アニメ雑記

新作アニメをネット配信で視聴
huluの良さ
ルパン三世を視聴中
名探偵コナンを視聴中
僕だけがいない街 アニメ化
うさぎドロップ 原作のオチについて
ガッチャマンクラウズのブルーレイ
デュララジ!! 復活
永遠の命と限りある命の選択
となりのトトロ メイ死亡説について
ご都合主義とキャラの人格
はたらく魔王さま! 何故魔王は人助けをするのか?
罪悪感の表現
姉キャラの見せ方
アニメの感想と自己分析
過去をやり直すことへの嫌悪感
思春期的意識とアニメ・漫画
アニメ・漫画キャラへの処女性のこだわり
SF要素の見せ方
何故アニメを観るのか
少年が大人の世界を従える快楽
感想とは何ぞや
負け組な幼馴染
北米版のDVD・BD
「輝きのタクト」にみる私の好きなヒーロー性
虚淵玄作品の恋愛描写
TOKYO MXが映るようになった
シュタインズゲート 困難さの変化
シュタインズゲート 閉じられた世界
最近のアニメは成長を描かない方がウケるのか
ノエイン もうひとりの君へ BD-BOX発売
「けいおん」のアイドル的見せ方
私の泣きツボ
アニメなどにおける大人の圧力の不存在
感想と考察の違い
私はオタクではない
好みの女の子キャラのタイプ
序盤が訳分からないアニメと富野作品
オチに説得力を持たせる描写の積み重ね
園原杏里にみる文化系サークルクラッシャー要素
「Angel Beats!」にみる作品の影響力
批判的な感想に対する態度
疾風!アイアンリーガー 廉価版DVD-BOX 発売決定
「いばらの王」を観に行こう
ロボットの合体シーンはカッコいい
十兵衛ちゃん DVD-BOX 発売決定
トライガンDVD-BOX 発売決定
アニオタの種類
僕らの童帝
星界シリーズ 廉価版DVD-BOX

2019年08月01日

新作アニメをネット配信で視聴

今期から、アニメは全部ネット配信で観ることにしました。

以前はネット配信というと、放送よりも観られる日が遅く、パソコンの画面で観なければならない、という点で、選択外だったんですよね。
私はじっくり視聴する場合、寝っ転がって観たいですので。

でも最近は、録画したのを休みの日にまとめて観ることが多くなっていて、早く視聴することにこだわりがなくなり、パソコンとHDMIで繋ぐことで、簡単にテレビで観られるようになりましたからね。

だったら別に録画にこだわる必要は無いよな、と思ったのですな。
ネット配信だとCMも無くて快適ですしね。

まあ、東芝のレコーダーだと、CMをカットした状態で観ることが出来るのですけど、時折失敗したりしますから。
何より夜中に目が覚めた時、レコーダーの音が気になるというのもありましたんで。

いや、あれって頭がぼんやりしている時に聞こえると、結構気になるんですよ。
そんで目が冴えちゃうというか。
あと作動ランプの明かりも気になったりしますし。

神経質な話ですが、私は寝ている時はそういうのが気になっちゃうので、これまで嫌だったんですよね。
でもネット配信の視聴にすると、それが無くなる訳です。

テレビ放送自体も観なくなっているので、テレビの大本の電源もオフにすると、待機電力の消費も無くなって良かったり。
リモコンも不要になるので電池代も浮きますし。
さらには、テレビ周りがスッキリするので、気分的にも何か楽しくなる訳ですよ。

細かいようですが、周囲に物が無い状態だと気分が良いというのを知ってからそうなりました。
以前は、漫画とかDVDとかが山のようにある部屋だったんですけどね。
それらを整理してからは、出来るだけ物が無い状態になるようにしたいなぁ、と。
何しろ広々した部屋って、凄く気持ちがいいですから。

ネット配信での視聴に切り替えたいと思った際に、一番ネックだったのが、配信サイトごとに、観られるアニメとそうでないアニメがあるという点。
一つの配信サイトと契約しても、やっていない新作アニメがあったりする訳ですよ。
今期のアニメでも、私が観るつもりの作品を全部やっている配信サイトは無かったですから。

なのでどうしたものかと思っていたのですが、たまたまAbemaTVを調べてみたところ、私の観たい作品がほとんどあったのでビックリ。

AbemaTVって、リアルタイムで配信しているイメージしかなかったので、これは予想外でした。
まさか好きな時に観られるタイプの配信もしているとは。
配信サイトを紹介するサイトでも、全く紹介されてませんでしたからね。
でも実際は、好きな時に観られるタイプの配信もやっていた訳ですわ。

AmebaTVで配信してなかった作品として、「ダイヤのA actII」と「名探偵コナン」があったのですが、これまた他の無料配信サイトでやっていたので問題ありませんでした。

「ダイヤのA actII」は、GYAO!にあり、「名探偵コナン」は、日テレの見逃し配信のサイトにありましたんで。

GYAO!もやってたんですよね、最新話の配信。
そして地上波の主要放送局も見逃し配信をやっていたのですよ。
だから両作品とも問題なく観られることが確定した訳です。

しかも無料。

これが大きい。
他の配信サイトと違って、配信開始1週間くらいは無料で観られるようになっているというのが嬉しすぎです。

何ですかこのサービス。
実にありがたいじゃないですか。
これなら完璧だわ、と、ネット配信視聴での切り替えに踏ん切りがついたという訳です。

まあ、来期になったらこれらの配信サイトに無い作品が出てくるかも知れませんが、その時はまた考えるということで。
一つくらいなら有料の配信サイトと契約しても構いませんしね。

っていうか、Tokyo MXが見逃し配信に力を入れてくれてると、ほとんどのアニメが観られてありがたいんですけど。
さすがに新作アニメはやっていないので残念です。

何にせよ、今後は録画せずにアニメが楽しめるので凄く嬉しいですわ。
やはりCM飛ばしが要らないというのは、実に快適でありますからねぇ。

shibachi1 at 16:11|PermalinkComments(0)

2016年07月25日

huluの良さ

「名探偵コナン」の事がきっかけで、huluでアニメを観るようになりました。

私はどうもパソコンでアニメを観るのは好きではないので、こういう動画配信サイトには、興味はあってもじっくり観る媒体としては意識してなかったんですよね。

普段テレビでアニメを観ているせいか、テレビで観ないと落ち着かないというか。
パソコンで観ると、画面が小さくなるのと、寝っ転がって観られないというのがネックでしたし。
一応私の持っているテレビは、ネット配信にも対応している機種なのですが、どうにも操作感が悪いので、しょっちゅう使うには不向きですしね。

パソコンをテレビに繋いで観る、という方法もあるのですが、動画を観る際にパソコンを一々起動しなければならないのは面倒だし、配線の関係もあってあまりやる気になれなかったのですな。

そういう感じで、有料動画配信サイトで観る気にはなれないでいたのですが、huluを調べた際に、PS3に対応している事が分かり、試しにやってみたら、かなり操作感が良かったので、これなら問題無いだろうという事で視聴を決定した訳です。

PS3なら手間的にレコーダーを起動するのと変わりませんし、何よりPS3自体の動画再生機能は優秀なので、これなら良いだろうと思ったのですわ。
以前購入していたビデオ用リモコンもあるので、余計レコーダー的感覚で観られますしね。

huluに登録をして実際に動画を観てみると、思っていた以上に快適でした。
もう少しカクカクする時とかあるのかと思っていたのですが、全くそういう事は無く、普通に録画したのを観ているのと変わらない感覚で観られましたので。

唯一早送りなどが微妙ではあるのですが、CMがある訳ではないので、普通に観ている限りは気にならないので問題ありませんしね。

テレビ放送やスカパー!などと違い、録画する必要が無く、CMも無く、好きな時に全話観られるというのが実に魅力的であり、月額千円程度という安さ。
何とも素晴らしいものだと思いましたわ。

コナン以外にも何作か観てみましたが、気分良く観られたのでホント凄いなぁ、と。
もっと作品数が増えて、これが当たり前になったら、ストレス無く番組を観られるようになっていいでしょうね。

というか、テレビ放送を全部こういう形でやったら凄く便利ですな。
まあ、放送局がそうした方向にはなかなかいかないでしょうから、難しいと思いますけど。

でも将来的にはなりそうな感じもするので、期待は出来ますね。
録画失敗の無い、好きな時に好きな作品を観られるというのは、本当に楽しい状態ですから。
huluを観るようになって、かなりそういう気持ちが強くなりましたわ。

shibachi1 at 11:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年07月22日

ルパン三世を視聴中


ルパン三世
セブンデイズ・ラプソディ


昨日「コナンを観ている」という話を書きましたが、ルパンの方も観ています。

コナンを観るきっかけになったのが劇場版の「ルパン三世VS名探偵コナン」だったので、ルパンの方にも興味が湧いたのですな。
ルパンも昔のテレビシリーズしか観てなかったので、未視聴の作品が沢山あるんですよね。

こちらも運良く日テレプラスでテレビスペシャルがやっていたので、それを観ていくことに。
huluの方にはテレビシリーズはあるんですけど、テレビスペシャルは無かったので、ルパンはこちらをメインに視聴ですわ。

そしたらやはり面白い。
ストーリー的に微妙な作品もあるのですが、とにかくルパンがカッコいい。
何をされてもサラっと切り抜けるのが、凄く爽快感があって良いのですな。
テンポが良くて、観ていて凄く気分がいいのですよ。

ピンチに陥っても、完全なピンチという感じがせず、すぐに切り抜けられると期待させる安心感。
そうした圧倒的な強さというか存在感がルパンの魅力でしょうね。

特に新しいテレビシリーズは凄くいいです。
詳しくは後日感想を書きますけど、とにかくルパンの魅力を出しまくりで、しかも話が面白いので、凄く出来のいいルパンの話になっていると思いました。
いや〜〜、やっぱりルパンはいいですわ。

声優陣が変わったので、どうかと思っていたのですが、気にならなかったので一安心。
というか、完全に馴染んでしまったので凄いもんです。
よく聞けば別人の声なんだけど、ちゃんと従来のキャラとして聞こえますからねぇ。
特に不二子ちゃんは、みゆきちになったので魅力倍増でありますよ。

shibachi1 at 10:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年07月21日

名探偵コナンを視聴中


名探偵コナンDVD
PART1 vol.2


最近コナンにハマっています。

何で今頃、と思われるかも知れませんが、実は私、テレビシリーズを数年前に一時期観ていただけで、その後はほとんど観ていなかったのですよ。

それで少し前にアニマックスでやっていた、劇場版の「ルパン三世VS名探偵コナン」を何となく観てみたら、凄く面白かったので色々観たくなった訳です。

どうせ観るなら1話から観たいなぁ、と思っていたら、運良く日テレプラスで初期のシリーズを放送し始めていたので、こりゃいいわ、と録画を開始。

そしたら少ししてからツイッターで、「huluにコナンが大量にある」というのを教えてもらい、そちらをチェックしたら、何とテレビシリーズ全話と劇場版全作があったのですよ(現在は劇場版はありません)

劇場版はともかく、テレビシリーズ700話くらいが全話あるという素晴らしさ。
スカパー!と違い、録画する手間も要らず、好きな時に好きなだけ観られるという気分の良さ。
料金も月額千円程度という安さで、しかもhuluはPS3にも対応しているので、手軽にテレビで観られるのも嬉しい点でした。

こりゃいいやとばかりに早速登録、視聴を始めた訳です。

現在140話くらいまで観ていて、劇場版も当時の公開時期に合わせて三作目まで視聴しました。

いや〜〜、面白いですわホント。
さすが長年続いているだけの事はあると改めて思いましたよ。

冷静に考えると似たような話をやっているだけなんですけど、凄く引き込まれちゃうんですよね。
パターン化されている展開だし、トリックにしても時折「ちょっと無理があるでしょそれ」というのもあったりしますが、そこら辺を気にさせない面白さ。
凄いもんですわ。

っていうか、今頃コナンを1話から全話観ようとする人間って、どれくらい居るんですかね。
長年放送してきた凄まじい量の話を、1話から順に観ていくという。
観ても観ても終わらない、嬉しくも凄い状態になっているのですな。

これから現在放送している話に追いつくまでどれくらいかかるか分かりませんが、楽しんで観ていこうと思っております。

shibachi1 at 13:00|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2015年06月19日

僕だけがいない街 アニメ化


僕だけがいない街 (5)

その内実写映画化するんじゃないかと思ってましたが、アニメ化されました〜〜。
何かちょっと予想外(笑)

いや、あまりアニメ向きって感じじゃなかったんで。
実写でやったら面白いだろうなぁ、と思っていたのですよ。

というか、原作がまだ終わってないんですけど、どこまでアニメ化するんですかねぇ。
一応切りのいい部分があるので、そこまでやるんですかな。

あ、オリジナルエンドは嫌なので止めて下さいまし。

この作品はいわゆるタイムスリップ物で、主人公は特殊な能力「何か事件が起きると、その事件が起きるきっかけの時間まで戻る」というものを持っています。

この能力がある事件をきっかけに暴走し、小学生時代まで戻ってしまう辺りから本格的に話が進む感じですか。

とにかく見せ方が上手いので、何がどうなっているのか、ドキドキしながら先の展開を待つようになっていて非常に面白いです。

詳しい感想は以前書いたので、そちらをご覧下さい。

この内容がどうアニメ化されるのか楽しみですよ。
実に先の展開が気になる作りですからねぇ。
上手くアニメ化してくれる事に期待です。

私は小学生のラブ物語って好きなので、そこら辺にも注目しているんですよね。
声が好みの人だといいですなぁ。
キャラデザも可愛い感じにして欲しいところであります。


以下は出版社が作った作品紹介のPVです。
なかなか凝っていていいですね。
最近は漫画でもPVがあるので面白いですわ。



shibachi1 at 16:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年05月13日

うさぎドロップ 原作のオチについて


うさぎドロップ 9

この作品のアニメ版は、可愛いりんちゃんの姿を素敵に描く内容になっていました。

なかなか楽しめた作品な訳ですけど、そうなってくると気になるのが続きという事で、そこで思い出したのが原作のオチ。

私は原作を読んでいないのですが、終盤の展開についてはネットで話題になったので知っていたのですな。

その事について思うことがあったので、ちょっと書きたくなった次第。
ネタバレの話になるので、嫌な人はここから先は読まないようにして下さいまし。

まず原作の第二部は、りんちゃんが高校生になっている状態での話になっています。

あらすじを読んだ限りでは、コウキとの恋愛絡みネタとかもあって、よくある少女漫画な印象を持ちました。
そこら辺は何か辛そうなので、アニメ版の幼女時代の幸せ雰囲気を壊したくない私としては、少々読む気が薄れましたが(笑)

まあ、楽しいならいいんですけど、どうなんですかねぇ。

そんでここからが問題の部分。

高校生になったりんちゃん(ここからはりんにしますか)は、何と大吉に恋愛感情を抱いてしまうのですよ。
結局は結婚に至る訳で、「いや〜〜、それはいいのかい?」という感じですね。

まあ、女の子は恋愛に関しては早熟で、幼い頃から大人の男に憧れて恋してたりもするので納得ではあるんですけど。

そもそもあそこまで自分に親身になってくれて、しかも父親という意識の無い相手ともなれば、惚れても不思議じゃありませんし。
呼び方自体も「お父さん」でも「おじさん」でもない、「大吉」だった訳ですしね。

そうなれば「幼い頃から一人の男性として付き合ってきた」という事になるので、恋愛対象としての認識も上手くいきやすいのではないかと思いました。

そういう意味で、りんの方は問題ないよなぁ、と。
しかし問題なのは大吉の方です。

6歳の頃に引き取って育ててきた女の子を、妻に出来るのかということです。
普通難しいと思うのですわ。

もしこれが、たまに逢うくらいの間柄であれば問題なかったでしょう。
それこそ親戚とかであれば。
りんを両親が引き取って育てていたような場合ですね。
そうなると「一緒に暮らしていない相手」ということで、家族としての意識は薄くなるでしょうから。

しかし一緒に暮らしてきたとなると、家族の意識は強い訳で、そんな相手を配偶者、つまり性的な対象として見られるかと言えば、かなり難しいと思うのですわ。
近親相姦の禁忌の想いが凄く出ると思うのですよ。

私は近親相姦の禁忌の想いというのは、「家族として生活している」ことから生まれるものだと思っています。

例えば血の繋がりがあろうが、生まれた時から会ったことのない間柄であれば、後から血縁関係を知ったとしても、さほど禁忌の想いは生まれないと思うのです。

逆に赤の他人であっても、家族として暮らしていれば、その相手と結ばれることには禁忌の想いが生まれると思う訳です。
特に相手を庇護する立場としてずっと暮らしてきたとなれば余計に。

この作品は少女漫画であり、女性の視点が意識されるものになっています。
つまりりん側の想いが主体であり、こうした近親相姦の禁忌の想いに関しても、「りんがどう思っているのか?」が重要になる訳ですわ。

その想いをどう昇華させていくかが少女漫画の醍醐味な訳で、「りんが恋をした相手である大吉と結ばれない」というオチを、果たして読者が受け入れるのか、という問題が大きいのですな。

少女漫画において「主人公が好きになった相手に振られて終わる」というのは、かなりの冒険になるでしょう。
何しろ恋愛が成就しないで終わる訳ですから。
その冒険をしないで終わらせるとなると、大吉との恋愛を成就させない訳にはいかない訳です。

そこでこの作品としては、結婚のネックになっていた血縁関係、「叔母と甥」を解消し、赤の他人とする事で戸籍上・道徳上の問題をクリアしました。
これは後付けでいくらでも出来る事なので簡単に処理された訳ですね。

しかし問題は、長々と描いてきた、大吉のりんに対する父親的愛情の方。
これを簡単に処理する事は出来ないでしょう。

何しろこの作品の根幹は、まさにその大吉のりんに対する父親的愛情が良さになっていた訳ですから。
それが無かったら始まっていない訳ですし、良さも生まれていなかった訳ですよ。
ゆえにこれを安易に壊す訳にはいきません。

そしてまともな父親であれば、娘と近親相姦しようなどとは考えないし、考えることすらおぞましいでしょう。
そのおぞましい行為を大吉にさせなければいけない訳ですから、相当な意識の変革が必要になる訳ですわ。

大吉はりんに対して、父親的意識しか持っていないと思われます。
もしそうじゃなく、性的対象に出来る見方をしている部分があったとすれば、それはロリコンであり、告白されても大喜びで受け入れるような、ちょっとマズい人間になるでしょう。

「女子高校生の告白を安易に受け入れる40男」ってのが、まず問題ありきな訳ですし、さらに「告白してきたのが父親代わりに育ててきた相手」ともなれば、とんでもない事になりますので。

この作品のオチに感動している人にしても、現実のニュースで同じ内容を聞いたとすれば、「何その男」として呆れた怒りのような感情を抱くのではないでしょうか。

そして大吉は、まともな社会的意識を持ち、人間としてもかなり素晴らしい人物です。
そんな人が、娘として育ててきた、まだ16歳の少女の愛の告白を受け入れる、というのは、相当な意識の変革が起きないと難しいと思うのですわ。

本来であれば、「受け入れない」というのが、大吉の人間性を考えると自然なオチになると思うのですが、それをやったら少女漫画的に盛り上がらない、という事で、何とか受け入れるラストにしたのでしょうね。

ここはかなり苦しいように思える訳ですが、原作を読んでいない身としては、細かく分析出来ないので何とも言えません。

二人が結婚するオチに関しては、凄く引いちゃってるような意見もネットなどでは見かけますが、果たしてその人達はちゃんと原作を読んだのかというが気になるところ。

そりゃ情報としてだけ知れば、引くのは当然ですからね。
先ほども書いたように、ニュースでそんなのが流れてきたら、「何じゃその男は?」と呆れた怒りのようなものを覚えるでしょうから。

しかしこれはフィクションですし、また物語でもあります。
物語は、その作品世界に入り込み、キャラ達の心に同調して楽しむものですから、作中での描き方がどうであるかによって判断は変わってくる訳です。

ゆえに原作をきちんと読み、その世界に浸り、キャラ達に感情移入した結果として判断するのが大切な訳ですわ。
きちんと読みもしないで、作品のオチにケチを付けるというのは良くない事なのですよ。

まあ、私も原作を読んでいないですし、アニメ版で幼女のりんちゃんを凄く可愛く想い、それを父親として愛している大吉の様子を微笑ましく見てきたので、「二人が結婚する」というのには非常に違和感がありますが。

これが「源氏物語」のように、主人公が元々性欲込みで養女に迎え入れていたとすれば気にならないんですけどね。
でも大吉にはそうした要素が全く感じられないですから。

ゆえに性的意識を向ける事になる「妻にする」という決断は、どうやって自分自身を納得させたのか、と思うと理解不能な訳です。
原作を読めばそこら辺を理解できるのかも知れませんが、読んでいない身としては、実に不可解なラストだな、と思った次第。

まあ、りんが幸せならそれでいいんですけど。
この作品は最初から「りんちゃん幸せになってね」という感じで見てましたんで(笑)

その究極が「好きな相手との幸せな結婚生活」になる訳だから、そういう意味では実に良いオチだったのではないかと思います。

個人的には近親相姦が好きなので、普通に「叔母と甥」の関係でくっついちゃってもいいんですけどね。
色々問題があるのでやれなかったのかも知れませんが。

ただでさえ「父親代わりをしていた女の子と結婚する」という無茶なオチな訳ですからねぇ。
その上「血縁的にも近い」となったら大問題になるでしょう。

というか作中の今後の問題として、これまでの知り合いに対し、どんな顔して会えばいいのかって苦悩がありますよね。
親戚関係、職場関係、近所関係、全て昔から大吉が父親代わりにりんを育ててきたのは知っている訳ですから。

「今度りんと結婚する事になりました。いや、血の繋がりは無かったんですよ」とか言われても、嫌悪感を抱かないでいるのは不可能でしょう。
まともな感性の人間であればあるほど、受け入れられず、嫌悪感を抱かずには居られない内容だと思います。

そうした様子が描かれて終わっているのかいないのか分かりませんが、その後の二人が、この面で苦しい生活を送っていくことは確実でしょうね。

それこそが近親相姦の禁忌な訳ですし。
安易に許されてしまうものであれば、禁忌は覚えないのです。

りんの恋愛感情としてはハッピーエンドになったと言えるのでしょうが、現実問題としては、悲惨な生活が始まっていくエンドだと言えるかも知れません。

「シンデレラ」の物語は、「王子に見初められて王家へ嫁に行く」という一見幸せなラストですが、貧乏暮らしをしていたような人間が、果たして周囲に認められるかというと難しいでしょう。
つまりシンデレラのその後は、かなり悲惨な生活が待っているという事です。

この作品は、まさにシンデレラのように、その場は良さそうに思えるが、実はこれからが大変なんだと思えるオチになっているように思えました。

まあ、原作を読んでいないので断言は出来ませんが、知った情報からすると、その後は凄く大変そうだな、と思った次第。
世の中の偏見の目ってのは怖いのでありますよ。

shibachi1 at 16:43|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2015年05月10日

ガッチャマンクラウズのブルーレイ


GATCHAMAN CROW
DS SPECIAL PRICE
EDITION


ガッチャっ。

7月から二期の放送が決定している「ガッチャマンクラウズ」ですが、一期の全話を収録したBDが5月27日に発売になります。

え〜〜、全話収録ですがBD-BOXではありません。
1枚のBDに13話が収録されているのです。
何と恐ろしい。

というか、他の作品も1枚で出して下さい。
場所とらないで済むので。

しかも何ですかこの値段。
10,800円ですよ10,800円。

Amazonだと7,925円ですよ7,925円。
普通の2話入りBD1枚分の値段じゃないですか。
恐ろしすぎるわガッチャマン。

この作品は凄く出来が宜しいのでお薦めです。
ストーリーも良いですし、主人公のはじめちゃんが魅力的過ぎるので良いのです。

レンタルで観ようなどと思ってはいけません。
レンタル版はしょせん放送通りの内容しか収録されていないみたいですから。
それでは本当の意味で楽しめないのですよ。

真の最終回、というか、制作スケジュールの遅れのせいで中途半端になった最終回が、ちゃんとした形で収録されている製品版を買わないと駄目なのです。

今ならこのまるで北米版BDのような、1万円以下で全話収録という素晴らしいBDが購入出来るのです。
買わないなど勿体なさ過ぎます。

是非とも買いましょう。
そしてみんなで叫びましょう。
ガッチャっ、と。


【【 ガッチャマンクラウズ 】 In the name of Love】


挿入歌に合わせて編集されたMADです。
♪ガッチャマ〜〜ン♪って歌ってるのがカッチョええんですよねぇ。

shibachi1 at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2014年09月12日

デュララジ!! 復活


「デュラララ!!」DJCD『デュ
ララジ掲示板 観察日記』


「デュラララ!!」の二期が放送されるということで、どうやら「デュララジ!!」も復活するようです。

おおぅ、万歳。
やはりせっかくアニメがやるのだから、ネットラジオもやって欲しいですからねぇ。
再びあのラブラブ空間が復活するのかと思うと楽しみですよ。

知らない人に説明しますと、「デュララジ!!」というのは、よくある番宣ネットラジオで、アニメの出演者である豊永利行さんと花澤香菜さんがパーソナリティをしている番組です。

