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講演収録 
『原発はいらない』水戸巌 テキスト版

1980年(昭和55年) 2月10日発刊 
芝浦工大総合文芸誌「創生」掲載

 この講演は6月16日(ブログ管理者注01:1979年)大宮3301教室(ブログ管理者注02:芝浦工大・大宮校舎)において行なわれたものです。
 録音したものを文章化し、水戸教授に目を通していただいたものをここに掲載します。
 原発問題ー現代の大きな問題の一つであるこの問題は、いかなる点が問題となっているのか、
 そしてそれは我々とどう関わっているのか、
 現代に生きる人間として、と言うことは未来に対して責任ある者達として、我々は認識し、己れの姿勢を正さねばならないでしょう。
 そして又、この問題は、人間が産み出すモノ、その過程と人間、すなわち今、我々が志向する技術と人類との関係上の問題としてもとらえられると思います。
 それでは水戸教授の声に耳を傾げてみましょう。

1 原発-その巨大な危険性

 原子力発電所がどんなに大きな危険性をもっているか、ということを中心にお話したいと思いますが、それに連なって、たとえば石油危機とか、エネルギー危機のことについても後の方で私自身の考えを少し述べてみたいと思います。
 原子力発電所の非常に大きな危険性というのは、先日のスリーマイル島の事故で、理屈でなくて現実のものとして多くの人に知らされたと思うんですが、そこは工学部の学生諸君ですし、もっとその深いところで理解していくということが重要だと思います。
 原子力発電所は、ウラン、ウランのうちでもウラン235 いう同位元素の分裂反応を利用しています。
 広島に溶ちた原子爆弾、これもウランの核分裂の連鎖反応を利用しています。
 その時にだいたいどのくらいの量のウラン235 が核分裂したかということは、覚えておいた方がいいと思います。だいたい1㎏ぐらいであろうと思われます。ウラン235 で1㎏は手のひらにのるくらいですね。もちろん1㎏が核分裂反応を起こすためには、数㎏のウラン235 が使われたでしょう。
 これは百%純粋ウラン235です。ウラン235 は、ある一程度以上集積しますと、自然に連鎖反応が起こる訳です。
 これは「臨界量」といいます。臨界量以下に分けておきますと反応が起きない訳ですがそれを瞬間的にくっつけて押え込んでおくと、その数分の一が核分裂を起こすということになります。
 これが15万人もの人々が即死され、あと十万人程の人々が、原爆症のために亡くなられたという広島のあの惨状を成した一瞬なのです。
 その頃、「ピカドン」という言葉が使われています。おそらく核爆発の瞬間、超高熱の爆風によって焼死したり建物の倒壊や火事によって死者が出た訳ですが、しかし、例えそのピカドンが無くてもやはり十万人程度の人が即死状態であったろうと思われるのです。これは、核分裂の瞬間に出てくる中性子の放射線によって、爆心直下の人々は致死量の放射線を浴びたからです。
 今言いました放射線は核分裂の行なわれたその瞬間だけ起った訳ですが、その時に大量の死の灰がその周辺にまかれるのです。
 それは何かと言いますと、1㎏のウランがさっき分裂したと言いましたけれども、その核分裂を起こしたウランがウランでなくなった訳ですね。ウランがそれ以外の、例えば、バリウム、クリプトンというような物質に分かれたのです。
 それが放射能を持っているのです。
 その死の灰の量は、当然1㎏のウランが分裂したものですから1㎏です。
 これが死の灰となって、それは黒い雨と言われました、放射能を帯びた塵が上空へ舞い上がって雨をつくり、黒い雨となった訳です。
 或いは、中性子の放射線を浴びなくても後にやはり原爆症となっていったのです。
 それからその被爆の中心地に、その翌日ぐらいに自分の家族を訪ねて行った人々の中からも原爆症が発生しています。これらは、みんな死の灰、つまり核分裂 生成物の放射能を浴びて、そのために原爆症になったか、或はまだその辺に死の灰があったのを呼吸したために、やがて原爆症に侵されていく訳です。
 こういうふうに、死の灰の恐しさというのは、広島の人々には知られていたのですが、一般の人々はその時ピカドン、それから、その瞬間に出た中性子の放射線、こちらの方に気をとられていて本当に死の灰の恐ろしさということは認識されていませんでした。
 それがはっきり認識されるようになったのは、それから約9年後の1954年のビキニ、死の灰事件です。
 この時には日本の第五福竜丸がちょうど禁止区域のギリギリの所に来ていて死の灰を浴びています。
 その中の一人の久保山愛吉さんという方が数ヶ月後に亡くなられました。
 これが日本の原水爆禁止運動の発端となった訳ですが、実は同時に、マーシャル群島の住民約240名の人々が同じ死の灰を浴びていました。翌日、アメリカ 軍が来てこの人々を皆退避させたのですが、既に体の中に放射能を吸い込んで、非常に多くの被爆者を出しています。その時に妊娠していた十数名以上の女性の 殆んどの人が流産をしてしまいました。それから十才以下の子供が19人いたのですけれども、2人を除いて全員が甲状腺の癌、或は甲状腺の腫瘍という病気に なってしまったのです。
 以上のようなことは、現在では教科書にも載る程度にはっきりしてきでいることです引が、私達日本人は、久保山さんや第五福竜丸のことは随分騒いだんですが、このマーシャル群島の住民のことについては殆んど何も知らなかった、ということがある訳ですね。
 原水爆禁止運動のような中にも、そういうことをしてしまったというのは残念なことです。
 勿論、今から数年程前から、日本のジャーナリストや科学者がマーシャル群島に行って、ヤシの実や土壌の中に非常に濃厚なセシウム137 、ストロンチウム90などの放射性物質が残留している状況を調べたりしています。
 とにかく1954年の死の灰事件で、核分裂生成物の恐しさというものがクローズアップされるようになった訳です。

