November 23, 2005

Nereide(3)

この記事は以下のページにて全面的に書き直しましたので、そちらを是非お読みください。
(2009年8月)
ネレイーデ物語〜Nereide - Geschichte einer Wunderstute〜
(on "ShibaShuji.com")


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Nereide(2)の続き)

3歳の春を迎えたNereideだが、シーズン開幕を前にしながら日に日に食が細くなっている。それに応じ馬体も見るからに細くなっており、調教師Borckeはこの無敗の牝馬をなかなかレースへ送り出すことができずにいた。大抵の有力馬が既にステップレースを踏んだ後、Borckeはまず定量戦である牝馬クラシック第1弾Kisasszony-Rennen(独1000ギニー・1600m)を彼女の春緒戦に選ぶ。9頭立てレースで休み明けぶっつけはNereide1頭。敵は自分自身だけだ。スタートが切られる。鞍上Grabschはいつも通りNereideを先頭へ押し出し、落ち着いたペースへ持ち込もうとした。しかしGrossulariaがハナを奪おうとNereideに並びかけると、Grabschもそれに釣られペースを上げた。NereideはGrossulariaとAlexandraよりも僅かに前に立ち直線へ。昨年の彼女ならそこから一気に突き放すところだが、先頭は譲らぬもののAlexandra以下をなかなか引き離せない。ようやくゴール前100mでAlexandra、Grossulariaが力尽きるが、そこへ後方からRastenberger騎乗のUnversagtが追い込んできた。一気にNereideへ迫る。観衆が固唾を呑んだゴール。NereideはUnversagtを首差抑え切り、デビュー以来の無敗記録を辛うじて守った。

「Nereideは距離が持つのか?」当然の如く噴き出した疑問である。実績のない兄弟たちは、皆ステイヤーではなかったらしい。しかしイタリアでの同系はステイヤータイプも輩出していたため彼女も持つだろうという声もあり、人々は不安と期待に揺れながらPreis der Diana(独オークス・2000m)の日を待った。だがレース前最終追切のニュースが伝わったとき、期待よりも不安のほうが大きく膨れ上がったのである。僚馬GlaukosとFloriaと併せたNereideは2頭から数馬身遅れて入線。陣営もこの調教結果には理解に苦しむ。併せた馬たちのほうがNereideよりスタミナがあったのか、それとも逃げ馬のNereideを後ろから追い出したため走らなかったのか。陣営は後者と信じ本番での変わり身に期待をかけてNereideをPreis der Dianaの舞台へ送ることにした。しかしレース前日、Nereideは尖った石を踏んでしまった。痛みを見せる彼女に陣営内では一瞬不安が走ったが、幸いにもすぐに痛みは治まり、予定通りレース当日を迎える。そしてレース直前、Borckeはこう言った。「この牝馬が負けるとは思ってないよ。」

スタートが切られた。Nereideは最内から飛ぶようにダッシュ。しかしGrossulariaが強引にNereideを交わしハナに立った。Waldfried牧場陣営はAlexandraの末脚を活かすため、Grossulariaをペースメーカーにしてハイペースに持ち込む作戦だ。Grossulariaは道中追い通しでペースを維持。Nereideはそれに持ったままついていく。直線に入ってもGrossulariaは粘る。しかし上り坂の途中で力尽き、Nereideが先頭へ。その時、満を持してArexsandraがスパートをかけた。ドイツの伝説的ジョッキーOtto Schmidtの鞭に応え、Arexsandraはライバルに向かって猛烈に襲い掛かる。その後ろからAbendstimmungもいい脚で追い込んでくる。残りは遥か後方。ゴール前100m、Arexsandraが掴みかかろうとする瞬間、Nereideの脚が再び弾けライバルを突き放した。勝負あり。1馬身1/4という着差以上の強さで牝馬クラシック2冠制覇達成。しかも2:04.6というレースレコードのおまけ付き。このタイムをPreis der Dianaの距離が延長される1972年までに上回ったのは、Nereideと並び称されるドイツ競馬史上の大名牝Schwarzgoldの2:04.0(1940年)のみである。これでNereideのステイヤーとしての資質も証明された。