最初はぎこちない感じで始まったのですが、徐々に香菜ちゃんの豊永さんに対する無茶ぶりが面白さを感じさせるようになり、さらに進んでいくと、豊永さんのちょっと気取った感じの言葉に、香菜ちゃんが動揺しまくる、という状況が生まれたのですな。

その動揺しまくる状況ってのが実に可愛らしく、また動揺の理由たる豊永さんの言葉ってのが、大した事のないレベルのものであったりするので、ハッキリ言って香菜ちゃんおもちゃ状態だった訳ですわ。
それが何とも面白すぎたのですな。

ファン的にはまさにたまらん状態だった訳ですよ。
花澤香菜ファンで聞いていないのは絶対的に勿体ないです。
何しろ凄まじく萌えますからねぇ。
ゆえに是非とも聞くべきなのです。

ハナザーさん、完全にリアルチョロインですからのぉ。
だってホント「何でそんなんで動揺するの?」という感じの言葉で動揺しまくりでしたから。
香菜ちゃん、あんたチョロイン過ぎるわって感じでしたわ(笑)

あれから時間が経ち、香菜ちゃんも色々成長したでしょうから、少しは大丈夫になっているのかと思っているのですが、それでも駄目なんじゃないかとも思ってもいるので、またあの素敵空間が展開されるのではないかと期待しております。
うむ、配信日が楽しみですわ。

検索したら、香菜ちゃんの動揺ぶりをまとめた動画がありましたので、興味ある方はそれで聞いてみて下さいまし。
実に最高でありますゆえ。

【デレラジ!!part1】


【デレラジ!!part2】


shibachi1 at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年10月10日

永遠の命と限りある命の選択


銀河鉄道999

「銀河鉄道999」では、「永遠の命を得られる機械の体」ってのが描かれていました。

それを観ていた私は、子供心に「あんな体じゃ永遠の命でも嫌だなぁ」と思ったんですよね。

だってグロテスクなんですもん。
だから鉄郎が否定するのも納得した訳です。

しかし現代における機械の体、というか人工の体のイメージって、本物と遜色ない作りに出来る感じだから、その状態での選択となるとかなり難しくなるように思えます。
機械の体がグロテスクだったからあっさり否定できたけど、今の自分の体と遜色なかったらかなり揺れますよ。

そうなって初めて「永遠の命」と「限りある命」の選択って事が純粋にやれるような気がするのですな。
でもそうなると多くの人が「永遠の命」を選びそうな気がするなぁ。

あと大人になってから思ったのは、「性的快楽を失っちゃうのは悲しいんじゃないか」ということ。
人間にとって最大の快楽は性欲でしょうから、それを失う作りにするってのはあり得ない気がしますし。

現代で「999」を作り直すとしたら、美しい肉体で永遠の命を得られた富裕層と、得られない貧乏人の対比になるんじゃないかと。
鉄郎も「俺もあんな美形に生まれ変わるんだ。それで可愛い女の子と永遠にエッチするんだ」とか決意して、メーテルと旅をするのよ(駄目駄目)

「999」だと最後が酷い扱いになるので「人間がいい」ということになる訳ですけど、ちゃんと美形に作り替えて、「メーテルともエッチできます」みたいな展開になったら、そのまま素直に従っちゃったように思えてみたり。

そうしていかにも「永遠の命」の方を選択すると素晴らしい感じがする状況を描いておいて、あえて「限りある命」を選ぶようにした方が、命の選択の描写として説得力が出来ますわな。

とはいえ、共感させるのは難しいでしょうけど。
「メーテルと永遠に生きる命」と、「メーテルと途中で別れちゃう限りある命」
この選択で後者を選ぶことに対する説得力がないといけない訳ですから。
どうすりゃそうなるのか分からんですわ。

自分が年寄りになって死にそうな状況になった時に、「人は限りある命だからこそ美しいのだ」と言い切れる人ってのは相当凄いですよね。
「人工の体になれば、若くて綺麗な状態で、しかも永遠に生きられます」とか言われて、「だが断る」と言える人はどれほどいるのか。

松本零士キャラなら言いそうだけど、大多数の人は人工の体になるだろうなぁ、きっと(笑)
ゆえにあの世界は機械の体の人間が支配しているのでしょう。
実に分かりやすいです。
凄く納得できたのでありました(笑)

shibachi1 at 17:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年08月08日

となりのトトロ メイ死亡説について


となりのトトロ

「トトロ」に出てくるメイ。
そのメイに関して、「実は死んでいた」というような説があったりします。

そしてそれについて議論があるんですよね。
「嘘だ」「本当だ」みたいな感じで。

しかしそうした推測に関して、私は嘘も本当も無いと思うので、凄く虚しいことのように思える訳です。
まあ、作品分析の遊びとして楽しむのなら構わないんですけど、本気で考えちゃうとなると微妙に思える訳ですわ。

そもそも作品の解釈というのは、人それぞれのものでしょう。
自分がその作品を観て、どう感じたかが全てであって、他人がとやかく言うことではないと思うのです。
自分の解釈を無視して、他人がした解釈(作者も含めて)で自分の解釈を変えるなんて変な訳ですよ。

無論、他人の意見で変えるのも自由です。
ある意見を聞いて、自分もそれに同意するのであれば、それは自分にとっても真実になりますから。

しかしだからと言って、自分と異なる意見を「嘘」とか言うのは駄目なことな訳ですわ。
それは単に「自分が正しくて、他は全て間違っている」という考えになりますので。
作品を観てどう解釈するかは自由な訳ですから、「こう解釈しなければいけない」という事は無い訳です。

要は他人が何を言おうが知ったこっちゃねぇ、って意識で居ればいい訳ですよ。
メイが生きていると思えたのなら、そう思えばいいし、それに関して何か言ってきても無視すればいいのです。
そして死んだと思った人には死んだと思わせておけばいいのです。

もし宮崎駿監督が「メイは死んでるんです」とか言ったって、それは作品が語った訳じゃないですからね。
監督が語っただけです。

作品と監督は別物なのですよ。
何しろ監督が何を言おうが、作品の内容は変わらない訳ですから。
作り上げちゃった後な訳で、監督であろうと中身は変えようがないですからね。

ゆえに作外で何を言おうが無駄なことな訳です。
いくら「実はこういう趣旨があるんです」と言っても、そう見えなかったら意味は無い訳ですわ。

そもそも「作中で言葉で説明しないでいる」ということは、「どういうことか感じて下さい」と観ている側に解釈を委ねていることになりますしね。
もし後から言葉で説明するくらいなら、あらかじめ作中で「メイは死んでいる。幽霊になっているんだ」と言わせればいいだけの話ですから。

まあ、作中で言葉で言わせても、観ている側からすれば「実は違うんだ」という解釈も出来たりするので、やはり意味は無かったりする訳ですけど。

作品に関して「これはどうなってるんだ?」と思った時は、自分と作品とで語らないと駄目なのですな。
もし誰かに意外な解釈を言われたら、自分がどう感じるかを、改めて作品を観て問いかければいいでしょう。
「これは本当にそうなのか?」と。
そうやって考えるのが宜しいのではないかと。

それで出た結論がどうであるかが大事であって、そうじゃなく出した答えなんてのは、結局他人の意見に左右されているだけのことな訳です。

死んだと思える人にとっては死んだのが真実だし、死んでいないと思える人にとっては死んでいないのが真実な訳です。
どちらかだけが絶対だとか言うことほど駄目な事はない訳ですよ。

ゆえに「どちらが正しい」なんて議論自体が無意味なのです。
どちらも正しいんですよ、その当人にとっては。

ちなみに私にとっては、メイは生きてますね。
何故ならそれ以外に思えないですから。

色々死亡説の話が出てますけど、私はそれを聞かされても全然そうは思えませんでしたので。
思える人が逆に分からん訳ですわ。
無論こじつけ的に納得は出来ますけど、普通に観ていたら死んだなんて全く思えませんからね。

というか、何でもこじつければ違った解釈は出来る訳ですよ。
よくあるのだと「実は生きていた」なんてのがその典型でしょう。
「絶対死んでるだろこれ」という描写を、後付けで作者が変えちゃうやつですな。
あれは作者だから作中に影響させている訳です。

読者であっても「あのシーンはここがこーだから実は死んでないんだよ」とか言える要素なんてそれこそ山のようにありますしね。
作者じゃないから作品に影響できないだけで。

どんな作品でも生き死にの解釈なんていくらでも出来る訳です。
妄想すりゃいいだけの話ですから。

ゆえにそれを「正しい」「間違っている」とか言うことほど無意味なことはない訳です。
何故なら確定した要素が無い以上、どのようにでも解釈できる訳ですから。

要は他人の意見に流されず、「自分としてどう思うのか?」という意識を常に持つことが大切なのではないかと思います。
これはアニメの話だけでなく、あらゆる世の中の判断において重要なことでしょう。
ゆえに常にそう心がけておくと、人生を楽に生きていけるのではないかと思いました。

shibachi1 at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年08月07日

ご都合主義とキャラの人格


機動戦士ガンダム
SEED DESTINY 10


以前、「流れを断ち切られるのが嫌」という内容の記事を書きました。

その記事は泣きゲーのエッチシーンが何故不要に感じられるかを考えた内容で、結論として上記の理由があるように思えた訳です。

考えてみると、私は普通のアニメとかでも流れが断ち切られるのって駄目なんですよね。
前振りも何もなく、そのキャラではあり得ない行動をするのですね。
そういうのが駄目な訳ですよ。
いわゆるご都合主義ってヤツですな。

ご都合主義は、まさに流れを無視した展開ですからね。
それまでの流れを無視して、「こうしたいからやりました」というのをやられると駄目な訳です。

例として挙げると、種運命のレイの議長への裏切りがまさにそれです。
裏切り自体は凄くいいし、きちんと描けば素晴らしい内容になったと思うんですけど、完全に流れを断ち切る描き方をしてましたからねぇ、あれ。

レイが議長を裏切る理由が何も描かれず、突如として裏切る。
それってそれまで描かれた「議長命なレイ」という流れを断ち切っている訳ですよ。
本来あの流れなら、レイは議長を庇って死ぬ方が合ってるでしょう。
それこそが流れですから。

でもそれが突如として裏切り、さらに議長を殺す。
どこからそうなったのそれ? と訳が分からない。

ゆえにあのシーンはガタガタなんですな。
流れを無視したご都合主義。
まさにレイというキャラに対するレイプにしか思えません。

私はレイのようなキャラが好きで、特定の人間のために全て投げ出して尽くすってのに感動する訳です。
だからこそレイにはその想いを貫いて欲しかった。

ところがそれが変えられてしまった。
いや、変えること自体は構わないんですけど、理由が描かれないのが駄目な訳ですわ。

何故あそこで裏切らせるのか?
裏切らせなければ何も問題なかったし、レイの死を悲しく描けたでしょうに、何故裏切らせたのか。
全然分かりません。

裏切り自体は構わないのです。
そういう展開も好きですから。
あそこまで議長を慕っていたレイが土壇場で裏切る。
そういう展開も萌えです。

しかしそれには流れを作らないと駄目な訳ですよ。
「レイが裏切る流れ」ってのを。

そうした流れ無しでやってもいいって事になると、何でも出来ますからね。
例えば種運命であれば、キラが突如としてアスランを殺すことも可能な訳です。
流れ的には絶対あり得ないんですけど、やれちゃう訳ですよ。
だから嫌なんです。

キャラに対する扱いがぞんざいに思えるから腹が立ってくるんでしょう。
「このキャラはそんなことしないだろ」と思われることをされると腹が立ってくるのですな。

私はそうしたキャラ至上主義で作品を観ている気がします。
制作者といえど、キャラを無視した流れを描いては駄目なのですわ。

よく漫画家や小説家の人が、「キャラが勝手に動き出した。自分が予想しなかった行動をとって、話がこんな風になった」みたいな事を言いますが、それはまさにキャラを大切にしているがゆえに起きることだと思うんですね。

自分の都合でキャラを変えない、キャラを一人の人間として扱っているからこそ起きてくることだと思うのです。

どんな悪役であっても、そのキャラだったらしない事はさせない訳です。
それをしたらキャラとして死ぬでしょう。
ただの操り人形になってしまう訳ですよ。

私はそうした操り人形的扱いが嫌いなんですな。
ゆえにそうした扱いをしていると腹が立ってくる。

作品に対する私の批判的なものは、そういう部分が多いですね。
「このキャラはそんなことしないだろ」みたいなの。
「させたいならちゃんと理由となる内容を描け」ってなる感じですか。

そういう感じで感想を書いていると、何故だかそのキャラ自体を批判されたかのように感じる人がいるらしく、たまに罵られますけどね。

困ったのは「○○はそんなんじゃないんだから。原作ではこう描かれてるんだから。知らないくせに○○を悪く言わないでよ」というの。

私は「描かれてないから駄目だ」と書いているのに、「描かれて無くても理解しないのはおかしい」とか言われちゃう訳ですよ。
無理でしょそんなの。

しかも私が書いているのは、キャラに対する批判じゃなくて、そう描かない制作に対する批判なのに、キャラに対する批判と勘違いしている。
どうしようもないですねこういうのは。

私はキャラに対する批判ってしないですよ。
何故ならどんなキャラであろうと、そのキャラが存在するがゆえにストーリーが成立する訳ですから。
憎たらしいキャラがいなきゃ、そいつを倒す爽快感は生まれない訳で、憎たらしいキャラは居なきゃ駄目な訳です。

嫌な行動をすればするほど、そのキャラは主人公を映えさせるのに役立ちますしね。
例えば「コードギアス」でスザクは批判されまくってましたけど、彼のああした言動があるからこそ、作品的な面白さがあった訳ですし。

スザクが最初からルルーシュに従っちゃったら、面白さはかなり減ったでしょう。
そうでないからこそ面白さがあった訳ですよ。
主人公と感情的に対立する存在が居ることこそが面白さの肝だと思いますから。
ライバルの居ない作品ってのは物足りないですからね。

「SEED」なんかも、キラとアスランの対立ってのが良さだった訳で、それが無くなった終盤は面白さが減ってましたし。

一応クルーゼがいましたけど、クルーゼはキラとの対立の流れが無かったからなぁ。
だからラストの対決ってのが流れ的に微妙だった訳ですわ。
やはりムウと対立すべきでしょう彼は。

そんな感じで、私はキャラというのは一つの人格を持った存在として描いてくれる事を好みます。
現実に存在する人間と同じように考え、悩み苦しみ、喜び楽しむ、そうした存在だと思っていますから。
そもそもそれくらい思わなければ、作品世界に入って楽しめませんしね。

しかしそうしたキャラの人格を無視したような行動をとらせる作品がたまにあったりする訳です。
そういうのを観るたびに、凄く怒りが込み上げてくる訳ですわ。

私は現実でも本人の意思を無視して強制的に従わせる行為というのが嫌いなので、制作者であっても、キャラに対してそういう事をしているのを観ると腹が立つのでしょう。

まあ、最近はそういう事をしている作品は観ていないのですが、今後もそうである事を願います。

shibachi1 at 17:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年07月26日

はたらく魔王さま! 何故魔王は人助けをするのか?


はたらく魔王さま! (2)

エンテ・イスラでは、残虐非道な存在として恐れられ、憎まれてきた魔王。
しかしこちらの世界へ来てからは、人畜無害どころか、凄くいい人として存在しています。

これは一体どういうことなのか。

何かあまりに別人すぎるのですが、作中では描かれないので、どうなっているのかちょっと推測してみました。

まず、「実は魔王は悪いことはしてなくて、人間がやった事を情報操作でやった事にされていた」という場合。

それならこちらの世界へ来てからの魔王が善人である理由が分かりますね。
元々善人なので、普通に行動していれば善人でしかない訳ですよ。

でもそれだとキャラとしての重みが消えるからつまらんですな。
「元悪」というのは引きずってもらいたいものです。

というか、あれだけ酷い存在として登場したルシフェルが、魔王に叩きのめされた後に悪の要素が消えてしまった事を考えると、この作品は「元悪人を特に理由もなく善人に変わったものとして描く」というスタイルなのかも知れません。
何か悪魔とかそういうのが、「昔ちょっとやんちゃしてました」レベルにされているというか(笑)

実際「何でエンテ・イスラで非道の限りを尽くした魔王なのに人助けするんだ」みたいなツッコミに対し、魔王は「あの頃は人間がよく分かってなかった」みたいな軽い感じで流してましたしね。

「人間に酷いことをしていた」ことに対する罪悪感は表現されていない訳ですよ。
そこが何か違和感を覚える部分なのですな。
現在人間に対して好意を抱く、しかも知り合いですらない相手に対してですら及ぶ、博愛的な精神を持っているとなると余計にね。

物語的に「悪人が善人になる過程」ってのは凄く魅力的だし、見せ場だと思うんだけど、そこが一切表現されていないのですよ。
「過去酷い魔王でした」に関しては、人間性としての見せ場ではなく、ギャグとしての見せ場でしか使われていないんですよね。

というか、悪魔側の内面描写が無いですのですなこの作品。
エミリアやちーちゃんのような、周囲のキャラの内面はよく描かれてますが、魔王を筆頭として、悪魔側の内面が描かれていないのです。
悩み苦しみみたいなものが描かれていない訳ですよ。

ゆえに自身が善人になったことに対して、魔王たちがどう思っているのかが分からない。
描かれるのはあくまで「そうした魔王を見ている側」の内面ですから。
まさに人間側の視点として、「悪魔ってのは訳が分からない」という、ある種の恐怖を描いているような気もします。

悪魔側の内面が描かれない以上、後でいくらでも変えられるという利点がありますな。
「実は善人ぶりは、目的を達成するための演技でしかない」という事にするのも可能なので。
何しろ内面描写が無い訳ですからね。
視聴者にも魔王達が何を考えているのか分からない訳ですよ。

何より悪魔ですしね。
人間をたぶらかし、騙くらかすなんぞお茶の子さいさいと言えるのかも。
そういうオチになったら凄い作品になるでしょうな。
もし作者が虚淵さんならしそうだけど(笑)

七夕かなんかのネタで、「無意識に集団心理を操作していた」というのがありましたが、あれを大規模にやれば、日本なんかあっという間に支配できるでしょうしね。
それをやるために魔力を溜めようとしていると考えても宜しいでしょう。

人間を殺さず、逆に助けたりするのも、「自分が支配する対象を大切にする」ということであれば納得ですし。
悪魔って、直接的に人間を殺したりってイメージあまり無いしなぁ。
どちらかと言えば、人間の欲を刺激して自滅させる感じ?
つまり目的利用に人間を使う感じですか。

そういう発想でいけば、魔王が人間を殺さず、逆に助けるのも納得ですよ。
利用できるものが余計なことで潰されるのは腹立たしいでしょうから。

「エンテ・イスラで人間を殺したのは、あくまで人間側が仕掛けてきたから」という感じで、自分たちの命が危ないから仕方なく殺してきたけど、本当は殺さずに利用したい、という感じだったりして。

ゆえにむやみに人間を傷つけて魔力を得ようとしたルシフェルのやり方が気に食わないのでボコりまくったとかね。
ここでもルシフェルを殺さない訳で、命を大切にする意識が感じられますわな。

ちーちゃんを助ける際の理由でも語られてましたが、「自分の部下」つまり身内を大切にする意識が強いから、酷いことしたルシフェルに対しても世話焼いたりする訳でしょう。
それが世界というレベルになれば、人間を大切にしてくれる支配者になりそうな気がします。

エンテ・イスラの権力者の様子を見るにつけ、人間が人間に対して酷いことをしている訳だから、そういう相手に怒りを覚えるのも当然に思えますしね。

つまり魔王は何も変わっていないというか。
酷い印象は情報操作ゆえ、ってのが真相なのかも知れませんな。

実際戦争をしていた描写はあるけど、「残虐非道な行いをしていた」という描写はないんですよね。
エミリアの悲嘆なんかは、別に相手が魔王でなくても、人間同士の戦争でも起きることな訳ですし。

魔王が世界征服をしたいのは本心。
そして善人ぶりは、支配する人間を大切にするゆえ、として考えると、何か納得できてみたり。

本質的な意味で、人間に酷いことをするかどうかは世界を支配してからの話ですかな。
まあ、酷いことといっても、悪魔がするのは人間の自業自得なオチが多い訳ですが。

そういや悪魔って何食べて生きてるんでしょうね。
こちらの世界へ来た時に、「人間は食べ物を食べる必要がある」ってんで驚いていた訳だけど。

もしかして魂なのかしらん。
それならまさに人間牧場を作ろうとしている感じですか。
家畜は大切にするもんなぁ。

とか色々考えている訳ですが、あんな脳天気ギャグアニメを観て、こんな事を考える人って他に居るのかしらん。
いや、妄想が膨らんで楽しいんですけどね。

shibachi1 at 09:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2013年07月10日

罪悪感の表現

以前、「男子高校生の日常」を見ていた時に、「偶然女の子のパンツを見てしまって罪悪感に襲われる」という話がありました。

その話を見ていて思ったのは、「こういうのって、これまであまり描かれなかった男の心理だよなぁ」ということ。

男ってのは、女の子のパンツを見てみたいと思ったりする訳ですが、実際に見たら罪悪感に襲われる場合がある訳ですよ。
悪いことをしないようにしようと思っている人であればあるほど。

この「悪いこと」ってのには、別に法律に触れることだけではなく、「相手が知ったら嫌がること」も含まれる訳です。
ゆえにパンツを見られた女の子の気持ちを考える人ほど罪悪感に襲われる訳ですな。

それと「そんなことをしちゃった自分が恥ずかしい」と思える人もですね。
ゆえに「パンツ見たって別にいいじゃん」としか思わない人には縁のない話になるでしょう。

人間の心には、そうした「考えるのはいいけど、現実でやるのはどうよ?」という意識がちゃんとあって、パンツが見たいからと言ってそうそう実践できるものじゃない訳です。

やれてしまう人は、どこか常識がないのでしょう。
倫理・道徳的な意味でもそうですが、他人が嫌がることをする場合、心のブレーキがかかるのは当然ですから。

漫画やアニメで性欲に正直なキャラが覗きをしたりしますけど、あれは現実じゃできないことをやるからこそ面白いんであって、現実にやっている人がいたら軽蔑の対象でしょうね。
男からしても。

現実であれば、覗かれた女の子の中には、心に傷を負う子もいるでしょう。
何しろ見られたくないものを見られちゃう訳ですから。

しかしアニメや漫画では、覗きをされた女の子が本気で苦しむような描写はありません。
大抵怒ったり、仕返しをしたりしてそのことを流しちゃいますので。

そう、流しちゃうのですよ。
心に傷を負ったりはしないのです。
だから視聴者・読者も気楽に覗き行為を楽しめる訳ですな。

アニメや漫画で、覗かれた女の子が本気で苦しむような描写が展開された場合、覗いたキャラは視聴者・読者からも否定されるでしょう。
何と酷いことをしたのだと。

だからアニメや漫画では、そうした部分では流す処理をしちゃう訳ですな。
「怒りをぶつけられる」という形で。

今回そういう事を考えてみた時に、アニメや漫画では故意にやる覗きって多いよなぁ、と思いました。
主人公がスケベキャラだとそうなっている訳ですが、現実でやっている状況を想像すると、とんでもない行為だよなぁ、と。
学校は退学、下手したら警察に捕まる状態になるでしょうからね。