  甘い放射能への認識
 
 放射能物質の本当の恐しさについては、認識がまだまだ甘い。
 我々人類の認識は、非常に甘いのです。
 それは何よりも私達が、放射性物質に接するようになったのは、キュリー夫人のラジウムの発見、これが一九世紀末ですね。一九世紀末ギリギリの年です。そのころはまだ放射性物質の恐しさというものを知りませんから、科学者達は平気で手の平に乗っけて歩いたりいろんなことをしたのです。
 従って非常に多くの科学者達が白血病で亡くなられています。
 ラジウムを発見したキュリー夫人、その娘イレーヌ・ジョリオ・キュリー、その御婿さんのジョリオ・キュリー、非常に優れたフランスの物理学者ですが、皆白血病で亡くなられました。
 それから世界で最初の原子炉は何のために作ったかというと、長崎のプルトニウム原子爆弾を作るために作ったものですから、日本人にとっては、あまり良い 気分がしませんが、それを作ったエンリコ・フェルミというイタリアの非常に優れた物理学者で、この人も白血病で亡くなっています。
 つまり自分で放射性物質を、地球、我々の世界に招いた人々は放射能の危険性というものをほとんど知らずに自ら犠牲になっていったんです。
 本当に死の灰、放射能というものの恐しさがわかったのは、1945年の広島の経験以後と言っても差し支えありません。
 今、我々が放射線の影響を知る時の資料となっているのは、広島長崎・ビキニ島です。
 それまで殆んど知ることがなかったのです。
 最近になって更に現在まで蓄積されていた知識よりもっと恐ろしいということがわかってきたのは、ネパダでアメリカ軍が原爆実験をやった時、作戦に参加していた兵士達の間で癌がどんどん発生してきているということが知られてきたからです。
 これに非常に慌てて資料を集めている様です。
 軍当局自ら兵士達を実験材料に使ったのか、それとも、本当の放射性物質の恐しさということに対して非常に甘い考え方を持っていたということでしょう。
 そういう中で、この原子力の開発というのがどんどん続けられています。
 現在の原子力の利用というのが、まったく原水爆技術、原子兵器技術の延長上でしかない。あるいはそのおあまりだというふうに私は言えてると思うんです。
 つまり、戦争技術であれば多少それを製造する人、そこに働く人、労働者に危険があるということが無視しても強行されたのです。 
 そのやり方が現在そのまま原子力開発の上に、平和的利用の原子力開発の上に続いているということが根本的にあるというふうに思っています。

