってできる。
(また逃げ出すつもり?)
何度も寝返りを繰り返しながら、不思議な夢をたくさん見た気がする。あたしの隣にいたのは、誰だっただろう。
June 11, 2007
Never Ending Summer(songs from New York)39
ビンが差し出されているのに気づき、俺は空になったグラスを持ち上げた。
まじめな顔でビールを注いでいた福山は、俺のグラスを満たすとビンを横に置いて一瞬にしていつものスケベな顔になった。
「絵理ちゃん、よかったなぁ。フラメンコやってるだけあって、腰つきがセクシーでそそるしさぁ、なんちゅうか、あの脚のさぁ、スベスベ感が、これまた、たまんねぇんだよな、ホント。目もいいね。あの瞳で見つめられたら、さすがの俺もドキドキしちまったよ。あぁもぅ、絵理ちゃん、最高だぜぇ。思い出しただけで勃ってくる!」
さっきのキャバクラの女のことを言っているのだった。
福山は枝豆を1つ食べて、
「それにあれだよな、おまえが相手してた來未子とかってぇのもまぁまぁだったな。関西弁丸出しでかなりうるさかったけど、なかなかいいカラダしてたけんのぉ」
興奮すると長崎弁が出る。
「來未子ちゃんは、もうちょいダイエットしてもうちょいおしとやかにすればもっとよくなるけん。オッパイの触り心地はどうだったんだ?」
「悪くなかったね」
「しまったな。俺も触っておけばよかったけん」
福山はビールを一口含んでフライドポテトを食べた。
彼女の部屋の前であの男を目撃したあと、俺は知らない道をどこまでも走り、気がつけば多摩川の河川敷に腰を下ろしていた。
頭の中が真っ暗になってしまい、何をどう考えればいいのか、糸口すらつかめなかった。
仕方なく、福山に電話して、熱望していた蒲田のキャバクラに同行してやったのだった。
1時間ほど遊んで、まだ外は明るかったが、駅前の居酒屋に入り、そしてこうして向き合っているのだ。
福山は依然としてキャバクラでのできごとを反芻しているが、俺は上の空で聞いて適当に相づちを打っていた。タクシーを降りて俺を見た彼女の、驚いたような困ったような顔が、頭から離れなかった。
「それはそうと」と、福山が神妙な顔つきになった。
「AVの新作が入ったんだけど、コピーしといてやったから、あとで取りにきなよ。稲垣に借りたんだけどさ、これがまたいいんだ」
何だそんなことか、と思った。
いつもならすぐにでも取りに行くところだが、今はどうでもよかった。
福山には彼女とのいきさつを話していない。だが、俺の様子を見て、何となく見当はついているのだろう。元気付けようとしてくれているのはわかっていた。
それからしばらく福山は新作がいかに利用価値の高いものであるかを熱心に解説していたが、俺が反応を示さないのにあきれた様子で、吐息まじりに、
「おまえ、そんなにあの姉さんにいかれちまったのか」
福山は苦笑を浮かべていた。
突然の質問に俺は面食らったが、無意識のうちに大きくうなずいていた。
「まぁあれだ、細かいことまで聞く気はないけどさ、うまくいってねぇんだろ?」
「まぁそんなところだ」
「ふーん。けどさぁ、あの海じゃぁ、見てるほうが恥ずかしくなるくらいラブラブだったじゃん。奈々ちゃんだってびっくりしてたぜ。それがどうして急におかしくなったんだよ?」
何も言えず、俺は顔を伏せてしまった。
福山がハァ〜と声に出してため息をついた。
「どうせ、前の男とよりを戻しかけてんだろ」
鋭いヤツだと思いながら、黒目だけ上げた。
店はまだすいていて、離れた席で騒いでいる主婦たちの大声が、静かに流れる音楽をかき消していた。
「こうなりゃ、方法は1つしかねぇな」
「何だよ? 何か方法があるってぇのか?」
「あるんだなこれが」
「どうすりゃいいんだ?」
わらにもすがる思いで、俺は身体を乗り出した。
福山はわざとらしいくらいに真剣な目で腕を組んだ。
「原点回帰だよ」
「はぁ? 原点回帰?」
「そう。原点回帰」
「どういうことさ?」
「だからさ、」
福山が唇の端をニッとつり上げた。
抑えた声でしゃべる福山を、このときほど頼もしく思えたことはなかった。
俺の脳裏に、あの青い海と、雲が浮かぶ空と、白い砂浜が鮮やかによみがえり、Never Ending Summerのリフレインに波の音とセミの声が重なった。
波打ち際を駆ける彼女の笑顔。
浜辺に寝転び、キスをして欲しいと俺を困らせたあの瞳。
何度も愛し合ったあの夜を、失うわけにはいかない。
福山の提案に乗ってみよう。
砂に書いたルームナンバーに目を向けてきょとんとしていた彼女の表情が、まるで今目の前にいるみたいにハッキリと浮かび上がってくる。
熱く語る福山を見つめて、俺の心は少しだけ明るさを取り戻していった。