そういう事にならず、ちょっと仕返しされる程度で済むアニメや漫画の世界は、実に幸せだなぁ、と思ってみた次第。

shibachi1 at 11:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年06月28日

姉キャラの見せ方

姉萌えというのがあります。
年上の女性キャラに萌える状態ですね。

私もその姉萌えではあるのですが、実姉設定の場合、恋愛対象として描かれるのはあまり好きではありません。
何故なら恋愛対象になってしまうと、家族としての姉の良さが消えてしまう場合が多いからですね。

私は実姉は、あくまで家族としての良さを見せて欲しいのですな。
だから恋愛対象として描かれる内容の場合、実姉ではなく、幼馴染のお姉さんの方が良かったりします。
何故なら最初から他人として接しているからですね。
家族ではなく、他人のお姉さんとして萌えられる訳ですわ。

でも一般的な姉萌えでは、そうした他人のお姉さんに求めるものを、実姉にも求める人が多いように思えます。
それは家族としての姉を求めているのではなく、恋愛対象としての姉を求めているからでしょう。
だから「こんな姉なんかいねぇよ」みたいな感じの、家族とは思えないような態度で接してくる姉の設定が多くなるのではないかと。

私はそういうの苦手なんですよね。
実姉は、あくまで家族としての姉の良さとして萌えたいので。
姉として愛するのは良いが、恋人的になると微妙になっちゃうのですよ。
それって姉の良さが消えちゃいますから。
姉はあくまで姉であって欲しい訳です。

だから恋人にするなら、幼馴染のお姉さんとかの方がいいのですわ。
何故なら他人であれば、恋人になっても変わらないですから。
幼馴染のお姉さんは、ラブになっても幼馴染のお姉さんでしかないですからね。

萌えられる姉キャラ、というか姉弟関係としては、「ケロロ軍曹」の姉弟が良いですね。
夏美姉ちゃん大好きです。
普通の姉弟って感じで描かれているので萌えるですよ。
あくまで弟として可愛がっているって感じが凄く伝わってくるので、観ていて萌えるのですな。

これが惚れた男に接するような態度を弟にとられてしまうと微妙になる訳です。
でもそういう感じになっている作品って多かったりするんですよね。
特に姉萌えを狙っているような作品だと。

思うにやはり多くの姉萌えの人は、姉弟関係を簡易な恋人関係として見ているように思えます。
つまり姉弟関係が良いのではなく、恋人関係の形態として「姉のような相手」を求めているというか。

この場合の「姉のような」というのは、あくまでその人が抱く「こういう年上女性がいい」という意味であって、「実際の姉」という意味ではないように思えるのですな。

そもそも姉というのは家族であって、恋愛対象じゃない訳だから、そこに理想の女性を求めてはいけない訳ですよ。
それは恋人の理想像であって、姉の理想像ではないのですから。

例えば私は夏美姉ちゃんは姉としては好きですが、女の子としては好みじゃない訳です。
姉であるからこそ良いのであって、そうじゃなきゃ萌え要素が無い訳ですわ。

そういうのが本当の意味での実姉萌えなんじゃないかと思った次第。

shibachi1 at 09:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年06月27日

アニメの感想と自己分析

こちらのまとめ記事を読むと、漫画の編集者で、どうにも伝えたいことを伝えられない人がいるみたいです。

自分の想いを他人に伝えるには、ちゃんと話さないと駄目ですからね。
自分の意思、というか出版社の方針に内容を直させるのが仕事の編集者が「自分で考えろ」じゃ困りますわな。
それじゃその編集者のやりたい方向へ変えられる訳がないでしょう。

編集者には自己分析能力も必要という事でしょうね。
自分がどうして微妙に感じたのか、どうすれば面白く感じられるのか、そういった自分に対する分析。
あとそれを表現する能力ですか。

日本人はそういう訓練を受けてないから苦手なんじゃないかと思います。
学校の読書感想文でも書き方って習ったことないですし。
いきなり「感想書け」だけでしたからねぇ。
それじゃどうすればいいのか分かる訳がないのですよ。

アニメの感想なんかでも、あらすじを長々と書いて、最後に「面白かった」とかしか書かない人がいますけど、あれもそういう事が理由なんじゃないかと思ってみたり。

もちろん書けるけど書かない人は別です。
書きたいけど、どういう風に書けばいいのか分からない人の話ですね。
以前沢山の感想を見て回った時に、やたらとあらすじだけ書いている人が多かったので感じたのですな。

データベースとしてあらすじを書いているのならともかく、あらすじというのは感想にはあまり要らない部分ですからね。
ちょろっと書くのならともかく、記事の8割とか9割を占めていると、どういう意図で書かれているのかと思う時があります。

自分の想いを伝えるには語る事が必要な訳ですよ。
アニメの感想で「面白かった」と一言書いたとしても、どこがどう面白かったのか分からないですから。
だから感想では「ここがこうだから面白かった」と書く訳ですが、そうする事が分からない人が多いのではないかと。

読書感想文では、本文を丸写しして「ここが面白かった」とか書いて終わるパターンがありますが、あれは本来「ここを自分はこう感じたから面白かった」にしないといけない訳です。
「こう感じた」が本来感想文で必要な要素なのに、それが抜けてしまっている訳ですわ。

でもそういう事を教わらないし、訂正もされないから延々とそういう読書感想文になってしまうのでしょう。
そしてそのまま大人になるから、いざアニメの感想を書こうとしても、「あらすじ+面白かった・つまらなかった」な書き方の人が多くなるのではないかと思った次第。

shibachi1 at 09:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年06月14日

過去をやり直すことへの嫌悪感

「まどか☆マギカ」に関する話とかを読んでいると、「みんなが仲良く幸せにしている図」みたいなのを求めている人がいたりします。

やはりそういった状態の方がいいって事なんですかねぇ。
私は悲惨だからこそ面白かったんですが。

「まどか☆マギカ」ってホント酷いですよね。
報われない話ですよ。
優しさを売りにしていたまどかですら、ほむらの想いをないがしろにしてどっか行っちゃった訳ですし(笑)

そうした悲惨な部分が萌えな訳ですが、一般的にはインパクト要素でしか無いのかも知れません。
最初に観た時はインパクトとして悲惨を楽しむけれど、少し経つと「悲惨は要らない。日常系の仲良し話がいい」という感じで、悲惨じゃない二次創作や妄想話を考えたりするような気がしますので。

放送中も「マミが生き返って欲しい」とか言う人がいましたけど、生き返ったら台無しですよね。
死が軽くなりますから。
アニメや漫画では当たり前みたいな感じになってますけど、実際は死んだら終わりなんですよ。
生き返る方がおかしいんです。
だから安易に生き返らせちゃ駄目なのですわ。

過去を嘆かない、振り返らない。
前を見る。
前を見て進む。
障害という名の壁があったら突き破って進む。
こうだったら良かった。
ああだったら良かった。
そんな過去に縛られた言葉は、前へ進む気のないヤツの言い訳だ。

好きな人が死んだら悲しい。
誰だって悲しい。
だがそれが嫌だからと過去を変えるのはいいことなのか。
そんな生き方でいいのか。

過去をやり直せるからってやり直していいのかよ。
そんなのはおかしい。
何かがおかしい。
間違っているように思える。
理屈じゃないんだ。
感覚なんだ。
俺が、俺が嫌なんだ。

以上、「スクライド」を観ていて起きてきた思考です。
別にそのものずばりの台詞がある訳じゃないですけど、そういう生き様を描いた作品に思えるんですよね。
だから好きなんですけど。

私は過去を変えてやり直そうとする話ってあまり好きじゃないのですよ。
意識が後ろ向きだからでしょう。
やはり前向きに生きたい訳ですわ。

そういう意味で、過去を何度やり直しても報われなかった「まどか☆マギカ」は好きな訳です。
自分の都合に合った現在を作るために過去を何度もやり直す。
そんな後ろ向きな思考は好きじゃないですから。
ゆえにあのラストは素晴らしかったですね。
過去に固執して生きるなど、おかしいですよカテジナさん。

「いちばんうしろの大魔王」もそうでしたね。
何度も何度もやり直しても、決して過去は変わらない。
同じ結果になる。
だから過去に縛られた人間は腐っていく。
どうしても駄目になっていく。

ゆえに観ていて辛いのだ。
そして嫌なのです。

現在の否定。
それが嫌なのでしょう。
今の自分を否定して、どこかにある理想的な自分を求める。
そうした逃げの思考が嫌いなのでありますわ。

shibachi1 at 10:15|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2013年06月07日

思春期的意識とアニメ・漫画


サラリーマン金太郎 1

憧れの対象に完璧さを求める。
世の中にはそうした状態になる人が居たりします。

自分の理想である「こうじゃなきゃいけない」みたいなモノを憧れの対象に求める訳ですな。
つまり自分の中にある幻想を相手に押しつけようとする訳ですわ。

そういうのってのは、思春期的な部分に思えるんですよね。
思春期って理想を求めるように思えますから。

そこら辺は、前に書いたアイドルやアニメキャラに清純さを求めるのに似ている気がします。
つまりそういうタイプの人は、思春期から抜け出せていないってことかも知れません。

幻想を求めてしまうのが思春期ですかね。
「現実を知って大人になる」なんてよく聞きますし。
つまり現実よりも幻想に重きを置いてしまう人は、未だに思春期って事でしょう。
嫌な言葉で言えば中2病(笑)

私はかなり冷めた子供だったので幻想には染まりませんでしたね。
「アイドルだろうが普通の人間」って意識がありましたし。

アニメの中の人も幼い頃から認識してましたしね。
ドラえもんなんて、幼稚園の頃から大山のぶ代さんが声やってる絵だと思っていた訳ですよ。
戦隊ヒーローショーに連れて行かれた際は、「どうせ変身前の役者さんは来ないから偽物だよね」とか思ってましたし。

そういう子供だったので、「ドラえもんには中の人などいないと思っていた」という発言を聞くと驚いたものです。

要は幻想と現実をごっちゃにしない子供だった訳ですわ。
幻想を幻想として楽しむのは大好きだったですけど。

反抗期が無かったのもそのせいでしょうね。
反抗期って要するに理想と現実のギャップに憤るものでしょうから。
私は現実はそのままそういう物だとして受け入れて、特に不満を感じなかったので、反抗する対象が無かったのですよ。

親が理不尽な事をしてこなかったのも大きいでしょう。
でも同じ親に育てられた姉は反抗期が物凄かったから、外的要因は関係ないのでしょうな。
あくまで問題は内的要因なのでしょう。

もしかしてアニメに対する不満の表現ってのも、私とこの種の人とでは違うのかな?
批判的な内容を書いた場合、私はあくまで「自分が何故不満に感じたのか」の話だけど、この種の人は「だからこのアニメは駄作で、駄目駄目だ」という事を言いたいとか。

私は自分がつまらない作品でも、別にそれで構わないですからね。
「その作品はそういうものだ」と思っているだけなので。
でもそうじゃない人は、作品自体に敵意をぶつけるために不満点を書いているのかなぁ。

「こうあるべき」という幻想を優先させるがゆえに、そうじゃない現実に憤り、作品に対して敵意を抱く訳ですよ。
それが何か反抗期的な意識に思えるのですな。

私は「現実はこうなんだからしょうがないじゃん」と思いますからね。
そこから「でも何で自分はそれが面白くなかったのだろう?」と考え、作品を作った制作者との意識の乖離を考える訳ですよ。

そもそも面白く感じている人間もいる訳だから、面白さというのは絶対的なものじゃない訳です。
だから作品の分析だけでは、面白さ・つまらなさの理由ってのは見つからない訳ですわ。

作品はあくまで現象として存在し、その現象を観ている側がどう感じるかで、面白さ・つまらなさが決まる訳です。
だから作品自体に面白さの理由は無い。
理由はあくまで自分自身な訳ですよ。

でもそうした自分と合わない作品について、思春期的な意識の人は存在が許せない訳でしょう。
自分の幻想(面白い作品)ではない現実(つまらない作品)が気に食わない訳だ。

それは作品に限らず、他人の感想でも同じなので、気に食わない感想を書いている人間に対して罵ったりする訳ですな。
やっている事は中学生的な訳ですよ。
実際中学生もいるかも知れませんけど。

結局根本にあるのは、気に食わない存在を認められるか否かな訳で、それが出来ないのが思春期的な意識という事なのではないかと思う訳です。

大人ってのは「自分が気に食わなくても我慢できる」って感じがしますからね。
実際そうじゃなきゃ社会で生きていけない訳ですし。
上司が気に食わないから文句言いまくったり、態度を悪くしてる人が居たら周囲にどう思われるかって事ですな。

アニメでも主人公である子供は、そうした我慢が出来ないから暴れまくっていく訳で、それが爽快感にもなっている訳です。
しかしそれは裏を返せば「現実では出来ない事だから、それをしてくれるのが気持ちいい」って事になる訳ですわ。

昔「サラリーマン金太郎」なんてのがウケましたが、あれって内容を分析すると、「世の中、コネと個人的暴力が無ければこうは上手くいかない」って感じになってるんですよね。

主人公の金太郎は、何かしようとすると、自分を可愛がってくれている金持ちや権力者達が面倒をみてくれますし、個人的に殴りかかってきた相手は、やり返してぶっ倒してましたから。
どちらも普通の人が持っていない要素な訳ですな。

コネはともかく、あんなにポンポン人を殴っていたら、普通は訴えられて警察行きでしょう(笑)
現実では出来ないからこそ、それをしてくれる金太郎はカッコいい訳ですわ。

そうか、あの作品は思春期的な意識のままで活躍するから面白いんだなぁ。
まあ、大人的な行動で上手くいく展開になっていれば別の意味で面白い訳ですが。

少年漫画的な思春期的意識をサラリーマンの世界に当てはめた訳でしょう。
そもそも元暴走族のリーダーが大手企業に就職していく話な訳で、普通じゃないサラリーマンだから、大人的な対応をしなくても構わないし、だからこそ「もっとやれ」と応援も出来るのでしょうね。
これが普通に大卒のサラリーマンがやっていたら微妙感が出たに違いないです。
本宮ひろ志先生はさすがであります。

理想と現実のギャップ。
それを乗り越えて大人になっていく訳ですが、ネットなんかを見ていると、乗り越えずに暴れまくっている(笑)人が結構いるので、中2病ってのは蔓延しているのだな、と思ってみたりした次第。

shibachi1 at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年06月06日

アニメ・漫画キャラへの処女性のこだわり


かんなぎ (4)

女性キャラの中に、時々「ビッチ」と呼ばれるようになるキャラがいます。
あっちの男こっちの男とフラフラしていたり、性に積極的なイメージのある女性キャラですね。

同じタイプの男キャラがほとんど責められないのに比べ、女性キャラの場合はそんな蔑称を付けられ、責められる場合が多いように思えます。

例えば「かんなぎ」では、原作で「昔男と付き合っていたらしい」みたいな事が描かれて騒ぎになりましたし。

あれは不思議でしたねぇ。
何故なら「かんなぎ」のヒロインであるナギは、ロリババァだからです。
ロリババァ、つまり見た目よりも遙かに歳をとっているキャラな訳で、そりゃ男くらい居ただろうし、性体験だって沢山あると思うからです。

そうしたキャラ設定なのに、昔男と付き合っていたらしいってんで騒ぐのはどうなのか。
というか、「見た目は子供、中身は大人」こそがロリババァの魅力であるのに、それを否定するような指摘は意味不明な訳ですよ。

清らかな感じで描かれているキャラが「実は処女じゃありませんでした」ってのはショックでしょうけど、最初の設定からして処女じゃない事を匂わせるように描かれている場合は、こちらの勝手な思い込みが原因だから責めるのはおかしい気がする訳ですわ。

まあ、自分が凄く好きなキャラが処女じゃなかったという事だけで悲しんでいるのかも知れませんけど。

試しに私の萌えキャラが処女じゃなかったとして想像してみますか・・・

・・・

ショックが無い・・・

私が一番好きな「ファントム」のアインからして、すでにマスターにヤられてる雰囲気がありましたからねぇ。
「いちばんうしろの大魔王」のころねも仕事でしてそうな感じがするし・・・
ふむぅ、私は処女性では惚れんという事ですかな。

「パーム」という漫画では、思春期に目覚めた男の子が、「初めてデートした女の子に、昔付き合っていた男が居た」というのを知って怒るシーンがあるのですが、アニメ・漫画ファンの処女性を求める感覚ってこういうのになるんですかね。
要は思春期の純真な心?

言わば偶像化ですよね。
人間として見ないというか。
人間として見ないから、付き合った男が居ると許せないのでしょう。
アニメキャラは人間じゃないから、付き合った男が居たらいけない訳ですよ。

女性が描く作品だと、「昔男にヤられまくった私を愛してくれますか?」というような展開があったりしますが、これは「人間として自分を愛してくれますか?」という問いかけになっているんでしょうね。
「可愛さ」という偶像的要素ではなく、自分を人間として見て、愛してくれているかの。

女性はそうして人間として愛してくれる事を求める傾向があるように思えます。
男が女性に対して外的要素を重視する傾向があるから、余計そうなるのかも知れませんが。
ゆえに「自分がいいのか」「容姿がいいのか」って事を気にかけるのかも知れません。

容姿、というか女性的価値(男の考えとして)の処女性が失われても自分を愛してくれるのか? という問いかけとして、「男にヤられまくった過去」みたいのが出てくるのでしょう。
そこで引いちゃう男は、しょせん人間として見ていないという事で駄目な訳ですな。

「電影少女」の二部でもやってましたなぁ。
凄くウブで大人しめの女の子が、実はもうセックスしちゃってたっての。
そんで主人公は引く訳ですよ。
まさに思春期の心(笑)

エロゲーで「処女かと思ったら処女じゃなかった」というので問題になった事がありますけど、エロゲーって最終的には処女じゃなくなる訳だから、処女を重要視しているとしたら意味不明なんですよね。
そういう人はエロゲー自体やったら駄目っしょ(笑)

つまり処女じゃない事が問題なんじゃなく、「自分が最初の男になれなかった」ってのが問題なんでしょうな。
要は独占欲ですか。

アイドルの場合は、「どうせ自分のものにならないんだから、他の男のものにもなるな」って意識があるから、男と付き合うと怒る訳でしょうし。
自分がその付き合う男になるなら嬉々として付き合うに違いないです。

アニメのキャラでも、処女性を重視する人はエロ同人誌とか興味持っちゃ駄目な訳ですよ。
そんなもんがあったら腹立てないといけません。
でもエロ同人誌に腹立てている人ってあまり聞いたことないですからねぇ。
同じようにセックスしてるのにこの違いは何なんでしょう。

主人公が相手ならまあ、読者の感情移入対象だから良いとして、相手が違う男だった場合、これは怒りの対象になるんじゃないかと。
でもあまり聞かないんですよねぇ、そういう話。

「エロ同人誌は、あくまで自分が妄想を広げるための道具であり、事実ではない」という事なのかな?
さっきも書きましたけど、自分が汚す場合はOKなんでしょうから。
つまり自分が好きなキャラとセックスするのであって、そこに描かれている男キャラは存在しないものだという意識ですかね。
あくまで自分がしているつもりになるための代替品って感じですか。

エロ同人誌はそういうものなのかと思ってみたり。
要は別物、別世界の出来事って事ですかね。
本編とは別なので、そこで自分が自分の好きなキャラを汚すのは構わないってことなんでしょうか。

「処女を求める」ってのはやはり独占欲なのでしょうな。
自分が汚すのは良いが、他人がするのは駄目という。

何というか自分勝手な話ですが、考えてみればアニメのキャラなんてのは実在していない訳だから、いくらでも自分勝手に扱っていいのかも知れません。
まあ、他人に見せる場合は嫌悪感を持たれる場合もあるので注意が必要ですけど。
それ以外は好きにすればいいんじゃないかと思ってみた次第(笑)

shibachi1 at 15:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年05月30日

SF要素の見せ方


ノエイン
もうひとりの君へ〈1〉


ループとか世界線の移動とか、最近のアニメではSF要素を扱った作品が増えてきています。

その中で私的にお気に入りなのは、「ノエイン」ですね。
あれは良かった。

「まどか☆マギカ」のループの悲しさや、「シュタインズゲート」の世界線の移動とかが好きな人なら楽しめると思います。
個人的に一番好きなのですよ。

何でかと言えば、作品の見せ方として、世界の広がり、悲惨さ、ラブ、萌え、というのが私好みになっているからですね。

ヒロインは小学生ですし。
可愛いのです。
入浴シーンが気合い入っているのも素敵な要素なのですな(ロリコン)

「ノエイン」は良作だと思うのですが、世のアニメファンにはあまり知られておらず、当然のごとくあまり評価されておりません。
そこで何故そうなっているのかの理由について考えてみました。

まあ、一番の理由は「観ていない」ってのがある訳ですけど、どうして観ていないのか。
それはキャラの魅力の弱さのせいかな、と。
いわゆる萌え的な絵ではありませんからね。
そのせいで観てもらえなかったんじゃないかと思った訳です。

それから内容的なポイントとして、「SF色が強い」ですか。
何故か知りませんが、世のアニメファンはSF色が強いのを忌避する傾向があるようですから。

ループ要素を入れてヒットした「まどか☆マギカ」や「シュタインズゲート」では、SF要素があり、重要な要素にもなってはいる訳ですが、印象的には弱いんですよね。
他の要素、つまりキャラの魅力の印象の方が強く、SF要素はキャラを立てるための要素として使われている気がしますので。
メインはSF要素ではなく、キャラの魅力って感じな訳ですわ。

それゆえSF要素があっても受け入れやすくなっていて、SF要素が苦手な人であっても、キャラの魅力で引き込むことが可能になっているのではないかと。
「涼宮ハルヒ」なんかも思いきりSFな作品ですけど、あれほどヒットしたのはSF色を薄めたからに思えますし。

昔のオタクであれば、SF色が強ければ強いほどハマったように思えますが、今は違うのですな。
そういうのだけじゃ駄目なのですよ。
まあ、今のオタクの定義って「アニメファン」って意味ではあるので仕方ないのでしょうけど。

ゆえに「まどか☆マギカ」のループについて熱く語っている人が居たとしても、「ノエイン」は観ていなかったりする訳ですよ。
それはSF要素に惹かれている訳ではなく、キャラに付随するものとしてSF要素を楽しんでいるためにそうなるのでしょう。
だから「同じくループを扱っている作品を探して観る」みたいなオタク的発想は起きない訳ですな。
あくまで自分の好みの作品しか興味を持たない訳です。

SF要素が楽しいからループに惹かれるのではなく、キャラの魅力の一つとしてSF要素が絡んでいるから惹かれる感じですか。

そうした見せ方をしたので、「まどか☆マギカ」はSF色が出ていてもウケたのだと思います。
「女の子同士の百合的要素」が基本で、それを盛り上げるための障害としてループが描かれたというか。

「涼宮ハルヒ」にしても、「楽しい学園生活」を盛り上げるための要素としてSF要素が描かれている感じですし。
つまりメインはSF要素じゃない訳ですわ。

他の何かを盛り上げるためにSF要素が絡んでくると受け入れやすいんでしょう。
ゆえにSF要素が強く感じられる「ノエイン」のような作品の場合は、あまり興味を惹かないのではないかと思った次第。

ちなみに「ノエイン」ってのはこんな作品です。
カッチョいいMADですなこれ。

shibachi1 at 11:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2013年05月29日

何故アニメを観るのか

タイトルの事について、ふと考えてみました。

私的には、自分好みの話・表現があるからでしょうね。
だから同じ理由で漫画も読む訳です。
要は中身の問題な訳ですよ。

以前はハリウッド映画も好んで観ていましたが、いつの頃からか好みの作品をやらなくなったので観なくなりました。
同じ理由で日本のドラマはまず観ないです。

ありがたい事にアニメや漫画では、私好みの作品が途絶える事がなかったため、これまで延々と観続ける事が出来ました。
もし無くなったら、アニメや漫画であっても観なくなるでしょう。
私はアニメや漫画という表現方法が好きなのではなく、そこで描かれる内容で好みのものがあるだけですから。