  原発の中にヒロシマ死の灰1千発分

 具体的にどういうふうに危険なのかという事に移りましょう。
 先程、広島の原子爆弾、広島で有効に使われたウラニウムは約1㎏であると言いましたが、ちょうどそれと同じ量は、出力百万kWの原子力発電の中で約十時間で消費されます。従って、百万kWの発電所の中には、1年間操業した時に1トンの死の灰が内蔵されています。
 死の灰の放射能の恐しさということを考えますと、その危険性は非常に大きなものだと言えますね。
 広島の死の灰の約1千発分が、原子力発電所の燃料棒の中に蓄積されている訳です。
 ですからそのうちわずか0.1%でも漏れれば広島の原爆の死の灰と同量が撒き散らされることになる訳です。
 その潜在的危険性の巨大さが解ると思います。
 単に放射能があるということだけでなく、もう一つの側面は放射能というのはそのまま工ネルギーだということですね。
 普通、パラパラになってしまった放射能を考えますと、そこから出てくる放射線が人間の身体に危害を加えるという、その点だけが問題にされる訳ですが、広島の死の灰の千倍というような形で大量に固まっている場合には、それの出す熱量の膨大さがまた問題になります。
 その大きさは電気出力の約5分の1ですから、百万KWの原子力発電所では、死の灰の侍っている出力は20万KWです。
 20万KWの発電所と言いましたら非常に大変なものですね。
 皆さんも、発電ということについては興味を持っていらっしゃると思いますが、例えば黒部川の水力発電所の電気出力が26万KWですね。
 26万KWの熱出力というのは、ものすごいものであるということがお解りだと思うんです。
 その点が火力発電所と違うところです。火力発電所でしたらこの間のスリーマイル島の事故のような時には、火が消えてしまえ
ばそれでおしまいですが、原発ではこの20万KWを冷却し続けなければならないのです。
  原発事故の特徴
 スリーマイル島の事故は二次系の給水系故障から始まりました。
 発電所というのは皆さんもご存知のように、かならず熱の何倍かは冷やして海へ捨ててやらなければなりません。
 これが排熱ですが、これは熱力学の原理によって縛られていて、如何に頑張ってみても熱を全部電気に換えることはできません。
 原子力発電所の場合には百万KWの電気出力を得るために、なんと2百万KW相当の熱を海に捨てているわけです。
 技術的にも残念なことですが、これがまた、温排水として環境を汚染します。熱汚染ですね。
 2百万KW分の熱を外へ取り除いてやる、ということをどうしてもしなくてはいけない。
 その冷却系統が故障したというのがスリーマイル島事故の出発点なわけですが、火力発電所でしたら冷却系統が故障したら直ちに石油の供給を止めてしまって ボイラーの火を止めてしまえば、それで済んでしまいます。まあ停電になりますから一刻も早く復旧しなくちゃならないわけなんですが、しかし事故としてはそ れでおしまいですね。
 ところが原子力発電の場合には給水系が止まったらただちに制御棒が入って抜分裂反応を止めてしまいます。
 スリーマイル島の場合には、約8秒後に制御棒が全部入って絞分裂反応は全郎止まったと言われています。
 核分裂反応は止まってしまったのですが、まだ出力は続いているのです。
 死の灰の20万KWという熱出力です。
 ここが火力と原子カのまったく違う所だということをよく肝に銘じておいて下さい。
 従って冷却系が故障したということが起きたら、ただちに他の冷却系が働かないと大変なことになります。もし働かなかった場合、沸騰水裂の原子炉では約 150トンの燃料棒、それから、加圧水型の原子炉では約90トン程度の燃料が使われてしまいますが、これが全部ドロドロに溶けてしまいます。
 その溶融温度は二千八百度という非常に高いものなんですけども、それが二千八百度を越えてしまい、固まりのドロドロの溶解物になってしまうのです。
 更に、原子炉圧力容器といって燃料棒を入れているボイラーと考えて下さればいいんですけれども、厚さが13cm、直径数m、高さが15m以上のものです。
 それが全部溶けてしまいます。
 死の灰の熱出力はこれだけの能力を持っているのです。
 そして更に、格納容器の底部のコンクリート、これは厚さ30cmというものですが、それが熱によって分解されて地面の中に潜り込んで行く、これがよく言うチャイナシンドロームとして想定されたのです。
 チャイナシンドロームということが盛んに言われますけれども、チャイナシンドロームというのは、まだ幸運なケースなんですね。
 もっと恐しいのは、そこまで行く前に、例えば、ドロドロに溶けた燃料棒が原子炉圧力容器の底の水に落ち込んで、蒸気爆発を起こし原子炉が圧カ器の蓋を吹き飛ばすことです。
 格納容器と言って更に圧力容器の周りにもう一つ覆があるんですけども、その格納容器の天井をも吹き飛ばすということが考えられています。そのようなケースは、事故が始まってから数時間の間に起こると考えられています。
 そうすると非常にフレッシュな死の灰が環境の中にまき散らされてしまうのです。
 こういう時が、実は、被害としては大きくなるんです。
 水素爆発というようなことも控えています。
 原子炉には非常に沢山の金属があります。当然圧力容器も金属ですし、燃料棒の鞘に使われている物も金属です。金属と水が反応する時、金属-水反応が起こ ります。金属が水の中の酸素を奪ってしまって水素が分離されて水素発生ということが起こります。とくに現在の原子力発電の中の燃料棒の鞘に使われているジ ルカロイという金属は、ジルコニウムを主体とした合金ですが、そのジルコニウムは特に水と良く反応して水素を発生させる性質があるんですね。
 スリーマイル島の事件でも御存知のように水素が大量に発生して、水素爆発を起こすということが非常に危倶された訳です。
 この水素爆発が、もし、原子炉圧力容器の中で起きれば、さっき言った蒸気爆発と同じ様に原子炉圧力容器を吹き飛ばして、その破片によって格納容器も潰されてしまう、という事態が考えられます。
 とにかく様々な経過があり得る訳ですが、いずれにしても、死の灰の熱を取り去ることに失敗した場合には起ってくるわけですね。
 もう一度要約しますと、大量の死の灰、その大量の死の灰の一つの側面は、非常に大量の熱を発生し続けるということ、ただそこに熱があるというのではなくて熱が発生し続けるという側面です。
 それがバラバラとなって撤き散らされて人々の頭上に降り注ぐ時には、今度は放射線として生物学的な危害を加えるという、こういう二つの側面で死の灰の潜布的危険性を考えていくことが必要です。

  原発事故からの被曝

 外界に撒き散らされた死の灰は、それではどうなるんだろうということですが、これもやはり二つの側面を考えておく必要があるのです。
 例えば、東海村の百万KWの原子力発電所がありますがその内に内蔵されていた死の灰の一割が放出されるとすると、どういう物が出てくるかといえば、ガス状のもので揮発しやすいもの、高温で揮発しやすい物質、セシウムとかマンガンとかいった物質です。 これらは、熱い蒸気の雲といっしょに出て来ます。私達の頭上をその雲が通り過ぎるとき、その雲からγ線という放射線が出てきます。
 我々がこれにさらされるならば、原爆症の原因となります。
 この被曝は一過性ですね。事故が起きている数時間の間、雲が我々の頭上を漂っている閥だけ被曝する訳です。
 もう一つは、その雲の一部分を私達が呼吸によって体内に吸い込んでしまう、こういうのを内部被曝と言います。
 しかし、呼吸を止めているわけにはいきませんから、私達はセシウム137 、ストロンチウム90、沃素131 等を含んだ空気を吸い込んでしまいます。
 これはいずれも死の灰の一部分です。
 そういった物が身体の中に取り込まれますと、それらは私達の身体の骨とか、或は甲状腺という所に大部分が吸収されます。それは一過性ではありません。一 たび私達の身体の中へ取り入れられたら、これは物理的半減期、および生物学的半減期で自然に減っていくのを待つ以外にないんです。
 放射線を出しながら、放射能の強さが半分になる時間を半減期と言います。
 例えば、セシウム137という放射性物質は30年経って漸く半分になります。
 60年経つと四分の一になり、90年経って漸く八分の一になります。
 決して半減期だからその二倍経つとなくなってしまう訳ではなく、指数関数的に減少します。
 それから、ストロンチウム90も約30年の半減期で、セシウム131という沃素は、八日間で半分になりますが、有効期間は約30日、ひと月間ぐらいの間、絶えず甲状腺を放射線で侵し続けるのです。
 これが、マーシャル群島の住民のうちの子供達が殆んど全員が申状腺腫瘍になった原因である沃素131 です。
 その他ストロンチウム90といった物質は骨の中にまで入り込んで一生出て行くことはなく、骨およびその周辺の器官を照射し続けます。このことによって白血病とか骨髄の癌になることもありますし、その他様々な癌を誘発する可能性があります。
 今話した様に、原子力発電所の事故によって出てきた雲は、外部照射と内部照射との二面によって私達を照射するということを忘れないで頂きたい。
 スリーマイル島事故のとき、どれだけの線量を浴びたかというのは新聞記事で見たかと思いますがこれは、外部照射雲からの直接照射というだけあって、その 時どれだけ吸い込んだか吸い込んだ物質によってどれだけ被曝したかこういうことが出ていないということに注意しなくてはならないのです。
 実際、大部分の事故の場合には内部照射の方が一過性の外部照射に依るよりもずっと影響が大きいのです。
 私達の所で試算した結果では、一過性の外部照射によるものは10%程度です。
 その他大部分は、内部照射によるものです。
 だから、スリーマイル島の事故で、これからどういうふうに被害者が出るか、まったく解らないというわけですね。


