November 20, 2005

Nereide(2)

この記事は以下のページにて全面的に書き直しましたので、そちらを是非お読みください。
(2009年8月)
ネレイーデ物語〜Nereide - Geschichte einer Wunderstute〜
(on "ShibaShuji.com")


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(すっかり放置しておいたら、カイザキ様の『世界の名馬を日本語で』でNereideの紹介がされていた。多少なりとも補完になれば嬉しいかと。)

Nereide(1)の続き)

1935年6月2日、NereideはHoppegartenの2歳牝馬限定戦(1000m)でデビュー。彼女は人気を分け合う1頭として出走。レースは最後まで追うことなく、2着に4馬身差の楽勝であった。タイムは1:01.5。同日の2歳牡馬戦を勝ったNorddeichのタイムより1.5秒速く、人々はその結果に注目したが、しかしまだ衝撃を呼ぶほどのものではなかった。

だがその衝撃は早くも2戦目にやってきた。7月4日Sierstorpff-Rennen(1000m)。6頭立てレースでNereideと並び人気になったのはAlexandra。同馬はWaldfried牧場期待の牝馬で、デビュー後2戦楽勝。前走では前出のNorddeichを5馬身差で破っている。またGraditz牧場の牝馬AbendstimmungやRöttgen牧場の牡馬Wahnfriedも注目を集めた。スタートが切られる。Nereideが外から一気に先頭へ躍り出、グングン飛ばす。他馬はその勢いに付いていかれない。Nereideはそのままゴール。2着Alexandraに6馬身差、3着以下は更に離されて入線という大圧勝劇である。しかも更に観衆を驚かせたのがそのレースタイム、0:59.6。2歳馬で初めて1分の壁を破るレコードだったのである。

俄然Nereideへの注目が高まる。3戦目はBadenのZukunfts-Rennen(1200m)。再び対戦相手にはAlexandra。彼女はこの間Erlenhof牧場の牡馬Idomeneus相手に初の黒星を喫していた。Nereideの斤量56.0kgに対しAlexandraは51.0kg。しかしNereideは3馬身半差で再び挑戦者を退ける。更にその次のOppenheim-Rennen(1200m)では、再びWahnfried、このレースでデビューするWaldfried牧場の牡馬Perianderと対戦し、軽く追っただけでWahnfriedに8馬身差、その後ろには更に7馬身をつけて快勝した。

さて2歳最後の目標はHerzog von Ratibor-Rennen(1400m)。Sierstorpff-Rennen、Oppenheim-Rennenと合わせHoppegartenの2歳三冠を全て制覇したのは、過去にAureliusとAthanasiusの牡馬2頭のみ。牝馬による初の三冠制覇への期待が高まる中、Nereideはいつもの如く楽な手応えで先頭のまま直線へ。しかし上り坂で内によれてややもたついていると、Wahnfriedが鞍上Rastenbergerの鞭に応えて猛烈に追い込んできた。Nereide鞍上のGrabschは不意を突かれたようにラスト50mで慌てて追い出す。Nereideは再び伸び、Wahnfriedの追撃を抑えてゴール。結果として3/4馬身という着差以上の楽勝で、2着Wahnfriedから後ろも遥か引き離されており、人々は改めて彼女の強さを確認したのである。と同時にWahnfriedの急成長振りも注目された。タイムは1:27.4で、32年のJanitorの記録1:27.2より僅かに遅いものの、結果として翌年のこの2頭の活躍から、このレースが如何にレベルの高いものだったかが想像されるであろう。

Nereideはここでシーズン終了。しかし競馬界は冬の間、翌年のNereideに対する予想で持ちきりであった。問題とされていたのは、唯一「牝馬」であること。2歳で好成績を残し、3歳になって期待を裏切る牝馬は数知れない。距離の壁も囁かれていたが、Hoppegartenの上り坂も最後にはしっかり伸びるパワーを持っていたし、全体的には更なる成長への期待のほうが大きかった。そして翌年彼女はその期待に応え、またそれを遥かに超えていったのである。

Nereide(3)へ続く)

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コメント一覧

1. Posted by カイザキ   November 21, 2005 22:44
こんばんは。「世界の名馬を日本語で」のカイザキです。
ブログを紹介していただき、ありがとうございます。
 
山野浩一さんや原田俊治さんの本を読むと、
この時代のドイツ競馬は情報収集が困難と書いてありますが、
現在ではドイツ語さえ分かればそれなりのデータは入手可能なんですかね?
 
私はドイツ語やドイツ競馬の知識に乏しいので、
芝周志さんの記事は大変勉強になりました。ありがとうございます。
 
こちらのブログ、私が使ってるRSSリーダに登録させてもらいますね。
2. Posted by 芝周志   November 22, 2005 01:58
カイザキさん、ご訪問どうもありがとうございます。

外国の歴史をきちんと調べようとした場合、現地語の文献に当たるのは
山野さんらが著した頃にあっても義務のようなものですが、その頃と
現在の違いという点では、今はネットで文献の所在を検索しやすいという
ことでしょう。そういう意味で当時は情報収集が困難だったというのは
理解できます。

但し第二次大戦直前だから云々というのは実のところ妥当しません。
ネレイデが活躍した1936年はベルリン・オリンピック開催の年でもあり、
ナチ・ドイツが国内外に対し最も活況を示していた時期で、競馬に関しても
その頃の出版物はむしろ多いほうなのです。
ちなみに私のネタ元は1893年以来発行されているドイツ競馬のアルバム
年鑑であり、云わばレースカレンダー、血統書に次ぐ最も公式な文献と
いえます。現場にいれば、特別発見に苦労するものではありまえん。
3. Posted by カイザキ   November 23, 2005 00:32
なるほど。やはり現地に行けば資料はあるんですね。
山野さんはNereideについて「詳しい書物はどこにも見当たらない」と書き、
原田さんはTicinoについて「信頼できる情報が少ない」と書いておられるので、
ドイツ競馬って摩訶不思議やなー、と思ってたんです・笑
 
Nereide(3)楽しみにしてます。
4. Posted by 芝周志   November 23, 2005 14:35
改めてコメントありがとうございます。

もちろん世界各国の名馬について紹介してくれた山野さんや原田さんの
業績は素晴らしいものだと思います。またそれぞれの国に行って原典に
当たるということが難しいことは分かるのですが、それを時代のせいに
してしまっているのは、やはりアンフェアだったと言わざる得ないですよね。

このストーリーは端折らずに始めてしまったためなかなか終わらせ
られないのですが(苦笑)、1936年当時の記事から伝わる空気も含めて
紹介したいと思っているので、もう少しお付き合いください。

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