ゆえにこれだけ多くのアニメが放送されていても、実際観ているのは5、6作品な訳ですし。
私の好みに合うのは実質それだけな訳ですね。
もしこの数がどんどん減って無くなってしまえば、放送中のアニメは観なくなるでしょう。
まあ、過去の作品は観ますけど。

よく「このアニメで私はオタクになった」みたいな発言を目にしますが、私は幼い頃からアニメに対するテンションが変わらないんですよね。
同じようにして観ている。
テレビが好きだったから、テレビ番組の一種類として観てきた訳ですわ。
それは今でも変わらない訳です。

以前は映画・ドラマ・バラエティと沢山観ていましたが、どれも私にとって面白い番組が無くなったため観るのを止めてしまいました。
アニメはただそうなっていないだけの話な訳です。
そういう流れでアニメを観続けてきたので、「これが私をオタクにした作品だ」というのが無いのですわ。

「アニメを卒業する」「アニメに戻ってきた」というのも分からない感覚なんですよね。
別に卒業しなくても、面白そうなら観ればいいし、つまらないなら観なければいいだけの話ですから。

私も映画は観なくなりましたが、別に卒業した訳じゃなく、好みの作品が無いだけですからね。
好みの作品が出てくれば観るのですよ。

バラエティ番組も大好きでしたが、今や面白くない番組ばかりになってしまった。
自分の時間を費やすほどの価値を見いだせないのですな。
そんな番組を観ているなら、面白い過去のアニメを観た方がいいや、となってしまった訳ですわ。

もしかして「卒業する」「戻ってきた」という言い方をする人たちってのは、「アニメを観る」というのを特殊な行為として考えているんですかね?
自分の中で区切りを付けないと観られないし、観るのを止められないというか。
だからオタクを止めるとなるといきなり全く観なくなり、オタクを再開すると大量の作品を観始めるという事なんでしょうか。

アニメオタクという世界に入るか否かがポイントなんですかね。
私はそういう意識がないから分からないんですけど。
趣味がアニメってだけだからなぁ。
何かを自分に課してアニメを観ている訳じゃないですから。

ゆえにこのまま爺になっても、好みの作品が有り続ける限りアニメを観続けるでしょう。
好みの作品が無くなれば明日にでも放送中の作品は観なくなる訳ですよ。
過去の作品は大好きなのがあるから観続けますが。

もっと気楽にアニメを観てもいいと思うんですけど、何か気合い入れている人の方が多いってことなんでしょうか。
難しいこってす。

shibachi1 at 19:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年05月16日

少年が大人の世界を従える快楽

私にとっての快楽は、「上の存在を従える」みたいな部分にある気がします。

いきなり訳の分からないことを書きましたスミマセン(笑)

いや、アニメでたまにある、「世界の命運を争っているのに、大人がほとんど絡んでこない作品」を微妙に感じる理由がそこにあるのではないかと思ったのですよ。

上の存在を従える快感、つまり世界を牛耳っている大人という存在を、社会的に下であるはずの少年が従える部分に面白さを感じるように思う訳ですわ。

大人が絡まない、つまり安易に従えることができてしまう世界を従えたところで、何が凄いのかと思いますからね。
障害が無いんだから、そら子供でも従えさせられるだろうと思いますので。

特に設定がリアルな場合だと余計思う訳ですわ。
「何故この作品世界では、子供が勝手な事をしていても大人が邪魔をしないのか」とね。
現実なら子供はそうして大人に抑えられる訳ですし。

作品世界が狭いのならいいんです。
学園物とか。
でも世界を舞台にした国家間の争いだとか、大人社会を下敷きにしたような設定の場合、大人がほとんど絡んで来ないと嘘くさく思えてしまう訳ですわ。

というより、そんな世界を従えたところでお山の大将、ガキの世界の一番みたいな印象しか持てない訳です。
外には大人が支配するおっかない世界があって、しょせん支配できたその世界は子供だから支配出来ただけ、みたいな感じがするというか。

最近のヒット作だとそうした傾向、大人の排除が多いんですけど、私はそのせいで世界が子供の世界に見えて、いくら「世界を支配する」とか言われても何か楽しめない訳です。
快楽が無い訳ですよ。

要は学園物のノリなんですよね。
「学園の覇権を巡って争う」ってのを、世界レベルの見せ方にしているというか。
世界レベルの話なのに、ノリは学園物。
そこに違和感があり、楽しめない訳ですな。

やはり世界を舞台にするなら、そこを牛耳る大人を描いて、それを打ち破る展開にしてくれないと楽しくありません。
そうするからこそ、子供という下の立場が大人という上の立場をぶっ飛ばす形になって、凄く爽快感が得られると思いますので。

最近そうした作品を見ないので、やってくれる事を期待しますわ。

shibachi1 at 19:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年04月25日

感想とは何ぞや

この記事を読んで思ったこと。

これは私だ(笑)

要はつまらない作品であろうが、「どこがどうつまらないのか」という事を語ってしまう人ですね。
それをリンク先では「オタク」と表している訳ですが、私には知識が足りないので、オタクと呼ばれるには合わないでしょうな。
小五月蠅いアニメファンでしかないのです。

というか、私は感想ってのは「自分が何故面白かった・つまらなかったのか?」を細かく語っていく事だと思っています。
単なる自己分析でしかないのですな。

何しろ「この作品つまらなかった」しか書かなかったら、読んでいる側は「どこがどうつまらなかったんだよ」となると思うので。

私の場合、理由を書いてもらうと「なるほど、この人の好みはこうだから、そうなっていない点でこの作品は駄目だったんだな」と理解出来る訳ですわ。
作品とその人の相性の不一致の原因が分かるので納得する訳です。

ところがそこで「自分は面白いのに、そんな理由でつまらないとか書くな」とか言い出す人が出てくる。
自分の好みを否定された事を受け入れられないタイプの人ですね。
自分と異なる好みの存在を認められない人な訳ですわ。

「何故つまらなかったのか?」ではなく、「つまらないなんておかしい」という発想な訳ですよ。
「自分が面白いんだから、つまらないなんてあり得ない」みたいな感じというか。

アイドルの熱狂的ファンによくいるタイプですか。
そのアイドルが何をしようと、悪口(その人の主観)に聞こえるものは許さない訳ですな。

漫画規制の発想なんかも、そうした「他者の嗜好を認めない意識」から来ているものでしょう。
数人で決めた「これは子供に宜しくない」というのを他者に強制する訳ですから。

表現の自由にしろ言論の自由にしろ、自分が気に食わない存在を認められる事から始まるんですよね。
それが出来なきゃ結局「自分が気に入る存在しか認めない」という事で、漫画規制をしている人達と根本的に同じ考えになる訳です。

だから私はどんなに自分がつまらないと思える作品であっても、作品としては認めています。
何故ならその作品を面白いと感じる人もいるからです。
単に「自分には合わない」と思う訳ですわ。

要は「自分に合うか合わないか」が全てで、作品自体の面白さなんてのは存在しないのです。
観た人間がどう思うかでしかない。
つまり主観です。

主観なんてのは人の数ほどある訳で、それについて「違うだろ」と言ってくることほどおかしな事はないでしょう。
何しろその人にしか分からない事を否定する訳だから。
つまりそれって他人の感覚の否定な訳ですよ。

基本的に私は大ヒットしているような作品で面白いと思う作品が少ないから余計に感じるんでしょうね。
自分にとって微妙な作品が、多数の人に絶賛されていたりする訳ですから。

ところがそこで「自分の感性の方が正しく、多数の方が間違っている」と考える人も居る訳だ。
そして「こんな作品がヒットするなんておかしい。今のアニメファンは駄目なヤツばかりだ」みたいに言い出したりする訳ですよ。

その感覚が逆方向、つまり多数側、ヒット作を必ず面白いと思うような人になると、そうでない人を否定しまくったりする訳ですね。
「多数側に居るから自分は正しい」みたいな感じで。

どちらにせよ、自分と異なる感性を認められない意識には違いない訳です。
多数側だろうが少数側だろうが、異なる側の感性を認められない訳ですから。

感想なんてのは結局「自分はこういう人間です」という主張でしかない訳ですよ。
「自分はこういう作品が面白い(つまらない)と感じる人間なんです」という主張ですね。
それが上手い人ほど、自分がどう面白く(つまらなく)感じたかを書いている。

つまり自己分析を書くのが上手い人が、感想の上手い人という事になるでしょう。
作品に対するものじゃないのです。
その人の主観の発露な訳でありますわ。

shibachi1 at 19:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年11月08日

負け組な幼馴染


ときめきメモリアル2
イラストレーションズ


昔のアニメでは、幼馴染がヒロインになっている作品が多かった気がします。
特に男向けアニメでは顕著だったように思うのですな。

ところが最近ではそうでは無くなっているんですよね。

何故そうなったのか。
その理由を私なりに分析してみました。

まず、何故昔は幼馴染のヒロインが多かったのか。

答えは簡単で、惚れさせる展開を描く手間が掛からないからでしょう。
「幼い頃から好きだった」みたいな事にして、中盤辺りにでも「幼い頃に惚れた理由」を描けばそれでOKですから。

過去が原因であるがゆえに、現在の状態を好きなように設定できるという利点がある訳です。
しかも幼い頃のことだけに、大した原因を描かなくても良かったりして。
判断能力の弱い頃に植え付けられた好意というか(笑)

女性は恋に恋する部分があったりしますから、そうした自分の想いに浸って、現実の男の駄目部分を補ってしまったりする訳ですわ。

それゆえにこうした幼馴染をヒロインにすると楽なのですな。
現在における「何故惚れたか」を描く必要が無くなるという点で。
要は現在が駄目駄目な男でも全然OKってことになる訳ですよ。

そういう部分が、男向け作品において幼馴染ヒロインが受け入れられやすくなっている点なのではないかと思う訳です。
視聴者が「取り柄の無い自分でも、この娘だったら惚れてもらえる」という夢を持てるというか(笑)
ゆえに以前は幼馴染ヒロインが多かったのではないかと。

しかし最近では幼馴染はヒロインではなく、サブヒロイン、つまり振られる立場にある事が多くなっています。

幼馴染の主人公に対する想いは変わらないのですが、主人公は別の女の子に恋心を抱いてしまい、相手にされない訳ですわ。
というか、好意にすら気づいてもらえない場合もあります。
鈍感という設定で。

何故そうなってしまったのか。
それを考えた時に思ったのが、こういう場合の幼馴染の役割というのが、主人公がモテる状態を表現するためのものではないかということ。

前述の「取り柄の無い自分でも、この娘だったら惚れてもらえるという夢」
これを維持しつつ、さらにそれに飽きたらず(笑)他の女の子にもモテる状況を作る訳ですよ。
「二人の女の子にモテている」という、さらなる夢の構築な訳ですな(笑)

まあ、そうなると普通は三角関係になっていく訳ですけど、最近の作品が違っているのは、先ほど書いた鈍感状態、つまりは「幼馴染の方の好意には気づかない」という部分です。

これは何故そうなっているのかと言えば、単純に三角関係を描きたくないからでしょう。
三角関係というのは、簡単に言えば修羅場ですからね。
一人の男を巡って二人の女性が争い、男はどちらかを選ばなければならない状態な訳で、そういったものを男は好まない傾向がありますので。

ギャルゲーでは純愛が主流ですし、三角関係を扱った作品でもそこに関しては嫌悪されてたりしてますし。

というか、ギャルゲーで三角関係を扱った作品で、きちんと男が決着を付けている作品を私は知らないです。
結局女性の方が勝手に身を引いたり、振る部分はボヤかしていたりするのばかりでしたんで。
要は多くの男は、女性を振る描写が嫌なんでしょうな。

そういう要素があるゆえに、「幼馴染の好意に主人公が気づかない」という設定になるのではないかと。
何故なら、気づいていないのなら振る必要が無くなる訳ですから。

告白するにせよそれは終盤だったりして、その頃には主人公はヒロインにぞっこんになっているので、選択することが無くなるのですよ。
三角関係の恋愛モノってのは、「どちらも同じくらい好きで、片方だけを選べない」という苦悩ゆえに成立する訳で、片方にしか好意が無いとなると成立しないですからね。

そしてそうした、本来であれば三角関係になる場合のライバルとして出てくるのが、「高嶺の花」要素。

これは、身近な存在である幼馴染と対照的な意味を持たせるために、ライバルの方は通常であれば手の届かない存在として設定されるのでしょう。
最近の作品でも「さんかれあ」はそうなってましたし。

そして昔の作品の場合、「最初主人公は高嶺の花に惚れて、付き合う状態にまでなったりするけど、結局最後は幼馴染を選ぶ」というオチになっているものが結構ありました。
要は「どこか気を遣ってしまう高嶺の花」よりも、「自分を素直に出して気楽に付き合うことの出来る幼馴染の方がいい」という感じで。

しかし最近だと、最初から最後まで高嶺の花一筋でくっつくのがメインの作品が増えているように思うのですな。

こういうのは、恋愛物語が男的感性で描かれるようになったせいではないかと思うんですね。
先ほど書いた「高嶺の花を振って幼馴染を選ぶ」って、要するに三角関係の話ですし。
「二人とも好きなのに、最後には片方を選ばなければならない状況」って男は苦手な訳ですよ。

しかし高嶺の花とくっつく作品の場合、それが無いのがある訳です。
「さんかれあ」もそうですけど、主人公にとって幼馴染は最初から眼中にないという。
幼馴染の方が一方的に主人公を好きなだけで、主人公の方は好意に気づいてないパターンな訳です。
ゆえに幼馴染は「両思い状態で恋をしている主人公に、片思いする女の子」って立ち位置になる訳ですわ。

そうすると、幼馴染に対して行う「振る」という描写が必要なくなり、「高嶺の花とくっつく主人公を見て、悲しく身を引く幼馴染」って状態になる訳です。

ここが三角関係になっていないってことですね。
視聴者的にはなっているけど、主人公的にはなっていないのです。

だから観ていて楽なんですよ男的に。
男は「振る」って行為が嫌な人が多いみたいですから。

ゆえに男が気分良く観るためには、「振らないでも勝手に身を引く」という展開にするか、「最初から気づいてないから責任ありませんよ」みたいな位置づけで処理することになる訳でしょう。

そうなると、本来であれば幼馴染が主人公に恋する必要性ってのが無くなるんですけどね。
何しろ主人公と恋のやり取りをしないんですから。
物語的には不要な要素になる訳です。

でも「主人公に恋している」という設定自体は、主人公に感情移入している視聴者的には気分がいい訳ですよ。
モテている訳ですから。

そうした、三角関係的な面倒くささが無く、それでいて「モテている」という快感だけは味合わえる内容を求める人が多いゆえに、こうした幼馴染設定が増えてきたんじゃないかなぁ、と思った次第。

そういうのが男的だと思う訳です。
女性なら、恋しているキャラが居たら、それがどう男に処理されるのかを楽しみに観るでしょうから。
上手くいかないにせよ、男と恋愛感情で絡む様子を楽しむ感じになるように思うんですね。
要は「三角関係になるほど激しい恋愛模様を観たい」って感じで。

男はモテる様子を観たいだけで、三角関係描写は観たくない人が多いんじゃないかと思うのですな。

まあ、私は観たいんですけどね。
昔から少女漫画で面白い三角関係を読んできましたし。

それから女性的には、高嶺の花の方がヒロインだというのはウケない感じがするのですな。
少女漫画で、主人公が高嶺の花設定なのはあまり無いような気がしますしね。

高嶺の花なのは大抵ライバルキャラで、男はそっちを振って主人公を取る展開が多い気がするのです。
まあ、女性的に「あんなに素晴らしい女性を振って自分を取る」という快感に訴える要素もあるんでしょうけど。

男の場合は、高嶺の花をゲットするのが快感だったりするから、そうした展開の作品もありな訳でしょう。
お手軽な幼馴染なんかより高嶺の花をゲットだぜという感じで(笑)

そういや往年のギャルゲー「ときめきメモリアル2」でも、メインヒロインが高嶺の花じゃなくなった事に文句を言っていた人がいましたな。

男は高嶺の花好きだから(笑)それを得ることに快感がある訳で、ヒロインがお手軽な立ち位置になるとつまらない人もいるのでしょう。
というか、初代「ときめきメモリアル」は、高嶺の花と幼馴染が合体している珍しい設定の作品でしたねぇ。

「さんかれあ」でも、ヒロインの礼弥は高嶺の花要素として凄く描かれている訳ですけど、ああいう女の子を庶民の男がゲットするって点に良さがある訳ですよ。
ついでに幼馴染のオッパイ蘭子さんにもモテてるぞってんで快感がある訳ですわ。

私的には三角関係にならないモテ状態ってのは、ちょっと物足りなくはあるんですよね。
恋愛模様を観てみたい部分がありますので。
というか、幼馴染が好みの場合が多いので、恋愛に参加すらさせてもらえないのが悲しいのかも。

たまには幼馴染が勝利するような作品も観てみたいですねぇ。
まあ、私が観ていないだけであるのかも知れませんが、作品自体が好みじゃないと観ないのでしょうがない訳ですが。
私好みの作品で、そういう作品が出ることに期待したいところでありますわ。

shibachi1 at 20:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年06月22日

北米版のDVD・BD

DVD・BDは値段が高い。
そう思った事のある人は多いでしょう。

日本のDVD・BDは高いのですよ。
二話しか入っていないのに一万円近くするのとか、何考えてるんだとか思いますからねぇ。

一方、アメリカなどで売られているDVD・BDは安いです。
信じられないほど安いです。
全話入っていて一万円しないのは当たり前、三千円切っているのまであったりしますから。

日本で売っているDVD・BDの値段が詐欺に思えてくるほどの価格差です。
どうしてこうなっているのか分かりませんが、とにかく北米版は安いのですな。

しかし安いと言っても、英語音声になってしまっていれば我々には意味の無いこと、となる訳ですが、そこはそれ、ちゃんと日本語音声も入っていたりするのですよ。
私たちが洋画を英語音声・日本語字幕で観ることがあるように、アメリカの人も日本語音声・英語字幕で観ることがある訳ですな。

そして字幕を消せるようにもなっていたりする(駄目なもあるらしいですが)
つまり日本語音声にして字幕を消せば、日本の製品と内容的には変わらなくなる訳ですわ。

無論パッケージが英語で、スタッフロールがローマ字だったりとかそういった事はありますが、本編は普通に観られる訳です。
細かい部分を気にせず、本編だけを楽しむ場合には何も問題無い訳ですわ。

とはいえ、本当に大丈夫なんだろうか。
そんな不安があったのですが、取り敢えず試しに買ってみました。

最近ずっと観たいと思っていた「ヒロイック・エイジ」を。
BOXが出るのを待っていたのですが、いつまで経っても出ないし、バラで買うには高いし、などと思いながら検索をすると出てくる北米版のBD-BOX2,960円。

2,960円ですよ。
2,960円なんですよ〜〜(T_T)
ホント泣けてくるんですよ何だそれ〜〜。

ずっとそんな事を思っていたので、ついに買ってみた次第。
レンタルするつもりになれば値段的には同じようなもんだと思いましてね。
もし気に入らなくても、この値段なら損した気分にならないでしょうし。

んで早速視聴してみると、ホント普通に観られました。
最初に音声と字幕の設定をする必要はありますが、1枚に9話入っているので特に気になりません。

入れ物も、普通のBD1枚を入れる時に使うケースに3枚入ってます。
3枚ですよ3枚。
全26話が3枚のBDに〜〜。
場所取らなくていいですね〜〜。

唯一気になるのがスタッフロールですけど、値段を考えると十分許容範囲です。
まあ、声優さんやスタッフを確認したくなった時は不便ですけど、まとめて観る時ってOPやEDを飛ばすことが多いですから問題ないのですわ。

いやはや凄いっすなぁ。
気に入りましたわ北米版。
これを機に色々買っちゃいますかねぇ。
気に入ってるけどバラで買うにはキツい作品なんかを。
DVDでも欲しいのがあるんですけど、DVDはプレイヤーを買わないと駄目なのがちょとネックなんですよね。

あ、DVD・BDは、国によって再生できるのとそうでないのが設定されているんですよ。
リージョンコードってやつですな。
DVDは、アメリカと日本は別になっていて、BDは同じなのです。
だからDVDは日本じゃ観られないけど、BDは大丈夫なのですわ。

そして北米版を観られるDVDプレイヤーってのも売っていて、値段も5、6千円なんでお手頃な感じになっている次第。

これならば買ってしまおうかなぁ、と思っている訳ですわ。
「ガン×ソード」観たいですからのぉ。
プレイヤーとセットで買っちゃいますかねぇ。

ちなみに北米版のDVD・BD販売を専門に扱っているサイトもあったりします(輸入アニメ専門店えいびーすさん)
それと北米版DVD・BDをレビューしているサイトもありますんで、参考までにどうぞ(ばっどねいばーふっどさん、物もの日記さん)

shibachi1 at 21:36|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2012年04月21日

「輝きのタクト」にみる私の好きなヒーロー性


SHINING☆STAR

私は「輝きのタクト」のOPが好きだったりします。
後期のやつですね。
女性が集団で歌ってる方です。

あの曲を聴いていると、「これで大丈夫だ」みたいな感覚が起きるのですよ。
おそらく作中で主人公のタクトが絶対負けないからでしょう。

あの作品は主人公が圧倒的に強いですからね。
そこから「タクトに任せておけば大丈夫だ」という安心感が生まれる訳ですが、そういうのはヒーローの条件だなぁ、と思う訳ですわ。

最近は主人公でも不安を覚えるタイプだったりするのがあるので、こうした感覚ってのを得られなかったりするんですよね。
やはり「彼が出てくれば大丈夫」みたいな感覚が得られる作品は良いです。

タクトのヒーロー性としてもう一つは、観ていて「自分も助けてもらえる」という期待を持たせる点ですか。
彼は理不尽な事で困っている人がいると助けようとしてくれますからね。

私はそうしたヒーローに弱いのですよ。
ゆえに「輝きのタクト」のOPを聴いていると「これで安心だ」みたいに感じて嬉しくなるのでしょう。
単に強いだけのヒーローではそこまでは感じないでしょうから。
OPを聴いた際に感じる盛り上がりの理由もそこら辺がポイントに思えます。

そもそもタクトは、最初友達でなかったヒロインを守るために戦い始め、そのまま延々戦っていく訳です。
物凄いお人よしと言える訳ですが、そこが魅力であり、凄いところだと思えるのですな。

しかもそうした行動をとる性格ってのが、元々じゃないってのが良いのですわ。
タクト自身も、物事に前向きで頑張っていく幼馴染みに憧れ、自分もそうなりたいと決意した結果として現在の自分を作り上げている訳ですから。
つまりこの作品は「人間頑張れば自分を変えられるのだ」という事を訴えてもいる訳ですよ。

タクトは確かに銀河美少年という特別な存在(意味は分かりません(笑))であり、強力なロボットであるタウバーンに乗って戦っています。
しかしもしタウバーンが無くても、彼は同じ事をしていったでしょう。
力があるから助けようとするのではなく、助けたいと思うから助けている訳ですから。
そうした人間性がカッコいいと思うのですな。

そしてそうした人間というのには、なろうと思えば誰もがなれるものな訳ですわ。
実際に助けられるかどうかが問題ではなく、助けようとする心の持ちようが重要な訳ですからね。

タクトにしても、そうした人間たろうと目指した結果としてそうなっている訳ですし。
ゆえに「誰もがタクトになれる」という事が伝わってくる訳ですわ。
後はやる気の問題ってことで。

ここら辺は藤田和日郎作品に出てくる、「情けなくて駄目な脇役キャラが、カッコいい主人公に触発されて頑張るようになる」ってのと似てますな。
タクトはそうした駄目脇役からカッコいい主人公を目指し、結果としてカッコいい主人公になった訳ですよ。

タウバーンの力ってのは凄いけど、それがあそこまで発揮されているのは、タクトのヒーローを目指す前向きな想い、理不尽を許さない心から出ている気もしますしね。
そうした部分が何ともヒーロー的だと思う訳です。