  被曝の影響

 その被害の表われ方ですけれども、昨日事故が起きて、明日死ぬという形では表われません。
 勿論、非常に大量な放射能を浴びせられた場合には、急性症状で、一週間以内に、下痢とか、毛が抜ける広島の被曝者が典型的に表わしたような、症状を表わします。
 もっと少量の、微量だけ浴びた場合には、五年後、一〇年後、二〇年後に発生するというふうに、後になって出て来る訳です。
 ですからこれが、例えばスリーマイル島でそういう人が出てくると思うのですが、この人が果たしてスリーマイル島の事故でなったのか、それとも自然の他に起きている、癌だろうか区別する方法がないんですね。
 そこに、原子力公害、放射能被害の場合の、他の公害の場合と非常に違う点があります。
 因果閣係を証明して、原発事故による被害なのだということを証明するのは難しいという点があるのです。
 これはまた被害が現実の問題となって、スリーマイル島のような場合にどう考えていくのかということですね。
 スリーマイル島の周辺の人々は、放射能の被害が発生した場合に全てこれは、原子力発電所の事故によるものだ、ということを主張してゆくべきだということなのです。
 個別に、これは、スリーマイル島の事故によるもの、これは自然に起きている癌だというようはことを区別しろと言われたら、これは原理的に不司能です。
 そういう非常に困難な問題もあるわけです。
 ですから、今、スリーマイル島の事故で人一人死ななかったではないか、こんなに大さわぎをしてなんだ、というような反論がちらほらあるようですけれども、とんでもない話です。
 一人急性の死者が出るような場合には、数万人の人が癌で死ぬということが約束されているわけです。
 一人の死者も出なかったなどというのは、原子炉公害のことを知らない人の言うことです。



2 スリーマイル島事故の教えるもの

 事故の経過 -人為ミス説批判-

 スリーマイル島の事故は、どう起きたか。
 新聞記事で読んだ人は何がいったい本当なのか、よくわからない、いろんな話が変っていってわからないと思うんですが、最近では、「技術と人間」という雑誌の五月号にかなり詳しく出ていますし、六月号にも詳しく発表されています。
 だんだん、明らかになってきているんですけれどもくわしいのはそちらで読んで研究していただきたい。
 ただ一つだけ言っておきますと、あの事故は人為ミスで起きたのであって日本の運転員は訓練されているのでああいうことは起きないというようなことを原子力委員会の安全審査委員で東大工学部教俊の、内田秀雄などという人が言っております。
 これは非常に間違った考え方です。
 スリーマイル島の中で、人為ミスと言えるのは、一つぐらいだと思います。
 しかし、内田さんが言っていることが本当だとしてもそれは、従来まで内田さんが主張してきたこと、つまり、原子力発電所というのは非常に巨大な潜在的危険性を持っているが、どんなことがあっても、事故にならないように出来ているんだ、とりわけ人間が誤まったことをしても、事故を発生しないように出来ているということをこの人が言っているように、たとえば制御棒を間違えて引きぬいてしまったような場合、それでも暴走しないように出来ている。
 つまり、ある数以上の制御棒は、絶対に人間のミスで、引きぬけないように、設計が出来ている、というふうなことをさかんに言っていたのですが、それを完全に裏切っている。
 つまり、人間が操作する以上、人間のミスというのは、避けられないことですね、人間のミスが、あれだけの事故になる、非常にありふれた人間のミスであると、もし主張するのであれば、それは、今まで自分が主張をしてきたこととまったく違うことを言うことであり、そしてまた、ますます危険だということを宣言な さったことになると思います。
 人為ミスだから、原子炉そのものが安全だというようなことは成りたたないということを私は言っておきたいのです。
 しかし、今回の、スリーマイル島事故は決して人為ミスだけで起きたというわけではないんです。
 たとえば、人為ミスの一つと言われているのは、一番最初の、補助給水ポンプの弁をしめ忘れた点です。
 事故の発端は何かというと、とれは少し図を見て下さい。