しかし、それでもNereideに対する不安説は消えない。というのも、2歳時には歴然としていたArexsandraとの力の差が、3歳になって明らかに縮まってきているからだ。しかもArexsandraはDiana前後で決して一線級とはいえない牡馬にも敗れている。更にその牡馬たちはダービー前哨戦であるUnion-RennenでPerianderに完敗。それゆえErlenhof牧場陣営でも、NereideよりUnion2着のIdomeneusに対する期待のほうが高まっていた。Hamburg競馬場でのダービー週間集中開催が始まってもNereideのダービー出走は決まっておらず、ダービー4日前の3歳限定戦Nickel-Eintracht-Rennenだけに使うプランもあったらしい。だがIdomeneusがHansa-PreisでSturmvogelとTravertinという古馬陣に敗れたため、彼に対するダービーへの期待も翳り、Nereideとの2頭出しに陣営の方針は固まった。だがこの時代は現在と違い、数日間隔の連闘も珍しくはない。Nereideは当初予定通りNickel-Eintracht-Rennenも出走した。なんとか勝利はしたものの、2着Reichsfürstと3着Walzerkönigとの差は僅か。そのReichsfürstはUnion5着の馬であり、Nereideに対する不安説はダービー当日まで消えなかった。それはオッズにも反映され、人々は無敗の牝馬ではなく、Union勝者Perianderを1番人気に押したのであった。例年になくパンパンの良馬場となったHamburg競馬場。本場馬へと姿を現した10頭の出走馬たちは、世代頂点を目指し、いざ直線最奥のスタート地点へと向かったのである。

Nereideはスタート地点の最内に立って落ち着いている。しかしPerianderがちゃかついているため、他馬の何頭かにも落ち着きのなさが伝播した。そこでアクシデントを避けるため、スターターが一旦スタートバリアを開ける。するとそれを一部の騎手たちがスタートと勘違いし、馬を走らせてしまう。しかもその中に1番人気Perianderの姿もあった。彼はスタンド前まで約400mは走ってしまい、スタート地点に戻ってきても最早落ち着きを取り戻すことは不可能であった。

今度こそ正しくスタートが切られる。Nereideはいつものように抜群のスタートで先頭へ。その後ろにAbendstimmungとAlexandraがピタリと続くが、その外をPerianderが思い切り口を割り、抑え切れない勢いで上がってきてNereideからハナを奪う。馬群は激しいペースでスタンド前を通過。鞍上StreitはPerianderを内埒に寄せることもできないまま第1コーナーへ飛び込み、向正面に入ったところでようやく折り合いをつける。しかしペースは変わらずハイペースのまま。Nereideは4、5馬身離れた2番手。3番手にはAbendstimmungを交わして前に出たAlexandra。後続は既にこの時点で、この3頭の牝馬たちから大きく離されていた。3、4コーナーを回り、Perianderが真っ先に直線へ突入、尚も脚が衰える気配がない。鞍上GrabschはNereideに気合を入れた。AlexandraとAbendstimmungを一気に突き放す。そして前を行くPerianderが直線半ばで遂にふらつき始めると、その横を並ぶ間もなく抜き去った。もう誰もこのスーパーホースに手が届かない。Grabschは勝利を確信すると手前50m地点で腕を下ろし、栄光のゴール板を走り抜けたのだった。力尽きたPrianderを抜き去り2着に入ったArexandraとの着差は4馬身。だが観衆は更に、その圧勝劇が叩き出したタイムに驚愕した。2:28.8!1934年にAthanasiusが作ったダービーレコード3:32.0を一気に3秒以上も縮めてしまったのである。確かにこの日の馬場は硬かった。暴走したPerianderが作ったペースは尋常でない速さであった。しかしたとえあらゆる条件を考慮したとしても、このタイムはどんな馬にも出せるものではない。その証拠にこの記録は、1993年にLando(95年JC馬)が塗り替えるまで57年間、誰も破ることができなかったのである。スタンド前に戻ってきたNereideとGrabschを歓声が向かえる。もっとも時代はナチ最盛期。真っ白なスーツを着た内相Hermann Göringが馬場に現れ、ダービーの象徴である青いレイをNereideの首に巻いたのである。闇へ葬られたユダヤ人Oppenheimerが最後に残した馬をナチ幹部が称える光景は、きっと当時ごく僅かの人々だけが気付いた時代の皮肉であったに違いない。

(Nereide(4)に続く……って、まだ終わんないのかよ、おい!)

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芝周志
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