まさにヒーロー。
見せ方だけではなく、人間性としてのヒーローってのは素晴らしいです。
今後もこうしたヒーローを描く作品が出てきて欲しいものでありますわ。

shibachi1 at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年02月18日

虚淵玄作品の恋愛描写

「まどか☆マギカ」の脚本で一躍有名になった虚淵玄さん。

この人の作風はかなり酷い表現が多いんですよね。
単にグロな描写があるというだけではなく、精神的な意味でもクるものがあるというか。

その一方、ストーリー自体は王道なものが多かったりするのが面白いところ。
オチはともかく、途中まで描かれている展開はよくある流れだったりしますので。

特に恋愛描写に関しては、少女漫画チックなノリだったりしますし。
これまで見てきた虚淵恋愛ワールドは、私が過去少女漫画で見てきた恋愛表現と重なるものが多々ありましたから。

「ファントム」では「尽くしまくりの愛」「愛するがゆえに傷つける」であり、「鬼哭街」では「兄妹の禁断の愛」を描き、「沙耶の唄」では「全てを捨てて相手を愛する」といった内容でした。

これらの作品に共通しているのは、「恋愛が全て」ってノリが出ていることですね。
男女間に漂っている雰囲気が凄く切羽詰まった感じであり、相手に対する強い執着を感じさせる描き方がされているのですよ。

それは少女漫画でよく使われている要素であり、つまりは恋愛の盛り上がりとして不可欠な要素と言えるでしょう。
「人生は愛する者が居ればそれでいい」みたいな感覚というか。
そうした要素が虚淵作品には描かれているのですわ。

こういうのは男向けの恋愛物語だとあまり見られないんですよね。
男向けのは、恋愛に対してどこか一歩引いている感じがありますから。
恋愛よりも何か別のモノを人生の中心に据えているというか。

実際男はそうでしょうからね。
女性は「愛する男が居ればそれで良し」って感じがするけど、男は他のモノにも価値を置くように思えますんで。
だから恋愛表現としても、男が描くと「恋愛が人生の全て」みたいなノリの作品はあまり出てこないように思える訳です。

でも虚淵作品だと「恋愛が人生の全て」といったノリが出ている訳ですわ。
そのため男からするとかなり異常な印象を持たれるのではないかと思います。

「恋愛が人生の全て」って、確かに異常ですからねぇ(笑)
感覚としては良くても、実際にそうしちゃったら大変ですから。
現実の社会では生活出来なくなりますからのぉ。

しかし恋愛物語においては、そういった部分が強調される方が盛り上がる訳ですよ。
ゆえに虚淵さんの描く恋愛は、何とも心に響き、その上ストーリー的には悲惨な展開が多かったりするので、さらに心に響くのではないかと思う訳です。

恋愛って、悲惨な要素があればあるほど盛り上がりますから。
悲惨な要素の無い恋愛物語というのは、どこか物足りなさを感じさせますからね。

物語に対し、恋愛要素と悲惨要素を求めることの多い私としては、虚淵作品に引かれるのは当然のことなのかも知れません(笑)

今後虚淵さんは、アニメの脚本をまたされていくかも知れませんが、今度は是非とも男女の恋愛がメインになるような内容を描いて欲しいものですわ。
「まどか」は男女の恋愛要素が無かったので物足りなかったですんで。
期待したいところでありまする。

shibachi1 at 22:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年12月31日

TOKYO MXが映るようになった

新作アニメをチェックしていて、観られないアニメが結構あることに嘆いておりました。
テレ玉は最近やらない作品が増えているんですよねぇ。

それに比べてTOKYO MXの気合い入っていることったらないですね。
公式サイトのアニメコーナーなんて、どこのアニメ専門チャンネルだよって感じになってますし。

そこで何とかTOKYO MXが観られないものかと考えた訳ですよ。
一応まったく映らない訳じゃなく、雨の日なんかはちょろっと映ったりしていたので、何かすれば映るようになるのではないかと思って。

んでアンテナをどうにかすればいいんじゃないかと電気屋さんに相談してみたところ、「ブースターを付ければ観られますよ」というあっさりとした返答が。

ブースターの値段も13,600円なので、それならば付けてしまえって事でお願いしました。
結果29日に工事が完了して、ちゃんと映るようになった次第。

これで今後はほとんどのアニメが観られる訳ですよ。
バンザ〜〜イ。

TOKYO MXは再放送も充実しているのでいいんですよね。
ゆえに私のアニメ視聴ライフは明るいものになったのであります。
良かった良かった。

ちなみにTOKYO MXが観られるようになったので、以前書いた「冬の新作アニメ」の記事を少々変更しました。
視聴本数が増えたのだ〜〜。

shibachi1 at 14:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年09月26日

シュタインズゲート 困難さの変化

シュタインズゲートを観終わって感じた二つ目の事として、「まゆりと紅莉栖を救う際の困難について差があるな」というのがありました。

まゆりと紅莉栖は、それぞれ倫太郎が大切に想い、救いたいと願った存在です。
しかし二人を救うために倫太郎が経験した困難というのには凄く差があるのですよ。

特にこの作品におけるヒロインは紅莉栖となっているのにも関わらず、紅莉栖を救うための困難というのは、まゆりの時と比べて異常なまでに簡単になっているのです。
本来であれば、ヒロインこそ救う際に一番苦労するべき存在だと思うのですが、この作品ではそうではなくなっているのですわ。

これがまゆりと紅莉栖のどちらがヒロインか分からないような描かれ方をしていれば、まだ納得なのですが、明らかに紅莉栖の方がヒロインだと思わせる描写になっていますからね。
紅莉栖とは互いの気持ちを確認し合い、恋愛対象として認識している描写があり、最後も「紅莉栖との再会」という形で終わっている点からして、紅莉栖がヒロインなのは明らかでしょう。

まゆりに対しても好意を抱いている事は伝わってくるのですが、それはどちらかと言えば家族愛のようなもので、いわゆる物語におけるヒロインに対する想い、つまりは恋愛感情的な意味での「好き」という表現はされていなかったのですわ。

そうして「紅莉栖がヒロイン」という描写がされているにも関わらず、ヒロインの重みとして見せ場となる、「主人公が必死に助ける対象」という意味での描写は、明らかに紅莉栖よりもまゆりの方が重く描かれていたのです。

一方でストーリーの流れ的な部分では、紅莉栖がヒロインとなっており、その部分に何とも言えないチグハグ感を覚えたのですな。

倫太郎がまゆりを救う際に見せた苦悩には実に凄まじいものがあり、「助けるために試行錯誤を繰り返しても結局死なせてしまう」という苦痛を何度も味わうという、まさに生き地獄を味わった訳です。

さらにはまゆりを救うために必要だという事で、変えた過去を元に戻す事により、友人の女性達を苦しませ、最後には恋する相手となった紅莉栖の死とさえ引き替えにします。
その苦悩・苦痛たるや物凄いものがあったでしょう。

そこまでしても絶対に救いたい。
まゆりを救うためなら何でもする。
恋する相手すら犠牲にする。
そうした倫太郎の想いには何とも強烈なものがありました。

しかしこれが紅莉栖を救う段階になると実に簡単になってしまう。
何しろ「過去へ行って殺されるのを防ぐだけ」という事でしかありませんでしたから。

一応辛さとして、「倫太郎が刺され、自ら傷口を開く」というのがありましたが、あれはあくまで準備を万全にしなかった倫太郎の責任であって、「そうしなければ紅莉栖の死を回避できない」というものではありませんでした。

タイムマシンの問題から、やり直しが出来ないという事で、そうした「自らを傷つける行為をしてまで助ける」という重みが出る展開になっている訳ですが、もしタイムマシンの問題がなく、何度でもやり直しが出来るとなれば、準備を整えてやり直せばいいだけの話になっている訳ですよ。

まゆりの場合は、その何度もやり直す行為をしてすら救えなかった訳で、それと比較すると何とも簡単すぎる内容になっている訳です。
元の時間へ戻り、血糊を用意してやり直したら、刺される必要はなく、楽に紅莉栖を助けられたでしょう。

つまり紅莉栖を救うための困難さというのは、その程度のものでしかなく、まゆりの時と比べると、明らかに軽い困難になっている訳ですわ。

まゆりの死の問題は、「何をしようが助けられない」という部分にあり、それが延々と長く描かれていた訳です。
単純に「過去へ行って死ぬのを助ける」だけでは駄目だというのが描かれていた訳ですわ。

しかし紅莉栖にはそれが無かった。
単純に助けるだけで死を回避できてしまった訳です。
ゆえにまゆりを救う際の困難との差を考えると、どうにも微妙感を覚えてしまうんですよね。

主人公である倫太郎がぶつけた想いの量としては、明らかにまゆりに対するものの方が多く、また重さ的にもかなり重いものになっていると言えるでしょう。
それと比べると、紅莉栖に対する想いというのは、かなり少なく軽い。

主人公の想いとして、ヒロインよりも別のキャラに対するものの方が多くて重いというのは、物語としてかなりチグハグしてしまっている状態じゃないかと思えるのです。
まゆりを救う際にあれほど苦労したのだから、紅莉栖を救う際にも同じくらい、いや、ヒロインであるのだから、それ以上の苦労をしなければ宜しくないと思うのですよ。

まあ、アニメの都合として話数が無いという点から、同じ様な長さの苦労は描けないにせよ、何かしら特殊な解決策が描かれるのかと思っていたのですわ。
しかし実際は何もなく、単に「死なないように助ければいい」というだけの方法でしかなかった。
そこにどうにも拍子抜けというか、「え? それでいいの?」といった感覚を味わった訳です。

未来の倫太郎によって、「シュタインズゲート云々」という話があり、それによって特殊な解決がされるかのような説明がありましたが、それは紅莉栖を助けた後の話であって、紅莉栖を助けるための方法についての話ではありませんでした。
要は「助けるのは簡単だから、そんな事より助けた後にどうするかが重要だ」という事が述べられていた訳です。

何故紅莉栖の生き死にはそこまで簡単に描かれてしまうのか。
そこが私が引っかかった部分であり、終盤を楽しめなかった原因になっているんですよね。

ああ、これは世界線の設定についてどうであるかの話ではなく、物語の見せ方としてどうであるかの話ですので誤解無きよう。
「紅莉栖を助けられるのが簡単なのは何故か?」という話ではありませんから。
「ヒロインよりも、ヒロインではないキャラに、主人公の想いが強く感じられる作りってのはどうなんだろう」という事ですので。

まあ、これは「絶対そうじゃなきゃ駄目」という事ではなく、単に私が「ヒロインの重みの描写として、どうにもチグハグ感を覚えてしまった」という事について、その理由を分析してみただけですので。
別に気にならなかった人にはどうでもいい話な訳ですわ。

要は紅莉栖を助けるのが「ついで」みたいな印象を受けちゃったって感じですかね。
「ヒロインなのにそれはどうなのよ」と感じた事から、今回の内容を書いてみた訳です。

ちなみにこれはアニメ版に関する話で、アニメ版の情報だけで書いていますので、「原作ではこうなっているから違うぞ」というツッコミは無しの方で宜しくお願いします。
「原作で描かれているからアニメで描かれなくても問題ない」って考えは私にはありませんので。

やはりアニメは、アニメ単体で理解&楽しめないと駄目だと思いますからね。
ゆえに敢えて原作の情報は仕入れず、アニメ版に関する事だけで書いてみた次第。

shibachi1 at 20:06|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2011年09月23日

シュタインズゲート 閉じられた世界

シュタインズゲートを観終わって思ったのは、「このアニメは閉じられた世界なんだな」という事でした。

「閉じられた世界」というのは、主人公の周囲以外の世界との関わりを持たない状態のことです。
この作品で言えば、倫太郎に何か影響を与えてくるのが周囲の人間でしかないという点ですか。
倫太郎の知らない存在が、彼に関与してくる事はない訳ですよ。

物語の序盤において、セルンという企業が倫太郎に関わってきます。
それだけを捉えると、倫太郎の世界に外の世界からの関与が起きているように思える訳ですが、実際描かれた関わり方というのが微妙なのですな。
セルンの存在というのが、どうにも実感として感じられない描き方をされていましたので。

言葉として、またネットの情報として脅威を感じさせる内容は描かれるのですが、セルンの存在というものを実感させる出来事というのは描かれていないのですよ。

セルンによってまゆりが殺されたり、倫太郎達が拉致されかけたり、というのが一見その存在の実感に繋がりそうなんですけど、実際に殺しと拉致に関わった人間というのは、倫太郎の知っている人間でしかありませんでした。
セルンの関係者だと臭わせる発言をしたりはするのですが、実感としてそれを感じさせるものはないのです。

これが「セルンの社内へ連れて行かれ、セルンの社員に脅される。何かを強制される」といった展開になっていれば実感を伴うのですが、そういった事は無かったのですな。
そういう点から、「セルンに襲われた」というより、「知り合いに襲われた」という意識の方が強くなってしまうのです。

その後も「セルンのエージェント」と称する人間が出てきますが、これまた知り合いの人間であり、しかも自称でしかないので、本当にそうであるのか実感は得られません。

要は倫太郎がいつも口にしている「機関のエージェント」と同じようなレベルにしかなっていないんですよね。
知り合いの人間が、自分をセルンのエージェントだと思い込み、妄想的な理由から行動をしていたとしてもおかしくないですから。

彼ら個人個人の行動としては凄く怖く、盛り上げとしては何も問題ない訳ですが、そこにセルンという企業の存在を実感として得る事は出来ないのです。
何しろ言葉と情報、知り合いの言動でしか、セルンとの関わりを確認出来ませんので。

言葉としては「セルンの陰謀」という事が出てくるけれど、実際にセルンが関わっている事を実感として認識させる要素は何も出てこない。
ゆえに存在としての意味が微妙に思えてくる訳です。

しかも話が進むと、セルンの陰謀自体がどうでも良くなってしまう。
セルンのせいだと思っていたまゆりの死が、実はセルンとは関係なく起きているという事が判明しますので。

セルンの殺しから逃がしても、別の事でまゆりは死んでしまう。
セルンの殺しは、複数あるまゆりの死の原因の一つでしかないからですね。
つまりまゆりを救うためには、根本的なまゆりの死の原因を潰さなければならず、セルンの陰謀だけを重要視している意味は無くなる訳ですわ。

そして物語の流れは、まゆりを救う事がメインとなり、セルンの陰謀というのは影が薄くなっていきます。
結果、セルンはインパクトとして、イメージ的に恐怖を与える存在としては意味を感じられましたが、実感を伴う存在としての恐ろしさは、特に何も無いまま終わってしまった訳です。

「セルンの陰謀」として描かれた内容は、結局倫太郎の周辺で処理出来てしまう要素でしかなく、閉じられた狭い世界の中での出来事でしかなかった訳です。
つまり企業という社会的な存在、一般市民が抗うには難しい点からくる恐怖をイメージとして利用し、インパクトとして使用したに留まっている訳ですな。

イメージとしては世界規模。
しかし実際に関わるのは身近な存在のみ。
そうした描き方が、閉じられているにも関わらず、あたかも世界と関わっているかのような錯覚を与え、作品におけるスパイスとして上手く使われているように思えました。

最近はそうした作品が増えているように思えるんですよね。
「輝きのタクト」などでも、世界との関わりをほのめかしたりしましたが、実際描かれたのは学園内での知り合い同士の争いでしたし。
世界の国家組織どころか、日本の役所が関わってくる描写すらありませんでしたから。

「世界」という言葉をイメージ的に使い、まるで主人公達がしている事が世界と関わっているかのように見せるというのが、こうした作品における面白さのポイントなのでしょう。
実際に世界、つまり大人の社会・権力が関わってしまうと、主人公達の世界が侵害されてしまう事になりますから。
それはやってはいけない訳ですよ。

そうした意味で、閉じられた世界でありながら、まるで世界に関わりを持っているような感覚を得られるのが、こうした作品の面白さとなっているのではないかと思いました。

あ、ちなみにこれはアニメ版に関する話であり、アニメ版の情報だけで書いていますので、「原作ではこうなっているから違うぞ」というツッコミは無しの方で宜しくお願いします。
「原作で描かれているからアニメで描かれなくても問題ない」って考えは私にはありませんので。

やはりアニメは、アニメ単体で理解&楽しめないと駄目だと思いますからね。
ゆえに敢えて原作の情報は仕入れず、アニメ版に関する事だけで書いてみた次第。

shibachi1 at 19:18|PermalinkComments(6)TrackBack(0)

2011年09月19日

最近のアニメは成長を描かない方がウケるのか

最近のアニメ作品では、成長を描かない内容のものが増えてきています。
精神的に駄目だった主人公が、様々な事を経験して成長していくような展開を描かないものですね。

成長ってのは、自分を導いてくれる存在に叱咤激励されたりして行われていく訳ですが、そうした「人生の師匠」とも言うべき存在が居ない訳です。
というか、成長を描く気が無いから要らないのかも知れませんけど。

最近の作品で言えば、「輝きのタクト」のタクトのように、困難があってもあっさり乗り越えてしまう、苦労知らずみたいなノリですね。
そういう方がウケるゆえに成長が描かれないように思える訳ですわ。

黄金期の少年ジャンプのテーマ、「努力・友情・勝利」の「努力」が消えたって感じですか。
「努力」の代わりに「才能」になってるのかな?

ゆえに師匠は不要な訳ですよ。
何しろ自分で何とか出来るから。

端から見たら「おいおい」と思える行動でも、自分に影響が無ければ気にせず好き放題やりまくる。
何故ならそれでも困らないから。
困らない以上、助けは要らず、つまり師匠は要らない訳です。

逆に大人のうんちくは、困難が無い以上「五月蠅い説教」「余計なお世話」にしかならない。
だから出す必要が無い。
ゆえに大人が出てこない作品が増えているのではないかと思えた次第。

「輝きのタクト」なんかも、「古くからある伝承」みたいな設定なのに、大人がほとんど関わってこないのが凄く変に思えましたしね。
子供達の暴走を、何故大人達は傍観しているのか。
本来ならば出てくるのが自然な訳ですが、ほとんど出てこない。

私なんかは、「大人達の保守的な態度に業を煮やした若者達が秘密結社を作っている」という感じで、大人との対立を描いていたら凄く面白そうに思ったんですが。
でもそれだと多分ウケないのでしょうなぁ。

「大人の邪魔なく子供が勝手にした事が、大人の世界に影響を与える」というノリが良いのでしょう。
昨今大ヒットしているアニメってそういうノリが多いですので。

つまりそこには「大人」という困難の壁は存在しない訳です。
邪魔無く好きにやる。
楽に改革が出来てしまう訳ですよ。

私はそういう楽な展開だと盛り上がりがイマイチなんですよね。
困難を打ち破る事に燃えを感じる質なので。
ゆえにそうした作品に対しては、少々物足りなさを感じてしまうのでありますわ。

shibachi1 at 19:43|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2011年05月16日

ノエイン もうひとりの君へ BD-BOX発売


ノエイン もうひとりの君へ
Blu-ray BOX


ノエインのBD-BOXが発売ですよ〜〜。

この作品はタイムトラベルやパラレルワールド、異能超人バトルなどが描かれているので私の好みなのですな。
今まで微妙に買う意欲が起きなかったので買っていなかったのですが、今回は買おうかなぁ、と。

いや、確認のためにYouTubeで観た異能超人バトルがカッチョ良かったのでね。

念力〜〜。
超能力〜〜。
切羽詰まった感じぃ〜〜。

わたしゃこういうのが大好きですからのぉ。
それを思い出したので非常に買う気力が高まった次第。

などというのはまあ、表向きの理由でしてね。
本心と言えば・・・

「ハルカたんの入浴シーンを美麗な映像で観たいぞぉ〜〜」

だったりする(おぃ) 

いや、この作品のヒロインは小学生でしてね、何か知らんがちょこちょこ風呂に入るのですよ。
序盤限定だけど。
それが非常に良かったのです。
記憶で「良かった」と覚えていたので、確認のために当時の感想を読み返してみると・・・

うん、馬鹿だね(笑)
馬鹿な感じで興奮している。
ホント馬鹿だ。

だがそれほど良かったのか。
そうかならば買わねばなるまいて。
何しろ他ならぬ私が馬鹿になるほど気に入っている訳だから、これほど信頼のおけるものはないゆえ。
よし、買おう。

となったのであった(馬鹿)

サービスシーンが素敵なアニメは買うべし。
これは私の基本ですからね(そうなのか)
それさえ良ければ少しくらいの出来の悪さには目を瞑るのですよ。
それが萌えってヤツさね。

いや、この作品の場合、出来もいいんですけどね。
だから余計に欲しくなったのですわ。
異能超人バトルのシーンを観て燃え的にもテンション上がりましたし。
そういう訳で予約した次第。

そういやこの作品って、鈴村健一さんが新しい感じの演技をされていて興奮したんですよね。
歪んでて暗い感じの実にカッコいい役だったので。
当時は熱血ヒーロー系ばかりやられていたので、こういう役に驚いた訳ですよ。
ゆえに個人的にこの役は気に入っているのですな。
ファンならば一度は観ておくべきではないかと思いまする。

ちなみに私が興奮したハルカたんの入浴シーンもYouTubeにあったので参考までにどうぞ。

っていうか、DVD-BOXのCMなんですけどね。
CMという短い時間にわざわざハルカたんの入浴シーンを入れているってのは・・・
やはりスタッフもそこを推しているという事でOK?(笑)

ホント気合い入ってると思ってたからなぁ、当時。
小学生の入浴シーンに気合い入れるなよ、と思いましたからね。
だがそれが良いのでしたが。

実際それが理由でBD-BOXを買う訳ですしのぉ。
実に上手い戦略でありまする。

shibachi1 at 19:53|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2010年11月25日

「けいおん」のアイドル的見せ方

「けいおん」のファンの言動なんかを見ていると、何となく現実のアイドルのファンと似ているような気がしてきました。

というか、あの作品の作り自体が、アイドルの魅せ方に似ているのかも知れません。
可愛い女の子が数人集まってワイワイやっているというのは、AKBなんかと同じでしょうから。
音楽やっているのも同じですしね。

んで「自分のお気に入りのキャラが出た出ない」「扱いが良い悪い」という事で一喜一憂するファンの状態なんてのもかぶる訳ですよ。

ストーリー性がさほどなく、日常の生活を取り上げている見せ方もそれを助長する感じですか。
まさにアイドルの日常というか、アイドルが日常を演じている姿を楽しむというか。

男が絡んでないってのも大きいでしょうな。
いくら女の子が沢山出ていても、そこに男が存在してはアイドル性が薄れますから。

いわゆる独占欲が消される訳ですよ。
「しょせんこの娘は、あのキャラのもの」みたいに思えたり、ちょっかい出される事に嫌悪感が生じる訳です。

あくまで女の子だけでないと、「俺の○○」という意識は高まらないでしょう。
無論、男と関わっていてもそうなる事はある訳ですが、アイドル的な意味での盛り上がりは起きにくいと思うのですわ。

あと「身近」ってのも大きいでしょうね。
どこか別の世界、現実とは思えない状況、などではなく、どこにでもありそうな学校の軽音部が舞台。
つまり「彼女達は現実のどこかに居る」と思える要素ですね。
これが大きいと思うのですわ。

昔のアイドルが雲の上の存在だったのに対して、今のアイドルは街中にいる存在としてウケています。
自分の傍に居るかも知れない存在。
「いや、地続きでそこに居るんだよ」という意識を持てる状態。
それこそが、AKBなんかが人気を得ている要素の一つでしょう。
そこら辺が「けいおん」にもあると思うのですな。

私は「けいおん」をほとんど観た事はないのですが、チラっと観た際に、やたらと表情なんかが動いていてドキリとした事がありました。
この表情の動きの多さ、要するにキャラを魅力的に見せる演出というのが、アイドル要素を強めていると思えたのです。

キャラが魅力的に見える、つまり男心を惹き付ける見せ方。
そこら辺でこの作品は、演出面でも優れていると思うのですな。
単にキャラが描かれているのではなく、「どうだ可愛いだろ」と訴えてくる作りというか。

要は現実のアイドルで言えば、カメラワークや演出などが上手いイメージDVDみたいなものですかね。
ついでにアイドル自身も、自分を可愛く魅せる仕草を心得ている状態というか。

昔は「かわいこぶりっこ」などと、男に媚びたアイドルの態度を揶揄した言葉が流行りましたが、「けいおん」はそういう部分を上手く表現出来ているのでしょう。
だから男が観ているとドキドキしてしょうがないのではないかと。