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 Aが原子炉圧力容器でここの中で、燃料が燃えて、水を熱くしています。
 その水をBの蒸気発生器にもってくる。
 この中で、圧力容器からの熱水を細い管に分けて、一次系の熱を二次系に伝える。二次側は、この中で蒸気になります。
 要するにとこはやかんだということです。この中で水が蒸気に変わっていきます。
 これは、蒸気発生器の一次側の水は圧力容器へもどります。ここで循環して燃料俸をたえず冷しているわけです。
 一方、二次側の蒸気はタービンをまわし発電をしますが、Cの復水器で冷却され再び蒸気発生器にもどります。つまり二次側の水はたえず蒸気発生総の一次側の熱水を冷却しているわけです。
 Dのポンプ、二次給水ポンプですが、それが止まったのです。
 これが止まるということは、わりあいしょっちゅう起っているようです。
 少なくとも一年に三回ぐらい、いろんな原因で起ります。
 これが止まりっぱなしだと、どういうことが起こるか。
 燃料棒の発生熱を少くするため、炉は停止しますが、なお、死の灰の熱発生がつづいて燃料棒で発生しているこの熱を取り去らないと圧力容器の温度が、どんどん上がります。
 そういうことになっては困るので、ただちにここでEの補助給水ポンプがただちに作動して、Dの代りをします。
 ところがFの弁が締まっていたのです。
 三台の補助ポンプが一せいに動いたけれども、何の役にもたたず、これが事故の発端になります。
 しかし八分後には、この弁が締まっていることに気が付いて、八分後には冷却がはじまっています。
 八分間水が止まっただけで、あの大事故につながってしまった、それだけの巨大な慣性を持っているものだということです。
 もちろんさっき言いましたように燃料中の核分裂反応は、早い段階で止まっています。十秒後に、制御棒が降りて緊急停止されています。
 ですからあと、事故を拡大させていったのは、核分裂成生物、つまり、死の灰の出す熱、普通でええば余熱です。余熱といったら、電気を切ったあとのアイロンの熱を連想しますが、それとは違い、死の灰のときは、熱発生が続いているのです。
 このポンプがしまっていたとがまず第一の問題ですが、こういう重要な装置の弁がしまっていたらそもそも原子炉全部が動き出さない、たとえば、制御棒を抜こうと思ってもぬけない。
 ここが締っていれば、自動的に、制御棒をひき上げることは不可能であり、このようになっていれば、安全設計なわけです。 
 実際にはそのようになっていたはずなんですけれど、これを解除してしまったらしい。
 それが普通なんですね。
 というのはとういう補助ポンプというのは、非常の時に動くもので、いつもは使っていないものを急に使い出すときは、失敗が起こりやすい。
 だから原子炉が正常運転している時でも、時々点検して、だいじようぶかどうか試してみなくてはいけない。
 その時下の弁をしめる。弁をしめて、ポンプの動作をチェックするわけですね、そのたびに、もし原子炉を止めていますと、こまったことになります。
 原子炉発電所というのは特にそうなんですが、いつもずっと同じ出力で運転していれば、だいたい傷みもそれほどすすまないし、失敗も少ないんですが、出力 を上げたり止めたりすると、いろいろなところに重みがかかる、そのためなるべく、ずっと同じ状態を、続けなければならないのです。
 そのためにせっかくのインターロックをはずして点検をしてしまう。
 こういう巨大装置になるとどうしてもそういうことになるのです。
 安全装置が付けば付くほど、そういうことをどうしてもやってしまう。これは宿命的なものだと言えると思うのです。
 そのような身動き出来ないような状態ですね、安全装置は、点検している時には、弁をしめてやりますからそのとき、もしが事故が発生したら、その安全装置は止まったままという、ジレンマにあり、かといって運転中いっさい点検をやめるというわけにはいきません。
 点検をやったあとに弁を締め放しというのはおこりえる人為ミスと言えるでしょう。


 有効でなかったECCS

 そのあといくつかの人為ミスが指摘されています。
 さっき言ったように、一次系の圧力があがってきます。温度がだんだん上がり圧力が上昇してくる。そのままになっていたら、一次系の、どこかのパイプが破断することになりますから、自動的に、加圧器の圧力加減弁が開いて、ここから、蒸気をにがしてやります。
 ところが、もう遅くて、蒸気と一緒に、中から、熱い水が外にふき出してしまいした。
 これは150何気圧という非常に高い気圧で運転していますからいったん出たものは、どんどん流出が止まらはいのです。
 この弁が本当は、しまることになっていたのが、しまらないで、開きっぱなしになって、ここからどんどん水がもれてしまった。おそらく弁がしまってもすぐ にまた圧力が上昇して、あいたりしまったりで、あいたきりとあまり違わなかったと思うんですが、いずれにしても加圧器の弁から一次冷却水が出ていったとい うことです。
 そして、圧力容器の中の水がどんどんなくなり、その結果、炉心がはだかになってしまった。炉は、どんどん熱くなっていって、燃料棒が損傷するということになるのですが、実はこの時に緊急冷却装置というのが働いています。
 これは、冷却水が失なわれていったとき、水を注入してやる、つまり、水を注入して、炉心が裸になる、露出してしまうことを避けるよう、水を上から注入してやって炉心を冷やす、それをふつう、ECCSというものです。
 そのうちの高圧注入系というものですがこれは二台ありまして、これは作動しています。
 今までこういった炉心の冷却水がなくなったような場合でも、高圧注入系の緊急冷却装置があるから大丈夫だ、事故にならないと言われてきたのですが今度の場合は、作動しています。
 朝日新聞などでは、スリーマイル島の事故で緊急冷却装置がうまく働くことが実証されたなどといっていますが、実を言うと、これが働いたのに、事故がどんどん拡大していった。
 これは、ECCSが、確かに働くは、働いてくれたけれども、注文通りの役割りを果きなかったというのが、はっきりと証明されたことなのです。
 これについてもミス説が言われています。
 そのミス説というのは二台の高圧注入系を、四分後に一台を止めてしまった、それから六分後にもう一台を止めてしまった。
 これがミスだと言われています。
 第一に、なぜ止めたかという問題ですけれど、それは水位計が一杯になっていたので、炉心の水が、一杯に満されたと判断を下したのですが、これは当然ですね。 炉心と加圧器とはつながっているのですから、加圧器の上まで水が来ていれば、炉心はいっぱいだ。
 そのように作業員は判断したので止めたのです。
 これが非難されているのですが、実はあまり恨拠がないのです。
 というのは、6分30秒後に、ふたたびいれているのです。
 ですから、高圧給水系を、止めているのは、実質上、20〜30秒という短い時間だけです。
 しかもその前に、四分までは高圧注入系は2台働いた。
 マニュアルには、一台の高圧注入系で、充分熱を除去できると書いてあります。一台で充分なものを、二台働いたのだから、この結果から見て、30秒間ぐらい止めたということはが事態の本質をなにもそれほど変えたことにはなっていないはずですね。
 ところがそれを運転員のミスだと言うことで、アメリカで相当問題になっています。
 こういうこまかいことを言っているときりがありませんが、このくらいにしておきましょう。
 人為ミス説というのは、あまり当らないように思います。
 それよりも、問題はECCS、あるいは高圧注入系が作動しているにもかかわらず、期待された役割りをほとんど果さず、その後あれだけの大規模な事故へ、発展するのを、とどめることができなかったという点がポイントだと思います。


