毒親から幸せになろう

1〇〇%自分原因説とか、自己責任とか、

世の中には「なんでもかんでも人のせい!自分悪くない!」な人と同じくらいか割合は分からないけど

「なんでもかんでも自分由来!自分が全部決めて全部自分が作った!」

と、天動説みたいな事を思わないと気が済まない人もいるんだなぁと感じました。


例えば

「人は生まれる前に自分の一生を決めて来る」

生まれる前に「自分はこういう経験をしたいから」と、苦しみや悲しみも決めて来るんだそうだ。

生まれる前をどうやって見るんだよ

そのために、生まれる前に仲良かった人にあえて悪役になって欲しいとか頼むんだそうだ。


いいよ〜って普通引き受けるか?


そして、起こることは全部自分で決めて来たことだから自己責任なんだって!


どんなマゾだよ


自己責任論言う人って苦労全くしてないお花畑な人なんだろうなと思います。

ずるいことに「自然災害」「生まれつき障害や病気があってすぐに亡くなる子供」「紛争」の事はスルーなんだよね。

それも自己責任なんでしょ?

他罰は良くないけど、毒親ってのはある意味天災だから子供には本当にどうしようも無いこと。


もしこれが自己責任なら、まだ保護されるべき年端も行かない幼い子供が戦わないとならないことになるんだけど、そんな事を出来る子供って居るのかね。

学校の先生に言ったり、警察や児童相談所に訴えたのに毒親に殺された子供を、自己責任だー馬鹿だーざまーみろって笑うのかな。


自己責任論も他罰主義も、どっちもおかしいところはあるし、どっちも行き過ぎは良くない。

自分の主義主張を押し付けないってことが、どちらの主義者には出来ないのが共通していると思う。

他罰よりは「自己責任」って方がよく見えるよね。

強いと思う。

でも、全てが全てが自分が起こしてるのかな?

目に見えないあの世とか潜在意識の別の意識がとか言うけど、それって本当にあるのかな?


世の中にはどうしたって自分の思い通りに行かないことあるし、自分の責任というにはあまりにも理不尽な事あるんだけど、

全部自分のせいって思ったら壊れるよ。


「今こうなのは親のせいだー!」

と声高に叫ぶのも許して貰いたい。

多分全部自己責任って言える人は、全て恵まれた幸せな人で、苦労らしい苦労もなく、全てラッキーと幸運でやってこられた人だから、そこは周りに感謝して、

黙れよ

生理の話です。


最近でこそ布ナプキンを使いこなせるようになったわたしですが、


自分の事もままならない時、


仕事やプライベートで大きなストレスが掛かった時、


生理が重かった記憶があります。


生理前は月経前症候群なんて可愛いもんじゃないし、


量が多くて事務椅子2つと制服をダメにしたことがあります。


生理周期もめちゃくちゃで、


月2回生理になったり、


50日くらい来なかったりと管理不能!


「しにたい」と思ってたら生理来るかと思いきや、

絶好調なハイテンションの日にも生理来たりする。


今はスマートフォンのアプリで「あと何日で来るよ!」とか「ここからここまで妊娠可能日だよー」「排卵日はこの日」と教えてくれますし、


「経血コントロール」なる技も習得し、


性能の良い布ナプキンのおかげもあって生理の失敗はなくなり、


生理は辛いものではなくなりました。


でもここまで来るのも大変でした。


すっごく「自分」に集中しないとならないから。


それは「自分を大切にする」ことに繋がったと思います。


「自分に集中する」ことをやるとなると、外野の声を聞いてる暇がないんです。


それだけ今まで「自分」を放置していたという事です。


だから紙オムツナプキンに経血過多用のでっかいナプキンでも必ず横漏れしたりして


「もっと自分に集中して!」


「自分を大切にして!」


と身体がずっと叫んでいたのだと思います。


自分にすら集中出来ないということは、何ににも集中出来て無かったという意味です。


様々な議論のある「子宮を温める」論ですが


(子宮はそもそも冷えないとかってやつね)


布ナプキンや布ライナーは本当に気持ちいいですし、


冬は氷点下の時でも、冷房が辛い時も、布ライナーと貼るカイロ(貼れないやつがいいらしいですが、トイレで何度も落としたから)だと冷えが気にならなくなりましたので、どこか冷えているのだろうと思います。


生理がめちゃくちゃだと自分もめちゃくちゃなんだなと思います。


最近知ったのですが、発達障害のある女性は生理がめちゃくちゃなんだとか。











毒親のコミックエッセイ
の、
田房栄子さんの新作

が、何とタイムリーなこと!


そして、この本の内容には本当に救われます!


「幸せな人」って本当に親がよかったんだなって思います。

その分「幸せな人」って視野が狭いです。


「幸せ」だから、「幸せな人」しかまわりにいないから、

狂人な親がいるなんてきっと考えたこともない。


だから平気で「許せ」とか言えるんですね。


「ネットにあるじゃーん」


と思うこともありますが、


ある人には「常識」レベルのネット内容も、


ある人には「何それ?」状態。


「幸せな人」にはきっと2ちゃんのまとめスレや家庭板なんて


ものすごいアングラサイトなのでしょう。



田房永子さんのコミックエッセイに救われた人けっこういるのではないでしょうか?


「なんで絶縁宣言しておきながらしょっちゅう母親に会ってるんだろ?」

とか

「太郎って何者?ってか付き合うときまわりに反対されなかったのか?本性知ってる人が1人は居たはずだと思う」


「何で結婚式で『両親への手紙』やったの?省略するか夫両親宛でも良かったのでは?私なら断固拒否する」


「夫さん冷たくないかな?これが普通なのかな?」


など、いろいろ疑問はありますが。


不思議なことに同じ毒親に苦しんでいるけど、

「他人の毒親事情」

って、「そうそう!わかるー!」と共感するときもあれば


「うちはそこまでじゃない」と戦慄するときもあり、


「なんで傷つけられるのわかっててそんなこと話すかな~」などとイライラすることもあります。


たかはるもそうですね。

いろいろな毒親持ちさんやモラハラ経験者さんのブログに



「うちはこうでああで」

とコメントするたび


「早く逃げろ」

と異口同音に言われ続けたのに


「幼稚園の頃夢で母親から逃げようと車で逃げたら併走して追いかけてきた」


というトラウマに取り憑かれ、

「逃げるの絶対無理無理」

って決めつけていたのですから。

きっとここを読んだ人も


「この人いつまで実家にいてこうしてブログ書いてる気なんだろう」


と思われていたと思います。


無理な理由っていくらでも見つかります。


何もなくても「今はその時期じゃない」なんて捻出したりね。


同じく「出来る」理由も探せば見つかる気がします。


わたしも気づかないでスルーしていた「差し伸べられていた手」


今はそれにすがろうと思います。


「もっと早くに気が付けばよかった」

という悔しい思いはたくさんありますが、

「いつであっても遅くはない」

とも思います。


と、言いながらもまだ


「最近そこまで酷くない気がするし(麻痺してる?)」

「毒親から逃げましたって人のブログほど毒親と言えるのか?」



この方のような「わかりやすい毒親なら、嫌だけど逃げるのに迷いはなさそうだ」などと思ってみたり。


「母が」というより「主に母が」って感じですよね。叔母も父親もしんどそう。



「辛かったのは親が毒親だから」なんて誰が信じましょうか。
セカンドレ〇プされますよね。




恋愛の本かと思いきや、毒両親との関係中心の内容です。

このページのトップヘ