この作品は、そうした男心を擽るアイドル的な見せ方を上手く取り入れた作品なのではないかと思うのです。
ゆえに他の作品にはあまり見られない、アイドル的な人気が出ているというか。
そこら辺が「けいおん」の人気の秘密なのではないかと思った次第です。

shibachi1 at 12:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月22日

私の泣きツボ

「大地丙太郎のおととい来やがれ!」というネットラジオ番組を聴きました(7/20公開分)

その回のテーマは「最終回」という事で、大地監督が「りりかSOS」の最終回について語っていて面白かったです。

あの作品のラストは、色々憶測しようと思えば出来る作りだったので、一部で論争があったんですよね。
でも憶測要素は関係なく、単に尺が足りなかったからああなったという事が監督の発言から分かりました。

普通に受け入れればOKだった訳ですな。
つまり深読みした人はご苦労様って事で。

まあ、私は深読みする必要性を感じなかったので、普通に受け入れてましたけど。
あれを深読みするのは微妙感ありましたし。

ちなみに「りりか」は、私が最終回で泣いたアニメの一つです。

あれは泣けた。
ホント泣けた。
泣けた泣けた。

ああいうのって、私の泣きツボなんですよねぇ。

内容的には、主人公であるりりかが大変な事になるのですが、その事自体が泣ける訳ではなく、「周囲の人間のりりかに対する想い」ってのにやられてしまった訳ですよ。

誰かが誰かを愛し、その存在を大切に想う心。

そういう表現に弱い訳ですわ。
んでそこに至るまでの過程で、キャラの描写が深いと余計泣けるんですよね。

「りりか」の場合は、元々敵だったキャラが、りりかにほだされて仲間になっているのですが、彼の「お前が居たから」という言葉でもう駄目。
彼にとってのりりかに対する想いってのが凄く伝わってきましてね。
恋愛関係じゃないからこそ、余計にクるものがあったのですよ。

この「恋愛関係じゃない」ってのが大きいのでしょうな。
恋愛関係で同じ事をやっても泣けないんだと思います。
恋愛って互いを強く想っている関係として描かれているので、その状態でされても当然な感じしかしませんから。

そういう意味でこの作品においても、一緒に居たボーイフレンドキャラの悲しみよりも、元敵キャラの発言の方が凄く心に染みた次第。

彼は普段りりかをそんなに大切にしているように描かれていないのに、ここぞという所で「自分にとってかけがえのない存在」という事を告げた訳ですからね。
それにやられた訳ですわ。

こういうのに弱いんですよねぇ。
何というか「みんなが自分を想ってくれている」ってのがクるというか。

似たようなシチュエーションで、「多くの人が主人公を応援している」ってのも駄目ですね。
「想いが託されている」って感じがするからかも知れません。
そこら辺を上手く描いているとやられてしまう訳ですよ。

この感覚としては、いわば家族愛的なものかも知れませんな。
普段は空気みたいで、五月蠅かったりもするけど、自分が辛い時に強い愛情を示してくれるというか。
「私は愛されてるんだ」と、自分の存在を認められる喜びですか。

ファーストガンダムのラストの「僕にはまだ帰れる所があるんだ」というのも同じですね。
「自分を受け入れてくれる人達がいる」ってのに泣ける訳ですよ。

こういうのは打算や損得的なものが無い関係であればあるほど強くなるのでしょう。
恋愛ってのは、そういう意味で一種損得的な要素を感じるので駄目なのかも知れません。
「自分を愛してくれる人だから応援するのは当然、悲しむのも当然」という感じで。

そうではなく、何かしらの見返りを求めない、無償の愛。
そういうのに弱い訳ですわ。

そういや、そういうのじゃないので泣けたのもありましたね。
「テッカマンブレード」なんですけど、最後に主人公が穏やかな笑みを浮かべた瞬間に泣けてしまったのです。

あれはそれまで主人公があまりに悲惨な目に遭っていて、それにくじけず立ち向かっていった前提があったからこそでしょうね。
そこまで苦しんだ主人公が最後に見せる安らぎの笑み。
それにやられた訳です。

私は「良かったねぇ、良かったねぇ」と泣いている訳ですよ。
それだけホント酷かったですから。

最近はそうした「主人公があまりに悲惨」みたいなものを、深く描く作品って無い気がしますね。
表面上は辛い描写はあるけど、何か結構サラッと流してしまっているというか。

やっぱり積み重ねが描かれないせいかなぁ。
そういうのをやらないのが流行っている感じですし。
そういった意味で大地監督の作品は、「積み重ねからクる悲しさ」ってのが結構ある訳です。

「こどものおもちゃ」も凄かったですからねぇ。
特に親子関係のエピソードが。

単純に親子関係がピンチになるだけでなく、それまで視聴者に親子の素敵な関係が強く印象づけられているだけに、そこで起きるピンチってのが強烈になる訳ですわ。
積み重ねがあってこその悲しみですね。

単にその場だけ「いかにも悲しそう」みたいなシーンを描くのではなく、それまで描かれたキャラの内面、人間感関係の積み重ねの結果としての悲しみ。
そういう悲しさの表現こそが大切だと思うのですわ。

てな感じで、私の泣きツボについて書いてみました。

世の中には様々な作品があり、様々な泣ける表現ってのがある訳ですけど、人それぞれ泣きツボってのは違う訳で、自分に合った内容じゃないと泣けないんですよね。
そうした作品と出会えた時、何とも幸せな気分になります。

「泣いてるのに幸せ」って変ですけど、感動したという意味だから当然なのですな。
泣けるくらい感動出来る作品と出会えるってのは、ホント素敵な事だと思うのでありますよ。

ちなみに記事の内容とあまり関係ありませんけど、冒頭で紹介したネットラジオ番組に、「こどものおもちゃ」で主人公役をやられた小田靜枝さんがチラっと出てました。

いや〜〜、大分変わりましたねぇ。
喋りが落ち着いたというか。以前DJされている番組を聴いていたんですけど、その頃は紗南ちゃんそのまんまって感じでしたから。
それが普通に喋っている。

何かちょっと驚いた次第(笑)

shibachi1 at 20:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月15日

アニメなどにおける大人の圧力の不存在

こちらの記事を読んでいて、「ライトノベルからは大人が排除されている」って意見に納得しました(787)

最近私が読んでいるライトノベルって、素敵な大人が出ている作品が少ない気がしますから。
出てるのって「聖剣の刀鍛冶」くらいかなぁ。

私的には「大人の世界で子供が頑張る姿」ってのに面白味を覚えるので、そういう作品が少ないのは寂しいですね。
何というか、子供だらけの世界で凄くても、それっていわば学校レベルでの凄さって感じになるので、凄さが伝わって来ないのですよ。

でもそういうのが好きな人が多いのかな?
大人の世界の雰囲気はあるけど、実は子供だけの世界という状況で、何か「自分って凄い」と思える要素を感じるのが良いというか。

でも比較対象が子供では、結局子供としての凄さにしかならないんですよね。
世界を救う展開だとしても、子供の世界を救っただけのようなイメージになってしまうので。

例えるなら、学校の中で事件があって、それを解決し、その事が凄い事のように描かれていても、しょせん学校内部での出来事でしかなく、大人の世界が乗り出してきたらあっさり片付く事だったりする印象があるというか。
そういうスケールの小ささってのが、大人が出ない事により起きてしまうのではないかと思う訳です。

最近のガンダムにもそれが言えるような気がしますね。

「子供が好き放題活躍し、そこには大人の世界の圧力みたいなものが無い。圧力が無いから好き放題出来るし、だから楽しい」

そういう感じの話になっている気がするのです。

「ガンダムSEED」におけるキラの存在なんかがその象徴でしょう。
大人が存在しない世界で頂点に立ち、大人は誰も彼を制裁しない、出来ない。

そういう話になっちゃっているのですな。
まさに「学園の神」みたいなノリというか。

ああ、この場合の大人ってのは、年齢の意味ではなく、存在としての意味ですんで。
キラに圧力を加えたり、制裁したりする存在という意味での大人ですね。
SEEDの序盤での、マリュー達や、途中で出てきた軍人の偉いさんみたいなのがそうですか。
ああしたキラが抗えない圧力を持つ存在の事です。

それがSEEDの後半と種運命では居なくなっている訳ですわ。
大人が消え、子供であるキラが好き放題しまくっている内容になっている訳ですよ。

宇宙世紀のガンダムはそれとは逆なんですよね。
子供が大人の世界でヒーヒー言わされているというか(笑)
大人に苦しめられ、大人に酷い目に遭わされ、その中で頑張っていく姿を描いている訳です。
そうした「大人との対立」ってのが、テーマの一つであった感じもしますし。

宇宙世紀以外では、「Gガンダム」なんかもそういう内容でしたね。
あれはまさに大人に振り回される主人公の様子を描いていましたから。
父親と兄と師匠がこぞって苦しめるなんて酷すぎです(笑)

そしてこうした大人の世界からの圧力の存在ってのが、作品の色を結構作っているように思えるのですな。
要は「世界の中で頑張る」か「世界を自分の好きなように変える」という違いがあるというか。

宇宙世紀と「G」「X」は前者ですかね。
「W」「SEED」「OO」は後者って感じがします。
そして私は前者が好きなのですよ。

大人がしっかり描かれている状態で、世界を変えるというのはかなり難しいです。
子供だけの世界と違って、単に何かを破壊したり殺したりする程度では変わりませんから。

制度やしきたり、慣習などの様々な要素が絡み合い、歴史を持ち、多くの人間が関わって出来上がっているのが大人の世界ですので、それを変えるとなると大変な訳です。

大人の世界の圧力ってのは、そうした背景を基に存在していますから、凄く重くて抗いがたい力がある訳で、そのため大人の世界がきちんと描かれている作品の場合、世界を変えるのは難しくなる訳ですわ。
ゆえに「世界の中で頑張る」という形になる事が多いのでしょう。

んで世界を変える内容にする場合は、大人の世界をあまり描かず、楽に世界が変えられる雰囲気にしているのではないかと。
大人の世界が描かれていない事で障害が少なくなり、その結果として何かを壊したり殺したりする程度で変えられる世界になっているというか。

そこら辺で上手かったのが「コードギアス」ですね。
あの作品は大人の世界をあまり描かないようにする一方、存在自体は感じさせる作りにしてましたから、何となく重みが出てましたんで。

私があの作品に面白さを感じつつも、微妙に物足りなかったのもその点でしょうね。
もう少し大人が絡めば、世界の重みが増した感じがしますので。

結局ライトノベルなんかもそうですが、最近のアニメは「子供が如何に活躍出来るか」って事に重点が置かれている気がするので、そうした「大人の世界の圧力」というものを描かない方がウケるのでしょう。
何しろ大人からの圧力があると、押さえつけられて自由に出来ない訳ですから。

まさにこの「自由」ってのがポイントで、自由に好き放題やっている主人公達の姿を楽しみたい人が増えているという事なのかも知れません。

私もそういうのは嫌いじゃないんですが、そればかりになると微妙に物足りなくなってしまう訳ですよ。
まあ、商売でやっている以上、ウケそうもない作品は作れないでしょうから仕方ないんですけど。

たまにはこう、「憎たらしい大人に強烈に押さえつけられつつ、それに反発して頑張っていく作品」とか作ってくれないですかねぇ。
久しぶりに観たいでありますわ。

shibachi1 at 17:35|PermalinkComments(14)TrackBack(0)

2010年07月30日

感想と考察の違い

結局アニメの感想的な評価は、「観ていて面白いかどうか」これに尽きます。
色々「ここはどうなんだ?」と思わせる部分があっても、「すげぇ面白ぇっ」ってのが大きければ問題ないですから。

最近私が観た作品の中では、「いばらの王」と「いちばんうしろの大魔王」がそれになりますかね。
どちらも細かい事を言うと微妙ですけど、観ている最中は面白かったですから。
そういう面白さを作れるかどうかが作り手の腕だと思うのです。

「薄桜鬼」もそうですな。
あれは「おいおい」ってツッコミどころがあるけど、それよりも千鶴の可愛さや野郎共のカッコ良さの方が大きかったですので。

逆に言えば、観ていて微妙感の方が大きくなってしまう作品は駄目って事ですな。
何故なら微妙感を消し去るほどの面白さが無いって事ですから。
感想的な評価ってのは、そんな感じになると思う訳ですわ。

一方、考察による評価ってのもあって、こちらは作品の裏の部分を見ていく感じのものですか。
表面で描かれた事の裏や、設定なんかを分析していく感じで、そういうのは作品の面白さとは別の気がする訳です。

要は考察ってのは、「表現が上手く出来ているかどうか。辻褄がちゃんとしているかどうか」といった事の分析であって、面白さの分析では無いと思うのですな。
何故なら「面白さ」というのは人それぞれ捉え方が違う訳で、違う感性の人間には通用しない内容だからです。

だから作品を考察する際は、「面白い」「つまらない」的な感覚は排除して書かないと駄目でしょう。
それを書いたら、考察は考察でも「自分がどう感じたかの考察」になりますから。
私が感想でよくやるのがこれですね、自己分析。

アニメの評価ってのは、結局感想を書いている人が多く、考察をしている人は少ない気がします。
一見考察しているように見えても、私のような自己分析が多い気がするので。

だからそれに対して「間違っている」とか指摘するのは的外れなんですよね。
感想に正しいも間違いも無いですから。

でもそれをしてくる人が結構いる訳ですよ。
困ったものでありますわ。

shibachi1 at 11:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月11日

私はオタクではない

私は自分をオタクだとは思っていません。
何故なら自分にはオタクと呼べるほどの拘りが無いから。

オタクってのは、一つの事を突き詰め、その分野に関する知識が豊富な人を指すと思うのですよ。
ゆえに私は違うなぁ、と。

基本的に面倒くさがりなので、一つの事を突き詰めるような事は出来ないのですわ。
要するにアニメが好きなだけの人間なのですな。
つまりただのファンってやつです。

でも「オタクじゃない」と言うと、オタクという言葉から逃げているようにもとれるから困るんですよね。
世間では「アニメが好き=オタク」となってますから。

ゆえに一応はアニメオタクだという事を認めはしますけど、本当の意味でのオタクの人に対しては申し訳なく思ってみたり。

そもそも好きになれば自然と覚える程度の事しか知らないでオタクと言うのは変だろうって感じですからねぇ。
オタクを学者としたら、私はせいぜい中学生か高校生レベルですので。
教えられた事をある程度は知っているけど、専門的な事はよく知らないのですよ。

ああ、そうそう、いい例があった。「アオイホノオ

このシーンでの庵野監督達みたいなのがオタクって言うんですよね。
んで焔燃みたいなのが私(笑)

私は上手く作られてれば、それで満足しちゃうもんなぁ。
動きの分析とかしないですよ面倒くさい。

まあ、実際焔燃はオタク気質ですけどね。
あのシーンに関しては知識が無いってだけの話で。

こういう風に、昔のオタクというのは専門家みたいなノリがあった訳ですが、最近はファンレベルで言うようになっちゃった訳ですわ。
それが悪いって事ではないのですけど、何か私としてはイメージが違うって感じがした次第。

shibachi1 at 21:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2010年07月05日

好みの女の子キャラのタイプ

私は姉キャラが好きです。
しかしダダ甘系はあまり好きじゃありません。

そういうのより「普段は口うるさいけど、根っこでは甘えさせてくれるタイプ」の方が好きなのですな。

この「普段は口うるさい」というのがポイントなのですよ。
そういう部分に「自分の事を本当に想ってくれている」といった印象を覚える訳ですわ。
甘やかしてばかりだと駄目になっちゃいますからね。

叱咤激励して育ててくれる、そんなタイプの姉キャラが好きなのです。
「キミキス」の摩央姉ちゃんや、「武装錬金」の斗貴子さんなんかがそうですな。

普段は厳しく指導してくれて、でもいざって時には甘えさせてくれる。
そんなお姉ちゃんキャラが大好きなのです。

そこら辺はツンデレキャラの好みにも言えますね。

私が好きなツンデレキャラというのは、何か信念みたいなものがあって、そこから外れる行動を許せないからツンツンしているタイプですから。
そういうのに弱いのです。

単純に照れ隠しなんかでツンツンしてるのは駄目なのですよ。
「ゼロの使い魔」のルイズが駄目になったのもそれが理由ですし。
最初は貴族的信念からキツい態度を取っていたのかと思っていたら、途中から照れ隠しっぽくなっちゃいましたから。

そうした個人的感情で八つ当たり的にツンツンするのって駄目なのですわ。
やはり一人の人間として尊敬出来る要素があって、それに基づいてツンツンしているのじゃないと。

そういうお嬢さんが時折見せるデレ。
それが何とも大好物なのです。

もしかしたら私は、「人間性の立派さ」みたいな物に惹かれているのかも知れません。
立派な女性が自分に惚れてくれる事に快感を覚えるというか。

姉キャラってのも、基本的に自分より上で、しっかりしているからこそ、そんな相手に惚れられる事に喜びを覚える感じがしますし。

基本的に人間性が大事なのでしょう。
だから姉キャラにしても、ダダ甘よりも、普通な感じの方が好みなのだと思います。

ダダ甘ってどうも人間として微妙感を覚えますから。
何か人間的に怖い感じもしますし。
ストーカーと性質が似ているというか。

実際こちらが好きじゃなかったら、ストーカーに思える言動が多いですからね。
そこら辺で苦手な次第。

人間性に関しては、無口・無表情系でも同じことが言えますね。

私は同じ無口・無表情系でも、人間性が出ているキャラが好きですから。
「エヴァンゲリオン」の綾波は非人間性が強くて苦手ですし、「涼宮ハルヒ」の有希は人間性が感じられるエピソードがあってから惚れましたしね。

そして「ファントム」のアインや「ナデシコ」のルリルリなんかは、内面に熱いものを感じるがゆえに好きな訳ですよ。
二人とも内面はドロドロしてるからなぁ(笑)

それとよく喋る。
無口系と言いつつ、喋る時は喋るのです。
そこも人間的なので好きな要素になっている訳ですわ。

つまり表面的には無口・無表情という非人間性があるけど、内面的には凄く人間的であるタイプに萌えるという事ですな。

そうそう、刹那たんも好きだ。
「スクールデイズ」ね。

彼女も内面はドロドロですからのぉ。
結構腹黒だったりするし(笑)

っていうか、こういうタイプってみんな腹黒的になりやすいのか。
内面は熱いのに、表面は冷めている感じになるから。

ちなみにルリルリは劇場版の方が好きだったりします。
あっちの方が人間的な熱さが表現されているからでしょうね。
お姉ちゃん要素も出ているしな。

と、ここまで書いていて気がついたこと。
私は無口・無表情系の中でも、頼れるタイプに弱いんじゃないか?

好きだと挙げたキャラはみんな頼れますからねぇ。
逆に綾波なんかは、儚くて頼れないイメージなのですよ。

頼れる、つまり甘えられる・・・

要は甘えられる無口・無表情系に弱いのかも。
つまりは姉要素な訳ですか。

う〜〜む、やっぱりわたしゃ甘えたがりなのですな(笑)

そういや「いちばんうしろの大魔王」のころねもそんな感じですしねぇ。
主人公をからかっている辺りにお姉ちゃん性を感じますゆえ。
そしていざって時には助けてくれる。
ここら辺に私はやられた気がするのですよ。

姉のタイプに無口・無表情系と来て、他に私の好きなタイプと言えば・・・

健気系です。

健気なタイプにも弱いのですな。
「エルフェンリート」のナナとか、「京四郎と永遠の空」のせつなたんとか。

こちらは甘える要素は無いのですが、何か観ていてゾクゾク来る良さがあるのですよ。
庇護欲ってヤツですか。
どんなに辛くても頑張っている様子に切なくなって萌え萌えしちゃうのですな。
そういうのにも弱いみたいです。

っていうか、無口・無表情系のキャラは大抵健気だったりしますしね。
黙っているから健気に見えるのかも知れませんが(笑)

ちなみに私が大好きなアインなんかは、「健気な性格の、無口・無表情系の、頼れるキャラ」だったりするのでバッチリな訳です。
だから凄く好きなのでしょう。
髪型も超好みですしね。

そうそう、容姿としては、アインみたいな髪型が私の一番の好みなのですよ。
ああいう髪型なら取り敢えず萌えます(笑)
ころねもあの髪型のせいでまずは萌えましたから。

何がどう作用してそうなっているのか分かりませんが、とにかくそうなのですな。
ああいう髪型大好き。

何しろ二次元キャラで初めて萌えたのもああいう髪型のキャラでしたからねぇ。
「エイリアン通り」という少女漫画のヒロインなのですが。

黒髪ストレートや、金髪ツインテールとかも好きなんですけど、男の子のようなショートというのに一番反応してしまうのですな。
全く謎でありますわ。

以上、私の好みの女の子キャラのタイプについて語ってみました。
こんなもん読んでも楽しくないかも知れませんが、書きたくなったので書いてみた次第(笑)

まあ、ブログってそんなもんでしょうからね。
普段書いているアニメの感想だって、こうした「私の好みとしてどうなのか」って内容ですし。
だから良いのである、うむ。

shibachi1 at 21:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月04日

序盤が訳分からないアニメと富野作品

何が起きているのか分からない、けど何か楽しい。
そして見ていく内に、今まで分からなかった事が分かるようになる。

こうした作品は素晴らしいと思います。

第1話の感想でよく見かけるのが、「何が起きているのか分からないから駄目」みたいなもの。
これはストーリーの展開の事ではなく、作品世界の説明や、用語などが分からないから駄目とする感想ですね。

そういった事柄を理解しないと楽しめない事はないのに、理解したがり、理解出来ない作りに腹を立てる。
「公式サイトで用語を調べろってのか?」みたいな感じの感想です。

これは小説や漫画だったらあり得ない事なので、私はそういう行為に違和感を覚えるのですな。
観ていけばそのうち理解出来るようになるのに何故すぐに知りたがるのか。

「第1話で作品世界の用語や常識を全て描写する」なんてのは無茶苦茶な要求であるのに、そういった事を求める人間が結構いる訳ですよ。
ゆえに最近のアニメの公式サイトには、用語の説明が載っていたりするのではないかと思った次第。

「これから分かるように描くけど、それを我慢出来ない人はこれを読んで下さい」って感じで作られたというか。
まあ、「今後も説明を描く気が無いからこれで理解してね」だとしたら、単なる手抜きで駄目駄目ですが。

私は先に設定を知ってしまうのはネタバレと同じなので、公式サイトは出来るだけ見ないようにしています。
どんな情報であっても、作中で知らされる方が楽しめますから。
というか、「設定を如何に上手く作中で視聴者に知らせていくのか」というのが、物語における出来の良さだと思ってますし。

物語を観ていく内に設定を自然と理解出来、描かれた内容のみで必要な設定をほとんど理解出来る。

そういった作りが大事だと思うのですわ。
無論、最後まで観ても理解出来なかったら駄目駄目ですが。

序盤の内容が分かりにくい作品の代表として、富野由悠季監督の作品があります。

富野監督の手法として、視聴者を徐々に作品世界に引き込むのではなく、いきなり作品世界に引き込むため、そうなっているのですな。
その世界で当たり前になっている事を、キャラ同士が会話したり独り言を呟いている内容から理解させる方法をとっている訳です。

だから凄く分かりにくいため、序盤は何をやってるのかさっぱりだし、どういう目的で何がしたいのかもよく分からない事が多いのですわ。
しかしそうした状態であっても凄いのは、視聴者を引き込む魅力がある点。
ゆえに訳が分からなくても楽しめてしまうんですよね。

そして視聴者が知っておくべき状況説明はしているので、台詞を咀嚼していくと、何をしているのかが分かるようになっている訳です。
だから数話経過すると、その世界での常識的なことや、主人公が何をしているのかが分かってくる。

説明は最初からしているけど、やり方が親切ではないので、初見では分からないだけなのですな。
しかし描写はしているので、見ている側が気をつければ理解は可能になっている訳です。
さらに台詞の一つ一つも、状況を理解してくると違った意味が見えてきたりする。

こうした部分が「富野作品は観れば観るほど異なった感覚を持つ」と言われる根拠でしょう。

実際「リーンの翼」などは、始めは何だかよく分からなかったですが、何度か観ていく内に理解出来、台詞の中身や、キャラの動きなんかにも違った印象を抱くようになりましたから。
それだけ表現というものに色々意味を含ませているために起きている事なのだと思います。