 もっと危険だった日本の原発
 
 日本の原子力安全委員会は、事故の起った直後に、日本の加圧水型の原子炉は、メーカーが違うから安全だということを言ったんですね、これは、世の顰蹙を かって、安全委員会ではなく、あれは安全宣伝委員会であると批評されたわけですが、何も、事態がわかっていないのに、なぜ安全だという宣言ができるか。
 ところがその声明は一週間たらずのうちに、アメリカのNRCが、
 「日本にある、ウエスチングハウス社製の原子炉はもっと危険だ」
ということを言ったためにこの声明は一辺につぶれてしまった。
 まことにはずかしい話なんですけれども、一辺につぶれてしまいました。
 それはどういうことなのか。
 スリーマイル島の原子炉は、高圧注入系が働くための信号系が、炉心の圧力が減少する、つまり圧力が減少した場合に働くようになっています。そのために二分間後に圧力が下ったので高圧注入系が働き出したのです。
 それに対して、日本のウェスチングハウス社の炉はどうなっていたかと言うと、圧力減だけでは働かない。
 もう一つ水位低という信号が入らないと働かない、その両方で初めて高圧注入系がはたらくようになる。
 ですからスリーマイル島の事故で、そういう高圧注入系になっていたら、これは水位計がこわれてたのですから、水位低にならない。
 高圧注入計はまったく作動しなかったでしょう。
 というわけで、NRCはウェスチング社製の方が危険だといった。
 事故直後、日本原子力委員会は強引に加圧水型炉の運転を継続していた-といっても大飯のだけしか動いていなかったのですが-のですが、このNRC声明でとうとう止めざるをえなくなりました。
 結局日本の原子力委員会は、高圧注入系を手動で入れる、ということで運転を再開した。
 それは、十分以内に入れれば大丈夫であり、十分以内に運転員が判断して入れることは充分可能である、というのです。
 日本のものはスリーマイル島のものと違って高圧注入系が入らないでも、十分間はもつと言っている。
 ここで注意して欲しいのですが、スリーマイル島では高圧注入系が二分後に入ってあれだけの事故になってしまっている訳です。
 強引に、大飯の原子力発電所を動かしてしまったのは、私はサミットの問題があるのではないかと思います。
 今、日本の加圧水型の原子炉全部、ストップしています。
 これはスリーマイル島の事故が起きる数日前に、実は全部ストップしていたのです。
 それは制御棒の駆動装置に故障があったからで、制御棒というのは、一旦事故が起った時にただちに炉を止めるための一番の中枢部分ですね。
 その部分の故障が見つかったために、しかも日本中の加圧水型原子炉に共通にあったために、止まっていたわけですね。
 そういうことで、全部の加圧水型の原子炉が止まっているということではみっともないということで、かなり強引に、そういう惜置をとってしまったと思います。


 3 エネルギーと文明

 エネルギー問題は政治の問題

 以上、原子力発電所のもたらす潜在的危険性、それからスリーマイル島で起きたこと、この二つのことについて述べてきましたが、最後に、「エネルギー問題」として、少し考えてみたいと思います。
 「エネルギー問題」を科学技術で全部解決できるかのように政治家は考えているようですが、決してそうではないんだというのが、私の考えです。
 かつて1960年位までは、トップが石炭であり、その後65年位を境にして、石油がものすごくダンピングされていった。
 その時、日本の企業や政府は、これからのエネルギーは全部石油だということで、石炭を全部強引に打ち切った。
 炭坑労働者などはストライキをやって激しい闘いをやった。
 それを押しのけて石炭産業を全部スクラップ化して、石油に切り変えたわけです。
 石炭から石油に変ったのは、科学校術の問題ではなかったのです。
 この切り換えというのは、第一に政治の問題であった。
 西ドイツなどでは石炭をまだその後ずっと続けているわけです。
 日本の指導者だけが全部石油に切り変えてしまった。それから20年もたたないうちに石油がなくなるということを言っているわけです。これは、私は政治家として失格だと思うんですね。
 そういう人達が、今度は石油がなくなったから原子力だという。
 何という見通しのなさかということ、20年先を見られない人など政治家の資格はないのではないでしようか。
 それだったらあっさり謝って、自分には指導する資格はないから、どうぞ皆さん他の人がやってくださいと言うのが本当だと思うんです。
 ふんぞり返って、今度は、石油がないんだから原子力をやる。
 石炭から石油に切り換えたのも政治の問題であるし、石油から原子力に切り換えるのもそうです。


