大宮氷川神社拙blogの“オレンジ化計画”もこの記事がラスト。って、タイトルからして思いっ切りパクリ(^^;)なんですが、ちょうどいい機会だから、「思ひ出歌舞伎」のアルディージャ版として書いておきたいと思います。マリノスの初観戦のことも近いうちに必ず書く(ちなみに96年のことでした)ので、ロコさんにはご勘弁いただきたい、と。

私にとって最初の大宮の試合は2000年8月26日、大宮公園での大宮vs札幌だった。
この年は岡田監督とエメルソンを擁した札幌が絶好調で、結果としてJ2の優勝と得点王を手にするのだが、8月の時点で札幌の勢いは群を抜いていて、エメルソンの評価もずば抜けて高かった。
記録によるとこの日の観衆は7,469人で、アウェイ側のゴール裏は札幌のサポーターで埋まっていたし、メインスタンドには、好調の札幌と「岡ちゃん」を見ようとやってきた“一見さん”がたくさんいた。

…ハイ、すみません。私もそんな一見さんの一人でした。それまでに大宮の選手が「動いている」姿を見たことはほとんどなかったような気がします。
ただし、J2開幕当初から「オレンジと紺のチェック柄」という独特のユニフォームだけは意識に残っていたし、Jリーグ版ウイイレ(98-99ver)では大宮を使ってプレイしたこともあったので、どんな名前の選手がどのポジションにいるのかは何となく知っていた。
そしてこの日、あまり縁のない大宮という場所まで行こうと思ったのは、「J2ダイジェスト」の猛毒さんが当時、大宮公園への行き方や、今も続く大宮の「スリーライン」の緻密さをサイトで語っていたことも大きかったように思う(今はそのコンテンツはないのですが)。
最初に驚いたのは、大宮公園サッカー場の近さと暗さ、そして「選手の声」だった。近さについては、この2年前から横国に馴らされていたので余計にそう感じたのだろうし、暗さも同様だろう。しかし少し黄色い照明に照らされた深い芝はしみじみと美しかったし、その上でまさに「補色」のオレンジ色が動き回る姿は眼に鮮やかだった。
さらに「選手の声」が良く聞こえることも驚きだった。パスワークの質自体はもちろんマリノスより低いのだが、パスミスがあった後で、お互いにどう声をかけてどう修正していくのかを逐一聞きながら観る試合は新鮮だった。

余談ながら、大宮公園でも観客の野次も選手によく聞こえる。一度、バックスタンドで船越優蔵(新潟)に思いっ切りにらまれたことがあったっけ。その野次を飛ばしたのは私じゃなくて、後ろの人ですってば…。

この日の大宮のシュートは14に対して札幌は5。しかし得点は逆に0-2で札幌が勝った。エメルソンのパートナーである播戸がゴールを決めた。札幌の中盤には山瀬もいた。大宮でこの日の試合に出ていて、現在もレギュラーでいるのは奥野くらいか。
大宮の監督は前年のピム・ファーベック(後に韓国で評価を上げ、京都で下げることになる)から三浦さんにスイッチしていたが、4バックでボールを支配しながら得点が奪えない、というあたりは“ある意味オランダそのもの”のスタイルだな、と思ったことを記憶している。

ちなみに同じ日、J1はお休みで、宮城スタジアムでオールスターゲームが行われていた。明確な理由は思い出せないけれど、とにかく“生の試合”が観たかったのだろうなあ、と当時の自分を想像して思う。オールスターの方はストイコビッチが活躍してJ-WESTが勝つのだけれど、J-EASTではトゥットがゴールを決めている。

私の方は翌年、桜吹雪見たさに再び大宮公園に向かい、バルデスを中心として快進撃を始めたチームに魅せられ、また“190cmのベビーフェイス”つまりバレーを目当てにして、J1休止期間を中心にだが、大宮にも通い始めることになる。

…しかしネット上で記録を探しながら振り返ってみると、時の流れというのは何かと感慨深いですね。「岡ちゃん」(この日の試合後、札幌サポから誕生日の花束を受け取っていた)はマリノスの監督になり、エメルソンと山瀬は浦和に移って、マリノスにとって手強いライバルとなっているし。
そして今季半ばで大宮に合流したトゥットは、最初はイライラする姿が目立ったものの、昇格レースに欠かせないゴールハンターとしてチームの一員となり、そしてメンバーのほとんどが入れ替わったチームは、再び三浦監督の下で「スリーライン」戦術の精度をチーム史上最高のレベルにまで高めて、ついにここまでたどり着いた…。

週明けから一人、ちょっと感慨深くなってみたりして。ハイ、自己満エントリーでした。おしまい。