そこら辺が富野監督の表現者としての凄さであると思った次第。

物語というのは、序盤に「何これ? 何がどうなっているの?」という感覚を視聴者に与えるのが大事で、それがあるからこそ引き込まれるのだと思うのです。

ありきたりの展開では、「どうせこうなるんでしょ?」と視聴者が思ってしまい、次回を楽しみにしてもらえないでしょう。
ゆえに設定描写というのは、序盤はある程度ぼやかして、「どうなってるのこれ?」という思いを抱かせるくらいの方がいいと思うのです。

ところが、このぼやかしを許してくれない視聴者が結構いる訳ですわ。
「分からない部分は説明しろ」というようなタイプですね。

しかしそれをしたら、作中は説明台詞ばかりになってうんざりしてしまうと思うのですよ。
実際説明台詞だらけになると、今度は逆に「説明台詞ばかりでつまらん」とか言われてしまったりする訳で。

そうした説明というのは、視聴者がうんざりしないレベルで徐々に出していき、観ていく内にそれが自然と頭に入って理解出来るというのが良いと思う訳ですわ。

ゆえに序盤は説明不足で当たり前、というか分からない方が面白い、と私は思う訳です。
訳が分からないものが徐々に分かってくる快感。
それが物語の楽しさの一つだと思いますから。

shibachi1 at 17:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月03日

オチに説得力を持たせる描写の積み重ね

分かりにくいアニメには二種類あると思います。
描かれている内容が何だか分からないのと、内容は分かるんだけど、深く読み込むと別の意味を含んでいたりするのとですね。

前者は表現が分かりにくいので、考えないと表面的なことすら理解できない。
後者は表現は分かりやすいので、表面的なことはあっさり理解出来る。

前者は表面的な意味について模索する事になるが、後者は表面的な表現に含まれた別の意味を模索する事になる。

前者は、観ていて「何これ? 何言ってるのかさっぱり分からない」みたいになり、後者はそういう事なく観終わった後、「よく考えてみると、あの台詞にはこういう意味が」「あの演出にはそういう意図が」みたいになる。

前者は何も考えずに観る人は楽しめず、後者は何も考えず観る人も、考察して観る人も楽しめる。

そしてどちらが作品として優れているかを考えた場合、個人的には後者になります。
何故なら、考えないと何が描かれているのかすら分からない作品は駄目だと思うので。

ここで前者の代表的な作品として、「AIR」を挙げたいと思います。
何故ならこの作品は、表面的に何が起きていたのかさっぱりだったからです。

考えないと理解出来なかったのですよ。
っていうか、考えても「これだ」って納得出来る答えが無かった。

泣かせる演出なんかは凄く秀逸なので、そこは高く評価しているのですが、あくまで泣かせる部分に関してだけなので、作品全体としての評価となると下がっちゃう訳ですな。

要はやっぱり説明不足なのかなぁ。
視聴者に何が起きているのかを理解させるための説明ですね。
それが足りてない。

これは「事細かに説明しろ」って意味じゃなく、状況を理解するための最低限度の情報ってことです。

本来なら、そういった事がされていない作品は「分かんねぇよ」と駄作の烙印を押されるところなのですが、この作品の原作のシナリオを書いている人の凄いところは、「状況は何だか分からないけど、何か泣ける」と読者を引き込む力を持っている点ですね。

ゆえにそういった部分で楽しめる人は凄く褒め称え、そうではない、最低限度の情報や常識、辻褄についてこだわる人が観ると、「何じゃこりゃ。ありえんだろ」みたいな感じになり、評価が二つに分かれるのでしょう。

この人の書く作品は、そうした論理的な事ではなく、感性で楽しむものなので、感性で満足出来る人には凄く共感を得られているのだと思います。

これとは逆に、嫌というほど情報をつぎ込んでいる作品として「コードギアス」があります。
この作品は普通に観ていても楽しめますが、作中にとにかく情報が多く描かれているため、考察を始めるとより面白くなる内容になっているのですな。

つまり最初に定義した「後者」の作品な訳です。

恐ろしいまでの量の情報描写と、その情報に基づくストーリー展開というのは、ホント脱帽するほどに秀逸でしたから。
「よくぞここまで色々考えて作ったなぁ」と感心してしまいましたわ。

特にランゲージダイアリーさんの所にある、最終回に関する考察などを読むと、それがよく分かるんですよね。

何しろこの考察って、「何となく」の推測ではなく、作中で描かれた情報に基づく推測になっていますから。
それまで描かれてきた情報とキャラの性格との整合性が見事にとれた、素晴らしい推論になっているのですよ。
まさに前振りが多く存在するがゆえの、説得力のある推論になっている訳ですわ。

単に「こうじゃないかと思う」ではなく、「このシーンのこの描写から」「このキャラは今までこう描かれてきたから」という、いわば「証拠」に基づいた推論になっているのですな。

「コードギアス」はそういった事が出来る作品なんですよね。
まあ、ちょっと駄目な部分もありましたけど、ほとんどはそうした裏付けのあるストーリー展開になっていた訳です。

ゆえに最終回で視聴者的に「これってどっちなの?」みたいな状況が起きても、論理的に解明が可能になっている訳ですわ。
そういう点で凄い作品な訳ですよ。

そしてこれは「AIR」では出来ない訳です。
何故なら圧倒的に作中で描かれている情報量に差がありますから。

これは「設定の量の差」という意味ではなく、「オチに説得力を持たせるための前振りとしての情報量の差」という意味です。

それが「AIR」は凄く少ない。
だから論理的解明が不可能になっている訳ですわ。
「何となくこうだと思う」という、説得力の無い考察しか出来なくなっている訳です。

などと書くと、一方的に「コードギアス」が優れているかのように思われてしまうかも知れませんが、「コードギアス」にしても駄目な部分はあるんですよね。

それはキャラの内面描写です。
それが弱い。

他の部分が情報の積み重ねで説得力を持たせているのに比べ、キャラの内面の積み重ねに関しては凄く少なくなっていますから。
「何故そのキャラがそういった感情を抱いたのか」というのを納得させるだけの積み重ねが弱いのですよ。
ゆえに感動させるシーンであまり感動出来ないのですな。

表面的な「感動させる」という描写は上手いですが、「何故感動するのか」という理由を考えた場合に、証拠となる過去の描写が少ない訳です。

友情が感動のポイントになっている場合だと、その友情を強く感じさせるための過去の描写ですね。
それが少ないために、友情をテーマにした感動シーンの感動が弱くなっている訳ですわ。

その点では「AIR」に負けているんですよね。
あちらは逆に、感動させる部分に関しては凄く積み重ねがありましたから。
ゆえに感動面では「AIR」の方が描写的に優れている訳です。

そういう意味で、個人的にはどちらも微妙ではあったりするんですよね。
感動出来たり、面白いと思ったりはするのですが、イマイチお気に入りには出来ない状態になっているのですな。

結局アニメにおいて「ここぞ」というシーンを描く際に、それを視聴者に納得させるには、過去の描写の積み重ねが必要だと思うのです。
昨今、そういった積み重ねをせず、感動的に見えるシーンだけを上手く描くことで誤魔化している作品が多いように思えます。

それで感動出来たりする場合もありますが、それはその作品において培った感動ではなく、他の作品の似たようなシーンの積み重ねによって得られている感動に思えるのですわ。
多くの作品を観ている人間だからこそ、似たようなシーンがあると、それを無意識の内に当てはめて感動してしまうというか。

「年を取ると涙もろくなる」というのがありますが、あれもそれだけ泣ける経験を積んできたがゆえに、似た泣ける状況になると、過去に経験した悲しさが蘇って泣けるのだと思いますしね。

アニメにおいてもそれは言えて、「以前観たことのある悲しいシーンと似た雰囲気の描写だから、同じように悲しくなる」という現象が起きていると思う訳です。

ゆえに制作側は、事前に積み重ねを描かずとも、いきなり「よくある泣けるシチュエーション」を持ち出して、感動的なシーンを作り上げてしまう事が出来る訳ですよ。

しかしそれは、作品としては手抜きのようなもので、宜しくない行為だと思う訳です。
やはり一つの作品として感動を描くのならば、その作品中において、感動のための描写の積み重ねというのを描くべきだと思うのですわ。
そういう作品こそ、本当の意味で感動を呼べる作品になるのだと思いますから。

今後そういった作品が増えてくれると嬉しいんですけど、今のところあまり無いんですよねぇ。
ホント残念な事でありますわ。

shibachi1 at 20:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月01日

園原杏里にみる文化系サークルクラッシャー要素

「デュラララ!!」の素晴らしきヒロイン、園原杏里たん。
私は毎週彼女のオッパイが目当てで「デュラララ!!」を観ておりました。

いや、ストーリーは原作を読んで知っていたので、楽しみとしてはそこら辺に意識を向けていた訳ですよ。
何しろ凄いですからね、オッパイが(笑)

んでその杏里たんですが、容姿や性格なんかを考えるに、「文化系サークルクラッシャー」に思えてきたのですな。
リンク先に書かれている特徴が、どうも杏里たんと被るなぁ、と思ったので。

「文化系サークルクラッシャー」というのは、簡単に言えば「臆病な文化系男子をまったく拒絶しない(ように見える)女子」という事らしいです。

要は女の子に声をかけるほどの度胸は無いけど、何とか女の子とお近づきになりたいと考えているような男子が、「この娘なら大丈夫じゃない?」といった印象を得るタイプのお嬢さんって事ですな。

「デュラララ」で言えば、帝人がまさにこの臆病な文化系男子ですね(笑)
そして杏里たんも、声をかけられても拒絶しそうも無いタイプな訳ですよ。

リンク先では、篠崎愛さんというグラビアアイドルの方を例として説明がされているのですが、この人に対する分析というのが、何とも杏里たんと被るのですわ。
以下がその分析結果。

 1.黒目がちで意思の弱そうな瞳で、見ようによっては可愛いところ
 2.怒った顔や拒絶があまり想像できない、すごく幼い顔立ち
 3.にも関わらず体型は大人で全然オッケーそうなところ(なにがだよ〈笑〉)
 4.「高値の花」観が少なく、誰にでも優しくて人の話を聞いてくれるたたずまい
 5.基本、太めで肋骨などが見えず、生物的な生々しさを感じさせないところ
 6.他の男性とはまったく遊んでいる感じがしない純真そうな雰囲気(処女性)
 7.でも美人すぎないため、競争率も本人のプライドも高くなさそうなところ
 8.頭がすごく良さそうでも悪そうでもなく、適度に良さそうなところ
 9.運動がムチャクチャ得意そうにも見えないところ
10.男子の嗜虐性と騎士道精神を同時に引き出しそうな防御の弱そうなところ

まさに杏里たんと被る被る。

っていうか、臆病な文化系男子である私としては、確かにこういうタイプに弱いのですな。
実際篠崎愛さんも好みですしね。
DVDも買っちゃいます(笑)

つまり、私が杏里たんにやたらと惹かれたのも、オッパイだけが理由じゃなかったという訳です。
以前から杏里たんの醸し出す、気弱そうな部分と肉付きのいい体の組み合わせってのに妙な興奮を覚えていた訳ですが、上記のような理由で、実は私の中の臆病な文化系男子の部分がキュンキュン萌えていた訳ですわ。

この事に思い至った時に「なるほどこれか」と納得した次第。

そこでもし、自分の所属している文化系サークルに、杏里たんが居たらどうなるかを想像してみました。

・・・

うむ、確実に密かにアイドルとなるでしょう(笑)

そして次第に野郎共の心に、杏里たんに対する独占欲が芽生えていく訳ですよ。

周囲は自分と似たような臆病な文化系男子ばかり。
その中の一人がある日、「園原さん、一緒に帰ろう」と誘う訳です。
「野郎っ、やりやがったなっ」
その瞬間、口には出さずとも、周囲の野郎共の心には嫉妬の嵐が巻き起こる訳です。
そして「よし、今度は俺が『一緒に帰ろう』って声かけるぞ」となる訳ですわ。

そういった事が繰り返され、いつしかサークル内はギスギスした状態になっていく訳です。
まさにサークルクラッシャー(笑)

臆病な文化系男子にとり、上記の10項目というのは凄く重要な要素になっており、これに当てはまれば当てはまるほど、その女の子は臆病な文化系男子にモテるという訳です。
逆に言うと、そこから外れると惚れる対象としては難しくなる訳ですわ。

例えば「デュラララ!!」には、杏里たんが寄生していた相手として張間美香が出てきます。
彼女は凄く可愛く、スタイルも良く、社交性も高い、実に魅力的な女の子になっています。

その美香と杏里たんが同じサークルに居たとして考える訳です。
その場合、帝人のような臆病な文化系男子はどちらに惹かれるのか・・・

ああ、ストーカー部分は排除しましょう。
そうしないと一般的な話に出来ないので(笑)

結果としては、杏里たんに惹かれる野郎が多いと思うのですよ。
何故なら、美香は可愛すぎるので「自分では相手にしてもらえないんじゃないか」と思わせる部分があり、また意思の強さから「自分を否定しそうに思えて怖い」という発想が起きるからです。

無論、作中のように凄く惚れられた場合は別ですよ。
これは惚れられる以前の話ですから。

リンク先でも他のアイドルの例を挙げて、可愛さと意思の強さについて述べられていますが、やはり臆病な文化系男子にとって、高嶺の花にならないレベルの顔と、こちらの臆病さを刺激しないレベルの意思の弱さってのが必要になっていると思います。

「凄く可愛いから男を選択するに違いない」と思わせる雰囲気や、こちらが何か言った際に強く返される雰囲気があるのは駄目な訳です。
ゆえにそういった部分の無い杏里たんは、かなりクラッシャーな要素が強い訳ですわ。

ここら辺の意思の弱さの魅力に関しては、綾波的なキャラの魅力にも繋がっていると思いますね。

綾波はこちらが何を言っても基本的に無反応ですし。
つまり反発が無い訳です。
ゆえに安心して気持ちをぶつけられる訳ですよ。
そのため綾波系は、臆病な文化系男子に人気があるのではないかと思った次第。


ピュア・スマイル 篠崎愛

ちなみに篠崎愛さんのDVDは恐ろしいのでお薦めです。

貼った画像は、最高傑作と名高い「Pure Smile」という作品。
当時14歳だとか。
サンプル動画はこちらね。

14歳でこの胸・・・

というか、この童顔でこの胸・・・

うぐぅ・・・

世の中はホント素晴らしさに満ちていますな。
童顔と巨乳の組み合わせは、ホント恐ろしいほどに素晴らしいです。

さあ、同志の諸君、臨也風に高らかに宣言しようではないか。
「オッパイ、ラブっ。俺はオッパイが好きだっ。愛してるっ」と。

shibachi1 at 15:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年06月24日

「Angel Beats!」にみる作品の影響力

「Angel Beats!」のような作品に対する肯定否定の言い争いってのは虚しいです。
何故ならそんな事をしても作品の中身は変わらないし、個々人の感じる面白さは変わらないから。

自分が面白いから「つまらない」と言っている人を叩くのも、その逆も意味が無い。
面白い人は面白さを言い、つまらない人はつまらなさを言う。
それでいいと思うのですよ。

別に「つまらない」と言っている人間が増えたからといって、作品がどうにかなる訳ではないですしね。

批判している人間を叩くより、BDや関連グッズを買いまくった方がよほど擁護になるでしょう。
何しろ商売でやっている訳だし、この世界は売れたら勝ちなんですから。

そもそも「つまらない」と言っている人をいくら責めても、何も変化なんかないですからね。
せいぜい「酷い目に遭わせてやった」という自己満足くらいですか。
人に嫌がらせをして快感を得る暗い喜びの。

そんな事をするより、「この作品はこんなに面白いんです」というのを広めた方が、新しく観る人間を開拓出来る気がしますな。
実際私も天使ちゃんの噂で観る気力が上がっていたりしますし。

批判した人間を叩く状況ってのは、「自分の気に食わない意見は潰してやれ」という意識の現れに思えて怖いです。
東京都の漫画規制を推進している人達も、そういった「自分が気に食わない漫画は消してやれ」って意識があるのでしょうしね。

漫画規制は権力を使い、批判を叩く人は言葉の暴力や数の力を使う。
方法は異なりますが、相手の意見を強制的に封じようとする意識としては同じです。
私はそういった他人の意見を無理矢理封じるやり方ってのは大嫌いですわ。

理由は単純、自分が叩かれる側になった時にムカつくから。
何で自分の素直な感想を述べて嫌がらせを受けなければならないのか。
ホントムカつきます。

漫画の規制も同じ。
何で一部の人間の「これは不健全」という判断のみで、存在自体が危うくならなければならないのか。
腹が立ってしょうがない。

言論や表現の自由ってのは、こうして権力や暴力によって意見や表現が封じられてしまうために憲法に存在するのでしょう。

現実に起きている漫画の規制や、アニメの感想に対する叩きを見ていると、凄く実感出来ますわ。
人というのは、「自分の気に食わない意見や表現を消したい」という意識が強く、現実に行動に出る人間も多いのだということを。

憲法という強力な法律によって縛らないと、守らない人間が多い訳ですよ。
実際民主主義になる前は、そうした個人の意見を封じる国家ばかりだった訳で、いかに踏みにじられやすい自由なのかって事ですな。

法に触れないレベルで、相手に嫌がらせをして意見を封じようとする事はよくある訳で、ホント恐ろしい事です。

それにしても「Angel Beats!」って批判が多いけど、やっぱり地上波でやったのが大きいんですかねぇ。
同じ脚本家の作品である「AIR」はBSでしたし。
私も見たのって結局スカパーでしたしね。

観る人が増えれば褒める人も批判する人も増える。
分かりやすい理屈ですな。

そして「Angel Beats!」が素晴らしい作品だというのは観ていない私でも分かります。
それは何故か。
答えは簡単、面白がっている人が沢山いるから。

たとえそれと同数の批判があろうと関係ないのです。
面白いと感じる人が沢山いる事が大事なのであります。

人の好みは千差万別。
全ての人が面白いと感じる作品など作れるはずがありません。
ならば多くの人が面白いと感じただけで、それは素晴らしい事になるのですよ。

というか、批判している人にしても、観続ける意欲を保たせている点で凄いと思う訳ですわ。
本当に駄目な作品は、観る人間すらいなくなる作品でしょう。

批判している人間は、批判という行為を楽しめている訳で、それすらやる気を起こさせない作品に比べたら、「Angel Beats!」は人を惹き付ける魅力に溢れた作品という事ですわ。

私自身はどうかと言えば・・・

多分批判すらしないで観るの止めるかも(笑)
最近批判行為自体が楽しめなくなっていますので。
批判するくらいなら観るの止めちゃう訳ですな。

萌えられるキャラがいたら、そのキャラのためだけに観て、作品に対する評価はしなくなるでしょう。
つまり「どうでもいい作品」という状態になる訳ですわ。

批判というのは、ある意味その作品に対する熱情であり、意識を多く向けている状態な訳ですよ。
愛と憎しみは表裏一体とかよく言うけど、それと同じですか。

作品として一番悲しいのは、批判する気力すら持ってもらえず、「どうでもいいよ。観ても観なくてもいいや」みたいになってしまう事かも知れません。

つまりそうなっていない「Angel Beats!」というのは、素晴らしい作品なのではないかと思う訳です。
まあ、私にとって面白い作品であるかは別ですけどね(笑)

「どうでもいい作品」の分かりやすい例えだと、第1話を観て、特に批判的な意識すら持てず「つまんね。切る」とやられてしまう作品かも(笑)

まさに無視。
マイナス的な興味すら引けなかった悲しさ。
作品として最悪な状態じゃないでしょうか。

だから「Angel Beats!」の制作の人達は、批判だろうがネットで盛り上がっているのを見て喜んでいるのではないかと。
まあ、悪口は嫌でしょうけど、それ以上に褒め言葉も多いでしょうしね。

検索しても感想が全然出てこない状態を考えたら、まさに天国。
っていうか、褒めている人間も多い以上、BDも売れるだろうから経済的にも天国。
批判なんかクソ食らえ(失礼)な状態なんじゃないですかねぇ。

まあ、結局ここまで盛り上がれる作品を作れるってだけで凄い事だと思いますよ。
この脚本書いている人の作品って好きな人が多い訳で、微妙な部分があっても十分帳消しになりますし。

要は褒めてるのだろうが批判だろうが、その作品を観て楽しんでいる事には違いない訳です。

っていうか、「Angel Beats!」を一度も見たことのない私がこれだけの文章を書いている時点で、凄い影響力を与えている作品だと思いますわ(笑)

やはり作品ってのは、人に影響を与えられないと駄目ですよね。

shibachi1 at 13:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年06月09日

批判的な感想に対する態度

私は全く観ていないのですが、「Angel Beats!」は観る人によってはかなり微妙な出来になっているらしく、あちこちで批判的な感想が書かれているみたいですね。

そしてそれに対する反論というか、嫌がらせも・・・

そんな訳で今回は、「感想とはどういったものであるか?」という事について書きたいと思います。
って、別に「感想とはこうあるべき」とかいう話ではなく、「感想ってのはこういうものだから、それに反論するのは無意味」という話ですわ。

私もたまに批判的な感想を書くことがあるのですが、それに対し「つまらないだなんてお前は変だっ」みたいな感じの書き込みや、何とか「面白い」という感想に変えさせたがる書き込みをされる事があるので、書こうと思ったのですよ。

まず感想とは何か。
簡単に言えば、「面白い・つまらない」
これに尽きますね。

難しい事や、もっともらしい事が長々と書かれてあっても、結論としてはそれ以外無いですから。

結局感想ってのは、「私は面白かった(つまらなかった)」という気持ちを、他人に理解してもらえるように書いているだけの話で、その上手さが、感想の上手さ・面白さになっていると思います。

一見作品分析のように書かれているものであっても、好みについて書かれてあったら、それは感想でしかないのですな。

だからそれに対し、「面白い(つまらない)だなんてお前は変だ」と言うのは意味が無いというか、他人の感想を否定している行為になる訳ですわ。

無論、感想を否定するのは構わないのですが、それを汚らしい言葉や、非礼な言葉で行うと嫌がらせになるという事です。
何しろブログという自分の書きたい事を書く個人スペースにおいて、「読んでいる自分が気に食わない事を書くんじゃないっ」と言ってくる訳ですからね。

嫌なら読まなきゃいいだけの話なのに、わざわざその人に対して「書くな」と汚らしい言葉で告げてくる。
まさに自分以外の意見は許さない、自己中心的な行為な訳ですよ。

そもそも「面白さ」というのは人によって異なるもので、自分が凄く面白くても他人は凄くつまらない場合があり、その逆もあります。
そうでなければ、世の中には同じ作りの作品しか無くなってしまう事になりますから。

そして感想というのは、自分が面白い・つまらないと思った事を書く事であり、いわばその人の内心の吐露でしかありません。
一見作品分析のように書かれてあっても、結局「だから私は面白い・つまらない」という事にしかなっていないのですな。

というか、「面白い・つまらない」の結論が先にあって「何故面白い・つまらないのか?」を自己分析しているのが感想でしょう。
だからその内容と反対の感想を持っている人間が、「面白い(つまらない)だろっ」と詰め寄っても意味がない訳です。
何故なら感想を書いた人間にとっては、他人から何を言われても面白いものは面白いし、つまらないものはつまらないのですから。

逆に言えば、そうして詰め寄っている人間にしても、他人から反対の意見を言われたからといって、感想を変える訳がないですからね。
つまり「面白い(つまらない)と思えっ」といくら言われたって、お互い直すはずがないので、突っかかるだけ無駄な訳です。

せいぜい出来るのは、その感想に書いてある矛盾点の追求や、感想から読み取れなかった「何故面白い(つまらない)のか?」の部分を尋ねる事くらいですか。
いわば、その人自身の面白い・つまらないの自己分析に対する指摘ですね。

それは「自分は面白い(つまらない)のに、何故この人はつまらなく(面白く)感じたのだろう?」という相手に対する興味と言えますか。
自分とは異なる感覚について理解を求める態度ですね。

これとは逆に、「自分は面白いのに、つまらなく感じるこいつはおかしい」と考えるのは、相手を理解する気がない、というか、自分以外の考えを否定する意識の現れでしょう。
自己中心的発想ですね。