 原子力技術は軍事技術

 原子力はこのように極めて危険なものです。
 それが許容されているのは、背景に原水爆兵器という問題があるからなのです。
 つまり、原水爆が一発か二発どこかに落下されれば、もちろん原子力発電所の事故とは比較にならないほど大惨事になります。
 そういう恐怖に満ちた世界-原水爆が満ちみちた世界。
 人類一人当たり五万トンの火薬に相当するだけのものをすでに現在もっているのだそうです。
 そういう背景のもとに、はじめて許容される産業だと思います。
 今日の話では全然できませんでしたけども、原子力産業、原子力発電所の中の労働者の被曝の状況、労働条件、これは人間がやる仕事でないことを実際にやらされているわけです。
 それについても、「技術と人間」六月号につい最近まで現場で働いていた技術者が告発している文章がありますのでぜひ読んでおいてもらいたいと思います。
 そういう普通の常識では考えられないような苛酷な労働条件、それから、一般の住民に対しても大きな被害を与える可能性があります。
 まだ現代が原水爆時代であるからこそ、そういったものが許されているのです。
 平和産業として使われる原子力技術というのは、まだ存在していないと私は考えております。
 まだ無いものを使えということは不可能なのです。
 私達があたかも持っているように考えること事体錯覚があるのであって、では、無かったらどうするのかと言ったら、それは、解決するのは政治である。
 石油が無くなったからといって、人類は絶滅しなくてはならないのか。
 原子力が無かったら入類は絶滅しなくてはならないのか。
 そんなことはないはずです。
 人間とはもっと適応力を持っている。
 それこそ現代の科学技術を、我々はがむしゃらに推進してきた。いままでの科学技術のあり方というのは、あまりにも自然に反している。あたかも自然から遠 ざかれば遠ざかる程それが技術であるかのように錯覚してきたけれども、それは科学技術の時代史の最も原始的な時代であるのです。
 アトミックという意味ではなくて、最もプリミティブな時代であると思います。
 これからの科学技術というのは、もっと自然と調和した科学技術、それこそが科学技術の黄金時代であると払は思います。
 これからそういう科学技術を皆さんも作っていってもらわなくてはいけないし、私もそういったものを作っていきたいと思っています。


 石油は枯渇するか

 石油が無くなったから原子力しかないではないかというような、一種の強迫観念、あるいはためにする強迫観念が振りまかれています。
 石油が無くなるのか無くならないのかという問題ですが、私は長期的スケールと短期的スケールに分けて考える必要があると思います。
 長期的には無くなるのは当り前です。石油は何億年の歴史の中で地球上に繁茂していた植物が枯れて、それが変えられていったものです。それを人類は猛烈な勢いで消費しているわけです。石油をこんなに浪費するような文明はずっと続いてきたわけではない。過去僅か二、三十年の間に急速に浪費されているわけです。
 またそういうようなことが無限に続くはずはないのです。
 今のような浪費を涜けるならば、二百年か三百年かは知りませんが、百年掛ける幾つかという数百年のうちには石油は無くなるだろうと思います。
 そういうことを簡単に済ましていいのかというと、これは我々が将来地球上に現われてくる人類に対して持っている責任ということを考えると、浪費してはいけない。
 そのために節約するということは、現在の人類の持っている重要な使命であると思います。
 その意味での石油危機は、サミットの人達に考えてもらわなくとも、我々自身が一番真剣に考えなければならないことです。
 そういう風に考える時、現在の石油浪費の文明に対してやっぱり根底的な批判が必要だと思います。
 現代の工業文明に対する批判が必要だと思います。


 石油文明への批判

 たとえばクーラー文明というのは私は末期的な文明だと思いますが、熱いからまず涼しくしようと、それでみんなが腰痛になったり膝が痛くなったりしています。
 一方ではその熱は何処かに吐き出されています。
 決してその熱だけが出されているのではなくて、この部屋の中から一だけの熱を取ったとすれば、約1.5に相当するだけの熱が外に捨てられているわけです。
 それでクーラーを持たない人は熱くなり、その悪循環で今や東京都ではクーラーを持たないでは住めはくなっています。
 風を入れて少しでも涼しくしようと思えば、隣の家の排熱が飛び込んできますから、”それではしょうがない、自分の家もクーラーを入れるか”ということになります。
 クーラーを入れることによって増々悪循環が激増しているというのが都市の生活だと思うんですね。
 そしてクーラーの電力を供給するための施設として、いわゆる過疎地に原子力発電所が立てられ、そこで漁業、第一次産業が壊されてしまい、それから人々の生活自身が壊されてしまいます。
 確かに漁業の生活というのは楽ではないんですよね。そこへきて、一日数時間働けばいい手当てが貰える、日銭が稼げるという形で原発が来ることによって現地の人々の生活が壊されていきます。
 その楽を見た生活というのは原発が完成すると同時に終って、今度は自分の命を切り売りにした汚染除去作業、放射能を除去する作業という最も苛酷な労働に出て、そういうことで命を切り刻む労働に変わっていく。
 それから、飛行機を見て欲しいと思います。
 決して石油を喰らっているのは電気だけではないんですね。
 原子力が石油の代りに成りうるような宣伝がなされています。
 とんでもないことです。石油の僅か20%足らずだけが発電に使われている。
 原子力じゃ飛行機は飛ばないんですね。
 石油を浪費している親玉は飛行機です。
 羽田が狭くなったから成田空港をつくるということになっていますが、それだけの飛行機をぶんぶん飛ばしてしれが一体何のために使われているのか。
 90%以上は観光旅行に使われている、本当に石油を節約しなくてはならないと真剣に考えるならば、この辺から問題を考えなくてはならないのです。
 確かに飛行機を利用して、数時間のうちにアメリカ、ヨーロッパに行かなくてはならない、つまりビジネスの人達がいると思うんです。だけどそのビジネスの 人達も、自分がどうしても行きたいのなら、自分で飛行機を仕立てて自分で行けばいいんですね。 それでは、金は大分かかるでしょう。
 それをなくするために、盛んに観光旅行を煽って、そしてコマーシャルベースに航空産業をのせて、それでも自分もそれにあずかろうという魂胆が航空産業の実態であると思うんです。
 そういうことに大衆が乗って、一パツフランスのエッフェル塔でも見てきましょうということは、おかしいと思うんです。
 それはともかくとして、石油を浪費している現代文明に対して我々自身が根底から批判していくのが大切だと思んです。
 我々自身の立場からもっと石油を浪費する社会を考え直そうということをこれからの科学技術者は真剣に考えていかなくてはならない。


 新しい技術と世界観を!

 それと同時に、本当にクリーンなエネルギーというのは太陽エネルギー以外はない。
 核融合エネルギーが考えられていますが、これにもいろいろな問題があります。
 どうしても熱汚染ということは避けることはできません。
 そういうことを考えますと太陽エネルギーを利用していく方法しかないわけです。
 クリーン・エネルギーの利用ということで我々が真剣に工学者として考えていく必要が、長い人類の将来のことを考えると出てくると思います。
 しかし、太陽エネルギーもまた無限ではないわけです。
 我々のエネルギーを浪費する生活というのは、やはり自然と適合した生活に変えていく、そのためには、政治のあり方、文化のあり方、そういったものを根本的に考えていく作業が要請されています。
 我々はこの半世紀たらずに、いやこの30年位の間に、石油や電気を浪費する文化に馴らされてきています。
 これを根底から変えていくというのは難しい問題だと思うんですが、どうしても解決していく必要があると思うんです。
 最後に言いたいのは、こういう石油を浪費する文明は、決してずっと百年も二百年も続いてきたわけではなく短期間のものであり、それから第三世界の人々は決してそういう生活をしているのではないんです。
 彼らは、我々の十分の一の電気も使っていない生活だということです。
 その人達がもし工業会社の今のような生活をする権利、石油を浪費する権利を主張したらどうなるのか、その時に石油はもう無くなったよ、これ以上使ってはいけないんだよ、ということを我々は言えないんだと思います。
 つまり現在の世界というのはいわゆる先進国の人間だけがエネルギーを浪費して、しかもそれを中東あたりから略奪してきでいる文明なんだ、ということを忘れてはならないと思います。
 こういう諸々の問題を抱えています。
 これは単に科学技術の問題だけではなく、政治、文明、社会、文化、そういった全体の問題なんだと思います。
 それを我々の立場から解決していくために、私達みんなが努力していかなければならないと思います。
          
 (みといわお・芝浦工業大学電気工学科教授
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PS ブログ管理人:以下をお読みください。
 ネットの凄さを味あわさせられた二日間でした。
 前記事、
 「故・水戸巌教授の32年前の警告『原発はいらない』講演録 by いとしのゴン
は、わが芝工大全学闘の在阪M氏、在静岡I氏、在京M氏の三人の語らいで、芝工大総合文芸誌「創生」創刊号上で1980年掲載された故水戸巌先生の「原発はいらない」講演収録を、「もうひとつの全共闘ブログ」にアップしようとなり、全くブログ管理者の都合や仕事を一切省みず、いきなり探し出した上記「創生」誌を送りつけてきたのがことの発端でした。

 32年の時空を経て届いたそれは、黄ばみ傷み活版印刷で印刷は不鮮明・・・。
 まるで私たちと同じでした(^^)。
 それを苦労して安スキャナーで拾い、在京M氏に送信、氏は一日でブラッシュアップしてくれ、鮮明なPDFファイルとJPGファイルで送り返してくれたものでした。

 残念ながら「もうひとつの全共闘ブログ」は無料ブログ故に、PDFファイルは扱いできず、苦労して16ページのJPEGファイルを記事に貼り付けアップしました。
 が、これでは目も翳んできた全学闘諸氏には辛く可哀想と悩みました。
 そんなところに、在京M氏がファイル共有サイトアップという妙手を考えてくれ、早速『原発はいらない』PDFファイルが皆さんにダウンロード出来るようになったわけです。
 もう、これでしばらく記事アップはせんでいい、と安堵したブログ管理人。
 ところがです。
 記事アップしたその日に、コメントとメールで「PDFファイルを送信してくれればテキストファイルに変換してくれる」と、
 frog & hayブログのchitarrita氏
から連絡が舞い込みました。
 もう、そんな奇特な方がおられ、それをネットを通じてやりとりできるなんてと感激!
 なんと一晩でやって頂きました。
 もう感謝、多謝、深謝の極みでございます。
 
 そういうことで、ダウンロードって何や?、PDFファイルってなあに?、Adbe readerってなんだ?、という老闘士諸氏(^^)、ご安心ください。

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 芝工大闘争史を語る会・ブログ担当様  from chitarrita
 とても上手にPDFをとられていましたので、それほどの誤変換は感じられませんでした。
 国会図書館並のコピーでしたとお伝え下さいませ。
 ただ、固有名詞で「ミレヌ・キュリー」は誤りだと、奥様(水戸先生夫人)からチェックがかかりました。
 そういえば、と思ってたまたま今読んでいる武谷三男先生の『原子力発電』の中で
 「イレーヌ・ジョリオ・キュリー夫人
とありました。
 いろいろ誤りが出てきそうで楽しみです。わくわく。
 (ブログ管理者注04:講演収録本文は修正済み)
 チェックしながら読み進める内に、今までの3つの講演会記録と違うものがありました。
 聴き手の違いでしょうか。
 あちらより惹き付けられます。
 本当に良いものを見せていただいてありがとうございました。
 これからもよろしくお願いいたします。