無論、そう思うのは自由だし、また相手に伝えるのも自由な訳ですが、それを汚らしい言葉や非礼な言葉で伝えるというのは、嫌がらせになる訳です。
そして嫌がらせというのは、人間関係において最低な行為であり、その人自身が最低な人間である事の証になる訳ですわ。

子供を叱る時に使う言葉で「自分がされたらどう思うか考えてみろ」というのがあります。
この問題はまさにそれで、自分がつまらないと思った作品に対し「面白いだろっ」「面白く思わないなんて変だっ」と責め立てられたらどう思うか。

それが分かればやらない事なんですよね。
誰だって自分が思ったことを否定されるのは嫌ですから。

ゆえに自分の好きな作品が批判された場合であっても、自分の「面白い」という気持ちを相手に押しつけてはいけないのです。
押しつけは、これまた嫌がらせになりますから。

相手の意見を否定するにしても、それは穏やかに冷静に行うべきで、汚らしく罵って行うべきではないのです。

そもそも自分が感想を変えないように、相手も感想を変える訳がないのですから、汚く罵ってまで意見をぶつけるというのは、自分の人間性を貶める行為でしかないでしょう。

だからこうした「自分の好きな作品が批判された」という腹の立つ状況になった場合は、完全に無視するか、「批判している人間は、自分とは面白さの感覚が違う」と考え、軽く流してしまうのが良いと思います。

わざわざ「批判しているブログ」と紹介されたリンク先に行くなどもってのほかです。
見に行ったって楽しい気分になれるはずがないのですから。
それより好きな人同士で盛り上がっていた方が幸せでしょう。
何よりその方がお互いのためですしね。

もし見に行くのだとしても、感情的にならず、冷静に、相手が何を言っているのかを理解する事が大切です。
批判している人にしても、別にその作品の存在を無くしたいとか、「面白く感じているヤツはおかしい」と言っている訳ではないのですから。

もちろん「面白く感じているヤツはおかしい」とか書いているのは別ですよ?
それは完全に自分の意見以外は認めない、自己中心的な発想ですから。

しかしそうじゃない人の感想、「自分がどう思ったか」を書いているだけの感想に嫌がらせ的に突っかかるのは、「自分と違う感想を持っているヤツはおかしい」という事になり、人間として最低の行為になるでしょう。

そこら辺に気をつけて、批判的な感想には反論していくのが大切なのではないかと思います。

冷静に丁寧に反論すれば、相手も嫌な感情は抱かないでしょうし、面白がってくれるかも知れませんし、もしかしたら「それは思ってもみなかった」と作品に対する感想をある程度修正してくれるかも知れません。

同じ内容であっても、言い方一つで違った印象になる訳ですよ。
やはり礼儀というのは大切なのでありますわ。

shibachi1 at 16:23|PermalinkComments(15)TrackBack(0)

2010年05月30日

疾風!アイアンリーガー 廉価版DVD-BOX 発売決定


EMOTION the Best
疾風!アイアンリーガー
DVD-BOX1


アイアンリーガーのDVD-BOXが発売だぁ〜〜。
おおっ、欲しいぜ〜〜。

でも金が・・・
金が大変な事に・・・
同時期に出るガンダムのDVD-BOXが多すぎるんだよ〜〜。

むむぅ、これはゆっくり買うしかないですな。
まとめて買うととんでもない金額になってしまふ・・・

んでアイアンリーガーですが、やはりマグナムエースですね。
松本保典さんが良いのですよ。

わたしゃ松本さんのヒーロー叫びが大好きなんでねぇ。
ゆえにこの作品は最高なのであります。
ああっ 早く44ソニックのシーンが観たいですなり。

っていうかさ、ウィキペディアで改めてキャスト見たけど、何と渋い声優陣か・・・
親父声優好きにはたまらない作品になっておりますよ。

個人的には立木文彦さんが凄く印象に残ってるんですよね。
ゴールド三兄弟は強烈だったなぁ。

そこら辺を含め、熱いロボスポ根アニメが観られるのを楽しみに待ちたいと思います。

shibachi1 at 20:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年04月26日

「いばらの王」を観に行こう


いばらの王 2巻

ここんとこ映画を観に行くと、ちょこちょこ予告編が流れていたこの作品。

気がつけば今週の土曜から公開なんですねぇ。

何となく面白そうなので、ちょっと観に行ってみようかと思いました。
何より主人公が花澤香菜ちゃんだしさ。

予告編で主人公の女の子が出た瞬間、「これって香菜ちゃんがやったら合いそうだなぁ」とか思ったら、ホントに香菜ちゃんだったので笑いましたよ(笑)

いや、単に眼鏡でふくよかそうなお嬢さんだったので、香菜ちゃんのエロスなボイスが似合う感じがしただけなんですが。
まあ、香菜ちゃんは最近そういう役をやっているので、「眼鏡&ふくよか = 香菜ちゃん」と脳が単純に反応しただけかも知れませんけど(笑)

映像に関しては、予告編を観た限りかなり良さそうですし、ストーリーも原作の評価が高い感じなので、変な風に変更さえしていなければ大丈夫かなぁ、と。

ここんとこ不発の映画が続いているので、面白いと良いですな。

取り敢えず興味湧いた人は、公式サイトで予告編が観られますのでご参考までにどうぞ。

shibachi1 at 20:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年02月17日

ロボットの合体シーンはカッコいい


超重神グラヴィオン
DVD-BOX


昨日「聖痕のクェイサー」の感想でガオガイガーネタを書く事にしたんで、合体シーンの映像を久々に観ました。

そしたら燃えましたわ。
ガオガイガーカッコええっす。

やはりロボットの合体シーンってのはいいですね。
燃える燃える。

んで「もっと合体シーンが観たいなぁ」とか思ったので、何がいいかと考えて思い出したのがグラヴィオン。

ガオガイガーの合体シーンもいいですが、私にとってグラヴィオンの合体シーンは凄くお気に入りなんで。
探してみたらあったので、早速視聴。

うむ、やはりカッコいいっす。
合体の見せ方が実に秀逸なんですよねぇ。

合体指示に、合体のコマンド、そしてそれに伴う動き。
さらには後ろで流れるカッコいい挿入歌。
まさに完璧と言える描写なのであります。

何回観ても飽きないのですよ。
何よりリィルたんが可愛いしな(そこかい)

そういやこれってメインパイロット役を福山潤さんがやってるんですよねぇ。
この頃はまだ福山さんをよく知らなかったんで、今観ると何とも感慨深いですわ。
いやはや出世したもんだ。

んでこの作品は合体シーンで面白い演出をやる事があって、今回観た映像もそれを利用した作りになってました。

二つ入ってるんですけど、最初のは「あれ?」って感じで、二つ目のは「おや?」って感じで、実はまともなのは無かったりして(笑)
まあ、それでも燃えるからいいんですけどね。

個人的には花見の回のもあると嬉しかったかなぁ。
斗牙の頭の上にフェレットが乗っているやつ。

そういやギャグ的にも冴えていたんですよねぇ、グラヴィオンってば。
ゆえに私的にかなりお気に入りの作品になっている次第。

ちなみに最後に入っていた「おまけ」は、「やっちまったな」と(笑)
いくら声が同じだからってこりゃないよ。
いや、面白いんですけどね。
内容については、観てのお楽しみって事で内緒です(笑)

それから合体シーンじゃないけど、グラヴィオンのOP風にしたスクライドの映像もあったのでご紹介。

見事なまでに合わせているので凄いと思いましたわ。
っていうか、ロボットの演出が一緒過ぎて苦笑(笑)

カッコいい演出をすると似ちゃうのかなぁ。
まあ、あれはパロだからわざと似せたのかも知れませんけど。

shibachi1 at 22:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年02月04日

十兵衛ちゃん DVD-BOX 発売決定


EMOTION the Best
十兵衛ちゃん -ラブリー
眼帯の秘密- DVD-BOX


むちむちの、ぷりんぷりんの、ぽんぽーん。

という事で、十兵衛ちゃんのDVD-BOXが発売ですよ〜〜。

いや〜〜、放送当時DVDを買おうと思って買わず、DVD-BOXが出た時にも何だか知らないけど買わず、ようやく買う気になった頃にはDVD-BOXが無くなっていて、バラで買おうかどうしようかと思っていたら、廉価版のDVD-BOXが発売決定したのですわ。

ゆえに嬉しい。
ホント嬉しい。
ようやくこれでお安く買えます。

好きなんですよねぇ、十兵衛ちゃん。
何というか「視聴者を楽しませるために作られている」って感じが凄く伝わってくるので。
実に良い出来の作品なのですな。

詳しくは以前書いた感想を読んでいただくとして、一言で言えば「アニメの良さが詰まった作品」って感じですかね。
シリアスとギャグがテンポのいいノリで描かれ、観ていて飽きさせない作りがホント秀逸ですので。

萌え的にも主人公の自由(名前)が、むちむちの、ぷりんぷりんの、ぽんぽーん(公式設定)な体をしているので凄く良いですし。

特にお胸の表現が素晴らしくてですねぇ。
ああいう丸っこいお胸はホント素敵ですわ。
そういう意味でも良質な作品なのですよ。

まだ観たことの無い方には是非とも観てもらいたい作品です。
楽しくて笑えて萌えて感動出来る、本当に良いアニメですから。

それにしても13話入りで8,190円ってのは安いですなぁ。
Amazonで買うと6,061円ですし。
こういうのは実に良いので、どんどんやって欲しいでありますよ。

shibachi1 at 09:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月27日

トライガンDVD-BOX 発売決定


トライガン D-1

トライガンのDVD-BOXが発売ですよ〜〜。

いや〜〜、映画版が公開されるので、DVD-BOXも出るのではないかと期待していたら出ましたね。
これでようやく買う事が出来ますわ。

でも内容的には、どうやらバラで売っていたのをまとめただけっぽいのでガッカリ。
HDリマスターしてくれるのを期待していたのですが・・・

だって昔のアニメって、今のテレビで観ると辛いんだもん。
PS3で観れば少しは良くなるでしょうけど、それでもやっぱり辛いからなぁ。
もし今後映画版のDVDを買ったとしたら、画質の差に愕然としそうな気がしますよ。

まあ、バラで買い集めたと思えば別にいいんですけどね。
元々もっと前に買っていたかも知れない訳ですし。

取り合えずやんぐ師匠のカッコいい演技に痺れるために買いますわ。
この作品でそれまで「ひ弱な男の子をやる声優さん」って感じだった小野坂さんに対する印象が変わったんですよね。
「こんなカッコいい役もやるんだ」と驚いた覚えがありますわ。

今も結構おちゃらけた役が多いので、そういう意味で貴重な作品と言えるでしょうな。
まあ、ヴァッシュもおちゃらけてると言えばそうなんですけど(笑)

shibachi1 at 12:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月17日

アニオタの種類


プリンセスラバー! Vol.4

アニオタについて面白い定義をしている記事がありました。

大まかに書くと、タイプAは深みやストーリー重視、タイプBは萌え重視ってとこですか。

そんで自分がどちらかと考えてみると・・・

う〜〜ん、どちらでもないですかねぇ。

一応タイプAって感じもしますけど、合わない部分もあるしなぁ。
基本的に「深みが無いから嫌い」って事はないですし。

私が嫌いなのは、「深みがあるべき内容なのに、浅く描いている」ってのですからね。
萌えや馬鹿な内容が主体の作品に深みは求めません。

「その作品がやろうとしている事をどこまで丁寧に描いているか?」ってのが一番のポイントかな。
要は「丁寧さ」が大事なのかも。
だから萌え作品であっても丁寧な作りにしていれば評価するし、楽しんで観られる訳ですわ。

んでタイプBは完全に合わない感じですか。

一応可愛いキャラで観たくなったりもしますけど、作りが酷いと観なくなりますんで。
これはタイプAの作品でも同じですね。

やはり丁寧さが基準ですな。
「萌えアニメだったら萌えを丁寧に描け」って思うのですよ。

例えば「プリンセスラバー!」や「そらのおとしもの」は、どちらもキャラに惹かれて観始めましたが、前者は途中で観る気力がガタ落ちし、後者は最後まで楽しく観られました。

キャラ萌え的には「プリンセスラバー!」の方が凄く高いのに、「そらのおとしもの」の方が観る気力を保てたのは、完全に萌えキャラ以外の要素の作りの丁寧さが理由ですから。

「如何にキャラを可愛らしく萌えられるように描けているか?」という点で、「プリンセスラバー!」は途中で駄目になり、「そらのおとしもの」は最後まで良かった訳です。
んで「そらのおとしもの」は萌え以外の要素も丁寧に描かれていたので、さらに作品としての評価も高くなった次第。

っていうか、自分が萌えられるキャラが居れば居るほど、その良さを生かし切れていない作品は駄目になりますね。
そういう意味で、「萌えキャラさえ居ればOK」というタイプBには絶対なれないと思います。

ちなみに私がいわゆる萌え系のアニメをあまり観ないのは、そういった作品が嫌いなんじゃなく、単に萌えられる絵柄じゃない場合が多いからですね。
惹かれる絵柄じゃないと観ない訳ですよ。

「プリンセスラバー!」や「そらのおとしもの」は、絵柄を見た瞬間惹かれたので食指が伸びた訳ですわ。
まあ、「エロスを感じた」ってのが大きいかも知れませんが(笑)

やはり萌えをメインに観るとしたら、そういう要素が無いと駄目なんですよね。
んで私はいわゆる「萌え絵」と呼ばれている絵は駄目なので、そういった作品は避ける傾向が強い訳です。
萌えられないのに萌えがメインの作品を観ても楽しめませんから。

てな感じで自己分析をしてみましたが、大抵の人は多かれ少なかれこんなもんじゃないかなぁ、と。
自分の中に「楽しめる基準」ってのがあって、それに合致するか否かで決めるんじゃないかと思うのですよ。

いくら深みがあってもつまらなきゃ駄目だし、いくら萌えキャラが居ても他の要素で辛くなったら駄目。
そういう人が一番多いんじゃないかと思いますわ。

shibachi1 at 13:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月13日

僕らの童帝


ガン×ソード VOL.13

久しぶりに「ガン×ソード」の童貞告白シーンを観たら、ウェンディが実に可愛くて良かったです。

っていうか、ほーちゃんが可愛いんだが(笑)

「あなたのお嫁さんになってあげる」

などとほーちゃんに言われる疑似体験が出来るのが最高なのですよ(馬鹿)

ほーちゃんは最近こうした可愛い役をあまりやらないので、実に貴重なお嬢さんなんですよねぇ。
あ〜〜、もっとこういう役をやらないかのぉ。

ついでにファサリナさんはエロ過ぎでした(笑)
こんなエロかったっけ?(笑)
倉ちゃんはやっぱこういう役が素敵ですなぁ。

それにしても「ガン×ソード」はDVD-BOXが出ないですねぇ。
結構好きな作品なんで、BOXが出たら買おうと思っているのですが、そういう作品に限って出ないという。

DVDを持っている作品は何度も出たりしてさ。
そこら辺はメーカーの方針の違いなんでしょうなぁ。

ちなみにDVDの特典映像である「ガンソードさん」はやはり面白すぎっす。
こちらもほーちゃんが爆裂していていいんですよねぇ。

ああ、こういうキャピキャピした感じの役も聞きたいなぁ。
って、うぎゃがキャピキャピしてるかは別問題だが(笑)

shibachi1 at 15:18|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2010年01月06日

星界シリーズ 廉価版DVD-BOX


EMOTION the Best
星界の紋章 DVD-BOX


我らが殿下が安くなった〜〜。

などと書くと語弊がありますが(笑)星界シリーズのDVD-BOXがやたらと安い値段で発売なもんで。

13話収録で8,190円って何それ?
まるで2話入り初回限定版DVD1巻分くらいの値段じゃないですか。

「紋章」「戦旗」「戦旗2・3」の三つを買っても24,570円・・・

安い・・・

ちなみに以前出たDVD-BOXは52,500円。
しかも当時新しく出た「戦旗3」は入っていない状態で・・・
「戦旗3」は2巻で10,500円なんで、合わせると63,000円なりますな。

それが24,570円・・・

半額以下ですよ。
何とも随分安くなったもんです。
今まで欲しかったけど買ってなかった人には朗報ですね。

ちなみに私は以前のBOXと「戦旗3」を持っているので買いません。

まあ、久々に殿下のご尊顔を拝したくなったのでDVDを観ますかな。
結構サービスシーンがあって、殿下が素敵なので良いですゆえ(そこかい)
うむ、楽しみであります。

shibachi1 at 13:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

管理人 シバッチ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
アニメ各話感想
感想話数少アニメ

【あ行のアニメ】
アウトブレイク・カンパニー
アカメが斬る!
アクエリオンEVOL
アクティヴレイド
あそびにいくヨ!
ACCA13区監察課
荒川アンダー ザ ブリッジ
RD 潜脳調査室
アルドノア・ゼロ
イクシオンサーガDT
いちばんうしろの大魔王
いつか天魔の黒ウサギ
イノセント・ヴィーナス
IS<インフィニット・ストラトス>
ウィッチブレイド
うしおととら(1) (2) (3)
うたわれるもの 偽りの仮面(1) (2)
宇宙戦艦ヤマト2199
AIR
エウレカセブン
エウレカセブンAO
エレメンタルジェレイド
狼と香辛料
狼と香辛料
オカルティック・ナイン
織田信奈の野望
おとぎ銃士赤ずきん
俺物語!!(1) (2)

【か行のアニメ】
輝きのタクト
学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD
革命機ヴァルヴレイヴ
かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜
ガッチャマン クラウズ
ガッチャマン クラウズ インサイト
CANAAN
Kanon
神様ドォルズ
神のみぞ知るセカイ
神のみぞ知るセカイ
神のみぞ知るセカイ OVA
神のみぞ知るセカイ 女神篇
仮面のメイドガイ
喰霊−零−
ガン×ソード
ガンダムSEED DESTINY
ガンダム Gのレコンギスタ
ガンダムOO
ガンダム 鉄血のオルフェンズ(1) (2) (3)

ガンダムUC
かんなぎ
寄生獣 セイの格率
キディ・ガーランド
キミキス pure rouge
キャプテン・アース
GANGSTA.
境界線上のホライゾン
境界線上のホライゾンII
京四郎と永遠の空
銀色のオリンシス
グイン・サーガ
クオリディア・コード
くまみこ
クレイモア
クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
クロムクロ(1) (2)
K
K MISSING KINGS
K RETURN OF KINGS
GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり
血界戦線(1) (2)
月刊少女野崎くん
源氏物語千年紀 Genji
攻殻機動隊 S.A.C 2nd GIG
甲鉄城のカバネリ
鋼鉄神ジーグ
極黒のブリュンヒルデ
極上生徒会
GOSICK−ゴシック−
コードギアス 反逆のルルーシュ
コードギアス 反逆のルルーシュ R2
CODE:BREAKER
琴浦さん

【さ行のアニメ】
彩雲国物語
PSYCHO-PASS
PSYCHO-PASS 2
SAMURAI7
サムライガールズ
サムライブライド
サムライフラメンコ
さんかれあ
3月のライオン(1) (2)
残響のテロル

しおんの王
屍鬼
シグルイ
シドニアの騎士
灼眼のシャナ
灼眼のシャナII
シャングリ・ラ
獣王星
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
シュヴァリエ
STEINS;GATE
純潔のマリア
ジョジョの奇妙な冒険
ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース(1) (2)
ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(1) (2) (3)

新世界より
真マジンガー 衝撃!Z編
侵略!?イカ娘
神霊狩/GHOST HOUND
翠星のガルガンティア
スカルマン
スクールデイズ
スクールランブル
スクールランブル二学期
涼宮ハルヒの憂鬱
涼宮ハルヒの消失
ストライク・ザ・ブラッド
Super Seisyun Brothers -超青春姉弟s-
スーパーロボット大戦OG
スピードグラファー
世紀末オカルト学院
聖剣の刀鍛冶
聖痕のクェイサー
聖痕のクェイサー
ゼーガペイン
絶園のテンペスト
ゼノサーガ
ゼロから始める魔法の書
ゼロの使い魔
ゼロの使い魔〜双月の騎士〜
ゼロの使い魔〜三美姫の輪舞〜
ゼロの使い魔F
閃光のナイトレイド
戦場のヴァルキュリア
蒼穹のファフナー
蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT
蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH
蒼穹のファフナー EXODUS(1) (2)
奏光のストレイン
創聖のアクエリオン
そらのおとしもの
そらのおとしものf
ソルティレイ
それでも世界は美しい
それでも町は廻っている

【た行のアニメ】
タイドライン・ブルー
タブー・タトゥー
ダンガンロンパ
ダンクーガ ノヴァ
男子高校生の日常
ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド
つぐもも
ディメンションW
テガミバチ
鉄腕バーディー DECODE
鉄腕バーディー DECODE:02
鉄腕バーディー DECODE OVA
DEVIL SURVIVOR 2
Devil May Cry
デモンベイン
デュラララ!!
デュラララ!!×2 承
デュラララ!!×2 転
デュラララ!!×2 結
地球へ…
天鏡のアルデラミン
東京ESP
DOG DAYS
DOG DAYS′
DOG DAYS″
トータル・イクリプス
ドラゴンクライシス!
トリニティ・ブラッド
ドリフターズ
ドルアーガの塔〜the Aegis of URUK〜
ドルアーガの塔〜the Sword of URUK〜

【な行のアニメ】
NIGHT HEAD GENESIS
夏目友人帳 参
謎の彼女X
七つの大罪
七つの大罪 聖戦の予兆
ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン
ぬらりひょんの孫
ノエイン もうひとりの君へ
ノーゲーム・ノーライフ
ノーゲーム・ノーライフ ゼロ
ノブナガ・ザ・フール
ノラガミ

【は行のアニメ】
ハイスクールD×D
ハイスクールD×D NEW
ハイスクールDxD BorN
這いよれ!ニャル子さん
這いよれ!ニャル子さんW
薄桜鬼
幕末機関説 いろはにほへと
はじめの一歩 New Challenger
はじめの一歩 Rising
バッカーノ!
バディ・コンプレックス
花咲ける青少年
ハヤテのごとく!
バンブーブレード
パンプキン・シザーズ
東のエデン
東のエデン 劇場版
東のエデン 劇場版
ビッグオーダー
ひぐらしのなく頃に解
棺姫のチャイカ
pupa
ヒロイック・エイジ
貧乏神が!
Phantom−PHANTOM THE ANIMATION−
Phantom〜Requiem for the Phantom〜
Fate/stay night
Fate/stay night Unlimited Blade Works
Fate/Zero
Fate/Grand Order
Fate/Apocrypha
武装少女マキャヴェリズム
武装錬金
プピポー!
ブラスレイター
BLOOD+
フリージング
プリンセスラバー!
BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜
ProjectBLUE 地球SOS
フルメタル・パニック! The Second Raid
BLAZBLUE ALTER MEMORY
ブレイクブレイド
PERSONA−trinity soul−
persona4 the ANIMATION
Persona4 the Golden ANIMATION
僕だけがいない街
WHITE ALBUM

【ま行のアニメ】
まおゆう魔王勇者
マクロスΔ(1) (2)
マクロスFRONTIER
まじもじるるも
魔弾の王と戦姫
まどか☆マギカ
魔法科高校の劣等生
魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女
輪るピングドラム
無彩限のファントム・ワールド
魍魎の匣
問題児たちが異世界から来るそうですよ?

【や行のアニメ】
幼女戦記
夜ノヤッターマン
ヨルムンガンド

【ら行のアニメ】
REIDEEN
落第騎士の英雄譚
ラストエグザイル−銀翼のファム−
乱歩奇譚 Game of Laplace
Re:CREATORS(1) (2)
龍ヶ嬢七々々の埋蔵金
輪廻のラグランジェ
輪廻のラグランジェ season2
リーンの翼
レンタルマギカ
ロクでなし魔術講師と禁忌教典
ローゼンメイデン トロイメント

【わ行のアニメ】
我が家のお稲荷さま
検索
Google
WWW を検索
このブログ内を検索
HP時代の日記を検索
同盟&トラコミュ
cover

cover

cover

cover

cover

cover

cover

にほんブログ村 アニメブログへ